たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

緑がまぶしくなってきた日に思う

2015年04月29日 12時51分53秒 | 祈り
窓の外は風がそよいでいます。さっきまでは吹き荒れている感じでした。
急に真夏のように暑くなったかと思うと、雨が降って少ししっとりでしょうか。
季節の変わり目は落ち着きません。少し暑くなると、あちらもこちらもけっこう冷房が
きついので、冷え性の私は着込んで出かけるしかありません。(震災のあとの節電モードは
どこにいったの・・・???)

まだまだ自分の中にとげとげしたものがたくさんあって消化しきれていないことを感じます。
交感神経ばっかり働いているのを感じます。
たくさんのよどんだものが沈み込んでいるのを感じます。
見て見ぬふりをすることができず、目をそむけて忘れていくこともできず、もう一度見据えて整理して浄化していこうとしてます。
本当にこれでいいのか大丈夫なのかわかりませんが、他に方法がわかりません。
鎮静化していくための、自分で自分を信じる気持ちを取り戻していくための道を歩んでいます。

ゆっくりいけるだけの猶予がどこまで許されるのかわかりませんが、このプロセスを踏んでいかないと扉はひらけてこないような気がしています。
扉は開けてくると今は信じるだけ気持ちだけで歩んでいます。
人に話せば理解されないことのほうが多い。否定されることもある。何倍にもなってかえってくることもある。だからこわくてあまり話せません。
安心していられる場所をみつけるのはなかなかむずかしいです。
自分はこれでいいんだと思える気持ちが戻ってくれば、せめて自分だけは自分を信じてあげることができればそれでいいのかもしれません。

生きていくことは、これが絶対に正解だというものがない、手探りの連続で、
ほんとうにむずかしいです。

久しぶりに過去の私に立ち返ってみます。
妹とのお別れから二度目の歳の暮れです。
私ALFEE大好きのミーハーでした。
メンバー三人が還暦を迎えたことを最近知って年月の移ろいを感じます。
自分も歳をかさねてきたんだからそうですよね。
なんだか笑ってしまいます。

「1995年12月30日(土)

実感はないが、もうすぐ今年も終わりだ。
せっかくの休日だから、のんびりしたいと思う。
今日もいいお天気で、洗濯物が気持ちよく乾いて嬉しい。
落ち着ける部屋に暮らせるようになってほんとによかった。
この季節は、やっぱりALFEEだ。
23日Onlyの武道館コンサートは、くつろいだ気分でゆったりと楽しめた。
ずっとやっていてくれるのかと思うと、また行きたいと思えば足を運べはいいのだから嬉しい。なんか懐かしいような落ち着ける場所だ。そう、わたしなりに頑張った一年に思いを
馳せつつ、過ごしたひととき。
今もあがいている。苦しんでいる。
押さえ込もうとしているものがたくさんあるから、
思いっきり飛び出すのがこわくて、自分で囲いを作ってしまっているから、
自分で自分を閉じ込め続けてきたから、無理があるんだ、ものすごく。
解き放たれたい。自分を縛りつけているものから楽になりたいんだ。
だから努力している。
変わろうとする意識をもつこと自体がすでに苦しいのかもしれないが
こういう奴なんだから仕方ない。
いいことも悪いこともみんな気負わずあるがままに受けとめられたらいいなと思う。
まだまだ未熟者で器が小さいけれど・・・。
自分の核になるものが見つからないから、つまらないことを気にしたりしている。
会社での人間関係なんて、それだけのものなんだから誤解されるのも仕方ない。
悪口を言いたい奴は勝手にいえばいいんだ。
とこにいったって、何かしらあるんだからね。
割り切ろうとする反面、こんなもんなんだど割り切ってしまうことへの抵抗感もある。
それで、ウジウジ、クヨクヨと中途半端なままなんだ。
それではそれでいいとTはいってくれたけれど、どうなんだろう・・・。
理想状態がほんとはあるからなのかな。
口先だけいいこと言えてしまう人がいるのは事実なんだから、自分ひとりどうしようもないのにね。
新しい人にも物事にも慣れていくのに時間がかかるから、その間に誤解されてしまう。
悪いところばっかり目についてしまうんだと思う。
これからもこれを繰り返していかなければならないのはキツイよな。
疲れるなあと思う。けれど、どっか青クサイ部分をもったまんまでいる自分を好きだな
と思えたりもする。
迷い道、小道、これからも歩き続けていこう。
辛口の意見はきびしいが、いってもられることは嬉しいことだ。」

写真はモンゴメリさんが生まれた家です。



『戦火のなかの子どもたち』より

2015年04月27日 22時29分12秒 | いわさきちひろさん
「赤いシクラメンの花は
 きょねんもおととしも そのまえのとしも
 冬のわたしのしごとばの紅一点
 ひとつひとつ
 いつとはなしにひらいては
 しごとちゅうのわたしとひとみをかわす。

 きょねんもおととしも そのまえのとしも
 ベトナムの子どもの頭のうえに
 ばくだんはかぎりなくふった。

 赤いシクラメンの
 そのすきとおった花びらのなかから
 しんでいったその子たちの
 ひとみがささやく。
  あたしたちの一生は
  ずーっと せんそうのなかだけだった。」


「あの子は
 風のように
 かけていったきり。」



「絵本にそえて いわさきちひろ

 ベトナムでは長いこと戦争がつづいておりました。
いまだってほんとうは戦争はおわっていないのです。
アメリカの爆弾が、おとなりのカンボジアの国にまで
おとされているそうですから。

 わたしは日本の東京のせまい仕事場で、それらの戦争のことと、
わたしの体験した第二次世界大戦のことを、こころのなかでいつも
ダブらせてかんがえていました。

 戦場にいかなくても戦火のなかでこどもたちがどうしているのか、
どうなってしまうのかよくわかるのです。子どもは、そのあどけない瞳や
くちびるやその心までが、世界じゅうみんなおんなじだからなんです。
そういうことは、わたしがこどものための絵本をつくっている絵描きだから
よけいわかるのでしょうか。」

(岩崎ちひろ作『戦火のなかの子どもたち』1973年9月10日第一刷発行、岩崎書店より。)


 乳幼児精神保健学会のW先生が、物言わぬ子どもたちの声に耳を傾けることの大切さを
セミナーや講演会の度にお話しされます。
「あの子は風のようにかけていったきり」という短い言葉と
きゅっと口元をむすんで瞳に怒りをこめた少年の表情は、今病んでいる社会を
生きている私たちに声にはならないけれど、しずかに線香花火のように
訴えかけているものがあると感じます。

弱い者同士でしずかにつながって誠実な怒りを持ち続けていきましょう、とW先生は
メールで伝えてくださいました。
自分の中に澱んでしまっているいろいろなものをもてあまし気味ですが、
ないことにはできないし、向き合わないまま上手にそらしていくこともできないので
向き合っていこうとしています。
いつまでもそんなことしていないで、と言われるたびに傷つくものを感じますが、今の私にはまだ無理なので仕方ないかな。
もうしばらく何を私に教えてくれているのか考え続けてみようと思います。
それがほんとうに正しいのかどうかわかりません。自分を信じる気持ちを取り戻していくプロセスを歩んでいます。ちひろさんの絵本から少し話がそれてしまったかもしれませんが、今の正直な思いをことばにしてみました。なかなかむずかしいです。



私の手元にあるものは、1985年発行第25刷です。

戦火のなかの子どもたち (創作絵本 14)
岩崎 ちひろ
岩崎書店

なつかしの本田美奈子さん

2015年04月26日 14時01分35秒 | ミュージカル・舞台・映画
東宝の『レ・ミゼラブル』公式HPをみていたら本田美奈子さんエポニーヌの写真が掲載されていたのでお借りしてしまいました。
残念ながら、私は美奈子さんエポニーヌは観ていません。

急性骨髄性白血病で旅立たれたのが2005年11月6日、38歳でした。
この年に上演されたレミゼにファンテーヌ役で出演することが決まっていて、2004年11月にアンジョルラス役に決まった岡幸二郎さんらと一緒に役代わりのキャスティングに決まった人たちだけの制作発表会にも出られていました。

『ミス・サイゴン』のキム役を演じたのが1992年。帝劇で一年六カ月のロングランでした。
アイドル時代からロックシンガーへと転身した頃まではあまり好感をもてなかったのが
正直なところでしたが、キム役はアイドルをまったく引きずっていませんでした。
歌もダンスもいちからやり直して、独自の歌い方へと新しい境地を開かれていったそうです。
昨年昆夏美さんキムの「命をあげよう」を聴きながら本田さんキムを思い出して涙したことは
すでに何回か書いていると思います。


1996年の『王様と私』のチラシ。
宝塚を退団したばかりの一路真輝さんの東宝初出演作品ということで観に行きました。
本田さんはタプチム役。
こんなに細身の本田さんのどこからあんな声量がでるのだろうと思った記憶があります。
一路さんが昨年地方で上演された『王様と私』の舞台を観ながら美奈子ちゃんを思い出して
涙が止まらなかったと、ご自身のブログに書かれています。





『屋根の上のヴァイオリン弾き』のプログラムから。
宝塚を退団後の涼風さんが出演されるということで一度は観ておきたいしと思って、
観劇しました。
本田さんは次女のホーデル役。西田敏行さん演じるお父さんのテヴェエに慈しみ愛されていました。
恋人役は『ミス・サイゴン』でクリスを演じた岸田智史さんでした。

この時お母さん役を演じた上月晃さんも旅立たれましたね。











本田さんが旅立たれてから、ビート武さんが司会をつとめていた番組で、入院された本田さんが看護師さんたちへのお礼にと、アメイジング・グレイスを歌っている様子が流れたのを観た時には涙が止まりませんでした。
惜しまれる早い旅立ちに、なぜ?と求めても答えはどこにもありません。

長く上演され続けているミュージカルの舞台は、演じる役者さんの成長と共に、いくつもの出会いと別れをも観客の心に刻みつけていきます。
まさに舞台は一期一会の出会いで、観客と役者が一緒になってその時をつくりあげ、何かを
感じ、互いに成長していく空間なんだと思います。


つらつらとようやく書けました。

ボッティチェリとルネサンス_フィレンツェの富と美

2015年04月25日 23時16分30秒 | 美術館めぐり
「15世紀、花の都フィレンツェでは、メディチ家をはじめ銀行家の支援を受け、芸術家が数々の傑作を生み出した。サンドロ・ボッティチェリに代表されるフィレンツェ・ルネサンスはフィレンツェ金融業の繁栄なくしては生まれなかった文化遺産ともいえる。

 本展は2011年にフィレンツェで開催され、経済と芸術の関係を切り口にしたテーマ性のある構成が好評だった「マネー&ビューティ」展をもとに、ボッティチェリ作品を加えた企画。イタリア政府の「門外不出リスト」に登録され、今回ビアチェンツァ市の協力により期間限定(3月21日-5月6日)で特別出品される<聖母子と洗礼者聖ヨハネ>ほか世界各地からボッティチェリ作品が10数点集結。これまでにない貴重な機会を、お見逃しなく!」

(文化村、フリーペーパーより。)


 四週間ぐらいに前にぶらっと行ってきました。渋谷文化村、ザ・ミュージアムは美術館ほどの広がりはありません。その空間に、金融業で財をなしたメディチ家の繁栄と共にボッティチェリの描く絵もまた豊かな光にあふれ、メディチ家の凋落を反映するかのように晩年に描いた絵はきびしさにあふれたものだったという物語が流れるように描かれている展示でした。


 縦横5メートル、修道院の壁画として描かれた「受胎告知」の場面、フィレンツェ貴族の邸宅の寝室で、白百合をもった天使ガブリエルが聖母マリアに懐妊を告げています。チラシではわかりませんが、天使ガブリエルから神の祝福を届けるかのように光が聖母マリアにふりそそいでいる、その光の筋をみることができました。目の前に用意された椅子に坐ってゆっくりとこの大きな壁画を眺めている時間、なんとも豊かで満たされるひとときでした。聖母マリアのあふれる光を受けとる様がなんともたおやかで心を落ち着かせてくれました。(どうやってイタリアから運んできたのだろう、空輸かな・・・、とっても気になります。)


「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」も美しい絵で、いつまでも眺めていたくなるような穏やかな心持ちがしました。注文者が金融業か商人かのお金持ちで、ボッティチェリが高い報酬を受け取ったであろうことがわかる記録が残っているそうです。

 絵の展示では珍しい切り口で、わかりやすかったと思います。城田優さんがナビゲートする音声ガイドも音楽と声が展示の雰囲気にとてもあっていて素敵でした。

 天使ガブリエルが手にしている白百合は、「赤毛のアン」とつながりがあります。第14章アンの告白で、マリアの紫水晶のブローチが紛失したのはアンが持ち出したにちがいないとマリラは疑っていましたが、思いがけない所からブローチは見つかりアンの疑いは晴れます。

「この明るい結末は、第14章の中で暗示されています。庭の白百合(マドンナリリー)はぷんと甘く香った。その芳香は目に見えない風にのって戸と窓から家中に流れこみ、神の祝福の精のように、玄関ホールや室内を漂った、とあるからです。キリスト教では、マドンナ・リリーは、処女懐妊したマリアの純潔無垢の象徴とされ、ダ・ヴィンチ、ボッティチェリなどによる宗教画「受胎告知」にも、この白百合が描かれます。その芳香がグリーン・ゲイブルズに流れ、神の祝福の精のように漂った、という文章から、アンは潔白であり、疑いが晴れることが示唆されているのです。」

  (松本侑子著『赤毛のアンへの旅 秘められた愛と謎』NHK出版より)


 いろいろと整理しながら少し息抜きにぷらぷらしながらの日々。本当にこれでいいのかわかりませんが、ずっと極度の緊張感の中で過ごしてきたので、しばらくぷらぷらしないと壊れてしまうのかもしれません。心満たすものと出会いながらの回復へのプロセス・・・。

















『ちひろのことば』より_わたしの仕事場

2015年04月23日 22時56分31秒 | いわさきちひろさん
 私のわりと大きい机の上は、絵具、筆、画用紙といったいわゆる仕事道具の群れと、
画の割り付け用紙とか、原稿、資料など、場所をとって面倒くさいけれど必要なものの一群と、もう一つ、それはいろいろな感じをおこさせ、後味のよくない印刷物の山とでいっぱいです。それらの山積物をおしのけて、やっと40センチ四方を確保して私はかろうじて仕事をしています。そんなせまいところで仕事をするのなら、感じのわるい一群の印刷物は捨ててしまえばいいのにと人は思うでしょうけれど、そう簡単にはいかないところに問題があるのです。

 その感じのよくない印刷物の群れは、毎日わが家に配達される郵便物の中にそうとう多くまぎれこんでいて、どんどんたまっていくのです。捨てきれないその机の上の沈殿物を分析すると次の三つ位にわけられます。

 その第一は、感じの悪い群れにいれたりすれば私の良心が疑われるたぐいのものです。
それは私たち人間の切なる願いや要求、大きな不正に対する憤りが込められている大事な
問題に対する私の協力や回答をもとめたものです。たいていはかたい活字がたくさん並んでいて勉強好きな人でないと読みきれない長い文面です。それを努力して読むと私はその事がらにどう協力するか、その集まりに出席か、欠席かを決断しなくてはなりません。出席とすれば、明快な見解をもつ学者、文化人、たくましい労働者たちのなかで私は大へん気おくれがして、人目にたたないように身をひそめて出席していなければならないのです。それでも見つけられて、何か意見をもとめられれば、ばか正直なものだから思わずめめしい意見などしゃべったりして、そのあとの私の後悔ぶりはひどいもので、私の胸の鼓動ははげしくなりっぱなしです。この状態は何としても体によくないので、もう少し生きて仕事をしたい私にはどうしても出席は無理でやはり欠席にせざるを得なくなります。欠席と書いても本当は協力の意志はあるのですから何か一言かきそえなければなりません。よくある「お言葉」にという欄です。これはわずか二、三行ですが、ここに書く言葉は欠席裁判みたいに大ぜいの前で読みあげられたり、よく印刷物のなかにすりこまれたりするので、おろそかにして適当に書くというわけにはいかないのです。それでじっくり考えようと思っているうちに締め切りはいつか過ぎ、その集会も終わってしまうのです。そういったたぐいの手紙は、私の無能をせめるが如く、次々と机のうえにいすわって埃をかぶり、むなしく返信用のはがきや切手がてもとにのこるということになります。

 その第二は慈善事業の寄付の手紙です。普通の心根をもつ人間だったら協力せざるを得ないような不幸な人びとの写真や、身体障害者の作品を絵葉書やシールなどにして送られてきます。そしれそれに対してお金を払うようにと書いてあります。もし心ざしがなければそのままねこばばしてもかまわないともあります。だれとだれがねこばばしたか、むこうの名簿にはちゃんとしるしがついていて、ニヤニヤしている感じです。少しこわいです。

 さいごは最も積極的な手紙の群れで、これを捨てたら天罰てきめん、税務署からの手紙です。私はこの種のものをどれだけ机の上にためこんだかわかりません。これは払わないと大事になるのは知っていますから、時々日付を見てはいるんですけれど、つい仕事にとりまぎれていると、あっという間に督促状がやってきます。督促状をいつまでもほうっておくと延滞金というのが毎日ついてくるので、ある日意を決して現金書留で送るのです。それでも送りそびれがあって最終催告というきびしい葉書がやってきます。これは全く感じがわるいので、机の上におくにしのびず捨ててしまうので何と書いてあったか今ここでたしかめられませんが、差し押さえを覚悟しろというようなことなのです。こんなありさまなので、いつだったか私は同じ税金を二度も払ってしまいました。そしたら大分たってから納め過ぎた分を返すから何々銀行とかにとりにいってくれと通知がありました。慈善事業にはまわさずに防衛費にいってしまうお金を払い過ぎたなんて残念なのでどんな少しでもとりいかなければと思いますけれど、いまだにいっていないのです。この書類もまだ机の上ですから、いつかなくなってしまうかもしれません。差し押さえにはきてくださるんですから、こういうときにも、ぜひ返しにきてほしいと思っています。

 何と無能力、おまえはなんにもしないで机の上をいっぱいにしてただ悩んでいるだけじゃあないかと、どうか笑わないでください。

(『ちひろのことば』昭和53年11月10日第一刷発行、講談社文庫より引用しています。)

私の手元にあるものは、昭和57年第13刷発行です。



ちひろのことば (講談社文庫)
いわさき ちひろ
講談社

春のプリンス・エドワード島への旅の思い出

2015年04月22日 22時39分13秒 | プリンスエドワード島への旅
なんだかもやもやと落ち着かない季節の変わり目の日々が続いています。
こういう時はあまり無理をせず、できるだけ穏やかな気持ちで過ごしていくように
した方がいいのかもしれません。
焦ったところですり減った状態ではなにをしてもうまくいかないので、
もうしばらくこのまま過ごしてみようと思います。
本当にこれでいいのかわかりませんが、少しずつ、少しずつ・・・の回復のプロセスです。

今日は春のプリンス・エドワード島への旅で知り合った女性お二人と一年ぶりにお会いしました。おそめのランチをいただき、お茶もしながら話は尽きませんでした。
日常生活の中で人と話すことが少なくなっているので、久しぶりにたくさんおしゃべりをして息抜きできました。心遣いもしてくださって感謝です。

大手旅行会社のフリープランを利用しての島へのひとり旅。
乗り継ぎのトロント空港でお二人に声をかけていただいた時の私は、
休みをとるためにどっちゃり働いて、ようやく休みをとってカナダへとたどりついたので、
日ごろの疲れとストレスをそのままひきずって顔がひきつっていました。
お二人には、そのままを伝えて申し訳ないですとあやまりました。

でも島に着いた翌日、現地ツアーでPEIプリザーブ・カンパニーの庭を歩いていた時、
トロント空港とはうってかわって、私がすごく幸せそうな表情をしたそうです。
その私の笑顔を見たお二人は、ここはそんなに素敵な場所なんだと思われたそうです。
オーウェル・コーナー歴史村の草の上に寝ころんで、三人で見上げた島の高い高い空と
雲。大切な心の思い出です。すごく寒かったのになぜだか温かさを感じていました。
不思議でした。
旅の後半には、日ごろの疲れが出て、体が辛くなってしまった時もありました。
くやしいですが、旅に出たくてがんばって働いて、ようやく旅に出ると具合が悪くなってしまいました。そんなこともお二人はおぼえてくださっていました。

その年の九月には父親とのお別れが訪れて、その一年半余り後には母親とのお別れが訪れて、
いろいろと大きな人生の節目がいくつも突然やってきました。
この時の島への旅がなかったら、その後のことを乗り切っていくことはできなかったでしょう。お金だけではない、行きたいと思った時行ける条件がそろえば少し無理があっても行ってよかったと思います。

プリンス・エドワード島への旅は五年先までとっておいて、秋に一緒に屋久島に行きたいですね、と夢は尽きることがありません。島は島でも、日本ですが、今の私には高いハードルです。実現させたいものです。

カナダ本土からアンが島へやってきたのは春でした。
プリンス・エドワード島の春は六月。

『赤毛のアン』第二章「マシュー・カスバートの驚き」より、
アンがグリーン・ゲイブルズを始めて訪れる場面です。

The yard was quite dark as they turned into it,

and the poplar leaves were rustling silkily all round it,

"Listen to the trees talking in their sleep,'she whispered,

as he lifted her to the ground,

"What nice dreams they must have!"

Then,holding tightly to the carpet bag which contained

"all her worldly goods,"she followed him into the house.

 やがて二人は、どっぷり日の暮れた裏庭にたどり着いた。
まわりではポプラの葉が、さらさらと衣ずれのような優しい音をたてていた。
マシューが女の子を馬車から抱いておろすと、「ほら、木たちが眠りながら
お話をしているわ。耳を澄ましてみて」と、女の子はひそひそ声で言った。
「きっと、すてきな夢をみているのね!」
それから「この世での私の全財産」をしまったカバンを大事そうに抱え、
女の子はマシューの後について、家にはいっていった。

(L・M・モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』集英社文庫より。)

写真は、銀の森屋敷の馬車の中からの眺めです。
パムさんが乗りなさいと言ってくれて、英語がよくわからなかった私は
なにがなんだかわからないまま馬車の中に少しだけお邪魔しました。






『ちひろのアンデルセン』より『あかいくつ』

2015年04月20日 22時24分41秒 | いわさきちひろさん
「アンデルセンの童話は、きった・はった・めでたしめでたし、というような調子じゃなくて、人間の心のヒダをていねいに描いているのですね。だから子どもの顔でも、丸くて、かわいくて、というのじゃなくて、かなり複雑なカゲを描かなきゃならないわけです。それが私にはとても面白いのです。

 アンデルセンという人は、伝記なんか読むと、ずいぶん矛盾した人だったようですね。それだけに、人間の悲しいことを山ほど知っていたような気がします。

           ちひろ・1969年」

「奥様にひきとられ、立派な娘に成長したみなしごのカーレンは、靴屋にあった美しい
赤い靴を一目で気に入りました。

 堅信礼の日、赤い靴をはいたカーレンは、うれしくて踊り出しました。

 病気の奥様をおいて、ダンスに出かけると、赤い靴は勝手に踊り出し、とまらなくなってしまいました。

 赤い靴は、カーレンの足から切り離されてもなお不気味に踊り続けます。
深く反省したカーレンは、祈りの日々を過ごし、やがて、天に昇っていきました。」

(いわさきちひろ絵本美術館編、『ちひろのアンデルセン』講談社、1994年発行より)。


私の手元にあるものは、1985年8月改訂15刷です。
こうして久しぶりに読んでみるとちょっとこわくてゾクっとしてしまう話ですが、
ちひろさんの絵は美しいです。
きっとちひろさんは一つ一つの場面を、いろいろと工夫しながら楽しんで描かれたんだろうなと思います。
長い間忘れていました。絵本は、ペラペラと頁をめくっているだけでもいいものです。
電子媒体では絶対に味わえない、本のにおい。
ちひろさんは、『あかいくつ』の踊る少女の絵をくりかえし描かれたそうです。



あかいくつ (いわさきちひろの絵本)
アンデルセン,神沢 利子
偕成社

窓の外は新緑の季節へと・・・

2015年04月19日 22時51分51秒 | 日記
新緑の季節へと移ろいゆく時、、天気の変化も目まぐるしくて落ち着かない毎日が続いています。
人は弱っているとき、かくしゃくとした人のことばほどこたえます。
叱咤激励がいちばんこたえます。比較され、評価され、指示されるのがいちばんこたえます。
自分は言われてしまいますが、言われたくないので人には言わないようにしています。
エネルギーを消耗している今は自分でもどうしようもありません。
少しずつ、少しずつ、やっていこうとしていますが、問題解決型の社会の中では
なかなか認めてもらえない苦しさを感じています。

絵本を読むワークショップのあと、プレイバックシアターというのを体験しました。
小さい頃大事だったものなんですか、という問いかけに対して、私の頭に浮かんできたのは、
自分で作ったネコのぬいぐるみ。それしか思い出せませんでした。
記憶が定かではありませんがミーコちゃんと名づけて、友達作りが苦手だった私は
家ではいつも一緒にいて話しかけたりしていたと思います。寝る時も一緒だったような気がします。もうお別れしてしまったのかはっきりしません。
実家のかつての勉強部屋にまだあったでしょうか。すっかり忘れてしまっていたことでした。
かつての勉強部屋は妹とのお別れの場所でもあるので、その部屋の様子と共に子どもの頃を思い出すのはつらいことでもあります。パンドラの箱を思いがけず開けられてしまったような、
きつさを感じました。でもあたたかく受けとめてもらうことができたのでよかったと思います。ミーコちゃんはその頃私と一体化していたみたいです。
体が覚えている記憶はこうして思いがけない時に、思いがけないかたちで現れてきたりするものです。それを言語化し、自分と向き合うのはしんどいなあというのが正直なところでした。
ただ評価されることはないので、こういう時間を持つことができてよかったのかもしれません。
一人一人みんな違う歴史があって、それをたまたま出会った人たちとあたたかく共有し合う時間でした。

プリンス・エドワード島の春は6月、
あちらもこちらもきらきらと水面が輝いていました。
いろんな緑にあふれた春の島、いつかまた私を呼んでくれるかな。




『エリザベート』の思い出(3)

2015年04月18日 22時57分12秒 | ミュージカル・舞台・映画
いいものに心を満たされる時間も少しずつ増やしていきつつ、少しずつ少しずつ自分を信じる気持ちを取り戻し中。なぜかみんな大丈夫だと言ってくれるのですが、私自身がまだ大丈夫が見えてこない、でも無理に動く時ではないのでいろいろと整理しつつやっているこの頃です。

レミゼの初日の幕が開いてなんとダイジェスト映像には、かつてのガブ君が登場していてびっくりしつつ、「民衆の歌」を聴くとエネルギーをもらえて、素晴らしい楽曲に役者がそろったミュージカルの舞台はやっぱりいいものだとあらためて思います。

こちらもまた耳に残る素晴らしい楽曲ぞろいの『エリザベート』のガラコンサートのDVDを久しぶりに観ました。宝塚でかつての役を演じた人たちが集結した奇跡のような2012年のコンサートの映像。雪組バージョンは特に心躍ります。残念ながら生では観ていません。

96年の日本初演。一路さんトート、花ちゃんシシィ、ゆきちゃんフランツ、いしちゃんルキーニ。16年の歳月を経ても変わらないではなく、さらに厚みをもっていて、初演の時の空気感もよみがえってきます。
一路さんのサヨナラ公演。どうやってチケットをとったのか思い出せませんが二回は観たと思います。
96年の6月東京宝塚劇場でした。妹とのお別れから二年にならない時でした。
エリザベートを黄泉の国へと誘いにくるトートという死の象徴が主役の舞台をみて大丈夫なんだろうかと思いながら足を運んだ記憶があります。
華やかにみえる宮廷生活の中でみんな何かにがんじがらめにからめとられている孤児なハプスブルグ家の人々。その中で自由人であろうともがき続けるエリザベート。最後はルキーニに暗殺されて天に召されるという重いストーリィですが、トートが歌うのはロック調の曲が多くて、ロングブーツをはいた一路さんトートは、イギリスのロックシンガーのようなカッコ良さでした。

「宝塚の初演でトートを演じた一路真輝は、その4年後の東宝版初演では自らエリザベートを演じ、男性の演じるトートと一緒に舞台に立った。彼女はこれによって、同じミュージカルで男性主役と女性主役の両方を体現するという、世界で他に類のない可能性を獲得したのだった。」(2012年5月-6月帝国劇場公演プログラムより)

一路さんはその後コンサートでも、トートとシシィの両方を自由自在に行き来しながら何度も演じられています。雪組初演の舞台は、きっと演じられた方々にとっても観客にとってもずっと宝物。

この頃はまだ娘役としてのキャリアがあさかったはなちゃんが体当たりで体現したシシィ。
ルドルフ亡きあと、棺にすがりついて「ママは自分を守るためあなたを見捨ててしまった」とすがりつき、トートに一緒に連れて行ってほしいと頼むと、トートは「おまえはまだ私を愛してはいない、死は逃げ場ではない」と拒みます。この場面が特に印象的でした。

三度目となる東宝版の舞台では、これまで男役出身の人が演じてきたシシィを、娘役出身の二人のはなちゃんが演じます。どんなふうにシシィを体現するのか・・・。

写真は2012年の舞台から春野さんシシィとマテさんトート。げきぴあから転用しています。


『みんな、絵本から』より『だいじょうぶだよ、ゾウさん』

2015年04月17日 08時38分04秒 | 本あれこれ
「悲しみ」は感性を育む

小学校1年の二男は動物が好きなので、
絵本の『だいじょうぶだよ、ゾウさん』を自分で選んで買ったのも、絵にひかれたからでした。
はじめは、ゾウとネズミは仲よしというイメージしかなかったようです。しかし、私とふたりで、二度三度と読むうちに、この本の伝えたかったことが少しずつわかってきて、ゾウを昨年亡くなったやさしかった父方の伯父に、ネズミを自分や自分の兄弟たちにおきかえていったようです。

また、担任の先生がクラスの子どもたちにこの絵本を読み聞かせたとき、途中で先生が泣いてしまったと、息子が教えてくれました。突然の先生の涙に、クラスにどよめきが起こったそうです。
先生の涙を見た子どもたちが、死というものの悲しさを、少しでも感じとることのできた
いい機会になったのではないかと思いました。

       -30歳代のお母さんからの手紙

(柳田邦男著、石井麻木写真『みんな、絵本から』講談社、2009年発行より引用しています。)


柳田先生は、近年講演会で「大人こそ絵本を」と絵本を読みことの大切さを語られています。
2月7日のお茶の水での講演会では、『だいじょうぶだよ、ゾウさん』という絵本との出会いによって、幼くして病気によって旅立たなければならかかった弟の死を受け入れていった女の子がいることを紹介されました。柳田先生ご自身が翻訳されており、絵本の頁をめくりながら、読み聞かせてくださいました。

ねずみは大好きなゾウさんとのお別れをうけいれることができずに、自分がなんとかしようと
ゾウさんのために食べ物を調達したりして、頑張り続けます。そうして月日がたつと、自分も歳をとってきていて、年老いたゾウさんが、ゾウの国へと旅立っていく時がきたことをネズミはさとります。
そして、大好きなゾウさんのためにゾウの国へわたるつり橋を修理して、旅立っていくゾウさんを見送ります。ゾウさんは見送るネズミを振り返りつつ、つり橋を渡って帰ってくることのないゾウの国へと旅立っていきます。

誰にもおとずれる大切な人とのお別れが、やさしくせつなく描かれている物語です。


だいじょうぶだよ、ゾウさん
ローレンス ブルギニョン
文溪堂