アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

もはや日本は法治国家ではない

2022年08月03日 22時11分58秒 | 統一教会と安倍国葬の是非を問う

お昼のワイドショー「ミヤネ屋」は今日も統一教会の事を取り上げていた。今まで「ミヤネ屋」なんてバカにしていたが、これで少し見直した。最初に取り上げたのは下村博文の発言だ。下村は、第二次安倍政権当時の文科相として、統一教会の改称を認めた疑惑が指摘されている。当時、霊感商法など数々のトラブルを引き起こしていた統一教会が、家庭連合(世界平和統一家庭連合)への改称で、イメチェンを図ろうとしていた。でも、歴代の文部官僚は、そんなトラブル続きの団体の改称なぞ認めて来なかった。ところが、2015年に、下村文科相の下で、一転して改称が認められる事になった。

それに対して下村は、次のように言い訳していた。「改称申請の書類を不備もないのに認めなかったら行政上の不作為に問われてしまう」と。「行政上の不作為」と言うのは、簡単に言えば「仕事を怠けている」という意味だ。確かに、普通の団体から提出された申請書類を、ずっと棚ざらしにしていたら、仕事を怠けていると取られても仕方ないだろう。しかし、相手は今まで何度もトラブルを引き起こしてきた宗教カルトだ。そんな宗教カルトの改称申請を認めてしまったら、さらに霊感商法の被害が広がってしまう。それを阻止するのが役所の仕事なのに、逆に認めてしまってどうするのか?下村は、書類上の不備さえなければ、オウム真理教の改称申請も認めるのか?

それに対して、「宗教とカルトの違いをどこで区切るか?」という反論も当然あるだろう。何でもかんでもカルトと決めつけてしまったら、宗教弾圧になってしまう。しかし、こと統一教会については、そんな心配なぞ一切無用だ。何故なら、統一教会ほど数々の社会問題を引き起こしてきた宗教団体は、他にないからだ。そもそも統一教会は宗教団体ですらない。人の命を救うのが宗教なのに、この「宗教」は逆に人を破産や家庭崩壊に追いやって来た。単なる反社会集団に過ぎないカルトを、あたかもまともな宗教法人であるかのように扱う事自体、既に間違っている。

次に番組が取り上げたのが二之湯・国家公安委員長の発言だ。二之湯は統一教会関連団体のイベントで実行委員長を務めた事がある。それに対して二之湯はこう言い訳していた。「どういう団体か知らないが、名前を貸してくれと頼まれたから貸した」と。とても現役の国家公安委員長の発言とは思えない。もし本気でそう思っているなら、そんな無知で不用心な人物に、とても日本の治安を預ける気にはなれない。即座に辞職させなければならない。

他に、自民党参院議員の井上義行や北村経夫の発言も取り上げていた。井上は統一教会の賛助会員だった事を自分で認めた。北村も統一教会の支援で当選できた事が明らかになっている。なのに二人とも「党とも相談し、適切な対応を取る」でお茶を濁している。何故その場で「絶縁する」と言えないのか。こんな反社会的集団のカルトに対して。自民党が認めたら今まで通り統一教会を応援するのか?統一教会から応援してもらうのか?霊感商法の被害には目をつむり。もはや自分の保身しか考えていないではないか。

それもそもはずだ。井上や北村を指導する立場の、自民党幹事長の茂木敏充からして、「党としては統一教会とは無関係。議員個人についても、それぞれが説明をすれば良い」で済ませているのだから。これだけ事実関係が明らかになっても、まだ「党としては無関係」とシラを切り、議員個人に下駄を預ける他人任せの姿勢に終始。よほど実態が明らかになるのが怖いようだ。

統一教会は、自民党だけでなく野党の一部にも票を回していた事が明らかになった。そうする事で、もし自民党が選挙で負けても、政界との繋がりを保ち続けるつもりなのだろう。勿論、支援していたのは野党の中でも右寄り(自民党寄り)の政治家ばかりだ。それに対して、維新は身元調査の結果を発表した。「党としては無関係」だが「議員の中には繋がりのある人もいた。今後は襟を正す」と。自己申告による身内の調査なので、全く信用できないが。ところが、そんな「アリバイ調査」すら拒否しているのが、今の自民党だ。

その自民党政権の岸田首相や茂木幹事長は、安倍の国葬に反対する国民や野党に対して、何と言っているか?「内閣府設置法で国葬が認められている」「国葬に反対する野党の言い分なぞ聞かない」「野党は国民の感覚からずれている」と言ったのだ。

戦前には国葬令に基づいて国葬が行われた。当時は祝日として国民にも国葬への参加が義務付けられた。その国葬令が廃止された今は、国葬に法的根拠はない。政府は内閣府設置法第4条3項33号を根拠に挙げるが、あの条項に書かれているのは「国の儀式に関する事務手続き」だけだ。「戦没者慰霊式典」などの「事務手続きをどう進めるか」だけだ。その「事務手続き」の中に国葬に関する規定なぞ一切ない。

それでも「国葬は出来る」と言い張るのであれば、天皇も憲法で「国の象徴」と定められているので、政府が「国の象徴だ」とさえ言えば、何でも出来てしまう。しかし実際はそうではないだろう。天皇の国事行為として、一つ一つの行為が具体的に決められている。つまり基準が明確なのだ。それが法治国家としての在るべき姿だ。

もっと分かりやすい例でいうと、社長は確かに会社の最高責任者だ。しかし、だからと言って、就業規則に何でも書ける訳ではない。労働基準法に違反するような事が書かれていたら、いくら就業規則でも、その部分は無効だ。ところが、今の政府の言い分だと、「就業規則に書いてあるからOK」となってしまう。そんな無茶な言い分がまかり通るようでは、もはや日本は法治国家とは言えない。

ましてや、今回の国葬の対象者は、安保法制をゴリ押しし、公文書改ざんで公務員を自殺にまで追い込んだ、あの安倍だ。そして、長年に渡り、統一教会とズブズブの関係を続けた挙句に、破産や家庭崩壊に追い込まれた母親信者の息子に殺される羽目になった、あの安倍だ。こんな「民主主義の破壊者」を、なぜ「国の殉教者」として奉らなければならないのか?

「野党の言い分なぞ聞かない」と言うに至っては、もはや民主国家の政治家として失格だ。多様な意見を出来るだけすくい上げて、その上で、一定の結論を出していくのが民主主義だ。ところが最近は、選挙に勝ちさえすれば、何をやっても許されると誤解している人が余りにも多くなってしまった。その結果、少数意見など封殺して、多数の横暴がまかり通るようになってしまった。だから、「就業規則に書いてあったら何でも出来る」と言った、法治主義や民主主義のイロハもわきまえない暴論が、平気でまかり通るようになってしまったのだ。

そんな大事な問題を、なぜ他の番組は取り上げないのか?「ミヤネ屋」や「報道特集」など一部の番組しか取り上げようとしないのか?ウクライナの戦争報道で、「政府の垂れ流すプロパガンダを信じるな」と言ったロシア国営放送のアナウンサーがいた。それを観て、「日本はまだマシだ」と思った人もいるのではないだろうか?しかし、そんな気骨のあるアナウンサーがいるだけ、ロシアの方がまだマシかも知れない。いくら言論の自由が保障されていても、それを守ろうとする人がいなくなれば、もはや独裁国家と同じだ。


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