脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

小布施町(追記)

2024年11月21日 | エイジングライフ研究所から
23年間も行き続けていると、小布施町は私にとって故郷のようなところになっています。伺うたびに、ちょっとほっこりする体験があるのです。
今回はこんなことがありました。
小布施の朝食は、お気に入りのカフェ珈茅でいただきます。女性のオーナーさんとつもる話に花を咲かせるのが常ですが、お客さんが引きも切らず…
「ちょっとおしゃべり足りないなあ」とオーナーさんと目と目で残念がっていたところに、私の迎えに小布施町の保健師さんが到着。
どちらが先だったかわからないくらい同時に男性のお客様が入ってこられました。
素敵な色の果物を手にしています。カウンターに飾って、居合わせたみんなで褒め合いました。
「素敵な色!」「美味しそうな香り!」
持ってきてくださった方が「友人が作った洋梨。これはル・レクチェというものだよ」



私たちがよほど味見をしたいという顔をしていたのでしょうか?
オーナーに「切ってきてください」
私たちはニコニコしながら美味しく洋梨をいただきました。ここまででもほんわかする報告だと思いますが、もう少し話に進展があります。

男性は、小布施では俳句で有名な方ですって。写真掲載の許可を求めたら、「ああいいですよ」と即答してくださいました。
若い女性は今年から小布施町で働き始めた保健師さん。
「Kさん。奥さまになかなかお会いできないのですが、ご都合のいい時にお家に伺ってもいいですか」
「そうだね。最近病院とかで教室に行ってないからね」
続けて訪問日の予約までさっさと決めてしまいました。大きい都市では考えられない展開ですが、小布施町では「あること」なんですね!

会場に向かう車の中でもありました。
ちょっと腰を屈めた女性の方が、道脇をゆっくり歩いている姿が目に入った途端、ベテラン保健師さんが「あ〇〇さん!嬉しい!今日参加してくれるんだ。体の調子がいいんだわ」。
別の場所でも二人連れで歩いている姿を目にすると「うわ〜⬜︎⬜︎さん。春に手を骨折してたんですよ。よくなったんですね。いつも◎◎さんがこうして支えてくれるんです。いいでしょう?

平成の大合併の時小布施町は合併の道を選びませんでした。
認知症予防活動を始めるための講演会は2001年でした。調べて見ると2000年の人口は11,460人、今年11月1日時点で10,976人。
全員とはいえないでしょうが、保健師さんたちがよく住民を把握しているという印象をよく受けるのは、この人口の少なさが影響してると思います。
もちろんそれだけではなく、保健師さんをはじめとして地域包括支援センターのスタッフの方たちの「住民に対する愛情」だと思います。
生活のあり方に切り込んでいく生活指導が必須になるのが私たちの二段階方式です。「人」に対する温かい関心がなければ、二段解放式による認知症予防活動は成立しにくい…と思っています。
みなさん。これからもよろしくお願いします。


by 高槻絹子





仕事の後に本格的に遊ぶ②-東武ワールドスクウェア

2024年11月15日 | 私の右脳ライフ
小布施の仕事を終えたあとの目的地は、1/25に縮尺された世界遺産などの建物が立ち並ぶテーマパーク、東武ワールドスクウェアでした。
急遽入れ込んだ鬼怒川ライン下りを満喫した後は鬼怒川温泉の船発着場までバスで送ってくれます。手前にある東武ワールドスクウェアの真ん前で降ろしてくれ、幸先よいテーマパーク巡りの始まりです。

紙の場内案内図はないんです!「QRコードを読み取って一人で進む」方式でした。
予想よりコンパクトだったので、少々行きつ戻りつしたところで問題はありませんでした。(肉離れの足でも大丈夫でした)
友人が言っていた意味はすぐにわかりました。
単に小さくしただけでなく、権利者の許可を得てできるだけ正確に再現し、建材の工夫も凝らしてありました。できればその精神まで再現したかったのではないかと感じるところすらありました。
実物っぽく見える理由の一つは、その状況に応じてだいたい7センチの人形が置かれていることでしょう。(7センチ✖️25🟰175センチ)全部で15,000体の人形が参加してるそうです。
入口近くの国会議事堂。正面にいるのは何と石破総理で、議事堂から列を作って出ている一団は歴代総理ですって。一番前は小泉さんで一番後は福田さん。言われると確かにそんな感じです。



東京ドームには力士が。

ホワイトハウスは裏が見学路を向いていますが、そこに大統領夫妻と副大統領をたたずませるための状況設定です。コロナ禍でマスク姿のバイデン大統領夫妻とハリス副大統領プラスSPまで。
トランプさんが選出されても来年1月まではこの3人がホワイトハウスの主ですものね。


庭師も!選定が終了すると世話をする樹木が変わるとか。つまりこの人形はどこでも移動ができると言うことですね。

建築物が本物らしく見えるもう一つの理由は、建物のすぐそばの樹木は、何と盆栽!
何と言うアイディアでしょうね!自然をその姿にとどめると言われる盆栽だからこそ、違和感なく実物らしさを強調する役割を担っていました。
東京スカイツリーには、ジュウガツザクラが咲いていました!

日本エリアの盆栽は見事なものでしたよ。
1/25サイズですから、背が高い建物はやはり大きい。
東京スカイツリー
ピサの斜塔

ウエストミンスター寺院
ビッグベン

ミラノ大聖堂
このオランダの水車の景色を見た時、私の住んでいる伊東市の道の駅マリンタウンのモデルではなかったのかと思ってしまいました。

エジプトゾーン!私にここを勧めてくれた友人は、若い頃、ピラミッドのそばで観光客をラクダに乗せるアルバイトをしていたそうです。どう言う思いでここを見たでしょうね。

ラクダ発見

とちおとめのソフトクリーム

アブシンベル。私の大切な友人と一緒に行きました。彼女が亡くなってもう3年。

思い出深いところもいくつもありましたが、ふじ丸に再会できたのは想定外。南太平洋〜豪州のクルーズの講師として2度乗りました。

私はニューヨークに行ったことがありません。束の間のアメリカ体験です。
ワールドトレードセンターは同時多発テロの後、いろいろな議論があったそうですが、花を手向けた外国の方の姿を見て存続を決めたそうです。







確かにちょっとしたアメリカ旅行の気分になりますね。でも巨人の庭師さんを見つけてしまいました!

下を見ないで上を見ることにしましょう。

今年の夏、たまたま時を同じくして長男も次男もヨーロッパへ。
いつも行く先々から写真を送ってくれます。
パリの長男から。右が現地撮影。



バルセロナの次男から。右が現地撮影。
絶対に同じアングルがあるはずと真剣に探しました。キリスト像が一番上。確かにここなのですが、周りの様子が今ひとつ一致しません。
そうです!サグラダファミリアは、いまだ建設中。だから次男の写真には回廊があるのです。
東武ワールドスクウェアのサグラダファミリアは、その当時の状態を写したのでしょうね。開園は1993年だそうですから、この31年間のサグラダファミリアのたゆみない進展を知ることができました。
2024年7月は右のような状態ですよ。

アジアゾーンも、日本ゾーンも興味深い建物がたくさんありました。流石に日本のものは全部わかりましたが、アジアのことを知らないなあとしみじみ思いました。
韓国の「娘」に送るつもりで写した写真です。
ソウル市南大門

景福宮

もう一度学びに来ましょうか?
そうですね。誰かを案内してくるのは楽しいと思いますが、やっぱり私は現地主義のような気がします。

思いがけず、丁寧に精巧に作られているので、このポスターへの回答はYES だと思います。
背景にありえない建物が見えるところも、楽しかったです。


by  高槻絹子



























仕事の後に本格的に遊ぶ①-鬼怒川ライン下り

2024年11月15日 | 前頭葉の働き
小布施からの帰途は一目散に帰ると、その日のうちに帰れることは帰れます。以前は大体とんぼ帰りでしたが、左脳優位の仕事の後は右脳の出番ということで、最近はだいたいどこかに寄って楽しんで帰ることにしています。
その計画を立てる過程も実は楽しい!
小布施町に絡めて訪問した旅の記録ブログを遡ってみました。
2023年:善光寺お朝事(前)角野栄子「魔法の文学館」(後)
2000年:ベニズワイガニの昼セリ
2018年:地獄谷野猿公園
2015年:松代探訪
2014年:冨岡製糸場
2010年:谷川岳ロープウェイ
本当はこの旅行記も読んでいただきたいと思います。自分の楽しみを自分で作って(この段階も間違いなく喜び)、毎回楽しんでいるのをわかっていただきたいのです。
そういえば、こんなところにも寄り道しました!
北海道岩見沢市の講演の後は、少女時代からの念願の氷のイグルーに泊まりに行ったのです。
2021年:北海道の旅 然別湖氷上コタン
さて今回は、行き先は割合に簡単でした。友人が鬼怒川温泉に泊まって、目の前の東武ワールドスクウェアにいったそうです。縮尺された世界遺産などがコンパクトに展示されている程度は知っていましたが、普通そんなに食指が動くところではありません。「ひとつでもいいから、本物の方がいいかなあ」と言うと「まあ、素晴らしいものだった!」「全部見られなかった。絶対もう一回行かなくては」と大絶賛です。
「体験できるものは、自分で体験して評価すべき」と考えていますから、ここには行くしかありません。
新幹線で大宮まで戻り、春日部へ。東武線特急に乗って東武ワールドスクウェア駅。幸いホテルは歩いて3分。到着は8時過ぎ。
車中で見つけた「鬼怒川ライン下り」のポスター。「そうだ!今は紅葉のハイシーズン!」
一人旅ですから、慎重に計画は立てます。用意周到に準備するのはまさに前頭葉の働きですが、状況に応じて臨機応変に対応するのも、より高次の前頭葉機能。即刻計画変更、東武ワールドスクウェアの前に鬼怒川下り!
チェックアウトは8時。
船の発着場は隣駅の鬼怒川温泉で第一便の出発は9時。まだ肉離れの影響は残っているのですが階段をものともせずさあ乗船。

船頭さんの軽妙な語りで船内は笑い声に包まれます。

飛沫避けは乗客がビニールを引き上げます。
名勝は見逃さないように、アナウンスがあります。

「今は水量が少ない。春先にもう一度ぜひ」

地層を何かに見なす箇所もたくさんありました。

いくつもの橋をくぐりました。

私は前に座っていましたが振り返ると皆さん本当にいい笑顔で船旅を楽しんでいました。
鬼怒川を下った船は、3艘ずつトラックで船着場へ運ばれます。

発着場の看板が、どこか昭和を思わせるものでした。紅葉にはちょっと早い時期でしたが、雲ひとつない晴天で気持ちよく川下りを楽しめました。いい経験でした。計画変更は大成功でした。


舟下りも何ヶ所かしています。ちょっとチェックしてみたら、時の見当識について面白いことが書いてありましたからご紹介しましょう。
「猊鼻渓舟下り(時の見当識)」


by  高槻絹子





仕事の間も楽しむー小布施町で出会った心ときめくもの

2024年11月14日 | 私の右脳ライフ
小布施の仕事のことはまたまとめることにします。
11月10日夕刻小布施駅に着き迎えを待つ間、この菊が飾られていることに気づきました。
「さすが小布施。シックな色合いの菊だこと」




夕食後、お店の前の皇大神宮に菊花展の看板を見つけました。ライトアップしているし「寄ってみましょうよ」
ほとんどが駅で見つけたあのシックな色合いの菊です。友人が教えてくれました。「北斎の菊の絵があるでしょう?あそこに出てくる菊で巴錦と言う品種です」
「ああ。北斎菊図。北斎館で見たことがある…」
駅で見た時はシックと思ったのですが、内側が真紅で外側が金と言う色合いから絢爛豪華な古典菊で大名菊とも言われるほど。
一本の茎から三本仕立て。

これも一本の茎から九本に仕立てていますね。
これも一本の茎からです。これは小布施町章。

形も大変でしょうが、同じ時期に咲かせるのも大変でしょう。

小学6年生は、全員が菊作りに挑戦することになっているそうです。

全体を眺めてみました。

翌日は雲ひとつない快晴。その青空をバックにたわわにリンゴがなっています。移動の時にちょっと撮らせてもらいました。








小布施には、桝一(スクエアワン)鴻山(コウザン)碧い軒(ヘキイケン)白金(ハッキン)などを醸造している市村酒造と言う超有名なお酒屋さんがありますが、高沢酒造という女性杜氏が作っているお酒屋さんもあるのです。
豊賀





脳のリフレッシュ教室のおやつ…名物おやき。色づいた葉を手で受け止めて飾りにしたH保健師さんの右脳に乾杯。ちなみに参加者(全員高齢者)もこの配慮に声をあげていました。

講師特権。

脳リフレッシュ教室では、お菓子だけでなくお漬物や煮豆やお浸しのようなお茶受けが振る舞われます。







温かい風習ですね。
移動の時に新しいお店にちょっと寄りました。
森の中のアイスクリーム&チーズショップ。

目の前の森の中で子牛を放牧するのですって!来春に行きたい。

私がいつもお邪魔する珈茅(こち)でいただいた12日の朝ごはんの綺麗だったこと。あ、もちろん美味でしたよ。

珈茅の紅葉。表アプローチ。

いわば古民家カフェですね。

裏道。

店内。
11日の夕食は酒蔵をリノベーションしたレストラン蔵部(クラブ)でした。久しぶりに会ったので話が盛り上がりすぎて写真は撮れませんでした。

小布施の中心には魅力的なお店が固まっています。
栗菓子:小布施堂

酒造場:市村酒造

レストラン:蔵部

お菓子工場:傘風楼

小布施には20年以上も通っています。いいところです。きれいな町ですよ。
蔵部からの帰途(と言ってもほんの3分)
何のお店かと目をこらして見てしまいました。美容室。

私がお世話になったプチホテル。

小布施はオープンガーデンで有名ですが、それ以前に「修景まちづくり事業」があるのです。
じっくり知ると、キラキラしたアイディアを出し合ってまちづくりをした人たちの声が聞こえてきそうです。
ここにも小布施の魅力の源がこもっています。


by 高槻絹子









仕事の前に遊ぶ-東京ステーションギャラリー

2024年11月13日 | 私の右脳ライフ
「私の右脳ライフ」として遊んだ記録ばかり続いています。
11月13日、今日も一日かけて、脳の活性化に励みました。
そもそもは11月11日午前中から11月12日長野県小布施町の仕事が決まったところから始まった話です。
伊豆と長野は遠いので、前泊が必要になります。
この文章の持つニュアンスはどう言うふうに伝わりますか?「遠くて大変…」と言う感じでしょうか?私の気持ちとしては「やったぁ」なのですけど。同じ言葉を使って、全く違うニュアンスをこめることは、生で対面しているならばごく簡単。
そう言う声の調子、高低、表情や身振りをつけ加えて話せばいいのですから。ここのところは前ブログ「片寄純也 テノールコンサート」でもちょっと触れましたね。
とにかく私にとっては朗報でした。
夕方までに小布施に到着すればいいので、小布施の友人と夕食を一緒にして積もる話に花を咲かせる。とするとどこかへ寄り道もできる。
小布施へは20年以上通っているので、流石に寄り道しなくてはいけないスポットが見当たらず、もう一工夫。

東京ステーションギャラリーで「コンラン展」開催中と言うことがわかり「これだ!」私は全く知らない分野でしたが、こんなエピソードがあるのです。
もう10年以上も前になりますが、次男の家に行っている時「ちょっと買い物があるからコンランショップに連れて行ってあげよう」と言われて、東京駅前の丸ビルか新丸ビルかに行きました。
一つ一つのものもシンプルなデザインですっきりしていましたが、フロアー全体が見事に統一が取れていてびっくりしました。家具も小物もみんな同じことを言ってるようでした。フライヤーによればコンランの言葉として「デザインが暮らしを豊かにすること、いつでもこれが私にとって一番大切なことだった」と紹介されていました。

あの時、びっくりしたのはその事実と、コンランの世界を全く知らなかったことそのものです。
私は「負うた子に教えられる」ことが多いです。自分の子供というだけでなく、若い人という意味なのですが、一般論として言ってしまえば、情報をキャッチしようとする姿勢がなければその情報は、流れていってしまうような気がします。
高齢になっていくとき、なるべくなら多くのテーマに対して知らないことを知ろうとする姿勢は大切です。
東京ステーションギャラリーは、開館当時から興味が惹かれていて乗り換えでよく使う駅にも関わらず行きそびれていました。
もちろん一人でもいいのですが、大学時代の友人に声をかけてみました。
「いいわよ。行きます」
これで喜び三重奏。
1。コンランを知る。
2。東京駅ギャラリーの見物。
3。久しぶりの旧友との再会。
コンラン展は前の言葉通り生活空間そのものと密接な関係があるので、コンランデザインの家具、テキスタイルや食器など生活のさまざまな物が展示されていました。写真を撮りたいものばかりでしたが撮影不可。入場券の半券はこんなに可愛いものでした。

一箇所だけ撮影可能なところがありました。
コンラン邸。

コンランの机。

机上のアップ。「簡素の美」と言う日本語が。

コンランはこんな車(ペダルカー)の蒐集家でもあったそうです。検索してわかったことはブガッティと言うイタリア高級車。デザイン性に惹かれたのでしょうね。



東京駅の大規模工事の様子はこの鹿島建設のサイトに詳しく記録されています。
「東京駅丸の内駅舎保存復原工事」

ドームが復原されたこと、ホテルに手が加わり、ギャラリーが新設されたことを、左脳の知識として知っていても、実際に体験してみなくては脳の刺激としては片手落ち。体験が無理なこともたくさんありますが、できることはしたい…と私の前頭葉は訴えます。

東京ステーションギャラリーもレンガ壁をむき出しのままにして効果を狙っている壁面がありました。

レンガ壁のアップ。
ギャラリーの出口は、ドーム型天井の回廊部分でそこは資料館の体裁でした。

展示されていた興味惹かれるものたち。東京駅を設計した辰野金吾博士による有名な十二支レリーフ。東京駅には8枚で、佐賀県の武雄温泉にもう4枚はあるのです。

ブランケット

階段手摺

いつもはドームの下にいると思えば、乗り出してみたくなりました。







ランチは東京駅のお隣KITTE。今まで中から見ていた東京駅丸の内駅舎を外から見ると、明治以降の日本も頑張ってきたなあと先人たちへの感謝の気持ちが湧いてきました。東京駅丸の内駅舎にはそんな魅力がありますね。

2時過ぎの新幹線で長野に出発するまで二人でおしゃべりに花を咲かせて。
花と言えば、朝庭にホトトギスがたくさん咲いていたので少し切って持って行きました。
友人はお母様を去年見送ったので、仏様にお供えしてもらおうと思ったのです。「すぐ花も葉もイキイキしています」と写真を送ってくれました。

友人は、私の仕事の後の予定を聞いていたのでこの本を。彼女は小学校の校長先生でしたから、子供たちの宿泊訓練で何度も日光や東武ワールドスクウェアに行き、この本は先生用のものだとか。重いのにありがとう!
前日ようやく連絡がついて、翌日デートが実現できたと言うちょっと無謀な計画でした。でも楽しく嬉しく満足でした。「やはりやりたいことはやる。会いたい人には会っておく」と言う高校同級生の言葉通りですね。


小布施には、まだギリギリ明るいうちにつきました。

by 高槻絹子

片寄純也 テノールコンサート

2024年11月11日 | 私の右脳ライフ
ちょっと遅ればせの報告になります。
11月9日、斎藤真知子さんプロデュースのラグジュアリー&カジュアルコンサート「心揺さぶるテノール片寄純也さん、ピアノ木下志津子さん」に行きました。
ラグジュアリーはコンサートのなかみ。
カジュアルは会場の親しみやすさ(毎回二公演で、伊東市街地国道沿いのライブレストラン「カリプソ」と、伊豆高原林の中の割烹おーべるじゅ「木瓜」)と思っています。
片寄純也さんがどんな人なのか、今春の二期会の公演詳報を貼っておきます。
あの感動をここでどう伝えようかと思う時、いくつかの言葉が思い浮かび、そしてその度に「うーん、ちょっと違う」と逡巡してしまいます。
聴き手のためでしょう。「椰子の実」と「宵待草」と言う馴染みのある日本の歌が幕開け曲に選ばれていました。
「えっ。涙が出ている」
音楽そのものの凄さは、音楽を聴いて体験してもらうしかないと、言うことは、脳機能からいってもある程度は仕方のないことです。
それにしても、メロディに浸る前にその声の迫力に圧倒されます。
そしてピアノが支えると言うのでもなく、とにかく一体になってその場を作り上げている、そんな気がしました。

言語は左脳、音楽は右脳と言うことはよく耳にされると思います。よく考えてみれば、音楽は右脳と単純には言い切れません。
メロディは間違いなく右脳的な処理で理解すると思いますが、リズムはむしろ左脳、そして今回のように歌曲であれば言葉の理解も当然左脳。
ただその言葉に感情を乗せたり、微妙なニュアンスを付け加えるのは右脳が主役と考えていいと思います。
興味深いお話を聞きました。
日本語、イタリア語、ドイツ語で発声法が違う。そこまではわかる気がします。発声法が違うことで、歌いやすい歌がある。各言葉がもともと持っている感情みたいなもののことをおっしゃっているのかしらと聞きました。

こんなことはどうでもいいですね。ワーグナーを歌うために、体を大きくしたとも言われていました。
声楽家は、身体が楽器と言うこともよく聞きますが、確かに喉から声だけ出ているのではない。丸いたまが連なって跳ねながら飛び込んでくる。
とにかく圧倒されたと言うことだけを記録しておきたいと思います。

奥さまが司会をされました。





「声が素晴らしくて結婚しましたが、ほんとにいい声です。いつもは大きな会場の後ろの方で聞きますが今日はこんなに近くて…感動しています」涙が浮かんだことも私の席からはよくみえました。優れた肉声、鍛えられた肉声の持つ力ですね。

木下志寿子さんも紹介しておきたいと思って検索したら、こんな素敵なページを見つけました。
初めて聞いたコンペティトールという解説もよくわかりますから読んでみてください。
曲の終わりに、片寄さんは木下さんに、木下さんは片寄さんに、讃え合いの拍手を贈り合います。
木下さんの拍手は「とてもよかったですねえ」と言っているように感じたのはコレペティトールのお仕事を知ったからでしょうか?
木下さんとは同窓ということで、勝手に親近感を持っています。
また伊東にいらっしゃってくださいね。
素晴らしいコンサートをありがとうございました。
会場のカリプソ





by  高槻絹子




糸島便りー喜寿同窓会に引き続き

2024年11月06日 | 私の右脳ライフ
「山内恵介って知ってる?糸島の出身なんだよ」
誰にとっても故郷は特別な場所。今回はその思いをひとしお感じた旅でした。
(確認したら再生ができません。画面下部左端の「coverひろし」ならどんな歌かわかります。そして晴れの日の糸島巡りができます。2024年9月25日リリースですって)
糸島富士

九州入りして3日目。
入院中の友人のお見舞いを予定していましたが、コロナのせいで「お見舞いは家族だけ。10分間」と言う厳しい規則のため、あえなく消滅…
北九州市戸畑区と言う地方の町で育ったので、小、中、高校が同窓という友人がいます。お見舞いに行きたかった友もそういう繋がりの友人でした。
「捨てる神あらば拾う神あり」で、その仲間が「今注目されてる糸島へ連れていっちゃる(連れていってあげる)」と言ってくれました。
糸島市のイメージキャラクターいとゴン

楽しみにしていたのに、11月にしたら記録的と言われるほどの大雨予報。でも誰からも計画変更の言葉が出てこないところが北九州気質なのでしょうか。
雨中のドライブ。「ほらあれが福岡ドーム!」

「野球と言えば西鉄ライオンズ。ホークスなら南海ホークス」と声には出さずに、長い年月を噛みしめていました。
高速から見える右前方のきれいな山を「あれが可也山(カヤサン)別名糸島富士」と運転しながら古澤さんが教えてくれました。古澤さんは中学校の同級生。一緒に生徒会をやったような気がするのですが。
「天気が良ければねえ…」と言いながらも「一応、糸島観光王道の芥屋の大門(ケヤノオオト)と二見ヶ浦は外せないなあ」と友人二人が話してくれています。
私は雨が降っていても車から降りて近付きたいタイプですが、あまりの雨に言い出せないと思っていたら、「ちょっと行ってみようか」と言ってくれるではありませんか!雨の中本当にありがとうございました。

芥屋の大門は日本最大の玄武岩洞。天気が良ければ観光船で中に入れるとか。柱状節理は伊豆のものとは少し違います。
せっかくの景勝地ですから、看板をあげておきましょう。綺麗ですね!天気だとこの先の展望台からの景色もこんなにすてきです。途中はトトロの森といわれてるんですって。

海岸に近づいたり離れたりしてドライブを続けて次のスポット、二見ヶ浦に到着。
ここも言うまでもなく大雨(笑)なので駐車場からパチリ。「いつもだと駐車場に入るのに待つくらいだよ」雨でいいこともあります。

帰ってからちょっと復習をしてみたら、伊勢の二見ヶ浦は朝日をのぞみ、糸島の桜井二見ヶ浦は夕日のスポット。白い鳥居も神々しいものでした。
実は希望を一つ伝えてみたのです。
伊都国歴史博物館に行ってみたいのだけど…」
幸いというか雨だったので、むしろ喜んでいってみようと言うことになりました。きっと意味があると思うのですが、巨石を配した旧館玄関。何が展示されているかと期待が高まります。

ちょうど、伊都国歴史博物館開館20周年記念の「吉備と伊都国 巨大墳丘墓と大鏡」展が開催されていて、早くから開けた両所ですが、その歩み方の違いなどを知るようにという説明から始まりました。
吉備の王墓である楯築墳丘墓 の出土品がたくさん展示されていました。
立派な銅鐸

デザイン性のある分銅型土製品

伊都国は朝鮮半島からの入り口であり、瀬戸内海の真ん中に位置する吉備は交通の要衝だったということはすぐにわかります。




常設展に移動するところに、素朴な展示がありました。ほんとにこの程度の船で移動したのでしょうか?あの玄界灘を?

常設展。伊都国

平原遺跡の鏡などの出土状況を再現した原寸大の模型が展示室の真ん中にありました。

その前にビデオで伊都国の成り立ちを学べるようになっています。私たち3人並んで勉強しました。





そして圧巻の銅鏡群。全部国宝!












装身具のような細かいものの展示もありましたが、こんな大きいものも。三雲南大路墳丘墓の棺は当時としては最大級だったとか。伊都国が発展していた別の証拠でしょう。

「見応えがあったね」と言い合って出口に進むところで雨が上がって靄がかかっているようなちょっと幻想的な景色が飛び込んできました。手前の農業用ハウスは意識に上らなかったのです。
糸島市街の山はみな低いのですが、西側には背振山系が広がって、その向こうには吉野ヶ里遺跡がある!北部九州はいち早く開けたところに間違いありません。

先ほどみた伊都国展示場の模型をみても、住みやすさが実感されます。

ランチについては、小学校からのクラスメート藤吉さんが「角屋食堂にしよう」と提案してくれていました。勿論なんの異存もありません。
よほど美味しい玄界灘の魚でもいただけるのかと思っていたら「いやあ。普通の駅前食堂。昭和の香りがぷんぷんすると思うよ。NHKの『おむすび』でおじいさんをやっている松平健がこの食堂で食事をするシーンを撮ったんだよ」こういうノリが大好き。私も負けず劣らずのミーハーですから。

店横の看板には、唐津街道前原宿の文字が。
店内は確かに昭和!

この裏側が撮影場所だったと店員さんが教えてくれました。

チャンポンをいただきました。

我が家ではごくごく普通の夕食に作られていました。その母の味を思い出しながら美味しくいただきました。
雨中とは言え充実した旅の道連れお二人。

「すぐそこだからちょっと唐津街道見てみよう」と誘ってくれて、傘をさして唐津街道までちょっと歩きました。何度も言いますが、私はこう言う旅が好き。

雨は降ったのですが、それすら思い出を深めてくれたような気がします。
筑前前原(ちくぜんまえばる)駅まで送ってくれて、三者が三様に別れました。
「今度はいつ会えるかなあ…元気でいましょうね」
空港行きの地下鉄が乗り入れていて、乗り換えなしで福岡空港へ直行です。

どこか九州らしい車内。先日東京で副都心線に乗った時、車両間のドアがガラスで驚きましたがこの車両もガラスでした。

藤吉さんが「戸畑高校の記事が出てるから」と渡してくれた新聞を見たり、雨中の写真を眺めているうちに無事に空港到着。

もちろん家にも無事につきました。が、その翌日は九州の大雨がどんどん東に移動して山陽新幹線や東海道新幹線が運休してしまうと言うニュースが飛び込んできました。確かに記録的な大雨だったんですね!
それにしたら上手に遊びました。
ドライバーを引き受けてくださった古澤さん。 
「お天気が良かったらお寺にも白糸の滝にも連れて行って…」と思ってくれているのがよくわかりました。ありがとうございました。そして雨の中の運転お疲れさまでした。また!

北九州便り-火野葦平旧居

2024年11月02日 | 私の右脳ライフ
久しぶりの故郷で、ちょっとした要件がありました。残りの時間は遊んでくれるという同級生八丁さんからのありがたいお話で「お任せします」と甘えることにしました。
1。火野葦平の旧居は隠れたスポットだからぜひ!
2。前回の帰省の時、皿倉山に登って洞海湾を見せたけど、あの逆、若松側から南側を見なくっちゃあ片手落ち。

要件を片付けるために戸畑区内を車で回ってくれましたが「え〜ここなの?」とか「どう考えても逆な気がする」など連発しながら要件終了。
「若松に行くのに、渡し船に乗りたくない?」
「もちろん乗りたいけど。自転車しか乗せてもらえないでしょう?」
「大丈夫。若戸大橋で行ってピックアップするから」
運賃は市内の人は50円。私たちは100円。乗船時間は3分と聞きました。

びっくりしたことに多分船長さんは若い女性。戸畑側の渡船場に着船した方向から動き始めた途端に180度回転して舳先を若松側へ変えてしまいます。そして若松の渡船場に着くまで3分。きっと操船には技術を要すると思います。頑張ってくださいね。
赤い若戸大橋と船を写真に同時に収めるのは、難しかったのです。

戸畑側には日本水産、若松側には上野海運というクラッシックな建物があり、往時の繁栄が偲ばれました。
船着場から歩いても行けるところに、河伯洞(河伯はカッパの意)と名付けられた火野葦平旧居はありました。
街並みがちょっとオシャレでどこか共通項を感じるものがありました。後で聞いた話ですが、この一帯は、八幡製鉄を支える、筑豊の石炭の運搬や鉄鉱石の輸入、もちろん輸出や輸送でしょうか。とにかく大きな富を築いた人たちのいわばお屋敷街だったそうです。

門構えにも風格がありましたが玄関を入ってびっくりしました。

一枚板を横遣いにした廊下、庭に向かう梁は屋久杉の一本材で4間か5間もあるものです。
直ぐに「案内しましょうか」と係の藤本さん登場。

廊下から手入れのされた庭も素敵。ちょうどマユハケオモトが開き始めていました。
「あら。マユハケオモトが!」とつい声に出てしまったら、説明してくださっていた藤本さんが「茎が平べったいところから厚みが出てきて、蕾もふくらんでくるのですよ」
さあ、そこから楽しい説明が始まりました。
「火野葦平はこの庭で動物を飼いました。ゾウ、キリン、ライオンのどれでしょう?」
「ゾウは大きすぎるし、キリンは背が高すぎる。ライオンしかない…」
「大当たり!ライオンといっても大阪のキグレサーカスで生まれたライオンの赤ちゃんだったのでネコみたいなものでしょう?家族みんなで可愛がったようですよ。葦平が亡くなった後に死んでしまったらしい…」
「だいたい1,000円で家が建つと言われた時代に11,450円かけたそうです。葦平の印税を使ってお父さんが作ったのです」
さあ、お座敷に入ります。
しめ縄が張られた床の間。床柱もいわれがありそうだし書院の壁も見事なものと見ていると、詳しい説明が始まりました。

「床柱は鉄刀木と書いてタガヤサン。とても読めませんがなぜこういう当て字なん
でしょうね。黒檀、紫檀と並ぶ三大唐木の一つ。とにかく硬くて重くて水に沈むそうですよ」
帰宅後検索してみたらいろいろ発見がありました。
Wikipediaを貼っておきます。
タガヤサン

南方特産ですがなんと蛇結茨(ジャケツイバラ)の仲間だということがわかりました。ここ伊豆でも目を凝らせばみつけることができるジャケツイバラ!
今年5月に書いたブログ記事のはじめに近所に咲いた蛇結茨の写真を載せていますので、興味ある方はご覧ください。
「2040年に認知症高齢者は584万人に」

名前の由来は「フィリピン語のtambulianが変化したもの」らしいです。

書院の袖壁も見事な細工でした。
藤本さんが「欄間を見てください。黒柿と言って柿渋が固まって景色を作るんですね。それを生かしながら木工品をプラスして作った欄間です」
上から、刀、兜、河童、富士山。

葦平のお父さんは刀が好きだったらしく、下の写真の真ん中にある箪笥の中身は全て日本刀だったというお話もありました。

箪笥の引き手。
この箪笥の側面に発見。奥に床の間が見えます。


奥の間にはアイアンアートの展示がありました。
北九州は鉄の都なのです。
トイレもお風呂も意匠を凝らしたものでした。天井に注目!


いよいよ書斎。



葦平は1960年、この書斎で自死…
戦中に大ヒットした兵隊三部作などもかえって深い傷になっていたのでしょうか?
玄関脇のお部屋は、前列右から二人目、葦平(後列左端)の妹さんの子である、あの中村哲さんのコーナーでした。

個性的な玉井家の人々。左端ヒゲの男性が父、玉井金五郎。その右は、不本意ながら大学を中退して故郷に帰らされ事業を継ぐように言われた頃の葦平。

下の写真は、九州の文壇人を招いた宴席の記念写真だそうです。
自死を選ぶような一面と九州の文壇をひとまとめにするような豪放さが葦平にはあったと思いました。

一方で、庭の河童と遊ぶのも日課だったとか。


私たちの戸畑高校校歌と応援歌は、こんな火野葦平さんが作ってくださったのです。


最後の最後に、玄関の上り框の亀の細工に驚かされました。
藤本さん 小松さん 
長い時間、楽しませていただいてありがとうございました。

それから、もう一つの目的遂行に。
「高塔山展望台から皿倉山を見る」





洞海湾には小さい入江や岬がたくさんあってびっくりしました。
山頂には釘を打たれたお地蔵さまが安置されていました。悪戯をするカッパを封じるためにお地蔵さまに釘が刺さっている間は、悪戯をしないという約束を取り付けたという伝説があるそうです。実は河伯洞のアイアンアートの作品の中に全く同じテーマの作品がありました。葦平はこの伝説を「石と釘」という作品にしたそうです。



若松を堪能して、若戸大橋を渡って、戸畑へ帰りました。
八丁さん。素敵なアイディアのミニトリップありがとうございました。今度はいつご案内いただけるでしょうね〜
どうぞ体を大切に楽しくお過ごしください!

by 高槻絹子




















北九州便りー喜寿同窓会

2024年10月31日 | 私の右脳ライフ
戸畑高校18回生の喜寿同窓会がありました。
古希同窓会は90数名の参加者だったのです。あれから7年。卒業後ほとんど60年。
幹事さんたちはハラハラしたようですが、蓋を開けると予定参加者73人という、嬉しい想定外が起きてしまいました。私を含め健康でないと参加できないと、まずは感謝の気持ちが湧き上がってきました。
今回お世話していただいた幹事団の代表として石田さんのご挨拶から会は幕を開けました。垂れ幕は例年通り幕田さんの作品です。
あちらこちらで、お話が盛り上がりいいムード!
喜寿同窓会に参加する人たちは、皆さん生活を楽しんでいます。
幹事の皆さんを筆頭に、民生委員とかボランティア活動とか。頷ける生活ぶりです。
「卓球にはまってるの。夫と一緒に週4回」とT中さん。
「息子一家と2週間フランスに行って帰ったばかり。この歳でね〜」と笑っていたのはO田さん。
「隣に娘一家がいてね。孫の塾の送迎を任されてる」と話してくれたN井さんは、ご主人を見送った寂しさをしみじみと語ってくれました。でもちゃんと役割を見つけて前向きに生きてくれてます。だってこの同窓会に出席してくれたんですものね!
国際的に活躍している幕田さんが、じゃんけん勝ち抜き組への景品をその場で三枚も揮毫してくれました。写真はその「龍」「和」「楽」のうちの「楽」

また、船越さんはお仲間とライブ演奏を。BGMに懐かしい曲が流れました。つい口ずさんでいる私に選曲の妙を教えてくれましたね!ありがとうございました。

お決まり、応援団演舞も。
校歌や応援歌の合唱も、胸に迫ってくるものがありました。
この二つの曲は火野葦平作詞、小関裕司作曲。
当時売れっ子だったお二人に依頼した経緯はわかりませんが、作詞は精魂込めて作ってくださったと聞きました。



二次会にも参加して、名残を惜しみました。
おしゃれなライブハウスです。

駅前ビルの最上階にあって、屋上を取り込んだおしゃれなお店でした。

一次会と言い、この二次会といい本当に幹事の皆さんありがとうございました。
2024年10月30日の小倉の夜景は、いつまでも心に点り続けると思います。




写真を担当してくださった萩さんにスペシャルサンクスを。
FBの「戸畑高校18回生の会」のカバー写真も古希から喜寿集合写真に早速変更完了。
たくさんの写真をFB「戸畑高校18回生の会」にあげてくださって!200枚くらいもあったでしょうか?スナップ写真のみんながイキイキと表情豊かに写っていて、どの写真もここに転載したいくらいですが、昨今は色々厳しいので…
一枚だけ使わせてくださいね。
21歳年下の39回生のT田さんが会場に待っていてくれました。T田さんとの心温まる交流もなかなか得難いご縁だと思います。
「夏の挑戦ー負うた子と遊ぶ」
夏の挑戦③ー負うた子と遊ぶ - 脳機能からみた認知症

夏の挑戦③ー負うた子と遊ぶ - 脳機能からみた認知症

北九州市の戸畑高校天籟同窓会関東支部の会長をした時に、本部同窓会事務局をやってくださっていてお近づきになったT田T子さんとは21歳の歳の差を物ともせず、ずっと付き合...

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「おしゃべりしたくなるので、メールも控えてました。サプライズプレゼントにしたかったので」と持ってきてくれたのは、紫入りのバンダ(蘭)のコサージュ。すぐに胸につけてしまったので写真がないのですが、萩さんが各テーブルを回って撮ってくださった中に見つけました。
二人に感謝を込めて、恥ずかしながら。

by 高槻絹子

















10月の右脳訓練ー石川雲蝶
10月の右脳訓練1ー石川雲蝶 - 脳機能からみた認知症

10月の右脳訓練1ー石川雲蝶 - 脳機能からみた認知症

10月には十日町での仕事がありました。朝6時過ぎに家を出て、熱海、東京で新幹線に乗り換えると越後湯沢駅に9時半に着きます。レンタカーを予約しておいて、念願の越後のミ...

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左脳の働きを失くして、右脳で感じる世界の話ージル・ボルト・テーラーさん(再掲)

2024年10月29日 | エイジングライフ研究所から
昨日新しい友人ができました。音楽家ですから右脳の話で盛り上がりジル・ボルト・テイラーさんの話になりました。
以前に書いたブログがあるとお話しましたから今朝チェックしてみたら、「脳科学者ジル・ボルト・テイラー博士の右脳ワールド」として動画から始めていた記事の動画が、再生不能になっていましたので再挑戦しました。
(クリックしてみてください動画が開きます)

以下はもともとの2016年8月の投稿です.
「右脳と左脳は得意分野が違うーその2」としてMinoru  Hanzaさんのことをブログに書いたのは、6月のことでした。そのMinoru Hanzaさんとフェイスブックともだちになったのですが、さっそくユーチューブを記事にアップしてくださいました。
私はこの「奇跡の脳」は読んでいたのですが、この20分足らずの本人が語る左脳障害の実態に圧倒されました。
いや、訂正が必要です。
左脳障害(失語症)は、様々な左脳障害の方にお会いしていますから、私にとって障害をいくつかのパタンに分けて理解することはそんなに難しいことではありません。むしろ、障害を受けた左脳を、細かく分析的に理解していくという姿勢で仕事をしてきました。
もちろん、左脳は障害があるけれども、右脳の例えば、図形の認知力、構成力、音楽関係の能力、対人関係を円滑に保つ能力をはじめとして、パズルやゲーム、たとえ右手にマヒが残っていてもさまざまな創作活動など、「できること」を実感してもらいながら脳リハビリを指導していくことは、私にとって、左脳訓練にもまして大切な仕事でした。
生活していくときには、そのようなこまごまとした「できる・できない」という観点はたしかに重要です。ですが、それは皮相的なこと。
カラスウリ満開。朝までにはしぼんでしまう…

左脳がうまく機能できなくなった時、つまり右脳で自分や自分の周囲を「わかる」ということはどういうことなのかを、右脳で生きるということはどういうことなのかを、これほど生々しく教えてもらった経験はありませんでした。私はびっくりしながら動画を見ていました。
「右脳は現在を感じ、左脳は過去と未来を考える」まではまだ想像できますが、「宇宙とつながるとか、歓喜に包まれるとか…」になると、考えたこともありませんでした。
カラスウリ今から開花

私のブログの右欄にあるカテゴリー「右脳の働き」にはいろいろな側面から右脳の大切さを書いてきたつもりです。深さが全く違いますが少し紹介しておきます。
結婚記念日―左脳と右脳のせめぎあい
月下美人も一夜花
 
本は読んでいたのです。
活字で読んだときの理解できた内容と、本人が語る中で理解していく内容の、その質の違いにも触れないわけにはいかないでしょう。
ことばで書かれたものは、読者が文字を読み、文章を理解することで 、著者の伝えたい内容を受け取っていくわけですね。
一方、話すという作業も、同じようにことばを使います。
ただし、語る人は、前頭葉と右脳が連携プレイしながら、できるだけ自分の伝えたいことが伝わるように声の抑揚、高低、大小と左脳が選択した言葉や文章を色づけていきます。このことばを彩っている語り手の右脳の思いを、聞き手は、自分の右脳を駆使してわかっていこうとするのです。
このビデオを見てもわかるように、「声」だけでなく、 表情や、体の動きからだって、訴えたいことが強調されて伝わってくるでしょう。
ことばを選択してくるという過程は左脳が機能しなければできませんから、大きく左脳障害を受けてしまった人は、言葉なしのコミュニケーションしかできません。肯くとか、首を振るとか、うれしい表情、悲しい表情、困った表情など表情で表しますね。
それから昔から言われる言葉があります。「目は口ほどにものを言い」。

学生時代に教わったことを思い出します。
人間だけが持っている言語という高等な機能は、左脳が繰るということから、左脳を「優位脳」といい、右脳を「劣位脳」という表現でした。
左脳は、デジタルな情報処理をしますから、小学校の教科で言えば、国語、算数、理科、社会のように言葉で能力が測りやすい教科の担当になります。
それに対して右脳は、音楽、図画工作、体育などのようなアナログ情報をもとにした教科を支えます。
日本の社会は、学歴主義がまかり通ってきましたから(昨今は少しは変化してきたようですが)入試に有利な左脳教科を重視してきたことは否めないでしょう。
ホラ、ここからも左脳が優位脳という考え方が社会にしみわたっているといえますね。
「左脳は仕事や勉強、右脳は趣味、遊び、人付き合い。よく遊びよく学べの遊ぶのは右脳、学ぶのは左脳」などと講演では説明しています。

昔のように定年退職したらそろそろ人生のお迎えも来るような時代から、90歳代も珍しくないような長く生きる時代になりました。脳の機能を持たせようと思ったらどうしても右脳に働いてもらわなくてはいけないのです。
むしろ、第2の人生に入ったら、仕事の左脳よりは遊びの右脳の方がはるかに大切な働きをしていきます。右脳が豊かな人たちがどんなに人生を豊かに楽しく生きているかは、周りを見渡せばいくらでも見つけることができるはずです。
今回のジル・ボルティ・テーラーさんの動画から、もっと根源的な働きを右脳は担っていることもわかりました。右脳を劣位脳というような考え方は、文字通り過去のものにしなくてはいけません。
ここまで書いて、もう一言。
ジル・ボルティ・テイラーさんの右脳に対する解説には本当に感動したのですが、右脳や左脳を駆使する脳の司令塔である「前頭葉」に対する言及がない・・・残念です。

by 高槻絹子

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