脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

とてもとても珍しい認知症患者をテレビで発見

2025年01月13日 | エイジングライフ研究所から
「サンドイッチマンの病院ラジオ」というNHKのテレビ番組があります。サンドイッチマンの二人が病院に出向いて、患者さんのお話を聞きリクエスト曲を放送するという番組ですが、合間に院内の様子、病院スタッフ、患者さんたちの様子、収録後の家族とのやり取りなど「ドキュメンタリー」と銘打つのが納得できる番組です。

とにかく、メインは入院中か通院中の方が出られて、現在の様子だけでなく診断を受けた時の心境から治療の詳細、現在の病状だけでなく家庭状況まで赤裸々なお話が繰り広げられます。涙することも度々ある…そんな良い番組です。
2025年1月13日は、阪神淡路大震災から30年(震災直後の2月がエイジングライフ研究所の第一回実務研修会でした。関西以西からの参加希望者が参加がかなわなかったのです)ということで神戸市からの中継でした。
いつものように、心に響くエピソードが語られていきました。
ダイアモンドリリー

35分を過ぎたところで、高齢といっても70代にしか見えないご夫婦が登場。最初に感じたのは、場にそぐわないほどの明るさでした。実際は夫85歳、妻80歳ということでしたから、いかにはつらつとした印象だったかわかってもらえると思います。
にもかかわらず、私の第一印象は「認知症がらみではないか?」でした。理由は「夫婦で登場ということは、どちらか一方では生の応答なので無理があるということかな?」それにしたらどちらが問題かと思うほど、一瞬でしたがお二人ともシャキッとした歩き振りで入室。にこにこ笑顔。洋服も後からサンドイッチマンから「お出かけするほどおしゃれ」といわれ「だいたいいつもこんなもんです」と答えるほどおしゃれで整っていました。イアリングまで光っていました。
コバノセンナ

でも、入室後椅子に座るまでの妻のもたつきを見て「これは奥様が問題」とすぐにわかりました。
二脚の椅子が並べて置かれていて、左側に夫、右側に妻とほとんど並んで入室されました。
最初に感じた違和感は、椅子に座る前に夫が妻のバッグを自然に取って夫の椅子のそばに置いたことでした。「あ、バッグをきちんと置けない可能性があるということだろう」
それから普通は、この入り方ならば左側の椅子に夫が掛けて、右側に妻が掛けるでしょう。夫の自然さに比べ、妻はどことなく着席までぎくしゃくしていました。ここも気になる。
その後は、「お名前は?」「お歳を伺ってもいいですか?」といつものような質問が続き、夫はスムーズに答えます。
妻は「あれ、私なんぼだったっけ」。夫が「いつもなんていってる?」と助け舟を出すとかわいく笑いながら「知らん」
サンドイッチマンは「だいたいでいいですよ」夫が「80歳」と答えると「まあ、80になるの!」とまた口を押さえて噴き出すように笑うのです。その笑い方があまりにも自然で、その場の4人が大笑いするシーンに続きました。
ユッカ

「こちらの病院には何で?」という質問に対し、夫が妻の方をやわらかく指さしながら「認知症なんです」
すかさず妻は表情豊かに「認知症、認知症言われるねん」
サンドイッチマンも間髪入れず「そんなことないのに?」
それにこたえて「わたしはっきりいうの。認知症ちゃうで~」このセリフは感情たっぷりというか、まるで芸人さんのような面白みにあふれていました。
美容院をやっているということでしたが、夫は診断が下った時点で店をたたもうと思ったら、お客さんたちが本人のためになるからといってくれて、できることだけやらせているという事情を語っている間中、ちょうどボケと突っ込みのようなやり取りが続きました。
これだけ表情豊かで楽しく愉快な応答がつづけば、美容院の仕事が満足にできないことや「年齢がわからない」という先ほどの事実は棚上げになってしまいますね。
「慣れたことならできる」と言う夫による解説は、その場の判断が必要な状況には応じられないということを言っているのと同じですし、実は私たちのデータから言うと、年齢が答えられない場合はMMSEのスコアはすでに半分を切っているのです…
水仙

こんな明るい認知症もあるという妙な希望的観測が生まれてしまうのではないかと、思いました。
私は、万を超える認知症の方にお会いしましたが、仮に「感性残存タイプ」と名付けたこのタイプの方は数名しか知りません。私が承知している方たちは50代でしたから、この80歳というのは、ほんとに珍しいと思います。
認知症の大部分を占めるアルツハイマー型認知症とは違い、脳機能を落としてしまうきっかけや、その後のナイナイ尽くしの生活がないままに、脳機能だけがどんどん落ちていく。
前頭葉機能はもちろん最初に落ち、その後にMMSEで測るいわゆる認知機能も落ちていきます。
生活の大きな変化をきっかけに生きる意欲を失って、脳の使い方、特に前頭葉の出番が足りない生活を続けるうちに脳機能の正常な老化を超えて老化が進んでしまうアルツハイマー型認知症とはその機序が全く違うと言うことは強調しないといけません。アルツハイマー型認知症ならば、早ければ打つ手があります。この「感性残存型」タイプの方には打つ手はありません。本人が楽しいと思えることをできるだけさせてあげつつ、生活面ではフォローをしていくと言うことになると思います。
リュウゼツラン

今日の方のように表情も身振りも豊かで、正確に解釈すると的は外れているもののけっこう当意即妙な応答ができます。
今日は触れられていませんでしたが、このタイプの人たちは(MMSEが一けたの、エイジングライフ研究所が言う大ボケになっていても)花や景色に心動かされる、子どもに目を細める、音楽会に行って長時間楽しめる。ピアノを弾ける人もいました。生活遂行能力には多々問題が起きていて、目が離せない状態になっていても本当にかわいげのある稀有なタイプです。
その証拠は、お客さんがお店の継続を勧めてくれたことですし、何より夫が穏やかに笑顔で対応していること、そのものです。
ワシントニアパーム

でも、普通のアルツハイマー型認知症はこんなに簡単ではありません。
ごく早期で、世の中ではまだ認知症と気が付かれていない前頭葉機能だけが低下して、MMSEは正常範囲の小ボケの状態であっても、表情はないし、会話は楽しめないし、言っても聞かないし、理由のわからないことは主張するし、感動はないし、気が付くと居眠りしているし…本人も困惑していますが、家族は「おじいさんらしくない」「おばあさんはこんな人じゃあなかった」などと、頭を抱えてしまうのです。これが見当識障害や徘徊や妄想や不潔行為の始まる数年前に起きることですよ。
ユリの種鞘

このブログでたびたび報告する、側頭葉性健忘症は認知症なら必ず起こす前頭葉機能障害がない。そのためにその人らしさや行動には支障が起きてこない。ただ新しいことの記憶ができないという症状で、本人がそのことを理解して困惑したり、援助を求めたりします。カテゴリー「側頭葉性健忘症」に実例をたくさんあげてあります。

by 高槻絹子


高学歴ならば採用というわけではないのです

2025年01月09日 | 右脳の働き
昨年末にお近づきになった方と、意気投合しました。
彼女は興味深い職歴の持ち主です。FBのプロフィール欄から抜粋してご紹介しましょう。
「銀座でクラブ&バーを14年間、その後地元で喫茶店を3年間。その後昨年春からK市で古民家カフェを始めた」という私の今までの交友範囲では出会ったことのない方です。
すでに何度か行っている友人がそのカフェに連れて行ってくれました。さりげないセーター姿、薄化粧。「初対面なのにこの自然な親しみやすさは魅力的だなあ…」というのが私の感想でした。
時間が早かったせいか、お客さんに急かされる状態にならなかったので、ゆっくりお話ができました。(写真は白浜神社1/8)

改めて「銀座7丁目、並木通りでクラブをやっていたのですよ」と極々自然に自己紹介してくださって、銀座にはとんとご縁のない、まして「クラブ?夜!」と「話の接ぎ穂はどこにあるのだろう?」と一瞬戸惑った私でしたが、「外堀通りですが、6丁目に高校時代の友人がバーを構えていました。今は銀座シックスの裏にお引越しした毛利バーっていうのですけど」と話を進めると「えっ!毛利さんご存知ですか?」とすぐにお返事を返してくれながら、その表情からは「どうして?どうして?」の気分が小気味良いほどに伝わってきます。
「高校の同級生なんです。お近くだからと思ってちょっと伺ってみたのですが」
「銀座で店を構えていて、毛利さんの名前を知らない人はいません」
「やっぱり。そのように聞くのですけど、こうして教えていただくと嬉しいものです」その時の私の表情にはパッと喜びが弾けたに違いありません。

ここまでのやり取りは、時間にしたら、ほんの1分か2分の出来事でした。
会話が弾むというのは、こういうことなのだと、ちょっとした高揚感が湧いてきました。
初対面でもお互いに関心を持って、会話をしながら少しずつ理解の幅が広がっていく。そのことを双方で楽しむ。
今「会話」と書きましたが、これは単なる言葉のやり取りの意味ではありません。表情も仕草も、声のトーンも。できるだけ多くの情報をもらったり、渡したりするという条件があってこそ「会話できた」という満足感につながるのです。

どんなステップで次の話題に移ったのかちょっとはっきりしませんが、次のテーマは「クラブ経営の頃のスタッフ採用試験」
私はこう言いました。「綺麗な人の応募はたくさんあるでしょうけど、なんというか、気配りができる人がいいのではないですか?」
ニコッと笑って「そうですね!」
その笑顔に惹かれて「気配りっていわゆる頭の良し悪しと違いますよね?」と続けたら
「全くそうなんです。当時でも大学生の応募はあったんですけど…確かに頭の良し悪しとはもう一つ別の見方が必要だったような気がします」

そこで、私はいつもの三頭立て馬車の話をして「鍵は御者である前頭葉。もちろん左脳(の馬)が力があって大きいことはいいことでも、大きければ大きいほど、それを御する力が前頭葉には求められますものね」と言ったら
「わー。初めて私の思っていたことを説明してもらえた気がします!」と声をあげられたのですが、そこにお客さんが。

お話は終わったような、まだもう少し続けていたいような。
今、なるべく会話を再現するつもりで書いたのですが、文章に起こしただけでは、初対面の私たち二人の間に醸された雰囲気というか意気投合した感じを伝えることは難しいと思います。
それは言葉のやり取りだけでできあがったのではなく、前に書いたように、そこに現れた表情も仕草も声のトーンも、実は古民家カフェの持つ佇まいまでもが影響していると思います。それはとても言語化できません。
考えてみたら、ラインに顔文字やスタンプが多用されるのは、「言葉」だけで伝えきれない雰囲気というか「感情」を加味して、できるだけ「生の会話」に近づけたいという表れでしょう。

昔書いたブログ記事

MoMAに絵文字がーコミュニケーションの基本は右脳 - 脳機能からみた認知症

MoMA(ニューヨーク近代美術館)に、ドコモが携帯電話向けに開発した176の「絵文字」がコレクションとして収蔵され、その展示が始まったというニュースを耳にしました。携帯...

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「絵」を加味したメッセージカードがさらに「音楽」までプラスしたメッセージ動画になっていったのも、デジタル情報担当の左脳で処理する「言葉」が伝える能力には限りがあるので「絵や」「音楽」というアナログ情報担当の右脳にも一役買ってもらおうとする自然な流れだと思えます。

私はもう40年以上も「脳の働きからみる」という姿勢で仕事をしてきました。そのために人を理解するときには、左脳や右脳そして前頭葉までに思いを巡らすのですが、このような理解の方法があることをもう少し知ってもらった方がいいのかもしれないと思いました。


by  高槻絹子

あけましておめでとうございます

2025年01月01日 | エイジングライフ研究所から


100歳の調査

2024年12月28日 | エイジングライフ研究所から
「『100歳✖️100人 元気&長生きの秘訣1万年の健康パワー』見た?面白かったし、納得できた」と友人から連絡がありました。私は見ていなかったので見逃し配信で見ました。
年末のプレゼント企画のようなテレビ番組で、視聴者に老後の指針と元気を与える意図が感じられました。
命あっての物種ですから、体の健康を保つための調査のまとめが紹介されて行きます。
最初に感じた違和感というか疑問が大きくなって行きました。(写真は2024年年末の花)
早いですね!カンザクラ?

ウィキペディアによると「健康寿命とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと。 
この文章の「自立した生活ができる」ということは健康寿命の大きな柱です。自立した生活にはもちろん前半の文章に書かれているように体の健康が大切です。ただ、よく考えてみると例え寝たきりになったとしても、自分で欲することが明確にわかり、それをを伝えることができる。やってもらったことに対して感謝を伝えることができる。それならば、その生活はその人らしく成り立っていると言えると思うのです。
その時に必須なのは、その一連のことを理解して伝える能力と感謝できる能力。それらを担うのは脳。つまり、体の健康に問題があっても脳の健康に問題がなければ、それは限りなく自立生活に近い生活と言えるでしょう。
イソギク

逆に足腰に何の問題もなく、歩こうとすればいくらでも歩ける状態で、脳の判断力に大きな問題がある時、徘徊につながることがあります。
介護する家族の「寝たきりになって楽になりました」という言葉の何と悲しいことでしょう。
脳が正しい判断ができなくなったら、体の健康はむしろ不要だと…
今が何時か、ここがどこがわからない、ついでに言うとその先には自分が誰かわからなくなる状態が訪れるということは、脳の機能からいって当然起きることです。
さらに考えていくと、もちろん健康寿命とはいえませんが、ベッドに縛り付けられてなお生きている時に、見当識に大きな問題がある状態(今が何時か、ここがどこがわからない、自分が誰かわからない状態)だとしたら、それがどんなに「つらい」状況かということにも、思いを広げていただきたいのです。「健康」を考える時には、体と脳の二つの側面が必要ですね。

元気な100歳という時には、体だけでなく当然脳も元気という前提を見逃すわけには行きません。はっきり言葉にされてはいませんでしたが、
そういう疑問に応えるように番組は展開されて行きました。以下は画面を写真で撮りました。
「100年で一番おもしろかった番組は?」

相撲中継、ニュースと納得のラインナップ。確かにかくしゃくとした高齢者はニュースとスポーツ番組が好きです。続けてなぜこのような番組を見るのか尋ねてくれています。

「最新情報を知っておかなければならない」

「誰かと話題について話したい」
この二つの回答からは、この100歳の方々の意識の中に自分以外の誰かがいることがわかります。
私の体験から言ってもとても納得。
「今度の集まりの時、話をしたいんです」
「夫が死んで戸主ですから、ニュースを言われた時、何のことかわかっていたいんです」
かくしゃくとした高齢者が話した言葉です。
この人は現職で化粧品販売をしていると言われていました。
このようにだんだん生活ぶりにテーマが移って行きました。
次の調査結果も興味深いものです。
座右の銘

そして具体例の紹介です。



100年で一番嬉しかったことは?の第一位は「戦争が終わったこと」

そして、寿命に影響を与える生活習慣ランキング。一位は沖縄で100歳高齢者の生活調査を続ける鈴木医師によって、元気に100歳を迎える必須条件は「つながり」だと明かされました。




そして沖縄でよく行われる「模合」の話がありました。全国的にも「無尽講」「頼母子講」などという名前で行われていた「講」の一種です。私が30年くらい前に沖縄に行った時に保健師さんが「子ども世代が那覇に出て行って、親世代を呼び寄せることが増えてきました。そうすると田舎で出来上がっていた近所付き合いが絶たれてしまって昼間はひとりぼっちという高齢者が増えてきています」
「模合」はどのくらい継続しているのでしょうか?


テレビを見ながら、思い出というか感慨に耽っていました。
私は1991年に東京・神奈川・静岡・愛知在住の超100歳の819人を対象にかくしゃく100歳の調査をしたことがあります。
そのまとめを日本を代表する総合医学雑誌と言われる日本医事新報誌に投稿し採択されました。


脳機能という物差しを用いた調査であったことと、当時はまだ100歳に注目している研究者はいなかったからだと思います。ちなみに100歳の双子「きんさん、ぎんさん」は翌年のデビューでした。
調査とそのまとめが大部であることを主張して、上、中、下での掲載を要求したところ「あくまでその論文ごとに掲載の可・不可を決めるので、上、中、下と論文名に入れることはできない」といわれました。
ところが第一報の採択が決まった時に「『生活実態』に関しては同一題名で1、2としても良い」という知らせが来ました。かくしゃく高齢者の道に進むための鍵は生活実態にあるという主張に光が当たったと達成感を覚えたことが懐かしく思い出されました。
コバノセンナ

それでも、認知症発症に関してはアミロイドβや脳の萎縮などに原因を求めることが学会の主流という状態が、その後30年以上も続いていいます。
この流れを断ち切るためにはもっとマスコミの力が必要なのかもしれません。
少なくともこの番組を見た人たちは、100歳まで心身ともに元気で生きる時には「人とのつながり」が必須であることに気づいてくれたと思うのです。
それは言い換えれば、いつもエイジングライフ研究所が言っている「自分らしく前頭葉をイキイキと使い続ける生活」を意味しています。
ユッカ



私の医事新報掲載の論文
「超100歳老人における『ライフスタイルと脳機能』調査」日本医事新報3542号
「かくしゃく超百歳老人71名の生活実態」(1)日本医事新報3559号
「かくしゃく超百歳老人71名の生活実態」(2) 日本医事新報3567号


by 高槻絹子





鎌倉の古民家縁側カフェ「麻葉屋の勝手口」

2024年12月14日 | 私の右脳ライフ

ポイント使用しての東京ミニトリップの続きです。
1日目は歌舞伎鑑賞。
その後予定通り、夕刻で混雑していましたが新橋駅で友人と無事に出会えました。チェックインした汐留の近代的なホテルでも、おしゃべりに花が咲くのは予想通り。





2日目も6時30分に、新橋駅で友人と待ち合わせ。ホテルでは、昨夜と同様おしゃべりを楽しみました。
3日目はモーニングビュッフェをいただいて、鎌倉に連れて行ってもらいました。

新橋までは歩いて10分なので、当然歩きます。
電通ビル

日本テレビ宮崎駿デザイン

鎌倉…一応小町通を歩きましたが人波に恐れをなして若宮大路へ。

二の鳥居で段葛終了…道幅が狭くなっていました。

今日の目的地はピンポイントで、鶴岡八幡宮の東門を出たところにある古民家縁側カフェ「麻葉屋の勝手口」店名の由来は、玄関から入るのではなく、裏口から入るから。




築100年という昭和の建物を、その雰囲気をできるだけ残しつつ、センスよくカフェに生まれ替わらせています。屋根付きの広い縁側を設けているので古民家縁側カフェなのです。




12月でも風がなく穏やかな日でしたから、縁側でお茶を楽しんでいるお客さんもいました。
普通のコーヒーカップではなく、お茶碗でした。茶道で言えば茶通箱に入れるようなちょっと小ぶりなもので、コーヒーカップの2杯分はあると思いました。

大福餅を炙った麻葉屋餅をいただきました。

店主のこだわりのインテリアにも感心しましたが、元々この家が持っているものたちにも心惹かれました。
襖に織布が使われています。

襖を開け閉めするスペースは網代天井。

これは扉のノブ。

カフェの佇まいもインテリアもこだわりがあり、女性店主も魅力的。お話も興味深いものでしたから、稿を改めて書くつもりです。「麻葉屋の勝手口」ご贔屓に!と言いたくなりました。



by 高槻絹子




時の見当識は生活の基盤

2024年12月13日 | 正常から認知症への移り変わり
昨夜、友人と電話でおしゃべりしました。
「お姉さんが入院して、たまたま入った4人部屋で『毎日楽しいの』って言うのよ」
その内容は同室の人に看護師さんが質問をする「今日の日付けは?」その答え「3月かな」違うといわれたら「6月かな」「今、冬でしょう!」といわれ「ああ。そういえば確かにそうだよね」
そのやり取りがとても珍妙で聞き方によったらユーモアまで感じるということらしいのですが、ユーモアにあふれているわけではなくて、脳機能レベルが中ボケ…前頭葉機能は不合格。脳の後半領域いわゆる認知機能は30点満点のMMSEで言えば20点を切っている。
時の見当識は、ナイナイ尽くしの生活が続いて脳の老化が加速されていくときにはわからなくなる順番が決まっています。
日→曜日→年→月→季節→昼夜。
夜中に騒げば「ボケちゃった」といわれますが、昨日まで普通に生活していた人が突然夜中に騒ぐわけではなく、上のような経過をたどって皆さんが想像するような脳機能からいえば「手遅れの認知症」になっていくのです。

話せば普通ですし、家庭生活は自分でやるのですが、やることなすこと誰かの気配りが必要なレベル。
ただし、いわゆる認知症と断定できるような症状は一つもないという、実にわかりにくいレベルです。
もちろん服薬管理はできません。
「検査だから~しないでください」が守られるはずもありません。
「いなくなった」と大騒ぎされ、思いがけないところで発見される。
食事中「え!それを混ぜるの!」というようなドキッとする食べ方。
もう少し進めば、点滴を抜いたりもします。などなど
気を配らないといけないことが多発していることは病棟では気づかれているはずです。
この患者さんに対して、皆さんは「認知症」とは思わないでしょうが「今、何月かがわからない」という脳機能の状態になっている…このレベルを私たちは中ボケと呼んでいます。中ボケなら進行させないことは可能なのですよ!

以下は2010年7月に投稿した記事の再掲です。
「猊鼻渓舟下り(時の見当識)」写真が恥ずかしい出来ですが…文章ともに多少修正しました。


仕事で気仙沼へ行きましたので途中下車。
岩手県一関市には厳美(がんび)渓猊鼻(げいび)渓という二つの渓谷があります。厳美渓には何度か行って、散策や名物郭公団子を楽しんだことがありますから、一度は猊鼻渓も尋ねてみたかったのです。
東北新幹線一関駅に14:13到着。大船渡線スーパードラゴンに乗り換えて、猊鼻渓駅に15:20到着。船着き場まで5分くらいでしょう。
木製の船、長い竿。たった一人の船頭さんが竿一本で船を操ります。
舟は両岸の滴るような緑の中、とろりとしたような川面を進んでいきます。
高い岩には、凌雲岩とか壮士岩・少婦岩、錦壁岩などの難しい漢字の名前が付いていて、それはそれで雰囲気をよく表していました。

渓谷の終わりのところでは舟を下りて、少し歩きます。
巨大な岩が屹立しなかなかに見ごたえがありました。そして猊鼻渓の名前のいわれにもなった「獅子の鼻」のような岩も確かに見てとれました。 (写真の中央上部)

 
 
 「癒しとエコな舟下り」がキャッチフレーズの猊鼻渓舟下りは、ほんとに一本の竿だけで船を操っていきます。その竿さばきを見ながら考えたことをお話ししましょう。

竿を水に突き刺せば、固い川底がその竿を受け止めて、一瞬止まる(かどうか知りませんが)少なくともそこからがまたスタートになる。そこからなら進むだけでなく方向も変えられる。
舟は流れるように進んでいきますが、竿さした時点がいつもいつもスタート。
「時」もとどまることはありません。
でも、その「時」に対して私たちは今日とか明日とか区切りをつけて生きていきますね。
その区切りは、時間を区切るというだけの意味ではなくて、この「今の時」に何をするか、どう生きるかということの基本設定をしているように思います。
脳の老化が加速して、中ボケになったら、信じられないくらい繰り返し「今日は何日なのか?」を尋ねるようになります。
家族は、あまりにも度重なるのでそのうちに「まったく、もう。覚えようとしないんだから!」とか「自分でカレンダー見ればいいのに!」などと叱責したりします。

竿を何度突刺しても、突き刺しても、止まってくれない。
場所を替えてもだめ、受けてくれる底がない。
このような状態になったら、船頭さんはどんなに困るでしょう。
日付を何度も確認するレベルの時は、まさにこのような状態と考えてあげると、中ボケの困惑が少し理解できるかもわかりません。
家族は「しゃべらせたら普通なんですが、やることは幼稚園児みたいなんです」と訴えます。判断して的確にしゃべっているというよりも、長年の言語体験の蓄積で適当に話していてもまあまあそれなりに会話になっているように思われているだけです。問いに対して的を得た答えを返すのはなかなか難しくなっています。

私たちも、今日の日付があいまいなことがあります。でも、落ち着いてちょっと前の出来事のあった日はいつか考えてみる。またはちょっと先の予定の日はいつか考えてみる。そのようなことをすれば今日がいつなのかすぐに行きつくことができます。
竿をさせば、ちゃんと竿の先は川底をとらえ、次に進むことができるのです。
私たちでも起こす度忘れの「時の見当識障害」と中ボケになった人たちが陥っている「時の見当識障害」は全く別物だということをわかってあげてほしいと思います。


by 高槻絹子 

伝統芸能にハマっています②

2024年12月10日 | 私の右脳ライフ
買い物などで貯まるポイントを「上手に」使う人をポインターというそうです。
今回私はとても良いポインター体験をしました。
ホテルポイントが年内に失効するというので、慌てて条件の合う東京のホテル宿泊(2泊)の手筈を整えました。14,800ポイントを1泊7,200ポイントを使って2泊したのですから、その段階でも大満足。先週も東京で十分に楽しんだばかりですが、テーマが遊びということになると私の脳はクルクルとよく動くこと!

大まかなスケジュールは、初日の5時30分に新橋駅で友人と待ち合わせてチェックインするのですから、早く行って映画か観劇するのもいいとまず決めました。映画のチェックをしてみましたがなかなか希望に合うものがない。それでは演劇といくつか劇場のチェックもして、時間や演目を見ると歌舞伎座ということに落ち着きました。
歌舞伎座の最寄駅の東銀座からだと、待ち合わせの新橋駅までは一駅というのも好条件。
贔屓の役者さんの追っかけでないということは、これほど自由なものだと自分で笑ってしまいました。

歌舞伎座で時間調整をするという贅沢な体験を、最近になって何回もしたので、結構なれてきました。
チケットはネットで予約して劇場の窓口や発券機で手に入れます。いつものようにパソコンで予約手続きを進めていって、途中の座席の選択画面で目が点!

2列目のほとんど真ん中に1席だけ空席表示。舞台に近すぎて見えないかもという心配が、ちらっと頭をよぎりましたが、こういうチャンスもなかなかないだろうとクリック!

図中のグレイ部分が一等席。2階にもあることを知りました。
歌舞伎座に行く2日前(夜遅くだったので1日半くらい前)にこんなラッキーなこともあるのですね!
時間的にもう一幕見られるのですが、さすがに二幕とも一等席は気が引ける…
幕見席も最近は予約席が設けられていたので、二幕目は4階席。
上の座席表を大きくしてみてください。赤印が当日の席です。実に対照的な席どりだったことがわかるでしょう?
幕見席へは普通の玄関に向かって左側に特別の入り口が用意されています。
普通はここから入ります。

この角度から客席を見たのは初めてです。
下の写真の右下部が柝を打つところです。
舞台のすぐ、かぶりつきといってもいい場所から見ると、緞帳がカメラに収まりません。





ちなみに4階席からだとこういうふうに見えます。




肝心の演目は絵本発刊30周年記念「あらしのよるに」。主演は獅童と菊之助。それに獅童の2人の子供たち。先日テレビで子供たちの稽古風景をちらっと見たこともこの決定には大きく関わってると思います。ミーハーですが、子供たちに注目することも歌舞伎を長く楽しむことになると思います。と書きながら愕然。この子たちが成人したころには、もう死んでいるか、生きていてもわざわざ歌舞伎座には行かないでしょう。
といかにも悲観的に思えるような書き方をしてしまいました。命が限られているからこそ、一日一日を私らしくイキイキと楽しく生きていくという覚悟を改めて決めるというような意味ですからね。
体験こそ宝。歌舞伎座に行けなくなった私は、なんらかの方法で楽しかった時間を反芻してはきっと満足の笑みを浮かべていると思います。


「あらしのよるに」はオオカミとヤギの友情物語ですから、ほのぼの感に包まれそうですが、なんといってもヤギはオオカミの餌。獅童が演ずるオオカミ「がぶ」がその葛藤を面白おかしく表現し、ヤギの「めい」は、本では性別の指定がないそうですが女形の菊之助が演ずると可憐な少女の風情が溢れてきます。
ミュージカル風の演出の戦いの場も興味がそそられました。歌舞伎の決まりごとを随所に入れ込んだミュージカル。
私は歌舞伎の音曲についてはその違いがよくわかりませんが、今回は獅童が舞台の黒御簾に隠れている語りの方のセリフを受け取って、軽妙な返しをしたり、初めての演出も触れました。

紙吹雪が舞い散るフィナーレでした。
今年は團十郎「星合世十三團」もみたのです。
7月の右脳訓練③-七月大歌舞伎
7月の右脳訓練③-七月大歌舞伎 - 脳機能からみた認知症

7月の右脳訓練③-七月大歌舞伎 - 脳機能からみた認知症

歌舞伎を見に行くということになると、鑑賞したい演目が先にあるものでしょう。高校の後輩T田T子さんは、ちゃんとファンの歌舞伎俳優がいて、北九州在住ですから博多座、小...

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その時のフィナーレは光の灯った長い竿を持った黒子が通路を軽やかに動き回る豪華絢爛でありながら心に染みるものでした。命の象徴のように感じました。
比べてみて、どちらもピッタリ。
團十郎のは、早替わり宙乗りとケレン味たっぷりで皆を惹きつけるのですから、フィナーレも華やかな方がいい。
「あらしのよるに」の方はどこか素朴な風情が漂っていますから、この紙吹雪でピッタリです。
続けてみると、素人でもわかるところがありますね。

お掃除は大変!

二幕目は「加賀鳶」
いわゆる世話物と言われる演目で、パンフレットによると「序幕の加賀鳶たちの圧巻の七五調の台詞をはじめ…」とあったのですが、残念ながら4階のせいか、私の聴力のせいかそのやりとりが聞こえづらく。結果はたくさん居眠ってしまいました(笑)

まあ、たった1日で、歌舞伎座の演目も席も両極端を体験するという目的は一応達したのでよしとしました。

開演前に小さなチャレンジもしたのです。
普段歌舞伎座に行く時は、観劇という目的がはっきりしているので、冒険しても、歌舞伎座タワーでお茶をする程度です。
テレビか雑誌で目にした、歌舞伎座の道沿いにある手作りたまごサンドのお店が、下町っぽくて興味をそそられていました。
正面に向かって建物の右側に曲がります。

通りの名前は木挽町通り。

そのまま200メートルほど進むと、昭和っぽいかわいいお店が出現。たまごとポテトのサンドイッチをランチ用にゲットしました。800円。二人でも食べきれないほどのボリュームでした。

1列23番の後ろが私の2列23番。足元にビニール袋に入ったサンドイッチが。ミスマッチなところが私らしいのです。

近代的な歌舞伎座ビルの敷地の隅、木挽町通り側にあるこの神社歌舞伎稲荷大明神は、マッチしているのでしょうか?それともミスマッチ?
お参りしている方が続いているのにはちょっとおどきました。

二幕楽しんだら、5時前でしたが冬の日は早くも暮れていました。今日もよく遊びました。











伝統芸能にハマってます①

2024年12月06日 | 私の右脳ライフ
先週の土曜日。久しぶりに友人からお誘いが。
「国立能楽堂でお能を見ませんか?」
(企画は一般社団法人伝統文化交流協会ですって。興味ある活動をしていらっしゃいます。
演目を確認する前に「もちろん、行きます!」
後で友人が言うには「あまりの即答でびっくりしました」
私の心の動き方を振り返ってみると、
能鑑賞の機会はなかなかない。
国立能楽堂は行ったことがない。
千駄ヶ谷だとイチョウが黄葉しているはず。
久しぶりの友人とおしゃべりも楽しみたい。
というような気持ちが湧いてきたのです。
源氏物語「澪標」の勉強会もあり、能の演題はその「澪標」から生まれた「住吉詣」。ちょっとだけ復習をしていざいざ国立能楽堂へ。


奥山先生による歯切れのいい源氏物語「澪標」解説の後、久しぶりの能楽鑑賞。前席背面の小さなスクリーンにセリフが表示されとっても助かりました。筋が追えると眠らずに済みます。
都に復帰できた光源氏が住吉大社にお礼参りしたというシチュエーションなので、供揃いが10人くらいも用意されていて、能舞台いっぱいの役者さんたちに圧倒されました。子方も二人。とにかく賑やかな舞台でした。
能はシテが「実はすでに死んでいる」ということが多いですが、今回は現実の世界の出来事に終始していました。そうそう。全員が直面…でも見事な無表情でした。
能楽堂の佇まいは建物も庭園も洗練された日本美を感じさせてくれました。





神宮外苑の銀杏並木は予想通り。友人が撮ってくれた銀杏の写真が素晴らしいのでここに紹介させてもらいます。


大満足のひとときを過ごして、友人と東京一泊。
翌日は、大倉集古館の「志村ふくみ生誕100年記念展」へ。甲府に住む友人が「素晴らしかった」とメールで知らせてくれました。

学生時代、東京から北九州に帰省する度に、私を可愛がってくださっていた京都の知人宅にお邪魔していました。その方が志村ふくみさんのいわばお弟子さんで、草木染めで染めたり織ったりされるのをそばで眺めるという、今考えると滅多にない体験をしていたのです。1963年頃、60年も前のこと…
今回展覧会で年表を確認したら「染めを母から習い始めたのが30歳の頃(70年くらい前)」「1957年に、第4回日本伝統工芸展に初出品で初入選」「その後連続4回特選受賞」とありましたから、私が「志村ふくみ」の名に触れたのはもう世に認められたあとだったのですが、知人宅では「なんと素敵な色が出せるのでしょう。不思議なほど。同じ媒染剤を使ってもどこか違うの」というような声を聞いていました。
知らないということは勿体無いことです。
写真不可ですから何もご紹介できませんが、作品名に想いが込められていることに心動かされました。心の中に哲学があるのですね。
閑話休題。
私の夫は超がつく方向音痴ですが、正直なところ、認めてはいるものの理解はできない!と思っていました。
日本初の私立美術館である大倉集古館が、ホテルオークラヘリテージの真ん前にあることは十分承知していました。


「汐留のホテル出発。新橋から地下鉄銀座線溜池山王。下車して後は徒歩」とグーグルマップも教えてくれました。
ちょっと感じた不安は「『溜池山王』という駅は昔はなかった。使ったことがない」
「でもどうにかなるだろう」と溜池山王の改札口を出ました。
ところが、ここがどこかわからない!案内板を見てもビルの名前は書いてあるのにこの目の前のビルがどの建物かわからない!
ようやくわかったのが首相官邸。

でも、地図上でどこを向いているのかわからない!もっと悪いことに、目的地が地図上にない!
つまり、「どこにいてどこに行く」その道筋が全く掴めない状態に陥っていました。人通りがほとんどなく尋ねる方法がない!
糸口はコンビニ。このファミリーマートが溜池山王店ということが地図上ではっきりした時に目の前がパッと開けました。同じファミリーマートが見えるところにもう一軒あって、確認すると溜池山王駅南店。何度眺めたかわからないグーグルマップがイキイキと方向をさし示してくれた気がしました!
その線の向こう、横断歩道を渡れば全日空ホテルが見えて「あ〜ここならわかる!」
確かにそこにも地下鉄溜池山王の看板がありました。一番遠くの出入口から地上に出たようです。

ところがさらにもう一回小さなつまずきがありました。桜坂から登ってグーグルマップのいうように進んだのは正しい道だったのですが、左折の時一つ先の角を曲がってしまい「れいなんざかようちえん」の文字発見。どうも違うらしい…
後戻りして曲がり直しました。
すると霊南坂教会の看板が。

これで良さそうと直進しているとアメリカ大使館。

次の角の信号の向こうに目的地発見。ようやく到着できました。「どちらに向かうかわからない」以前に「今ここがどこかわからない」という方向音痴の実体験ができました。これは確かに不安なものですねえ。

信号を渡ったら、大きな看板発見。

歴史を感じる建物。

入り口の彫像。

2階休憩コーナーにも。

大倉父子によるコレクションの大倉集古館。志村ふくみ展で懐かしさを呼び覚ます感動的な体験の前にも、「方向音痴になる」という得難い体験ができました。






11月の正統的な右脳訓練-MOA美術館

2024年11月25日 | 私の右脳ライフ
友人から誘われてMOA美術館の「光琳 国宝『紅白梅図屏風』✖️重文『風神雷神図屏風』」を鑑賞してきました。行きたい展覧会だったので渡りに船と喜んで!


最初に行ったのは、光琳の「紅白梅図屏風」が毎年2月に展示されるというニュースを聞いたその翌年だったか長男次男ともにまだ小学生だった頃。もう40年以上も前になると思います。
当時住んでいた磐田から熱海まで東名高速を使って大体2時間でしょうか。
「運転が下手だから静かにしてね」と頼んだら本当に静かにしてくれたこと(下手だったんでしょうね)。入口が山の斜面の巨大なエスカレーターというところから度肝を抜かれ、登りきったところにあるホールはまるで異世界に足を踏み入れたよう。ムーア広場から見た相模灘。当時は今ほど整っていませんでしたが、それでも地形を生かしたシャープな設計は基本的には今と変わりません。そのセンスと先見の明には脱帽です。
そしてお目当ての紅白梅図屏風!モダンで大胆なデザインに「これが琳派」と感動しました。

もうひとつの国宝色絵藤花紋茶壺はその時に見たのでしょうか?

記憶は曖昧…でも多分その時は紅白梅図屏風だけだったと思います。ただご安心ください。最近は常設展示になっていますよ。
昔のホールはレーザー光線だったかな?

ムーア広場からの相模灘は何も変わらず、穏やかな秋の初島や大島。伊豆半島に目をやれば大室山、小室山がのぞめました。



MOA美術館訪問が初めての友人だったので、型通り秀吉の黄金の茶室から始めました。
私は、遠くから来る友人のために何度もMOA美術館にはきています。それでもいつも「ああ!そうなんだ」という気づきがあります。
今回の気づきは、風炉などの皆具は「金張」と思っていましたが、「純金」ですって!
「金には赤が似合う」と利休が決めたそうですが、障子紙ではなく、絹織物ということも教えていただきました。確かに組み立て式茶室ですから紙では不都合です。

ロビーを抜けて特別展の展示室に入って行きますが、このロビーも数年前の杉本博司監修のリニューアルで一新しました。よく気を付けてみると椅子の脚は杉本博司らしいガラスです。

さあ。本題。
実は今まで行った中で一番混んでいました。屏風のところは人だかり。なかなか写真が撮れません。11月に三男(自称)夫婦が帰省してくれたのですが、その時「ぜひMOA美術館に行くように」と勧めました。オッケーをもらってその時に送ってもらった写真を使いますね。
並列でないところがいいでしょう?

まるでカタログ写真のように撮れています。
紅白梅図。伊豆に住んでいるおかげで、何度も見ることができています。2015年には国宝燕子花図屏風とのコラボ展もありました。2月の右脳訓練「琳派アート」MOA美術館
風神雷神図。これは宗達の風神雷神図を模写したものですが、二神を画面内に収めるとか雲を黒く強く表現するとか光琳らしく工夫がなされているそうです。

光琳の落款。

宗達の風神雷神図屏風を、京都建仁寺で見ましたが、考えたらそれは

キヤノン:綴プロジェクト

キヤノンならびに特定非営利活動法人 京都文化協会が共同で行っているプロジェクト「綴(つづり)プロジェクト」(正式名称:文化財未来継承プロジェクト)に関するご案内で...

綴プロジェクト|Canon

 
キャノンの高精密デジタル複製でした。複製なので、あるべきところに裸のままに置かれていて、美術館で見るのとはまた違う迫力がありました。
今回の展覧会で私が撮った写真はこんな感じです。どうしても人が入る…



ビデオのところでこんな迫力ある画面に遭遇しました。


光琳の虎図屏風。可愛すぎる。デザインもおもしろい。

宗達の龍虎図。龍に比べてやっぱり虎は可愛い。

龍は最初から想像上のものですが、虎は見たことがないので、どうしても猫っぽく可愛くなるのでしょうね。
多分一番有名なのが、和歌山県串本町無量寺にある長沢蘆雪の虎図でしょう。伊豆高原で親しくしていたお坊さんが無量寺のご住職になられたのでお尋ねしました。ユーモア溢れた作品がたくさんあって心和みました。2021年訪問。

若い時には、その作品の世界だけ楽しむという見方をしていたように思いますが、歳をとってくるとその作品にまつわるあれこれの思い出がじわっと迫ってきて、脳がより活発に動き始めるような気がします。
琳派というと金箔銀箔などの派手やかな装飾性、個性的で現代にも通じそうなデザイン性というイメージが沸きますが、上の虎図のようなもの(デザインは秀逸)やむしろ素朴な水墨画もありました。


10日ほど前に小布施町に行きました。保健師さんが、おやつのお焼きの箱に、もみじを載せるというニクイ心遣いをしてくれました。
センスある女性は、昔からもみじを大切にしていたようですね!


それで思いついて、小布施町にこんな写真を送りました。見てない人も楽しませたくなります。

とにかく多くの人で賑わっていて、ランチを取るのが一苦労。お蕎麦屋さんは45人待ち。レストランは25人待ち!
そうそう、紅葉もまだまだ待ち時間が必要な色づき状態でした。下のお蕎麦屋さんの行列写真の奥の紅葉が一番はっきり色づいていたと思います。
一緒に行く人がいると、また新しい味わい方ができますね。「UKIYO-
E江戸の美人画」「北斎富嶽三十六景Digital Remix」に引き続き今年3回目のMOA美術館を堪能しました。


by 高槻絹子















「目が点!」になった記事に出会いました

2024年11月23日 | エイジングライフ研究所から
今朝(2024年11月22日産経新聞)の新聞記事には驚かされました。
驚いたとき、その気持ちを表すための言葉は愕然とか驚天動地とかありますが、何かちょっと違う。体を使った表現だとどうなるかちょっと考えてみました。
「腰が抜ける」「心臓がバクバク」「立ち尽くす」これもいまひとつ。
「目が点!」これなら「えっ」と驚いた私の気持ちに沿ってくれそう…
その記事は「認知症疑い『3問』で検出」という見出しでした。
(私たちは遺伝子異常によるアルツハイマー病と、正常老化が加速されたアルツハイマー型認知症を明確に区分けしますが、この記事のアルツハイマー病はアルツハイマー型認知症を意味しているので、そのままに使います)
写真は今年は紅葉が遅いので2022年秋の旅から。
京都の満月

「アルツハイマー病とMCI(軽度認知障害)の疑いがある人を早く見つけるために問診時に「医師の質問に直接答えようとせず同伴者に助けを求める」様子はないかどうかを観察しておく。そのうえで
①困っていることはあるか
②楽しみはあるか
③最近の気になるニュースは何か
という3質問への回答で、容易に検出できる」というものです。
それぞれに突っ込みどころがたくさんあります。後でゆっくり、説明をすることにして、一番最初の「目が点!」についてお話ししましょう。
尾道水道の朝焼け



この手法を開発する前提として「アルツハイマー病は『アミロイドβ』の蓄積がその原因である」という立場をとっています。
このブログでも何度も解説しているように、アミロイドβを除去しても認知機能は改善しない。だから沈着する前に除去するレカネマブやドナネマブが開発されているのですが、そもそもアミロイドβと認知症発症が無関係ということだって考えるべきではないでしょうか?
ちなみに二段階方式では生活ぶりそのもの(前頭葉を中心とした脳の使い方が足りない。生きがい・趣味・交遊がなく運動もしない)が認知症を発生させると主張しています。

前提の話を語り始めると止まらなくなりそうです。
具体的な質問に対して感じた「目が点!」について話していきましょう。
二段階方式では、症状を理解するときに脳機能の物差しを当てます。しかも世の中では認知機能検査というと長谷川式とかMMSE(世界中で一番多く使われている簡易な認知機能検査)なのですが、それらとは違う機能が脳にはあります。
前頭葉機能です。
このグラフを見てください。縦軸MMSはMMSEのことで、かなひろいは独自に開発した前頭葉機能テストです。ある一地区高齢者人口303人中231人に、この2つの検査を個別で同時に行いました。実施率76.2%。

MMSEはカットオフ値は23/24ということになっています。つまり24点以上だと認知機能は正常とされているのです。世界中で!
縦軸MMSを見てください。24点以上の人たちの中には、かなひろいテストが合格群と不合格群(10点以下)がいることがわかります。
MMSE24点以上あっても、前頭葉検査をすれば不合格の人がいる。MMSEが合格と確認できても認知機能は正常とは言えないということです。さらにかなひろいテストに合格して初めて脳の機能は正常といえるのです。
簡単に言えば、かなひろいテストはMMSEよりも難しい、まったく別の機能を測っているテストだということです。
人が生きていくことは、三頭建の馬車を走らせているようなものです。脳には下図で馬で表されている左脳や右脳が担う認知機能があって、MMSEをはじめ世界中で使われている脳機能検査(認知機能検査・高次機能検査)はそこを測ります。前頭葉機能は三頭建ての馬車で言えば御者の働きをしています。最高次機能というべきものです。

この記事が対象にしているのは、アルツハイマー病やその前段階である軽度認知症害(MCI)の疑いがある人となっています。アルツハイマー病とMCIを一緒に鑑別するというのは意味が分かりませんので少なくとも早期のアルツハイマー病と考えたらいいかと思いました。
MMSE24点以上は正常なので23点以下。
そして一般的には認知症といえば、徘徊や夜中に騒ぐ、粗暴行為、妄想、家族もわからない、家庭生活全面介助などでしょうから、このグラフからいえばMMSE10点以下が想定されます。
その前の段階でないといけませんから、グラフで言えばだいたい中ボケから大ボケに入ったところというレベルだと思われます。
そもそもMCIをきちんと定義できていませんけども、それは置いておくことにするしかありません。
レカネマブやドナネマブ投与の条件はMMSE20点以上ですが、それも置いておくことにします。とにかくきちんとした症状を出している認知症よりも前の段階で見つけるという姿勢だろうと決めました。
京都の紅葉
さあ、具体的に各質問について不思議に思ったことを話していきましょう。
①現在困っていることは:
「『ない』もしくは『物忘れはあるが年のせいで、困っていない』と答えた場合はアルツハイマー病のリスクが高い」
実は、上のグラフで黄色でプロットしてある小ボケ群(正確に表現すると、前頭葉機能低下、MMSE24点以上で合格とされる脳機能レベル)は脳機能がよいほど、自分の現状を「どこか変」と訴えます。「意欲が出ない」「興味がなくなった」「物忘れがある」「とにかく以前の自分らしくなくなってるんです」などなど。
だんだん脳機能低下が進んでオレンジ色の中ボケ群(正確に表現すると、前頭葉機能がさらに低下、MMSE23点から15点の脳機能になっているレベル)になるとたしかに異口同音に「物忘れはあるが年のせいで、特に困っていない」といいます。記事中の表現が中ボケの人の表現をなぞったようなので、発表者は多分このレベルの方に実際に会われたのだろうと想像しました。
MMSE20点以下になっていくと、日付がわからない、服薬管理ができない、料理の味付けが変など家庭生活にも支障が出てきます。ただ世の中で言われる認知症の症状ではないからまだ認知症ではないといわれるレベルに相当します。
そのレベルをアルツハイマー病のリスクが高いと指摘するのは、一歩の前進ですが、さらにその前の段階があることと、このレベルの脳機能になると本人はまさにそう思っているわけで、家族はとても困っている段階ということを理解する必要があります。

②現在の楽しみは:
「具体的に回答したら、アルツハイマー病のリスクが高い」
「②で具体的に答える理由は、アルツハイマー病の患者では、相手の話に合わせて自然に振る舞おうと取り繕う傾向があるため」
私にはこの項目は理解ができません。具体的な回答を「具体的」に示していただきたいです。
例えば、生きがいを感じられるようなこと、趣味のようなものを具体的に回答できたら、前頭葉機能はイキイキしていて小ボケになっているはずもありません。前頭葉機能が低下し始めたタイミングでは、趣味は続けていることもありますが、「楽しくはない」「やめようかと思っている」という答えが返ってきます。そしてさらに前頭葉機能低下が進むと小ボケの段階に留まっていても、それなりの理由はつけて止めてしまうものです。
小ボケレベルの脳になっても、なにか言われたときにそれに対応して発言し、会話は充分できているような印象を受けることは多いです。少し追及すると的が外れてきますが。中ボケレベルでも話していることだけ聞くとそれなりで、家族が「話だけ聞いているとボケていないみたい」と戸惑う原因にもなります。
ただ、「楽しみは?」と尋ねられて、自分から自発的に言いだすということは、中ボケレベルになるとかなり難しいものです。

③最近3か月以内の気になるニュースは:
「『ない』か3ケ月以上前のニュースや具体性のない回答をした場合にアルツハイマー病のリスクが高い」
この質問は「目が点!」というよりも、言葉は悪いですが「腹が立つ」。
MMSE20点を切るようになったということは、今が何月かわからなくなったということなのです。その人たちに対して「3ケ月」と切る意味はどこにあるのでしょうか?この質問は困惑させるだけです。
実は小ボケレベルの脳機能になると、テレビや新聞のニュースは欠かさないといいながら、少し具体的な話になると、最初はそれなりに会話が成立するようですが、すぐにつじつまが合わないことが起きてきます。MMSEが24点以上ではっきり合格していてもです。
そのくらいこの質問は難しい質問です。

つまりここにあげられた質問は脳機能からいえば、あまりにもターゲットが定まっていない。もう少しいわせていただくと、客観的な脳機能という物差しを使うという考えがないのではないでしょうか。共通の物差しを使えば、その人について話し合うときでも指導するときでも的が定まると思います。
蒜山高原
問診時の態度については「医師の質問に直接答えようとせず、隣にいる同伴者に助けを求める場合リスクが高い」と言及されています。
小ボケレベルから中ボケレベルの前半なら、助けを求めることもありますがMMSE20点を切ると、助けを求めるというよりは答えないか、適当に答えているとしか思えない答えで終了することが多いのです。
ちなみに、私たち二段階方式では、予測を立てて検査をするように指導します。
歩き方(とぼとぼ歩きかどうか)
表情(無表情かどうか)
あいさつ(大人として適切かどうか)
着衣(おしゃれ具合、ボタンのかけ方、季節感、こざっぱり感、食べこぼし、虫食いの有無など)
礼容(整髪、ひげそり具合、お化粧の具合)
上記は小ボケレベルになったところでチェックが入る項目で、同行者に助力を求めるかどうかの前にチェックする項目です。

by  高槻絹子



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