たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

第二章_日本的経営と近代家族_エピローグ

2016年04月30日 18時54分38秒 | 卒業論文
 女性が家庭にいることを前提とした「会社」の雇用システム、女性をなかなか対等の成員として迎え入れることのできない「会社」の仕組み、女性の社会進出が進んでいるとはいえ、日本型企業社会はまだ女性の潜在労働力の必要性を認識してはいない。

 だれも休まず、だれも病気にならない、という「希望的観測」のもとに人員が配置されている組織は、だれも産まない、だれも子供を育てない、というどこにもいない人間を前提にした組織である。このような架空の人間像を支えているのは専業主婦の存在である。しかし、既婚女性の半数以上が働いている時代に、この前提は空洞化しつつある。1) こうした架空の前提を懸命に維持しようとする会社の実情を取材した竹信三恵子は、「女性の活用」をテーマに取材した都市銀行の中間管理職から女子行員の出産に関して次のような本音を引き出している。

「銀行の上司から、育児休暇を取るな、と言われた女性がいる、と言っておられたが、日本の会社は権利を目一杯主張し、代わりに義務もきちんと果たす、という仕組みではない。経営と個人が甘え合う関係で成り立っている。全面的にすべての権利を主張されても会社は困る。その女性にも問題がある」。2) 

 熊沢誠が、コース別を大枠とした性別職務分離がよく観察できる業界である 3)と指摘した銀行は、「本音では、便利に使えて給料の安い大量の若い女性を必要としている。しかし、そんな女性を惹きつけるには、もはや育児休業など母性保護制度を敷くしかない。つまりは人集めのための目玉商品だ。かといって額面通りに受け取られて、長く居座られては、賃金をたくさん払わなければならない。だから、育児休業制より、いったんやめてもらって賃金を安く抑えられる再雇用制を導入するところが多い」。4)

 以上は、『日本株式会社の女たち』から引用した1994年以前の話だが、2002年時点でも子供を産んだ女性が働きやすい環境が会社や社会に整っていないのは、第一章で見たとおりである。女性が働きにくい仕組みはなお温存している。

 男性が仕事と家庭を切り離して考えることができるのに対して、家庭責任を担う女性は仕事と家庭を切り離して考えることができない。男性の、ほかの全てを顧みず仕事を最優先させるという硬直的な職業生活を可能にするため女性が自身の生活を適応させている。女性にそのような生き方を要求しているのは、日本型企業社会である。女性のライフサイクルと企業の経営方針とは密接な関わりがあるといえる。女性が家庭の事情で簡単に会社を辞めると、勤務態度を男性と比較して不真面目で劣ったもののように非難する企業経営者がときどきいる。

 しかし、そのように女性を非難する一方で、自社の男性社員が家庭よりも仕事を優先することをあたりまえとしているとすれば、それは矛盾している。硬直的な職業生活を送る男性に代わって、女性が自身の生き方を融通しているのに、その点には目をつぶって、個々の女性の選択だけを問題視するのは、おかしな話である。5) 日本型企業社会は、労働市場における女性差別を、女性という「性」によって正当化してきた。

 この章では、こうした矛盾を孕んだ日本的経営の成り立ちとその単位となっている「近代家族」について概観し、労働市場において女性が男性ルートから排除されてきた背景を探りたいと思う。

引用文献

1)竹信三恵子『日本株式会社の女たち』148頁、朝日新聞社、1994年。

2)竹信、前掲書、150-151頁。

3)熊沢誠『女性労働と企業社会』106頁、岩波新書、2000年。

4)竹信、前掲書、152-153頁。

5)小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』59-60頁、中公新書、1998年。


旅の思い出写真_ベルサイユ宮殿

2016年04月30日 14時57分36秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 流れが前後してしまいますが、2007年10月26日、旅の最後に訪れたパリからバスで一時間ほどのベルサイユ宮殿の入場券とパンフレットの写真のご紹介。現地で購入した日本語の冊子は部屋の中で行方不明中。気付いて少し焦っていますがどこかにあるはず。まだまだ色々とグチャグチャで整理しきれていないことを実感しています。

 ベルサイユ宮殿への旅はツアーには組み込まれていなかったので、現地の英語によるオプショナルツアーに一人で参加しました。二階建てバスの二階に乗ったらベルサイユ宮殿に到着した時シートベルトがすぐに外せず、ひそかに冷や汗をかきながら焦ったことを思い出します。とにかく広大な広さで見学したのは、ほんの一部に過ぎません。鏡の間や、アントワネットが押し寄せた群衆の前に立ったという場所には行きました。プチトリアノンに行こうと思ったら、自転車を使って一日かけないと無理。短い時間で全部を回り切れるような場所ではありません。この贅沢さと市井の人々の暮らしはあまりにもかけ離れていましたね。


池田理代子『ベルサイユのばら大事典』2002年集英社発行、54頁より

「国王一家の住居・ベルサイユ

 ルイ14世は衛生状態や環境のよくないパリを嫌って、テュイルリー宮を放棄し、パリ郊外の狩の館を建て増ししてベルサイユ宮殿とした。政府機関もすべて移したため、国家規模の大プロジェクトとなった。

 ベルサイユの庭園は造園家のル・ノートルが設計。当時ヨーロッパでは野趣あふれるイタリア式庭園が流行していたが、ル・ノートルは端正な左右対象の、後にフランス式庭園と呼ばれる豪華な庭園を作った。また、十字架を模した1KM*1.5KMの運河は、ゴンドラを浮かべて遊ぶことができた。手入れのための費用は気にしなくてよい、宮廷ならではのデザインである。

 建物は王室主席建築家のル・ボーが設計を担当し、彼の死後はマンサールが後を継いだ。建設は1661年から始まり、実に20年余の年月をかけて見事なバロック建築が作られた。

 宮殿の室内の多くの間にはそれぞれ名前がつけられている。

 室内は芸術家や職人が集められ、壁画やゴブラン織りのタペストリーで飾られた。イタリアのムラノ島から、ガラス職人を連れてきて鏡の間を作らせた。建物は格式ばったバロック様式であったが、インテリアは次第に軽快で曲線的なロココ様式に映っていく。明るく優美なロココ様式は、建築だけでなく当時のヨーロッパの芸術全般にその影響を与えた流行であった。

 マリー・アントワネットが愛したプチ・トリアノンは、宮殿から歩いて約15分の場所にある離宮である。もともとはルイ15世が愛人のポンパドール夫人に贈ったものだったが、アントワネットがルイ16世からさらに譲り受け、庭園とした。」


ベルサイユ宮殿、日本語の入場券
















ベルサイユ宮殿、簡単な日本語のパンフレット










イエスの言葉を読む「ヨハネによる福音書」編より(1)

2016年04月29日 22時42分00秒 | 本あれこれ
 4月9日に聴講した若松英輔さんの「イエスの言葉を読む_「ヨハネによる福音書」編」から。仕事帰りの疲れ果てた状態でしたが心に響いてくる言葉を書き留めずにはいられませんでした。


人にはどうしても自分で書かなければならない言葉がある。
自分で必要としている。
万感の書を読んでもない。

理屈ではないけれど手応えのあるものに出会ったとき、私たちは立ち上がらなければならない。

読む=吸う
書く=吐く、読むばかりでなく書くことは大切。たくさん書く。



 今の私はまだまだ読むよりも書かずにはいられない状態が続いています。わたしだけの経験から生まれたわたしだけの言葉をブログに書かずにはいられません。ブログに書けないときは手帳に書き留めてきました。書くことが救い。書くことでお金になるとか、なんにもありませんが「書く」ということがなかったら、私はもっともっとズタズタに擦り切れたままどうしようもない状態が続いたと思います。書くことを、自分だけの言葉を紡ぎだすことを私自身が強く求めていました。私にとって喉が渇いた時水を飲んでうるおすように必要なこと。若松さんの言葉にはいつも救われます。書き足りないですが今日はここまで。

 

『1789バスティーユの恋人たち』より(2)

2016年04月29日 16時12分06秒 | ミュージカル・舞台・映画

「小池修一郎メッセージ

 「人権宣言」が主張する「政治と宗教」「出版と表現」の自由と権利は、テロとネットの時代となった今も争いの焦点となっている。劇中最後に歌われる「悲しみの報い」を聴くと、この作品が軽やかさをまといながら、実は深く重いメッセージを持っていることに気付かされる。

 悲しみの報いとして 人は夢を見る権利を持つ
 憎しみを乗り越えて 新しい世界を築き上げる
 苦しみの報いとして人は許す心を持つ
 力に頼ることなく希望と勇気求める

 この歌を、再びパリ市民(シトワイヤン)が誇りを持って歌う時が来るのだろうか?

 翻って日本人である我々は「戦争をしない国民」として、歌い続けることが出来るのだろうか?そんな思いを胸に、開幕に向かっている。」

(『1789バスティーユの恋人たち』プログラムより引用しました。)


 すっかり疲れてしまっているのでつらつらと思いつくままに書いてみたいと思います。
 
 新緑の木漏れ日がまぶしい朝。ヤフーのニュースをチェックすると、シリア北部で空爆のニュース。犠牲になるのはそこで日々の暮らしを営む市井の人々。日本の外務省が渡航禁止している国に暮している人々はいる。遠い異国の地で一日一日を生き延びていくことに必死な人々がいることを忘れないでいたい。欧州のテロ事件は大きなニュースになるけれど、日々テロの脅威にさらされている人々がいることはあまりニュースにならない。欧州の繁栄は弱い国の弱い立場の人々の犠牲の上に成り立っていることに思いを馳せたい。血みどろの争いの歴史が繰り返されてきた果てに今の日本も含めた先進国と言われる国々の繁栄があることを考えたい。権力を持ってしまうと人は自分を守るため保身に走る。失うことを恐れて必死に権力にしがみつこうとする。そのために弱者を犠牲にする。いつの世も犠牲になるのは一番弱い立場の人々。レ・ミゼラルブな人々。いつの世も人は愚かしきものかな。自分は何もできません。ただ、こんなことを考えながらこのブログを書いています。

写真は全て東宝の公式FBからの転用です。

トップの写真は小池君ロナン。
エピローグ。飢饉によって税金を払うことができない貧しい農民達を逮捕しようとするベイロール伯爵から父親のマズリエを守ろうとする場面。マズリエはベイロール伯爵率いる兵士の放った銃弾からロナンを守ろうとして命を落としてしまいます。ロナンは復讐するべくパリに出ていくことを決意するのでした。ソニンさん演じる妹のソレーヌがこの場面と最後にロナンが兵士から撃たれてしまった後に歌う「叫ぶ声」は、憎しみからは悲しみしかうまれないといった歌詞があったと思います。いつの世も同じ人の営み。血で血をあらうような争いが繰り返されてきたことに思いを馳せないではいられませんでした。

 岡さん演じるベイロール伯爵が兵士たちを従えて全身黒ずくめの長身で客席左手からどかどかと劇場に入ってくる姿はド迫力。牢獄でロナンを傷めつける場面もさすがの歌唱力が土台にある迫力。エピローグ、全員で「悲しみの報い」を歌う時、岡さんの声が心によく響いてきました。





「ルイ・ジョセフ=夭逝の王太子
  生まれたときから、将来のフランス国王となるべく育てられた王家の第一王子。非常に美しく、賢い少年だったが、6歳になってすぐに、難病である脊椎カリエスにかかってしまう。ムードンの城にひとり移り静養をしたが、病状はいっこうに回復しなかった。アントワネットやオスカルの祈りも空しく、7年と8カ月という短い生涯の幕を閉じた。

末裔たちの行方
 国王だったルイ16世が処刑された後、跡継ぎにあたる王子ルイ・シャルルは共和国の一員となるためアントワネットたちから引き離される。幼かったルイ・シャルルは自分の名前も身分も忘れてしまう。また、第一王女マリー・テレーズも投獄されるアントワネットと引き離されてしまった。」

(池田理代子著『ベルサイユのばら大事典』2002年集英社発行より)


 ルイ・ジョセフの養育係だったオランプに、彼が亡くなるとアントワネットは王宮を出て愛する人の下に行くようにと告げます。私と愛する人のどちらかを選びなさいと言われ、「おいとまをいただきます」とひざまづくと時のさやかちゃんオランプがなんともかわいくて素敵。アントワネットとオランプが心で深くつながっていることを感じさせる場面で、涙が出そうになります。アントワネットは王太子を亡くし、さらに革命が勃発したことを知らされ、神様は私からなにもかもうばうのとか顔をくしゃくしゃにして嘆いた後、愚かだった自分に神さまは罰を与えたのだと悟り、ようやく王妃である自分の立場を自覚するたおやかな女性へと変貌しています。観客の誰もがその後アントワネットが処刑されることを知りながっらみていますが、彼女自身は王妃であることを自覚した時が命の終わりを意味することを予感していたのだろうかとふと思いました。ベルサイユ宮殿を築いたルイ14世の負の遺産を背負うことになったのはアントワネットの子どもたちでした。史実は血みどろでなんとも切ない・・・。


連休前のちょっと寒い夜

2016年04月28日 22時55分52秒 | 日記
 気分転換に今日もドラマの公式ツィッターより清史郎君のお写真を転用させてもらっています。帰宅してからだらだらと気になるツィッターやブログ、動画をみながら食事をして今の時間に至ります。なんだかほんとに頭がどうにかなってしまいそうなほどに疲れてしまっています。色々な想いはあれど気力が失せてしまってなにもできず、です。仕事内容としてはやっぱりつまらないなと思います。ただもぐりこんでみなければ知り得なかったことがたくさんありすごく勉強になります。そういう意味では何も残らなかった10年間はかえすがえすも勿体なかったと思います。


 その先にどんなリスクが生じるかを全く考えもせず場当たり的に無責任に私をつなぎとめたB元部長様、いい人ですが私のその後の10年間を返してください、責任とってください、私がその後どんなに苦労することになったか、あなたには知る義務があります。私に、ハケンと社員は同じだと言ってプレシャーをかけたK元部長様、あなたもいい人ですが無知もいいところです、あなたにも責任あります、私の10年間を返してください、K元部長様、あなたもいい人ですが私がハケンにすぎないことを見過ごし続け、中途半端に使い続けたあなたにも責任あります、私の10年間を返してください。そしてM部長様。今は部長ではなくさらにエライ人になっているのかもしれませんが、自分の都合で人を振り回し人としての尊権を傷つけることなどなんとも思わないあなたはサイテー人間です。ほんの気まぐれ、思いつきでしたことが行くべきところまで話が行っていることをご存知でしょうか。ばっちり書類に名前も出させていただきました。私がここまですることなど全く想定外だったことでしょう。だからといって黒いものに守られ続けたあなたにはなんということはありませんね。社会の仕組みとしてはあっているので自分のしたことの重大さを今もお分かりになってはいらっしゃらないでしょう。お仲間でしたよね、さんざん私の世話になりましたよね、よくぞ恩をあだで百倍にして返してくださいました。同じことがさらに年を重ねてしまってから起こっていたら、私はもう他の場所に行って、全く別の環境になれていくことなど到底無理だったでしょう。ほんとにほんとにオバチャンになってしまってからでは手遅れでした。やり直しをスタートさせることなど到底無理でした。一年一年おそくなればなるほど、ハードルはあがり苦しくなるばかりだったと知りました。自分より上の方をみて、これ以上おそかったらもうどうにもならなかったとわかりました。かろうじてまだ大丈夫でした。そういう意味ではほんとにほんとの手遅れにならないうちに私を解き放ってくださり、むしろありがたいと思うべきかもしれません。自分から辞めるとは言えなかったので、辞めさせてくださったことに感謝すべきかもしれません。ある朝あなたは何事もないような顔をして出勤した私を見て恐ろしいほどぎょっとした顔つきをなさいましたね。二度とお会いすることはありませんが、どこかで偶然お会いしたらまっすぐに私の顔をみることができますか。


 もうすっかり忘れたいような気もするこの頃です。でも事実は消えないのでずっとついて回ります。いやですね、全く。いつか生きている間にちゃんと意味のあることだったんだって思える時が訪れるのか。明日から三連休で、5月2日は出勤。3日からまた三連休で6日は出勤。その後は普通に連休。連休が明ければ、6月は祝日がないので7月の三連休まで果てしなく長くなります。私だけ8月にならないと有給休暇を取る権利が発生しないのでかなり苦しいです。連休に少し色々とできたらいいなと思いますが疲れちゃっているのでたいして進まないでしょう。パソコンの買い替えのタイミング。フランスで買ったベルサイユ宮殿のパンフレットが行方不明なのに気づくもみつけられず。とにかく少しずつでもモノを減らしたいです。自分がこの世からいなくなったらどうなるか遺品整理をしてよくわかったので記念にとっておくとかできるだけやめたいです。でもまあ自分がこの世にいる間は楽しむためにとっておくことも必要かな、とか書き始めたらまたとりとめなく書きつらねてしまい、写真とは全く関係ない内容になってしまいました。私は今自分で書くこういった言葉たちを必要としているということですね。なにもできないでいる自分が情けなくって仕方ないですが、なにかをしようという気力は失せてしまっています。オバチャンの、そんな言い方ないよなって思う、なんでもない言葉に傷ついたりして、ずたずたのすり減りにはやっぱり厳しいのかなと思いながらなんとかここまできました。気がつけばもうすぎ四か月近く。私ってエライなーって思いながら今日は休みます。何を書いているのかよくわからない愚痴記事。読んでくださっていたらありがとうございます。冷え込んでいる連休前の夜でした。

イケメンすぎる

2016年04月27日 22時07分56秒 | 日記
 テレビドラマの公式アカウントから転用したイケメンすぎる清史郎君のお写真。テレビを処分してしまったので、ドラマはみていません。オンデマンドで無料配信中とのこと。連休中にみる余裕あるかな。あすはず・・・。みたい・・・。

 こんな息抜きがないと頭がどうにかなってしまいそうな、すさまじく忙しい一日でした。おトイレに行くタイミングがむずかしく、2時間以上がまんしたりなどしました。冷水器の水をペットボトルに入れて水分補給していますが、すごく体が冷えます。でもあったかい飲み物をとるのはすごくむずかしい。オフィスのように自販機や給茶機で購入して自分の机の上で飲むなどが一切できないし、人がやってくる状況次第なのでほんとに大変。こんなに来るのか、っていう感じで人がどんどんやってきました。水分補給もおトイレも我慢しながらの業務遂行。もうちょっと時給高くないとあいません、ほんとに。色々なことがありすぎます。やってくる人たちに気を使い、職員同士にも気を使いで疲れます。自分が慣れてきて色々と気がつくようになってしまうと、気がついてしまうと、自分は間違ったり見落としたりしていなくても、気がついた分だけ自分のせいになってしまいそうなことがあったりするし、自分より年上の人に対してスルーになっていたことを指摘してしまうのも恐ろしいものがあり、気がついてしまったことがあっても口には出せません。向こうは言ってくるんですけどね、ほんとはあなたも間違えていますよ、スルーしていますよ、って言いたいところでも自分は言わないようにしています。私と同じ年とか、私より上になってくるとはっきりいってオバチャン。私もオバチャンですが、さらにオバチャンは正直厄介だなあと思います。男性の方がエライ会社の中では、そりゃ厄介なオバチャンよりも若い女の子の方が使いやすいとそりゃ思いますわな。厄介なオバチャンは使い捨てにすればいいと思いますわな。

 色々な想いはあれどこうして仕事で疲れ果ててしまっている私はなにもできません。原発停止要請の電子署名運動に参加したことと、寄付金箱にささやかなものをいれるぐらいかな。なさけないですがこれ以上なにもできません。明日は木曜ですが、明日もノー残業デーだそうな。早く明日の夕方17時15分になってほしいです。明日もなんとか無事に一日が終わりますように。連休中に少しはやりたいことができますように。断捨離がすすみますように。


 こちらもイケメンすぎる清史郎君のお写真。いやされます。




疲れすぎると・・・

2016年04月26日 21時59分54秒 | 日記
 すっかり人に疲れてしまっています。疲れすぎていると、すごく疲れているはずなのにあまり眠れないものですね。気持ちのいい疲れではないので、心地よくぐっすりというわけにはいかず辛いです。昨夜はあまりにも疲れていたのでいつもより15分早く布団に入ったら、今朝は15分早く目がさめてしまいました。よっていつもどおり睡眠不足。今日も色々なことがあり、なんだかほんとにげっそりな一日でした。業務を行っているのが地下なので、外はあったかなのにすごく寒いです。(空調は全館で今ほとんど止まっています。) 喉が痛くてせき込むので水を飲むと体が冷えます。でも飲まないと辛いので、我慢しつつタイミングをみてなんども飲むと冷えておトイレに行きたくなってしまいます。タイミングで今度はおトイレに行くのを我慢することになります。ずーっと主に高齢者やおじさんに神経を使う毎日。はっきり言ってうんざりです。頭がおかしくなりそう。疲れちゃってなんにもできない自分が情けない。あと二日で連休。それでなんとかもっている感じです。くだらないことをする時間もある程度ないと眠れないのですが、9時間ぐらい拘束されているのでそれほど時間の余裕はありません。連休中、平日は書けないことをブログに書いたり、少しは本を読んだり、断捨離を進められたりするといいですがどうでしょうか。

 朝、ターミナル駅で8時6分の電車に乗り換えていたのですが、いつの間にか8時5分の電車になっています。いつダイヤ改正があったのか。アナウンスがないので気づいていませんでした。乗り換えに5分以上かかるので2分電車が遅れると完全にアウト。朝はこの1分がきついです。この1分のために余裕を持たせようと思うと10分ぐらい早く出ないといけないのでそれもすごくきつい。しかも始発電車ではなくなるので座れません。朝数分電車の中で坐って固まっているだけで全然疲労度が違うのですごく大きいです。★急さん、いつの間に1分前倒しにしたんですか。お願いですから8時6分に戻してください。すごく大きいんです。

 全く陽の当たらない場所で、全く陽のあたらない、エライ人たちがいちばんやりたくない馬鹿にするような仕事をする毎日。千円ちょっとの時給ではかなしすぎます。すごく大変なので他の現場ではフェイドアウトする人が出てきているようです。無理ないかな。色々と勉強にはなるので、やれるところまでやるしかありません。最終経歴を10年以上クソみたいな会社でハケンでした、使い捨てにされました、から更新するために。

 クソ会社であんなに苦労し続けた日々は私にとってなんだったのか今もわかりません。人生の時間には限りがあるので考えても仕方ありませんね。ただ終わりよければすべてよしと言いますが、その真逆なのでかなしいです。心身をすり減らしながら働いてしまった私がなぜ悪者になるのか。今もわかりません。人生の果実が実る時がきっと訪れると信じるしかないですね。あと二日で連休です、ふんばれ、わたし・・・。

連休前の一週間・・・

2016年04月25日 21時43分30秒 | 日記
 今週は4日がんばれば連休。そう思うとなんとかやれそうです。お給料は激減しますが、どのみちたいした金額じゃないのでもういいです。それよりも休みたい。連休はほとんど身動きとれずに過ぎていくと思います。お寺さんから法要へのお誘いの葉書をいただきましたが、2時間ぐらいかかるところなので気持ちはあっても辛すぎて無理だろうと思います。ほんとにすごく疲れてしまってなにもできません。私、他の人が見落としてしまっていることに気づいてしまったりするようになりました。いいんだか、どうなんだか・・・。

 今日はお昼休憩がシフトで13時半からだったのでお腹すくし、色々なことをやったので疲れました。人が混み合っている時はトイレと水分補給、どちらも我慢しなければならないので大変。ずっとやっていると頭がおかしくなってしまいそうな業務内容。でも予算は今年いっぱいしかついていないようなので、今年いっぱいで終わり。おかしくなってしまう前に終わりだと思います。書類上の契約終了日が稼働終了と同じ28日付なのか、31日付なのかで社会保険の手続きなどに違いが出てくるようなので面倒です。どっちが自分にとって不利にならないのか、けっこう難しくてよくわかりません。有給休暇を取得する権利が発生したら全部使って終わりたいです。

 その後、私はどこでどう生きていけばいいのか。想いは様々にあれど今は疲れすぎてしまっていて何も考えることができません。前職の疲労の上に、労働紛争の疲弊がのっかったまま働き始めたので、無事に契約終了までたどり着いたら少し旅に出てみたいものです。今はヨーロッパも北米もあぶなっかしいですけどね、って、どのみち先立つものを考えたらはかない望み。まずは荷物減らし。休日が待たれます。みずみずしい新緑が目に沁みる季節。明日もなんとか一日が過ぎていきますように・・・。早く連休になりますように・・・。

『1789バスティーユの恋人たち』より

2016年04月24日 22時40分23秒 | ミュージカル・舞台・映画
あまり秘密警察らしくない、アルトワ伯爵の手下なのにオランプをかばいたい、絶妙演技がたまらない坂元さんのラマール警部の「オランプちゃーん!」と、美しすぎるマリオネットの古川さんロベスピエールのの横顔が頭の中でぐるぐるまわっています。登場人物が多いのでまとまったものを書くことはできず、つらつらと思いつくままに少しずつ・・・。
(もしこれから観劇予定の方が読んでくださるとちょっとネタバレ注意かもしれません。)



写真はすべて東宝の公式FBからの転用です。


トップの写真は、小池君ロナンとパレ・ロワイヤルの民衆たち。
パリに出てきたばかりのロナンは無一文で、パレ・ロワイヤルに野宿します。

パレ・ロワイヤル=
「オルレアン公の私邸であるが、商人に解放され、さながら歓楽街と化していた。アントワネットとフェルゼンが運命の出会いをした「オペラ座」も、当時はこのあたりにあったらしい。」(池田理代子『ベルサイユのばら大事典』2002年集英社発行より)


歓楽街の雰囲気を表現するアンサンブルさんたちのダンスがなにげにアクロバティックで、サーカスのようなパフォーマンスもあり、ロナンをみるにはオペラグラスを使いたいけれど、オペラグラスを使うと全体がみえずで、どっちもみたいから忙しいです。


小池君ロナンと沙也加ちゃんオランプ



二人の並びはすごく可愛いです。同級生のような雰囲気。
沙也加ちゃんオランプはしっかり者で何気に男前な雰囲気も醸し出しています。
アントワネットにかしずき、フェルゼンとの仲立ちをするあたりすごくたくましい。

パレ・ロワイヤルでアントワネットとフェルゼンが密会する場面に居合わせてしまったロナンを、アントワネットをかばうため自分を襲った暴漢に仕立ててしまったために、ロナンはラマール警部によってバスティーユの牢獄に連行されてしまいます。間がむずかしい場面。よく演じられていたと思います。ロナンをバスティーユから救い出すために兵士のふりをしてしまうあたりもたくましい。

ロナンは牢獄で岡さんベイロール伯爵に拷問をうけます。
父親を撃ったベイロール伯爵と再会してしまい、必死に闘うロナン。


「あなたと同じ不器用な生き方しかできない」とロナンを慕うオランプ。
二人は恋人であり同士でもあるような。でも王宮につかえる(=天にいる)オランプと
農夫ロナン(=地にいる)では住む世界が違いすぎてしまいます。
バスティーユを抜け出した二人が行く末を案じながら歌う場面。
アンサンブルのダンスも素敵です。



古川さんロベスピエール

 

ロベスピエール=
「6歳のときに母に死なれ、同時に父親に捨てられた不遇の過去を持つ。地方で弁護士をやっていたときからカリスマ性を認められ、1789年の三部会では平民議員として選出される。やがて貧しい民衆の味方をするジャコパン派の指導者になり、共和主義の国家を推し進め、革命の中心人物となった。」(『ベルサイユのばら大事典』の人物事典により)


『ベルサイユのばら』では、三部会の会場からしめだされたロベスピエールが、「ぼくらはぬれることなどなんとも思わない。雨などすこしもつめたくはない」と語っています。なつかしい劇画の場面。

 舞台のロベスピエールはカリスマ性にあふれた人物像をよく体現していると思います。群衆の怒りのエネルギーをハードなダンスナンバーで表現している舞台。国王が軍隊をだして革命派を鎮圧しようとするとバスティーユの襲撃にむかっていく場面のダンスは特にハードで見ごたえあり。重厚な衣装を着て踊るので汗があふれ出していますが、汗をかく姿も美しく、隣に女性はいらないなあと思います。シュプレヒコールをあげる場面のロベスピエールの即席彼女がどういう人物設定なのか気になるのは、ツィッターなどみていると私だけではないような・・・。


花總さんアントワネット


 

 豪華なふわふわ衣装を身にまとい、贅沢にうつつを抜かす登場場面から最後は質素な身なりで王妃として凛としたたたずまいのまま天に召されていくまでの変化の見事な演じ分けは、エリザベートを演じきった花總さんならでは。衣装が質素になっていくことは王妃の心情の変化も現わしています。

 登場場面の派手な夜会で、国王を戒めようとするネッケルの姿に、うざいったらありゃしないといった表情をするあたりの演技、王妃の無知ぶりをよく現わしています。「私はフランスの王妃、失うものなどなにもない。全てを賭ける」の「失うものなどなにもない」は、いろんなものを失った私が使う、これ以上失うものはなにもないと全く逆の意味でしょう。王妃である自分はなにもかも手に入れることができるので失うものなどあるはずがないという怖いもの知らずをうたっていると思います。

「マリア・テレジア=
 長い間ブルボン王朝との覇権争いを終わらせるために、末娘アントワネットをルイ16世と政略結婚させたオーストリアの女帝。自分で仕込んだ結婚でありながら、アントワネットの無邪気さに不安をおぼえる。そしてその不吉な予感は、テレジアの死後、現実のものとなった。
」(『ベルサイユのばら大事典』の人物事典により)

劇画には、「あんなぜいたくな宝石やら羽かざりやらにうつつをぬかして、いったいどのぐらい莫大な税金が支出されてるか、あの子は知っているのだろうか?」と末娘を案じる女帝の姿が描かれました。今だから理解できることがたくさんあります。

 こうして書いてみると、物語の進行がけっこう早く色々な出来事が次々と起こってくことがよくわかります。なかなかに書き切れず、連休に入ってまた書ければと思います。

 Wロナンは、歌も芝居も雰囲気が全く違う、それぞれに自然なロナン。最後に「観劇ありがとうございました」と挨拶するのは、ぞれぞれこの舞台に立てる喜びと感謝の気持ちが自然にあふれ出ている感が伝わってきて人柄で出ているなあと思います。次回小池君ロナンがどう進化しているのか楽しみです。


  

一週間の終わり・・・

2016年04月23日 21時42分15秒 | 日記
 なんとか無事に土曜出勤は終わりました。昨夜は疲れすぎてしまっていてすぐには寝付けず、寝付いてもずっとなにか夢をみていました。なんの夢をみていたのか全く思い出すことができません。今朝は体に力が入らず、二年ぶり、に朝駅で気合をいれるためにリポDを買いました。気休めに過ぎませんが、そこは気持ちの問題。前職で二人分労働が七年余りにわたって続いたころは辛くって辛くって仕方なく、いつしか朝クソ会社の最寄駅に着いたらリポDを買うのが日課になっていました。毎朝リポDを握りしめながら出社していました。あんなに苦労した日々は私にとってなんだったのか、何も残らなかった虚しさと共に今も問いかけ続けています。ほんとになんだったんでしょう。10年間を無駄にしてしまいました。今さら返してくれとはいえない過ぎた歳月。

 今の職務を12月28日まで続けたとして、その後はまたどこでどうやって生き延びていけばいいのでしょう。今は全く考えることができません。とにかく現在の職務は、前職とは全く違った意味ですごく大変です。毎日主に高齢者を相手に大きな声で出さなければならないことが、いかに自分を消耗させているのかがよくわかった一日でした。土曜日である今日は、平日お勤めで来ることができない方が中心で年齢層がぐっとさがり、大声をあげて説明しなくても手続きはどんどん進んで行きました。平日は手取り足取り説明して15分ぐらいかかっているところをそんなに説明する必要もなく、さっと5分ぐらいで終了。負荷が大きく違います。

 またお給料が入ったようですが、あまりにもさみしい金額で哀しくなってしまいます。もうちょっと貰わないと負荷に見合いませんが、全く陽の当たらない地味なつまらない仕事で、現場を知らないエライ人たちから評価されることもありません。ほんとに日陰の存在。ずっと今の職務が続いてもおかしくなってしまいそうです。私にふさわしい道へ導かれていきますようにと祈ります。明日は観劇日記など書けるといいなと思います。PVを繰り返し観るのがささやかな息抜き。ほんとに疲れてしまっている一週間の終わり。おしまい・・・。