たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

本日契約終了となりました

2020年03月31日 19時46分55秒 | 日記
 昨年の6月1日付で開始した育休代替の業務、本日契約終了となりました。果てしなく長い10カ月でした。最後の最後まで電話でオロオロとなりました。10カ月やってきたぐらいでポンポンと答えられず、自分の手元の書類に集中しているときに、急にそんなこときかれても頭が回らない自分ほんとにポンコツだと涙がにじました。まだわけわかんない7月にマケテくれなかったら死んでやるとか言われ、バカだのなんだのと怒られまくり、最初のころ職員からはあからさまに悪口言われ、最後まで私に対する態度悪すぎる職員いて、職員同士もいんしつで最後まで苦手なまま、いい印象を残すことなく10カ月終わりました。自分には合わず辞退すればよかったと後悔しながらの10カ月でした。最後の最後まで電話がいやで緊張して行きたくありませんでした。やっと終わりました。都会は殺伐としていて人間関係が希薄で冷たく、自然が豊かな地方は人間関係があったかいなんていうのはうそだなあって、地方の方がこわいんじゃないのっていうことを学んだ10カ月でした。

 去年の5月、作文通って面接に呼ばれた援助職の業務、こっちで合格通知をもらってしまったので辞退すると伝えるためだけに『鎌足』のライブビューイングを最初からみることをあきらめてわざわざ面接会場に出向きました。この業務を終えた先に援助職をやりたいという思いがあり、わたしなりの誠意のつもりでしたが馴染めない地域だとわかったことでぶっ飛びました。駅から遠く不便な家にいてもこれ以上なす術はなく、4月に入ったら需要があるかどうかはともかく、ぶらっと1年間働いたところを訪ねてみようかなと考えていました。すごく大変でしたが色々勉強になったしその後どうなったのかと気になっている人たちもいるので上野の美術館や日比谷を訪れがてら30年間暮らした街で数日過ごすつもりでした。コロナで身動きできなくなってしまいました。

 逃げ場のない田舎町、空き家だらけで真っ暗な町で明日から無職、無収入、社会から孤立しながら家にひきこもるしかないのも苦しい。弟から今度はちゃんとマンション買えっていう追い討ち。家に帰ってきたのバカすぎるのはもうよくわかったんだよ、母も妹も病んでしまった家にやすらぎがあるとなんで思いこんでしまったのか自分でもわかんないんだよ、8年前母がいなくなったとき天涯孤独になっていたことに気づかなかった自分をもう十分責めているんだよ。それでも明日からまた断捨離しながら、まだ残っている妹の荷物を整理しながら家にいるしかない。コロナがおさまってきたら二度と戻ることのない旅にでるための準備していこう。

 二晩続けて眠剤を一錠半のんでしまいました。体がひえきっています。自転車も板の間も冷えて冷えて仕方なくって週末も十分に眠れませんでした。なのでとにかく今日を無事に終えるためにのんでしまいました。

 自分働ける力があるはずなのにこんな不便でどうにもならないのもどかしい限り、帰ってこなければよかったと自分を責めても仕方ないです。また日比谷に近しいところで暮らせる日を夢みて明日を生き延びていくことを考えようと思います。慣れない地域の慣れない業務、疲れました。体重がまた減っているかもしれないです。弟も自宅待機かも、そうすると家にはいられない、わたしはただのお荷物、邪魔者、家にいては水道もガスも電気も使ってしまうから家にいてはいけないの、自分の場所ではないの。でも今なす術はない。

 自分チケットもっているわけではないのですが、『エリザベート』が開幕する予定だった帝国劇場も15日まで中止と東宝が判断せざるを得ない状況。宝塚は12日まで中止となっていますがその先もわかりません。シアタークリエの『モダン・ミリー』も中止。4月いっぱいはもうきびしい状況のような気がします。宙組の『フライングサパ』が幻となってしまうかもしれないと考えるだけでつらくて涙が出てきてしまいます。チケット代払い戻さなかったら税金優遇とかそんなまやかしはいらない。舞台の幕があがることでごはんを食べている人たちにとって舞台は不要不急のイベントではなく仕事。舞台を心の糧にしている人たちのために、コロナがおさまったとき舞台の幕が開けられるようにしてほしい。心が病気になってしまう前にShow Must Go On !と祈り続けます。

 

「イヤなことがあっても思いきり笑えば忘れられる」

2020年03月30日 22時21分06秒 | 日記
2006年3月7日号の志村けんさんのインタビュー記事、婦人公論のwebサイトに掲載されています。
ttps://fujinkoron.jp/articles/-/1833?page=3

「新聞も、テレビも、ネットも暗いニュースばかり。「イヤなことがあっても思いきり笑えば忘れられる」という志村さんの言葉は、今をどう乗り越えていけばいいのかを、教えてくれている。」

 小学生の頃、リアルタイムでドリフターズに入ったばかりの志村さんをみていた世代。東村山音頭、なつかしいです。

 わたしたちに大切なことを、身をもって教えてくださったような気がします。信じられません。涙がとまらないですね。

 


宙組『エルハポンーイスパニアのサムライー』_マカロニ・ウエスタン

2020年03月30日 19時46分38秒 | 宝塚
 2019年11月30日(土)、宝塚大劇場阪急貸切公演の終演後の真風さんとキキちゃんの漫才コンビのトーク。ふたを開けてみたら、大野先生こだわりのマカロニウエスタンをキキちゃんが一心に担っていたという話。からっと明るく、シリアスな作品かと思いきや全く違和感なく観客を笑いへと誘ってくれた謎の男アレハンドロさん。最後は大団円でエリアスに慕われるアレハンドロさん。真風さんに「おいしいところを全部もっていかれた」って言わしめるキキちゃん。最後はカタリナの敵役であるドン・フェルディナンドを懲らしめるという、いかにもな展開といえば展開ですが、スペインと日本が融合する世界に溶け込んでいたマカロニ・ウエスタン。キキちゃんがこれまで積み上げてきたものに、さらにさらに努力と工夫をして創り上げた世界観。出番が多くはなかったけれどいいところで登場して、そのたびに楽しい風が吹き、舞台に安心感をくれました。真風さんの蒲田治道との男同士の友情間もなにげに沁みました。楽しかったです。大野先生、こまかい設定をしながら生徒の自由な発想に任せられる、想像の余地がうんとある作品、ありがとうございました。

(『歌劇2019年11月号』宙組座談会より)

「芹香;マカロニ・ウエスタンでしかもガンマンという役ですので、これまでの私のイメージにないものになればと思い、あのような髭と鬘で(ポスター)撮影に臨みました。私自身、台本を頂いた時にずっと「私は誰やねん」と思ったまま読み進めていって、最後はこうなるのかと、と。最終的に正体は明らかになるのですが、“謎の男”と言われるからには、登場する度に「この人何者だろう」と思わせ、お客様を惹きつけるような魅力を強く出していかなければと思います。どうにでもやりようのある役なので、今はそれを濃く見せられるよう考えていきたいです。ああいう見た目なのに甘党だった、みたいなギャップがあっても面白いなと想像しています。

大野;軽さも併せ持った役になると人間的な深みが出てくるかなと思っています。格好はもう、完全に私のマカロニ・ウエスタンの夢が詰まった姿です。ポンチョも着てるしね。

芹香;そうですね。

大野;こういった「なんだろう」と思わせながらも場を持たせられる役は、経験値が高い人だからこそ任せられるので、縦横に力を発揮していただければと思います。ガンアクションはやりたい・・・?

芹香;どうでしょう・・。

大野;撃つシーンはあるけれども、弾はみえないからね。何かに弾が当たって割れるとか。

芹香;そこが映画と違って難しいですね。

大野;この時代の銃は1発しか撃てないしね。アレハンドロが持っているものは3発撃てるんですが。

芹香;そうなんですか?!

大野;銃身ごと回して撃つやつだから・・・って説明しないと分からない。」

 大野先生、ほんとにマニアックで博識。頭が下がる思いです。











 4月7日の東京宝塚劇場星組公演のチケットも、4月12日の宙組ライブビューイングの抽選申し込みも幻になりました。体が病気になる前に心が病気になってしまいそうです。それでもジェンヌさんたちもわたしたちも無事に生き延びればまた必ず劇場で再会できると信じるしかないのだと、2017年タカラヅカスペシャルの映像をオンデマンド配信でみながら思います。『ミー&マイガール』『スカーレット・ピンパーネル』なども見ています。今はこれだけがよすが。プログラムを見返しながら思い出の引き出しをあっちこっちと開ける日々。公演中止によるチケット代だけでも億単位の損失。阪急東宝グループという大きな組織はそれでもまだ持ちこたえことができるのか。今まで観劇してきた舞台全てが奇跡でした。また観劇を楽しめる日は必ず訪れる、それまで死ぬわけにはいかないと自分に言い聞かせます。

ミュージカル『スクルージ』より_スクルージ

2020年03月29日 17時00分02秒 | ミュージカル・舞台・映画
(『ミュージカル2013年11・12月号より』)

「ミュージカル『スクルージ』は、イギリスの国民的作家チャールズ・ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』を原作とした映画『クリスマス・キャロル』のミュージカル化で、クリスマスシーズンの定番演目として、海外でも人気の作品だ。脚本・作曲・作詞はレスリー・ブリカッス。

 日本初演は1994年、スクルージ役は市村正親さん。以後、97年、99年と演じ続けている。

 19世紀半ばのロンドン。守銭奴の老人スクルージは、クリスマス・イヴの日でさえ借金の催促をする嫌われ者。そのイヴの夜、7年前に死んだ事務所の共同経営者マーレイが現れ、「今夜、3人のクリスマスの精霊が訪れて、お前を、過去・現在・未来に連れて行くだろう」と告げる。果たして精霊は訪れ、スクルージは衝撃の未来を知ることになる・・・。

 この12月、久しぶりに上演が決まった『スクルージ』で、市村さんが、14年ぶりにスクルージを演じる。


<エベネザー・スクルージ>市村正親

🎄久しぶりのスクルージ役、役作りで考えられていることは?

 特に新しいことはやろうとは考えていませんね。シンプルに演じたいと思っています。クリスマスの夜に、自分の過去と現在と未来の精霊に出会うことによって、自分の人生を見つめ直し、周りの物事に気がついていくスクルージという男の話というのを、シンプルに、芝居として深くやりたいですね。

🎄スクルージに描かれているものは?

 いいお話なんですよ。スクルージは金貸しで、周りの人をかなり苦しめてきましたけど、自分の過去を振り返って、人生をやり直すことを決めます。自分の過去を見つめ直し、これからどう生きていくか・・・そこに作品のテーマがあると思います」。

 「けっ!!ばかばかしい!!」、クリスマスイヴを祝うロンドンの下町の貧しい人々の姿をあざ笑う市村さんスクルージ、どこか憎めないクソじじいぶりが絶妙でした。元気に走りまわる子役ちゃんたちがいっぱいの舞台、大きくなってきたのでティム坊やを卒業した加藤憲史郎君がずっと舞台にいたのも嬉しかったです。孤独な少年時代を送ったスクルージも演じていました。明日からクリスマス休暇が始まる学校の放課後、迎えに来る人がなくひとり教室に残っている孤独なスクルージ少年の姿には胸が締め付けられるものがありました。誰にも愛されないスクルージを迎えにきたのは幼い妹。守銭奴となったスクルージですが妹を大切に思っていたんですよね。根っからの悪人にはなり切れなかった優しい心根がずっと心の片すみにあったのかなと思います。だから生まれ変わることができたのかなと思います。最初に訪れた過去のクリスマスの精霊は、子どもを残して亡くなったスクルージの妹の姿をしていました。2015年は香寿たつきさん、2019年は愛原実花さん。愛原さんは13年にも演じられていたんですね。素敵でした。 

 ロンドンの下町に灯りがともる舞台装置もあったかく沁みる舞台。わたしは、1994年初演、2015年、2019年と観劇。写真は2019年12月14日の日生劇場。



 


なつかしの雪組『雪之丞変化』『サジタリウス』

2020年03月28日 19時54分16秒 | 宝塚
 1995年3月3日から30日まで東京宝塚劇場で上演されました。東京宝塚劇場で観劇したの、振り返ってみるとちょうど25年前、妹が旅立った翌年ということでした。この歳月を、のたうち回りながらもなんとか無事に生き延びてきたということか。当時東宝テレザーブに電話してチケットとっていました、思い出しました、体にしみついていた03-3201-7777。インターネットの時代になり電話することはなくなりました。

『雪之丞変化』、脚本・演出は柴田侑宏先生、歌舞伎の場面の演出には、尾上菊之助さんを迎えての上演でした。芝居の雪組、日本物の雪組の系譜の一本。

「上方歌舞伎の花形役者である中村雪之丞は親の仇討ちのため江戸にやってきたが、仇敵・土部の娘である波路は雪之丞の艶姿にすっかり魅了されてしまう。雪之丞は自分の好意を寄せる波路を利用しようと企む。」

 中村雪之丞;一路真輝
 浪路;花總まり
 お初;高嶺ふぶき
 闇太郎;轟悠
 土部三斎;泉つかさ

 『忠臣蔵』で浅野内匠頭を演じたいっちゃんの、和物の上品な美しさ、貴公子的な二枚目ぶりが大好きでした。女性であるいっちゃんが男役として演じた中村雪之丞が劇中の歌舞伎で夜叉姫を演じる場面があるという面白さがありました。仇討ちのために自分を利用しようとしているとは知らず雪之丞に思いを寄せる浪路は花ちゃん。トップコンビとしてのお披露目でもありました。のちに10年にわたってトップ娘役をつとめた花ちゃん、この頃はまだまだ大輪の花が開く前の蕾。でも今の方が若くみえる不思議さよ。お初の高嶺ふぶきさん。キャリアの長い男役さんが女役を演じるとごっつくなりがちなところがありますが、ゆきちゃんのお初は線がすごく綺麗でしなやかでした。雪之丞にひそかに思いを寄せながら江戸を去っていく雪之丞を見送るときの妖艶さを今も思い出します。いい女っぷりでした。まだ三番手の頃の轟悠さんが雪之丞の仇討ちを手助けする闇太郎。『エリザベート』の初代ルキーニへとつながっていく濃い役がお似合いでした。

 『サジタリウス』は中村暁先生初のショー作品。『雪之丞変化』が長かったので、40分ほどと短めでしたが楽しいものでした。今でも好きな大好きなショー作品のひとつ。サジタリウスは射手座のこと、昨年の星組の『エストレージャス』へとつながっていくものを感じて今振り返るとより感慨深いものがあります。テレビでみて心をうばわれた舞台の演出家の作品に20年余りの歳月を経て、主役として出演するなんてすごい巡り合わせ、そこに他たどり着くまでの道のりを思うとほんとに希少なことだと思います。
 
 私は昨年紅カールにすっかり魅せられてから知ったエピソード。小学5年生ですでに160センチを超えていてランドセルが似合わなかったさゆみちゃんがたまたま学校から帰ってきたらテレビで放送されていたのをみてランドセル背負ったまま釘付けになり、宝塚に入るんだと決意したのが『雪之丞変化』、続いて放送された『サジタリウス』もそのままみてすっかり宝塚のとりこになり、初めて大劇場で観劇したのが『仮面のロマネスク』。退団公演の千穐楽で作品名は出さなかったものの観劇したときの感動を今でもはっきりおぼえていると語っていました。一路真輝さん、高嶺ふぶきさん率いる雪組の作品を全作観劇していた身としては、この出会いがのちのトップスター紅ゆずるさんを生んだ出会いといっても過言ではないというエピソード、なんとも感慨深く嬉しいものがあります。紅さんが『バロック千一夜』での高嶺さんの色気のある美しさを熱く語っているのをみたことがありものすごく細かいところまでよくみていてほんとに好きなんだと思いました。下級生時代仮面のロマネスクごっこしていたとか、嬉しみすぎます。この出会いがあったから昨年『霧深きエルベのほとり』の再演がありました。こうして受け継がれてきている歴史よ。

 劇団とっても便利 さん 25周年記念公演『美しい人 』
  4月10日-12日京都府立文化芸術会館にて上演。

 この公演をもって高嶺ふぶきさんが俳優から引退されるとのこと。初代フランツはわたしの中で永遠。初代ヴァルモン子爵の美しさは宝塚の歴史が続くかぎり永遠に語り継がれていくことと思います。コロナ旋風の中、無事に上演されることを祈ります。













ミュージカル『CHICAGO』宝塚OGバージョン_思い出し日記(3)

2020年03月27日 19時42分00秒 | 宝塚
(公演プログラムより)

「星奈優里;ハニャック

OGバージョンの魅力は、やはり女性のみで演じているというところに尽きると思います。これだけ“SEX”を描いている作品で、舞台上に立つのは女性のみで・・・。でも、独特な妖艶さのあるボブ・フォッシーの世界観には、ピッタリとはまるんですよね。ダンサーとしてフォッシー自身と共に仕事をしている振付のゲイリーさんの話だと、フォッシーは女性のみで『シカゴ』を上演するのが夢だったそうですよ。

 そのゲイリーさんをはじめ、今年リバイバル版のブロードウェイロングラン20周年を迎える『シカゴ』に長年携わってきた方々が、クリエイティブスタッフとして来日してくださるのは、本当に貴重な経験となっています。稽古場で彼らと共に過ごしていると、『シカゴ』が長い間愛されてきた演目である理由が分かるんですよね。皆さんが常に、作品に対して新鮮な気持ちで接しているんです。

 私が演じるのは、英語を話せないハンガー人の女囚ハニャック。ゲイリーさんいわく、「『シカゴ』の登場人物で正直なのは、エイモスとハニャックだけなんだよね」とのこと。ビリーにヴェルマ、ロキシーと、自分の欲望にまっすぐで魅力的なキャラクターたちの中、このハニャックがどうお客様に見えかを考えながら常に演じています。ちなみに、私自身が一番好きなのは、厳密にはハニャックとして演じているシーンではないんですけれど、ビリーのガールズとして羽根を持って踊る<ALL I CARE ABOUT>です!」

 宝塚100周年記念のセレブレーション宝塚以来の星奈優里さん、ハニャックとして登場されたとき声ですぐにわかりました。処刑されてしまったハニャック、嘘に嘘が重なり誰がどこまで本当のことを言っているのか最後までわからない駆け引きみたいな舞台の中で、清らかさが沁みました。星奈優里さんほんとに綺麗だと思いました。ダンス力も健在、いやさらに磨きがかかっていたかな。この方もまた永遠の妖精さん。




あと二日

2020年03月27日 19時09分04秒 | 日記
 首都圏に週末外出自粛要請が出る事態となり、これから先どうなっていくのか、感染者はさらに増えていくのか、先の見えない不安な状況に行き止まり感しかない金曜日の夜。こうして生き延びることができているだけ幸いというところまできてしまっている危機的状況なのでしょうか。よくわからずただなんとなく備蓄を意識した方がいいのかなと思ったりしてレトルト食品少し買い足しつつ防災リュックを見直さなければと思います。日本が破綻する前に世界が破綻してしまうの?わずか2カ月前まではこんなことになるなど全く予想だにしませんでした。お正月は30年間暮らした街を訪ね大好きな日比谷の東京宝塚劇場で宙組を観劇し、国立西洋美術館でハプスブルク展を楽しみ、また必ず戻ってこようと心に誓ったのが今はすごく遠い日の夢のことのようです。日常だった日々が幻想のようです。帰ってこなければよかったと涙ぽたぽた。

 水曜日の夜、4時間半ほどの睡眠。あさがた寒いで目がさめたあとまた眠れず体がつらすぎたので最後の有給休暇を使おうと携帯アラームをとめて、弟が出勤した音をきいたあとあとまたゆるゆると眠りようやく7時間余りの睡眠を確保。10時半前に就労場所に電話を入れて最後の有給休暇を使いました。あと二日。もう眠れなくても具合悪くても出勤するしかありません。ここまできても長い一日。だるいといえばだるい、最後の締め日は終わったし、交通費を返さなければいけない事態にはもうならないのでどっちでもいいといえばどっちでもいい。人事異動が出たみたいでこれまた怒りと不満と憎しみ、敵同士みたいなストレスの吐き出しっぷりがすごくて、ことばが汚すぎて耐えがたい。お隣同士仲良くお喋りして、いなくなるなら仕事教えてくださいねー、いいよー、とかやっているのにいないとき悪口、こわいこわい、今日も背筋がこおる思いでした。態度の悪い職員から書類ほうりなげるように置かれるとかふてくされるとかどうでも、どっちでもいい。勉強できた人たちがいい会社に入るかそうでなければこの道かでたぶん来ているからこうなっているのかなあ。どうなっているの、どういうレベルなのと思うことが多すぎてもうこりごり。希望のなさに心が折れまくり。また無職、無収入、家にいたら電気もガスも水道も使ってしまうからいてはいけないのに居場所はないし、断捨離は家にいないとできないのでいるしかない。どこに希望を見出していけばいいのか今はわからない。ただただコロナの終息を祈るのみ。

 宙組『フライングサパ』のライブビューイング、当落のお知らせ延長メールが昨日ピアから配信されてまた気持ちが落ちてしまいました。自粛要請期限の12日だから劇団は事態をみながら延期しようとしているのかな。千穐楽ではなく日曜日にあわせてのライブビューイング、まだ希望の余地は残っていると思いたい。宙組ようやくの制作発表会だったし、ウエクミ先生の脚本・演出、そしておそらく真風さん、まどかちゃん、キキちゃんのトライアングルは遠からず終わっていく。幻になってしまうのはあまりにもつらい。一生懸命にお稽古しているだろうから、自分がライブビューイング観劇できるかどうかはおいといて、いやできれば観劇したいですが、とにかく一回でもいいので舞台に立てるようにと祈るばかりです。

 やっと幕があがった東宝もホリプロも中止の決断をせざるを得なくなりました。劇団四季も首都圏だけは中止。役者だけで舞台はできない。また舞台を開ける時に、オケメンバーとか照明さんとか衣装さんとか舞台を支えてくれている人たちもちゃんと戻ってきて舞台を開けられるようにと祈るばかりです。ああ、心の糧が、心の糧が・・・。

 またShow Must Go On !の祈りを込めて観劇の想い出を綴っていこうと思います。


ミュージカル『スクルージ』より_現在のクリスマスの精霊

2020年03月26日 19時58分12秒 | ミュージカル・舞台・映画
「現在のクリスマスの精霊 今井清隆

 『スクルージ』は素晴らしい作品とは知っていましたが、今回初めて台本を頂き、読むほどにこの作品に惚れこむ自分に気づきました。私の役どころである現在のクリスマスの精霊の“やりたいことを全てやり、言いたいことを言う時間など、あったためしがない。だからこそ限られた時間の中で人生を精一杯に生きる‐これがコツなのだ。人の一生は短い、ある日突然お前はもうここにはいない・・・”という台詞が身に沁みます。」

(『ミュージカル2013年11月・12月合併号』より)


「3.11石巻復興祈念ゼミ合宿」報告書からの引用(12)

2020年03月26日 19時25分01秒 | 東日本大震災
「石巻市に足を運んで

  人間科学専攻Aさん

 9月14日から9月16日にかけてわたしたち〇〇〇〇ゼミ計8名で宮城県石巻市を訪れた。震災以後、一度も被災地を訪れたことがなかった私にとって、今回こうして足を運ぶきっかけを頂けたことはとても幸いなことであり、大いに意義があることだった。東日本大震災から約2年半が経った今、最近では原発関連のニュースが大半になり、被災地の復興に関する、実際に目にして現状を知ることができることは、大変貴重なことだと感じた。

 新幹線で仙台駅に到着し、そこからバスに乗って一時間、私たちは石巻市のイオンモールの駐車場に着いた。私がここに来るまでの道のりで感じたことは、案外地震の被害は市街地にはなかったのかな、というぼんやりとした印象だった。イオンモールで今回案内をしてくださるAさんと合流をし、石巻市の一番被害の大きかった場所まで連れて行って頂いた。Aさんは緊張感のない私たちの空気を感じ取ってか、「被害があった地域はこの先だよ。衝撃を受けるかもしれないから、心の準備をしておいてね。」とおっしゃった。被災地に到着してわたしはびっくりした。真っ白な更地だったからだ。ここはもともとそういう土地だったのかと勘違いしてしまうほど何もなかった。家も、瓦礫もきれいにない更地だった。そこはとても静かで穏やかで、本当に二年前に大津波に襲われたところなのか疑ってしまうくらいだった。きれいに片付いた土地、その横には錆びれてつぶれた車が整列していた。こんな瓦礫がここにはたくさんあったのだろうなと、ぼんやりと想像することしかできず、私は恥ずかしかった。もっと早くに訪れていれば、何か私でも力になれたことがあったはずなのに、なぜ私は動かなかったのかと後悔の念を抱いた。私がこれまでに被災地のためにしたことと言えば、冬に服の寄付やご飯の寄付、募金をしたくらいだ。テレビで観た人や建物が津波で流されていく風景や、被災後の瓦礫の山となった風景や、人々の混乱を、このきれいに片づけられた更地に当てはめて想像力を働かせてみても、想像だけでは限界があった。ニュースでしか情報を知らない私が、本当にここまで来て良かったのか、不安に感じてしまった。そんな私たちに対し、Aさんは一つずつ丁寧に当時の状況を語ってくださった。津波の様子、逃げ惑う人々の様子、車で逃げようとした人たちが震災当時大勢いたが、その大半が津波に飲まれた土砂が車の中に入り逃げられず窒息死していたという事実に私は衝撃を受けた。地面にはもちろんん、そういった死体がいたるところに目の前にあった。Aさんの話を聞くうちに、Aさんを含め、この地震の被害にあった方々は、私が到底想像もできないほどの深い傷と、絶望や悲しみ、困難、苦労を乗り越えて今ここに生きているのだということを改めて実感した。それと共に、困難を生き抜いてきたからこその「強さ」というものがAさんから伝わってきた。

 一番被害があった地域からバスにまた乗り30分程度、漁師をされているAさんが住んでいる漁村に向かった。その場所は海の近くということで、先の場所と同様に被害は大きかったことは想像できた。着いたところは山と海に囲まれたきれいな場所だった。ここもきれいに片づけられてぱっと見は被災地だとはわからなかったが、村の片隅にフェンスで囲まれた地域があった。その中には片づけられた瓦礫の山がそのまま手つかずで放置されていた。市内部はきれいに片づけられているけれども、市内を少し離れると復興が途中で止まってしまっている現実を知ってほしいとAさんはおっしゃっていた。散歩がてら旅館の周りを歩いていると、よく見ると草も伸びっぱなしのところがあり、ここにはかつて住宅があったのではないかと、当時の被害が窺えた。一番まざまざと津波の被害を知れたのはAさんの元あったご自宅だ。被災した当時のまま立つその家は私にはあまりにも衝撃だった。雨ざらしにならないようにふさいだ壁、家の中は骨格しか残っていなかった。床もない壁もない天井もない風景は、よくリフォーム番組で見かけることはあっても、実際にこうして目にするのは初めてで、それは家丸ごとさらっていく津波の脅威を物語っていた。Aさんはそこで改めてご自分の被災時の体験を語ってくださった。家の前はすぐ海なので、Aさんは文字通り津波を目の前で体験した方だ。こういった方のお話を聞けることは大変貴重だった。家の2階より上まで津波が来たこと、ロープにつかまり必死で流されないように踏ん張ったこと、家に何かを取りに行ってしまった親戚お二方は今も行方不明なこと、目の前で津波に流される人を何人も見たこと、被災したその日は山の中で一晩過ごしたこと。3月という寒い中で一晩外で生き延びるのも大変なことだ。その一晩は恐怖心というより、生き延びることで精いっぱいだったこと。次の日に10時間以上もかけて瓦礫の山死体の山をよけながら道なき道を歩いてお子さんを探しに街の方に歩いたこと。Aさんがたくさんお話してくださった中で一番心に残った言葉は「とにかく生きてほしい」ということだ。「死にたくなくてもなくなった人たちがたくさんこの市にはいる。だから命を無駄にしてほしくはない。自殺などは絶対にしてほしくない行為だ。」とおっしゃっていた。そして、いざもし関東に地震が起き津波が来たとしても、大事なことは「生き延びること。」たとえ隣で津波に流されそうな人がいて、自分がその人より10センチ前にいたなら、その人を置いて逃げなさい、とにかく高いところに逃げなさい、引き返したりはせず逃げなさい、というのが津波を体験したAさんの教えだった。どうしようもない自然の驚異に対しては逆らうことが出来ないのだから自分の命を守ることが精いっぱいなのが現実だとAさんは語った。Aさんが語る言葉は一つ一つがとても重く忘れてはいけないことだらけだと感じた。

 気になることは2年半たった現状だ。漁師であるAさんは帰り道に海でとれたアワビとウニを食べさせてくださった。福島第一原発の汚染水問題で気になるセシウムだが、漁師の方々はきちんと検査を一匹一匹されていることを教えて頂いた。それでも風評被害がどうしても絶えないとAさんは嘆いており、私はウニもアワビも頂き、とても美味しくて感動したので、以前と変わらず東北には美味しい魚介がたくさんあるのだということを知ってもらいたい、風評に流されるのではなく、たくさんの人たちにまず食べてもらいたいと、心から感じた。また、Aさんがその他にも強く訴えていたのは、復興支援が十分に行き届いていないことだった。たくさん被災された方がいる中で、震災前からいろんな暮らしをされていた方々全員が同じように満足のいく支援をするのは難しいことではある。しかしそういうことではなくもっと政府には被災地の人の生活に寄り添ってもらいたいという思いが伝わってきた。メディアもちいさな漁村にはいまや取材は入ってこず、きれいに片付いた石巻市内にばかり目を向け、一般的に復興が進んでいるようにメディアに映して終わらせてしまっているのが現実で、まだまだ復興が進んでいない地域、震災前の生活を取り戻せている人はほとんどいないことを教えてくださった。未だに仮設住宅の方もたくさんいらっしゃるので、少しずつ暮らしが改善されることを祈るばかりだ。

 今回の研修で私が感じたのは、もう一度被災地の方々のことを日本にいるたくさんの人に考えて行動してほしいということである。どんな事件でも、メディアで報道の数が少なくなるにつれ、つい人々の頭の中からは徐々に薄れていくものだが、被災された方は今でもなお戦っているということを忘れてはいけない。「絆」「がんばろう日本」と日本中でこういった言葉が掲げられているがAさんは言葉できれいにまとめられてしまっているのが現実だとおっしゃっていた。いくらどんなに遠くから東北の復興を願っても、言葉、想いだけでは当たり前だが全く現状は変わらないのだ。もちろん祈ることが無駄だと言っているのではない。しかし、本当に「絆」を作るためには、行動が伴わないとそれは生まれないのだと今回の研修で強く感じた。なぜなら、私もこうして被災地に足を運びAさんに出会うことで初めて、ただ「被災地」であったものが、「行ったことのある、知っている町」になり、「Aさんがいる町」になり、「私も何か力になりたいと思える町」に変わったからだ。これが「絆」なのではないか。「がんばろう」と言葉だけになる前に、そして風評に流される前に、まずたくさんの人に被災地にぜひ足を運んで頂きたい。そうすることでより被災地を近く感じることができ、他人とは異なる自分なりの被災地に対する考え、想いも生まれるだろう。そこから自分はいったい彼らのために何が出来るのか、今一度多くの人に考えてほしいと感じた。」

(慶応義塾大学文学部 3.11石巻復興祈念ゼミ合宿報告書より)

星組『ベルリン、わが愛』より_「俺たちの映画」

2020年03月26日 12時08分22秒 | 宝塚
「作詞:原田諒

 時代がいかに変わろうと

 映画の灯を消してはならない

 シネマが見せる夢は

 束の間の幸せなんかじゃない

 それはきっと希望に

 それはきっと勇気に変わる

 幸せ求める すべての人に

 

 誇り持ち 戦おう

 スタジオが スクリーンが 

 我らの戦場


 光と影の中に 勇気と希望を

 勇気と希望を さあ

 
 誇り持ち 戦おう

 共に手を携え 信じる人と

 愛する映画を すべての人のために

 俺たちの映画を


 誇り持ち 戦おう

 共に手を携え 信じる人と

 愛する映画を すべての人のために

 俺たちの映画を

 俺たちの映画を」







映画、音楽、舞台はわたしたちの心を潤し明日への活力を与えてくれる。
無事に心から楽しめる日が訪れますように・・・。

Show Must Go on!の祈りをこめて、井上芳雄さんのあしながおじさんも。