たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出_秋田・盛岡・仙台(2)

2019年08月31日 18時06分48秒 | 小さな旅の思い出
「1984年7月12日快晴

6;30 起床・食事

8;00~11;30 田沢湖畔一周サイクリング たつ子像等を見る

12;10~12;25 バスにてユースホステルから田沢湖駅バスターミナルへ

12;43~13;10 田沢湖線にて田沢湖から角館まで 
         角館市内散策 伝承館、青柳家(ハイカラ館、民具の館、
         青柳家秘蔵品展示館)、樺細工センター

15;49~16;18 角館から大曲へ

17;00~18;02 大曲から秋田へ

18;40~19;35 秋田から羽立へ(男鹿線)

19;35~20;25 羽立からグランドホテル前

 今日は8時頃ユースホステルを出て、田沢湖畔をサイクリングで一周した。水がとてもきれい。水色の湖上がキラキラと輝いて、木々の緑もいっそう鮮やか。
水には触れなかったけれど、満足。
田沢湖ゆーで一緒だった日本一周、サイクリングでしているおにいさんとたつ子像あたりまで一緒にいた。いろいろな生き方があるものだとあらためて思う。仕事をやめて旅しているとのこと、それなりに素晴らしいのではないかと思う。
途中往復してしまったので、2時間で回れるところを3時間あまりかかった。ちょっと足が痛くなったけれど気分がよかった。
午後は角館へ。
武家屋敷の並ぶ通りを歩いて、皮細工の実演をみたのみだったけれど、みちのくの小京都と言われる空気は味わえたと思う。
ちょっと計画不足だったように思う。
角館からは列車を乗り継いで羽立まで。
到着するのがすっかりおそくなってしまったので夕食は抜きだ。お菓子を少しかじったのみ。
明日の予定はこれから決める。
ガイドブックをどこかに置き忘れてしまったらしい、オタンコナス・・・。
今日は疲れた。
そろそろ休もうか。
おやすみなさい。

PM11;30 男鹿ユースホステルにて」

 ずいぶんハードなスケジュールを組んでしまいましたね、わたし。ユースホステルにたどり着いたのが夜の9時近くで夕食はとっくに終わってしまっており、まかない食などの提供も受けらなかったということか。今ならコンビニが近くにあったりするのでしょうか。車でないと無理な距離にしかないかな、どうでしょうか。ユースホステルもオーナーによっていろいろで、きびしいところはきびしかったです。それぞれ癖があったように思います。お腹をすかせながら眠れたのは若さですかね。今は田沢湖線も男鹿線も全く思い出すことができませんが時刻表をみながら各駅停車の旅をするのが好きでした。なぜか昔から北国に心ひかれてきました。角館はあわただしかったのか、この世にいる間にもう一度ゆっくり旅する機会があるといいのかもしれません。

 平日の疲れがおしよせている土曜日。3時頃座椅子に座ったままうとうとしないではいられませんでした。少し生き返って思い出、自分語り。明日はライブビューイングだし、いろいろとやらなけれならないことがあるのでもう少し活動せねば。まだチケット引き換えてないや。


 


長い三カ月が過ぎました

2019年08月30日 19時04分59秒 | 日記
 

 頭ばっかり疲れているせいか、昨夜は眠剤半錠で寝つくことができませんでした。2時を過ぎてさらに半錠のんだら寝ついたようですが6時過ぎに弟の物音で目がさめてしまうともう眠ることはできませんでした。これできつい仕事をするなんてあり得ない感じですが、すぐに脳ミソ満タンのメモリー不足になりながらなんとか1日が終わりました。電話はいちいち緊張するし、パソコンの使い勝手が悪すぎるところに慣れないことばかりだからひとつひとつのろくさのろくさ時間かかります。疲れました。やればやるだけ、これは想定以上に大変な仕事だとわかるばかり。詳しく書けませんが前職の対象者となる一歩手前のぎりぎりの方々がわんさかいるということ。こりゃ大変。来月からはあらたな、年寄りたち相手よりもさらに際どい闘いが待っているとのこと。そう教えてもらえるだけわたしに対する態度がかなりマシになってきたということですが年寄りたちからの電話も引き続き入ってはくるのでそれも忘れるわけにはいきません。いろいろなことがあり過ぎます。これで一週間に一回とはいえお昼休みの電話当番か。気がおもいです。ローテーション表と持ち帰ってきた資料をみなければ。でも今夜と明日はみたくない。日曜日、雪組のライブビューイング。荷物にこんなのいれて持ち歩いたら十分に浸れませんが9月も給料をもらわないわけにはいかないので、ならやるしかないです。家からの通勤は自転車が足腰にきていることと車飛ばしすぎで危険過ぎることを考えるとほんとにきついです。死なないように気をつけなければなりません。疲労で頭くらくら、青へんぴつを持つ手に力が入り過ぎているので腱鞘炎の一歩手前。いやもうなっているのか。右の腕と指がかなり痛みます。それでも再来週の東京宝塚劇場を目指して進むしかないです。みりおさんの大劇場千秋楽は台湾と香港でも中継があるのか。紅さんは台湾ファンが要望だしたけどなかったのちょっと残念。大千秋楽は予定されているのでホッ。紅ビールを飲みながらコンビニのおでんをつまんだらすごくおいしそうですが、紅ビールに出会えないし、自転車だとおでん買ってもこぼれてしまうなあ。

 とにもかくにも偉いよ、自分。ほんとにえらいよ、お疲れ様ね、自分・・・。

なんとか木曜日まできました

2019年08月29日 22時40分57秒 | 日記
 長い一週間、一日六時間稼働ならあっという間に終わると就業開始前は思っていたのですがとんでもなく甘かったです。いやだと長い、つらいと長いです。頭の体操しているみたいなことばっかりで脳みそがしびれてきます。月末近く、電話が鳴るたびに緊張しながらの一日。夕方わたしにふられても時間かかるばっかりでわからない電話に出ざるを得ませんでした。窓口ないのだからその分電話にでてくださいなっていうことで、出ないと覚えられないですからね、っていうことで。歳くった新人にはきついこと。ききながらなんとか無事に対応しました。最初の頃を思うときけばいやがらずにおしえてもらえるようになっただけずいぶんマシになりました。職員同士の人間関係の悪さがどんどんみえてきているこの頃、拒絶反応を示され、明かされに悪口を言われているのがきこえてきていたことを思えばほんとマシになりました。職員同士のあつれき、こわい、ほんとにこわい。援助職とちがって互いに助け合わないとできない、自分が訪問などで不在のとき対応してもらうこともある。お互いさま、お互いの仕事内容を知っているっていう優しさはほぼ皆無で、間違いに気づいたら指摘しあわなければならない、指摘することに悦びを感じているようなところがあるのでこわいです。いやなんですよね、人の間違いや足りないところを指摘するなんて。仕事内容も就労場所も明らかにいやだっていう顔している職員がスルーしたリスクがくるのほんとに勘弁してほしいです。明らかにわたしの責任ではないことがわたしの責任みたいになってしまうの、お給料もボーナスもたくさんもらっているのだろうに勘弁してほしいです。なんだろうなあ、この空気感。この業務内容はどこでもこんな空気なのかしら、それとも地域性からくるものなのかしら。よりによってきてはいけない所に誘われてしまった感しかなくって、度とやりたくない、二度と関わりたくない。団塊の世代がさらに歳をとっていく少し先の日本株式会社、大変なことになっていく予感。そこに数字で関わると自分がこわれてしまいそうなのでそういう仕事はしない方がいいと思いますが避けて通ることはできなくなるのかなあ。もともとやりたい気持ちはないのですが、ますますやるまいと思うようになったこの頃。希望のもてる仕事をしたいなあと漠然と思います。そんな仕事はない?そんなことないですよね。

 最寄り駅からの帰り道、信号のない国道を渡るの、今日もこわかった。車が途切れず、ようやく渡ったと思ったら、真っ暗な側道は雑草がのび放題。その前に真っ暗なところをよくみると人が歩いているので自分がはねられるリスク高いですが、自転車ではねるリスクもあるのでほんとにこわいです。都心にく暮らしていた時のようにコンタクトレンズを老眼にあわせてバス停や電車の表示がなんとか判別できればいいレベルに弱くしていたらとっくに死んでいます。こわいの、わたし、ほんとにこわいの。ビュンビュン車が飛ばしている国道を渡ると車がこわいのでい家まで少し回り道。近所の建売住宅と思われますが、雨がぱらつく中を庭にパラソル建てて食事しているご一家あり。子どもがまだ小さいんでしょうね。憧れの庭付き一戸建て、ささやかだけど広い庭に外の空気を吸いながら食事できる幸せを満喫というところでしょうか。何を幸せと感じるかは人それぞれ。わたしはまたここを旅立っていきたいけど、わざわざここに来る人だっている。それぞれ・・・。

 帰りの電車の中で、『英語で楽しむ赤毛のアン』を何気なく読んでいて、モンゴメリさんの8月の終わりの素敵な描写があったのでブログに書きたいなあと思ったのですが力尽きてしまいました。ものすごくきついですが、あと一日あります。今夜も眠剤。明日弟は休みなのか。朝口出されるとうざい、自分のペースとやり方で過ごせないときついです、緊張感を強いられる業務なのでね。8月最後の金曜日、月末、死にませんように、無事に生き延びられますように・・・。

逃げ出すタイミングなのかな

2019年08月28日 22時49分43秒 | 日記
 まさかと思っていたけどほんとに質が悪いんだな、悪すぎる、希望がなさすぎる、残念すぎる、首都圏と地方の格差こういうところにもと受け取るべきなのか。なんだかなあ、すぎる。逃げ出すなら9月末だという気がします。これ以上ここでがんばっても仕方ない。居続ける理由はお金のため以外にない。これ以上傷つく前に、尊厳を踏みにじられる前に逃げ出した方が賢明なのか・・・。

 帰りの電車の中でゲスみたいなのが、若い女の子とか、可愛い女の子とか。わたしみにくいおばさんですけど、自分みてみろよ、って吐き気しました。別にローカル性でもないのかもしれませんがこういうローカル性の中で嫁にいくとかわたしの人生にはあり得なかったのだとつくづく納得しました。また逃げ出した方がいいみたい。次に逃げ出したらもう帰ることはないという覚悟・・・。

朝から涙の一日でした

2019年08月28日 18時48分30秒 | 日記
 昨夜から続く激しい雨。家を出るときも雨具だけでは足元がきびしいと思い、山歩き用の足元のカバーも装備して最寄り駅まで自転車を走らせました。雨の日こそ安全運転?じゃねえのって思うんですが日頃にもまして運転が乱暴だと感じる車ばかり。停止線を越えて向かってくるの、、水しぶきの音と共にさらにこわく、突然飛び出してくるのもさらにこわく、何度も悲鳴をあげたので喉が痛くなってしまいました。側道を走っていると車の飛ばしていること飛ばしていること、水溜まりのしぶきをもろにかぶってコンタクトレンズをしている眼に入るほどtでした。雨具をかぶりすぎると視界がせまくなりすぎてしまいこわいのでゆるくかぶっているとこうなります。ひどすぎると思いました。駅にたどり着いたときにはへとへとなりました。いやな一日のスタート。

 月末近くなのでいろいろなことがあります。システムから機械的に発送されている文書、いつどんな書面がどんな対象者たちに送られているのか知らされないまま問い合わせ先になっているらしく電話を受けてしまいました。おそらくかなりのストレスがたまるであろうと思われる業種の職員と思われる男性が個人名だけを名乗って最初からつっかかってきました。不明な点があるので問い合わせ先になっているから電話をしたと言いましたが冷静に振り返るといやがらせでした。最初からそのつもりで、書き方がわからないといいながら、はあっ?みたいな質問の連続でした。わからないわたしはおろおろ、おろおろなって自分の身を守る術を知らないので見事に術中にはまりました。言葉尻を救ってすきをついて文句つけて謝らせたかったんだと思います。電話の向こうで頭を下げさせることでストレス解消。自分がいつも怒られて頭を下げているんでしょうね。その捌け口の矛先になったということでした。あれもこれと頭の中がいっぱいで満タンで、しばらくみていない書面のことは一度理解してもしばらくみていないとすっかり忘れてしまっています。突然きかれても答えられない。そのすきをつかれました。担当の職員、かわってくれなくって、それを怒られてもわたしはどうすることもできず、何度も申し訳ありませんと繰り返すほかありませんでした。先方はすっきりしましたかね。こんなんです、こんなんで来週から昼休みの電話当番。ローテーション表配布されましたがまだみていません。こわいです、電話はほんとにこわいです。

 職員同士の人間関係もそごく悪い。それを露呈するような会話を横でずっとされるのすごくいやなんですけど、わたしには向かってこなくなっただけマシなのか。対象となる職員の耳にも届いているであろう大きな声での会話。聞こえるように話しているふしもあります。あー、こわい。誰がどれだけ仕事できるのかできないのか、わたしには関係ない。知らんがな。そのリスクがきてもなあって思います。わたし、短期間のわりにはむずかしすぎることをやらされているみたいです。経験者でなくて申し訳ないですが、経験者求むとして募集すべきだったでしょうって思います。経験者を求めてもきついから経験者はやりたくないのかな、だから声かけても来てもらえなかったかな。わたしはい育休代替。非常勤の人に就業時刻が迫っている頃わからないことで声かけたら職員に起こられましたが、わたしが昼休みの時間にかかって電話をとっていても知らん顔で、わたしの時間オーバーは気にされていない。いろいろなローカル性なのだと、クオリティの低さは首都圏と地方都市の違いなのだと理解するほかないと自分に言い聞かせています。就業時刻を過ぎても書類を確認していたら、隣の列の職員に、互助会みたいなの入りませんかと声をかけらました。年間費一万○千円とのこと、遠慮させていただきますと即答しました。電話を受けた人の責任みたいな、独特の空気感があり、他から来た人は違和感を感じてすごくいやみたいです。なんかよりによってトンでもないところに来てしまった感。まだようやく三カ月。先を考えてしまうとぞっとします。今日が水曜日だということすら考えたくありませんでした。明日はようやく木曜日、六時間稼働もつらくっていやだと長いです。

 天気予報みるとずっと雨、しゃくねつじごくが終わったのはありがたいですが自転車きつい。ものすごくきつい。まだ車にはねられて死ぬわけにはいきません。来月東京宝塚劇場と宝塚大劇場に遠征してふたりのさゆみさんを見届けまで死ぬわけにはいきません。今はそれだけ。荷物減らして遺品整理の気もすんだら首都圏近郊の友達が、自然と便利がほどよく調和しているから来たらって言ってくれているところに行こうかな。次に家を出たらもう戻ることはないでしょう。だから荷物を残せません。休日はお風呂屋さんと観劇以外はひたすら断捨離。過去を捨て去っていきたいです。

 

紅ビールはどこに?

2019年08月27日 22時49分45秒 | 日記
 星組ファン?の九州の酒屋さんが早くからツィートしてくれていた紅ビール、大阪のディナーショーでは受注生産であろう瓶ビールが供され、8月20日から缶ビールが発売されているみたいですが、わたしまだ買うことができていません。土曜日から気にしてみていますが、郷里近郊ではコンビニにも、肝心の薬はどこに売っているのかよくわからないドラッグストアにもありません。田舎まで回ってこないの?かな。アサヒの別の銘柄とかキリンの銘柄はあるのに、肝心の紅ビールはない。退団公演のタイミングで芸名を冠したビールが発売されるとは、ほんとにもっているジェンヌさん。発売終了の前に一度でも買えるといいですがどうでしょうか。コンビニで始まったおでんと一緒にいだいたらうまそーや。自転車だと振動でおでんこぼれてしまう
かな。そんなひとときを楽しみに待ちながら長い一週間を、あまり考えずに生き抜いていきたい。

 今日は火曜日、昨夜2時半頃まで寝つくことができず結局眠剤一錠。寝ついてからも何度か目がさめて2019年8月11日(日)宝塚歌劇の殿堂『霧深きエルベのほとり』(6)しまいました。締め日が終わってひといきのタイミングなので目覚ましとめて8時半頃まで休み、今日は主治医がいる曜日なので近くの小さな総合病院を受診。3時間の時間給をとり、お昼はコンビのイートインですませて14時30分に出勤。なんか昨日のようにきついと、そんな職員だってわかっていないことを要求されてもってなるとほんとにやめてやろうって思うよね。実際にはタイミングをもう逸しているし収入は必要なので辞めることできないですが診断書を書いてもらってやめる相談する心づもりはいつも片隅にもっています。みんなこんなもんですよね。9月はハードですが二人のさゆみさんを見届けるために東京宝塚劇場にも宝塚大劇場にもいくつもりなのでそれまでヘタレるわけにはいかない、車にはねられて死ぬわけにはいかないのです。そのためには頭の体操しているみたいな仕事だってはねのけるのです。へんな電話なんてはねのけるのです。実際にはそうはいかないですが気持ちだけ。

 清く正しく美しく、そして「朗らかに」。小林一三翁の遺した言葉にあるそうです。「朗らかに」。なかなかできないですが心に刻みたい。



息抜きに、歌劇の殿堂から『霧深きエルベのほとり』。

カールの腕、マネキンよりも長い。






小道具がよくできていてほんとにおいしそう。










 



紅5に元気をもらっています

2019年08月26日 22時11分32秒 | 日記
笑うことのほとんどない日常生活を送っているので紅5のDVD、ほんとにありがたい。就寝前と朝元気をもらっています。笑うっていいよね、なんか心が軽やかになるよね。



星組の宝塚大劇場、前楽と千穐楽を見届けた壱城あずささんの「兄ちゃん」呼びがあったかいブログ。

「あんなー壱城ちゃん。どんなに端っこにいても頑張ってたら観てくださる人は絶対おんねん。だから今日も一生懸命やろな!!」

紅さんと壱城さん、二人で毎日キラキラ大会というのをやって競い合っていたそうです。

元気をもらえるあったかエピソード満載のブログ。
たくさんの方に読んでいただきたいです。

https://ameblo.jp/ichijo-azusa/entry-12512016534.html


わたしがおかれている状況、地方と首都圏のクオリティの違いはこういうところでも・・・、と理解するのが妥当なようです。

来月東京宝塚劇場に行くまでは死ねない、その先もまだ死ぬわけにはいかないので『スクルージ』のチケット、予約しました。先行抽選めでたく当選。

少しずつ荷物減らしてまた逃げ出す準備。


これからどこへいけばいいのだろう

2019年08月26日 18時20分33秒 | 日記
 これからどこへいいのだろう。答えを見つけることができないまま、わたし、死んでしまうような気がします。弟に洗濯ネットを投げつけられて以来、弟のつくったものはあまり食べません。かといってわたしの台所ではないので自分だけの野菜スープを作ることもできない。最寄り駅からの帰り道にスーパーはないのでコンビニ弁当にサラダ、あるいは途中で買ったお弁当やらお惣菜。こんなの体にいいわけがない。しばらく前に血液検査した結果こんなにやせているのにコレステロール高めの黄色信号。土曜日にお風呂屋さんへまたいって鏡にうつる自分の細さに愕然となりました。体重計に服をもってのると43キロあまり。慣れない生活、慣れない仕事が同時は無理ありすぎてまたわたしを痩せさせてしまっているようです。まだ月曜日ですが、月曜日から吐きそうになっていてこんな頭の体操しているだけみたいな業務内容は一日も早く逃げ出したいとあらためて思いました。逃げ出しづらいタイミングにきてしまいましたが自分ダメ過ぎて無理。苦しくって仕方ないです。こんなにわかっていないのに、三カ月ぐらいであれもこれも同時に理解するなんて無理なのに、電話対応しなければならないの、恐怖。来週から昼休みの当番に組み込まれしまうの、恐怖。お給料減らしてくれていいのでやりたくない。もともと電話って好きじゃない。かけるのもかかってくるのも苦手。フリーダイヤルに問い合わせするのもすごくいや。音声ダイヤルもすごくいや。こんなわたしが顔の見えない、会ったことのない不特定多数を相手に電話対応。ほとんどの場合、自己完結できない。もたもたしていると当然怒られる、何を言っても平気だと思っている奴らからバカヤロー呼ばわりされることもある。いやでたまりません。やりたくない。10月に職員の担当替えがあるらしく、さらにプレッシャー。お金のため以外にモチベーションは見つからず、わたし能力不足だからすいませんって言って逃げ出したいです。なんのまがさして求人をみたとき応募しようと思ってしまったのか。六時間稼働、朝巡回バスが走り出す前に家をでなければならないことはなさそうで通勤のプレッシャーが緩和されて駅から遠い家からなんとか通えそうかしらと思ったからでした。お給料悪くないところに誘われてしまったのもいけなかった。悪くないということはそれだけ大変だということに頭が及びませんでした。三カ月が過ぎようとしているのに辞退しなかったことを悔やむばかり。かといって家にはいられない。かといって荷物がまだまだあるので今すぐ家をでることはできない。集合住宅の大変さもわかっている。家賃負担のあるなしはでかい。わたしにとっては希望を見いだせない郷里を気に入ってよそからくる人もたくさんいるとききます。でもわたしにとっては希望のない場所。希望があると思って帰ってきた分車社会の前ではなんの努力のしようもない、自分ではどうすることもできないのだとわかった挫折感大きすぎる。郷里に拒否された挫折感大きすぎる。逃げ出したいです。車の運転しなくても仕事ある就労場所の地域も独特のローカル性があって自分結局苦手みたい。逃げ出すためには本を少しずつ減らさねば。

 月曜日の午前中から息苦しくってきつくって涙。話す人はいません。お給料いい分やってくださいね、っていうプレッシャーばかり。ダメ人間ですわ、ってかつてスマスマで中居君が演じていたキャラがありましたね。ダメ人間ですわ、わたし。自己肯定感をもつことができない毎日。都心で暮らしていたときよりも孤独だし、生きることがさらに苦しくなったのかもしれません。慣れなくってくるいいです。

 紅ビール、まだお目にかかれません。郷里に戻ってからいこうとしているドラッグストアにあるかしら。肝心の薬はどこにあるのかよくわからない、ドラッグストア。スーパーよりも安かったりします。笑っちゃいます。

 月曜日からお見苦しいかぎりの弱音、グチ日記でした。足痛いですが真っ直ぐ帰るといやがられるので寄り道中・・・。

星組『食聖』『エクレールブリアン』_大劇場千秋楽LV泣いたり笑ったり

2019年08月25日 22時43分12秒 | 宝塚
 夜は涼しくなってきました。夕方美容院に行った時から持ち帰ってきたパンフレットと資料をようやく読んで復習していたらつらくなってきたので息抜き。

 8月19日(月)、星組トップコンビの退団公演、宝塚大劇場千秋楽ライブビューイング。サヨナラショーで紅子さんに静かすぎると突っ込まれた客席から、「泣いたり笑ったり忙しい」と声があがったように、泣いたり笑ったり感情が忙しく最後はあったかい涙が流れるいい舞台でした。ライブビューイング会場を出るとき、泣いたであろう方たくさんいらっしゃいました。紅子さんがゆずるちゃんにかわって舞台上で正座して客席にお礼をいうとき、膝の前に揃えた長い指の所作がとてつもなく美しく、『Another Worldee』の康次郎さんと同じでした。銀橋を渡るとき指揮台の佐々田先生へのお礼も忘れることなく、品格を失わない紅子さんでした。大劇場デビューで客席案内係の制服も新調されたかな。台湾公演の時と違いましたもんね。紅子さんの場面、長すぎてスタッフからミラーボール回してタイムアウトの合図がきたのかな。完全アドリブですよね。あの限られた時間で品格を保ちながら台本なしのアドリブで客席をひっぱれるのほんとにすごい。その数分あとには白い衣装の星の王子様。この紅さんの変幻自在にふれる幅の大きさすごい。芝居では、オペラグラスでは追いきれない、ころころ変わる豊かな表情をアップで楽しむことができました。SNSでみかけて気になっていた、最後背中におぶっている赤ちゃんをニコラスが満面の笑みであやそうとすると、「コラー💢😠💢、ちょっかい出すんじゃないよ」っていう感じで怒るホンパパの表情、確認できました。ダボッとしたピンク色のズボンにエプロンつけて赤ちゃん背負っている姿もまた、背が高くて長い手足の等身バランスが絶妙で実にお似合いでした。

 入団時48人中47番目の成績で6年目までロケットやっていたそうな。香盤表みると自分だけショーでプロローグのあとフィナーレまで出番がないと涙した日もあったと退団発表のあと同期生がブログで明かされていたと思います。小学5年生から憧れ続けた宝塚に入ったもののずっとはしっこが定位置だったところからここまで、宝塚が好きだという一途な気持ちを持ち続け、諦めることなく18年間やってきた紅さん、ほんとにすごいです。そんな紅さんに必死で食らいつき、隣に立つためにものすごい努力をしてきたであろう愛里さんのど根性もまたすごいなと思った舞台でした。ライブビューイングで観た二年前の『スカーレットピンパーネル』を思い返すと、『エクレールブリアン』、サヨナラショーでの歌唱はもちろんのこと、『霧深きエルベのほとり』『鎌足』『食聖』と、紅さんに食らいついていったことは愛里さんの芝居力の底をものすごくあげたなと思います。スポーツ紙のインタビュー記事によると相手役になった頃は、紅さんのかける言葉に対して「はい」と「いいえ」しか言えなかったとか。もともとは人見知りタイプで方向性にコメディはなかったのかなと思いますが、必死についていくことで『食聖』ではアドリブで対等に渡り合えるまでになり、すごく楽しそうで元気いっぱい。一文無しになったホンにタンメンの代金を払うよう強気でせまって言い合いになる場面、レンが止めにはいるまでのやりとりが千穐楽も長かった。『エクレールブリアン』では、トップ娘役として貫禄十分。紅さんの「相手役があーちゃんでほんとによかった」は共に闘ってきた力強い伴走者への最大の賛辞で感謝の気持ちが込めれていますね。娘役冥利に尽きるのだろうなと思います。客席からは「ベストカップル」の声。「ありがとう」と紅さん。最後は緞帳前で「宝塚に入れてよかったね」と言葉を交わしながら袖に入っていく姿が仲睦まじく可愛いかったです。言葉なく涙する愛里さんの頭を紅さんがやさしくぽんぽんとする姿にかつて稔幸さんが星奈優里さんの頭をぽんぽんしている姿を重ね合わせた方もいらしたようで星組DNAを感じました。幸せのおすそ分けをもらえているような、あったかい時間でした。

 まだまだ書きたいことありますが時間切れとなってきました。明日から5日間フルのあとでようやく8月が終わるのは長いです。こんなにわからないことだらけで電話当番なんてやりたくないし、きついので先のことはあまり考えたくない。一日一日、それだけ。来月もお給料をもらわないわけにはいかないです。逃げるタイミングで逸したまま5連休なんかにしたらそのあとじごくなの目に見えている。でもいつ車にはねられるかわからないし、体きついので行けるときにいかないとこの世を旅立ちとき悔いが残るので行きます。こうして日比谷にまた行きたいという気持ちになれる間はまだ大丈夫。日々心身共にそがれています。気力奪わすぎ。行きたいという気力を失くしたときがわたしのセルフネグレクトの始まりでしょう。なにがなんでも観たい、行きたいよ~っていう気持ちにさせてくれる出会いに感謝。東京公演は清く正しく朗らかにやりたいと紅さん。朗らかに。久しぶりにききました。いい言葉。

 今度の日曜日は雪組の東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング。チケットの引き換え土曜日にやらねば。友の会で当選したチケット、コンビニでどうやって引き換えるのか確認もしないと。明日の朝また気力をしぼって起き上がるしかない。今の自分は他にどうすればいいのかわからない。明日の朝まで考えたくないことは考えないことにしましょう。楽しいことだ考える、げんじつとうひ。


ニッカンベルちゃんがツィッターにたくさんアップしてくれた素敵なお写真、お借りしました。ベルちゃん、たぶん紅さんと愛里さんのすごいファンですよね。テンション高いし、ことばがあつい。















7月14日、花のみちにて。





8月11日、宝塚大劇場にて。










旅の思い出_秋田・仙台・盛岡(1)

2019年08月24日 16時02分55秒 | 小さな旅の思い出
「1984年7月11日 どしゃぶりの雨

▽▽▽ 7;31発 ひかり170号東京行

東京  9;32着


大宮 京浜東北線(水色の電車)

大宮 11:00発 やまびこ19号


盛岡 14;17着

盛岡 15:00発 まきば号

小岩井農場 ヨーグルトを食べる

盛岡 16;15着

盛岡 16:31発 特急たざわ9号

田沢湖 17:14着

バスターミナルより、17;50発急行田沢湖畔行
田沢湖公演入口下車2分

田沢湖ユースホステル

夕食すき焼き

 今朝は5時頃起きて6時に家を出た。ユースホステルに着いたのが6時10分頃。ほとんど列車に揺られていたわけだ。長い一日だった。〇〇は快晴だったのにこちらはどしゃぶり、今はあがっているが気温も少しばかり低いような気がする。
明日は快晴だといいな。
サイクリングをするつもり。まだ東北へ来たんだという実感が湧いてこない。
殆ど外に出ていないからな。
明日は楽しむぞ。

今日一日なんとか無事に終わりそうだ。
感謝、感謝、お父ちゃんに、お母ちゃんに、御先祖さまに、その他おおぜいの人たちに・・・。
ではそろそろ布団に入ります。
おやすみなさい。

PM 10;52 田沢湖ユースホステル 220号室にて」

 はじめての東北へのひとり旅。東北新幹線の始発駅が当時は大宮駅だったんですね。東京駅が近づくと、新幹線の窓から見えるビル群に、ひとり大都会に来てしまったことにどきどきしていました。東京駅に到着、そして京浜東北線に乗った時、人の多さにびっくり、同じ日本なのに違う世界に足を踏み入れたような感覚でした。数年後に都心でひとり暮らしをするようになり、京浜東北線も山手線も当たり前のように乗る日々が訪れるなど思いもよりませんでした。

 自分、若かったですね、事前に列車とバスの時刻を調べて細かく計画を立てたんだなあと自分ながらにびっくり。
こうした国内でのひとり旅の経験がイギリスとプリンス・エドワード島へのひとり旅を可能にしたのだと歳とった今は納得。

 田沢湖ユースホステル近くのバス停に降り立った時の光景はなんとなとく今も懐かしく思い出すことができます。