たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

骨折してもPCR検査

2022年09月25日 01時57分19秒 | 日記

 1994年9月に妹が家で自死したあと藁にすがる思いでお会いしたカウンセラーさんが自宅で転倒して大腿骨を骨折、月曜日に手術されることになりました。80代、コロナワクチン3回接種済(4回目はやめたほうがいいと何度かお伝えしましたがわかりません)。救急車で運ばれて、PCR検査で陽性となったので入院できたそうです。娘さんもお孫さんも病室に入ることはできず、全て看護師経由で連絡するようにといわれているそうです。お孫さんはコロナワクチン非接種、同級生が接種後の副作用に苦しんでいるのをみて接種しないと決めたそうです。このまま接種しないよう伝えてくださいとお伝えしています。わたしがこちらにまた暮らすようになってもコロナコロナコロナで結局お会いしないまま時が過ぎています。コロナコロナコロナから、ワクチンワクチンワクチンになってしまいました。骨折なので電話の声はお元気そうですがもうお会いすることはないままになるかもしれません。

 陽性判定≒コロナ感染、コロナだけを特別こわいものとして扱うこんなおかしな社会はいつまで続くのでしょうか。わたしの、直接命に関わらない整形外科の手術先送りは100歩譲ってのむとしても、わたしたちがこのままコロナ煽りにのっていつまでもコロナこわいこわい、コロナだから仕方ない、コロナだから仕方ないを続けることは結局自分たちの首をしめ続けていることになるのではないでしょうか。無料のPCR検査、ワクチン、3回接種or陰性証明が必要な〇〇割キャンペーンも結局自分たちで自分たちを食っているにすぎないと思います。増税、社会保険料増額、年金減額という請求書があとからやってくるでしょう。すでに何十兆円というお金が使途不明のまま湯水のごとく流れているというのに、次世代へのツケがどんどんどんどん増えるばかり。

 国のトップであるはずの検討使はたぶん出世したかったにすぎません。出世したら到底その器ではなく空っぽで、あとはひたすら支持率を気にしながら保身に走っているだけ、どこかの大きな会社などでみてきたような、自分のことしか頭にない管理職と同じにしか見えません。検討使の玉音放送を待っていてもおそらく玉音放送する決断はできないでしょう。だったらこのコロナ騒動を終わらせるには、わたしたちがこの騒動のおかしさに気づいて、意識をかえていくしかないと思います。PCR検査を受けない、ワクチンを打たない、マスクをできるだけ外す、未来ある子どもたちを守るためにも・・・。

 ワクチン3回目を接種しない方がいいと半年ほどLineで繰り返し伝えたことにより、おそらく20数年来の友人をひとり失いました。今年の春一浪の末希望の大学に合格した息子もいるので接種してほしくないと思いましたがおそらく伝わっていません。賢明な人だと思っていましたが盲信してしまっていて、弟も自分の母親も義理の母親も癌で失くしている女性ですが、コロナで毎日人が亡くなることに驚いていました。信じられませんでした。10数年前から髪を切ってもらっている美容師さんは2回目を接種したあとの副作用がきつかったのでもう接種しないと話しています。いとこの中に非接種の人がいるそうですが、友人だった人と会う時もうお互い腹のさぐりあいになっているそうです。

 


ワクチンを2か月ごとにアップデート?

2022年09月24日 18時20分30秒 | 気になるニュースあれこれ
https://twitter.com/CDCDirector/status/1573023308949458945より、

「Today, I received my updated #COVID19 vaccine!

Laboratory data suggest these updated vaccines provide increased protection against currently circulating variants. If you received your last COVID-19 vaccine >2 mo. ago, I encourage you to join me & get your updated vaccine now.」

遠くない将来、定期的に自動更新通知が届いてアップデートしないとシャットダウンさせてもらいない日がやってくるのかもしれません。

健康な子どもへのコロナワクチン接種はきわめて慎重に判断を-泉大津市長メッセージ

2022年09月24日 00時08分07秒 | 気になるニュースあれこれ
2022年9月22日
新型コロナウイルスに関する市長メッセージ

泉大津市秘書広報課YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=4e9VdB_w2oM


【メッセージ概要】

5~11歳のワクチン接種について、努力義務が適用されましたが、強制ではなく任意です。これまでも情報発信をしてきましたが、引き続き厚生労働省が示す資料等を基に、重症化率や死亡率、副反応のリスクなどについての情報発信を行っていきますので、接種の際の判断材料としてください。

1. ワクチンの効果について
・短期での有効性はあるとされていますが、中長期における健康上の安全性は分かっていない状況です。

2. 新型コロナウイルスの重症化率と死亡率について
・新型コロナウイルスは、季節性インフルエンザと比較して、若年層の重症化率・死亡率ともに低い状況です。(参照:厚生労働省国内発生動向令和4年8月30日発表資料、第74回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード資料)

3. ワクチン接種による副反応リスクについて
・令和4年9月2日開催の「第83回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会資料ワクチン副反応疑い報告」に基づいて説明
・市で実施しているオンライン相談や後遺症改善プログラムなどに参加された人の事例を紹介

まとめ
・現場で、接種後のさまざま症状を見てきたからこそ、ワクチン接種については極めて慎重な判断が必要と感じています。
・接種後の中長期にわたる副反応者へのフォローアップの取り組みを行政として重要と考えています。
・今後、市では一定の条件のもと、ワクチン接種後の副反応などで健康被害を生じた場合の医療費の一部を補助し、フォローアップを行っていきます。
・ワクチン接種についての判断材料が乏しいため、引き続き参考となる情報発信を続けていきます。
・自分でもあらゆる情報を調べて、慎重に判断していただきたいと思います。
・なお、引き続き5~11歳の方に案内ハガキをお送りし、ワクチン接種を希望する人には、接種券を発送します。

#撮影時のみマスクを外しています#撮影時だけマスク外してます

2022年09月23日 20時23分47秒 | 日記
#撮影時のみマスクを外しています
#撮影時だけマスク外してます

このハッシュタグ、もう終わりにしませんか、

未来ある子どもたちのために・・・。



「マスク世代の子ども」に知能低下リスク?専門家が考える対策とは

2022年09月23日 11時16分50秒 | 気になるニュースあれこれ
2021年10月25日
DIAMOND onlinrより、
https://diamond.jp/articles/-/284634


「-顔が見えないことによる赤ちゃんの学びの危機-

「コロナ禍で、今までと異なる生活環境で日々成長していく子どもたちの脳には、今後さまざまな変化が起きてくる可能性は否定できません」

 そう警鐘を鳴らすのは、京都大学大学院で人間の脳と心の発達について研究している明和政子教授だ。

 今年8月、ブラウン大学の研究チームが米東部ロードアイランド州で行った調査によると、新型コロナ拡大後に生まれた幼児は、それ以前に生まれた幼児よりも、知能指数(IQ)が顕著に低下しているという。

 明和教授は、さらなる検証が必要だと慎重に結果を受け止めつつも、「子どもたちが喜怒哀楽といった感情を学ぶ機会が急激に減っているのは確かだ」と危機感をあらわにする。

 私たちは、相手の多様な表情やしぐさを見て、また、自分でもそれをやってみることによって感情を理解するようになる。特に乳児期は、喜怒哀楽といったさまざまな表情から感情を理解する能力を身につける重要な時期にあたる。

 「何も考えずに、口角を上げて笑顔をつくってみてください。不思議なことに、楽しいから笑ったわけではないのに、いつのまにか自然と楽しい感情がわきたちます。体の反応がまず起こって、それから感情があとで意味づけされるのです。赤ちゃんが感情表現を学ぶのも同じです。まずは周りの大人の“笑う”という行為をまねする。そのタイミングで、大人から抱っこしてもらったり、声をかけてもらったりと“気持ちいい”経験を積み重ねていくことで、“笑顔”=“楽しい”という結びつきが起こり、感情が理解されるのです」

 赤ちゃんが表情を学ぶこの時期に、たとえばネグレクトや身体的苦痛を受けるなど大人から適切に応答してもらえない環境で育つと、“笑顔”が“楽しい”感情と結びつかなくなる可能性もある。赤ちゃんにとっては、周りの人の表情をまねながら感情を相手と共有していく経験が何より重要なのだ。

「誰もがマスクをしている今、子どもたちは“まねる”対象としての“顔”を経験する機会が減っています。マスク生活が今後いっそう日常化すると、パンデミック以前に育った世代が当たり前のように身につけてきた喜怒哀楽を理解すること、相手と感情を共有することが難しくなる可能性は否定できません」



-他者を思いやる力の未熟な就学期や思春期における影響-

 マスクで表情が見えないことは就学期の児童にも影響している。脳の“前頭前野”がいまだ未発達な段階にあるこの時期の子どもたちは、マスクをした相手の気持ちを察することに難しさを感じているようだ。

「マスクで相手の表情が見えないことが、コミュニケーションの障壁となっています。いざこざが起こったとき、相手に『ごめんね』と謝っても、マスクをしているので相手にその思いが十分伝わらず、トラブルが悪化してしまう場面も増えているようです。その背景には、脳の未成熟さがあります。文脈に応じて、今何をすべきかをイメージ・推論したり、感情を意識的に抑えたりする役割を果たす“前頭前野”とよばれる脳部位があります。前頭前野の成熟までには25年かかる。つまり、就学期や思春期のお子さんは前頭前野がいまだ成熟していないのです」

 たとえば、目の前に悲しんでいる人がいたら、自分にとってうれしくてたまらないことがあったとしても、相手を気遣って笑顔を隠そうとするだろう。これは、前頭前野の働きによって、自分とは異なる相手の心を推測し、自分の感情を抑制して行動をコントロールしているのだ。

 しかし、前頭前野の発達がいまだ未熟な段階にある子どもたちにとって、相手の気持ちを考えて自分の欲望を我慢するのは、もともと容易なことではない。

「今の子どもたちは、SNSなどサイバー空間でコミュニケーションする機会が多くなっています。コロナ禍は、それをさらに後押ししました。サイバー空間でのコミュニケーションが主流になると、相手の痛みなどに共感する力が低下していくかもしれません。なぜなら、体を使って相手と行動を共有する経験は、サイバー空間ではたいへん限られてしまうからです。友達が指を切って血を流しているのを見たとき、私たちは、思わず自分の手も痛いように感じます。これは、自分も過去に同じ経験をしたことがあるからです。痛かった経験が目の前の相手の行動と鏡のように重なる脳の反応が起こり、無意識に自分のことのように感じてしまうのです。フィジカル(物理)空間では、子どもたちは相手と体を介して直接コミュニケーションする経験が豊かに得られます。しかし、サイバー空間でのやりとりではそうした経験を得ることは難しくなります」

コロナが流行する以前であれば、子どもたちは友人と体をくっつけ合いながら思いっきり遊んでいたはずだ。

「そうした“楽しい”感覚や経験が記憶として脳内に残っています。しかし、この1年で、『給食は黙って食べよう』『友達と密にならない』といったルールが求められるようになった。密や接触に楽しい記憶もつ子どもたちにとって、それを我慢しなければならないストレスはかなり大きいはずです」




-長引くマスク生活で子どもたちにしてあげられること-

 では、長引くマスク生活で、これまでとは異なる環境で育っていく子どもたちに対して、周囲の大人はどのようなことを意識すればいいのだろうか。

 「ご家庭でお子さんと対面して豊かな表情を共有する、体を触れ合わせる時間をなにより大切にしてください。家族内では、マスクをはずしておられる、密をさけずにいることが多いと思います。家族全員で協力して、たくさんの表情を見せて、体を使ったコミュニケーションを子どもたちに提供していきましょう。家庭内で、お子さんの学びの機会を増やし、脳の発達を支える試みです。5分でも10分でも長く、子どもたちとフィジカル空間で触れ合ってください」

 スマホやテレビなどでもさまざまな人の顔を見せることはできるが、幼い赤ちゃんにとっては、画面越しに表情を見るだけでは学習の効果はあまり期待できないという。顔を見るという体験に、“楽しい・うれしい”という感覚が体を通して結びつかない限り、相手の感情を理解することにはつながらない。

「『マスクをしていても目でコミュニケーションはできる』と主張する人もいますが、それは既に完成された脳を持っている大人にとっての話です。これから多くの感情や人との付き合い方を体の反応、経験を通して学んでいく子どもたちにとっては、目だけでコミュニケーションすることはきわめて難しいのです。保育、教育現場など、感染対策との両立を図りながら学びの機会を提供していくことが求められる場合は、たとえば表情が見えやすい透明なマスクを使うことなども有効かもしれません。ただし、家庭内で対面でのコミュニケーションがしっかりできていれば、過度に不安に思われる必要はないと考えています」

 現代の子どもたちは、激変する環境のなかでどのように脳を発達させ、育っていくのだろうか。マスク生活は、子どもにとっては大人以上に感情を理解・表現したり、コミュニケーションしたりすることが難しいという事実をしっかりと認識したうえで、「子どもにとって必要な」新たな生活様式を考えていくべきである。」

『土』より-7

2022年09月22日 00時45分50秒 | 本あれこれ




「勘次は自分の壁ぎわには薪がいっぱいつまれてある。その上に開墾の仕事に携わってなんといっても薪はだんだんふえて行くばかりである。さらにその開墾に第一の要件である道具が今は完全して自分の手に提(さ)げられてある。彼はこういう辛苦をしてまで些少な木片を求めている人々の前にほこりを感じた。彼は自分の境遇がどんなであるかは思わなかった。またこういう人々の哀れなことも思いやる暇(いとま)がなかった。そうして彼は自分の技量(うで)が愉快になった。彼は再び土手から見おろした。万能を持っているのは皆女で十三四の子も交じっているのであった。人々の掘り起こした跡は畑の土を」
みみずがもたげたような形に、湿った砂のうねうねと連なっているのが彼の目に映った。

 彼は家に帰るとともに唐鍬の柄を付けた。鉈(なた)の刀背(みね)で鉄の楔(くさび)を打ち込んでそうして柄を執って動かしてみた。次の朝からもう勘次の姿は林に見いだされた。

 主人から与えられた穀物は彼の一家を暖めた。彼は近来にない心の余裕を感じた。しかしそういうわずかな彼に幸いした事がらでもいくらか他人の嫉妬を招いた。他の百姓にももがいている者はいくらもある。そういう仲間の間にはわずかに五円の金銭(かね)でもそれはふところに入ったとなればすぐに世間の目に立つ。彼らはいくらずつでも自分のためになることを見いだそうということのほかに、目をそばだてて周囲に注意しているのである。彼らは人が自分と同等以下に苦しんでいると思っている間は相互に苦しんでいることに一種の安心を感ずるのである。しかしその一人でもふところのいいのが目につけば自分はあとへ捨てられたようなひどくせつないような妙な心持ちになって、そこに嫉妬の念が起こるのである。それだから彼らは他のつまずきを見るとそのひがんだ心の中にひそかに痛快を感ぜざるを得ないのである。」

(長塚節(たかし)『土』、1970年月16日第1刷発行、1978年12月10日第9刷発行、岩波文庫、99-100頁より)

 明治43年(1910年)6月12日から11月17日まで『東京朝日新聞』に掲載され、明治45年5月に単行本として出版された、作者ただ一つの長編小説。(『大草原の小さな家』は1935年)。

「かれは小学校の教室の一隅を執筆場所に借り、児童用の小さい固い椅子で毎日執筆して持病をこじらせたばかりでなく、この勉励を通して健康状態そのものをそこねるにいたった。作中の地主一家がかれ自身の家の一面を写したものであるばかりでなく、勘次一家をはじめとしてすべて歴然たるモデルがあり、火事だけがフィクションだとまでいわれている。」(解説 小田切秀雄)


 長い間積読本のままになっていた一冊、物語としては単純ですが描写が長く、方言が難解で、読み通すのは非常につらい本でした。なんとか読了しました。貧しさのあまり、他所の豊かな畑の作物を夜な夜な少しずつ盗んだり、世間に知られないよう自分の手で堕胎した時の破傷風がもとで女房が死んだり、貧困にあえぎながら生きる明治時代の農民生活が淡々と描かれています。爺の女房が死んだあと棺に蛇が出てくるところなど、背筋がぞっとするような場面も淡々と筆は進んでいます。日本の陰湿なムラ社会の特質がよく出ていると思います。気持ちが持っていかれると陰鬱になりますが多くの人に読んでほしい作品。気がつけばコロナ騒動で日本全体が集団ヒステリーのムラ社会、よく言えば東日本大震災の時には粛々と耐える辛抱強さが世界から称賛されていると報じられた日本人の耐久性、辛抱強さはマスク警察なる言葉まで生まれた相互監視社会。マスクをしていないと不安になる、マスクしていない顔をみられなくたい、マスクをしていない人をみると不安になるのはもはや強迫神経症。行き過ぎたアルコール消毒と手洗いも同様。日本全体がもう後戻りできないところまできてしまっているのかもしれません。読みながら考えさせられました。二度は読みたくありませんが、一度は読むべきことが描かれています。



 

子どもへのワクチン激推し?!

2022年09月21日 15時10分27秒 | 気になるニュースあれこれ
宮崎市新型コロナワクチン特設サイト
https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/covid19/303675.html


宮崎市公式チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=dZ7KgBDtPa0


 医師免許をもち、クリニックを開業している首長が、お金に魂を売り渡した専門家と動画まで撮って、努力義務となったことを盾に子どもたちへのコロナワクチン接種を激推し。ロシアンルーレットにあたれば命をとられる危険性があると警告している医師や研究者たちがいるものを、実際に命をとられたお子さんも、命をとられなくても重い副作用で苦しんでいるお子さんがいることは厚労省のホームページに記載されているとおり、実際には報告の10倍以上いるだろうといわれているものを、ここまでして打て打てどんどんとは、ムムム・・・。


 首長が慎重に判断するよう呼びかけて希望制にしている大阪府の泉大津市の5~11歳の接種率は低い。ある自治体はワクチン接種するとお菓子がもらえると、お菓子で子どもたちをつろうとしていましたがさすがに批判があったのか削除されたようです。住まいの自治体によって、首長によって子どもたちの命が、未来が、左右されてしまいます。


 努力義務は努力義務であって義務ではない、任意であるはずのものをなぜここまで必死になって打たせようとするのか、しかも全部無料、表に出てくるのは推奨する声ばかり。不思議、すべて不思議です。



 全くニュースになりませんが、国会議員がようやく動き出しました。以前から声をあげている地方議員はいますが最後は国政。親御さんの判断にかかっている子どもたちの命を守ってほしい。

「「子どもへのワクチン接種とワクチン後遺症を考える超党派議員連盟」の総会を行いました。5歳〜11歳の子供に対するワクチン接種の努力義務を撤回すること、生後6ヶ月以上4歳以下へのワクチン接種を見送ることなどの提言書をまとめました。」

https://twitter.com/genki_sudo/status/1572149319045881860より、



 

コロナワクチン接種後死亡の4人 免疫調節機能暴走か 広島大チーム 推定体温高い特徴

2022年09月21日 01時06分22秒 | 気になるニュースあれこれ
https://k-doujou.com/choice-327/より、


「ツイッターで盛んにリツイートされている記事。沖縄タイムズ他。全文を伝える記事がありませんので、文字起こしします。

新型コロナウイルスワクチンを2回接種後、原因が分らずに死亡した4人を調べた結果、いずれも炎症に関わる遺伝子が過剰に働き、死亡時の推定体温が高いという特徴があったとする研究成果を、広島大学の長尾正崇教授(法医学)らのチームが17日までにまとめた。チームはウイルスを攻撃する免疫調節機能が過剰反応(暴走)し、患者の身体を攻撃する『サイトカインストーム』が起きて死亡した可能性があるとみており、

『接種後に解熱剤を服用しても40度を超える高熱が出た場合は、慎重に対応して欲しい』と訴えている。チームは接種後1~10日に死亡した20~50代の男性を解剖。死因は特定できなかったが、臓器のうっ血など突然死に似た特徴があった。さらに血液からリボ核酸(RNA)の一部を解析。失血死などで死亡したケースと比べると、炎症に関わる遺伝子が過剰に働いており、サイトカインストームが起きたのではないかとみている。死亡時の推定体温は39~46度だった。

何故サイトカインストームが起きたかは分らないが、1回目の接種で免疫機能がワクチンに反応しやすくなり、2回目で過剰反応が起きた可能性があるとしている。長尾教授は『感染した際に重症化を防ぐにはワクチン接種が不可欠。一方でどんな人が副反応が起きやすいのかさらに調べる必要がある』と話している。サイトカインストームは、免疫細胞がウイルスや細菌などから身体を守ろうとしてサイトカインと呼ばれるタンパク質を過剰に放出する現象。様々な臓器が損傷し死亡することもある。」


(画像は拾い画です)。





(再掲)2月に埼玉で亡くなられた10代のお子さんについて

神奈川県厚木市、内山順造医師のFacebookより、

「埼玉でワクチン接種を2回した10歳代の方がオミクロン株に感染後DIC(播種性血管内凝固症候群)で陽性診断後7日目に亡くなられました。基礎疾患のない10歳代の方が短期間に高熱が持続したのちにDICを発症して亡くなるというのは、私はADE(抗体依存性感染増強)が起きてサイトカインストームからDICとしか考えられないと思います。


 自分の子供を守るために未成年への現行のワクチン接種は拒否してください。若年者で基礎疾患のない人はむしろワクチン打たなければ重症化しません。」

https://www.facebook.com/100003921037034/posts/2127956390678375/?d=n

ひぇ~

2022年09月20日 16時01分32秒 | 気になるニュースあれこれ
2022年9月20日時事通信、

「1日100万回超の体制整備」 改良型ワクチン開始で加藤厚労相

https://news.yahoo.co.jp/articles/f3080e360c50a842ba3bc359f3905bc3c927c365


2022年9月20日Medical DOC、

【新型コロナワクチン】5~11歳への接種「努力義務」適用へ、3回目接種も開始

https://news.yahoo.co.jp/articles/afad7f392d730240ca237506a4118d3716154f4b


2022年9月20日テレ朝ニュース、

オミクロン株対応ワクチン、接種始まる 2回目終えた12歳以上に順次拡大 希望者には年内に接種完了へ

https://news.yahoo.co.jp/articles/ef35e86ab0f10b3f3ce1332b6a95270934ac814f


2022年9月18日Yahooニュース、

WHO「パンデミックの終わりが視野に」という発言をどのように捉えるべきか?今後起こり得るシナリオは?

https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20220918-00315633



ツィッターからの拾い画です。

「コロナワクチン接種後死亡の4人 免疫調節機能暴走か 広島大チーム 推定体温高い特徴」





もうやめれ~

『ゆきのひのたんじょうび』

2022年09月20日 00時14分16秒 | いわさきちひろさん
『あめのひのおるすばん』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/7b3923bae3d2b15a33a3bb88d7fdfb62





「もう ひとつ ねると
 ちいちゃんの おたんじょうび

 おかあさん
 わたしが うまれたとき
 ゆきが ふってたって ほんと?

 わたしは いつつになるのよ
 ろうそくだって ごほん いっぺんに
 けしちゃうんだ

 でも きょうは ともだちの おたんじょうび
 それで かーどを かいてたの

 いってまいりまあす ぽち きょうは ついてきちゃ だめよ

 はい ぷれぜんと
 かーども はいっているのよ

 ろうそくが
 いっぽん にほん
 さんぼん よんほん
 ゆれてます

 わたしの ときは もう ひとつ おおい

 ふっ 
 たいへん
 まちがっちゃった

 あーらら あらら
 ちいちゃんたら けしちゃった
 ひとの ろうそく けしちゃった

 じぶんの
 たんじょうびじゃないくせに

 もう みんな きらい ぽちも きらい

 どこかへ いっちゃおう

 あーあ つまんないの だれとも あそびたくない

 なんだか さむくなってきた やっぱり おうちに かえろうか

 あら おかえりなさい
 おたんじょうびかい たのしかった?
 おともだち たくさん きてたでしょう
 みんなで ないして あそんだの

 ちいちゃんたら どうして そんなに げんきがないの
 さあ あしたは あなたの おたんじょうび

 おたんじょうびなんか きらい
 あたしは なんにも いらないの だあれも きてほしくないの

 おほしさま おほしまさ

 あしたの おたんじょうびには
 なんにも いらないって おかあさんに いったけど
 ほんとは ひとつだけ ほしいものが あるの

 あした 
 まっしろな ゆきを ふらせてね
 わたしの うまれたひみたいに

 あっ
 やっぱり ふった
 ほんとに ふった

 すごーい

 おかあさん
 みてー

 さあ ゆきの たんじょうびです

 あかい ぼうしと
 てぶくろだって
 おかあさんから もらったの

 ちいちゃん おめでとう おたんじょうび おめでとう

 みんな きました

 みんな すき
 ぽちも すき
 おかあさんも すき
 おたんじょうび だあいすき」


「武市八十雄とコンビを組んでの楽しい絵本づくりは1968年から毎年1冊のペースでおこなわれ、病状の悪化する直前の73年までに『あめのひのおるすばん』『あかちゃんのくるひ』『となりにきたこ』『ことりのくるひ』『ゆきのひのたんじょうび』『ぽちのきたうみ』と六冊をつくりあげた。気力もイメージもどんどんわいてくる本で、生きていればもっともっと新しいものへ挑戦しながらつづけていけたのにと惜しまれる。

 それまでの絵本の常識は、受け手が子どもだということを一面的にとらえていたためか、なんの絵か、なにをどうしているところががすぐわかる絵がしきりに描かれていた。どこを開いても、そこに示されている状況はきわめて明快なものである。しかしちひろたちがつくったこの新しい絵本は、そうではない。一面にじんだ画面であったり、ポツンとなにかが置いてあったり、子どもがうしろをむきっ放しであったりする。そこで示そうとしているものは、さびしさとか不安とか期待とかいうものにたいするいかにも子どもらしい気持ちのゆらぎ、流れというような、いわば不可視的な心理の描写である。いかに子どものこととはいえ、人間の精神的な部分は子どもでは決して表わすことはできないものだが、ただのおとなでもできないだろう。

「あれはみんな私の思い出というか、心のなかにあるものです」とちひろはいうが、まったく子どもの心理と重なりあいながら、かつ、それを客観的描写できるおとなでなければならない。それはまさに、いわさきちひろの資質そのものであったといっていいだろう。児童文学者でもなかなかここまでは踏みこむまい。そういう心理だけをあつかっても、物語が成立しないということもあるだろう。だからこのシリーズは、子どもの文化のまったく新しい世界をきりひらいたといっていい。

 従来の絵本の常識であれば、ちひろの描く一見不安定な画面は、絵本の画面として不適格なのではあるまいか。子どもの笑顔をこのへんにのぞかせてくれとか、空っぽの金魚鉢だけがポツンと画面一杯にあるのは困るとか、注文の出るところだろう。しかし、武市はあえてそれをめざし、絵本にしたのである。たいへんな冒険であっただろうし、いまとなってはたいへんな先見だと驚嘆する。

 少女のころ父親から野球のルールを習ったちひろと、とりわけ野球好きの武市とのあいだで、野球用語を使いながらこの絵本のすすめ方を考えたという話も、たいへん興味深いものである。」

(滝いく子『ちひろ愛の絵筆-いわさきちひろの生涯-』労働旬報社、昭和58年8月1日第一刷発行、203-204頁より)