たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

期日前投票にいきました

2021年10月31日 14時39分55秒 | 日記
 一昨日の夕刻、近隣の地区センターで期日前投票をすませました。なかなか霧が晴れるようにここならというところは正直ないのですが、今よりは少しでもマシになるように、未来を担う子どもたちが生きやすいように社会になるように、夢と希望を抱ける社会になるようにと願いながら、政策をくらべて決めました。最高裁判所の裁判官審査もはじめてまともに自治体より配布された資料やNHKの特集サイトを読んで決めました。むずかしいですね、沖縄の基地問題のこと、自分はなにもわかっていないと反省しました。知らないことばかり、知るべきことばかり。最高裁の判決が判例になっていくので非正規雇用をめぐる裁判をひとつの指標にしました。

 昨日午後スマホに登録のない電話番号から電話が入ったのでめずらしく出てみたら、小学校の同級生の○○ですと。創〇学会員、〇明党に投票してねというお願いなので、まともに相手にするべくもなく、仕事中なので失礼しますといって切りました。まだ実家にいた30年以上前から選挙の前になると突然電話がかかてきたり家にたずねてきたり、世間に疎かった私はびっくりでした。母親に言われてわかりました。今も同じことを続けているんですね。電話帳の登録はとうに削除しています。高校時代の部活仲間にも何人か会員の人がいるとわかったのは卒業して何年か過ぎてから。同級生だからといってつい気を許してしまうのは禁物。新聞読んでねと誘われて実際に郵送されてきてしまったりして断るのに苦労したことあります。うーん、心のよりどころとしてなにかを信じること自体は否定しませんが、マイナポイント30000円分とか意味不明なことを言っているところに会員の組織票が一定数入ってしまうのはおそろしいと思います。

 投票率が低いと今を肯定することになってしまいます。数で負けるとわかっていても、反対の声がたくさんあるということを知らしめないと自浄作用も全く働かないまま腐った状況が続いていくことを危惧しています。世襲制とか派閥政治とか昔ながらのまんまでほんとによくないと思います。期日前の投票率はあがったとの報道。曇り空ですがハロウィンで外に出るなら投票所に行きませう。戦後日本の答えが今。若者たちの投票率があがることを願うばかりです。

 マスゴミはKさんご夫妻のことなんかもういい加減ほっておいてあげてほしい。私たちの目を肝心なことからそらすようなことはこれ以上流さないでほしいと思います。




ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-日生劇場千穐楽

2021年10月30日 23時56分10秒 | ミュージカル・舞台・映画
ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-「前へと進むエネルギーが爽快な風を運ぶ」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/07063814376add66283aaa13a3a905c0


『ニュージーズ』、無事に日生劇場、千穐楽の幕がおりたようです。心からおめでとうございます。1年半前の公演中止からより高みへと昇華した作品を届けられたことがどれほど嬉しかったことか。ファンにとっても待ち望んでいた公演。いろいろなことをクリアして上演を叶えた東宝さんに感謝です。

 清史郎君ファンのツィッターをのぞいたところでは、カーテンコールに小池修一郎先生が登場。そのあとメインキャストの挨拶の順番が事前の打ち合わせと違って、小池先生から最初に「はい、清史郎君」ってふられて、清史郎君は焦りながらもすごくしっかりとした挨拶をしたみたいで誇らしい。謎の遠い遠い親戚のおばさんの心持ち。投稿をそのまま参照させていただくと、ニュージーズという作品に元気をもらってきて、演者という立場で今度は与えられる立場になれたことが嬉しい、エネルギーとか単純なものだけど与えられる作品になっていたら嬉しいと。

 2013年11月30日、『レ・ミゼラブル』帝国劇場凱旋公演大千穐楽で子役の代表として挨拶した清史郎君が目を赤くしていたことを思い出しました。幸せなことに帝国劇場で観劇することができました。この時もすごくしっかりとした挨拶をしていました。頭がよくて真面目で熱い、根っからの役者。

『レ・ミゼラブル』 _ 千秋楽
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c189256464813a67d92728419c72fb36

『レ・ミゼラブル』 _ 千穐楽
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b0f94d148a5b6204080ee8e86d277e24


 8年の歳月が流れました。『王家の紋章』では子ルドだった坂口湧久君が帝国劇場に戻ってきて大活躍でした。これからの日本のミュージカルを支えていく若い力たち。彼ら、彼女たちが夢と希望をもって舞台に立ち続けることができる社会であってほしいと心から願わずにはいられません。

「バレエ、ジャズ、タップ、アクロバット等々、様々なジャンルのダンスにこめられたその様を、彼らが豪快に踊り、歌い前へ、前へと向かうとき、発するエネルギーは爽快な風になる。それは、コロナ禍以降更に深刻さを増している「最早格差社会ではない。階級社会だ」とまで囁かれる日本の厳しい現実をも、吹き飛ばしてくれかに思われるパワーに満ちている。」http://enbu.co.jp/

『ニュージーズ』、日生劇場の次は、11月11日から17日まで梅田芸術劇場メインホールにて公演予定。一人でも多くの若い人にみてほしい作品。大千穐楽まで無事に走り抜けられるようにと祈ります。

 ジャックが京本大我君、クラッチ-が松岡広大君、ディヴィが加藤清史郎君、素晴らしいキャスティング、中川晃教さんと井上芳雄さんを見出した小池先生の力よ。また共演してほしいです。昨日はゆん(古川雄大さん)としろたん(城田優さん)が観劇していたとか。みなさま、すごく嬉しかったでしょうね。

 日生劇場も心のエネルギーをたくさんもらってきた思い出の場所。来年2月に松本白鷗さんファイナル『ラ・マンチャの男』、3月に市村正親さん・鹿賀丈史さん共演『ラ・カージュ・オ・フォール』、2階席てっぺん、手すりないですが入手したい。


明日もまた出勤できますように・・・

2021年10月29日 23時57分46秒 | 日記
 不安神経症に打ち勝ち、体をバスと電車に乗せて往復するのがきついと感じます。でも往復しないとお給料を稼ぐことはできないのでやるしかありません。朝は遅めの時間に乗ることで座ることができますが帰りは分散されるのでいつも混んでいます。乗車駅で自分が乗ろうとする時すでにかなりいっぱい。昨日は運よく途中で坐ることができました。ほとんど坐り仕事とはいえ、それはそれで疲れます。ターミナル駅まで戻った時足が限界でバスはすごく並んでいるのでお弁当買った方が安いとわかっていてもお店によって早めの夜ごはんをすませてしまいます。駅のホームとか構内を歩いている時転倒するおそれを感じるようになりました。まだなんとか気力でもっていますが折りたたみ杖でいいので使わないともう危ないのかもしれません。都合のいい時だけ使えばいい。頭でわかってはいてもまだ買うことができていません。それで人にみられたり、席を譲られたりすることに抵抗を感じてしまいます。自分が情けなくってたまらないです。でも使わないと手術しかもうありませんが早まってしまうのでしょうね。手術、手術、処刑台にのぼらなければならないような気持ちです。どの道先はもうみえています。わかっていなかっただけで普通に歩いたことがない人生、手術したら歩けるようになると言われても普通に歩くということが感覚的にわからないのでそれでなにがよくなるのかわからないです。右足の方が短いので狭い部屋の中でつまらいものにすべって倒れています。どこまでが変形股関節症のせいでどこからが加齢によるものなのかわかりません。もう終わりですです。とっくに終わっていますが花組の東京宝塚劇場公演、阪急交通社で3,000円のチケット、キャンセル待ちにエントリーしていたのが払い込みの連絡きました。来年のことなんて全くわからない、希望はありませんがそれまで生きていないといけないということ。まどかちゃんに会いにいくよ。その前に『プロミセス・プロミセス』のライブ配信があるだろうし、雪組も星組もチケットある、観劇の時だけは現実を忘れる。その前に今夜いくらかでも眠れますように・・・。


ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-「前へと進むエネルギーが爽快な風を運ぶ」

2021年10月29日 00時51分57秒 | ミュージカル・舞台・映画
ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-2021年10月24日観劇(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b4be59a475db5836fc63d48c75bc3712

 日生劇場で上演中の『ニュージーズ』、何本もあがっている劇評の中で、個人的には演劇キックの橘さんの文章がいちばんでしょうか。あたたかく、あついまなざし、素人にはなかなか言葉にすることがむずかしい、こんなことを言いたかったというところを的確に書いてくださる文章、ていねいで読みごたえがあります。当然といえば当然かもしれませんが、作品への深い理解度にさすがプロといつも唸ります。

「ニュージーズたちのおかれた境遇はとても厳しいし、仲間たちは次々にアクシデントに見舞われる。それこそひとり一人が個人事業主の彼らの立ち位置は様々だし、地域の縄張りもあれば、競争もある。団結は一筋縄ではいかない。けれども彼らは常に誇りとウイットを持ち、目の前にある壁に立ち向かっていく。バレエ、ジャズ、タップ、アクロバット等々、様々なジャンルのダンスにこめられたその様を、彼らが豪快に踊り、歌い前へ、前へと向かうとき、発するエネルギーは爽快な風になる。それは、コロナ禍以降更に深刻さを増している「最早格差社会ではない。階級社会だ」とまで囁かれる日本の厳しい現実をも、吹き飛ばしてくれかに思われるパワーに満ちている。」

http://enbu.co.jp/


 日本初演『ニュージーズ』、名前の表記がちがっていますが、ブロードウェイも賞賛してくれているようです。
https://www.broadwayworld.com/article/VIDEO-See-the-Official-Trailer-for-NEWSIES-in-Japan-20211025

 いい作品はこうして世界でどんどん共有していきたい。2020年4月8日に公演中止が発表された時、稽古の半ばで、清史郎君がこの作品を届けることができなくなりどれほど無念であったか、自分が観劇したことでより深くわかりました。同時に時を経てこうして届けることができていることにどれほどの喜びをかみしめながら舞台に立っていることか。開幕してから一度も日記の更新のないことが清史郎君の舞台にかける熱い思いを物語っていると思います。終わったら更新待っていますね。日生劇場公演あと2回、無事に千穐楽を迎えられるようにと祈っています。清史郎君、今日は階段で転んで大我君にアドリブでツッコまれたっぽい、そんなところも清史郎君らしい。


 ブロードウェイキャストのデジタル音源配信、プレビューを聴いているだけでも元気になれます。一度だけでも観劇が叶ったこと、心から幸せに思います。
https://umj.lnk.to/Newsies_OST


明日はまた出勤できますように・・・

2021年10月27日 22時30分54秒 | 日記
 雨の水曜日、午後なんとか相談窓口へ。在宅勤務をみつけのはなかなかむずかしそうです。ネットワーク環境を整えたり、初期投資が必要だし最初は出勤してどこからどこまでを在宅で任せるかということになっていくし、なにより今わたしにまた書類を整えて応募して面接にいくだけの体制が整っているのか、それだけのエネルギーが今あるかときかれるとないわけでまずは週3日。売掛金の残高と入金額とがあっているかチェックしながら中小企業向けの会計ソフトへ入力する作業、集中力が途切れるとどこまで進んだかわからなくなってしまいそうですが今のところ難しいとは感じません。経理はどこにも必要、汎用性のあることだから知って損はない、勉強のつもりでいきます。

 つらいのは朝の出勤、時間から時間で往復しなければならないこと。頭と手はまだ動きますが残念ながら足の痛みと痺れで週3日が限界。ハードに働きつづけてきた自分が雇用保険に加入できるほどに働けないという事実が自分で信じられませんが、生まれる前からの変形股関節症という事実を変えることはできません。摩耗した軟骨は気持ちと努力で戻りません。気づいていなかっただけで自分はとっくに終わっていたのだと思うと、ここまであがいてきたのがばかみたいに思えてきたりもします。いつまで自力で食いつないでいくことができるのだろうと思うとぞっとします。こんな年になって子宮の中にいるときから股関節脱臼していたって知って手術の宣告、十字架にかけられるような気持ちです。どれだけ大変なことか、そこまでして生きたいのか、人生100年?母が逝ったのが78歳、わたしはそこまで生きながらえる前に経済的にどう考えても無理でそれが2年ぐらいに前倒しになっただけ。母の生涯賃金よりもずっと稼いでいますがわたしは食べていけなくなります。年金少ない方みたいでそんなことはずっと前からわかっていたこと。変形股関節症は想定外でしたが、弟のいうとおり自分がばかだからこうなっています。70代、80代の人も仕事をさがす時代だそうで、今後さらにそうなっていくことは明白、死ぬまで働くしかない人生・・・。

 やめましょう、キキちゃんがいちばん大きな羽根を背負う姿も、清史郎君が帝国劇場の舞台に戻って来る姿もまだみていない、それまで死ぬわけにはいかないやね。宝塚が次々と予定を発表してくれるので東京宝塚劇場B席のチケットは入手したい、日生劇場でも見逃せない演目が続くのでB席を入手できれば観劇したい、この世を旅立つときこの悔いは残したくない。

レミゼでジャベールを演じている川口竜也さんのインスタグラム、
「今のすべては未来の希望」
同世代、少し前に不安と迷いを綴られていました。
https://www.instagram.com/p/CVgyZj6hRji/

 足悪くって、こんなに出勤が不安定なのに使ってもらえるのはあなたが今までやってきたご褒美だと。これさえ失ってしまったらもっと追いつめられるので、不安と絶望で心がやすまることはありませんが眠剤でなんとか5時間ぐらいは眠って不安神経症に打ち勝ち、明日の朝はまた出勤できますように・・・。

 昨日帰りの電車を待っている時、新幹線が走りぬけていくのがみえました。窓際は座席がぼちぼち埋まっているようで少しほっとしました。新幹線は今でも夢の乗り物のような感覚があり、高速で走りぬけていく光景にはわくわくするものがあります。コロナ禍となってから新幹線のホームでさえ大変なことに。そもそも全くそんなこと想定していなかった思います。人が動いてお金が回っていかないといけません。

『ニュージーズ』、ブロードウェイキャストの音源が配信されていますが宝塚のようにこれだけを購入してダウンロードすることはできないっぽい、元気をもらえる楽曲ばかりですが、定額料金の発生はいたい、わたしにはハードルが高いっぽくて残念。

https://umj.lnk.to/Newsies_OST


一か月ほど前の空と海。
はじめて海をみたのは小学校3年生のときだったか。
この海がカナダにつながっていると思うと少し元気が出ます。












































「カナダ・プリンスエドワード島の旅01」

2021年10月27日 00時15分33秒 | プリンスエドワード島への旅
 写真家、吉村和敏さんの「カナダ、プリンスエドワード島の旅 01」がYouTubeにアップされました。

「2021年10月、「世界一美しい島」プリンスエドワード島を旅しました。
フレンチリバー村、ケープトライオンの灯台、インディアンリバーの教会、草原に続く赤い道など、写真家自らが代表作を生み出した場所を巡り、紹介していきます。」

https://www.youtube.com/watch?v=yGhT4wNMaLY


 どこまでもゆるやかに広がる丘、ぐんぐん流れる雲とおっかけを楽しみながら現地ドライバーさんの運転する車で走った道。島の中心部はジェットコースターのようなアップ・ダウン。フレンチ・リバー、ケープト・ライオン岬、インデアン・リバー教会・・・赤い道も歩きました。もう訪れることはないであろう、勝手に心のふるさとだと思っている懐かしい場所たち。拝見しながら、しばしやすらぎのひとときを過ごさせていただきました。

 こんなにも穏やかで美しいところは他にありません。片道24時間の旅をして、旅先でずんずんと歩くことも最早できそうにありません。だからこそ永遠に憧れの場所。つかのまの夢をみていたような気がします。



 ミーガン・フォローズ主演の映画『赤毛のアン』の中で、アンとダイアナがここで遊ぶ場面があります。2010年6月に訪れました。ミーガン・フォローズ、オーディオでアンを演じるには年をとりすぎて、太りすぎていると言われたというエピソードがありますが彼女のアンが一番好き。銀の森屋敷で購入したDVDは壊れてしまったので買い直さないとです。後悔のないよう、この世にいる間にまたみなければと思っています。もっといろいろと整理して、心を落ち着けて楽しみたいです。トップの写真は、Green Gablesのアンの部屋。物語にあわせて再現されています。窓からはお化けの森がみえます。










またリハビリでした

2021年10月26日 00時29分58秒 | 日記
 夜になって12月のように冷え込んできています。今何月なのか、季節がよくわからなくなりました。バスを待つ間足元が冷えましたが夕方予約どおり整形外科のリハビリにいきました。翌日動くのが辛くなることをPTに話しました。次回の診察でそれも医師に話してください、リハビリには電気療法もあるのでとのことでした。そんなに話せる医師という感じが全くなく、本当にここでいいのかという気持ちが依然としてありますが近いし、なにもしないのも不安なのでやめることはできませんが毎週の通院はきつい。手術をしたくなければ筋肉をたくさんつけていくしかない、できる体操は限られるので今やっている体操の回数を増やすなどする、足先がそってしまっているので意識的に動かしてのばす、股関節に痛みを感じる体操は負担をかけていることになるのでよくないからやめた方がいいとのことでした。いますぐのことではないですが、結局たどり着く先は手術しかないのか。生まれる前からってそんなん知らん、いきなり手術したら楽になるって言われても知らん、手術手術っていう医師やPTは自分が手術したことありますか?十字架にかけられるような気持ちになる経験したことありますか?口には出せませんが心の中でそう叫んでいます。なんでこんな苦労しなければならないのか、神さまは乗り越えられる人にしか試練を与えないとか美しい話は知らん。よりによってコロナ禍のタイミングにどういう人生の罰ゲームなのか。

 どんよりなるばかり、やめましょう。明日午後からだけでも出勤したいですがどうでしょうか。土曜日にそのように伝えました。経費で落とせるとのことなのでEXCELのテキスト買いました。今までマクロが組まれた表を操作してきただけなので勉強したいと思います。頭と手はまだ動きますが時間通りに体をバスと電車に乗せて移動するのがすごくきつくて限界。でも自分を食わせていくためにやらなければなりません。明後日は相談窓口に行こうとしています。

 荷物減らしも引き続き、少しずつ、少しでも減らしていきます。

 たえず不安と背中合わせ、試練の日々は続きます。

ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-2021年10月24日観劇(2)

2021年10月25日 15時59分16秒 | ミュージカル・舞台・映画

ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-2021年10月24日観劇
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/29a0570fb3ef3a99b1949cc21e320406

 西部に憧れたジャック@京本大我君が絵に描き、歌で何度も登場した「サンタフェ」、別の意味で耳に残る固有名詞、どこにあるのかと調べてみるとアメリカのニューメキシコ州北部に位置する州都、美しい街です。

「サンタフェはアメリカのニューメキシコ州北部に位置する州都です。独特な景観が広がる街並みや多様な文化性が特徴的で、市街には日干しのレンガで作られたアドビと呼ばれる赤茶色の建物が軒を連ねており、歴史的な建造物と共に魅力的な景観を生み出しています。」
https://www.travelwith.jp/area/north-america/usa/topics/post-8705/

 物語の舞台となっている1899年、「大草原の小さな家」のローラ・インガルス・ワイルダーは32歳。1894年に夫アルマンゾと共にサウスダコタ州デスメットからミズーリ州マンスフィールドへと幌馬車で旅して移住したローラは農場を広げることに汗していました。娘のローズはのちに新聞記者となりますが、キャサリン@咲妃みゆさんのように、記者として外で働く女性が同じころニューヨークには登場していたということになります。

「大草原の小さな家」への旅-ミズーリ州マンスフィールド-ローラとアルマンゾが暮らした家
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/d1a6e16cbcd2c6ee6ebe3c4febc231c8

 物語の終盤、キャサリンの書いた記事に絵の得意なジャックが風刺画を描いた新聞を印刷してニューヨーク中のニュージーズたちに配ったことが、「ニューヨーク・ワールド」紙のオーナー、ピュリツァー氏の卸値価格値上げを知らしめることになりニューヨーク中のニュージーズのみならず他の職業の人たちも団結してストライキを起こします。翌朝にはニューヨークでは働いている人が誰もいないという状況をつくりだしてピュリツァー氏を追い込んでいきました。ピュリツァー氏のオフィスに乗り込んで自分たちの生活と権利を守るために堂々と交渉する17歳のジャックの姿がとても美しいと感じました。
一幕で警察に捕まってしまったクラッチ@松岡広大君がジャックに送った手紙に描いた感化院の劣悪な環境を描いた絵が、のちにアメリカ大統領となるルーズベルト知事に少年たちに対する暴力があることを知らせることになりました。こうして文章と絵を通して伝えるということには社会を変える大きな力があるのだということをあらためて深く思いました。古い印刷機がおかれている建物の管理人のお給料は20年かわっていないというキャサリンの台詞、日本は30年かわらない?どころか、社会保険料と税金は上がるばかりなのでむしろさがっている?のでリアルすぎて笑えないと思いました。

 知事は『1789バスティーユの恋人たち』でルイ14世を演じてミュージカルファンから陛下と呼ばれる増澤ノゾムさん。小池先生がプログラムへの寄稿で紹介している「目を星に向け、足を地に着けよ」という言葉、噛みしめました。修道女とピュリツァー氏のオフィスで働くハンナの桜一花さん、最近オンデマンド配信の映像ではなんどか拝見していますが生では初見、ものすごくお顔が小さくて綺麗、素敵でした。ジャックたちを応援する、劇場の持主で女優のメッダ@霧矢広夢さん、さすがのセンター力、パワフルさは男役出身の人ならではの力強さと思いました。ソロ歌唱がこれまた歌いこなすのものすごく難しいようにきこえましたが安定の歌声と色気。ニューヨーク市長はレミゼのファンテーヌが働く工場長の印象が強い田村雄一さん、白髪とお髭お似合いでした。そしてなんといってもピュリツァー氏@松平健さん、徹底的な悪ではなく最後は手に唾を吐いて握手を求めてくるジャックに、汚いと言いながら自分も唾を吐いて握手を返して和解。フィナーレではジャックの前に登場されました。健さん、ある意味わたしと同じ立場の方、子どもを育てながらこうして仕事を続けている姿にあついものを感じないではいられません。

 加藤清史郎君@ディヴィ、父親が失業したので新聞売りを始めたにすぎず最初はジャックたちの前で小さく遠慮気味になっていたのがだんだんとジャックに感化され熱くなっていくところの気持ちの変化をていねいに描いていると思いました。ジャックが姿を消してしまい、ジャックのかわりにニュージーズたちの集会でジャックのカリスマ性を真似て演説しようとするけれどちょっと今いちかなみたいなところなんかものすごく細やかでほんとにうまい。スポットライトが当たっていないところでもディヴィとして動き続けていてオペラグラスで追っていました。ダンスシーン、ものすごくがんばるっているのだろうけれど生まれ持った身体能力も高いのでしょうね。『スマイルマーメイド』以来の清史郎君の舞台、嬉し過ぎました。いつのまにかジャックがディヴィに支えられるようになっていく、そんな二人の関係性の流れがものすごく自然で素敵でした。ジャックとディヴィの二人で歌うシーンが二幕の終盤にあったと思います、二人の声のハーモニーが素敵でした。

 大我君、ほぼ出ずっぱりでダンスも歌も多く、ものすごいエネルギーが求められる立ち位置。公演日程が終盤に入り、昼公演をやったあとでさすがに疲れているのか、カーテンコールで最後一人で登場した時すごい技を披露したいけどやめておこうっていう感じで前回りを一回。客席、スタンディングオベーション。

 オケピットをニュージーズたちが出入りする舞台装置の一部として使っていてオケのみなさま、どこで演奏されていたのかな。舞台の後方?お姿は全くみえず最後に大我君が紹介してモニターでようやく登場。踊る指揮者塩田明弘先生、投げキッス。先生のノリノリの背中をみることができなかったのは残念ですが生演奏、本当にありがとうございました。

 もう一回みたいですが一度だけでも観劇できたことは心の宝物。二階席てっぺん、階段に東京宝塚劇場のような手すりがなくてちょっと焦りましたがオケピットから舞台の奥まで全体がよくみえました。4,500円の幸せ、ありがたいかぎりです。








 ここに書くことではないのかもしれませんが、日本の10代、20代、30代の死因の第一位は自殺、厚労省のHPにでています。著作権とか経費とかむずかしい課題がたくさんあると思いますが、躍動する若い力と彼らを支える大人たちがつくり上げる舞台、配信やCDで一人でも多くの若い人に届くようにとここから願います。

令和2年(2020) 人口動態統計月報年計(概数)の概況
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai20/dl/gaikyouR2.pdf


ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-2021年10月24日観劇

2021年10月25日 01時46分18秒 | ミュージカル・舞台・映画
ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-「目を星に向け、足を地に着けよ」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/fe785ae788e05e9ff9fb56071c78e203

 2021年10月24日(日)18時~、日生劇場『ニュージーズ』、無事に観劇することができました。先が全くわからないときに東宝ナビザーブの先行で当選したチケット、出勤の翌日となり不安でしたが足ひきずり気味のわたしに、スタッフさんが入場の時とお手洗いで並んでいる時に声をかけてくれました。掴まるところがなく立っているのきついと感じたので素直に初めて劇場の多目的トイレを使わせていただきました。入ったらボタンを押すとドアが閉まるの最初わからなくて並んでいた方が教えてくれました。いろいろとお世話になりました。本当にありがとうございました。

 開演前と幕間にも京本大我君の感染症予防への協力を呼びかけるアナウンスがあり、効果絶大。客席もロビーもざわつきはほとんどなく静かでした。規制退場にもほとんどの方がしたがっていて、気持ちのいい観劇でした。終演後の劇場前は大我君の写真を撮る順番待ちの列が自然にできていました。一期一会のこの時をファンもどれほど待ち望んでいたことか。

 『ニュージーズ』、1899年のニューヨークで孤児やホームレスの新聞販売少年たちが、新聞の卸値を引き上げたピュリツァーに対して、自分たちの生活と権利を守るためにストライキを起こし、最後は引き上げ価格を半分にすること、売れ残った新聞をピュリツァーが卸値で買い戻すという妥結点に着地して和解するまでの物語。若いって素晴らしいこと、未来を築いていくのは若い力。いろいろな意味でむずかしいですがこの舞台が一人でも多くの10代、20代に届いてほしいと心から思います。

 京本大我君、『エリザベート』の儚く線の細いルドルフから見違えるようにたくましくなり、リーダーとしてカリスマ性十分なジャックでした。声量あるし安定の歌声、ゆん(古川雄大さん)に似てきているかな。日本ミュージカル界の新しいプリンシパルキャスト誕生、いつか『ルドルフ・ザ・ラストキス』と『モーツァルト』をやってほしいと勝手に思いました。

 ゆうみちゃん(咲妃みゆさん)、ものすごく可愛くて賢くて強いキャサリン、さすがのヒロイン力よ。キラッキラッしていました。歌いこなすのがすごく難しそうな歌を歌っていて、娘役とは違う地声が綺麗に安定。すごく努力したのでしょうね。二幕のタップダンスではセンターで踊ってタップを披露していました。大我君とのツーショットがお似合い。ジャニーズファンに納得していただけるヒロインになっていたと思います。早霧せいなさん、ご覧になったのかな。リアル男子たちに囲まれたゆうみちゃんに複雑な元旦那心がわいてしまうのではないかと心配。

 お目当ての加藤清史郎君、久しぶりの役者魂をみました。弟のレスがガブローシュにみえて、清史郎君のディヴィはパリのバリケードで命を落としたガブローシュ少年が輪廻転生してニューヨークでストライキに加わっているかのようでした。変声期を経た清史郎君、『レ・ミゼラブル』のガブローシュでミュージカルファンをうならせた歌の上手さ健在で歌と芝居の切り替えの流れが自然すぎてキャリアの長さでひときわ秀でていると思いました。父親が失業してレスと共に新聞売りになったので身なりが綺麗ですがジャックを家の食事に誘う場面もまったく嫌味がなくディヴィそのもの。この役に清史郎君を配したところが小池先生の腕よ。身体能力の高い面々と共にダンスシーンもこなしていてこんなに成長したのかと遠い親戚のおばちゃん心。レミゼに戻ってくる日を待っています。(それまで死ぬわけにはいかん)。

 松岡広大君、松葉杖をついているクラッチ、『るろうに剣心』でみせた目を見張るような身体能力の高さは封印でしたが、松葉杖を使いながらダンスもみせたり、さすがと感じさせる場面がいくつもありました。広大君の体幹の強さがあるからできる役と思いました。芝居も歌もうまい。

 石川新太君もプリンシパルとして大活躍、歌もダンスも存分に披露していました。子役時代からキャリアのある彼らだからこその舞台。

 ニュージーズ、16人いるのかな。プロローグからダンスシーンが多くて躍動感あふれる舞台。二幕のタップは特に圧巻。アクロバティックな動きもさることながら、コーラスがとても美しいと感じました。当然ですが声が若い。若いっていいですね。心の元気をもらいました。レス君も可愛くて上手い、出番多いし、ダンスシーンもこなしていて子役ちゃん、ほんとにすごい。

 







開演前に25日でクローズとなるMUJICAFEで急ぎ食事、会計の時にお礼を言うことができました。

 



日比谷は心の拠り所。劇場に変わらず灯りがともっているという安心感。いつまでこうして観劇できるかわかりません。この世にいる間にだけなので可能な範囲でまた戻ってきます。バスの終電時間があり、帰りはじゃあまたねと挨拶して足を引きずりつつ急ぎお別れしました。









書けないままの観劇録がいくつかあります。また徒然に思い出していきます。



小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-姉は国と夫に詫びて死んだ(2)

2021年10月24日 13時59分11秒 | 本あれこれ
小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-姉は国と夫に詫びて死んだ(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/05b565f1ca7158ed6ecb6ff0043735ec





「-名誉な死と不名誉な死-

 1992年(平成4)年秋、「名誉」という言葉は、「PKO」(国連平和維持活動)とセットで復活する。もともと不死身なのかもしれない。

 PKO協力法案が大揺れのころ、自衛隊員の間では、「命令なら仕方がないが行きたくない」(朝日新聞、1992年10月1日)という戸惑いがあったという。カンボジア国内に埋められた地雷は数百万個、マラリアも心配だ。第一、国論は、「行くな」「行くべきだ」と、二分したまま。が、法律が成立すると否定的な雰囲気は肯定へと変わる。

 その意義が説かれ、地雷密集地帯ではないこと。ポル・ポト派の活動地域から遠いことなどから、「安全」だとなる。そして「要員に選ばれるのは名誉なことだ」という雰囲気が広がり、「二の足を踏んでいた人も断りにくくなった」と、いうのである。

 師団長も、「PKO派遣は名誉ある任務だ。『手柄』はみんなで分けた方がいい」と、言う。もっとも「名誉」という言葉は復活しても、その下に付く「戦死」という言葉は誰も口にしなかった。


 それにしても、なぜ、こうも同じ光景が再現されてしまったのだろう。

 1992年9月17日、自衛隊のカンボジア派遣部隊が出発する日、2月に結婚し妊娠8か月だという女性(25歳)は、「きのうは夫の誕生日を祝いました。行って欲しくない。今でもそう思います」(朝日新聞、
9月18日)と、涙ながらに話している。

 小原ミチさんは、1942(昭和17)年10月に出征する夫を見送った。

 皆が集まって出征祝いをしてくれた夜、夫は座敷から見えなくなった。探すと、自分たちの寝部屋で、黙ってあぐらをかき座っていた。ミチさんを見て夫は、「俺なあ・・・」と言ったきり動かない。

 「今でも、オレ、ハ、その気持ちわかるマス。だれェナッス、喜んで行く人、どこの世界にあるベナッス。酒のんだって、騒いだって、なんじょしてその気持ち消えるベナッス。オレもハ、泣いでばりしまって、ろくな力付けも出来ないでしまったも」(『あの人は帰ってこなかった』岩波新書、1964年刊
)と、ミチさんは語る。

 その時、ミチさんは18歳。夫と暮らしたのはたった5か月、妊娠2か月だった。

 50年の歳月を重ねて同じ秋、二人の女性は戦地に赴く夫を見送る。18歳と25歳、結婚5か月と7か月、妊娠2か月と8か月。共に二人は泣いた。」

  (2012年1月6日、日本経済評論社 発行『自分の生を編む』プロローグ、3-8頁より)