先週土曜日放送の「報道特集」で、統一教会が地方の政界にも影響力を広げようと画策している様子を報じていた。保守分裂選挙となった2年前の富山県知事選で、最初は現職知事に水を開けられていた新人候補が、統一教会の支援を得る事でどんどん差を縮め、投票日には形勢逆転。午後8時の開票開始と同時に「秒殺」で新人候補に当確が打たれた瞬間を映し出していた。
兄貴の家でこの統一教会のニュースを見ていたら、兄貴が急に韓国批判をやり出した。「日本がせっかく韓国を近代化してやったのに、その恩を仇で返された」と急に言い出したのだ。統一教会は確かに韓国の宗教カルトで、洗脳された日本人信者が多額の献金を韓国の本部に寄付させられている。しかし、それを日本に呼び込んだのは自民党の岸信介や右翼の笹川良一であって、韓国の政府や一般国民ではない。どう考えても糾弾されるべきは後者ではなく前者だろう。
そして「水に落ちた犬を叩け」と言う「韓国の諺(ことわざ)」を取り上げ、「韓国人は何て冷酷な民族なのか!」と。本当にそんな諺が韓国にあるのかネットで調べてみたが全然見つからなかった。元々、韓国も日本も同じ漢字文化圏なので、よく似た諺が多い。むしろ私なぞは曖昧な表現の多い日本より直截的(注)な韓国の諺の方により親しみを感じる。
(注)直截的:「ちょくせつてき」と読む。「単刀直入に」「ズバリ言う」という意味である。例えば、諺を例にとっても、日本ではどちらかと言うと「口は禍の元」「沈黙は金」などネガティブに捉えたものが多いが、韓国では逆に「言葉は言ってこそ意味がある」とポジティブに捉えたものが多い。(上記参照)
「水に落ちた犬を叩け(打落水狗:だらくすいく)」と言ったのも、韓国人ではなく中国人作家の魯迅(ろじん)だった。革命前の作家で、「阿Q正伝」「狂人日記」などの作品を世に残している。魯迅は辛亥(しんがい)革命後も迷信や因習、権威盲従から抜け出せない当時の中国人の後進性を徹底的に批判した。その中で「窮地に陥った悪人に対して、善人がたとえ武士の情けで見逃してやっても、フェアプレイの精神なぞ持ち合わせていない悪人には一切通用しない」「悪事に目をつむり、何事もナアナアで済ましてはダメだ」と警鐘を鳴らす意味で言ったのだ(竹内好「魯迅評論集」岩波文庫の中の「「フェアプレイ」はまだ早い」)。これの一体どこが「冷酷」なのか?
私は逆に、何事もナアナアで済まして来たからこそ、安倍みたいな政治家に国政が食い物にされるようになってしまったのだと思う。2度も政権を投げ出し、「モリ・カケ・桜」の政治私物化で、公務員の自殺者まで出しながら、国葬で全て闇に葬ろうとする。そんな体たらくだから統一教会の餌食にされてしまうのだ。
「日本が韓国を近代化してやったのに」云々に至ってはもう論外だ。確かに日本による「近代化」で韓国の人口は増加した。しかしそれは何も韓国だけに限った話ではない。どの国も近代に入ると人口は増加している。日本の人口も、江戸時代の約3千万人から昭和初期には約7千万人に増えている。医療や科学が進歩すればどの国も人口は増える。「蟹工船」や「女工哀史」の搾取が横行した戦前の日本でも。政治の良し悪しとは無関係だ。
「日本は韓国に鉄道を敷き教育を施した」云々についても同様だ。それらは全て日本の植民地統治を円滑に進める為であって、韓国人の福利厚生の為ではなかった。「奴隷」にもある程度読み書きを教えなければ、買い物もさせられないだろう。日本人の手下となる下級役人も要るだろう。日本が朝鮮半島を南北に縦断する鉄道を敷設したのも、日露戦争の戦場となった満州に兵士や武器を迅速に輸送する為だった。鉄道を敷いたのも日本の朝鮮総督府だったので、鉄道収入は全て日本のものとなり、韓国人には還元されなかった。
その挙句に、最後には朝鮮語の使用を禁じられ、「創氏改名」で個人の名前もすべて日本流に強制的に変更させられたのだ。「金→金山」「張→張本」と言うように。他国民でありながら、自国の文化や言語を奪われ、無理やり「日本人」に仕立て上げられたのだ。朝鮮・韓国人に対してだけではない。台湾人や琉球・アイヌの人々に対しても、同じような事をやったのだ。「水に落ちた犬を叩け」なんかよりも、むしろこちらの方がよっぽど「残酷」ではないか。
「創氏改名」については「強制ではなく、逆に朝鮮人が自ら希望して日本流の名前に変えた」と言う人もいるようだ。しかし、それもよくよく調べたら、「日本流の名前に変えなければ、就職もまともに出来ないから」という理由で変えたのが大半だったそうだ。これも「自発性」を装った「事実上の強制」に過ぎない。勝手に名前を変えられて喜ぶ人間なぞ誰もいない。
そのような「上からの近代化」を肯定するなら、今、中国政府がチベットやウイグルで行っている「近代化」も同様に肯定しなければならない。中国で行われている「近代化」も、チベットやウイグルに鉄道を敷き、学校を建て、「中国式」の教育をチベット人やウイグル人に施しているのだから。どちらも同じ事をやっているのに、中国に対してだけ「民族浄化」と罵り、日本がかつて朝鮮・台湾・琉球・アイヌの人々にやった事は「近代化」と誉めそやす・・・そんなアンフェアな議論に加わる気はない。
そもそも、統一教会の一体何が問題なのか?霊感商法や信者監禁などの数々の反社会的行為を引き起こして来た宗教カルトが、日本の政界に食い込み、自分の思い通りになるように政治を支配してきた。そして、本来なら国民全体の為に行われるべき政治が、特定の宗教カルトの為に歪められ、私物化されてきた。その為に、数々の反社会的行為も闇に葬られるようになってしまった。その真相を究明し、対策を講じ、被害者を救済する以外に、この問題の解決はない。
その中で、統一教会教祖の出身国が韓国である事だけを執拗に取り上げ、韓国人と日本人の対立に問題をすり替えた所で、真相解明や対策構築、被害救済に一体どれだけ役に立つだろうか?「論点そらし」により、真相究明からますます遠ざかり、もみ消しに利用されるだけではないか。
日産の「派遣切り」を取り上げる時に、日産元会長カルロス・ゴーンの出身国がレバノンだからと言って、レバノン叩きをいくらやっても、日産の「派遣切り」は阻止できないし、逆に「派遣切り」隠ぺいに手を貸す結果にしかならない。「派遣切り」は大企業が派遣労働者を使い捨てにするから起こるのであって、ゴーンがレバノン人である事とは一切無関係だからだ。統一教会の問題もそれと全く同じだ。