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今の九州水害は大阪にとっても決して他人事ではない!

2020年07月07日 20時49分01秒 | 都構想・IRカジノ反対!

先日来の熊本県球磨川水系の水害でも、昨年の岡山水害でも、河川の湾曲部で水が滞留・逆流するバックウォーター現象が被害を拡大しました。これは同様の箇所を多く抱える大阪でも決して他人事ではありません。実際、寝屋川や大和川の湾曲部では過去に何度も水害に見舞われて来ました。大和川では浅香付近(上図のA)や石川との合流点(同B)が、バザードマップで洪水危険地帯に指定されています。

何故ここが危険なのか?
 
(A)は大和川が浅香丘陵(上町台地の一部)を横切る湾曲部です。江戸時代に、それまで河内平野の方に流れていた大和川を、洪水防止の為に今の堺の方に流れを変える付替工事が行われました。その工事の際に、丘陵の一番低い所を通す為に、湾曲して掘削し、千両も余分に工事費用が掛かった所から、この湾曲部は「浅香の千両曲り」と呼ばれる様になりました。水害の度にJR阪和線が浅香付近で水に浸かるのも、この湾曲部がある為です。
 
(B)の石川との合流部も、大雨の際に、大和盆地の鉄砲水を集めた大和川が、南から流れてきた支流の石川と合流し、急に水嵩が増える為に、バザードマップで洪水危険地帯に色分けされています。
 
もっと言えば、大阪一帯が昔から洪水の常襲地帯でした。前述した様に、大和川は昔は河内平野の方に流れていました。幾筋もの流れに分かれ、北の方で寝屋川と合流した後、大阪城付近で旧淀川に注いでいました。寝屋川も同じ様に幾筋もの流れに分かれていました。今の淀川も、明治時代に新淀川が開削される前は、幾筋もの流れに分かれていました。淀川という川の名前も、川が淀んでなかなか水が流れない、水捌けの悪い土地が流域にある所から付けられました。
 
左下の大阪の古地図を見れば、それがもっと良く分かります。昔の大阪は上町台地以外は全て海の底にありました。それがやがて川の堆積物によって海が埋まり、河内平野が出来ました。海が埋まった後も、河内平野には縦横に川が流れ、深野池(ふこのいけ)や新開池などの遊水池が広がっていました。旧国名の河内も、そこが川に囲まれた水害常襲地帯であった事を物語っています。
 
今、大阪市内を流れる平野川や、八尾市内・東大阪市内を流れる長瀬川・楠根川・玉串川・恩智川などの中小河川は、全て当時の大和川の分流の名残です。ここで、左下の古地図と、最初の大和川のハザードマップを見比べてみて下さい。ハザードマップで危険地帯に色分けされた大和川北側に広がる地域が、古地図に載った旧大和川流域と、ほとんど重なるではないですか!
 
 
当時の水害の名残は今の地名にも数多く残されています。例えば、道路交通情報に度々登場する杭全(くまた)交差点や阪神高速の水走(みずはい)インターチェンジ、ハナテン中古車センターのCMで有名な放出(はなてん)などの地名も、そこが水害常襲地帯であった事を示しています。
 
①杭全:平野区にある同名の交差点を中心とする地名。地名の由来には諸説ありますが、その一つに洪水防止用の杭を全部打ち終わった事に由来するとする説があります。
 
②水走:阪神高速東大阪線にある同名のインターチェンジと中心とする地名。当地を支配していた水走氏という豪族の名前から来ているという説の他に、ちょうどそこで川の流れが狭まり流れが速くなった所から来ているという説もあります。
 
③放出:JR学研都市線(片町線)放出駅周辺の地名。この地名も、前述の杭全や水走と並ぶ大阪の難読地名として有名です。堤防内に溜まった水を排水するのがようやく終わったので放出と呼ばれるようになったらしいです。
 
現在、JR学研都市線四條畷駅の近くに、深北緑地があります(右上の公園マップ参照)。その緑地の中にある池の名前も、古代から中世にかけて存在した深野池(ふこのいけ)と同じ名前が付けられています。この緑地が出来たのも、寝屋川の水害に悩まされてきた住民が行政の無策を訴える大東水害訴訟を起こしたのがきっかけです。
 
水害訴訟を機に、行政が洪水防止に本腰を入れるようになって出来たのが、この深北緑地です。この緑地は、普段は滑り台などの遊具も備えた遊園地として使用されていますが、洪水時には寝屋川の水を逃す遊水池に早変わりするのです。過去の台風来襲時にも、そうして洪水を食い止めました。
 
だから、今の九州の洪水被害や、昨年の岡山・長野の洪水被害のニュースを観ていて、私はとても他人事には思えませんでした。大阪も、これらの洪水被災地と同じ様な地形をしており、過去に何度も洪水被害を経験して来ています。
 
その様な水害常襲地帯の大阪で、大阪市が廃止されてしまったら、一体どうなると思いますか?権限も財源もない特別区に、大阪市と同じ仕事なんか出来る訳がありません。一方で、本来なら廃止された大阪市の分まで仕事をしなければならないはずの大阪府も、カジノや万博などの大型開発に入れあげ、地味な洪水対策なぞは後回しするのに決まっています。そういう意味でも、大阪都構想は百害あって一利無しです。
コメント (2)
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