たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

書くことでしか・・・

2015年03月31日 20時11分34秒 | 日記
今の私は心身ともに疲れ切ってしまっていることにあらためて気がついています。
頭のてっぺんから足の先まで全身で緊張しつづけて、エネルギーをふりしぼってやってきました。本当に過酷なことを自分にさせてしていました。
そんなつもりではなかったですが、気がついたらそういうことになっていました。
途中でやめることはできませんでした。
少しの説明では人に理解されない、自分が悪いんじゃないかと言われればそうではないことを説明するのにすごくエネルギーを使わなければならないので、なお過酷です。

自分で自分を励まそうとするとそれもまたつらくなる感じがあります。
どんな慰めの言葉も自分の中で今は見つけることができません。
時間が必要です。

書いて語って伝えていくことでしか浄化されないんだろうと思います。
実現できるかどうかわかりませんが、ふたつのグリーフにどう向き合ってきたのか、
手記をまとめることに動いてみようとしています。
誰が望むでもない、自分がそうしたいからそうする。
自己肯定感を取り戻していくために、自分を信じる気持ちを取り戻していくために、
書くことで気持ちを整理し直していければと思います。

一年あまりかけて擦り減ってしまったものをどれぐらいの時間で取り戻していけるのか、
その先に何があるのかわかりませんが、
またプリンス・エドワード島が私を呼んでくれる日もきっと来ると信じて、
三歩進んで二歩下がりながら、少しずつ少しずつ・・・。

「弱い者同士静かにつながって、誠実に怒りを持ち続けましょう。」
W先生の言葉がほんとうにあったかくて心に沁み入ります。


銀の森屋敷の窓からの風景を選んでみました。
モンゴメリさんが結婚式を挙げた親戚の家です。

『レ・ミゼラブル』オリジナル版日本初演

2015年03月29日 22時36分57秒 | ミュージカル・舞台・映画
『レ・ミゼラブル』日本初演、帝国劇場についで中日劇場で上演されたのは、1988年3月3日から25日まででした。古いものを整理していてチラシと再開しました。

ダブルキャスト、トリプルキャストが当たり前になっている今では信じられませんが、
コゼットだけがダブルキャスト、バルジャンとジャベールは、鹿賀丈史さんと滝田栄さんが
交互で演じられていました。
シングルキャスト、アンサンブルのみなさん、かなりハードだったいうことですね。
斎藤晴彦さんは昨年旅立たれました。こうして今扮装写真を見るとティナルディエがほんとに
小気味よくしっくりと似合っています。野口五郎さんをはじめてかっこいいと思ったのはこの
舞台でした。

「作中のクライマックスとなるのは、1832年6月に実際にパリで起きた暴動におけるバリケード戦ですが、ユゴーの原作では、1815年のワーテルローの戦いを重視し、これに第2部「コゼット」の冒頭の一章を当てています。ワーテルローは、一度失脚してエルバ島に流された
ナポレオンが、ふたたびパリに返り咲いたものの、イギリスとプロイセンの連合軍に大敗した戦場の地名です。これによってナポレオンは歴史の舞台から退場することになります。
 
 それでは、なぜワーテルローによるナポレオンの失墜が重要なのでしょうか?それはフランスにとって、自由・平等・友愛の共和国という大きな<理想>が失墜し、王政復古という古い不健康な<現実>が社会を支配することを意味するからです。『レ・ミゼラブル』は、理想を失った社会で、醜い現実と戦う人々の物語なのです。それはまさに、現代を生きる私たちの物語でもありうるわけです。」

(2011年帝国劇場講演プログラムより引用しました。)


人のおろかさはいつの世も同じなのかもしれません。
リスクを背負うのは弱い立場の人間です。
とってもおかしなことになっているので伝えていかなければと思います。
きびしいことですが・・・。


舞台写真は、2011年オリジナル版帝国劇場千秋楽、げきぴあより転用しています。)


禅さんマリウス、島田さんエポニーヌ、岩崎さんファンティーヌ



中央が鹿賀さんジャベール


『ちひろのアンデルセン』より_『にんぎょひめ』

2015年03月28日 08時20分51秒 | いわさきちひろさん
「ちひろからのメッセージ

私が、この爛漫の春に若者の悲しみを身にしみて感じだしたのは、やはり自分の息子が浪人をしてからであった。人間はあさはかなもので、身にふりかかってこなければ、なかなかその悲しみはわからない。
若い、苦しみに満ちた人たちよ。若いうちに苦しいことがたくさんあったということは、
同じような苦しみに堪えている人々に、どんなにか胸せまる愛情がもてることだろう。
本当に強いやさしい心の人間になれる条件は、その人が、経験した苦しみの数が多いほどふえていく。
そしてまた、人の心をうつ美しくやさしい心の作品をつくる芸術家にもなっていける。
  1971年、「続・わたしのえほん」草稿より」

 (いわさきちひろ絵本美術館/編『ちひろのアンデルセン』講談社文庫、
   1994年4月25日発行、108頁より)



ちひろさんの本をたくさん持っていますが、長い間ほとんど開くことなく過ぎてきました。ひとつの区切りをつけようと決めたとき、『ちひろのアンデルセン』の背表紙が、おいでおいでと私を呼んでくれました。
こういうことは電子媒体では起こりません。
荷物が多くても、場所をとっても、やはり紙でなければ、というものがあることをあらためて感じています。



「百年もの年代の差をこえて
 わたしの心に
 かわらないうつくしさを
 なげかけてくれる
 アンデルセン-
 むかしふうの文章なのだけれど
 その中にいまの社会につうじる
 同じ庶民の悲しさをうたいあげている
 この作家に
 わたしはずいぶん学ぶことが多い
 アンデルセンの童話のもっている夢が
 たいへんリアルであるということが
 現代のわたしたちの心にも
 つうじるのであろう
   ちひろ・1964年」

  (『ちひろのアンデルセン』巻頭より)


いろいろなことがあってからこうしてちひろさんの言葉に出会い直してみると、
私も少しは大人になって、アンデルセンに共感したちひろさんの思いに近づくことが
できるようになったのかなと思います。
1994年4月25日に第一刷が発行されている文庫サイズの小さなこの本、
妹とのお別れが訪れる前に購入したんだろうと思います。



「十五になったら
 海の上を見ることができる。
 小さな人魚姫は、海の底で
 その日を心待ちにしていました。

 海の上で
 王子に恋をした人魚姫は、
 人間にしてくださいと
 魔女に頼みます。
 
 美しい声とひきかえに
 人間の足をもらった人魚姫は、
 王子の城にいくことができました。

 「あなたは、どこからきたの?
 海でわたしを助けてくれた人に
 そっくりなのだよ。
 その人にもう一度会いたいのだ」
 王子のといかけにも、
 声を失った姫は、ひとことも
 答えることができません。」

  (『ちひろのアンデルセン』1-4頁より)
  

この文庫サイズの本の中には、何篇かアンデルセンの書いた物語とちひろさんの絵が紹介されていますが、いまの私には『にんぎょひめ』からの一節がいちばんせつなく響いてきました。
「アンデルセンは神を信じていた人ですが、神の力ではどうにもならない人の不幸をリアルにえがき出しているところも面白いと思います」とちひろさんは語られたそうです。
  




にんぎょひめ (いわさきちひろの絵本)
クリエーター情報なし
偕成社

春の始まりの日の徒然

2015年03月27日 20時59分31秒 | 日記
ひとつの終わりは、新たな出会いの始まり。
これ以上おかしなものにとらわれていると、心地よい風が吹いてきても気がつかないまま
通り過ぎてしまいそうなので、納得にはほど遠いですが本当に区切りをつけていきます。
すうじの先のひとつのけっか。

これからは誠実に生きる人たちと静かにささやかにつながりながら、怒りをきちんともちつつ生きて行きたいと思います。
まだ何もないので不安ですが、きっと大丈夫、そう信じ続けるしかないです。
いろいろな学びがありました。
ここまでがんばってきた自分を、今はまずねぎらってあげようと思います。

本当にややこしくてなかなか理解されない流れをわかってもらうために説明しようとすると
それだけで心身が擦り減っていくような消耗感があります。
それぐらいきびしいことでした。むずかしいことでした。
私が全面的にいけないかのように言われてしまえばなんにもいえないことでした。
もやもやもやもや、苦しい日々でした。
記録を残しているので、まだ先になりますが書いて人に伝えていこうと思います。


すりきれてしまいました。
回復までにはまだ時間が必要ですが、あせらず、でもあせって、ぼちぼちといこう思います。
きっと妹が守ってくれている。役割をおしえてくれるようにと、写真に手を合わせて祈ります。


今日も電車の中のぎすぎす感は耐えがたいものがあると感じました。
スーツを着たみなさんお疲れですね。
わかりますが、人のことなどおかまいなしに動画をみたり、ゲームに夢中になっていたり、
なんだかおかしくって、どうなってしまっているんだろうかと思わずにはいられません。


いつの間にか桜の花が開き始めました。
大震災のあと、桜の花をみながら悲しくって悲しくってたまらなかったことを思い出します。
人の営みなどどこ吹く風で、季節は確実に移りかわっていくものですね。

今日はひとまずがんばってきた自分におつかれさまです。

H市の当事者の会に参加しました。
いろんな方のお話をきかせていただき、自分のことを語りなくなってしまって、
語り始めるとやっぱり思いは尽きることがない、どこまでいっても語り尽くせるということは
ないんだと気がつきました。
自分がこの世にあるかぎり、語りついでくるだろうと思います。

『木靴の樹』シナリオ(5)

2015年03月26日 20時36分16秒 | 映画『木靴の樹』

1990年公開映画パンフレット(フランス映画社発行)より引用します。

町、クルナの農園(昼)
 
 女が3階から次々と洗濯物を投げる。注文とりに来たルンクの後家さんの長女のテレジ―ナと次女のアネッタが、手押車に積んでいく。

女「土曜までにと頼んでよ」




 姉妹が手押車を押していると、突然表通りが騒がしくなる。

 男達の声「つかまえろ!(姉妹に)中に入ってろ!馬が逃げたぞ!」

 門の陰に隠れた2人の前で、あばれ馬が捕えられ、男達によって連れ戻される。


村道

 汚い水たまりの道を、姉妹がゆく。

アネッタ「テレジ―ナ、私も乗せてよ」

テレジ―ナ「いいわ、代わりばんこよ(妹を手押車に乗せる)」オルガン曲<片足は墓穴にありて我は立つ>、静かに流れ出す。

アネッタ「いいわ、数えなさい」

テレジ―ナ「1、2、・・・49、50」

アネッタ「大へんだわ、あたしの番ね」

 村の道で、アネッタは姉と交替する。

アネッタ「あんたの方が重いから、40数えるまでよ」

 よろよろと手押車を押すアネッタはしかし、姉の重さに耐えかねて、洗濯物をひっくり返してしまう。怒るテレジ―ナ。

アネッタ「私には無理よ!」

テレジ―ナ「みんな落としたわ。(仕方なく)私が押すわ」

農園わきの小川

 ルンクの後家さんは、洗濯で生計を支えている。ベッティーナに赤ん坊のお守りをさせて、
小川のほとりで汗まみれで洗濯物を揉んでいるところへ、娘達が手押車でやって来る。」

テレジ―ナ「クルナのおばさんが、土曜までにだって」

ルンクの後家さん「そんなに洗いきれないわ」

テレジ―ナ「土曜までよ」

ベッティーナ「(姉達に)きれいな石ころを拾ったわ」

 泣き出した赤ん坊を姉達があやす。

ルンクの後家さん「(テレジ―ナに)赤ん坊を頼むわ・・・おじいさんを見に行ってね。
 ピエリーノに手伝うように言ってよ」


木靴の樹 [DVD]
クリエーター情報なし
東北新社

自分を信じる気持ちを大切に・・・

2015年03月25日 14時37分54秒 | 日記
詳細をいっさい書くことはできませんが、ひとつの区切りを迎えることにしました。
納得には程遠い、あんまりといえばあんまりな終わりですが、
今の社会の仕組みの中ではこれが限界だったようです。
これ以上心身をすり減らしても自分がもっとつらくなるだけなので、
それよりも前を向いていこうと思います。

自死遺族として妹が教えてくれたことを伝えていくという大切な役割。
そこに軸足を移していこうと思います。
今はまだそれぐらいしか見えていません。


2月9日のブログにも書きましたが、ユダヤ人収容所から生き延びたフランクルは、
「それでも人生にイエスと言う」と書いています。


「人間の尊厳と、人生に向かいあう態度という意味では、フランクルが本のタイトルに使った「それでも人生にイエスと言う」という言葉が思い浮かびます。」

姜尚中著『続・悩む力』集英社新書、2012年発行、205-207頁より引用しています。)


これからどうやって生きていくのか答えはまだ見えませんが、自分の感性を信じ続けるしかありません。きっと大丈夫と言い聞かせるしかありません。妹が守ってくれていると信じ続けるしかありません。

過ごしてきた日々を思うとここ数日涙が流れて仕方ありません。
これで本当によかったんだと納得できるのは、数か月先か、数年先のことになるでしょう。
過ぎた時間は戻りませんが、これは自分の人生にとって正解だったのだろうかと自分の中で
問いかけ続けています。
自分に鎧を着せることなくいられる場所に出会うことができるのか、
今はずたずたでわからないですが、お休みしつつ、
でもなんとかしていくしかないです。


『赤毛のアン』が教えてくれている自分を信じる気持ちを大切にしていきたいと思います。

いつかまたプリンス・エドワード島に行くという夢もあきらめません。
まだやり直しの時間はあります。

春のプリンス・エドワード島から、銀の森屋敷の食器棚の写真を選んでみました。
孤児院でアンがガラス戸に映る自分の姿に、ケティモーリスと名付けて話しかける場面は、
映画『赤毛のアン』でも描かれています。

いろいろと書きたいことがありますが、今はここまでです。

組織の中でかけがえのない人間なんていらない、いつかみたテレビドラマの中の
台詞でした。




春の嵐の日に思う

2015年03月22日 17時17分10秒 | 祈り
昨日はお彼岸でしたが、私実感ないまま過ごしてしまいました。
私の部屋の窓からはお墓と小高い山の木々の緑が芽吹いてきている風景を眺めることができます。家族がお墓のまわりに集まって、掃除をし、水をかけて、花を供え、手を合わせる-その様子がうかがえる声もまた日本の家族の風景のひとつですね。
どのお墓にも新しい花が供えられています。
「大草原の小さな家」への旅で訪れたアメリカでは、お墓に供えられている色鮮やかなお花は造花でした。死生観の違いでしょうか。
私の家族のお墓は、実家の方で弟が花を供えてくれているはずです。

昨日は、世界乳幼児精神保健学会の日本支部の公開セミナーがあり、混乱の中ですが出かけてきました。何度もうかがっているW先生のお話ですが、学び直しの貴重な機会になりました。いつうかがってもパワフルであったかい先生のお話は考えさせられることがたくさんあります。柳田先生がいらっしゃっており、懇親会の時に「自死遺族です」と声をかけさせていただきました。
妹とのお別れから21年が経ち、先日当事者として初めて話をさせてもらったことで、個人的な歴史を客観視できるようになり、ようやく本当に自分を肯定できるようになったこと、なぜ妹は亡くなってしまったのか、その答えをずっと探し求め続けてきたけれど、どこにもなかった、どこにもないまま背負っていかなければならない、そのことに気がつくまでに20年近くかかったことをお話しました。
先生が仰られました。
「人は文脈の中で生きている、因果関係ではない、科学や法律で人の気持ちは救えない」と。
心に沁み入りました。

今目の前に出された一つの結果を、自分自身の中で納得するための言葉を、人に言われなくても自分でたくさん用意することはできる。だが、しかし、人の気持ちはそんなにかんたんではない。理屈だけではない。あまりにも、あまりにもだ。一定の決着にいたったという実感からは遠い、やり切れなさ、悲しさ、いろんな思いが去来していてどうにもならない。
気持ちを整理したり、現実的な手立てに当たるには時間が必要だが、待ったなしで結論を出さなければならない。それは私の責任に帰するところではないが、そうしなければならない。
納得できないといえば、さらにきつい場面に進まなければならない。
何のためにそうするのか、意味がわからないが、そういう仕組みになっている。
今までみえていなかっただけで、社会の中には理不尽なことが満ちあふれている。
ずっとずっとがんばってきたことが、これでよかったんだと本当に思えるのは、何カ月か先、何年か先のことになるだろう。
あらたな役割がすこーし見えはじめてきてはいるが、それで自分にごはんを食べさせていくことはできないので苦しいところ。

カウンセリングスクールの前期と後期のレポートを書いた時に、”楽になる”という言葉が、私の中で大切なキーワードでした。言葉の使い方一つ一つが本当に大切。
その頃書いた日記を振り返ってみようと思います。

「2005年1月23日(日)

 基礎科のレポート後期分をようやく書きあげることができた。私にとっての“楽になる”ということの意味。それは、自分に取り込まないこと、引き寄せすぎない、ということであった。事実を事実として受けとめたくない自分がずっといた、ということの気づき。
理屈では説明のつかない、人にはそれぞれ与えられた運命があるということ。
魂のところで人に寄り添えるような人になりたい。
理屈なんてあとからくっついてくるものだ。
こんな所に落ち着くまでに、長く苦しい道のりだった。
私の中で何か新しい道が開けてきただろうか。

金曜日の夜は、疲れ果てて本当にいつもつらい。
今日はお昼寝をしたので、ちょっと元気だ。
よく眠ると考え方もポジティヴになる。
明日からはまた、とりあえずの場所にいかなければならない。
社会勉強、フィールドワークだと思って、負けるな、わたし」

プリンス・エドワード島へ行ける日が遠くなっていく。
大丈夫、きっとまた行ける・・・。

ちょっといまは・・・

2015年03月20日 23時04分28秒 | 日記
今あまりのむなしさとやりきれなさでいっぱいになっています。これがけっかなのか・・・、どんなけっかならほんとうによかったのか・・・、その答えはわからない。
ただずっとずっとがんばり続けてきたひとつの終着点がこうなのか、っていう感じで涙が出ています。
これで体こわしてしまっても仕方ないですけどね・・・。


「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ(博物館より)(3)

2015年03月19日 22時20分58秒 | 「大草原の小さな家」への旅
ローラの書斎が再現されていました。



ローラの作ったパッチワークキルト。



ローラの手書き原稿。





学校で使ったスレート(石版)。




書斎の椅子。


『赤毛のアン』がおしえてくれること

2015年03月18日 22時23分17秒 | 『赤毛のアン』
頭の中がずっと緊張している状況が続いていて、苦しい感じで日々が過ぎていきます。
自分ではどうすることもできないのでなおいっそうきついですが、こんな落ち着かない中、
久しぶりに松本先生の『赤毛のアン』のお話をきく機会があり、元気をもらうことができました。何度かうかがっているお話ですが、あらためてそうだったといろいろと思い出すことができて、束の間の心のお休みでした。

以前にも書いていると思いますが、私、一生懸命働いていた頃本当にハードワークでした。
毎日カバンの中に『赤毛のアン』の最後の場面の原文と翻訳を書いたノートを入れていて、
朝職場の最寄り駅が近づくと、降りる一つ手前ぐらい前の駅から読み始めて、最寄駅を降りる頃に読み終わり、職場へと向かわなければならない自分を励ましていました。

『赤毛のアン』は、ブラウニングの詩に始まり、ブラウニングの詩で幕を閉じます。


 The good stars met in your horoscope,

 Made you of spirit and fire and dew.

 Browning

「あなたは良き星のもとに生まれ、
 精と火と露より創られた
 ブラウニング


モンゴメリは、小説の冒頭に、19世紀英国詩人ロバート・ブラウニングの詩「エヴリン・ホープ」の2行を掲げ、アンの誕生から、物語を始めています。この2行は、アンが幸福を約束された星のもとに、豊かな精神、火の情熱、朝露の純真をたずさえて生まれて来たことを告げる祝福の詩です。」

(松本侑子著『英語で楽しむ赤毛のアン』より)


Anne sat long at her window that night companioned by a glad content.

The wind purred softly in the cherry boughts,

and the mint breaths came up to her.

The stars twinkled over the pointed firs in the hollow

and Diana,s light gleamed throught the old gap.

Anne,s horizons had closed in since the night she had sat there after coming

home from Queen,s;but if the path set before fer feet was to be narrow

she knew that flowers of quiet happiness would bloom along it.

The joys of sincere work and worthy aspiration and congenial friendship

were to be hers;nothing could rob her of her birthright of fancy

or her ideal world of dreams.And there was always the bend in the road.

"God,s in His heaven,all,s right with the world,"

whispered Anne softly.

「その夜、アンは満ち足りた気持ちで長らく窓辺にすわっていた。風は桜の枝をそよそよと優しく揺らし、薄荷(ミント)の香りをアンのもとまで運んできた。窪地の尖ったもみの上には、満天の星がまたたき、いつもの方角に目をむけると、ダイアナの部屋の灯が森をすかしてちらちらと輝いている。
 クイーン学院から帰って、ここにすわった晩にくらべると、アンの地平線はせばめられていた。しかし、これからたどる道がたとえ狭くなろうとも、その道に沿って穏やかな幸福という花が咲き開いていくことを、アンは知っていた。真面目に働く喜び、立派な抱負、気のあった友との友情は、アンのものだった。彼女が生まれながらに持っている想像力や、夢みる理想の世界を、なにものも奪うことはできなかった。そして道にはいつも曲がり角があり、そのむこうには新しい世界が広がっているのだ!
「『神は天に在り、この世はすべてよし』
アンはそっとつぶやいた。」

(松本侑子訳『赤毛のアン』より)

「神は天に在り、この世はすべてよし」と神への信頼と希望をうたう名句は、
ブラウニングの劇詩『ピッパが通る』からの引用だと松本先生は紹介されています。


目の前がもう行き止まりになったかのように見えても希望を見失わない。
豊かな想像力や夢みる力を失わない。
今自分にできることを一生懸命に考えて、最善と思われる道を選んでいく。
この場面は、ひたむきに生きることの大切さ、自分を信じる気持ちの大切を教えてくれています。

苦しい時の終わりはまだ見えてこないけれど、きっと大丈夫と自分に言いきかせます。
今月3日に自死遺族としてはじめて人前で話をさせていただきました。
そのために自分の歴史を時系列に振り返って資料を準備しました。
一個人の歴史が外に出たことで、ほんの少しでも社会に還元できていれば嬉しいし、
私の中で客観化されてきたことは大きな節目だったと思います。
長い間自責の念がありました。
ようやく本当に自分を肯定できるようになったのかもしれません。
これからまだ生き直しの時間はあります。
自分の感性を信じつづけるしかありません。
もう無理なのかなあ・・・。
そんなことない、きっと大丈夫。



モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡。

お庭を歩いていると、風の音がきこえます。
ざわざわ、ざわざわ、緑の木々の葉が風にゆれる音がきこえます。
空を見上げると、遠く遠く雲が流れていきます。

モンゴメリさんがアンに込めた思いが今も息づいているように感じます。