脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

失語症者ががんばるときー右脳の出番(再掲)

2020年07月07日 | 右脳の働き
2か月前の2020年5月6日の記事ですが、パソコンの整理をしていたら、後半にご紹介した井口実さんの写真を発見したので再掲します。話せなくても、利き手が使えなくてもしっかりと生き続けることができるということが納得できるお顔です。


以下、記事本文です。
散歩の途中にカエデの種を発見したのです。コロナで自粛していたからとは言いませんが、カエデの花には全く気付かずに過ごしてしまいました。季節に合わせてカエデは旅立つ準備をちゃんとしているではありませんか。

何とも言えない桃色と若草色の美しさ。昨今の落ち着かない世情とは無関係に、カエデの中ではきちんと季節が移り替わっていることに単純に心動かされました。

Stay Homeでも勉強してもいいはずですが、なかなか机の前に座る心境からほど遠く、それでもこれだけ続くとちょっとは落ち着かなくなって、「右脳訓練の報告ブログばかりではいけないなあ」と考えていたところのカエデの種との出会いでした。
写真は5/1の庭の花。カラー

脳外科で働き、脳損傷の方々にたくさんお会いできたということは、脳機能を身近に考えさせられることに直結しました。
運動マヒが一番わかりやすく、納得もしやすい。
損傷を受けた脳と逆側にマヒが起きてくる。中大脳動脈還流域だと上半身。後大脳動脈還流域だと下半身。大きく損傷されると半身マヒ。
患者さんにとってはなんと理不尽なことでしょう。直前まで全く何の支障もなく思い通りに動かせていた「自分」の体なのに・・・
一足早く色づく冬アジサイ

あるとき、気づきました。左脳障害の方と右脳障害の方とでは、リハビリに対する姿勢が、違うのです。
(ここでは一般的に、右手が利き手の方、《ということは言葉を司るのは左脳ということになります》のことを書いています。その中でももちろん個人差が大きいことは言うまでもありませんが、形式的にわかりやすく表現します)
左脳障害の方は、言葉に障害が残る方や、利き手である右手が使えなくなったりする方がいらっしゃるわけですが、左手で箸を使い字を書くようになられる方が多い。その努力が並大抵でないことは、あなたが右利きなら、左手で箸を使ったり字を書いてみればすぐにわかることだと思います。
運動のリハビリを受けるときでも、「歯を食いしばって」という印象を受けることが多いのです。言葉に障害が残っていて自由に言葉での表現ができない中でも「歩けるようになりたい」とか「〇月〇日までには退院したい。娘の結婚式があるから」「左手でも調理はできるようになって退院したい!家族の食事作りは私の仕事だから」などと訴えてこられます。
キンギアナム

一方で、右脳障害の方たちは、ちゃらんぽらんな印象を受けることが多いのです。言葉に重みがないというか、上滑りというか。状況にそぐわないことを真顔で話します。
右脳に障害を負ったわけですから、体のマヒは左半身に起きてきます。上半身なら左手のマヒ(利き手ではないことに注意)。下半身なら左足。
ことばを司る左脳は、障害されていませんから病前とまったく同様に言葉を繰ることができます。脳から外界に向かう「話す」「書く(利き手は病前と同様に使えるわけですし)」、外界から脳へ向かう「聞く」「読む」そのすべてに支障はないのです。そして繰り返しますが、利き手は使える状態が維持されています。
ところが、院内では些細といえどもちょっと不思議な事件が起こります。
雲南黄梅

歩行訓練時、リハビリのスタッフが、苦笑しながら「もう少しだけがんばりましょう」と毎回励まします(意欲欠如)。
左半身マヒのため車いすに乗って神経心理テストを受検中、検査終了したら立ち上がろうとするので検査者は肝を冷やすことになります(病識欠如)。
廊下を歩くとき、左側の壁に何度もぶつかってしまいます(左空間失認)。
配膳された食事の左側を無視したかのように残してしまいます(左空間失認)。
マヒのために難しい動作については援助してあげても、洋服がうまく着られません(着衣失行)。
ちょっとしたことで突然泣き始め、そうかと思うとすぐに平常に戻ることもあります(感情失禁)。
一番に咲いたピンクパンサー

右脳が障害されて引き起こされるのは、言葉を担当する左脳が障害されていないため、左半身の運動障害だけと考えられてきましたが、上にあげたように多彩な「後遺症」があることを知らなければいけません。
右脳に障害を受けている場合に、いちばん戸惑うことは「場にそぐわない発言をする」ことだと思います。
例えば、左脳障害の人がまだ慣れない左手で一生懸命絵を描いているのを目にすると「下手だね」とはっきり言ってしまいます。
リハビリの必要性を滔々と弁じた後「今日は雨ふりだから、リハビリは休み」とか、排泄や食事で失敗して服やベッドが濡れてしまったら「なぜだろう?」はまだしも「雨漏り?」などといわれたら、びっくりしてしまうでしょう。
小鳥用のひまわりの種から

一方で、左脳障害を抱えた人で忘れられない方(実は何人もいます)の話をしたいと思います。
右利きの人が左脳を傷害されると、失語症という後遺症を持つことがあります。
運動性失語(脳から外界に向かう「話す」「書く」が主に障害される)と感覚性失語(外界から脳へ刺激が入ってくる「聞く」「読む」が主に障害される)に二分されます。そしてその両方に重い障害が残ったとき全失語というのです。
全失語の状態で退院した方の家族からの話です。
「家の中では車いすですが、ちゃんと留守番してくれるんですよ。帰るとうれしそうですし『お留守番ご苦労様。ありがとう』というとちゃんと伝わってます。
お食事もおいしそうに食べてくれるし、好物を用意するとほんとにうれしそうにしてくれます。『ありがとう』は言えませんが、ありがとうと思ってくれてることがよくわかります。
体の世話は大変なこともありますが、でもまだまだ家族でやっていかれます」
話せないし、こちらの言ってることもはとんど理解できないにもかかわらず、状況の理解ができるということですね。そして言語外のコミュニケ―ションが、私たちにはできることを教えてくれています。右脳の底力を感じました。(もちろん前頭葉あっての生活ですけれど)
それと、このケースは家族関係の良さがベースになっているのは論を待ちません。

もうおひとりご紹介します。
静岡県春野町にお住まいだった井口実さん。私の長年の友人の弟さんです。これは井口さんからいただいたはがき大の塗り絵です。

井口さんは年若くして脳卒中になり右半身マヒで車いす生活になりました。言葉の障害は「聞く」ことは大体理解できているのではないかと想像したそうですが、「話す」ことに関しては声は出せますが、全く話せないのです。
「ジグソーパズルや絵などを楽しむ力は何も障害されていない。音楽やら歌はお好きですか?ゲームはできるかしら」などとお話したことはありました。
その後、友人から「塗り絵に凝ってる」という情報が届きました。60歳代の男性ですから、少しでも完成作品に満足してもらえるものがあるといいなあと思っていたら、「虫」がテーマの絵葉書を見つけたので「少し小さすぎるかも。でもこのパターンは珍しいし」と送りました。

もともと右利きだった人が、左手で描いているのですよ。色合いを考え、グラデーションを付けて。
頂いた私もうれしかったですが、ご本人にとっても達成感あふれる活動だったようです。またホームの方も玄関やディルームに飾ってくださって、作者の説明をしてくださったそうです。そして傍らでちょっと誇らし気に見ている弟さんの姿を、友人も何度か見たといっていました。
そのようなときに仏像イラストレーターの田中ひろみさんとお知り合いになりました。
ご本を見た時「これだ!」とひらめき、早速お届けしました。

田中さんは、次々とお寺や仏像関係の御本を上梓されています。塗り絵の本までありました。これこそ求めているもの!でした。だって「色」を使いますから、右脳の出番がそれだけ増えることになりますから。

「まさに、はまった」ということばがぴったりだったようで、心を込めて丁寧に描かれたそうです。
次々に見事な作品になり、完成させては、皆さんに差し上げていかれたそうです。見る側の意識も、一番近い言葉で表現するなら「ありがたい」。
「脳卒中にかかったのに。しかも右手が不自由になっても、負けないで左手で、こんなに細かく見事に描いてくださった!」ではなかったでしょうか。
作者の田中さんも励ましのお手紙を書いてくださったり、そのどれもが井口さんのモティベーションを高める刺激になったと思います。このしっかりとした笑顔をご覧ください。

実は井口実さんは、余病を併発して一昨年末に亡くなられました。
一番最後の作品が、死出の旅立ちのお供になったと聞きました・・・
左脳の障害のために右手マヒ、失語症という重い後遺症を乗り越えただけでなく、周りの人たちに感動を与えることまでされて・・・
井口さんは、見事に井口さんの人生を全うされましたね。    合掌


(繰り返しておきますが、右脳障害については個人差が多くあります。ただこの症状を「後遺症」と理解できる人が少ないことをいつも気にしてきました。「できないことを理解することが、その人への援助の出発点である」ということは私の仕事の原点ですから、理解していただきやすいようにシンプルに書いてあります)

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