たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

秋のプリンス・エドワード島への旅_3日目の続き

2013年08月31日 15時07分30秒 | プリンスエドワード島への旅
春は色んな緑にあふれていたモンゴメリさんの住居跡の庭が

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秋はしっとりと色鮮やかでした。

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落ち葉を妖精がまき散らしたかのように美しいですね

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「キンドレット→グリ-ンゲイブルズ→お化けの森→住居跡→教会・郵便局→モンゴメリさんのお墓→グリ-ンゲイブルズ

夕方になって晴れてくる。
部屋に戻って、レトルトのおかゆとワンタンスープでおそいお昼をすませてから、グリーンゲイブルズを通り過ぎて恋人たちの小径とトレイル散策、再びモンゴメリさんのお墓にお参りしてから住居跡でしばし空を見上げ、お化けの森を歩いてからグリーンゲイブルズへ戻る。高い高い北の空を雲がぐんぐん流れていく。光もさし込んでくる。

海岸まで行くパワーはなかったので、日も暮れてきたし、キンドレットに戻り、近くの野原越しにサンセットを楽しむことができた。
やっぱり橙色でゆっくりと沈んでいき、残照の中に光り輝いている。不思議だなあ。他とは違う場所。海辺もさぞかし美しかっただろうと思うと心残り。
あと3日間でかなえられないだろうか。わがままツアー、無理かな。

色様々な紅葉は、写真を撮り始めるときりがない。
高い空、空に向かって伸びる細い木々、遠く遠く流れる雲、ざわざわ、ざわざわ、風の音。
これがPEIだ。思い出した。

春と違って、きびしい冬の前にテンションの高さはないが、なんとも色鮮やかでたおやかに美しく、空気は澄んでいる。
雨の赤土と紅葉、曇り空の下、しっとりと美しかった。

やっぱりこの島は特別なんだ。どこまでも美しい。

キンドレット スイートルーム3泊目。


モンゴメリさんが教会に行く時に通った赤い道。
やっぱり足元からエネルギーがわいてくる。
足があったかくなってくる。なぜだろう。」




キンドレットからグリーンゲイブルズへのショートカットコースで。
秋なのにたんぽぽの綿毛?・・・、不思議です。

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グリーンゲイブルズの台所の窓辺のゼラニウム。
『赤毛のアン』に描かれているゼラニウムとは種類が異なります。

  
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秋のプリンス・エドワード島への旅_3日目

2013年08月25日 14時55分14秒 | プリンスエドワード島への旅
旅日記は3日目に飛びます。
2日目は後日載せていきます。


「2012年10月15日(月)

朝ちょっとあたたかい。
小雨、空気がピリッと澄んでいる。
ようやく、7時間眠れた。
2度途中に起きて、8時過ぎにめざめる。
ゆっくり朝食。
ようやく体調が整ってきた。

グランベリージュースとラズベリージュースがおいしい。
のどがかわいている、とても。

グリーン・ゲイブルズに出かける。
ショートカットで5分ぐらい。

グリーン・ゲイブルズの窓辺から見える紅葉が美しい。
ホンテッド・ウッドも様々に色づいて本当に美しい。
(台所の窓辺の)アンがボニーと名付けたアップルゼラニウムをガイドさんがジュリアン・ベルと説明してくれた。(自分の理解があっていたかどうかはほとんど自信がありません。)
アン・セミナーと原文を読んでいることで、前よりもほんの少し英語が聞きとれるし(!?)、話せて嬉しい。
今までで一番ゆっくり、じっくり100年前の雰囲気を楽しめた。
人が少なくていい。

ホンテッド・ウッド(お化けの森)、美しかった。
雨でしっとりしていて、モンゴメリさんが『赤毛のアン』の中で様々に表現している美しさが実感できる。
そして、(モンゴメリさんが暮らした)マクニール家の住居跡へ。
春とは全く違う表情だ。
リンゴの実・風の音・落ち葉の色とりどりの美しさ。PEIに来たんだと実感する。
住居跡から、教会へモンゴメリさんの足跡をたどる。
赤土を歩いていると、足元からあたたかくエネルギーがわいてくるのを感じる。
この頃が一番寒かった。
ビジターセンターにトイレのために立ち寄ると11℃。寒いはずだ。
一日の中でも目まぐるしく天気が変わる。
たんぽぽやたんぽぽの綿毛があったり、ほんとに不思議だ島だ。
ちなみに今はちょっと晴れてきている。
風はPEIの風だ。思い出してきた、この島の風の音を。

キンドレット・スピリッツのスイートルームにて休憩中。
もうすぐ午後4時。」



キンドレットからグリーン・ゲイブルズへの道はこんな風に色づき始めていました。
雨でしっとりとしています。

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グリーン・ゲイブルズからお化けの森を眺めます。

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モンゴメリさんの住居跡から教会への道です。
(モンゴメリさんの恋人たちの小径)

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→まだまだ続きます。昨日は松本侑子さんの赤毛のアン・セミナーの2回目でした。
 そのことも書きたいと思いますが今は時間がありません。

秋のプリンス・エドワード島への旅_出発

2013年08月17日 22時29分11秒 | プリンスエドワード島への旅
ようやく旅に出発します。
島へたどり着くまでにはまだ時間がかかるのですが、よろしければお付き合いください。

「2012年10月13日(土)

不安と緊張の中、成田エクスプレスに乗る。落ち着かない。長かった。(かかりつけ医で処方箋をだしてもらった)軽い睡眠薬を前の晩飲んでみたら動悸がしてしまった。母の死因が頭をよぎる。不安・・・。

薬局にTELしたら、使わない方がいいかな、ということだった。

12時59分、成田エクスプレスに乗る。

着いたらヤマトで荷物を受け取り、すぐにチェックイン。重さが心配だったが、余裕だったようだ。
1万円相当をカナダドルに両替するとそのまま出国。搭乗ゲートに辿り着くまでに1時間は要しただろうか。あわただしい。搭乗を待つ間、不安と緊張はピークに達して落ち着かない。TELしてみたり、メールしてみたり。カウンセラーのY先生にはつながらなかった。いつまでも頼っていてはいけない。

17時20分、トロント行きAC002便テイクオフ。(写真家の吉村和敏さんも同じ便に搭乗されていたようです。)わりとスムーズだが、時折激しく揺れる。酔い止めと風邪薬で最初の食事の後少し眠ったようだ。でも、あとはぱったり眠れない。結局、睡眠薬にたよった。でも、激しく揺れ始めると、子供たちの泣き声でなかなか眠れない。カップラーメンをいただいた後ようやく少し眠れた。

16時10分(日本との時差は-12時間)、定刻通り、トロント・ピアソン国際空港着。
乗り継ぎに緊張。入国審査で英語がトンチンカン。違う方向へ進みそうになるが、係の人が教えてくれたので大丈夫。荷物受け取りのターンテーブルを間違えることなく、あとはひたすらCONECTION、荷物を預け直してあとはひたすらシャーロットタウン行きの搭乗口D12のゲートを目指す。

トロント(往路)の乗り換え手順。

①先、入国審査。渡航目的などをたづねられる。

②ターンテーブルで荷物受け取り。
 出口には出ないでひたすらCONECTIONの表示に従い左に進む。

③荷物を国内線に預ける。これでいいのって思うぐらいかんたん。

④エレベーターに乗って上の階へ。

⑤国内線手荷物検査を受ける。
 (③から⑤まで現地係員お手伝い)

⑥あとはひたすら搭乗ゲートへ。シャーロットタウン行きははしっこ。


トロントでの待ち時間が長くて、寒くって疲れた。時折眠ったようだ。
PEIまでの飛行機が揺れて緊張する。
1時近く(真夜中、成田エクスプレスに乗ってから24時間経過していることになります。)
にPEI着。島の灯りが見えてくるとまた涙。また来たんだ。PEIセレクトツアーズさんのお迎えで1時40分頃、キンドレット・スピリッツ・カントリー・イン着。
満天の星空が美しい。」


曇り空の中のケープ・トライオンです。







色づき始めたホンテッド・ウッド(お化けの森)の中です。

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下手な写真ですがキンドレットのスィートルームです。
裏にも出入り口があって、ドアを開けると朝はカナダギ―ス(単数はカナダグース)の鳴き声が聞こえ、グリーンゲイブルズへのお散歩も近く、ピリッと寒い10月の朝を満喫しました。

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バスルームも可愛かったです。

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プライベートツアーを案内してくれたガイドのHさんが使った地図の一部です。
スキャナーで読み取ってアップロードしました。

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シャーロットタウンからキャベンディッシュ(『赤毛のアン』ではアヴォンリー)まで今は車で40分ほどですが、アンの時代は馬車で一日がかりの旅でした。

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お盆が過ぎて昼間は猛暑ですが、夜の風は秋の気配が感じられるようになってきました。
どこへ出かけても冷房がきつくって、職場でも空調の風の直撃を受ける場所に坐らされているので、外は暑いのに体は冷えてしまう夏が今年も過ぎていきます。
(席替えを希望しても、大きな組織でなかなかややこしくてむずかしいです。)

9月は妹と父親の命日がおとずれ、いろんな思いが交錯する季節の変わり目です。
現実には自分にごはんを食べさせるために働き続けるしかないのですが、平日は仕事以外のことはほとんど何もできないのですが、自分に与えられた役割を探し続ける気持ちを失わないようにしていきたいと思います。
私が今こうして自分の足でしっかりと立って生きている、母が一生懸命育ててくれたからなんだと、いなくなってみてようやく気づきました。

まだまだ書きたいことがあり、旅日記も続きます。
よろしければ引き続きお付き合いください。

プリンス・エドワード島は、ずっと心のお休みの場所でいてほしいと思います。



秋のプリンス・エドワード島_エルマイラ駅舎前

2013年08月11日 14時20分31秒 | プリンスエドワード島への旅
プリンス・エドワード島の北の果て、イースト・ポイント近くのエルマイラ駅舎前。
日本の12月初めぐらいの寒さで、風は芯から冷たいのにハスの花が咲いていて不思議な感じがしました。

旅日記はまた近く載せたいと思います。

『東北学/文化と震災からの復興』=2回目

2013年08月11日 12時14分25秒 | 東日本大震災
2012年9月29日―11月17日
慶応義塾大学日吉キャンパス公開講座「日本ってなんだろう」を受講しました。

9月29日の3時限目、赤坂憲雄「東北学、新たなステージへ」のレジメより引用。
2回目です。

<2>震災の夏には、鎮魂と供養のテーマがあふれていた。

 お盆の季節に被災地を歩いた。四月から五月にかけての頃には、津波に流された家々のコンクリートの土台ばかりが眼についたが、それが急速に雑草に覆われてゆこうとしていた。荒れ野に回帰してゆく被災地からは、あらゆる記憶が根こそぎに奪われてゆくようで、恐怖を覚えた。コンクリートの土台が見えると、妙に安心を覚えた。そこに、花が供えられている姿をくりかえし見かけた。そのかたわらに、お菓子や缶入りのジュースかお茶、壊れた携帯電話、そして写真が置いてあった。別れを告げる言葉を書いた紙が、ビニールに包んで立てかけてある。何人もの名前が見える。

 土台しか残っていない民家の庭先に、真新しい高灯籠が立っていた。花が供えられた一角が近くにあった。高灯籠は新しいホトケが、道をまちがえずに自分の家に戻ってくることができるようにと立てられる、目印なのである。この家でも、迎えなければならない死んだ家族のために、建物としての家はすっかり流されてしまったが、その庭に高灯籠を立てたのである。生き残った家族のもとに帰ってきてほしい、という願いが託されているはずだ。

 そこからは、延々と草むらにテトラポッドが点在している。まるで恐山の賽の河原のような情景が広がっていた。海辺に出て、荒涼とした海に見入っていると、数台の車に分乗した人たちがやって来る。数十人の人たちはみな花を携えていた。浜辺に集まると、一人一人順番に壊れた堤防に近づいて、海に向かって花束を投げてゆく。親族のなかに遺体の上がらぬ者がいて、その供養のために浜辺へやって来たのか。肉親の死を受け入れることはできないが、それでも何とか区切りをつけようとしている、そんな姿に見えた。みなが花を投げ終えると、海を背にして寄り集まって記念写真を撮った。

 その頃から、わたしは自分が被災地巡礼の旅をしているのだと思うようになった。いたるところに、東日本大震災の犠牲者たちを鎮魂するための小さな霊場が生まれていた。そこで、ただ黙って手を合わせることが、いつしかわたしの旅の作法と化していった。



わたしの受講メモから。

「剣舞(ケンバイ)、少年たちが侍姿で踊る。宮沢賢治が詩に書いている。打つも果てるもひとつの命。

 垂直に宇宙に向かって行く文化、西とは明らかに違う。
 深い悲しみが奥底にある。

 小さな祭壇や霊場が被災地にはみられる。

 死者たちへの鎮魂なしに復興はありえない。
 どうやって魂を沈めたらいいのか誰にもわからない。
  
 夕方になると海に向かっている女性たち。家族が帰ってくるかもしれない。
 被災地のあちこちで幽霊がでる、という話がある。
 遠野物語、99話。

 供養・鎮魂を行うことは死者との和解。

 「死者との和解」なくして生きていけない。幽霊と出会っている。
 「死者との和解」は宗教の役割。
 神社はたくさん生き残っている。 
 生と死をめぐるテーマ。

 共生-亡くなった人たち、今生きている人たち、これから生まれる人たちを含んだ共生。 ヨーロッパにはない独自の文化。
 被災地は祈りに包まれている。
 宗教をあらためて問い直す。21世紀の震災をきっかけとした私たちのテーマ。」
 



昨日、「石巻元気商店」から配信されたメールからそのまま引用します。
(自分にできることをささやかでもやろうと思い、インターネットでおでんなど購入してからメールが定期的に配信されてきます。)

「8月11日で東日本大震災から2年5ヶ月となります。
 明日は東北の太平洋沿岸で一斉に
 本来花火が持っていた「追悼」と「復興」の意味を込めて、
 東北を、日本を、明るく、元気にするため花火が打ち上げられます。
 石巻市は雄勝町大須港の夏祭りで花火が上がる予定です。

 たくさんの想いが込められた花火を見上げ、
 多くの人に元気が届くよう願っています。」


2011年8月19日(金)-20(土)にかけて、県の災害ボランティアステーションが運営するバスに乗って、石巻市でボランティアに参加しました。
(一度は自分の目で確かめたいと思いました。結局、これ一回きりで、気持ちがありながらもなかなかその後は行くことができていません。)


車中一泊、夜21時出発、宮城28便でした。
作業内容は、側溝の泥だしのお手伝い。
私はスコップを持って泥を出すだけの体力はないので、土嚢袋に泥を入れるお手伝いと土嚢袋を運ぶお手伝いをさせていただきました。

バスの中でがほとんど眠ることができないまま朝を迎え、「がんばろう石巻」の前で手を合わせ、湊小学校近くでの作業でした。
心配していたよりも涼しく、午後は陽が出て暑くなってきましたが、幸い作業中は雲がかくしてくれていました。

沿岸部の家々や工場の、中は片づけられて土台と屋根と骨組みだけが残っている光景は、テレビで見ているだけと実際に自分の目で見るのとではかなり印象が違いました。その違いを言葉でうまく説明することはできないのですが、自分の足でそこに行くとテレビではわからない匂いや空気感を体で感じました。

事前の説明会に参加して、防塵マスクを用意していましたが、それまで経験したことのない強烈な泥というよりはヘドロの匂いに頭がクラクラし、一度スコップの泥をかいだ手袋は帰宅してから強い洗剤で繰り返し洗っても匂いは消えることなく、山歩き用の革手袋でしたが結局廃棄となりました。

小学期の時計は、3時45分頃を指したまま止まっており、その時はまだ被災された方々が暮らしていらっしゃいました。ボラバスの私たちが岐路につこうとしている時手を振ってくださいました。校庭のお風呂は中越地震のあった新潟から贈られたもののようでした。

直前までそこでは本当に普通の生活が営まれていたんですね。
普通の生活、そのいかにかけがえのないものであるかを3.11は私たちに教えてくれたはずです。
2年5カ月が過ぎ、自分の日常にまみれているとともすれば忘れそうになっていますが、今日は月命日。3.11を忘れない。一人一人の小さな力の積み重ねの先にしか復興はないんだと、その強く感じた思いをこうしてブログで振り返りながら、私自身思い出すことができました。

細々と募金箱を見かけるとお金を入れたり、あしなが基金・赤十字に募金したり、三陸産わかめを買ったり、ほんと小さなことしかできていませんが、これからも続けようと思います。自分にできることを探し続ける気持ちを失わないようにしたいと思います。


写真が携帯電話に入っていますが、アップロードのやり方がわからないのでまた後日いずれアップできればと思います。

→まだまだ続きます。







秋のプリンス・エドワード島への旅_序章

2013年08月04日 13時44分16秒 | プリンスエドワード島への旅
秋のプリンス・エドワード島への旅のこともようやく少しずつ書いてみようと思います。

書きたいことがたくさんあってあっちにこっちにと飛んでいるので、訪問してくださっている皆様には読みづらくて申し訳ないです。

メモ帳の記録をそのまま載せます。
島での滞在日記を載せるまでにはまだ少し時間がかかりますが、よろしければお付き合いください。



「2012年10月8日(月)

もう旅は始まっている。昨日空港に送る荷物をパッキングしていてようやく実感が湧いてきた。色々やることはあると気がせくばかりで、少しずつしか進めない。本を詰め込んでもそんなに読めるはずもないのだが、つい欲張ってしまう。結局、今だ旅の英会話はやれず・・・。でも、『赤毛のアン』の原文を読んで、ちょっとは上達したかな。いない間に部屋が燃えてしまったらどうしよう、とか富士山噴火とか原発事故とか不安にとりつかれている。相変わらずだ。荷物減らしを進めてはいるがまだまだあって、部屋の中は相変わらずいっぱいだ。少しずつしかやれない。そろそろ今の職場はおいとまして違うことをやりたいがどこに進めばいいのかわからない。うっかりや物忘れが多くなってきて最近あぶない。トロントの乗り換え大丈夫だろうか。ドキドキ。少しの英語でOKなんだから、がんばれ、わたし。ずっとそのままにしていた2年前の旅の資料をようやく整理する。少しずつだけど、すっきりしてきた。ほんとに必要なモノだけで、好きなモノだけで暮らしていける日を目指してがんばれ。でも、これ以上PCをみていると目がどうにかなりそうだ。

『犠牲』(1999年発行、文春文庫。ノンフィクション作家の柳田邦男さんが1992年自死によって脳死状態となった次男洋二郎さんの臓器提供に至るまでの11日間を綴られた手記です。)を読む。重版を重ねているようだから、広く読まれているのだろう。柳田邦男さんがあとがきで記している敗北感。そのなんともやりきれない、にじみ出るような口惜しさを感じてしまう、痛む思いと共に。本当に残念なことだ。勿体ないことだ。私も弟もその宿命から逃れることはできないのだとあらためてわかった。残念だが、どうしてだかわからないが。

アンとモンゴメリさんと語り合ってこよう。あと3日、仕事を乗り切る。長い道のりだ。」


写真は成田空港です。
エアカナダ,17時20分発002便トロント行きのスタンバイ中。
何度も搭乗しているカエデのマーク。
やっといよいよなんだあと気持ちが昂揚してきます。

旅に出るときはいつも休みを取るための調整をして、荷物の準備もしてと、ここに無事たどり着くまでの道のりが本当に長いです。





「2012年10月12日(金)

赤いトランクの中味をもう一度確認。
チェックしてから、ヤマトで成田に送る。
PCを修理に出す。
できれば銀行に行く。
整骨院へマッサージに行く。」




写真は、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡のお庭です。
美しい黄葉・紅葉・緑・赤土が私を待っていてくれました。








「2012年6月13日(土)

12時にタクシーにきてもらう。
空港についたら、1万円両替。
2年ぶりの旅にドキドキしてきたーッ。
往復は一人だーッ。」


秋の島への旅に出ようと決めたのはその年の1月で、カナディアンネットワークという個人旅行の手配会社に見積もりを依頼して、私だけの旅のプランを立ててもらいました。
(優しい弟が旅行に行きたかったら行けばいい、と前の年に11月に帰省した時に言ってくれました。感謝です。)
欲張ってあっちにもこっちにも行きたいけど無理かな、など迷っているうちに、突然おとずれた母とのお別れ。いったん中断となり、記憶も途切れました。旅の1カ月前の9月に2010年9月にお別れとなった父の一周忌があり、結果的に父・母・妹-3人の納骨をすませて、ようやく気持ちにひと区切りがついた後で、3度目の島への旅となりました。お金はたまりませんが、片道25時間の旅は、本当に行ける時に行っておかないと行けない。大げさな言い方ですが、生きている間しか行けないないんだとの思いが強くなっていました。



写真はキャベンディッシュビーチのサンセットの中からの1枚です。
まだまだあるのですが、整理が追いつかないので少しずつです。
ものすごく風が強くて寒くて、でも刻々と陽が沈んでいく様は本当に夢のように綺麗でした。








本文とは全く別の話ですが、

『レ・ミゼラブル』博多座公演が3日より始まりました。
HPにアップされたカーテンコールの映像を見ると、クオリティの高い熱い舞台だったことがうかがえますが、コゼット役の青山郁代さんが怪我で休演という心配なニュースが・・・。
キャストの皆さんが千秋楽を無事に迎えられることを祈りたいと思います。