たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

寺田寅彦著『天災と国防』より(4)

2014年08月21日 14時59分27秒 | 寺田寅彦著「天災と国防』
「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにく言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳(ようえい)していることは事実である。そうして、その不安の渦巻の回転する中心点はと言えばやはり近き将来に期待される国際的折衝の難関であることはもちろんである。

 そういう不安をさらにあおり立てでもするように、ことしになってからいろいろの天変地異が踵(くびす)を次いでわが国土を覆い、そうしておびただしい人命と財産を奪ったように見える。あの恐ろしい函館の大火(1934年)や近くは北陸地方の水害の記憶がまだなまなましいうちに、さらに9月21日の近畿地方大風水害(同年の室戸台風による)が突発して、その損害は容易に評価できないほど甚大なものであるように見える。国際的のいわゆる「非常時」は、少なくも現在においては、無形な実証のないものであるが、これらの天変地異の「非常時」は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露しているのである。

 一家のうちでも、どうかすると、直接の因果関係の考えられないようないろいろな不幸が頻発することがある。すると人はきっと何かしら神秘的な因果応報の作用を想像して祈祷や厄払いの他力にすがろうとする。国土に災禍の続起する場合にも同様である。しかし統計に関する数理から考えてみると、一家なり一国なりにある年は災禍が重畳(ちょうじょう)しまた他の年には全く無事な回り合わせが来るということは、純粋な偶然の結果としても当然期待されうる「自然変異」(ナチュラルフラクチュエーション)の現象であって、別に必ずしも怪力乱神を語るには当たらないであろうと思われる。

 悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。もっともこれを忘れているおかげで今日を楽しむことができるのだという人があるかもしれないのであるが、それは個人めいめいの哲学に任せるとして、少なくも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である。

 日本はその地理的の位置がきわめて特殊であるために国際的にも特殊な関係が生じいろいろな仮想敵国に対する特殊な防備の必要を生じると同様に、気象学的地球物理学的にもまたきわめて特殊な環境の支配を受けているために、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとに置かれていることを一日も忘れてはならないはずである。

 地震津波台風のごとき西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは言われないまでも、頻繁にわが国のように劇甚(げきじん)な災禍を及ぼすことははなはだまれであると言ってもよい。わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは一面から見ればわが国の国民性の上に良い影響を及ぼしていることも否定し難いことであって、数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。

 しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。

寺田寅彦著『天災と国防』2011年6月9日講談社学術文庫、9-12頁より引用しています。)


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続きはまた近いうちに書きたいと思います。 

寺田寅彦著『天災と国防』より(3)

2014年07月07日 22時01分25秒 | 寺田寅彦著「天災と国防』
巻末の畑村洋太郎さんの解説より続き

「もちろんこれは、口でいうほど簡単なことではない。それはすでに述べたような、様々な人間の法則が邪魔をすることが往々にしてあるからだ。寺田がいうように、「人間の動きを人間の力でとめたりそらしたりするのは天体の運行を勝手にしようとするよりもいっそう難儀なこと」なのである(「災難雑考」)。

 福島第一原発の事故にしても、そもそもの原因は「津波の想定のまずさ」にあったのは明らかである。つまりは運営上のミスということだが、これをもたらしたのも人間の困った法則であるのはまちがいない。

 治山や治水、砂防などに携わっている土木技術者の間では、「既往最大」といって過去に認められている実際に起こった災害を想定して対策を行うのが暗黙の常識になっている。この考え方に基づいて津波対策を行うとすると、福島第一原発で想定されていた「五メートル」というのはあまりに低すぎる。千年以上前とはいえ、貞観地震のときには、今回と規模も被災地域もほぼ同じ大津波がやってきたという研究報告がある。既往最大という考え方で津波対策を行おうとすると、当然のことながら貞観津波のことは数のうちに入れなければいけないし、実際にそのようにしていれば大津波に襲われた福島第一原発の状況がここまで悪化することはなかっただろう。

 じつは福島第一原発で想定している津波が「低すぎるのではないか」という指摘は、かなり以前からあった。貞観地震の研究者が根拠を示しつつ、東京電力や国に対して危険性を伝えていたのである。この忠告が無視されたのは、人間の法則のなせる業である。無視した人たちに特別な悪意があったとは思えないが、「見たくないものは見ない」「考えたくないものは考えない」から、忠告を聞いても心が強く動かされることはなく、結果として黙殺してしまったということなのだろう。

 こうした人間の困った法則は、いま進められている復興活動に際しても大きな障害になりかねないという心配がある。さすがにいまは被災した直後なので、津波で壊滅的な被害を受けた場所に再び住居を建てるような雰囲気はない。伝わってくる復興計画にしても、人々が住む家は大津波がやってきても安全が確保できる高台に建て、海の近くの危険な場所はいざとうときの避難場所にもなる強固なつくりの商工業施設のようなものしか建てないようにするという、いかにも合理的な案が多いようである。

 しかしながら十年、二十年と経ち、人々の被災の記憶がだんだんと薄れて行く中で、本当に地域の運営をそのような方向のまま維持していくことができるのか、大いに心配である。

 いまあげた問題は、かつての大津波の後にも現実に起こっている。被災直後は津波におびえてだれも海の近くに家を建てなかったのに、被災の記憶が薄れると人々は必ず海の近くに徐々に戻っているのである。これは人間の忘れっぽさに起因するが、被災の記憶が薄れたところで、海の近くに住むことのリスクが軽減されるということはあり得ない。目先の心地よさを追い求めるようになると、平気でリスクを無視するのが人間だが、今回もまた同様の過ちが繰り返されないか心配である。寺田が生きていたら、おそらく同じように考えるのではないだろうか。

 裏を返せば、これら人間の法則をきちんと見極めて手を打てば、災害時その後の対応をうまく行うことで被害を最小限に抑えることができるともいえる。寺田は「虐待は繁盛のホルモン、災難は生命の醸母であるとすれば、地震も結構、台風も歓迎、戦争も悪疫も礼賛に値するのかもしれない。(中略)日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられて来たこの災難教育であったかもしれない」と書いているが(「災難雑考」)、この考え方はたいへん重要である。

 災難であれ失敗であれ、だれにとっても辛い嫌なものだが、これらは使いようによって人間を成長させる糧にすることもできる。地震や津波、台風などの自然災害は、人間が望もうと望むまいと勝手にやってくる自然現象である。自然災害による試練は、人間がこの地球に存在するかぎり避けては通れない宿命のようなものなのである。そうであるなら、寺田のいうようにむしろこれらと前向きに付き合うにして、そこから多くの知恵を授かるようにしたほうがいいだろう。それが賢い生き方というものである。

2011年5月」

(講談社、2011年6月9日発行、『天災と国防』202-204頁より引用しています。)


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色々と考えさせられるので引用してみました。

組織に働く人間の法則、それを人間の力でどうすることもできないが、
微力でも誰かが声を発信していかないと何も変わっていかない。
どうにもならないかもしれないが踏ん張っていく。
かなりきついが踏ん張っていく。



 

寺田寅彦著『天災と国防』より(2)

2014年06月28日 15時38分41秒 | 寺田寅彦著「天災と国防』
巻末の畑村洋太郎さんの解説より引用します。

「今回の東日本大震災でも、日本の社会が内部基準を持っていないことの弱さがあちこちで露呈しているように見える。風評に踊らされて必要のないものを買いだめしてみたり、その反対に放射能汚染を恐れてさほど危険性のない農産物や海産物まで敬遠している人々の姿はその典型である。また深刻な状態がいまなお続いている「福島第一原発」のケースにしてもそうである。この事故は、東京電力という会社が内部基準を持っていなかったことに起因しているように見える。

 寺田は「『地震の現象』と『地震による災害』とは区別して考えなければならない。現象のほうは人間の力でどうにもならなくても『災害』のほうは注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性がある」と書いているが(「災難雑考」)、福島第一原発の事故は、これとは反対に人間の力で被害を大きくしているケースであるといえる。事故のきっかけになった津波は、確かに避けることができない自然現象である。しかしながら、東京電力が事前の措置とその後の対処を誤らなければ、これほどまでに問題が大きくなることはなかったと思えるからである。

 私はここで東京電力のことをことさら責める気はない。ただし、そこから多くの人が学ぶことができるように、失敗の中身はきちんと明らかにしておきたいと考えている。東京電力のそもそもの過ちは、外部基準のみに極端に頼ってきた姿勢にあるのだ。それは簡単にいうと、
「国が示している基準にだけ従っていればいい」という態度で原発を運営していたから、ここまで問題が大きくなってしまったということである。

 外部基準への極端な依存は、じつは福島第一原発だけの問題ではない。これは日本の原発すべてが抱えている共通の問題として見なければならない。背景には、日本全国で行われている原発反対運動という大きな縛りがある。どこもそうだが原発を運営する電力会社は反対派に対抗するために「原発は絶対に安全」という建前を貫き、その根拠を国の基準に求めて、これを盾にするようなことをしてきた。外部基準に極端に依存する電力会社の姿勢は、このようないびつな運営を強いられてきたことにそもそもの原因があるのかもしれないが、だからといって
電力会社の過ちが許されるということではない。

 技術論でいうと、原子力はかなり安全なものになってはいるが、基本的な視点が欠けているように見える。それは安全の実現手段は、基本的に「制御安全」に依存し、「本質安全」の考えを取り入れられていない点である。失敗やトラブルが起こったとき、自動的に安全の側に働くような仕組みをつくらず、制御技術によってコントロールしようとしていたのである。制御安全のみに頼る方法は、想定外の問題が起こったときには非常にもろいが、このような基本的な問題があるのに、建前としての安全を真実安全だとして議論をしていたことが問題なのである。

 私は「原発は絶対に安全」というのは、単なる建前だと思っていた。しかし原子力を運用する組織が本気でこれを前提に動いていたら、これほど危険なことはない。実際、東京電力の場合はそのような姿勢で動いていたように見えるが、それが福島第一原発の深刻な事故に結びついたとすると当然の成り行きとしかいいようがない。

 安全対策というのは、危ないことを前提に動いているから効果のあるものになる。安全であることが前提になると、管理が形式的なものになって意味をなさなくなってしまうのだ。それでも国から与えられた外部基準、すなわちマニュアルがあればなんとかなると思うかもしれないが、マニュアルは想定している条件の中でのみ力を発揮する。今回のような想定外の問題が生じたときには非常に無力なのである。

 想定外の問題が起こったときに正しく対処を行うには、進むべき道を自分で考えるための内部基準が必要になる。ところが、東京電力の場合は、この内部基準つくりをまったく行っていなかったように私には見えてならない。福島第一原発では、すべての電源が喪失するという想定外の問題が生じたとき、だれもなにも手を打たず、専門知識のある者なら当然予想できたはずの水素爆発が起こるのを許してしまった。そう考えると、この事故は想定外の問題に対処できるための内部基準を備えることを怠った「組織不良」によるものであるのはまちがいないのである。

 内部基準を備えることは、安全対策の強化にそのままつながる。これを使って仮想演習や逆演算などの見方で起こりうることのシュミレーションを行えば、じつは起こさせたくない最悪の出来事を回避するのはそれほど難しくない。東京電力が日頃からやらなければならなかったのは、「悪意の鬼」になったつもりで原発に深刻な被害を与えるシュミレーションを行うことだったのである。

 かつて十万人以上の死者を出した1945年3月10日の東京大空襲は、米軍が江戸時代の大火や関東大震災による大火で学んで風の強い日を選んで空襲を行った結果とされているが、原発をあらゆることから守るにはこのような発想でシュミレーションを行うことも必要だったのである。そして考えられる最悪の事態を想定し尽くし、同時にそれを回避するための方法を検討していれば、深刻な事態になる前に様々な手を打てるし、組織としてあれほどまでの大きなダメージを受けることも防げただろう。」

(『天災と国防』講談社、2011年6月9日発行、197-198頁より引用しています。)

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重大事故の主要な共通要因として以下のような点が挙げられる。

・スケジユール(工種)優先
・会社に損害を与えたくないという使命感
・疑目を感じつつも(楽観し)、確認・再考しない
・手順・標準通りしないことが日常的になっている
・最大の滞在リスクに対するな意識低下
・個人・階層間・組織間のコミュニケーションが疎
・チェックする立場の管理者の独断・多忙
・安全バリアの経慢な後退・無力化
・通常とは違う状況(切迫感を与える状況)
・過去のニアミスの教訓を学んでいない

技術的な問題は起こっておらず、全て人の問題、組織の問題である。


この話は、2011年秋慶応義塾大学公開講座で「組織事故防止に向けた安全文化醸成に向けた戦略的取り組み」として聴いた内容です。


組織が過ちに蓋をしようとする時、個々人とは関係なく組織というものに働く得体の知れない力ってなんでしょう。(蓋をしようとすればするほど傷口は深くなっていくのにそれに気づかない・・・?!)
今それを的確に表現する私自身のことばも引用も見当たりませんが、本質はどの場合も
同じなのかもしれません。
私なりに考えて行きたいと思います。


寺田寅彦著『天災と国防』より(1)

2014年06月11日 22時56分45秒 | 寺田寅彦著「天災と国防』
「また一方ではこういう話がある。ある遠い国の炭鉱では鉱山主が爆発防止の設備を怠って充分にしていない。監督官が検査に来ると現に掘っている坑道はふさいで廃坑だということにして見せないで、検査に及第する抗だけ見せる。それで検閲はパスするが時々爆発が起こるというのである。真偽は知らないが可能な事ではある。

 こういうふうに考えて来ると、あらゆる災難は一見不可抗的のようであるが実は人為的のもので、従って科学の力によって人為的にいくらでも軽減しうるようなものだという考えをもう一ぺんひっくり返して、結局災難は生じやすいのにそれが人為的であるがためにかえって人間というものを支配する不可抗的な方則の支配を受けて不可抗的なものであるという、奇妙な回りくどい結論に到達しなければならないことになるかもしれない。

 理屈はぬきにして古今東西を通ずる歴史という歴史がほとんどあらゆる災難の歴史であるという事実から見て、今後少なくも二千年や三千年は昔からあらゆる災難を根気よく繰り返すものと見てもたいした間違いはないと思われる。少なくもそれが一つの科学的宿命観でありうるわけである。 

 もしもこのように災難の普遍性恒久性が事実であり天然の方則であるとすると、われわれは「災難の進化論的意義」といった問題に行き当たらないわけには行かなくなる。平たく言えば、われわれ人間はこうした災難に養いはぐくまれて育って来たものであって、ちょうど野菜や鳥獣魚肉を食って育って来たと同じように災難を食って生き残って来た種族であって、野菜や肉類が無くなれば死滅しなければならないように、災難が無くなったらたちまち「災難飢餓(さいなんきが)」のために死滅すべき運命におかれているのではないかという変わった心配も起こし得られるのではないか。

 古いシナ人(中国人)の言葉で「艱難汝(かんなんなんじ)を玉にす」といったような言い草があったようであるが、これは進化論以前のものである。植物でも少しいじめないと花実をつけないものが多いし、ぞうり虫パラメキウムなどでもあまり天下泰平だと分裂生殖が終息して死滅するが、汽車にでものせて少しゆさぶってやると復活する。このように、虐待は繁盛のホルモン、災難は生命の醸母であるとすれば、地震も結構、台風も歓迎、戦争も悪疫も礼賛に値するのかもしれない。

 日本の国土などもこの点では相当恵まれているほうかもしれない。うまいぐあいに世界的に有名なタイフーンのいつも通る道筋に並行して島弧が長く延長しているので、たいていの台風はひっかかるような仕掛けにできている。また大陸塊の縁辺のちぎれの上に乗っかって前には深い海溝を控えているおかげで、地震や火山の多いことはまず世界じゅうの大概の地方にひけは取らないつもりである。

 その上に、冬のモンスーンは火事をあおり、春の不連続線は山火事をたきつけ、夏の山水美はまさしく雷雨の醸成に適し、秋の野分(のわき)は稲の花時刈り入れ時をねらって来るようである。日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられて来たこの災難教育であったかもしれない。

 もしそうだとすれば、科学の力をかりて災難の防止を企て、このせっかくの教育の効果をいくぶんでも減殺しよとするのは考えものであるかもしれないが、幸か不幸か今のところまずその心配はなさそうである。いくら科学者が防止法を発見しても、政府はそのままにそれを採用実行することが決してできないように、また一般民衆はいっこうそんな事には頓着しないように、ちゃんと世の中ができているらしく見えるからである。

 植物や動物はたいてい人間よりも年長者で人間時代以前からの教育を忠実に守っているからかえって災難を予想してこれに備える事を心得ているか少なくもみずから求めて災難を招くような事はしないようであるが、人間は先祖のアダムが知恵の木の実を食ったおかげで数万年来受けて来た教育をばかにすることを覚えたために新しいいくぶんの災難をたくさん背負い込み、目下その新しい災難から初歩の教育を受け始めたような形である。これからの修行が何十世紀かかるかこれはだれにも見当がつかない。」


(寺田寅彦著『天災と国防』講談社学術文庫、2011年6月9日発行、49-52頁より引用しています。

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なぜこうなってしまうのかという問いに対する絶対的な答えはどこにもないと思う。
ただ今を生きている私たちには、先に逝った人たちの分まで一生懸命生きる役割がある。
御霊が安らかであれと祈りつつ、若くして失われた命の分まで今を生きていきたい。