横浜の市民講座で話した時のことである。ウィークデーの日中だつたので、聴衆はほとんど主婦だったのだが、私の話を聞いてある主婦がカルチャl oショックを受け、たまたま隣で聞いていた私の友人の新聞記者に、「いまのお話はほんとうでしょうか」
と尋ねたという。
そのとき私は、日立製作所をはじめ、東芝や松下電器等がいまも社員にやらせている「みそぎ研修責フンドシ一つで伊勢神宮を流れる五十鈴川に肩まで入らせる)の話をし、それでも、そういう会社を「いい会社」だとして子どもを入れたいか、と問いかけた。
とくに東芝では、「職場八分裁判宍府中工場の上野仁が村人分ならぬ職場八分を受けたとして訴えた)なるものが起こり、その過程で、会社側が「扇会」という秘密組織をつくっていたことが明らかになつたと話した。
扇会のメンバーは次のような人間を「問題者」とし、会社の労務の人間と協力して″善導
”しようとするのである。
文書として残っている「問題者」は、まず第一に、退社後の行動が見当つかない者。
あいつはたいてい飲みに行っているとか、パチンコに行っているとか、当たりがつけばいい。
しかし、それが不明な者にはクエスチョンマークがつけられるのである。
第二に、新入社員や若い社員の面倒をよく見る者。つまり、東芝に入ったら、若い社員の面倒をみてはいけないということになる。
第三に一生理休暇等、権利の行使に熱心な者。
第四に、自分の月給を他人に見せ、他人の月給を知りたがる者。お互いにどうして、これだけかと、月給を見せ合うことからしか、労働運動は始まらない。弁当のおかずを手で隠すように自分の月給を隠していては、正当な働きによる正当な月給を要求はできないのである。それを、むしろ、会社側がよく知っているということだろう。
労働組合は、いま現在何の役にも立たない。「職場八分裁判」では、東芝の組合は会社と一緒になって上野仁を追いつめたのである。
第五に、就業規則をよく読む者。
語るに落ちた感じだが、とにかく黙って働け、過労死しても文句を言うなという魂胆であるこ
とが実によくわかる。
しかし、世の「教育ママ」ならぬ「就職ママ」たちはそうした実態を、まったくと言っていい
ほど知らない。
そして、人気企業ランキングに出てくる「いい会社」に子どもを入れようとする。ところが、
ここで強調しておきたいのは、いわゆる「いい会社」に過労死やみそぎ研修があるのだというこ
とである。
「いい会社」というのは、たとえば銀行などのように不正融資のスキャンダルを軒並み起こし
ているが、つまりは、利益をあげている会社を指す。それはしかし、社員を過労死するほど働かせて数字を上げているということなのである。
ランキングに出てくる「いい会社」にこそスキャングルや過労死があると言っても、決して過
言ではない。
いつか、テレビの番組で就職を前にした大学生と話す企画があった。
中で、ある女子大生が「住友銀行志望」と書いていたので、
「イトマン事件を知っているか」
と尋ねたら、
「これから勉強します」
と蚊の泣くような声で答えた。
金融志望と書いていた男子学生も、銀行スキャンダルについては何も答えられなかったが、「いい会社」とスキャングルとは切り離されているのだろうか。
皮肉っぼく言えば、人気企業ランキングは私には″スキャンダルoランキング″と重なって見える。
結局、人気企業ランキングなるものは、イトマン事件を知らない住銀志望の女子大生や、金融スキャングルについてはかばかしく答えられない男子学生たちによってつくられる空疎なものだということになるだろう。
世の就職ママたちも、こうした大学生と大して変わりはない。だから、私の話を聞いてショッ
クを受けた横浜の主婦が、私の友人の新聞記者に、話を聞いてくれ、ということになった。
彼女には息子が二人おり、二十六歳の上の息子は、いわゆる「いい大学」から東芝に入った。下の息子は銘柄大学ではないところを出て、オーストラリアに渡り、日本には帰ってこない。
つまり、上の息子は自慢の息子で、下の息子は非自民ならぬ非自慢の息子ということになるが、上の自慢の息子が二年ほど前、会社(東芝)をやめたいと言い出し、とんでもないと言って抑えた。しかし、今日の話を聞いて、息子がやめたいと言った理由がわかったような気がしたという。
友人の記者からこの話を聞いで、私は逆にそこまで会社のことを知らないものか、とショック
を受けた。『KKニッポン就職事情宍講談社文庫)をはじめ、さまざまに私が書いたり話したりし
て来たことは虚しかったのかという思いにも一瞬とらわれたのである。
しかし、私の微力は別として、「知らない」ということではそんなものなのだろう。
「いい学校」から「いい会社」へという幻想が日本をおおっているのだから、それから脱け出
ることはそんなに容易なことではない。
その幻想の象徴が人気企業ランキングであり、¨ある意味では″幻想ランキング″と言えないこともない。
一九九二年五月二十七日号の『週刊新潮』「掲示板」に次のような返事が載った。
「過労死の実態をお尋ねですが、私の長男は大学を卒業後、建設会社に就職し名古屋で働いておりました。就職後すぐに様々な場所で、現場監督の見習をしていたそうです。建設現場での仕事を終えると、本社に帰って書類の整理をし、宿舎に帰る毎日だったようです。それから二年後のある朝、いつもの時間になっても息子が起きてこなかったので同僚が起しに行くと、息子は布団の中で冷たくなっていたのです。息子の場合、過労といっても、むしろストレスによる心不全だったのではないかと思います。そのためでしょうか、会社に労災の認定をした際、認められませんでした。身体も丈夫でガッチリとした体格でしたので、当初は納得のいかない葬儀を出しました。息子の遺品を整理していた際、勤務当初からの給料明細が出てきまして、それを見ますと、殆ど日曜日も休みがない状態だったようです」
この返事の主は父親だが、主に母親たちが集う「過労死遺族の会」などに出ると、本当に遣り切れない思いがする。彼女らが口々に言うのは、夫や子どもに過労死されてはじめて日本の「いい会社」の実態がわかったということである。
もちろん、彼女らから見れば、人気企業ランキングに並ぶ会社は、ほとんどが「問題者」ならぬ「問題企業」ということになるだろう。
九二年十月十五日付の『朝日新聞』「声」欄には、三十歳の百貨店勤務の女性の次のような投書が載っていた。
「来年の就職活動をする方の参考にとペンを執りました。 一流と言われる私が勤める百貨店では、能力主義、チャレンジ主義を掲げ、性差なき開かれた職場をうたい文旬に毎年採用活動を行っていますが、入社する大卒男子のほとんどが縁故採用です。女子の場合はさらにひどく、ここ数年間は、全員が縁故者で占められています。
募集要項では、こんなことは一切わかりません。リクルーターも建前しか言いませんから、
縁故のない就職希望者は、実にむなしい戦いを強いられているわけです。
運よく入社出来たとしても、論文による昇級試験制度があり、これがなかなかの曲者です。論文という制度は点数の公表がないので、採点側にとっては、実に都合のよい灰色の試験制度です。
その結果、まず確実に昇給するのは、役員など幹部とつながりのある者と組合関係者で、残りは各部署の部長の力関係で決まります。こうした″力″を持つ者が制するのが百貨店体質と言えるかもしれません。社員の心が荒廃し、やる気がなくなるのも当然の成りゆきです。このような採用、人事が続く限り、百貨店の構造不況から、我が社が立ち直ることは絶望的なような気がします」
三越をはじめ、伊勢丹、松坂屋など、呉服屋から出発した会社が多い百貨店は、とりわけ、「我が社」の家業という封建的体質をもっている。しかし、決して百貨店だけではないのである。
私は、日本の会社は憲法立ち入り禁止の″憲法番外地″だと言ってきたが、同じく十月二十日の「声」欄には、商社マンの夫の過労死を心配する二十六歳の主婦がこう訴えている。
「どれくらい働くと人は過労死するのでしょうか。商社マンの主人はもう一カ月、午前二時過ぎの帰宅が続いています。朝は九時半には会社へ着いています。 一日中打ち合わせ、会議、取引先とのやりとり、そして山のような書類を片付けると、二時まで働いても終わらないのです。二時に帰ってきて、それから食事をして、また書類を読んでいることもあります。
世間は不景気で帰宅が早くなったといっているのに、主人には全く関係ありません。休日
出勤もしています。
主人は決して仕事が趣味というような人ではありません。絵を描いたり、読書をしたり、
とでもプライベートな生活を大切にしてきました。好きでこんなに働いているのではあヶま
せん。辞めたい気持ちも大きくなっていますが、責任もあるし、今はまだ辞められない、と
自分にむち打っています。多少苦しくても今よりはましだろうと、私は辞めてほしいと思っ
ています。ぼろ雑巾のように働かされている主人は、まるで過労死へまっしぐらの特攻隊、
といった様子です。
これが学生の人気企業ランキングに必ず名前がのるような一流企業のサラリーマンの実態
です」
二人の女性はともに「仮名」となっている。実名で書くと、″人権先進国″ならぬ″人権赤字国”のニッポンでは、いろいろとまずいのである。
ゼネコン汚職でゼネコン人気は落ちているのかどうかは知らないが、『週刊文春』九二年十一月二十五日号の「おじさん改造講座」は「不祥事インタビュー」を特集し、二十五歳のOLのこんな声を載せている。
「うちはゼネコン企業です。逮捕者も出てたいへんヤバイことになっている。しかし、こんなことになって談合がなくなるはずはなく、この前も十社分の見積もりを作らされたりした。これは入札前に談合してうちの社が受注することになっており、競争相手の見積もりより高値で作成するのである。したがって、この十社分の見積もりはすべて手書きなのだが、当然筆跡がちがってなければならないので、同じ人が三社分書くことはできない。こんなバカバカしい仕事を当然のようにいつもさせられてるのに、この前、社長がテレビで「談合、献金はあってはならないこと」などと言っていたのが空々しく聞こえる」
早くこうしたゼネコンを告発しろと検察にハッパをかけたいが、二十六歳のOLの次の声にも
唸ってしまう。
「父は問題になった大手ゼネコンの社員ですが、検察が入ってからヤバい資料は全部家にあわてて持って帰ってきた。父の同僚は、談合スケジュールが書いてある手帳をお庭できれいに灰にしたそうだ。トツプがどんどん捕まり、パパは「まずいまずい、まずいまずい」と言いながら、お正月タイに行くかオーストラリアに行くか真剣に悩んでいる」
その他、「建設会社の支店長らしい」人が自殺したのに、新聞にもテレビにも出なかったことに首をかしげる二十四歳のOLの声も掲載されている。
つまり、こうした実態を知らないでランキングはつくられているということである。
よく私は、日本には零以上の会社はないと言う。みんな基準以下のマイナス点がつくのであり、マイナス九とマイナス七では、マイナス七の方がいいという程度の話なのである。
日経ビジネス編の『良い会社』(新潮文庫)という本がある。それに「良い会社」度を測るモノ
サシが十項目ほど挙げられているのだが、「時間外労働には対価が支払われる」とか、「大切な休みを社用でつぶさない」とか、「上司への全人格的従属をせずにすむ」とかの信じられない項目が並ぶ。 ・
極めつきは「社員を人間として尊重する」。さすがに『日経』は、日本には残業代を払わない会社が多く、「社員を人間として尊重しない」会社が少なくないことを知っているのである。
つまり、「あたりまえの会社」が日本では「良い会社」となってしまうのであり、私が零以上
の会社はないという意味もわかってもらえるだろう。
そういう現状の日本で、人気企業ランキングはほとんど犯罪的な意味しかもたない。あたかも、ランクが上の会社に入ればバラ色の未来が待ち受けているかのような幻想をふりまくという意味で、それは犯罪的である。どうしてもランキングを出したいなら、その数字のすべてにマイナスをつけることを私は提案する。」
(内橋克人・奥村宏・佐高信『就職・就社の構造:』岩波書店、1994年3月25日第一刷発行、151-161頁より引用しています。)
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10年余り前には自分が「過労死家族の会」の方々とお会いする機会が訪れることなど思いもよりませんでした。労災を申請し認められるまで何年もかけて茨の道のりを歩まれています。旦那さんを過労自死で亡くされた女性が労基署を相手取った裁判を応援傍聴したことが
あります。地方裁判所で、七回目の法廷の開廷時間はわずかに5分。話には聞いていましたが驚きました。裁判は5分でしたが、起訴した女性の側の弁護士二人と裁判長が何を話しているのか、何が進んでいるのか、労働紛争を経験したわたしには理解することができました。旦那さんが勤めていた会社にしか過労の実態を示すものは残っていないので会社の同僚だった人たちの協力を得ようとしているのです。「会社ってひどいのよ」。女性の言葉がいたいほど私にはわかります。
この引用のなかにかかれている「”人権赤字国”ニッポン」という言葉が身に沁みます。