たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

苦悩していた日々を思い出す_実習記録ノートより(12)

2020年03月08日 17時55分21秒 | 祈り
「平成18年11月20日(月) くもり 9日目

 これを書いてるのは23日。2日間、気力で会社に行った。休みをとるからといって仕事は減らない。休んでもちゃんと仕事はやるんだぞ、っていうのを示さなければならない。これが私の現実であり、両立はかなりきつい。会社の中は殺伐としていて、ゆがみとねじれに満ちており、実に空気が悪い。私自身も余裕のなさから、いつも顔をひきつらせている。こんな自分でいいのだろうかと思いながらのぞんだ実習だ。9日間が過ぎた。フリースペースの中は、本当にゆるやかに時間が流れているように思える。実習生という立場はスタッフさん達に守られながら、存分に自分の気持ちと向き合える。

実習に入ってから繰り返し母のことを語ってきた。発症してから17‐8年が過ぎ、ようやくオープンにできる機会をもち、受けいれられるきっかけになろうとしている。母は年齢もあるが、もう現実がわからなくなっており、薬の副作用から顔もすっかり変わり、家から出ることもないという。私は、母のことを弟とお医者さんという第3者に委ねようと思う。私が精一杯生き、幸せになることを考えたい。それでいい。何が悪くて、誰が悪くてそうなるのかわからないが、精神疾患と呼ばれるカテゴリーに入る症状のあらわれてしまう人がいる。その人と身内は、その事実を受けいれ背負っていかなければならない。途中下車はできないのだ。この事実は重い。正しい知識と情報をもった、赤の他人の力は必要不可欠だと思う。

フリースペースの利用者さん同士の会話からは、他に行く場のない現実をうかがい知ることができる。自立ということの意味は、年代によってもずいぶん違ってくると思う。年齢が高い方たちは、同世代が仕事から離れているが、同世代が働いている年齢の方たちは周囲から比較され、自身も比較したりすることがあるのではないだろうか。仕事ばかりではないが、人は社会の中で人と関わりながら、なんらかの役割をもって生きていく。

○○○○の利用者さんたちは、これからどうやって自分の居場所と役割をみつけていくのだろうか。そうした力を自分自身の中に見出していくには、第3者機関を利用し、また人の力を借りること、そして時間が必要だ。今日本は、モノはたくさんあるがなんとも忙しく疲れる。生活の保障も含めて先が見えず、夢がもてなくなっているような気がする。人が自分らしい生き方を見つけていくことは難しい。私が毎日を過ごしている職場でも若い世代はどんどん離れていく、という現実がある。なんともやりきれない思いだ。どっかの会社にしがみついていれば安心という時代は終わった。選択肢と情報が増えた分、それぞれの生き方が問われる。○○○○のフリースペースと出会ったことで、あらためて、人が生きていくということの意味、生命をもった一人一人の重さを感じ、考えさせられる。これから私がどうしていくのかはまだ見えないが、残り3日間、自分がつぶれないように、仕事との両立をこなしたい。」

「平成18年11月24日(金) 晴、10日目

本日の目標;実習10日目。今日もできるだけ元気に笑顔で過ごしたいと思う。」

 昨日、誕生日の朝、コーヒー飲みすぎだ、何度言っても直らないと叱責され、わたしも色々と勝手をしてきているのでいけないとはわかっているものの、業務でおまえはバカなのかと攻撃をうけ、家の中でもまた攻撃をうけるのはこたえました。言われて直さなければならないなど全く思うことがなかったのでびっくり。あれほどいやがっていた家になぜ今さらもどってきたしまったのかとまた自分をのろいました。心の中にぽたぽた、ぽたぽた、血が流れました。8年前母が旅立ったとき天涯孤独になったことをなぜわかっていなかったのか・・・。

 自分はなんのためにこの世に生まれてきたのか、誕生日は生んでくれてありがとうと感謝する日だとも聞くけど、子どもは親を選ぶことができなのですよ、などなどこんな年まで生きてきて今さら考えても仕方ない。いちばん可哀そうなのは子どもで、この子は親に殺されるために生まれてきたのかという幼い命が現実にはある。残念ながら負の連鎖の力は凄まじいという現実を前職で知りました。残りの人生の時間、自分に何ができるのかな、またどこか駅に近い便利なところに部屋を借りて家賃はらいながら、何をしたいのか、何ができるのか。

 歯がほんとにもうボロボロで通院先をかえてしまったリスクが大きすぎました。田舎の医者、かつて通院していたところだと気持ち油断しすぎ、代替わりしているわけだし、なんかあんまりよくない、かといって他にどこへいけばいいのかわからない。妹の遺品整理の終わりはみえてきているので自分の気がすめばもういい。言葉に遠慮がない家族ほどざんこくなものはない。世の中の事件の半分は家の中で起きている。家の中はこわい。それなりの家賃を払えないと集合住宅も大変だと知っているので実現できるか不安。でもこのまま家に暮らしていくことは無理、前向きなことはなにもない。一日も早くまた逃げ出したい。最近は身元保証会社なるものがあることを知りました。費用は高いのか、後見人をきめるのはどうすればいいのか、そんなことも少しずつ調べていかなければと思います。

 明日はまたお昼の電話当番、のこり5回かな、こんな合わないことを慣れない生活の中でよくここまでやってきたもんだ。あと3週間なり、なんとか無事にふんばれ自分。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-03-09 00:47:53
お誕生日おめでとうございます。
それでもどうしても、知ったからにはお伝えしたかったです。
わたしのえごです。
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