たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『災害がほんとうに襲った時』より

2016年04月16日 13時21分16秒 | 中井久夫著作『「つながり」の精神病理』他
吉原光夫
‏@mitsuoYoshihara
そして変わらないと思うけど、こうゆう時こそ、バラエティや、音楽の番組を中止しないで流してください。。
地震の報道は、被災地外に知らせるものだけでなく、被災地の人達の心を考えたものに・・・

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『レ・ミゼラブル』でバルジャンを演じた吉原さんのツィッターのあったかい言葉。東日本大震災の後、自分にできることは、やるべきことはボランティアに行くことではなく舞台の上で精一杯バルジャンを生き抜くことだとわかったと、2013年帝国劇場凱旋公演の大千秋楽で話されたことはこのブログに書いています。

 ヤフーのニュースを随時チェックしていますが余震が阪神淡路大震災級というのは東日本大震災の時もそうでした。震源地から離れた都心でさえ大きな揺れが続く極度の不安と恐怖の中、前職のどうしようもないような会社で仕事を続けていました。原発事故が重なったのでどうなっていくのかとネットのニュースを画面を立ちあげながらパソコンに向かっていました。その緊張感は半端なものではありませんでした。花粉が飛んでいたはずですがそれどころではありませんでした。花粉症で悩めるなんてある意味幸せなことだとわかりました。人ごみの通勤電車がこわくって仕方なかったです。住まいから都心に毎日出ていかなければならないのが不安で仕方なかったです。

 普通であることは当たり前のようでいて、ほんとうにかけがえのないこと。むずかしいこと。日本は、世界は、これからどうなっていくのでしょうね。地球は私たちになにか警告を発しているのでしょうか。謙虚に、生かされているという想いを大切に日々を過ごしていくことが大切だと思います。今の私の立場で職務を行っている人間に対して、日頃ため込んでいるストレスをここぞとばかりに発散して、「男性の」(ここ大事です)役職者に頭を下げさせることで嘘っぱちの優越感にひたるオジサンに今週なんどか遭遇してしまいました。なにも言えないとわかっている立場の人間に向かって上からモノを言うなんてサイテー。思い出すと吐き気しそうです。世の中にはこんなにひどい類の人間がいるのだと労働紛争で知りましたが、いやはや傲慢な人間はいるもんですね。生かされているという謙虚さを忘れて奢った人間にはいつかなにかしっぺがえしがやってくる。私はそう思っています。

「東日本巨大災害のテレビをみつつ
  2011年3月11日-3月28日

 かつて、神戸を出て大阪にくるともうふつうの日常が営まれているのを不思議な眼でみたことを思い出す。九州や東京に行くと、震災地では当たり前だった服装が自分でも場違いなものに思われるようになる。皇后陛下が皇居の水仙を持って見舞いに来られたように、瓦礫に合う色は黄色しかなかった。私も黄色のマフラーをしていた。その年の園芸学会に呼ばれてゆくと、「今年はなぜかヒマワリがよく売れる不思議な年です」とのことであった。

 災害発生の数日前の新聞を読み直すと、何とやくたいのない記事ばかり並んでいることよ。相撲の八百長から、隣の朝鮮人のおばさんに中学生の時から可愛がってもらって、おこづかいを貰ったことで外相の首が飛ぶとか、そういった記事である。この津波が押し流してほしいのは多数の愚劣事である。
 政治家も久しぶりに現実と相渉る日々となって、鍛えられるであろう。経験を積まれる機会である。戦争でなく、天災が政治家の現実感覚、責任感覚を育てるならば、それが最大の遺産であろう。世界的に政治家が不足しているが、日本の枯渇ぶりはひどかった。
 原子炉が担う電力の大きさにあらためて驚く。しかし、原子炉事故は私の同心円にしっくり収まっていない。収まる時がくるのかどうか。私がいま思い出すのはチェルノブイリの事故で、悲しいのは放射能には老人のほうが強いことで、若者が死んでゆくのが老人にはつらいという記事である。コンクリートの棺桶を作るためにソ連は兵士と市民の決死隊を使っていたようだが、日本ではそういうわけにゆかない。

 何が必要かを想像してみると、まず「よくやった」という気持ちを実感できる状況を作る。そして、ぜいたくな食べ物である。これは免疫力を向上させる。生理的に、そして心理的にも、である。
 神戸では、私への義援金を使って、神戸牛と明石鍋とをとりよせた。また客が来なくなった温泉に話して半額で交代で泊まれるようにした。
 緊張はじわーっとぬいてゆくのがよい。その点で大酒はどうかと思われる。ベトナム戦争からの帰還兵にアルコール症が多かったと聞く。
 救出された人が直後に死亡すること。これは、大西洋を船で往来していた時代に、フランス領の港ルアーブルの医師が観察していた。せっかく海難から救助された人が、港の病院で亡くなるのである。この医師は海のど真ん中にボートを下ろしてもらって海難を疑似体験している。乗ったきた船が見えなくなるということが大きな危険である。神戸の時も、夜十時になればタクシーが動く。それに乗って自宅に向かう途中、突然、脈が弱くなって、これはいけないと緊張しなおしたことがあった。」

(中井久夫『災害がほんとうに襲った時_阪神淡路大震災50日間の記録』2011年4月11日みすず書房発行より抜粋して引用しました。) 


災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録
中井 久夫
みすず書房

救われました_『看護のための精神医学より』

2015年02月22日 17時57分23秒 | 中井久夫著作『「つながり」の精神病理』他
自分の歩みを時系列でたどっていて、ああこんなこともあったんだ、この頃はこんな思いでいたんだと、自分でも忘れてしまっていることをいろいろと思い出します。

妹とのお別れから10年が過ぎたころ、カウンセリングスクールの夜間の、カウンセラー養成講座の基礎科に通っていました。二人分労働のきつい日々でした。後期は特に授業が金曜日の夜にあったので、仕事を早目に切り上げてスクールに行くこと自体がすごくきつかったです。
それでもわたしがんばってしまいました。
母のこと、妹のことを受けとめられる自分になりたい一心でした。

レポートを読み返していて、授業の中で紹介された中井先生の著書の中の一文にすごく救われたことをあらためて思い出しました。


中井久夫・山口直彦著『看護のための精神医学(第二版)』(2004年発行、医学書院より)

「安定した看護、治療、相談は、「守秘義務をもった他人」だけができる。
家族だから話せることもあるが、家族だから話せないこともある。
どんな看護師も医師も自分の家族の治療はできない。
客観的にみることがむずかしいし、どこまでやったらよいという限度も、いつまで続くという限度もなく、十分すぎてあたりまえであって、足らないところは相手が責めなくても自分が責める」。

この一文を読んだときに、自分はこれでいいんだとはじめて思うことができました。
わかりやすく書かれているとはいえ、専門性の高い本なのでいまだに読み切ることができていません。
落ち着いてきたら、もう一度最初から読んでみようと思いながらずっときています。

中井久夫著『「つながり」の精神病理』

2013年07月15日 10時17分53秒 | 中井久夫著作『「つながり」の精神病理』他
中井先生の著書は、専門的なことがでてくると私の勉強不足もあり、難しくて簡単には読みこなせないのですが、語り口が優しくて心が救われ、またそういうことだったのか、と気づきへとつながることがたくさんあります。

私自身の記録と合わせて少しずつ書いていきたいと思います。


「2012年4月某日(母とのお別れから2ヶ月後です)

人は色々言ってくれる。
話せばアドバイスをくれる。
けれど、自分の中ではそんなにかんたんじゃないんだということが、昨日の(エンカウンター)グループのあとでわかった。中井先生の『「つながり」の精神病理』を読み始めた。ようやくわかった。ことばでは説明しきれない、何か目には見えない、一つ一つはささいなことでしかないようなことで、病になるし、自殺へとさそわれる。日常の積み重ねってそういうものだ。
自分は当事者でなくても、そこに身内として関わるしかなかった者の、その思いもまたことばでは言い切れない。
人にはなかなか理解されない。
色々なことが絡み合った現実。そんなに簡単ではない。


父・母・妹、それそれに自分の人生にツジツマがあったのだとすれば、そこに好むと好まざるとに関わらず生まれてしまって、関わらなければならなかった私にとって、どんな意味があったのだろう。

受け容れたいと必死になってきた私の人生はこれからどうなっていくのだろう。
結婚も出産も逃してしまった私の人生にとって結局どういうことだったんだろう。
答えのない模索が始まってしまった。」



『「つながり」の精神病理』(ちくま学芸文庫)からの引用

フクちゃんとサザエさん(119-121頁)

 小学四年以降になると子どもには知力や親の経済力等による選別の圧力がいやおうなしにかかってくる。
 やがて、親のほうにも、子の教育費の負担と、老いてくる自らの親の面倒と、自分の職場での責任増大(あるいは家庭経営の複雑さ)がのしかかってくる。

(略)

 親子のきずなが、親子の成長の足を引っ張る形を取るのは、こういう転換期であると私は思う。親子の分離がうまくいくかどうかを決める因子の一つには、こういう時期に、親子が現状にしがみつき、さらにはもっと以前の状態に戻ろうとするかどうかによる。
 親子のきずなが幼年時代にどうであったかということも重要であるが、それは大人になるまでに修正される機会がいくらでもある。
 そういえば、「サザエさん」の家族構成は現実にめったにないような構成であって、あれは、うまく、転換期的な年齢の構成人員がいないようになっている。そのためにか、かなり不自然な家族構成なのだが、読者は、あまり気づかないようだ。その家族構成には不安もそそるものがないからである。(略)世代間境界が不鮮明であるが、ある序列はあって、しかも世代間のギャップが最小になるようになっている。そして、思春期の少年少女がいない。登場人物の年齢を十年上げてみると「サザエさん」の世界は成り立たないのである。
「フクちゃん」になると、おじいさんとフクちゃんの二人である。祖父と孫二人だけの所帯はかなり悲惨なはずだが、漫画は生活的なことが一切出てこないようになっている。祖父と孫という自立が問題でない二人世界での永遠のたわむれがある。」


→まだまだ続きます。
 写真は、春のプリンス・エドワード島の緑と赤土です。
 本文とのつながりはないですが、私自身がほっとするので載せています。