たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『徳川時代の宗教』より-第一章日本の宗教と産業社会

2025年02月04日 20時34分56秒 | 本あれこれ

「徳川時代(1600-1868)の日本の宗教については、多方面にわたってすでに立派な研究がなされており、これがなかったら本書は書くことができなかったであろう。けれども、この時代の日本の宗教全体が日本人の生活にどのような意味を持っていたかという点については、英文で書かれた著作は皆無である。本研究の目的の一つは、きわめて粗いながらも、近代日本にもっとも近く、先行し、近代日本の基礎を多方面にわたって形成した、日本史の上でとりわけ重要なこの時期の、従来の研究に欠けていたものを補おうとするものである。

 

(略)

 

 現実に働いている意味に関心をもつことから、日本の宗教伝統をつくり上げてきた教義の形式的な構造を取り扱う方法が規定されることになろう。たとえば、われわれは、仏教、儒教、あるいは神道の教義それ自身を解明することには関心がない。われわれにとってこれらの教義を詳しく論ずる必要のあるのは、ただそれがこの時代の宗教生活の能動的要素となっている場合だけであり、それらの教理の最も重要な多くの部分が徳川時代においてもなお強い影響をおよぼしていたことを知り得るからである。たとえば、紀元前3世紀の中国の偉大な儒者、孟子は、遠い過去の名前ではなく、実に18世紀の日本で彼の教義が現在的な力を持っていたことを知る。したがって、孟子が幾世紀も以前に、異なる国に生きていた人であっても、その教義をここで取り扱わねばならない。同様に、中国の唐や宋の時代に禅宗によって展開された悟りの方法は、徳川時代に、広く商人や職人にも実践されていたのであるから、それはわれわれの研究に関係がある。

 

(略)

 

 非西欧諸国のなかで日本だけが、近代産業国家として自らを変革するために、西欧文化から必要とするものをまったく急速に摂取した。この成功は、日本人がもっていると思われているなにほどか神秘的な模倣能力によるのではなく、前近代の時代において、すでに後の発展の基礎を準備したいくつかの要素によるものだと考える日本研究者がふえてきている。しばしば論ぜられるこれらの諸要素のなかでも、他の非西欧諸国にはみられないある種の経済上の進歩があった。宗教と近代西欧社会の発展との関係、とくに近代の経済との関係について、マックス・ヴェーバーの偉大な著作に影響された社会学者は、当然、日本の場合にも宗教的要素が含まれるかどうかを問題にする。大胆にいうと、この問題は、日本の宗教のうちで、何がプロテスタントの倫理と機能的に類似しているのかということである。このように問題を設定すると、この問題は、この書を通じてとくに興味のある焦点として役に立つであろう。われわれは、日本の宗教が、普通の国民に実際上どんな意味を持っているか、できるだけ明瞭に理解するようにし、また、近代産業社会の勃興と関係があると思われる要素にはどんなものでも、とくに注意をはらうことにしよう。

 

 研究上の用語を明確にするため、著者は近代産業社会(modern Industrial socccietly)という言葉、また宗教(region)という言葉のそれぞれの意味とはなにか、定義しておく必要がある。近代産業社会とは、社会体系においては経済体系に、価値体系においては経済価値に非常な重要性をおく、という特徴のある社会をいう。また、この脈絡において経済価値の意味が何であるかを明確にすることは重要である。何よりも、私はこの語の意味が、利益欲、獲得本能、あるいは快楽主義的消費欲望などと考えはしない。「資本主義」社会にかんする多くの論議は、次のような全く不当な仮定にそまっている。それは「資本主義の性質」が、いま述べたような言葉で特徴づけられるというのである。うたがいもなく、そのような動機は、産業社会にも存在しているが、しかし、(非産業)社会においても同様である。だからこれらは、どんな意味でも、産業社会を特徴づけはしない。

 

 経済価値という語は、とりわけ手段を合理化する過程を特徴づける諸価値をいうのである。社会学の理論では、これらの価値は、行為理論でいう「類型変数」のうちの二つ、普遍主義と遂行を指している。手段を合理化する過程、あるいは等しく道具的行為とも呼びうるようなものでは、行為の目標は、差し当り自明のこととされる。唯一の問題は、与えられた目標に最高度の能率とまた最小限のエネルギーをもっていかにして到達し得るかということである。このことは、とりわけ、場の緊張に適応する意味ももっている。もし目標達成の途上になんらの障害もないとしたら、手段の問題は起こり得ないから。この道具的、もしくは適応行為の過程では、かような特殊の対象には関心はない。場におけるどの対象も、すべて、それが単に適応の問題と関連した性質をもつかぎりでのみ関係がある。したがって、われわれは適応状況における対象への志向は、個別主義的であるよりもむしろ普遍主義的なものであるというのである。同様に、適応状況における対象の質は関係がなく、考慮されるのはただ遂行だけなのである。この状況で重要なのは、対象が何かということではなく、何がなされたかということである。われわれの研究の枠組みから、社会を一つの全体像として取り上げると、経済こそ適応の問題にいちばん関連のある体系だということができる。それで適応過程あるいはその次元、すなわち普遍主義と遂行を規定する諸価値を「経済価値」と呼ぶことができる。分析的段階から経験的段階に移してみると、経済価値の表現としては、生産性への高度の関心、すなわち能率的な生産への実行があって、これに過剰に関心をいだくようになる傾向がある。

 

 アメリカ社会では、この経済価値が第一義的であり、それは、「もっと多くの、もっとよい品物を、もっと多くの人々へ」とか、「富裕の経済」といった語句に表現されている。実際には、経済価値と同様な価値が経済以外の分野においても表現されている。つまり、業績を挙げることとか、「すること」への一般的関心があり、それはビジネスにおけると同じく、レクリエーションにおいてさえあらわれている。普遍主義的態度は、産業にはもちろんのこと、科学や法律にもみられる。いわゆる「経済価値」という用語でわれわれが立証するところのものは、普遍主義的-遂行の価値が、社会体系の適応次元を規定しており、この次元が、経済と同格だということである。

 

 近代産業社会の典型であるアメリカ合衆国の特徴は、いま定義した意味で、経済価値の優先を特色とする。

 

 けれども、すべての近代産業社会がかならずしみ経済価値を優先しているわけではない。しかしながら、ある産業社会が経済価値以外の価値複合を優先させる特色をもつような場合でも、ここに定義したごとき経済価値は非常に高い二次的重要性をもっているはずである。かような価値がなかったら、高度に分化した、かつ合理的な経済はあり得ないし、したがって産業社会たり得ない。マックス・ウェーバーの使った意味で、形式合理性の高度の段階にあるためには、伝統主義の規制をうけず、ただ形式合理的規範によってのみ支配される手段の合理化の継続的過程が必要となる。もちろんここで定義したような経済的合理性が、全然束縛されないような社会はどこにも存在しない。完全な経済的合理性は政治、道徳、宗教その他のいろいろな束縛により制限される。それは経済価値が優位を保っているとされる社会でさえも例外ではない。

 

 しかし、それにもかかわらず、最も厳格な範囲内で束縛されている伝統主義社会と対比してみると、産業社会では、経済的合理性は非常に広い自由な活動領域をもっているはずである。伝統的経済を静的に維持するこれらの束縛から解放されて、現状を維持するのでなく、むしろ新しい局面へとその合理化の過程を継続していかざるを得ないのが、合理的経済の特色なのである。これが、産業社会のダイナミズムであり、かつ不安定性を持つゆえんなのである。こうした、たえざる経済的合理化は、全体としての社会体系のなかに緊張を生じさせ、合理化経済を正当化している諸価値を危機にさらすこともあり得る。

 

 非産業社会から産業社会への発展過程を考えてみると、もっとも顕著な事実の一つは、基本的価値類型の変化である。中世ヨーロッパが、政治的および宗教的-文化的諸価値によって特徴づけられているのに対して、近代アメリカ合衆国は経済価値により特徴づけられている。けれども、産業社会が発展するのに次のような場合もあり得る。基本的諸価値の転換なしに、むしろ経済価値が、ある分野で非常に重要となり、経済全体がほとんど束縛なく、自由かつ合理的に発展できるようなある程度の分化した段階に達する、という過程を通じて発展する可能性もあるわけだ。ヨーロッパの産業社会の大部分は、この後者の発展段階を示していると思われる。

 

 そして、私の信ずるところでは、日本もまた同様である。

 

 日本は、政治価値の優位性を特色とする。政治は経済より優位を占めている。ここでは、「経済価値」という用語の場合と同じく、「政治的」という形容詞は非常に広い意味にとることにする。図式的にいうなら、政治価値は、遂行と特殊主義の類型変数を特徴とする。その中心的関心は、(生産よりむしろ)集合体目標にあり、忠誠が第一の美徳である。支配と被支配が「すること」よりもずっと重要であり、権力は富よりも重要である。(略)明らかなことは、ここで広い意味で使われている政治価値が、西欧でもまた、ある時代には第一義的に、また他の時代には第二義的に、非常に重要な意味をもっていたことである。

 

 タルコット・パーソンズは、最近、経済的合理性の過程にまったく対比し得るような政治的合理性のそれが存することを指摘している。それで政治価値に対して高度の関心をもつ社会は、権力がしだいに普遍化し、相対的に伝統的な規制から解放されて、ただ合理的な規範によってのみ支配されるような状況を産みだすことになる。もちろん、政治的合理性は、もし全体としての社会がその機能を継続すると、経済的合理性ほど完全に束縛から解放されるわけにはいかないが、しかし、政治的合理性がもつ相対的自由は、驚くべき結果を生みだすこともあり得る。

 

ここではそのような過程が、西欧における産業社会の勃興にいかに重要でであったかを述べるべき立場にはないが、それがかなり重要であったことは疑う余地がないと思う。政治的およびその他の分野における伝統主義の間からあらわれ、そして近代の合理的な法治国家の発展へと導いたルネッサンス国家、国民主義の現象、およびそれらと関連した発展など、これらすべては、たしかに産業社会の勃興にたいして重要な意味をもっていた。わたしの意見では日本は、この政治的合理化の過程の特異な、またいきいきとした例証を示しており、このことを理解してはじめて、日本における特異な経済の発展が理解できると考えるのである。経済価値は、日本では高度の重要性をもつに至ったが、しかしそれは政治的価値に従属する地位に依然として留まっており、後章でくわしく述べるようなあり方で政治価値に結びついていたのである

 

 産業社会の用語の意味を一般的に定義し、かついくつかの産業社会に導く諸過程を論じたので、今度は、宗教という用語の意味とは何か、また宗教の産業社会発展に対する親和性について論じておかねばならない。

 

 われわれは、パウル・ティリッヒにしたがって、宗教を、究極的関心にかんする人間の態度と行為と定義する。この究極的関心は、究極的に価値があり、意義があるもの、すなわちわれわれが究極的価値と呼ぶものと関係がある。あるいは価値と意義に対する究極的脅威、すなわちわれわれが究極的挫折と呼ぶものと関係がある。社会道徳の基礎となる一連の意義ある究極的価値を供給することは、宗教のもつ社会機能の一つである。そのような価値が制度化されると、宗教は社会の中心価値であるといい得る

 

 究極的関心の他の面は、究極的挫折である。挫折が、制御し得る自然現象とか道徳的違反に対する適切な社会的制裁のような、決定要因にもとづくと思われる場合には、通常の人間なら、それらをそのまま処理できるのであって、したがってそれらは究極性をもたない。けれど、挫折は人間の状況には必ずつきまとうものであって、しかも死をその典型とするような、制御することも出来ず、また道徳的に何ら意義もあり得ないような挫折があり、これを究極的挫折と呼ぶことにする。宗教のもつ、この第二の主要な社会機能は、これらの究極的挫折に適切な説明を与えることである。それによって、挫折をうけた個人、あるいは集団が、核となる価値を無意義と思わずに挫折を受けいれ、挫折に直面しても社会生活を営み得るのである。かような機能は、究極的価値が究極的挫折より偉大であり、それに打ち勝つことができるという確信の形式によって果されるのであり、さらに、この機能はいろいろのあり方で-たとえば死に対する神の勝利、死の神タナトスに対する愛の神エロスの勝利、幻想に対する真理の勝利-といったふうに象徴されている

 

 究極的関心の「対象」、すなわち究極的価値と究極的挫折の源泉となっている対象は、それがあらゆるものを考慮しようとするなら、象徴化の過程をたどらざるを得ない。われわれは、これらの象徴とは「聖なるもの」あるいは「神的なるもの」をさしているといいたい。宗教的行為とは、聖なるもの、神的なるものにむけられているある種の行為である。

 

 原始的な、あるいは「呪術的」な宗教では、この神的なるものの観念は、極端に拡散(デイフユーズ)している。それは多くの対象に内在し偏在する威力もしくは力、あるいは神々、精霊、霊鬼の複合体に象徴されている。この拡散した神的なる観念は、日常生活にまで浸透している。この傾向の結果として、社会生活における行為の大部分は、聖なるものあるいはなかば聖なるものの性格をおびるようになる。社会的行為を果すことに失敗したり、またはこれを正しく行わないことは、単に社会的制裁をともなう道徳的誤謬(びょう)であるのみならず、神の裁きをうけるほどの神への冒涜となるであろう。このようにして、宗教はうたがいもなく、伝統主義の社会では、生活の停滞化をもたらし、また厳格なものとするのに役立つのである。

 

 原始的な伝統主義から偉大な世界宗教が出現したが、これらの示す聖なるものと宗教行為の新しい観念は、すべて比較的に高度の合理化を経ていることが特徴である。ヴェーバーの主張によると、これらの最初の合理化がとった方向は、巨大な、そしてある意味では決定的な影響を、その後の伝統の発展におよぼした。これらの一層合理化された宗教を、図式的にその特徴を示すと、これらの宗教のもつ神的なるものの観念は、通常、原始宗教のそれよりも一層抽象的で、ある意味では単純かつ拡散の少ないものであるといえる。神的なるものは、あらゆる状況において信仰され得るような、比較的わずかな、単純な性質のものと見られ、一層極端には「他者」としてあらわれ、そしてこの世界とのかかわり合いが徹底的に縮小する。それに付随して、宗教行為は単純化し、その場その場のものでなくなり、そして神のまことを実行するとか、神性を直接理解する方法を求めるといったことから、一層直接的に神と関係するようになる。挫折は、主に個々の状況の一面というよりは、人間生活の一般的な属性と考えられる。人間は、いくらかラディカルな意味で「疎外され」ていると感じられ、またラディカルなある救済を必要とすると感じられる。これらの諸宗教の本質は、この救済に到達する手段を与えることである。

 

こうした合理化傾向が社会の研究者に著しく重要性を持っているのは、これから生ずる態度と行為の変化にある。伝統主義の宗教は、無数の個々別々の慣習を広範囲にわたって是認し、どんな社会変化をも遅らせたり、あるいは妨げたりするのに反して、救済宗教は、個々別々の慣習から神聖性をうばい去り、その代りに、一般的、非状況的な倫理的行為の原理を与え、その結果、宗教自体の範囲をはるかに越えて重大な影響を及ぼし、行動の合理化へとみちびくのである。

 

 いうまでもなく、われわれがいま述べたこの二つの型は、純粋な形ではめったにみられない。ほとんどすべての原始宗教は合理化の要素をもっているし、ほとんどすべての救済宗教も多くの「呪術」の要素をもっている。日本では、ほとんどの宗教や宗派もこの両面をもっている。呪術的要素と伝統主義的要素がこれらにまざりあっている面を考慮しつつも、しかしわれわれが最も関心をいだくのは、その合理化の傾向である。

 

 これまで述べた宗教の諸考察から、宗教の近代産業社会の発展に対して果す重要な役割は、いくらか明らかとなろう。経済的合理化と政治的合理化の両過程が、産業社会の発展をみちびくのに効果を発揮し得る前に、伝統主義からかなりの程度に解放される必要がある。事実上、この解放が遂げられる唯一の方法は、聖なるものの再解釈を通してであり、それによって合理化の過程に適した価値と動機づけとが正当化され、伝統主義的諸規制が克服される。

 

 ヴェーバーにあっては、プロテスタンティズムは、まさにそのような聖なるものの再解釈にほかならなかった。そして人間の神に対する関係の新しい観念は、世俗の合理的知針を宗教的義務たらしめ、普遍主義と業績本位の価値を制度化させる傾向をとる。ヴェーバーは、この発展を「世俗内禁欲主義」という言葉で特徴づけた。この場合には、プロテスタンティズムは経済的合理化に対して直接貢献したということができる

 

 本研究の目的の一つは、日本の宗教における合理化傾向が、日本の経済的あるいは政治的合理化にどのように貢献したかを示すことにある。

 

 われわれは、すでに産業社会を、第一義的に経済価値という言葉で規定したので、今度は、経済価値と経済的合理化に対する宗教の関係を示さねばならない。日本の社会は、政治的側面が非常に強調されるという性質のために、政治およびその構造と宗教および経済の両者の関係をいくぶん詳細に論じなければ、宗教と経済の関係を示すことは不可能である

 

 感嘆にいえば、われわれの関心は、聖なるものと、聖なるものに対する人間の義務の捉え方が、経済的合理化に都合のよい諸価値や動機づけにどのように影響するか、またその媒介過程である政治的合理化の重要な役割が経済的合理化にどのように影響するか、という問題である。

 

 一章を割いて、徳川社会を簡単に描き、宗教生活をその固有の舞台に即して考察した後に、われわれは、徳川時代における宗教の信条表現を、これらが最も顕著に見られる階層、および、政治的あるいは経済的合理化にむかうあらゆる傾向に関連させてながめていこう。」

 

(R.N.ペラー著・池田昭訳『徳川時代の宗教』岩波書店、1996年8月20日第一刷発行、33-47頁より)

 

 


フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-暫定的存在を分析する

2025年01月16日 10時02分22秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所-運命-賜物(たまもの)

「強制収容所の人間の内面生活がいびつに歪むのは、つきつめればさまざまな心理的身体的なことが要因となってそうなるのではなく、最終的には個々人の自由な決断いかんにかかっていた、延べたが、これはもっとくわしく説明すべきだろう。

 被収容者を心理学の立場から観察してまず明らかになるのは、あらかじめ精神的にまた人間的に脆弱な者が、その性格を展開していくなかで収容所世界の影響に染まっていく、という事実だった。脆弱な人間とは、内的なよりどころをもたない人間だ。では、内的なよりどころはどこに求められるのだろう、というのが、つぎの問いだ。

 元被収容者についての報告や体験記はどれも、被収容者の心にもっとも重くのしかかっていたのは、どれほど長く強制収容所に入っていなければならないのかまるでわからないことだった、としている。被収容者は解放までの期限をまったく知らなかった。もしも解放までの期限などということが問題にされたとしたらだが(たとえばわたしがいた収容所では話題にのぼったことがなかった)、それは未定で、実際、無期限であっただけでなく、どこまでも無制限に引き延ばされるたぐいのものだった。ある著名な心理学者がなにかの折りにこのことにふれて、強制収容所におけるありようを「暫定的存在」と呼んだが、この定義を補いたいと思う。つまり、強制収容所における被収容者は「無期限の暫定的存在」と定義される、と。

 新たに送りこまれた人びとは、収容所についたとき、そこを支配している状況をなにひとつ理解していなかった。そこから出てきた者たちは沈黙せざるをえなかったし、ある収容所にいたっては、まだだれももどってきた者はいなかった・・・。収容所に一歩足を踏み入れると、心内風景は一変する。不確定性が終わり、終わりが不確定になる。こんなありように終わりはあるのか、あるとしたらそれはいつか、見極めがつかなくなるのだ。

 ラテン語の「フィニス(finis)」には、よく知られているように、ふたつの意味がある。終わり、そして目的だ。(暫定的な)ありようがいつ終わるか見通しのつかない人間は、目的をもって生きることができない。ふつうのありようの人間のように、未来を見すえて存在することができないのだ。そのため、内面生活はその構造からがらりと様変わりしてしまう。精神の崩壊現象が始まるのだ。これは、別の人生の諸相においてもすでにおなじみで、似たような心理的状況は、たとえば失業などでも起こりうる。失業者の場合もありようが暫定的になり、ある意味、未来や未来の目的を見すえて生きることができなくなるからだ。かつて、失業した鉱山労働者を心理学の立場から集団検診した結果、このゆがんだありようが時間感覚におよぼす影響をさらにくわしく調査しなければ、ということになったことがある。心理学では、この時間感覚を、「内的時間」あるいは「経験的時間」と呼ぶ。

 収容所の話に戻ろう。そこでは、たとえば一日のようなわりと小さな時間単位が、まさに無限に続くかと思われる。しかも一日は、権力をかさにきたいやがらせにびっしりと埋めつくされているのだ。ところがもう少し大きな時間単位、たとえば週となると、判で捺したような日々の連続なのに、薄気味悪いほどすみやかに過ぎ去るように感じられた。わたしが、収容所の一日は一週間より長い、というと、収容所仲間は一様にうなずいてくれたものだ。ことほどさように、収容所での不気味な時間感覚は矛盾に満ちたものだった。

 ここから連想されるのは、トーマス・マンの『魔の山』に記された、心理学的に見ても正鵠(せいこく)を射た観察だ。この小説は、心理学的に収容所と似通った状況に立たされた人間、すなわち退院の期日もわからない、「未来を失った」、未来の目的に向けられていない存在として便々と過ごす結核療養所の患者の精神的な変化を描いたものである。療養所の患者は、まさにここで話している強制収容所の被収容者そのものだ。

 ある被収容者が、かつて、新たに到着した被収容者の長い列にまじって駅から強制収容所へと歩いていたとき、まるで「自分の屍のあとから歩いている」ような気がした、とのちに語ったことがある。この人は、絶対的な未来喪失を骨身に染みて味わったのだ。それは、あたかも死者が人生を過去のものと見るように、その人の人生のすべてが過去のものになったとの見方を強いるのだ。

「生きる屍」になったという実感は、さらなるほかの要因によっていっそう強まった。この拘束は無期限らしいとの感触が徐々に強まると、空間的な制限、すなわち拘禁ということもまたひしひしと感じられてくる。鉄条網の外にあるものは、とたんに近づきえないもの、手の届かないものとなり、ついにはどこか非現実なものとなる。収容所の外の出来事も人間もふつうの生活も、収容所にいる者には、なにもかもがどこか幽霊じみた、非現実なものに思えてくる。ちらとでも外を垣間見ることができたときには、外の生活は被収容者の目に、まるで死者が「彼岸」から此岸をながめおろしているかのように映る。それで、被収容者は目の前に広がるふつうの世界にたいして、時がたつにつれ、まるでこの「世界はもうない」かのような感覚をもたざるをえないのだ。

 人間として破綻した人の強制収容所における内面生活は、追憶をこととするようになる。未来の目的によりどころをもたないからだ。過去へとさかのぼる退嬰(たいえい)的な傾向については、すでに別の文脈でふれた。これには、おぞましい現在に高(たか)をくくれるという効果がある。しかし現在、つまり現前する現実に高をくくることには、危険な一面がある。多くの英雄的な人びとの例が示しているように、収容所生活においても現実に真正面から向き合うきっかけはあったのに、それを見失ってしまうのだ。

 現実をまるごと無価値なものに貶(おとし)めることは、被収容者の暫定的なありようにはしっくりくるとはいえ、ついには節操を失い、堕落することにつながった。なにしろ「目的なんてない」からだ。このような人間は、過酷きわまる外的条件が人間の内的成長をうながすことがある、ということを忘れている。収容所生活の外面的困難を内面にとっての試練とする代わりに、目下の自分のありようを真摯に受けとめず、これは非本来的ななにかなのだと高をくくり、こういうことの前では過去の生活にしがみついて心を閉ざしていたほうが得策だと考えるのだ。このような人間に成長は望めない。被収容者として過ごす時間がもたらす過酷さのもとで高いレベルへと飛躍することはないのだ。その可能性は、原則としてあった。もちろん、そんなことができるのは、ごくかぎられた人びとだった。しかし彼らは、外面的には破綻し、死すらも避けられない状況にあってなお、人間としての崇高さにたっしたのだ。ごくふつうのありようをしていた以前なら、彼らにしても可能ではなかったかもしれない崇高さに。しかしそのほかの者たち、並みの人間であるわたしたち、凡庸なわたしたちには、ビスマルクのこんな警告があてはまった。

「人生は歯医者の椅子に坐っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう」

 これは、こう言い替えられるだろう。

「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」

 けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、あるいは、ごく少数の人びとのように内面的な勝利をかちえたか、ということに。」

 

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、117-123頁より)

 

 


フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-運命-賜物(たまもの)

2025年01月11日 12時45分14秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-いらだち

「ひとりの人間が避けられない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、きわめてきびしい状況でも、また人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。勇敢で、プライドを保ち、無私の精神をもちつづけたか、あるいは熾烈をきわめた保身のための戦いのなかに人間性を忘れ、あの被収容者の心理を地で行く群れの一匹となりはてたか、苦渋にみちた状況ときびしい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして「苦悩に値」したか、しなかったか。

 このような問いかけを、人生の実相からはほど遠いとか、浮世離れしているとか考えないでほしい。たしかに、このような高みにたっすることができたのは、ごく少数のかぎられた人びとだった。収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、ほんのわずかな人びとだけだったかもしれない。けれども、それがたったひとりだったとしても、人間の内面は外的な運命より強靭(きょうじん)なのだということを証明してあまりある。

 それはなにも強制収容所にはかぎらない。人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげるかどうか、という決断を迫られるのだ。病人の運命を考えてみるだけでいい。とりわけ、不治の病の病人の運命を。わたしはかつて、若い患者の手紙を読んだことがある。彼は友人に宛てて、自分はもう長くないこと、手術はもう手遅れであることを知った、と書いていた。こうなった今、思い出すのはある映画のことだ、と手紙は続いていた。それは、ひとりの男が勇敢に、プライドをもって死を覚悟する、というものだった。観たときは、この男がこれほど毅然と死に向き合えるのは、そういう機会を「天の賜物(たまもの)」としてあたえられたからだと思ったが、いま運命は自分にその好機をあたえてくれた、と患者は書いていた。

 またかなり以前、トルストイ原作の『復活』という映画があったが、わたしたちはこれを観て、同じような感慨をもたなかっただろうが。じつに偉大な人間たちだ。だが、わたしたちのようなとるに足りない者に、こんな偉大な運命は巡ってこない、だからこんな偉大な人間になれる好機も訪れない・・・。そして映画が終わると、近くの自販機スタンドに行き、サンドイッチとコーヒーをとって、今しがた束の間意識をよぎったあやしげな形じょ上的想念を忘れたのだ。ところが、いざ偉大な運命の前に立たされ、決断を迫られ、内面の力だけで運命に立ち向かわされると、かつてたわむれに思い描いたことなどすっかり忘れて、諦めてしまう・・・。なかには、ふたたび映画館で似たり寄ったりの映画を目の当たりにする日を迎える人もいるだろう。そのとき、彼の中では記憶のフィルムが回りはじめ、その心の目は、感傷をこととする映画製作者が描きうるよりもはるかに偉大なことをその人生でなしとげた人びとの記憶を追うことだろう。

 たとえば、強制収容所で亡くなった若い女性のこんな物語を。これは、わたし自身が経験した物語だ。単純でごく短いのに、完成した詩のような趣きがあり、わたしは心をゆさぶられずにはいられない。

 この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。なのに、じつに晴やかだった。

「運命に感謝しています。だって、わたしはこんなひどい目にあわせてくれたんですもの」

 彼女はこのとおりにわたしに言った。

「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした」

 その彼女が、最期の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。

「あの木が、ひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友だちなんです」

 彼女はそう言って、病棟の窓を指さした。外ではマロニエの木が、いままさに花房をふたつつけた緑の枝が見えた。

「あの木とよくおしゃべりをするんです」

 わたしは当惑した。彼女の言葉をどう解釈したらいいのか、わからなかった。譫妄(せんもう)状態で、ときどき幻覚におちいるのだろうか。それでわたしは、木もなにかいうんですか、とたずねた。そうだという。ではなんと?それにたいして、彼女はこう答えたのだ。

「木はこういうんです。わたしはここにいるよ、わたしは、ここに、いるよ、わたしは命、永遠の命だって・・・」」

 

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、113-117頁より)

 

 


徒然草より-身死して財残る事は、智者のせざる処なり

2025年01月09日 12時15分15秒 | 本あれこれ

徒然草 第百四十段 (tsurezuregusa.com)

原文

身死してたから残る事は、智者ちしやのせざる処なり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心を止めけんとはかなし。こちたくおほかる、まして口惜くちをし。「我こそめ」など言ふ者どもありて、あとあらそひたる、さまあし。のちたれにと志す物あらば、けらんうちにぞ譲るべき。


 朝夕あさゆふなくてかなはざらん物こそあらめ、そのほかは、何もたでぞあらまほしき。

原文

子孫に美田を残すのは、まともな人間のすることではない。下らぬ物を貯め込むのは恥であり、高価な物に心を奪われるのは情けない。何より遺品が多いのは、傍迷惑である。「私が貰っておきましょう」などと名乗り出る者が現れ、醜い骨肉の争いが勃発するだけだ。死後に誰かに譲ろうと思っている物があるならば、生きているうちにくれてやれば良い。

 生活必需品を持つだけで、後は何も持たない方が良いのである。


『古事記』より-五穀の起源

2025年01月08日 00時17分30秒 | 本あれこれ

『古事記』より-神武天皇-東征

 この年齢になってはじめて『古事記』を断片的に読んでいます。わたしたちのなかに自ずとしみこんでいることの多くが『古事記』に描かれている神話からきているのだと知りました。元は全部漢字、歴代の学者たちの努力によってわたしたちは訳されたものを読むことができます。むずかしいですがこの年齢になったから読めるのかもしれません。

 

「五穀の起源」は岩波文庫の38頁に記されています。

解説サイトから「地上を追放され食べる物がなく困っていたスサノオはオオゲツヒメに助けを求めた。オオゲツヒメは鼻口お尻から食べる物を出して調理し、もてなしのご馳走を準備してくれた。その姿をみてけがれたものをだすのかと誤解したスサノオはオオゲツヒメを殺してしまった。殺されたオオゲツヒメの、頭から蚕が、二つの目から稲が、二つの耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が産まれた」という内容。オオゲツヒメから産まれた五穀が日本の農業の始まりとのこと。面白いですね。

「黄泉の国」が『古事記』に描かれていることもこの年齢になってはじめて知りました。『エリザベート』のトート=死を黄泉の帝王としているのは日本だけですよね。

 

大気津比売神のおもてなし

五穀が生まれる

スサノオがオオゲツヒメを斬り、その亡骸から五穀が生る | 古事記・現代語訳と注釈〜日本神話、神社、古代史、古語

 

 

 

 


フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-いらだち

2025年01月07日 19時18分21秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活

「ここまで、収容所で被収容者を打ちひしぎ、ほとんどの人の内面生活を幼稚なレベルにまで突き落とし、被収容者を、意志などもたない、運命や監視兵の気まぐれの餌食とし、ついにはみずから運命をその手でつかむこと、つまり決断をくだすことをしりごみさせるに至る、感情の消滅や鈍磨について述べてきた。

 感情の消滅には別の要因もあった。感情の消滅は、ここまで述べてきた意味における、魂の自己防衛のメカニズムから説明できるのだが、それだけでなく肉体的な要因もあった。いらだちも、感情の消滅とならぶ被収容者心理のきわだった特徴だが、これにも肉体的な要因が認められる。

 肉体的な要因は数あるが、筆頭は空腹と睡眠不足だ。周知のように、ふつうの生活でも、このふたつの要因は感情の消滅やいらいらを引き起こす。収容所での睡眠不足は、居住棟が想像を絶するほど過密で、これ以上はないほど非衛生だったために発生したシラミにも原因があった。

 このようにして生じた感情の消滅といらだちに、さらなる要因が加わった。すなわち、ふだんは感情の消滅といらだちを和らげてくれた市民的な麻薬、つまりニコチンとカフェインが皆無だったのだ。そうなると、感情の消滅にもいらだちにもますます拍車がかかった。

 そしてさらにこうした肉体的な要因からは、被収容者独特の心理状態、ある種の「コンプレックス」がしょうじた。大多数の被収容者は、言うまでもなく、劣等感にさいなまれていた。それぞれが、かつては「なにほどかの者」だったし、すくなくともそう信じていた。ところが今ここでは、文字通りまるで番号でしかないかのように扱われる(より本質的な領域つまり精神性に根ざす自意識は、収容所の状況などにはびくともしなかったのは事実だが、どれだけ多くの人びとが、どれだけ多くの被収容者が、そうした確乎とした自意識をそなえていただろうか)。ごく平均的な被収容者は、そうしたことをさして深く考えることも、それほど意識することもなく、なりゆきにまかせてとことん堕落していった。

 堕落は、収容所生活ならではの社会構造から生じる比較によって、まぎれもない現実となる。わたしの念頭にあるのは、あの少数派の被収容者、カボーや厨房係や倉庫管理人や「収容所警官」といった特権者たちだ。彼らはみな、幼稚な劣等感を埋めあわせていた。この人びとは、「大多数の」平の被収容者のようには自分が貶められているとは、けっして受けとめていなかった。それどころか、出世したと思っていた。なかにはミニ皇帝幻想をはぐくむ者もいた。

 少数派のふるまいにたいし、恨みや妬みでこりかたまった多数派は、さまざまなガス抜きという心理的反応で応じた。それは、ときには悪意のこもったジョークだったりした。

 たとえば、こんなジョークがある。ふたりの被収容者がおしゃべりをしていて、話題がある男におよんだ。男はまさに例の「出世組」だった。ひとりが言うには、「おれは知ってるぞ、あいつは・・・市でいちばん大きな銀行のただの頭取だったんだ。なのにここでカボー風吹かしやがって」

 収容所生活には、食事の配り方に始まって、下の下に落とされた多数派と出世した少数派のいざこざの種はいくらでも転がっていたが、いらいらが爆発し、頂点にたっするのも、決まってそんなときだった。先に挙げたさまざまな肉体的要因から引き起こされたいらだちは、当事者全員の恨みつらみの感情という心理的要因が加わることによって、いやがうえにも高まった。

 このようにしてたかまった興奮が被収容者同士の乱闘騒ぎに終わっても、別段驚くにはあたらない。怒りの感情を殴打というかたちで解放するという反応は、打擲(ちょうちゃく)が日常茶飯と化し、その光景をいやというほど見せつけられていたことによって、いわば道をつけられていたのだ。

 空腹で徹夜をした者が憤怒の発作に襲われると、「手がぶるぶる震え」、「体ごとぶつかっていきたい」衝動に駆られるのだが、わたしも何度となくそんな経験を余儀なくされた。一時期、わたしたち医師は徹夜をした。発疹チフス病棟にあてられたむき出しの土の床の棟では、暖をとるために火を焚くことができたのだが、おかげで夜中にストーブの火が消えないよう、だれかが見張らなければならなかったのだ。そこで、まだ少しでも体力のある者には、ストーブ番という夜勤が回ってきた。真夜中、ほかの者たちは眠っているか、熱に浮かされているかするなかで、病棟の小さなストーブのそばに地べたに寝転がり、自分の「勤務」時間のあいだ、炎を見守っている。そして、どこかからくすねてきた練炭の熱で、やはりくすねてきたじゃがいもをあぶる・・・それは、実際はどれほど悲惨だろうと、収容所で経験したもっとものんびりしたうるわしいひとときだった。

 ところが、徹夜し、疲労がたまると、つぎの日は感情の消滅といらいらがいっそうつのるのだ。解放間近のころ、わたしは発疹チフス病棟に医師として配属されていたわけだが、そのほかにも、病棟の班長の役もこなさなければならなかった。それで、あんな状況では清潔もなにもあったものではなかったのだが、収容所当局にたいして、病棟を清潔に保つ責任を負っていた。病棟に目配りを怠らないためと称してしょっちゅう点検するのは、衛生のためというよりたんなるいやがらせでしかなかった。」

 

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、104-107頁より)

 

 


三島由紀夫『春の雪』

2025年01月07日 12時10分40秒 | 本あれこれ

初めて出会う 新・三島由紀夫|新潮文庫

試し読み | 『春の雪―豊饒の海・第一巻―』三島由紀夫 | 新潮社

 みりおちゃん(明日海りおさん)主演2012年月組『春の海』、楽天TVのオンデマンドプラミアムプランで配信中。視聴するのは二度目になります。年末すっかりフェミニンなみりおちゃんの姿に会ったあとで視聴すると不思議な気持ちになります。キャストの殆ど退団しているなかでちなつさん(鳳月杏さん)が現在月組トップスターとなり、まゆぽん(輝月ゆうまさん)が専科生として活躍しているというのはなんとも感慨深いものがあります。ヒロインのゆうみちゃん(咲妃みゆさん)の年齢を考えるとトップ娘役候補として育てられていたとはいえすごいです。若いキャストでこの難しい作品をよくやったなあと思います。芝居の月組と言われてきているだけのことはあります。

 

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 脚本・演出の生田先生が作品を自分のものにするため全篇書き写したという原作、同時配信されているナウオンステージをみると、みなさま読むのに苦心したようです。三島由紀夫最後の作品。自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込んだ時の映像、家にもその時テレビがすでにあり流れていたのかもしれませんが小さかったので全く記憶がありません。三島はゲイだったそうですが、終戦と同時に「『天皇主義から一夜にして民主主義へ変わった日本人の「空虚」さ』を憂いていた」という三島作品には戦後アメリカによって腑抜けにされた日本人の骨があるのかもしれません。名前を知りながらまともに作品を読んだことはないので読んでみたいと思います。新潮文庫、難しい漢字にルビがふられていますね。30年越し、40年越しの積読本をようやく読み進めていますが漢字を読むことができません。便利になった分明らかに頭が弱くなりました。苦心しながら本を読むことは大切、力のある言葉にふれることは必要と思います。本の整理進んできているつもりですがまだまだ積読本と格闘しています。残りの人生、読みたい本はまだまだあります。全部読むことは無理っぽいなあと思うこの頃です。

 

 

「周りをキョロキョロ見回して自分のポジションを保ちたがる」

2023年4月13日森田洋之医師のNote、

「マスクは無効→有効!」なぜ彼ら全員は一夜にして論を変えたのか?〜感染症専門家の画一性について三島由紀夫から考える〜より抜粋、


「医療従事者・医療関係者の間では周知の事実だったのですが、実はコロナ前まで(2020年初頭=コロナ初期まで)は感染症専門家はほぼ全員ずっと、
「マスクは感染予防には意味がない」
と言っていました。」


「もちろん、皆さんのご存知のとおり、今こうした専門家の方々は全員が一人の例外もなく、
「マスク推奨」
に転じています。

そのタイミングは、若干のズレはあるものの新型コロナが日本に上陸した2020年の春以降で一致していますので、まさに
「全員が一夜にして論を変えた」
と言っていいでしょう。」



「三島由紀夫は、『天皇主義から一夜にして民主主義へ変わった日本人の「空虚」さ』を憂いていたということです。

日本人は今でもそうなのかもしれません。
一夜にしてLGBT主義者・ダイバーシティ主義者・SDGs主義者・フェミニズム主義者へと、流行を追うようにその主張を変えていますから。

おそらくその主張の根本には、主張の科学的・道義的な「正当性」があるのではなく、

・どれだけ周囲の人間と同調出来るか?
・その主張を唱えることで企業や団体など自分が属する集団の中でどんなポジションが得られるのか?失うのか?

という個人の都合があるだけ。
だからこそ、右へ左へと一夜にして論を変えることが出来るのでしょう。

そう考えると、なぜ日本の専門家が全員一致で今も「マスクを推奨」しているのか?なぜ「全員が一夜にして論を変えた」のか?
の謎が見えてくるように思えます。

そう、彼らは「マスクが有効」という科学的な「正当性」を盾にしているようで、実は「専門家集団の中で決して仲間はずれにならないように、右や左をキョロキョロ見ながら、自分のポジションを気にしている」
だけなのです。」

全文は、
https://note.com/hiroyukimorita/n/n9205a349ace2


フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活

2025年01月05日 15時10分46秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-脱走計画

 

「まだ体力の残っている者は、早くも荷台に殺到し、重症患者や衰弱しきった者は足場を使って乗りこんだ。最後のトラックに乗る13名の確認が始まったとき、仲間とわたしは、もうこうなったらおおっぴらにリュックを持って、いつでも乗れるようにしていた。医長が13名としたのが、わたしたちは15名いた。医長はわたしたちを人数に入れていなかったのだ。13人がトラックに載せられ、あとに残されたわたしたちふたりは驚くやら、失望するやら、憤慨するやらで、この最後の車が発車するとき、医長に抗議した。医長は、あまりに疲れていてついうっかりした、と謝った。わたしたちがまだ脱走をくわだてていると誤解していたのだ、とも言った。

 わたしたちは、リュックを背負ったまま、憤懣やるかたなくその場に坐りこみ、最後の数人の被収容者とともに車を待った。わたしたちはいつまでも待たされた。そこで、病棟の今やがらんとした板敷きに横になり、「神経戦」の最後の数時間、数日の緊張を解いた。天にも届かんばかりに歓喜の声をあげたかと思うと、ふたたび死ぬほどの落胆へと突き落とされた希望と失望の交錯から、完全に緊張を解いたのだ。わたしたちは「旅装を整え」、着衣のまま、靴も履いたまま眠りに落ちた。

 銃声と砲声、照明弾の閃光、病棟の壁も貫く弾丸の風切り音に、わたしたちは眠りを破られた。医長が駆けこんで、床に伏せろ、物陰に隠れろ、と言った。蚕棚の上の段から、仲間がひとり飛びおりて、靴でわたしの腹を踏みつけた。わたしは完全に目がさめた。すぐに状況がわかってきた。ここが前線になったのだ。銃撃は次第に間遠になり、夜が明けた。外の、収容所のゲートのかたわらのボールに白旗がはためいていた。

 わたしたち、この収容所に最後まで残ったほんのひと握りの者たちが、あの最後の数時間、「運命」がまたしてもわたしたちを弄(もてあそ)んだことを知ったのは、人間が下す決定など、とりわけ生死にかかわる決定など、どんなに信頼のおけないものかを知ったのは。それから数週間もたってからだ。あの夜、トラックの荷台で自由への道をひた走っていると錯覚した仲間たちのことを思うと、またしてもテヘランの死神の昔話を思い出す。と言うのは、数週間後、わたしは数枚の写真を見せられたのだが、それはわたしたちがいた収容所からそう遠くない、わたしの患者たちが移送されていった小規模収容所で撮られたものだった。患者たちはそこで棟に閉じこめられ、火を放たれたのだ。写真は半ば炭化した死体の山を示していた。」

 

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、102-103頁より)

 

 

 


『古事記』より-神武天皇-東征

2025年01月03日 14時40分50秒 | 本あれこれ

「天つ神の御子天降りましつと聞けり。故、追ひて参降り來つ」

神武天皇の東征を天つ神の御子の天降りと観じたのである。

(岩波文庫『古事記』86-87頁より)

 

四十数年越しの積読本、岩波文庫『古事記』をようやく読み進めています。日本人なのに知らない日本の成り立ちが記された神話。入門書として岩波ジュニア文庫をまず読んでみたいと思います。参政党の神谷代表ら、減税を訴える国会議員の演説に出て仁徳天皇の民の竃の神話は156頁に描かれています。

 

釜戸の煙が少ないのを見て税を免除する・聖帝の世

 

 

 

 

1月3日は元始(げんし)祭、天皇陛下が宮中で皇位の大本と由来を祝し、国家国民の繁栄を祈られるそうです。

Xユーザーの神社検定⛩️さん: 「1月3日、天皇陛下が自ら祭典を行われる大祭「元始祭」が宮中三殿で行われます。年始にあたり皇位の大本と由来を祝し、国家国民の繁栄を祈られます。 『マンガ版神社のいろは』より #神社検定 https://t.co/wzRxEXVF2f」 / X

 


フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-脱走計画

2025年01月02日 10時51分25秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-運命のたわむれ

「自分はただ運命に弄(もてあそ)ばれる存在であり、みずから運命の主役を演じるのでなく、運命のなすがままになっているという圧倒的な感情、加えて収容所の人間を支配する深刻な感情消滅。こうしたことをふまえれば、人びとが進んでなにかをすることから逃げ、自分でなにかを決めることをひるんだのも理解できるだろう。

 収容所生活では、決断を迫られることがあった。それも、予告もなくやってきて、すぐさま下さねばならない決断であって、それが生死を分けることもしばしばだった。だから、運命が決断の重圧を取り払ってくれることが、被収容者にとってもっとも望ましいということにもなったのだ。

 この決断回避がもっともあらわになるのは、被収容者が数分のあいだに脱走するかしないか、判断を迫られるときだった。いつも数分が運命の分かれ目だった。決断を迫られた被収容者は、心の地獄を味わった。脱走すべきか、とどまるべきか。危険を冒すべきか、やめておくべきか。

 わたしも、精神的にギリギリのところでこうした地獄の業火(ごうか)を体験したことがある。前線が近づくにつれて、脱走のチャンスは増えた。収容所の外にある棟で医療にたずさわっていた仲間が、脱走をくわだてた。仲間はわたしに、いっしょに逃げよう、と強く迫った。そして、被収容者ではないある患者を複数の医師の立会いのもとで診断するという口実をもうけ、わたしが専門医として同行しなければならないことにして、わたしたちはまんまと収容所をあとにした。」

 

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、94-95頁より)