「刑事告訴をするにあたっては、連絡会として基本的な姿勢があった。それは、刑事告訴をするには、個人を特定しなければならないという法律に関することだった。
このような大事故、複合化された巨大システムの中での事故では、ミスがどこで起こったかを特定するのは、大変困難である。しかし、それでも、個人にしか刑事訴訟法は適用されない。すなわち、悪くすれば、刑事告訴をしたら、現場の整備員一人だけに罪をかぶせてしまうような”トカゲのしっぽ切り”的な方法で決着がついてしまうこともあるというのである。
私たちは、この事故の原因を明確にするとともに、トップにある人の責任こそ問われるべきだと考えていた。国際民間航空機関(ICAO)の条約には、「経営の責任者の姿勢によって安全確保が左右され、安全性がそこなわれた場合の責任は、そのトップの経営者にある」とある。
日航は、営利を追求するあまり、安全の確保を怠ったのではないか。この点に最もメスを入れたいと、8.12連絡会は考えていた。
しかし、刑法は、明治時代に制定されて以来ほとんど形をかえていない。その刑法にしばられ、企業全体の責任を問うことができなかった。
そこで、関係各機関のトップになる人たちを被告訴人としたい、と弁護士に伝えた。これは、法律上、大変困難なことだ。それでも、企業全体の責任を問わなければ、再発防止にはならないと考えた。
弁護士は、こう説明した。
「告訴事実は、事故の原因、因果関係を特定して、はじめて成り立つ。ところが、この事故の原因は航空事故調査委員会が調査中だ。新聞紙上では隔壁の修理ミスを第一原因とする隔壁破壊説が先行し、ほぼ規定の事実として報道されていたが、これは、修理ミスを認めることで、問題を設計にまで波及させないためのボ社の戦略ではないか」
確かに、生存者の証言などから分っている事故当時の機内の状況をみると、急減圧があったとは考えられず、隔壁破壊説先行への疑問も残っていた。
今回の事故は、航空機が最も安全といわれる巡航飛行中に、天候等の外的な要因もないのに操作不能に陥って墜落した点に大きな特徴があった。逆に言えば、航空機の設計→製造→修理→整備の過程に問題がなければ、絶対に起こらないと思われる事故だったのである。
事故からわずか4か月後の12月5日、米国ではNTSB(米国家運輸安全委員会)がFAA(米連邦航空局)に対し、「安全についての勧告」を行っている。NTSBは事故後ボーイング社で行った実験や解析などを参考にこの事故の原因を分析し、
①すべてのボーイング747型機に対し、尾翼にかなり大きな内部圧力がかかっても今回の事故のような致命的な破壊が起こらないように設計変更すること。
②同じくそのような場合に4系統の油圧システムのすべてが損傷を受けることのないように設計変更すること。
③ボーイング747型機だけでなく新しい機種である767型機に対しても、後部圧力隔壁が本当にフェール・セーフ性を持っているかどうか、ボーイング社に解析と実験をおこなわせ、これらの機体の圧力隔壁の設計を再評価すること。
④後部圧力隔壁に発生する可能性を持つ同時多発型の金属疲労による亀裂の大きさを調べるために通常の目視検査より高度な点検が行えるように点検の間隔を設定するよう、ボーイング747型機の点検規定を改訂すること。
という勧告をおこなっていた。迅速かつ的確なものだと思った。
この勧告を見る限り、実際に、機体の圧力隔壁には問題があると見られていたことが分かる。すなわち、圧力隔壁破壊説の先行はボ社の戦略として打ち出された、という見解は、必ずしも当たらないと考えられた。
同じく1985年12月に公表された運輸省事故調の第三次中間報告で、事故前に隔壁に合計29センチに及ぶ亀裂が存在していたことも明らかにされた。結局、若干の疑問を残しながらも、告訴の基本となる事実関係としては、圧力隔壁破壊説以外の選択肢はなかった。
誰を告訴するか、というのは、遺族としてなぜ告訴するのか、に深くかかわったテーマだった。結果的に、次のように落ち着いた。
ここに、1986年2月の弁護団から連絡会あての提案文書(遺族の意向をくんだうえで、弁護団の会議で作成されたもの)がある。この中で、告訴・告発の意義は3点に整理されている。
①事故の責任追及、空の安全の確保を願う遺族の率直なアピール
②事故調、捜査機関による事故原因究明を促進させ、安易な幕引きを許さない
③仮に不起訴となったとき、検察審査会に申し立てることができる。
そして被告人については、裁かれるべきは、営利追求姿勢にあることを明らかにするため、被告人は責任者に限定し、パイロット・乗務員・整備士等は対象としないのが相当であると考える。
今から考えれば不思議なことであるが、誰を被告人にするかについて、私たちは、ほとんど迷いがなかった。事故機を最後に整備した人とか、圧力隔壁を間違って取り付けた人を告訴しようと考えてもおかしくなかったと思う。当時の告訴事実の構成からすれば、隔壁の亀裂の発見ができなかった整備員に刑事責任の追及を行うことは十分可能であった。後に群馬県警によって送検された被疑者のなかにも、現場の整備員が一名含まれている。
しかし、整備にしても修理にしても、訓練やマニュアルが行き届き、きちんとした計画の元に十分な時間が保証され、労働条件が整っていれば、現場の人はいい仕事ができる。それを最終的に左右する力があるのは、経営陣である。いや、そう整理して考えたのは、もっと後になってからだったような気もする。他の人たちも同じだと思うが、告訴した当時は、個人ではなく何か大きな壁に立ち向かっているという感覚だった。
事務局に集まりみんなで話し合った。連絡会結成時のアピールに書いたように、「蟷螂の斧ともいわれようとも」という気概と、でも亡くなった人は帰ってこないという気持ちで、押し潰されそうになってしまうこともあった。
大きな会社が、どんなに揺らぎのないものであるか。何百人と死んでも、会社は、時間が過ぎればまた、元の通りとなるかもしれない。だからこそ、この事故が起きるに至った真相を知りたい。私たちが告訴した人たちが、誰一人として送検されることもなく起訴されることもなく、たとえ告訴が無駄に終わったとしても、最も真実に近付けそうな方法をとりたい。そして、できるだけ多くの人達に真実を知らせない。そういう気持がどんどん高まった。
告訴状の作成と並行して、事務局では、告訴や告発を呼び掛けるパンフレットや委任状の作成にはいった。昼間は会社勤めで参加できない遺族は、私の家にに泊まり、夜を徹して準備にあたった。日付が変わってしばらくたった頃にやっと作業を終え頭が冴えてしまった男の人は、なかなか寝付けず、お酒の力を借りることもあった。そんなときにふと、それぞれの人の抱える重いものの、あまりにも重くて言葉にもならないようなものを見る気がした。」
(美谷島邦子著『御巣鷹山と生きる』2010年新潮社発行、52-56頁より引用させていただきました。)
このような大事故、複合化された巨大システムの中での事故では、ミスがどこで起こったかを特定するのは、大変困難である。しかし、それでも、個人にしか刑事訴訟法は適用されない。すなわち、悪くすれば、刑事告訴をしたら、現場の整備員一人だけに罪をかぶせてしまうような”トカゲのしっぽ切り”的な方法で決着がついてしまうこともあるというのである。
私たちは、この事故の原因を明確にするとともに、トップにある人の責任こそ問われるべきだと考えていた。国際民間航空機関(ICAO)の条約には、「経営の責任者の姿勢によって安全確保が左右され、安全性がそこなわれた場合の責任は、そのトップの経営者にある」とある。
日航は、営利を追求するあまり、安全の確保を怠ったのではないか。この点に最もメスを入れたいと、8.12連絡会は考えていた。
しかし、刑法は、明治時代に制定されて以来ほとんど形をかえていない。その刑法にしばられ、企業全体の責任を問うことができなかった。
そこで、関係各機関のトップになる人たちを被告訴人としたい、と弁護士に伝えた。これは、法律上、大変困難なことだ。それでも、企業全体の責任を問わなければ、再発防止にはならないと考えた。
弁護士は、こう説明した。
「告訴事実は、事故の原因、因果関係を特定して、はじめて成り立つ。ところが、この事故の原因は航空事故調査委員会が調査中だ。新聞紙上では隔壁の修理ミスを第一原因とする隔壁破壊説が先行し、ほぼ規定の事実として報道されていたが、これは、修理ミスを認めることで、問題を設計にまで波及させないためのボ社の戦略ではないか」
確かに、生存者の証言などから分っている事故当時の機内の状況をみると、急減圧があったとは考えられず、隔壁破壊説先行への疑問も残っていた。
今回の事故は、航空機が最も安全といわれる巡航飛行中に、天候等の外的な要因もないのに操作不能に陥って墜落した点に大きな特徴があった。逆に言えば、航空機の設計→製造→修理→整備の過程に問題がなければ、絶対に起こらないと思われる事故だったのである。
事故からわずか4か月後の12月5日、米国ではNTSB(米国家運輸安全委員会)がFAA(米連邦航空局)に対し、「安全についての勧告」を行っている。NTSBは事故後ボーイング社で行った実験や解析などを参考にこの事故の原因を分析し、
①すべてのボーイング747型機に対し、尾翼にかなり大きな内部圧力がかかっても今回の事故のような致命的な破壊が起こらないように設計変更すること。
②同じくそのような場合に4系統の油圧システムのすべてが損傷を受けることのないように設計変更すること。
③ボーイング747型機だけでなく新しい機種である767型機に対しても、後部圧力隔壁が本当にフェール・セーフ性を持っているかどうか、ボーイング社に解析と実験をおこなわせ、これらの機体の圧力隔壁の設計を再評価すること。
④後部圧力隔壁に発生する可能性を持つ同時多発型の金属疲労による亀裂の大きさを調べるために通常の目視検査より高度な点検が行えるように点検の間隔を設定するよう、ボーイング747型機の点検規定を改訂すること。
という勧告をおこなっていた。迅速かつ的確なものだと思った。
この勧告を見る限り、実際に、機体の圧力隔壁には問題があると見られていたことが分かる。すなわち、圧力隔壁破壊説の先行はボ社の戦略として打ち出された、という見解は、必ずしも当たらないと考えられた。
同じく1985年12月に公表された運輸省事故調の第三次中間報告で、事故前に隔壁に合計29センチに及ぶ亀裂が存在していたことも明らかにされた。結局、若干の疑問を残しながらも、告訴の基本となる事実関係としては、圧力隔壁破壊説以外の選択肢はなかった。
誰を告訴するか、というのは、遺族としてなぜ告訴するのか、に深くかかわったテーマだった。結果的に、次のように落ち着いた。
ここに、1986年2月の弁護団から連絡会あての提案文書(遺族の意向をくんだうえで、弁護団の会議で作成されたもの)がある。この中で、告訴・告発の意義は3点に整理されている。
①事故の責任追及、空の安全の確保を願う遺族の率直なアピール
②事故調、捜査機関による事故原因究明を促進させ、安易な幕引きを許さない
③仮に不起訴となったとき、検察審査会に申し立てることができる。
そして被告人については、裁かれるべきは、営利追求姿勢にあることを明らかにするため、被告人は責任者に限定し、パイロット・乗務員・整備士等は対象としないのが相当であると考える。
今から考えれば不思議なことであるが、誰を被告人にするかについて、私たちは、ほとんど迷いがなかった。事故機を最後に整備した人とか、圧力隔壁を間違って取り付けた人を告訴しようと考えてもおかしくなかったと思う。当時の告訴事実の構成からすれば、隔壁の亀裂の発見ができなかった整備員に刑事責任の追及を行うことは十分可能であった。後に群馬県警によって送検された被疑者のなかにも、現場の整備員が一名含まれている。
しかし、整備にしても修理にしても、訓練やマニュアルが行き届き、きちんとした計画の元に十分な時間が保証され、労働条件が整っていれば、現場の人はいい仕事ができる。それを最終的に左右する力があるのは、経営陣である。いや、そう整理して考えたのは、もっと後になってからだったような気もする。他の人たちも同じだと思うが、告訴した当時は、個人ではなく何か大きな壁に立ち向かっているという感覚だった。
事務局に集まりみんなで話し合った。連絡会結成時のアピールに書いたように、「蟷螂の斧ともいわれようとも」という気概と、でも亡くなった人は帰ってこないという気持ちで、押し潰されそうになってしまうこともあった。
大きな会社が、どんなに揺らぎのないものであるか。何百人と死んでも、会社は、時間が過ぎればまた、元の通りとなるかもしれない。だからこそ、この事故が起きるに至った真相を知りたい。私たちが告訴した人たちが、誰一人として送検されることもなく起訴されることもなく、たとえ告訴が無駄に終わったとしても、最も真実に近付けそうな方法をとりたい。そして、できるだけ多くの人達に真実を知らせない。そういう気持がどんどん高まった。
告訴状の作成と並行して、事務局では、告訴や告発を呼び掛けるパンフレットや委任状の作成にはいった。昼間は会社勤めで参加できない遺族は、私の家にに泊まり、夜を徹して準備にあたった。日付が変わってしばらくたった頃にやっと作業を終え頭が冴えてしまった男の人は、なかなか寝付けず、お酒の力を借りることもあった。そんなときにふと、それぞれの人の抱える重いものの、あまりにも重くて言葉にもならないようなものを見る気がした。」
(美谷島邦子著『御巣鷹山と生きる』2010年新潮社発行、52-56頁より引用させていただきました。)