たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ヒルティ著『眠られぬ夜のために(第二部)』より

2015年09月30日 22時44分17秒 | 本あれこれ
「十月二十八日

 なにか争いごとの際には、より多く正しいがわの人が、まず、すこし譲ってやらねばならない。そうでない相手がわは、ゆずることなどとてもできないのが常である。なぜなら、不正というものは、強い奴隷のくさりであって、奴隷みずからそれを断ち切ることは、とうていできないからだ。
 だから、相手がまだそうすることを許すうちに-というのは、あなたに対して彼の意志はまだ自由なのだからー、あなたの方から譲って彼に力を貸してやるがよい。」

(ヒルティ著、草間平作・大和邦太郎訳『眠られる夜のために(第2部)』岩波文庫、1973年発行、243-244頁より)


「十一月十三日

 思想や仕事の上で、時にはみのりゆたかな時期があるかと思えば、また時には精神が休息して新しい力をたくわえる冬のような時期もある。あなたは、このような時期を、神からさずけられた休憩時間として、こころ安らかに感謝して受け取りなさい。かかる休憩期間は、人生において時おり現れるもので、死において初めて現れるものではない。死はむしろ新しい、より偉大な活動のはじまりであろう。」

(259-260頁より)

 さんざん苦労させられた挙句に本当のお休み時間もないまま、ようやく前に進まなければとがんばろうとしています。一日一日、深い思いの中で生きている感じです。妹が守ってくれている、背中を押してくれている、という思いが私を支え続けています。わかちあいの会に参加させていただくと、混乱の内容を詳しく話すことはできないので人に伝えづらいところがありますが、こんな支えがなければとうていやり抜くことはできなかった、本当に苦しい道のりを歩みましたが、権力に対して私はひるみませんでした。自分の尊厳を守り抜くために必要なことだったと思います。これが絶対に正解だという答えはどこにもないので、私自身が決めればいい。これでよかったんです。
 縁あって声を載せていただいた新聞のウエブサイトとツィッターで一日のニュースをチェックします。毎日毎日むずかしい心配なことばかり。本当に危ないです。この目で見たので身をもってわかります。本当に危ないです。普通の暮らしを取り戻したいです。普通の暮らしが続きますように。毎日心の中で祈り続けています。

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)
ヒルティ
岩波書店

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』より_厳密さと曖昧さの共存

2015年09月29日 18時31分45秒 | 河合隼雄・小川洋子 『生きるとは、自分の
小川 新宿の街なんか歩いていて思うんですが、超高層の近代的な、一流企業が入っているようなビルもあれば、ガード下の一杯飲み屋みたいなものもある。日本は街自体にも境界線がないですよね。

河合 そうそう、日本は境界線がいろんな点で曖昧な、ものすごく面白い不思議な国ですよ。外国人から誤解されるのは無理ないと思います。

小川 でも、科学技術が限界まで発達してしまった現在の段階になると、むしろ厳密さよりも曖昧さの方が人間を楽にしてくれるんじゃないかなって思いますね。

河合 そのとおりですね。だからこれからは、厳密さと曖昧さの共存をよく考えないかんとことになる。ただしそれは、論理的に矛盾するわけでしょ。でも矛盾したものを持たないかんということです。ガッチリやらないかんことと、曖昧なのと。科学技術を享受しながら、曖昧がよいと言ってはいけないわけですよね、本当はね。

小川 いいとこ取りしているということですものね。

河合 そうそう。だからそれを共存させるような人生観、世界観がないかっていうことを、今ものすごく考えているんです。人間は矛盾しているから生きている。全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。命というのはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾しているんだとか、なぜ矛盾してるんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、この頃思っています。そして、それをごまかさない。

(略)

小川 矛盾との折り合いのつけ方こそ、その人の個性が発揮される。

河合 そしてその時には、自然科学じゃなくて、物語だとしか言いようがない。

小川 そこで個人を支えるのが物語なんですね。

河合 ええ。自然科学の成果はたとえば数式になったりして、みんなに適用するように均一に供給できる。そして、それで個が生きるから、物語になるんだっていうのが、僕の考え方です。

(河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』新潮文庫、平成23年発行、104-106頁より)




生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
小川 洋子,河合 隼雄
新潮社

宝塚は楽しい『SUPER GIFT』_千秋楽

2015年09月27日 23時17分34秒 | ミュージカル・舞台・映画
日本がとんでもない方向に進んで行っているのを肌で知り、心配が尽きない日々。いろいろとがんばってきたので、迷いましたが息抜きに、東京国際フォーラムの『SUPER GIFT』千秋楽に行ってきました。
楽しかったです。知らない曲もたくさんありましたが、MCはなく宝塚のショーのように次々に
歌とダンスが繰り出されてきて嬉しいひとときでした。私がいちばん宝塚に通った頃に活躍されていたスターさんたちが、現役時代よりもパワーアップして、本当はすごく大変なんだろうけど余裕を感じさせながらがんばっている姿にエネルギーもらいました。

 出演者は宝塚OG

 剣幸、杜けあき、姿月あさと、安寿ミラ、湖月わたる
 こだま愛、星奈優里、森奈みはる、彩乃かなめ

去年の5月、青山劇場で『セレブレーション宝塚』を観た時は、大混乱に足を踏み入れることになり頭がどうにかなりそうな日々を送っていました。それから一年4カ月が過ぎ、やるだけのことをやった今は、心から楽しいひとときを過ごすことができました。

先日ゾフィー役で拝見したばかりの剣幸さんがビリーを演じた『ミー&マイガール』からのメドレーとランベスウォーク、笑顔にならないではいられない場面でした。しっかりと男役に戻っていて素晴らしい。ドレス姿で歌われた場面もありましたが、素敵でした。

剣幸さんとこだま愛さんの『川霧の橋』からのナンバーのデュエットも嬉しかったです。
現役時代を観ていないけれど、曲がなぜか耳に心地よく残っています。タイトルはちょっと出てこない・・・。

杜けあきさんが、カーテンコールで、「一昨年から百周年のイベントが続いてOGで集まる部たちが続いたけれど、この期に及んで男役をやるとは思わなかった。だいぶ女らしくなったとおもっていたけれど25年たってもすぐに戻っているので不思議」と話されました。雪組時代に一緒だった一路真輝さんと和央ようかさんがこの日のスペシャルゲストで「感無量」と話されましたが、観ているわたしも不思議で感無量でした。

シルバーウィークの頃のカーテンコールで、剣幸さんが「夜もふけて、わたしたちもふけた」と話されたそうですが、なんだろう、年齢を重ねたからこその深い味わいがみなさん、ありました。


一路真輝さんの『JFK』から「アポロ」と、『風と共に去りぬ』から「明日になれば」。
歌い始めると役のスィッチが入った歌声は素晴らしい。さらにつやを増した一路さんの歌唱とデコルテが美しいお衣装は素敵でした。
剣さんがカーテンコールで「一路君」と呼んでいらっしゃいました。現役時代と同じだそうです。ランベスウオークを一緒にやりましょうと誘われたそうですが、一路さん「カンベンしてくださいよ」って。

和央ようかさん、宝塚のさよなら公演の一幕最後のナンバーだったそうです。
私は観ていないのに観ていたかのように耳になじむ心地よさ。
『ドラキュラ』からのナンバーも観ていないのになぜかなじんでいるような感覚。
さらにかっこよく美しくなられて、変わったけれど変わらない不思議な感じでした。

湖月わたるさんのダンスが随所で素晴らしかったです。
長い手足を存分に生かして男役に戻った時もドレス姿の時も、どちらも素敵。カーテンコールのあいさつで涙に言葉がつまったのか、お隣の安寿ミラさんに背中をたたかれる場面がありました。

星奈優里さんのダンスも美しくて素敵でした。
ドレス姿の背中の美しさが現役時代と変わらない。
いやさらに深い美しさだったと思います。

安寿ミラさんと森奈みはるちゃんのトップコンビも懐かしかったです。
「フラメンコ♪」耳触りの心地良さとダンスの素晴らしさを堪能しました。
退団されたのが阪神淡路大震災が起きた頃なので、21年がすぎたことになります。


舞台に立っている人たちが楽しく幸せ感にあふれながら歌い踊っていると、観客席の私も幸せ感に満たされるひとときをプレゼントされました。

宝塚はやっぱり楽しい。

姿月あさとさんがラスト近くで歌われた中に、自分はこれでいいんだと自分を肯定する内容の歌詞のものがありました。どのミュージカルからのナンバーなのかわかっていませんが、噛みしめました。姿月さんの立ち姿はやっぱり素敵でした。

昨年に続いてまたこうして杜さん、姿月さんの男役で出会うことができて、しかも一路さん、和央さんが同じ舞台に立っているなんて、懐かしくて新しく幸せ感に満たされました。みなさんのパワーアップした姿にエネルギーもらえました。

明日からまた変な緊張の一週間。いくつものプロセスが待っていると思うので、まだまだ道のりは長いです。今週は連絡だけで実際に行くのは来週かな。その前に他もあたった方がいいだろうし、ここは焦らずじっと辛抱しながらいくしかないです。
こんな日本大丈夫か、心の底から心配ですが今日はここまでにします。



上の写真は梅田芸術劇場のツィッターからお借りしました。


下の写真3点はオールアバウトより転用しました。


チラシの写真。



「ミー&マイガール」の場面。



「川霧の橋」の場面。


これでよかったんだ

2015年09月26日 23時20分15秒 | 日記
今日はご縁あってお寺さんのグリーフケアの集いに参加。
たまたま実家のお寺さんと同じ宗派で、集いの前にお経を読む時間もあり、お彼岸の日にはできなかったお参りをさせていただけたような気持ちになりました。妹のことを思いながらお参りしました。

住職の、いろいろな困難があるからこそ屋久島の縄文杉は三千年も生き続けている(杉の木の平均寿命は500年)という紙芝居仕立てのお話に、混乱にしっかりと向き合ってきた自分は間違っていなかったんだと勝手に納得しながら感動。これからどう生きているかが、これまでを決めるという法話に深くうなずく。

6月に続いて、死別体験よりも混乱によって失ったものと同時にここ三カ月の間に思いもよらない体験をし社会の現実を知ったことを話させてもらいました。

混乱の始まりから今ここにいたるまでの一年半余りにわたって次々と新しいことを経験した日々と大きく揺れ動き続ける気持ちの変遷。
苦しくてどうしようもなかったけれど、ここまでやりきって私自身がようやく納得。起こったことが自分のキャパシティにおさまるようになってきました。
報われなかったけれどおかしいことをおかしいと言い続けた自分は間違ってはいなかったというすがすがしさのようなものを感じています。
これでよかったんだとようやく思えるようになりました。多くの人は経験することがないであろうことを経験し、本当にこれでいいのだろうかと自分に問いかけ続けながら混乱と向き合ってきた日々、がんばった日々。
声をあげ続けるということはとてつもないエネルギーがいります。ここまでやることができたのは、妹がずっと背中を押し続けてくれていたに違いないからだと勝手に思っています。姿はどこにもないけれど、声がきこえることもないけれど、姉ちゃんそれでいいんだよ、がんばれよ、ってエールを送り続けてくれていると思います。見守ってくれていると思います。

エントリーもう一つ追加の連絡を受け取りました。
こんなグダグダな日本になってしまっているけれど、希望の灯もどこかにあると信じてもう少し進んでみようと思います。

今日も写真は秋のプリンス・エドワード島から2号線沿いの黄葉です。

しとしと雨の一日

2015年09月24日 23時42分43秒 | 日記
昼間は蒸し暑いですが、季節は秋へと流れています。
今日は私の体験と気持ちにとても共感してくださっている女性の記者さんのお誘いで、私と同じように大混乱を経験された方と三人でお昼をいただきました。短い時間で話は尽きずにあっという間に時間が過ぎました。いろいろと問題の根っこは深いことをあらためて感じます。
そんなつもりは全くなかったけれど大混乱を経験することになってしまった者にしかわからない、孤独、怒り、やり切れなさ、悲しみ・・・自分のキャパシティをはるかに超える諸々と向き合い受け入れていけるようになるのは容易でありません。本当に大変なこと。そんな諸々を安心して話せる場所がなく相手もいないとなお孤独でどうしようもありませんでした。
疲弊しながらも必死にふんばっていた姿をおぼえていて、共感してくれる記者さんとの出会いは、大混乱経験者にとっては本当に救いになります。

はるか昔の若かりし頃の経験を生かして社会に戻って行きたいと思い連休中にがんばってエントリー。ひとつ通過できたので次のステップへと進んでいきます。
まだまだ道のりはながいです。ただ一つの問題は私が単身で家賃を払わなければならないこと。
専業主婦を前提にした賃金と勤務体系という、高度経済成長期の悪しき慣行は時代に合わないのに根強く日本の企業社会に生き続けています。
そこの壁を打ち破れれば私たぶん大丈夫なんですが、一番の問題はそこで、そうではない道へと進むことができるのでしょうか。今はまだ不安ばっかりですが、書類を作って送らないことにはどうにもならないのでまずはやってみます。
生きていくって大変だ・・・。

今日も写真は秋のプリンス・エドワード島、2号線沿いの車窓の風景です。
秋はいろんな色があって楽しめましたが、夏は緑が延々と続くばかりで退屈な風景だという
ガイドさんの説明でした。

秋晴れの一日

2015年09月23日 22時52分50秒 | 日記
22年前の今日、突然旅立っていった妹を見送った日。
迷った末にがんばって代々木公園まで行ってきました。
交通費がかかるし、パソコン背負っていないと落ち着かないので荷物重くって、足腰が痛いです。でもすごく危ないことになっているのを肌で知ったのでいかないと後悔しそうで行ってきました。いろいろと勉強しながら考えていきたいという思いからでした。普通の女性が多かったのが印象的でした。小さいお子さんを連れたパパとママがいるのも印象的でした。こういうこと、特別なことだと思っていたけれど、私たちの暮らしと命に関わる身近な大切なことだと気づきました。
こうして行ってみて、自分がぼろぼろになりながらも訴え続けてきたことは報われなかったけれど、無駄ではなかった、これでよかったんだと思えるようになりました。私が訴え続けてきてどうにもならなかったことは、そもそも30年前にその布石が敷かれ始めていたのだとようやく気づくにいたりました。
少しずつ力を持たせないようにしてきていて、それがここにきて完成しているわけで、そういうふうに仕組みが全部うまーくできているので、どうにかなるはずなどなかったのだと、ここにきてわかりました。ほんとに全部巧みです。見事というより他ないぐらい弱者に力を持たせないようにできているのです。
そんなところにはまっていることに、梯子から落っこちることになるまでほとんど気づいていませんでした。落っこちてみてどこまでひどいことかやっと気づきました。まだ悔しいですが、これでよかったんだと思います。見方によってはまだ間に合ううちに逆に私は救われたのかもしれません。今はまだ不安の真っ只中なのでなんとも言えませんが・・・。
普通の暮らしを取り戻していけるのかな。

人生の折り返し地点は過ぎました。でもまだ時間があるので出直したいです。
そんなに欲張らなくていいです。何ができるわけでなし、福祉職には希望を感じないので、普通を求めていきます。今までの経験でやれそうなところを求めていきます。いろいろと思いはあれど食えなかったらどうにもならないです。

妹がわたしのそばに来て背中を押してくれているかな。
姉ちゃん、だいじょうぶだよ、って言ってくれているかな。
妹が背中を押してくれていなければ私はここまでやってくることができませんでした。
これからも背中を押し続けてほしいと祈るよりほかありません。

報われなかったけれど言うべきことはちゃんと言ったという思いがあります。
そんなことしたって無駄なんだよ、普通はそんなことしないよ、っていうのは、うまくいえませんがちょっと違います。おかしいことをおかしいっていうのは大変なエネルギーがいるけれど自然なことだと思います。私の性分では、言っていなかったらもっと悔しさと後悔の泥海から抜け出せず身動きとることができなかったと思うので、これでよかったんです。

明日からまた行くところもない平日がやってきます。社会からの孤立。
不安と背中合わせの孤独は日々。もう少しだけ自分を信じて進んでみます。
20年前も今も変わっていないといえば変わっていないのかもしれません。
笑ってしまいます。

「1996年3月2日(土)

このヤマを越えたら、強いものが生まれると思う。
よくがんばってるよな、って自分をほめてあげたい。
あの会社の中で、こうしてひとりでいる状況の中で意地をはってよくやってるよな。
それでいいんだよ。悪口いいたい時はいえばいい。
価値観を決めてしまうことはない。
どれもこれもほんとのわたし。
今はレオートが先決かな。
プレッシャーを感じつつあせらないでがんばろう。
いい方向に進んでいると思う。」

写真は今日も秋のプリンス・エドワード島から、2号線沿いの車窓の風景です。



揺れまどう思いの中で・・・

2015年09月22日 22時54分51秒 | 日記
部屋の窓からみえる裏山が少しずつ黄色くなりつつあります。
いつもより早い秋の訪れ。
部屋の窓から見下ろせるお墓では、家族が集いお喋りしながら掃除をして花を供える日本の風景。亡き人を思いながら家族のお喋りは弾んでいるようにきこえます。さすがに内容まではわかりませんが、子どもの声からおばあちゃんかなっていう声まできこえてきて、なぜだかとても安心感をおぼえます。
明日のお彼岸、亡き家族や友人のお墓参りに行きますという身近な声。
私は新幹線に乗らないとお墓参りができないので心の中で祈り続けます。

22年前の今日は妹の通夜でした。
22年前の明日は妹の告別式でした。
今でも信じられません。なぜなのかもわかりません。
安らかに眠りつつ、見守っていてほしいと祈り続けます。

せまい部屋にずっといると誰とも話さないし、閉そく感でどうにかなってしまいそうです。
でもあまり出かけ過ぎても交通費他かかるし大事なものは全部部屋にあるので、ずっと出かけたままでもこれまた心細いし、でも部屋にずっといると社会から孤立していて淋しいし、
なかなか微妙なところです。むずかしいところです。

前のマンションほどではないけれど、お隣同士、生活の音がどうしてもきこえてしまうので、
生活時間帯がわかってしまう集合住宅は疲れます。混乱と前のマンションの壁の薄さに異常なほど緊張し続けてきたのがまだ抜けません。
普通の生活を取り戻していくにはもう少しかかりそうです。
少しなんにも考えずに休む時間もほしいけれど、次のことが決まらない今はまだ無理ですね。
前のマンション、他の部屋でもお隣同士のトラブルが起きているようなので、私だけでは
ありませんでした。
せまいこんな部屋の家賃のために働かなければなりません。
自分で自分を食わせていくという基本的なことを取り戻していくことができるのか、
すごく不安です。
結婚しているとか単身とか関係なく、一人分ちゃんと稼げるような賃金体系へと転換していかないと、本当の女性の活躍にはならないのに、まだまだ男性が稼いで女性は家を守る発送が根強いのできびしいです。
はあっ・・・

さまざまに揺れまどう思いの中で、生かされるていることを胸に刻み込みながら、なんとかしていかねばと自分に言い聞かせる秋の夜です。

写真は今日も秋のプリンス・エドワード島から2号線沿いの車窓の風景です。

不安と背中合わせの孤独の中で・・・

2015年09月21日 23時54分07秒 | 祈り
流れゆく雲は秋の色。
例年より早く涼しくなったとはいえ蒸し暑さの残る一日でした。
22年前の9月21日も朝からねっとりと蒸し暑く、いやーな一日だったことを今もよくおぼえています。今さら自分を責めるでないぞ。もう帰ってくるわけでなし。気がついたら私の体の一部となった妹との突然のお別れの日。信じられないけれど事実で、この事実を変えることは永遠にできません。なぜなのか、求め続けたけれどその答えも永遠にわかりません。ただ私が一生懸命に、普通に生きようとすることしかできません。

社会へ戻っていくための書類をあらためて整理し直してみると、本当に一生懸命生きてきたんだなあと思います。ただ、25歳で一人暮らしを始めて妹とのお別れが訪れるまでの5年余りの私は本当に愚かでした。なんでこんな生き方をしていたのか今となっては自分でもわかりませんが、何かから逃げるような生き方をしていました。もったいなかったですね。もう少し積み上げられるものがあったように思います。残念でした。今ならまだ取り戻せるのかな。全く自信がなくて、家賃もあるし不安と背中合わせで孤独のうちに日々は過ぎていきます。

大事なのは最初と直近で何をしていたかということみたいで、雇用形態はともかくどちらも長期間きっちりとやってきた実績があるので、そこをきちんとみてもらえるのであれば心配ないとも思いますが、説明がむずかしいところもあるのでどうなのか、不安です。基本的生活を男性に依存している専業主婦じゃないので、そこも微妙としか今のところ言えません。

高度経済成長期のように、男性は過労死するぐらいまで長時間馬車馬のように働き続けて、女性は家庭を守って家事・育児・介護をする。とっくに社会の実情と合わなくなっている仕組みを前提に労働環境がつくられているので、専業主婦じゃない、結婚しているとかしていないとか関係なく、一人前の収入を得たいという私のような者にはとても困ってしまう働き方と賃金体系しか用意されていません。
果たして次に私の力を必要としてくれる場所は本当にあるのか、
選ばなければなんでもあるようにみえて、実はハードルが低そうにみえるものほどあぶないこともわかってきたので注意が必要です。

最近は断捨離を超越して、ほとんどモノを持たない生き方をする人たちがいるんですね。
私がそこにたどり着くにはまだまだ大量にある書籍や雑誌をデジタル化してお別れしてしていくしかありません。したがって私の断捨離はまだまだ続きます。もっとサクサクと軽いパソコンとスキャナーに買い替えたいですね。他には欲しいモノありませんが、デジタル化に役立つものはほしいです。過去の自分と出会いながらまだまだモノとお別れしていきます。

普通の人として、声をあげ続けた私の生き方は報われなかったけれど間違ってはいなかったです。私なりにいろいろと考えていきたいです。おかしいことをおかしいとちゃんと発言することは大切なことで、当たり前のことです。なかなかできませんが・・・。
今の社会の動き、女性やお子さんを連れたママたち、学生たち、普通の人たちが参加しているのがすごいことだと思います。秩序正しく行われています。私も昨日近場の行動に参加してきました。大切な社会の中での役割だと思います。

「1996年1月28日(日)Fine

相変わらずプレッシャーを感じながら暮らしている。
なぜなのかわからない、気がついたらいつもこうなのだ。
胃の痛みがひどくてつらい。
いつまでも青くさい、四角ばったものをもち続けるのは疲れる。
けれど、そうでなくなってしまうのもいやなのだ。
いいじゃあないか。流れのままに、あるがままに、あまり無理しないでサ、
ほんと少し無理すると、すぐ具合が悪くなるからね、無理しないで、のんびり
自分のペースで行こうよ。楽しくいこうよ。努力しなければなんにもできない。
なら、努力すればいいじゃないか。
自分の中に柱があればいい、迷っているのなら、迷っているまんまの自分でいいじゃないか。
迷うことは成長への第一歩だもの。大切にしよう。
ほんと、青くさくって疲れるよ。
けれど、これがわたし。
理屈を組み立てないと気がすまない。」

今日も秋のプリンス・エドワード島への旅からの2号線沿いの景色を選んでみました。

普通に生きるのはむずかしい

2015年09月19日 23時16分18秒 | 日記
昨夜は日付が変わってもインターネット中継が気になっていつも以上に夜ふかしをしてしまいました。その結果ちっともなおらない夜型生活。これでは社会復帰が大変だあ・・・。

ネットで様々なニュースをみながら思いました。私のしてきたこともまた間違ってはいなかったし、無駄ではなかったのだと。残念ながら少数派で、そのなかでもなかなか違いがあって内実は大変なことになっていましたが、私は声をあげ続けることをやめませんでした。その結果は報われませんでした。私個人的にもほとんど報われませんでした。でもこれは私に与えられた役割だったのだとあらためて思います。次なる収入の道を見つけることができないままやってきているし、内容が複雑なので理解されにくいし、賛同も得られにくいのですが、身をぼろぼろにして問いかけ続けた姿勢はまちがっていなかったと思います。

訴え続けた声がどんなふうに取り上げられていくかもわかりました。
予想だにしなかった数々の場面をこの目で確かめることとなり、予想だにしなかった人との出会いが生まれました。短い間にお金では買えない貴重な経験をし、たくさんのことを学びました。私のやったことはでかいことでした。大変なことでした。ほとんどの人がここまではやれないことでした。
これからが新しい出発のような気がします。なぜか少しすがすがしいぐらい。
まずは生活基盤の建て直しですが、これからも細々と、聴いたこと、見たこと、知ったことを伝え続けていこうと思います。

あまり欲張らずに普通を目指します。
普通に生きること、すごく当たり前ようで当たり前でないことが実はいちばんむずかしいと思います。だから普通の生活を取り戻すことを目指します。
今は普通じゃないのか? よくわかりませんが私の中ではずうっと普通じゃない感じできています。少しずつ普通へと戻っていきたいです。全く当てはありませんが試みてみます。

父とのお別れから早いもので丸5年が過ぎました。
本当に早いです。限りある命の時を一生懸命に生きていきたいです。

写真は、2012年の秋のプリンス・エドワード島への旅から。
北のキングス地区をめざして2号線をひた走っていた時の車窓からの景色。
高い空に紅葉・黄葉が映えていて、やっぱり美しい。
またいつか行けるといいな。

『戦火のなかの子どもたち』より

2015年09月18日 23時56分59秒 | いわさきちひろさん
「うちのあんちゃん
 つよいんだぞ」

「あたしのおねえちゃんだって
 つよいんだから」

(岩崎ちひろ・作『戦火のなかの子どもたち』1985年第25刷、岩崎学術出版より)


 ちひろさんの描く子どもたちが、当たり前の日常生活がいかにかけがえのないものであるかを語ってくれているように思います。最近なんどか出勤して身近なことになってきた場所がすごいことになっている夜、私はひるんでしまって部屋でネットをみながら行方を心配しています。
一昨日の近場には行ってみました。その前に私は私のやるべきことにエネルギーを注いだのに
そこまでパワーがなく、日本のこれからを部屋で心配するだけになっています。
 
 たぶん私のやったこともすごいこと。ただ人にわかってもらうために説明するのはすごくむずかしい。メールでは伝わりません。顔を合わせた時に少しずつ伝えていきたいです。私が知ったおかしいことの色々を。こんなところまでたどり着くことになろうとは思いもよらず、思いもよらないことによって知ったことの数々。この目でみなければ到底知ることのなかった数々。それらを伝えていくことが私の役割なんだと思います。わかってもらえるように言葉を尽くして伝えたいと思います。だからお会いする時にはきいてくださいね。
 
 まずは生活基盤の建て直し。今までの経験でやれそうなところをさぐってみようと思います。公的機関はさっぱり信用できないし、国家資格の所轄省庁も信用しません。すごくひどいもんだとはっきりわかったので。今はまだ全く自信がありませんが、もう少しだけ自分を信じてがんばってみようと思います。
 
 明日19日は父とのお別れの日。21日は妹のお別れの日。見守っていてほしいと祈り続けます。先に逝った人の分まで一生懸命に生きるのが、生き残っているわたしの役割です。

 ちひろさんは今の日本をどうご覧になっているでしょう。本当に心配です。これからの日本が・・・。





戦火のなかの子どもたち (創作絵本 14)
岩崎 ちひろ
岩崎書店