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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

橋下と安倍の類似性

2019年11月20日 18時44分44秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
 
なるほど安倍や親父のキャラはよく分かった。しかし、維新の橋下や松井、吉村も何故、安倍や親父と同じだと批判するのか?簡単に説明する。(今度は前回とは違い、すっきりまとめる事が出来た。我ながら分かりやすく説明できたと思うw)

橋下徹は、被差別に生まれたが、頑張って進学校から一流国立大学に進学し、弁護士になった。その努力は買う。しかし、弁護士といっても弱者の人権を守るのではなく、サラ金の顧問弁護士として、多重債務者を追い詰めるのを生業(なりわい)とするようになってしまった。「野望実現こそが政治家の仕事だ」と当時の自著の中でも書いている。そして松井一郎たちと一緒になって、大阪府知事や大阪市長に当選した。
 
橋下や松井、吉村など維新の会の政治家の主張は、公務員削減と民営化だ。安倍も同じ考え方に立っている。「規制緩和で企業活動の自由をもっと認めよ」という主張だ。この主張の事を「新自由主義」という。「新自由主義」と言うと、「国民の自由や人権をもっと拡充しよう」と、プラスイメージで捉える人がいるかも知れない。ところが実際は違う。新自由主義の推進する自由とは、あくまで「企業活動の自由」に過ぎない。「金儲けの自由」だけだ。言論の自由、組合結成の自由や、国民・労働者の権利なぞは、むしろ抑えようとする。安倍自民や橋下維新が、規制緩和を推進しながら、政治的には憲法改正、軍備拡充、国家主義に走るのはその為だ。

社会のIT化やグローバル化(経済の国際化)で、世界を股にかけた企業活動が広がるにつれ、企業は先進国の労働運動や、開発途上国の民族解放運動を、疎ましく思うようになる。そこで、TPPやFTAなどの貿易協定をテコに、各国の労働運動や環境保護運動を抑え込もうとする。例えば、ある国が狂牛病牛肉の輸入を規制しようとしたとする。今ではそれで各国の国民生活を守る事が出来るが、TPPやFTAに加盟、批准してしまったら、それに抵抗できなくなってしまう。TPPやFTAの基準は、あくまで企業活動の保護にあるからだ(詳しくはISD条項を参照)。狂牛病牛肉の輸入を規制しようとした国は、輸出国の国や企業から損害賠償を求められる事になる。おまけに、一旦基準が決められたら、それを見直す事も出来なくなってしまうのだ(同じくラチェット条項を参照)。

これでは国民生活は守れない。しかし、企業の金儲けしか眼中にない安倍や橋下は、日本の自動車産業が米国に自動車を輸出できるようになりさえすれば、それで良いと思っている。その代わりに、安かろう悪かろうで、狂牛病牛肉や遺伝子組み換え作物が輸入され、国内農業が壊滅し、食料自給率が低下しても構わないと思っている。国内の農地や山林が荒廃して、自然災害が多発するようになっても構わないと思っている。

今、日本で自然災害が多発しているだろう。それは地球温暖化による台風の巨大化だけが原因ではない。行き過ぎた市町村合併や公務員リストラで、地方の自治体が災害に対応できなくなってしまったからだ。地方に行けば、市町村の範囲が想像以上に広まってしまっているのが分かる。今や静岡市の範囲は南アルプスの麓まで広がってしまった。和歌山県田辺市の範囲も、山向こうの熊野本宮のあたりにまで広まってしまった。過疎化による人口減少で、そこまで市町村合併しなければ、自治体を維持できなくなってしまったからだ。

何でも公務員を減らせば良いと言うものではない。国会議員の数も何でも減らせば良いと言うものではない。余り減らしすぎると、災害に対応できなくなるし、国民の声も政治に反映されなくなってしまう。ところが、新自由主義者の考え方は、儲かれば良いと言うだけだ。民間で出来る事は民間で。公務員なんて、労働運動や住民運動を弾圧する為の警察と自衛隊さえあれば良い。企業活動の自由を邪魔する労働基準法も、出来れば無い方が良いと、ますます骨抜きに。福祉産業も金儲けの道具に。国民の生存権なぞ知ったこっちゃない。

だから維新は大阪市を解体して、大阪市の財源は全て大阪府に吸収し、大阪市内の区役所も4つ程度に削減し、全てカジノ開発に回そうとするのだ。大阪都なんて出来ない。今の大阪市の住之江区や大正区、西淀川区が大阪府湾岸区に変わるだけだ。幾ら区議会が設置されるようになっても、財源が無ければ何も出来ない。
 
こんな物で住民生活が守れる訳ないだろう。市民自治が広がる訳ないだろう。住民にとっては踏んだり蹴ったりだ。だから、安倍自民は橋下維新と一緒になって大阪都構想を推進しようとしても、地元の自民党大阪市議や府議はそれに抵抗しようとするのだ。元・大阪府議の柳本あきらのように。でも、所詮は自民党なので、いつかは折れる。それが、この前の自民党大阪府連新会長による大阪都構想容認発言だ。
 
 

勿論、安倍自民と橋下維新の間にも細かな違いはある。安倍自民は右翼の権威主義。「ブラック企業の命令にも黙って従え、消費税増税や年金削減にも我慢しろ」という考え方だ。しかし、橋下はそこまで右翼的ではない。余り国家統制を強め過ぎると、企業活動にも差し障りが出るからだ。「ブラック企業なんて辞めちまって、株トレードや個人年金で食っていけば良いやん」。それが橋下の考え方だ。

一見、両者は異なるようで、社会的弱者の人権なんて一顧だにしない点では、両者は全く同じだ。どちらも弱肉強食の拝金資本主義に過ぎないのだから。私はそのどちらでもない。労働基準監督官の活躍を描いた「ダンダリン」というドラマの中で、主人公の女性監督官がブラック企業の社員に奮起を促す場面がある。「ブラック企業の言いなりになる」のでもなく、「尻尾を巻いて辞める」のでもなく、「ブラック企業を中から変えていかなければならない」と。誰でも普通に働けば普通の生活が送れるようにする。そうすればブラック企業や個人年金、株トレードになんか頼らなくても良くなる。それは「のんべんだらり」なんかとは違う。それこそが人権尊重の考え方だ。それを実現するのが政治家の仕事だろう。

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好転は望めるのか? (とある一愚民)
2019-11-25 23:26:34
ご無沙汰しております。1年半ぶりでしょうか。

先日、SNSにて大いに腑に落ちた一説を目にしました。
私の理解できた範囲においての受け売りではありますが・・・。

ロシア革命により共産主義が国家を得て以降、特に東西冷戦の間は、西側諸国の企業においても労働者をある程度保護せねばならないという意識が資本家≒経営者の間にありました。
これは労働運動の概念とその方法が先進国を中心にある程度広まったから、という面が第一にあったようですが、より現実的な問題として、経営者が労働者の権利を無視し続けるとそれまでのサボタージュ≒ストライキからさらに発展して、労働者たちが自分たちを無視する企業だけでなくそれを許容する資本主義に対しても不満を醸成し、やがては共産主義への賛同を招いて資本主義国家そのものをひっくり返し、企業という経営者の資産の中核が労働者の支持する共産主義化した国家に没収されてしまう恐れがあったから、という面もあったというのです。

ところが、東西冷戦が長引くにしたがいプロレタリアート独裁であったはずの共産主義国家は次々と汚職や不正蓄財の露呈によって腐敗し、また労働組合や左派団体も「労働者の権利の保護」という本来の目的を見失っていたずらにストライキや政治イデオロギーの主張、挙句の果てには自分たちが国家の権力者となるためのクーデターや武装闘争に明け暮れて大衆の支持を失い、ついには1989年の一斉崩壊に至りました。
これにより「もはや共産主義は大衆に支持されない」=「労働者を保護せず酷使しても労働者の団結によって企業がひっくり返されることはない」という安堵が経営者の間に広がり、それが新自由主義と結びついて規制緩和や今日における低賃金労働の拡大に至った、というのがその説の趣旨でした。

考えてみれば、高度経済成長期の労使協調に慣れきった労働組合は平成不況の中で企業による大量解雇への歯止めになりませんでした。今や経営者と真っ向から対立する労働組合など数えるほどしかなく、納得できない労働条件であっても労働組合がそれに甘んじるか、そもそもまともな労働組合自体が存在しない例がほとんどではないでしょうか。

しかも労働組合と聞いて「往年の国鉄労組のような本来やるべき職務を放棄して政治闘争に明け暮れる荒くれ者の集団」を連想し忌避する意識が、高度経済成長期には生まれてすらいなかった今の若者の間でも一定の広まりを持っているように感じられます。これでは本来の「労働者の権利の保護」を目的としたまともな労働組合など増えるわけがありません。裏を返せば、新自由主義に両手を挙げて賛成する経営者などにとっては誠にやりやすい時代だといえましょう。

とはいえ、何度も申し上げたように「左派から転向した右派」を自負する私としては、今さら共産主義を支持する気にもなれません。資本家や皇統といったものを革命で打倒したところで「代表者」や「周りより優れた者」が存在する限り、彼らに権力が集中して結局はかつての資本家や皇統に成り代わるにすぎないことは、旧東側諸国の歴史が如実に物語っています。

労働者にとっても資本主義に利点はあります。資本主義社会を維持しつつ労働者の権利も保護する社会の実現が理想だと思うのですが、最終的には人間の良心次第でしかないのだろうと思うと、はたして好転は望めるのかと暗澹たる思いになってしまうのです。
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驕る平家は久しからずや (プレカリアート)
2019-11-26 07:52:32
とある一愚民さん、おはようございます。今日は公休日なので、朝早く起きてこのコメントを書いています。

私の世代は、全共闘世代の次の「三無主義第一世代」とも呼ぶべき世代です。私より上の世代では革新政党の支持が高かったのに、私の世代ぐらいから自民党支持者が急増してきた事を、私自身も当時既に肌で感じていました。兄が正にその全共闘世代で、兄の高校卒業アルバムに「愛と革命に生きる」なんて寄せ書きが載っているのを見て、隔世の感を覚えた記憶があります。

何故、たった数年間で若者の意識にこれほど大きな変化が起こったのか?今思うと、1972年の浅間山荘事件が、そのきっかけになったのではないかという気がします。新左翼党派の連合赤軍が、長野県軽井沢の浅間山荘に立てこもった事件です。この事件の首謀者が逮捕された後、連合赤軍内部で凄惨な内ゲバリンチ殺人が横行していた事が明らかになりました。この事件を機に、若者の間に新左翼への幻滅が急速に広まっていったように思います。

翻って今はどうか?今朝のニュースで、香港の区議選で民主派が圧勝した事を伝えていました。このニュースを単に中国共産党の敗北とだけ捉えるならば、資本主義の勝利という事になるのかも知れません。しかし、民主派候補が掲げたのは言論・表現の自由だけではありません。格差是正や生活環境改善、公正な社会の実現も公約に掲げていました。その候補が圧勝したという事は、むしろ格差を生み出す今の資本主義社会や、「桜を見る会」に見られる今の安倍政治への異議申し立てと見る事も出来るのではないでしょうか。

共産主義であろうと資本主義であろうと、民衆の支持を失った政治体制はやがて滅びる。これが真実です。それが証拠に、香港では若者も中高年も、民主主義を求めて大学構内に立てこもった学生を支持しています。金融街でもホワイトカラーの労働者が昼休みに学生支持のデモ行進を行いました。こんな事は学生運動華やかなりしかつての日本でもありませんでした。それを単に「共産主義の敗北」としか捉えられず、経営者が搾取の上に胡坐をかいていると、いつかは彼らも、香港の支配層と同じように痛い目に合うと思います。
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NHKの逆転人生 (プレカリアート)
2019-11-26 20:21:57
とある一愚民さんへ。

昨夜、NHKの「逆転人生」という番組を観ました。様々な人生大逆転の事例を再現ドラマで紹介した番組で、昨日は内部告発で左遷させられてしまった社員が裁判で勝訴するまでの話を取り上げていました。愛社精神から上司の不正行為をコンプライアンス室に通報したのに、それを当の上司にバラされ、逆恨みした上司からパワハラや降格処分を受けた社員の実話です。その社員は家族や同僚の支援も受けて、会社がその非を認めるまで裁判を闘い抜きます。

私には、このドラマの筋書きが、今の香港の置かれた状況や安倍政治ともダブって見えて仕方ありませんでした。一見自由であるはずの日本でも、現実にはこんな情実人事や縁故支配がまかり通り、社員はおかしいと思ってもなかなか声をあげれない状況にあります。政治の世界でも、安倍政権の「お友達優遇」「行政私物化」に異を唱えた文部次官が左遷され、逆に不正にまみれた人物が国税庁長官に抜擢されたりしています。

「言論の自由が保障されていない」「不正がまかり通り、個人の人権が脅かされている」という意味においては、今日本も、香港や中国と本質的には何ら変わらないと思います。香港や中国のようなあらかさまな暴力的弾圧の代わりに、真綿で締め付けるような陰惨なリンチが陰でこそこそと行われているという点が違うだけで。先日のコメントにも「共産主義であろうと資本主義であろうと、民衆の支持を失った政治体制はやがて滅びる」と書きましたが、それを改めて思い起こさせられた番組でした。
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