地震で営業休止になった店の在庫を押し付けられた近隣店舗関係者?のツイートを観て気付いた。野党の反対にも関わらず、なぜ一般サラリーマンが一向に高プロ阻止に立ち上がらないのか?それは、既にサビ残の形で高プロが既成事実と化し、法案はそれを追認するだけという諦観に支配されているからだ pic.twitter.com/NBQvxTHRKH
— プレカリアート (@afghan_iraq_nk1) 2018年6月20日
先日の地震で営業休止になった店の在庫処理でサービス残業させられた近隣店舗関係者と思しき投稿者による上記のツイート(ツイッターのつぶやき)を読んで。
自分も同じ業界で働いているので、最初は興味本位に「どこの店の投稿者だろうか?」程度にしか思っていませんでしたが、とてもそんな笑い話では済まされない事にやがて気付きました。
それは、くだんのツイートの中の、「それ(在庫訂正)をするのに残業2時間だけど36協定(残業時間の上限を定めた労使協定)に引っかかるから闇残(サービス残業)でやってる」というくだりです。つまり、幾らそんな残業時間規制の協定を結んだところで、実際はタイムカード打刻後も仕事を続ける「闇残」の横行で、協定はただの「絵に描いた餅」になってしまっているという事です。
これが一時的な状態で済むなら、まだ「よくある話」で終わるだけでしょう。しかし、こんな状態が何十年も続くと、これが当たり前の状態となり、異常を異常と認識する事すら出来なくなってしまうのではないか?
例えば、安倍政権の公文書改ざん、日報隠蔽疑惑も、高度プロフェッショナル(残業代ゼロ)法案の強行採決も、普通に考えれば違法・犯罪行為やデタラメそのものなのに、「アベノミクスで景気回復したんだから多少の不正には目をつぶらなければ仕方がない」と飼いならされているうちに、次第にそれを違法・犯罪・デタラメとすら認識出来なくなっているのではないか?
そう思うと、とても笑い話では済まされなくなりました。
そこで、ちょうど昼休みで、社内食堂の向かいの席に社員が座って食事をしていたので、その社員にもくだんのツイートを見せて、次の様に話しました。
「昔、私は生協で働いていたが、生協でもサービス残業がまかり通っていた。でも、生協職員には最初から消費者運動するつもりで就職して来た人も多かったので、民主的な運動体なんだから『仕方がない』、国民の生活と暮らしを守る為に仕事しているんだから『仕方がない』、という人が大半でした。
いわゆる『やりがい搾取』というヤツです。これが『やり甲斐、生き甲斐』で我慢できるうちはまだ良い。
しかし、その一日2〜3時間程度で『仕方がない』で済んでいたサービス残業が、やがて4〜5時間となり、最後には夜の11時、12時になっても終わらず、職場に泊まり込んで翌日も朝から通常の時間に出勤しなければならなくなっても、それを異常と認識出来ずに、唯の愚痴に止まり、まだ『仕方ない』『世の中こんなもの』と惰性に流されてしまったらどうなるか?
もう過労死するしかなくなる。そうならない為にも、間違った事はちゃんと間違いであると指摘し、退勤時刻の記録を証拠として残しておく等、個人でも出来る対抗措置を取っておく必要がある」と話しました。その社員も興味深く聞いてくれました。
「ゆでガエル」のたとえ話があります。カエルを熱湯に放り込んだら、カエルは暑さに驚いて逃げ出します。しかし、カエルをぬるま湯に放り込んでから熱しても、お湯の温度は徐々にしか上がらないので、カエルは逃げ出さず、やがて意識がもうろうとして死んでいくのです。
安倍政権の支持率がいまだに3割、4割もあるのは、政権交代が挫折に終わり、再び自民党政治が長期化する中で、国民の多くが、『反対しても仕方がない』『世の中こんなものさ』という「ゆでガエル」の状況に、飼いならされてしまっているからではないでしょうか。このままでいたら、最後には全員「ゆでガエル」にされて殺されてしまいます。
何故なら、どんなに違法行為がまかり通っていたとしても、それが違法である限り、裁判で白黒つければ勝訴する可能性も決して少なくはありません。しかし、それが合法とされてしまえば、もう訴える事すら出来なくなるのです。
そうさせない為にも、「間違った事はちゃんと間違いであると指摘し」「個人でも出来る事を今からやっておく」必要があります。選挙で投票に行くのも、その一つです。個人で出来る事は他にも一杯あります。しかし、手をこまねいていたら、やがて何も出来なくなってしまいます。
上記のツイートを読んで、私はそのように感じました。