昨日は夏の終わりのように蒸し暑かったですね。
かかりつけの町医者に行ったらすごく混んでいて、調子を崩している人が多いということですね。
ヘンな天候、ヘンなニュース、なんだか気持がざわざわと落ち着かず、また大きな天災が起こるんじゃないかなどついつい考えてしまいます。
アベノミクスは何を目指しているのか、日本という船はどこにたどり着こうとしているのか・・・。
今年(2013年)の5月に乳幼児精神保健学会の国際シンポジウムを聴講しました。
また詳細はあらためて書きたいと思いますが、フィンランドの小児精神科の臨床に携わるカイヤ・プーラ先生の講義の中で、「フィンランド・オランダは個人の豊かさよりも社会全体としての豊かさを求める社会、だから高い税金も払う、優先順位が日本とは異なる」というお話が心に残っています。
なにか根っこの大切なことは置き去りにされたまま、また豊かさ?(それはお金やモノがたくさんあること?高層マンションに住めること?)を求めていこうとしているように思えてしまう。
何か違うという違和感がずっとあって、でも何が違うのか、なにが気持ち悪いのかわからない、うまく言葉にできず、簡単に書けることでもないので今はここまでにしておきます。
通勤電車の中は右も左も無表情でスマホや携帯、イヤホンの音漏れが平気だったり、カチカチとゲーム機に夢中になっていたり。
朝ホームで列に並んで電車を待っているのですが、我先にと席をゲットしようとする人も中にはいて、私の後ろにいたらしき男性が飛びかかるようにして坐ろうとして突き飛ばされたことがあります。大震災の後しばらくは電車の中も優しい雰囲気になっていましたが、何事もなかったかのようにすっかり過去のことになりました。それは仕方ないことですが、ほんとに電車の中だけでもなんとも気持ち悪くって通勤すらかなり苦痛です。
昨日は自死遺族の会に行こうかどうしようか少しばかり心が揺れていましたがかなりエネルギーを消耗するし、土曜日の13時にその場所に行くのもなかなかきついので見合わせていしまいました。もう少し余裕のある時にまた行きたくなったら行くかもしれません。
またつらつらと日記を読み返してみました。
国家試験受験直後の私が書いたものです。よろしければおつき合いください。
「2007年2月11日(日)
一年ぶりに「友・遊・勇」(カウンセリングスクールのエンカウンターグループ、今はやっていません)に行った。行けた。
おだやかな心持ちで自分を語ったが、話さなければ対峙しなくてすむ諸々のことが語ったことによって呼びさまされ、心が揺れて疲れたようだ。
PSWを受験し、ボランティアとして出発しようとしている今、このようなことはこれからも続いていく。私はそれを引き受けていかなければならない。
実習で感じた様々な思いが日々の中に埋没してしまい、五感を鈍感にしようとしてアパシーになってしまいそうな危機感があった。自分の中にある素直な感情を表現する場を求めていた。新しい第一歩の出発点のつもりで出かけた。
参加者は自分とKさんという女性。Y先生、Tさんと四人でいい雰囲気でグループは進んでいったと思う。私はいっぱい話した。実習で感じたこと、会社生活と実習先とのあり様の違い、妹のこと、母の病気のこと・・・。
O(実習先の地域生活支援センター)では最初がちがちにこり固まって、素直な自分を表現することができなかった。日頃、一生懸命自分の心にフタをしようとしているからだ。私の中にある喜び、怒り、不安感・・・そうしたものを外に出してはいけない、出さないで無表情に過ごすことが自分を守ることだと、やり切れない環境の中でいつの間にかそう思い込んでいた。そうすることがいちばん楽なんだと・・・。
だが実はすごいエネルギーを消耗していることに気づいた。私はこんなふうに自分を守ろうとしてがんばっているんだ。そう自覚することで楽になれた面とさらにつらくなった面と両方ある。
自分の中の感覚がとぎすまされた分、なぜ回りの人たちはこんなに無表情、無感動でいられるのだろうかと気持ち悪くなった。Oの利用者さん達は自分の気持ちにフタができなくなった人たちだ。
素直に自分を表現する。その中で自分だって壁をつくっていて過ごすことはできなかった。私は壁を作っている。
それはお金をいただくためにやむを得ないことだ。
アパシーにならないために、私は自覚し続ける。
つらい部分もあるが、素直な自己表現の場を求め続けて、私が個人として、一人の人間として尊重される場を求め続けながら、会社ではそうしてがんばり続ける。自覚していることは大切だ。
Kさんから何故PSWの勉強をしようと思ったのかたづねられた。私は話した。
妹を救ってやろうとしなかった自分を責め続けてきたこと、こうして苦しみながらもPSWを受験するまでがんばったことでようやくオトシマエをつけられた気がすること、話したあとの余韻で自分の中が揺さぶられ、苦しい感じが終わったあとでした。
こうしたことはこれからも繰り返し起こるだろう。
私はこれを引き受けていかなければならない。
こういう私で精神保健の世界に関わろうとしているのだ。
家に帰れないでいることもまた然りだ。
私が母のために何かしようと思う必要など全くない。
母は母の世界の中で生きているのだ、案外勝手に・・・。
そうわかってはいても、どこか心の中に罪悪感はあり続ける。自分の身内に還元できていないという罪悪感。それを否定はしない。自覚し、そうした私で関わろうとしていることを引き受けていく。
自分を語ったことで、Kさん、Tさん、それぞれが身内との関係で葛藤してきた世界に触れることができた。葛藤しながらも、ちゃんと自分の足で歩いて立って生きている。強いなあ。
人はすごい力をもっている。
私だってもっている。自分を信じて進むしかない。
これからも自分を語っていこう。そのことによって相手は反応し、その反応によって私の中での発見がある。そうやって少しずつ視野を広げていきたいと思う。
それにしても今は疲れちゃってるなあ。
もう頭を休めよう。」
試験の直後で半端じゃない疲れを引きずっていた頃ですが、私すごいエネルギーで書いていますね。自分でもびっくりです。
こうして読み返してみると、受験へのプロセスは自分自身と向き合うために私に必要な時間だったんだなとあらためて思います。
結局ボランティアするだけの余裕もなく、職場で凝り固まっているのは今も変わりません。
隣の部署のやはり長くいる派遣社員に、凝り固まっていると悪口言われているのが時々きこえてきますが言いたかったら勝手に言っていればいい、ぐらいの気持ちです。
口先だけの挨拶ができない、自分の中で本当にそうしたいと思った時にしかできないし、上手くはやれない。下手ですね、と今は退職してしまったとても頭のいい社員の男性に言われたことがありますが、変えられる器用さはない。
ほんとの派遣をやっていて派遣慣れしている人はすごく上手かったりします。
数カ月しかいなかったのに、あっちでもこっちでもいつの間にか上手におしゃべりしてお友達をつくっていたり、すごいなあと思います。あっちでこっちで働く間にいつの間にそういう術を身につけていくのか、もともと八方美人タイプの人がほんとの派遣をやっているということなのか・・・。
私の中でそういう人はいつどこで何を言っているのかわからないので要注意なのですが、いずれにしろ私には向いていないなあとほんとつくづく思いながらの毎日です。息苦しいですね。
企業・団体が起こす事故のほとんどは、技術的なことが足りなかったからではなく、その企業の有り様、人間関係により引き起こされるヒューマンエラーによるものである、という話を慶応義塾大学の公開講座で聴いたことがあります。
人の人生、人の命に関わる業務を行っている職場ではこんなこと言ってられないですね。
心の中では色々と考える毎日です。
長い徒然におつき合いください、ありがとうございました。
写真は、モンサンミッシェルの夕暮れです。
このあととっぷりと暮れた頃に灯りがともり始めてきれいでした。
こちらはモンサンミッシェルに行く道すがらの夕暮れです。
日本と違って、ゆっくりゆっくりと時間をかけて陽は暮れていきます。