たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

きっといつかまた・・・

2017年05月31日 19時42分18秒 | 日記
 部屋に帰りたいけど帰りたくない毎日、今日も放浪しています。今日は三年前の今頃、日中の居場所を求めて出かけるようになったコミュニティハウスに一年4カ月ぶりに行ってきました。(昨年・一昨年と訪れて仲良しになった子供たちに会えなかったのは残念。会いたかったな、大きくなっただろうな・・・。)そこでパソコン立ち上げて、夏のプリンス・エドワード島への写真、一応全部チャンネルにアップできました。よかったらご覧ください。方向の変更はこれからします。見づらくてごめんなさい。自分が写り込んでいる写真は非表示にしています。修正したうえでアップできればと思っています。たいしたことありませんけどね・・・。

 写真は全て使い捨てカメラで撮影したデータをデジタル化したものです。デジカメにはない味わいがあるなあと思います。トップの写真は、ケープ・トライオン岬に行く赤い道。雨上がりのぬかるんだ道をドライバーさんががんばってくれた記憶があります。残念ながら案内してくれた現地のガイドさんの名前も顔も思い出せなくなっています。それだけの時が流れました。またいつかきっと、プリンス・エドワード島を訪れる日がやってくることを信じて少しずつ前に進んでいきたいです。

 健康診断の受診が12日となり、13日から稼働開始予定となりました。いちばん暑い季節を越えていかなければなりません。定期代が一番安いルートを使わなければならず、また乗り換え二回の通勤となります。こうして一か月余り休んでしまっているし、大丈夫かな。全く知らないところにいくわけではないし、全く知らないことをやるわけではにので大丈夫、大丈夫。生活時間をあと30分前倒しにしたいですが陽が長くなってきているし、部屋に帰るに帰れずになかなかできていません。今夜こそ、出勤していた時と同じ時間に休むぞ!といっても今も30-40分おそいだけで生活のリズムを崩さないようにがんばっていますけどね、集合住宅はつらいなり。なんとかやっていこうよ、わたし。これから帰りたいけど帰りたくない部屋に帰ります。別に悪いことしているわけではないしまた誰でもできることではない、資格を持っている人だけがやる専門性のある仕事をするんだし、堂々としていればいいんですけどね、どうにもヘンな感じ。怪しまれる感じがいやでいやで・・・。

 つまらない徒然日記でした。



2009年7月11日-17日夏のプリンス・エドワード島への旅

2017年05月30日 23時09分26秒 | プリンスエドワード島への旅
2009年7月11日-17日夏のプリンス・エドワード島への旅


はじめてプリンス・エドワード島を訪れた時から気がつけば8年が過ぎようとしています。ようやく写真を整理してみたら、まだまだアップロードしていない写真があることを知り自分でびっくり。とりあえずの段階ですが公開にしました。こちらもぼちぼちとやれるときに追加していこうと思います。ほんとあちらもこちらもまだまだぐちゃぐちゃね。

 稼働開始は12日から。自分の部屋にいたいけどいたくない、いられないので用事がすんでからも放浪する毎日。電源とれてネットもつながる場所はありがたいです。雨がざあっと降って色々な音を打ち消してくれるといいのにな・・・。



『就職・就社の構造』より_各業界有力三四社の幸口評価(3)_東京電力

2017年05月30日 17時46分55秒 | 本あれこれ
「各業界有力三四社の幸口評価_杉田望(3)_東京電力

    本社    東京都千代田区
    資本金   6,704億1,500万円
    従業員数  4万3,495人
    平均年齢  39.5歳
    平均賃金  38万287円
    大卒初任給 19万8,100円

 1992年10月2日、朝日新聞と毎日新聞の夕刊に、「電力・ ガス、自民党に巨額献金か、経団連の斡旋リストに記載」と報道された。東京電力をはじめとする電力9 社は、企業・ 団体として政治献金を行っていない、と言っていた。それだけに、自民党の機関紙に広告費として実質的に献金を続けていたことは、消費者を欺く行為だった。 電力業界は、第一次石油危機後の1974年、大幅に電気料金を値上げした際、市川房江参議院議員(故人)ら消費者から政治献金廃止を求められた。当時、電力は、銀行や鉄鋼と並んで政治献金の額が多 い業界で、「献金御三家」とか、自動車と電機を加えて「献金五摂家」と呼ばれていた。結局、市川議員らが政治献金分に相当する電気料金の支払いを拒否する「 円不払い運動」を展開し、電力会社は心ならずも政治献金を廃止した。

 広告費という形で政治献金を続けるとは、実に巧妙だ「電力の業界団体、電気事業連合会がとりまとめて広告を出し、1983度から1992年度(10月で中止した)までの11年間で、61億5,000万円も広告費を出していた。東京電力の負担分は24%と第一位。                  

 「原発問題」は、電力会社にとって、頭の痛い問題だ。原子力発電所の新設、増設に一生懸命に取り組んでいるが、思うように進まない。このことが、政治とつながり、原発を立地する地元対策の一貫として、自民党との金銭面での結びつきを断ち切れなかった。

 1989年1月、東京電力の福島第二原発三号機で、再循環ポンプが破損し、水中軸受けの座金がボ ルトなどが損傷した結果、金属破片約20グラムが炉心に流れ込む、という大きな事故がおこった。だ が、この事故がおこったことを約1カ月間、隠していた。それより3年前の86年4月、旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原発でおこった重大事故のため、原発に対する不信感が高まっていた時期だけに、福島原発事故は原発不信を増すことになった。

 また、原発をあらたに建設するため、建設予定地には多額の金がばらまかれる。電源立地促進対策交付金など三つの法律は「電源三法」と呼ばれ、原発を受け入れる市町村に交付金を交付し、地元の発展に役立ててもらおうという仕組みだ。しかし、91 年一12月、すでに二基の原発が稼働している福島県双葉町は、東京電力、通産省に原発の増設を要請した。こうした要請は全国でも初めてで、交付金の交付期間が終わり、双葉町の財政が悪化し、地方交付税交付金の交付団体に転落したためだ。原発が地域経済に与える効果が一時的であることを示した。

 それに、地方自治体には、原発ができても若者の雇用が増えない、との不満もある。最近は、原発立地とともに、電力会社は、工場誘致に力を入れている。核燃料廃棄物の処理施設がある青森県には、まだ新幹線が通っていないため、電力会社が新幹線建設を政府に働きかけている。原発のためなら、「なんでも引き受けます」という姿勢がうかがえる。

 日本の電気料金は、外国と比べて高すぎると産業界から批判されている。とくに、鉄鋼や化学、紙パルプといった電力を多く消費し、発展途上国との競争が激しい業種からの不満が大きい。日本の産業用電力料金を為替レート(1ドル=110円程度)によって比べれば、日本を100とすると、米国やフランス、英国などはほぼ60で、日本が非常に高い。これに対し、電力会社は、購買力平価で比べるべきだといい、日本を100とすると、米国などはほぼ110で、日本のほうが安いという。日本の製造業が自家発電設備を増やし、エネルギトコストの節減に努めているのを見ると、やはり日本の電気代は高いといえる。

 電気料金は、電気事業法によって、通産大臣の認可制になっている。料金の認可は、①原価主義、② 公正報酬、③需要家間の公平を三原則にしているが、産業界から見れば、「 恵まれすぎている」というわけだ。つまり、コスト意識が薄く、資材調達の査定は甘い。多すぎる従業員の人件費と、経費はすべて料金に転嫁できる仕組みになっている。政府が規制緩和の方針を打ち出し、電力も例外ではないが、いまのところ、自家発電の増加が期待できるだけだ。地域独占の電力会社にとっては、競争相手が増えるわけではなく、供給が不安になる夏場の「手助け」になると見ている。電力会社の独占体質、政府に寄り掛かる体質は、そう簡単に改まりそうもない。」

(内橋克人・奥村宏・佐高信編『就職・就社の構造』岩波書店、1994年3月25日発行、171‐173頁より。)


就職・就社の構造 (日本会社原論 4)
クリエーター情報なし
岩波書店

雪組ライブビューイング_終わりはきっとあらたな始まり

2017年05月29日 23時14分17秒 | 宝塚
 朝から晴れわたった一日、10時を回った頃には気温がぐんぐんあがってきましたね。次の就労開始まで健康診断の受診やら手続きやらで少なくともあと一週間はまだささやかな有給休暇続きます。平日はほんとにヘンな感じで居心地が悪くて落ち着かず、部屋でしかできないこと、片付けなければならないことがたくさんありながら今日も出かけてきました。雪組大劇場公演『幕末太陽傳』『Dramatic”S”』千穐楽公演、ライブビューイング。ありがたい仕組みね、兵庫県まで行かずともこうして生に近い雰囲気で舞台を観劇できるなんてほんとにありがたい。月曜日にもかかわらずほぼ映画館は混みあっていました。会場はほぼいっぱいだったかな。わたしは前方席ですぐ目の前は通路だったので窮屈することなくとってもみやすい席で大画面がぐっとせまってきました。

 早霧せいなさんの大劇場ラストラン。トップスターの退団ってこんな感じだったなあって、一路さん退団の時がふとなつかしく思い出されました。娘役トップの咲妃みゆさんも同時退団。作品の内容と相俟ってなんだかとってもあったかく優しい空気に満ち溢れた舞台でした。ショーの最後のお二人の白い衣装のデュエットダンス、さよならショーの淡いグリーンの衣装のデュエットダンス、二人の醸し出す雰囲気がすごくきれいでした。大好きだったけあきさん、一路さんの流れを受け継いだ芝居の雪組、日本物の雪組。芝居心にあふれた素敵なトップさんだし、いいトップコンビ。幸せな出会いだったと思います。最後の挨拶で、咲妃さんが、どの出会いひとつが欠けていても今の自分はないということを話されましたが人の出会いって不思議なもの、ほんとにその通りだなあと妙に気持ちうなづきながら拝聴。早霧さん、ショーのなかの一場面でぽろぽろと涙を流されていた姿が印象的でした。自然にあふれたんでしょうね。男役としては小柄な細い体で組を率いていたとはほんとにすごい、入団から17年目の退団はお見事。絆が雪組の合言葉なんですね、知らない人を気遣っているのが優しい。「望海率いる雪組をどうかどうかよろしくお願いします、わたしも客席からみるのを楽しみにしています」って挨拶されたのもやさしい、雪組への愛に満ち溢れていました。宙組から移籍されたのか。背の高い人が多い組の中、小柄な身体で自分の男役をつくりあげてこられたのか。『星逢一夜』に続いてこうしてリアルタイムで拝見できてよかったです。『幕末太陽傳』は古典落語がベースになっている作品とのこと。生きづらい時代をしぶとく生き抜いた町人の生き様が小気味よく描かれていました。居残り佐平次は早霧さんのいいところがにじみ出た役柄だったと思います。咲妃さんの花魁姿可愛かったし、望海さんの高杉晋作は溜息が出るような美しさでした。歌と芝居が安定していたのはいうまでもありません。胸を患っている佐平次が、長くないと医者に言われもう死ぬつもりで相模屋へやってきたけれど色々な人に出会って、もう少し生きたくなってきたという希望のもてる終わり方。東京宝塚劇場の千穐楽もライブビューイングあるので、日曜日だし抽選に申し込んでみようかな。

 語りたいことは尽きませんが、タブレット端末の操作がわからずショップに寄っていたので遅くなってしまいました。明日は三年前の今頃、怒りと悔しさとわけのわかんない混乱の中極度のストレス状態で出向いた場所へ胸をはって行ってきます。短いですが次の居場所がなんとかあるのでね、堂々と行ってきます。今は与えられた役割を粛々と果たすのみ。終わりはきっとあらたな始まりだと信じたいです。

徒然なるままに書きました。観劇日記はまたあらためて・・・。


トップの写真は宝塚歌劇団公式HPよりお借りしました。


映画館にて。



アンデルセン『絵のない絵本』第十一夜

2017年05月28日 22時51分46秒 | いわさきちひろさん
「「さっき婚礼のお祝いがあってね。」と、月が話しだしました。「みんなが歌をうたい、さかんに健康を祝って杯をあげたんですよ。なにもかも豊かで、はなやかでした。お客さんたちがひきあげていったときは、もう真夜中をすぎていましたっけ。母親たちは、花婿花嫁にキッスをしました。

 わたしが見ていると、やがて花婿花嫁はふたりだけになりました。カーテンがほとんどいっぱいにひかれた、気持ちのいい部屋を、ランプがしずかに照らしていました。『やれやれ、やっとみんな帰ったね。』こう言って花婿は、お嫁さんの両手とくちびるにキッスをしました。花嫁はにっこりして、涙を浮かべながら、夫の胸にもたれかかって、流れの上に浮かんだ睡蓮の花みたいにふるえました。それからふたりは、幸福にみちた、やさしいことばをささやきあいました。『ゆっくりお休み!』と、花婿は言いました。花嫁は、窓のカーテンを少しひいて言いました。『まあ、きれいなお月さま。なんておだやかな、明るい光でしょう。』それからランプを吹き消しました。気持ちのいいへやのなかは暗くなりました。でも、わたしの光は、花婿の目に負けずに輝いていましたとさ。

-女性よ、詩人が人生の神秘をうたうときには、その竪琴にキッスしてやるものですよ。」

(山室静訳、岩崎ちひろ画『絵のない絵本』童心社、昭和41年11月25日初版発行より)


絵のない絵本 (若い人の絵本)
アンデルセン
童心社

二週間ぶりに日比谷へ

2017年05月27日 23時24分59秒 | ミュージカル・舞台・映画
 二週間ぶりにまた日比谷へ行ってきました。日生劇場で『グレート・ギャツビー』、、12時開演イープラス貸し切り公演観劇。今回もほんの少しの席番違いで井上さんのサイン入りプログラムがあたるところでしたがまたもや残念賞。ほんとにおしかった。ここで運を使ってしまってはいけないのでこれで良しとしましょう。二週間前に観劇した時は、次の居場所を求めて面接に行った翌日だったかな。心身のエネルギーを削がれて気持ちつらかったなかで観劇していたような気がします。今日は一応次の居場所が決まった中での観劇、胸をはれるわたしでいられることをほんとに幸せに思いました。社会のどこにも居場所がない、社会のどこからも必要とされていないってほんとにつらいのでね、綱渡り状態ですがとりあえずほっとしています。三年前の今頃は、そんなつもりはなかったのに気がついたら会社との争いに足を踏み入れることとなってしまいそれまで経験したことのないストレスを抱えながら『ラブ・ネバー・ダイ』を観劇したことを思い出しました。日生劇場の天井を見上げながら鮮やかに思い出しました。声変り前の清史郎君グスタフとつっきーグスタフの美しいボーイソプラノ、市村さんと鹿賀さんのファントム、濱田めぐみさんと平原綾香さんのクリスティーヌ・・・、心の引き出しにしっかりとしまわれています。頭おかしくなりそうって思いながら、舞台からエネルギーをもらってなんとか生き延びた日々でした。よくやりましたよ、ほんとに。仕事できるわたしでまた観劇できる日が訪れてよかった、よかった。日生劇場の天井、二階席後方だとぐっと近くなります。なんだかファントムがほんとに潜んでいそうな造りになっているのがちょっとリッチ感あっていいなあと思います。いつも見上げます。床は赤い絨毯、フロアは広く椅子とテーブルもたくさん用意されているので立ったまま飲んだり食べたりすることもないし、帝国劇場とはまた違う安心感と落ち着きのある空間。今年は四回目でした。

 ギャツビーは、アメリカの身分社会の中で貴族階級に生まれたディジーと貧しい家に生まれた自分とでは身分が違うためにディジーと結ばれることがないままディジーの罪をかぶって死んでいった哀れな男なのかな。ヨーロッパの身分の違いは日本人が思うよりもはるかに厳しいものだとなにかで読んだし、未分の違いを越えようとする恋愛物語はたくさんありますね。マイフェアレディ、ミー&マイガールなど言葉遣いでどこの生まれか、どの身分の生まれかわかってしまう。新大陸アメリカにもそんな身分格差社会ができあがっていたということなんだなと自分の中で納得しながら観劇していました。プログラムを読むと物語の舞台、1920年代は特異な年代だったようです。貧しい生まれから、ディジーにふさわしい男になるためにここまで美しく自分を昇華させていったギャツビーという男性は、井上さんの佇まいと歌声なくしてはありえなかっただろうなと思いました。たぶんトートともヴォルフガングとも違う太く、美しい井上さんの歌声。役柄によって歌声で演じ分けてくる井上さんのミュージカル役者としての度量あっての舞台。カーテンコールの貸切公演ご挨拶で、余韻が上書きされてしまいましたが劇場を包み込む歌声、さすがでございました。シャツをひろげてみせる場面、今日は田代さん演じるニックでふざけてわざと投げているのかなっていう感じでしたが、井上さんと田代さんの呼吸もよくあっていて、エリザから築き上げてきたであろう信頼関係を感じました。ギャツビーの黄色い車のドアがとれてしまいニックが手で持って袖にはけるというハプニングは生の舞台ならでは。カーテンコールでは井上さんが子どもを泣かせてしまうというハプニングもあり、なんともゆったりぜいたくな時間と空間でございました。田代さんニックはご本人の素にあっている感じでほんとに素敵。まじめでただのサラリーマンなのに金持ちに対して卑屈になるでなくギャツビーを手助けするキャラクター。あとはまた後日書ければと・・・。

 自分の部屋に戻りたいけど戻りたくなくって終演後はシャンテでゆっくり食事。せっかくの日比谷なので宝塚劇場の舞台告知パネルを写真におさめたり、あれやこれや。住まいに近くまで戻ってきてからはカフェで次の居場所へ急ぎ提出する書類を整えてポストに投函しました。コンビニで控えとしてコピーをとり、切手も購入して、宛先と内容を間違えてないかなんども確認。就労場所がかわるたびにこうしたことをしなければならないの大変だけど今はまだリハビリ期間なので仕方ないです。先のことはわからず、目の前の与えられた役割を精一杯こなすのみ。それ以上でもそれ以下でもない。役割があるということは社会の中で居場所がちゃんとあるということ。ありがたいです。そんなこんなで部屋に帰り着いたのは夜。カフェで立ち上げたSafaceがなぜかかたまって動かなくなってしまい心配・・・。明日にはまた復活するかなあ。平日はなんだか緊張してしまうしご近所が不気味で部屋にいるのもつらくなってきたけど、断捨離は部屋でしかできないのでこれから身軽に人生を歩んでいくために明日は明日はがんばりませう。

徒然観劇日記でした。


トップの写真はスターファイターよりお借りしました。


日生劇場前の看板。



イープラス貸し切り公演、満員御礼でした。


『ロミオ&ジュリエット』思い出し日記

2017年05月26日 19時52分50秒 | ミュージカル・舞台・映画
 今年の1月から2月にかけて三回観劇した『ロミオ&ジュリエット』。千穐楽の幕が下りてから、わたし自身も役者さんたちもそれぞれに動きがあり、たった3か月前のことなのにもっとずっと時が過ぎたような気がします。ようやくまだ書けていなかったことを思い出しながらの観劇日記。舞台を提供する側はどんどん進んでいく、観客は時々立ち止まって振り返りたくなったり、いつまでもそこにいたり、このギャップも大切なんだろうなと思います。以前書いていることとだぶるかもしれませんが少しずつ・・・。

 たーたん(香寿たつきさん)のキャピュレット夫人、娘であるジュリエットに「お聞きなさい」と歌う場面。ジュリエットの父親はキャピレット卿ではなく、結婚してから深く愛し合った男性だと歌で告白していきます。凄味がありました。真実を知らされたジュリエットがほんとに怯えているようでした。深紅の衣装を着こなし、色気を感じさせる雰囲気が若手だった男役時代から拝見してきているので、なんだか不思議な感じがしました。宝塚を退団してからいい仕事をされてきているんだなとあらためて思いました。さすがの芝居心。歌も安定でした。甥っ子であるティボルトが吸っているタバコを吸う場面を拝見しながら、うまく言えませんがこういう役を演じられるまでに成長されたんだと、なんだか同世代を歩んできた人として感慨深いものがありました。渡辺さんティボルト、広瀬さんティボルト、相手が違うと醸し出される二人の雰囲気も違っていたと思います。仮面舞踏会の場面、ドレスを着こなした後姿が素敵でした。

 充実のシングル・キャスト陣。岡幸二郎さん演じるキャピュレット卿は衣装も髪型もキャラクターも濃かったです。ジュリエットが自分の娘ではないと知った時、眠る幼い娘を一瞬殺そうとしたけれど可愛い寝顔をみていると殺せなかった苦悩を歌う場面。単独の歌唱場面でしたが、毎回かなり戸惑いながら歌われているのかなと感じました。これは立ち位置が難しい、難易度の高い役どころ。苦悩がそのまま歌に現れているところがかえってキャラクターの苦悩が伝わってきたかなと感じました。岡さんでなければたぶん出せない色気と濃さがありました。

 ジュリエットの乳母はシルビア・クラブさん。東宝初演『エリザベート』でマダム・ヴォルフを演じられていました。それ以来でしたが、歌も演技も毎回安定感抜群で舞台を支えていました。ロミオをジュリエットに渡してほしいと差し出した薔薇の花を、最初自分にくれたと勘違いするところがお茶目で可愛かったです。ジュリエットの幸せを願って歌い上げる場面、ジュリエットの使いとしてロミオに会いに行ったとき、UFOのような帽子をかぶって舞台に登場し、ベンヴォーリオたちにおばさんとからかわれるのをものともせず交わしていく場面など、どっしりとした安定感を感じさせました。お腹がすっごいふくよかにみえるような衣装だったのはそういうキャラクター設定ということだったのかな。ロミオとジュリエットの橋渡し役だったし、登場場面も多くて重要な役どころでした。

 やっと書けました。まだまだ書くことがあるような気がしますがまた後日思い出したときに書ければと・・・。

 2012年『エリザベート』でルドルフを演じた大野さん。宝塚の男役のようなプリンスでした。またミュージカルの舞台に帰ってきていただきたいです。


きんちょう・・・

2017年05月25日 23時05分06秒 | 日記
 また仕事をするための準備のひとつとして経費がかさみますが地図を見る必要が間違いなくでてくるのでDショップへ。(4カ月でも必要だったんですけど、なんとかその時はなくても乗り切れましたが今度はちょっと無理かなと・・・)。いやあ時間かかるしややこしいし疲れました。仕事が続いていくかどうかわかんないのにほんとにいいんでしょうかと思いながら、やっとスマホへの切り替え手続き。時間に余裕がないとできないですね、これは。いやフルタイム稼働でへ立っている時は無理でした。綱渡り状態で生き延びる日々。どこまで持ちこたえらえるやら・・・。経費がかさんでもこれはなしではいられなくなっていますね。いやあ世の中の流れは早すぎます。

 雨、降りそうで降りませんでしたね。雨の音がもろもろかき消してくれた方が落ち着くなあと思う毎日。自分の出す音がどこまでもれてしまっているんだろう。生活時間帯丸わかり、部屋にいること丸わかりみたいでいやあね。今まで朝早かったわたしが部屋にいなければならないの、つらい。また8月末まで早くなるしね、なんにも関係ないのに集合住宅はむずかしいです。自分の部屋にいるのもなんだかきんちょう。大事なものがまだたくさんあるし、断捨離は部屋にいないとできないので、いたいけどいたくないジレンマ。明日は元気になりました報告で朝から出かけるつもり。部屋を出る時もきんちょう、不安神経症とのたたかい。しっかりしろ、わたし・・・。

 つまらない徒然日記でした。

次の居場所へ

2017年05月24日 18時01分16秒 | 日記
 また短期間ですが、次の居場所が決まりました。事務の募集でしたが、4か月の経験と国家資格をもっていることで専門職のはしくれとして勉強しながらやらせてもらえることになりました。8月末までは同じですが、4か月ではもったいないのでぜひ来ていただきたい、経験を積めると思うので、終わった時どんな気持ちになるか考えてみればいい、他からまた話もあるかもしれないし・・・と言っていただきました。有給休暇もなく、また短期間では慣れた頃に終わりがくるわけで疲れるなあという気持ちもありますが、暑い夏に訪問を乗り切れるかという不安もありますが、望まれるところにいくのがいいですね。またなにか生まれてくることがあるかもしれません。全く知らないことをやるわけではないし、4か月の就労場所と共通の知っている人もいるのでなんとなくお互いに身内感覚も少しあるような感じで、ゼロからのスタートではありません。教えていただきながら1か2ぐらいのところからのスタート。たぶん1かな。少しの勇気とエネルギーでまた踏み出していきます。色々と手続きがあるので、6月の第二週ぐらいからのスタートになりそうです。それまでは断捨離しながらゆっくりしますかね。今日からささやかなですが有給休暇をとっているようなもんだし、アルバイトすればその期間は中断して、また有給休暇を再開できるそうなので気持ち少し安心です。少しでも早く来ていただきたいとのことなので日程が決まれば、スパ行って汗流してさっぱりしてから行きたいです。箱根の温泉はちょっと無理かな。

 三年前会社から使い捨て同然の扱いを受け、損害賠償を求めたら弁護士にずたずたにされ気力が尽き果てたところからのやり直し。運とタイミングでここまできました。何度も同じことを書いていますが、去年の1月、両親と妹が眠るお墓の前で泣き崩れていたことを思うと、資格を生かして仕事をできる日が訪れるとは奇跡のようなものです。社会のどこからも必要とされなかった孤独な日々を思うと、日中の居場所がある、社会から必要とされている、必要とされている場所があるというのは嬉しいものです。無駄なことには決してならないはず。蒸し暑い夏を越えていかなければならないので大変ですが、少しだけ無理しながら尽力しようと思います。

 観劇日記を書こうとしていますが、まずは報告でした。

旅の思い出写真_ロマンティック街道_ヴィース教会

2017年05月23日 23時14分23秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
「牧草地の丘の上にポツリと建つ教会。その外観をみただけでは、ヨーロッパで最も美しいロココ教会として、年間100万人以上が訪れる場所であると気が付くことはないだろう。しかし、内部に足を踏み入れると、一瞬のうちに外界を忘れさせるような豊かな色彩と華麗な装飾の世界に圧倒される。

草原の奇跡
 ヴィースとは、ドイツ語で草原や牧草地という意味。その起源は1730年、地元の農夫が持っていたキリスト像が、突然涙を流し出したという奇跡にさかのぼる。このキリスト像をひとめ見ようと集まる人々のために小さな巡礼堂が建てられた。その後、この像に祈って病気が治ったという奇跡も加わり、ヨーロッパ各地から巡礼者が続々と押し寄せてきたため、より大きく立派な教会堂を建てることになった。

 設計建築は名匠ドミニクス・ツィンマーマンが担当し、天井画はミュンヘンの宮廷画家だったヨハン・バプティスト・ツィンマーマンの作品。ツィンマーマン兄弟は多くの教会建築を手がけてきたが、それまで得たあらゆる経験をヴィース教会に注ぎ込み、1754年に完成した。

天井画:壮麗な天界を描いたフレスコ天井画。緩やかなドーム状に見える天井だが、目の錯覚を利用した絵画技法のせいで、実際はほぼ平面の天井。入口近くの天井に描かれた茶色の扉は天国の門。中央部の虹の上に座るのは復活したイエス・キリスト。雲の上には天国の鍵を持つ聖ペテロ、槍を持つ天使ミカエルも描かれている。

柱飾り:身廊を取り囲む、華麗な柱飾りには金がふんだんに施されている。正面の中央祭壇を取り囲む大理石模様の柱には、漆喰に彩色を施したもの。柱の赤い色は自ら犠牲になったキリストの血を表し、青は天の恵みを表している。

奇跡のキリスト像:主祭壇に祀られている、鎖でつながれた姿の「鞭打たれる救い主像」が、涙を流したという奇跡の像。」


(『地球の歩き方 南ドイツ ’07-’08』より。)


2015年5月17日の記事、旅の思い出写真_ノイシュバンシュタイン城
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6dca1ae239cd6c0c63855846dd2e1085

ライン河クルーズ→ロマンティック街道・ヴュルツブルク市内見学→ロマンティック街道・ローテンブルク市内の見学→スイスアルプスへとバスで長期離移動している途中で見学しました。
移動途中からだんだんと雪が舞い始め、どんどんと降りしきる感じになっていって、
お城に着いたころにはすっかり雪に包まれていました。
雪が降ると静寂感もあって、途中の雪景色も、雪に包まれた城も、すごくきれいでした。

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 ロマンティック街道からスイスアルプスへと、ドイツの牧草地帯を観光バスで走り抜けていく途中、雪の降りしきる中に教会がポツンと建っていました。ノイシュバンシュタイン城を見学する前だったと思います。ヴィース教会という説明でした。外観だけで内部は見学しなかったかな。急いで写真だけ撮りました。日本を出発してから四日目。2007年10月23日でした。農村地帯に入ってくると、ほとんど建物らしい建物がないところに雪が舞い散り始め、山が近づいてくると雪がどんどんはげしくなっていく光景に、わけもなくワクワク感が高まっていったことが思い出されます。この旅に出る前がすごく長くてつらかったので、バスの中からみえる光景に、雪に包まれているようなあたたかさを感じて幸せでした。

 10年前の旅の思い出すらまだ整理しきれておらず、まだまだぐちゃぐちゃ状態。写真も、忙しすぎて何年も整理できていなかったのが三年前からぼちぼちと整理できるようになりましたが、まだまだぐちゃぐちゃ状態でチャンネルで公開するに至らないまま、やっとまた更新できました。日程順に書けていないのでわかわかんないですね。スイスアルプスのことはすでに書いたので、このあとようやくスイスアルプスから、パリへと移動したことを書けます。数日田舎を巡った後だったので、パリに着いた時には突然大都会に出たおのぼりさんみたいになってしまいました。すっごい緊張。スイスからフランスへと国境を越える時、30分だけオーストリアも通過しました。国境を越える。同じ地続きなのに、番兵が立っていて門が開けられないと通過できませんでした。日本では経験することのない不思議な感覚でした。バスによる周遊ツアーのいいところですね。ツアーもわたしの中では旅、旅行ではなく旅です。