たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

三好春樹『関係障害論』より‐人間の目が光る?

2024年07月20日 08時00分25秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐「アヴェロンの野生児」を読んでみる

「もっと最近のお話もあります。これは、よく知られていると思います。

 同じく福村出版から出ていますが、『狼に育てられた子』という本です。植民地時代のインドで、怪物が現れるという噂が地元の人たちの間にあって、イギリスの宣教師で、孤児院をやっていた人が見にいきます。狼の穴から化け物が一気に2匹出てくるのです。よく見ると、人間らしいということで、捕獲をいます。そして、自分の孤児院で育てるための受け入れの準備をしてくるから、それまで見ていてくれと、地元の人に頼んで帰っていきます。地元の人はこれは悪魔だと気持ち悪がって水も与えなかったものですから、彼が迎えにきたときは死にそうになっていました。彼はそれをもう一回元気にしまして、育て始めます。いわば、教育を始めるわけです。

 好奇の目にさらされるのはかわいそうだということで、誰にも明らかにしないで、自分たちだけで教育を始めるわけですが、夜になると2人で外へ出ていって、狼のように遠吠えをします。人間では考えられない感覚がいっぱい出てきます。おそらく姉妹だったろうということですが、1人が1年足らずでなくなり、もう1人は発見後9年目に尿毒症で亡くなっています。

 亡くなった後、記録を発表します。写真もたくさんあり、本にも載っています。ところが、専門家はみんなこれはでっちあげだと信用しませんでした。なぜかというと、記録の中に「夜になると四つの目が光った」という記載があったのです。動物の網膜というのは、わずかな光に反応して、光を返す物質が生成されているのですが、人間の網膜にはそういうものは一切ありません。ですから、目が光るということは、人間には考えられないことだったのです。

 そのうち、この記録が嘘ではないということが明らかになってきます。というのは、ある生物学者が、昆虫採集のために森の中を歩いていたのですが、そこを他の学者に銃で撃たれる、という事件が起こりました。どうして撃ったのかというと、「暗闇の中で目が光ったから動物だと思った」と言うのです。そんな馬鹿なとうことで調べてみたら、この昆虫学者の網膜には、動物と同じ物質がちゃんとあったのです。この人は暗い森の中をずっと歩いていたものですから、そういう物質ができてきたらしいのです。それ以降、洞窟に住んでいる人の中から同じような現象が出てくるようになりまして、人間というのは、本来体の中で分泌されない物質を環境に適応するために作り出すらしい、ということがわかってきたのです。本来は存在しない化学物質さえ環境に合わせて作るのですから、感覚を忘れることくらいは、老人だってやるでしょう。

 これはどういうことなのでしょうか。感覚として感じていないわけではないのです。感覚器官があって、尿意はちゃんと神経を伝わって脳に達しているはずです。途中で切断されているわけでも何でもない。だけどそれを感じないというのはなぜかというと、これは一種の「認知障害」だとしか思えないです。左マヒ特有の「失認」という症状があります。見ているけど見えていない、聞いているけど聞いていない、という不思議な症状です。

 なぜこういう症状が起きるのかというと、物を見るという視覚中枢のもう1つ上のレベルに、資格認知中枢というのがあって、ここで見ているということを意識してはじめて人間は見ることができる、といわれています。この認知中枢が血管障害によって障害されているときに、失認という症状が出るのですが、この場合には認知中枢がやられているわけではなくて、心理的に認知をしないわけですから、認知拒否です。要するに、器質的な障害はないのに失認と同じ症状が出ているということで、私は『老人の生活リハビリ』という本の中で、オムツによって感覚がなくなるということを、「仮性失認」と名づけています。認知拒否という症状を、理論的に考えてみるとそうなると思います。」

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、44-47頁より)

 

 

 


三好春樹『関係障害論』より‐「アヴェロンの野生児」を読んでみる

2024年07月18日 00時41分46秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐もし呆け老人だったら

「そんなことがあり得るのかと思われるでしょうね。まず理論的にそんなことがありうるのか、ということになりますが、これに関係論的に仮説を立ててみます。そして、もしその仮説が正しいのであれば、関係によって感覚は戻ってくるはずだということになります。そういうことはあり得るみたいです。人間というのは不思議なものですね。

『アヴェロンの野生児』という本が福村出版という、こういう本の専門の出版社から出ています。かなり昔ですが、フランスのアヴェロンの森で、野生児が発見されます。野生児といっても、青年です。推定年齢17歳か18歳だろうといわれています。小さいころ、森に捨てられたか、迷い込んだかとして、人間とは何の接触もなく森の中で過ごしてきて、17~18歳になったようです。これが、村人によって捕まえられます。噂を聞いたパリの国立病院のイタールという医者が、さっそく駆けつけまして、これを保護して教育を始めます。

 この野生児は人間ですから、解剖学的にはふつうの人間と全く一緒なのですが、森の中にいるともんそうごく違うのです。感覚機能がぜんぜん違います。いくら大声で呼びかけても何も反応をしません。だから、耳が聞こえないのだろうと思っていたのですが、実はそうではなかったのです。

 クルミとクルミが触れ合う音がすると、そちらをパッと見るというのです。どういうことかというと、それまで人間の世界にはいませんから、人間の声というのは、自分が生きていく上で全く必要ではなかったのです。でも、クルミは生きていく上で必要なものだからなんです。

 耳が聞こえる範囲があるとしますと、その部分はすごく発達して、ふつうの人間だったら発達しているはずの人間の声に反応する部分が、全く退化しているという状況だということがわかってきました。寒い日に、夜、裸で外に寝ても風邪もひかない。あるいは、栗を与えると、栗を暖炉の中にぽっと投げ入れて、そしてそれを手で出してつかんでも熱くない。そういう不思議な行動を克明に記録しています。

 当時は、社会契約論のルソーの思想が支配的だったのです。彼の主張というのは、人間というのは生まれたときはすごく素朴で、善人なんだけど、社会に入ることによってだんだんと悪いことを覚えていくのだという、社会が悪いという説でした。この説が本当かどうか、格好の材料ではないですか。生まれたまま社会と触れ合っていない人間が、初めて見つかったわけですから。それでいろいろなことを調べます。いま考えるとおかしいのですが、本人の目の前でいきなり十字架をパッと見せて、どんな反応をするかなんて実験をしています。自然児に神という観念があるかどうか調べているんですね。

 先ほどのお年寄りの話です。トイレに行けなくなったらすぐオムツ、という二者択一しか排泄の方法がないというところに入り込んでしまった人というのは、ちょうどアヴェロンの森に迷い込んでしまった子どものようです。その環境に適応するために、自分の感覚を変化させた、あるいは喪失させてしまったということです。老人は適応力が弱いとはいえないですね。ものすごい適応力です。いじらしいほどの適応力です。つまり、老人が介護のレベルに合わせて、自分の身体を変えてしまうということが起っているのです。」

 

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、42-44頁より)

 

 

 


三好春樹『関係障害論』より‐もし呆け老人だったら

2024年07月15日 00時38分37秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐「オムツの中にしていいのよ」

「それで、このおばあさんは、頭はしっかりしていましたから、1週間経てば帰れるし、その間だけだと思ってガマンしていたのです。でも、呆け老人の場合はそうはいきません。呆け老人というのは、自分の感覚に正直なのです。後から入ってきた知識とか常識とかしつけというのは、先に忘れますから、最後は感覚だけで、赤ちゃんに戻っていくわけです。そういう意味で自分の身体に正直ですから、気持ち悪いものは排除するわけです。

 赤ちゃんはおしっこやうんちがでると、気持ち悪いから泣いて相手に知らせるわけです。赤ちゃんは幸か不幸か、手がそこへ届きません。ところが、老人は手が届きますから、泣く代わりに自発的に不快なものを排除するわけです。

 そうすると、これはもう大変です。不潔行為をしたということになります。着替えはしなくてはいけないし、汚れるし、みんなに迷惑をかけるということになりますね。それでどうするかというと、勝手に出してしまうからと、つなぎ服です。ダウンタウン・ブギウギバントが着ていたような、自動車の修理工みたいな服を着せさせられて、ヒモで手もとや足もとをくくるようになっているので、自由に手が突っ込めないようになっています。最近のはすごいですね。背中にチャックがあってYKKが開発した鍵付きジッパーもあります。

 いくら、”つなぎ”を着せていても引っぱり出すのですから、呆け老人の執念たるやすごいものです。行ってみるとオムツが全部出ていて、でもつなぎは着ているのです。どこから出したのだろうと思いますね。ほどけている部分があるからそこから出したのでしょうが、どうやってもそこまで手は届かない人が、ゴソゴソしながら出したんでしょうね。出して、そこにオムツを折りたたんで置いているのが不思議ですね。こうなると”つなぎ”でも間に合わないから手足を縛れ、という話になっていくのです。

 そうすると、お年寄りは、自分がおしっこが出て気持ち悪いということを訴えると、まわりに迷惑がかかって自分が怒られるし、最悪の場合は手まで縛られることになりますから、そうならないためにはいったいどうすればいいと思いますか。自分は怒られないし縛られない、看護婦さんたちにも迷惑をかけないいちばんいいやり方は、自分の感覚をなくすことなのです。濡れていて気持ち悪い、という感覚を忘れる。おしっこをしたいという感覚を忘れる。これで全部ハッピーです。

 だからお年寄りは、心理的に下半身の感覚を忘れさったと考えないと、どうにも理屈に合わないんです。だって、解剖学的原因はないんですから。」

 

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、41-42頁より)

 

 

 


三好春樹『関係障害論』より‐「オムツの中にしていいのよ」

2024年07月10日 20時11分08秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より-オムツ体験をしてみると

「そのときの感覚を純粋に言いますと、それほど悪くはありません。温かくてフワッーとして、何か懐かしいような、ひょっとしたら癖になりそうな感覚でしたね。しかし、これが尿だということを意識すると、尿辱感といいましょうか、不潔感というのがありました。それさえなくしてしまえば、それほど悪くないという感じでした。今は吸湿性があってサラッとしている紙オムツがあるといいますが、フジサプライというオムツ会社の山田譲さんに言わせると、あれも空気に触れるからサラッとしているので、密閉していたらとてもじゃないらしいです。

 実際に紙オムツを使ってみたことがありますが、あれも変な感じで、寝ているとコンニャクとかゼリーの上にお尻を乗せているような、何ともいえない不快な感覚です。布オムツのようにピタッと冷たくくっつくという感じはないのですが、どちらもどちらだなという感覚です。

 さて、布オムツですが、濡れるとピタッとくっつくし、歩くと摺れるのです。たとえば、Tシャツを着たままシャワーを浴びる感じで、歩くときにまともに歩けません。体をねじると摺れますから、ねじらないようにガニ股で歩くようになります。老人がよくやっていますが、あの気持ちが大変よくわかる気がしました。そのうちにゴムの部分に濡れたものが忍び寄ってきます。これが、痛いというか痒いというか、ついそこに無意識に手がいきますが、ああこれはおしっこだから触ってはいけないと、ぼくらは手をどけますね。だけどこれは、頭がしっかりしているからです。呆け老人だったら当然そこに手がいきます。

 そこで、このおばあさんですが、80歳代ですが、感覚はぼくらと基本的に一緒です。どこも悪くないのに、検査だからといって病院に入って、尻もちをついたからといきなりオムツを当てられて、オムツの中にしなさいと言われても、それは出ないですよね。そこで、ナースコールを鳴らして、「おしっこをしたいのですが」というと、看護婦さんは「あなたはオムツをしているからその中にしていいのよ」と親切に言ってくれたそうです。それでも出ないので、「おしっこに行きたいのですが」とまたナースコールを鳴らしたら、「なんべん言ったらわかるの」と怒られたそうです。

 そこで、しょうがないので意を決してしたそうです。出たからナースコールを鳴らして「出ました」と言うと、「オムツ交換の時間は決まっているから、いちいちナースコールを鳴らしちゃダメよ、待っていなさい」と言われた、それでも気持ち悪いからまた鳴らすと、「わからない人ね」と、親切な看護婦さんだったのでしょうね、オムツ交換の時間を紙に書いて枕元に貼ってくれたのです。枕元に貼ってもみないんですけどね。そして「ナースコールを鳴らしちゃダメよ」と、また言われたそうです。だから、時間まで待っていなくてはならなかった。時には、おしっこが出ているのにご飯がきたりということになるのですが、「1人だけ時間外に替えるとチームワークを乱すことになるから」とかなんとかいって怒られます。こんなチームワークなら乱してもいいと思うのですが、チームワークという名目で低いレベルのケアに統一しようというわけです。」

 

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、39-40頁より)

 

 

 


ヒルティ『眠られぬ夜のために(第一部)』より‐5月1日~5月31日

2024年07月07日 08時18分57秒 | 本あれこれ

「5月1日

 神はその子らのために、試練のかまどをあまりにも熱くされることは決してない。まったくその反対に、すでに決定されたものから、いつもいくらか軽減される。他の人間たちもまた、彼らがなすべき以上に、髪の毛ひと筋ほども多くの害を、神の子らに加えることは許されない。」

 

「5月2日

 宗教的素質をもつ人びとがごく普通におちいりやすい愚かさの一つは、神になにかを「与え」ようと思ったり、彼らの「徳」によって神の気に入ろうとすることである。元来、われわれは、真実あるがままの神を決して知りうるものではない。単に、真実の神から遠くかけはなれた、きわめて人間的な、神の観念を持つにすぎない。おまけにこの観念でさえ言葉では表わしえないか、わずかに不完全な比喩で表現しようと努めるよりほかない。しかし次のことだけは、われわれも確かに知ることができる、すなわち、神はわれわれの思考や直観にくらべて、はかありがたく「偉大な主」であって、われわれが神に与える名称や比喩的表現をもってしてはただ神の偉大さを引き下げるにすぎないこと、また、神の眼から見れば、人間たちの「徳」のどんな差異も、全くあるかないかのほんのちいさなものにちがいないということである。神が喜ばれるのは、おそらく、神へのひたすらな憧れと、神に向って手をさしのべることだけであろう。そして最も神の気にいらないのは、満ち足りた、富める、ひとりよがりな人間である。これはちょうど、子供たちについても、生まれつきひとなつっこいので可愛いと思われる子供もあれば、どんなに「お行儀がよく」ても親しみを覚えない子供がいるのと、だいたい似ているであろう。

マタイによる福音書21の31、23の13ー15、イザヤ書55の8・9」

 

「5月3日

 ある事柄が義務であるかぎり、それをなすべきかどうかを、もはや問うてはならない。これを問うことが、すでに裏切りの始まりである。そして、義務を‐最も明白な義務をさえ‐果すまいとする理由づけは、つねに「きいちごのように安価」である。

 その最もいとうべき理由としてすでにキリストがきびしくしりぞけたのは、「信心ぶった」理由である。

 ルカによる副申書11の52、マタイによる福音書15の3ー8。

 神が大きな義務をわれわれにはっきりわからせないのは、意味のないことではない。それを果す力を持っていない人たちには、それを疑うという恵みが与えられるのである。」

 

「5月5日

「よい計画でも破滅への道が敷かれている」という格言は、大体において確かに適切な言葉である。だが、それはなぜであろうか。それは、単に人間が移り気なためや、われわれを四方から取り巻く反対勢力のためばかりではなく、実にしばしばわれわれのよい計画そのものが実際上遂行できないものであり、われわれの力や時間や外的事情に適しないものだからでもある。

 神の「導き」においては、事情は全く異なる。この場合には、その人がなしえないこと、時期に合わないこと、あるいはそれをなす力がまだ与えられていないことは、なに一つ要求されない。

 あなたが神の導きに身をゆだねるならば、いろいろと「計画」を立てることをさし控えるがよい。あなたを前進させるすべてのものが、きわめて明白な要求、あるいは機会という形をとって、つぎつぎに、しかも正しい順序で、あなたを訪ねてくるのである。これを、イスラエルのある預言者はいみじくも、「愛のひもに導かれる」(ホセア書11の4)と呼んだ。すなわち、幼児が手引きひもで歩かせられるように、導かれるのである。これは、人間の計画よりもはるかにまさっている。

 ホセア書11の4、ルカによる福音書1の6・78・79、ヨハネによる福音書1の51、3の27」

 

「5月6日

 ともすれば心に疑いをよび起す最大の誘惑の一つは、世の中においても、われわれ自分の内でも、およそ善が悪ほど眼につきやすくないこと、悪の方がなんといってもすっとのさばっていることである。だから、人びとは全く正しい道にありながら、自分の内的進歩を半ば疑ったり、または神の正義の堂々たる歩みは、歴史の上からも自分の人生経験からも、眼の前に明らかでなければならないのに、なおもそれを疑うことになる。

 われわれはかなり長い間、自分が内的にいっこうに進歩しないように思われることがしばしばある。ところが、そういう場合に、いつの間にか自分が前とは全く別人になっているのに気づく日が突然やってくるものだ。エゼキエル書11の19、36の25ー27、エレミヤ書24の6・7。」

 

「5月7日

 人間の内的進歩も、もちろん全く段階的に行われるものであって、まれなあ天才的素質の人は別として、めざましく急速な進歩をとげることはない。むしろわれわれは、自分自身に対して辛抱づよくあることを学ばねばならない。自分のことばかり考えたり、知らず知らずのうちにあらゆる事を自分の快楽や満足の尺度ではかったりするのを、ごく自然に、特に努力せずとも断念できるようになり、むしろ自分をただ偉大な理念の召使と考えるようになったら、その人はすでに確実な頂きに達したといえる。聖書は、これを「神のしもべ」と呼んでいる。

イザヤ書49の1-6、50の4-9。」

 

「5月9日

 人生の途上でたびたび出会う最も不愉快なものの一つは、嫉妬である。これは、耐えしのぶよりほかはない。妬む人たちの心は、なかなかなだめられないからだ。しかし、われわれはたゆみない着実な活動によって、静かにこれに対抗することはできる。多分ゲーテから出たと思われる。いささかどぎつい諺が、このことをつぎのように言っている。

  ひとの妬みをうち砕きたければ

  バカなお洒落をやめたまえ

    (ゲーテ『おだやかな風刺詩』)

 しかしまた、われわれは自分の長所や所有物などをわざと見せびらかして、他人の嫉妬心を刺激しないように慎まなければならない。そういうことをすると、隣人の心を大いに傷つけるきっかけをつくり、ひいては「腹立ち」の呪いを受けることになる。とりわけ、女性はこの点で過ちをおかすことが多い。なぜなら、彼女たちは婚約者、良人、子供たち、装身具、楽しい家庭生活など、これらを全く持たない人たちの前で見せびらかしたがるからである。これは女性の性格の最もみにくい面の一つである。」

 

「5月11日

 すでにローマの哲学者ポエティウスは彼の有名な論文『哲学の慰め』(562年)のなかで、人間は神の生命にあずかることによってのみ真に幸福になりうる、と論じている。それ以来ほぼ千五百年を経たが、だれにおっても、この事情は全く変りがない。

 その点で、とくにありがたいことは、神は人間のように、欺かれないということである。だから、ただ形式的に神に近づいただけで暗い心に陽(ひ)の光を呼び入れることはできない。なおまた、宗教的熱狂や興奮によってもこの目的を達することはできない。神のそば近くにあることは、それらとはまるで別なことで、むしろ独特な、静かで、平和に満ちた感情である。

 出エジプト記34の6、列王記上19の12。」

 

「5月15日

 人との交わりにおいて、もっとも有害なものは、虚栄心である。だれでも、最も単純な人ですら、相手の虚栄心をかぎつける正確な本能を持っている。彼らは相手の虚栄心を認めない場合にのみ、よろこんで信服するのである。

 虚栄心はつねに見すかされる。その上、他の悪徳はまだしも讃美者を見出すのに、虚栄心ばかりはだれの気にもいらない。従って、虚栄心は決してその目的を達しえないのだから、悪徳のなかでも一番ばかばかしいものである。」

 

「5月16日

 人との交際において最も気持のよい、最も有効なものは、落着いた、いつも変わらぬ友愛である。ごく幼い子供でさえ、それどころか、あらゆる動物でさえ、そのような友愛には敏感であって、とくに、相手の親しみがたまさかの気紛れか、ただその場かりぎの動機から出たものか、それとも永続的な性質のものか、それすら見分けることができる。」

 

「5月18日

 大きな内的進歩がなされる前には、つねに絶望への誘惑が先立ち、大きな苦難が訪れる前には、非常な内的喜びと力の感じが与えられるものだ。つまり、神はこれによってわれわれをその苦難に堪えうるほどに強めようとされるのである。私はすばらしい成功をおさめる前ほど不幸だったことはなく、また最も困難な出来事に出会う前ほど、喜ばしい、力づよい気分にみたされたことはなかった。

 もしあなたが憂鬱であったり、不安であったり、そのほか不機嫌なときには、すぐ真面目な仕事にとりかかりなさい。もしそれができにくいならば、だれかに(福音書のいわゆる「隣人」に)小さな喜びを贈りなさい。これなら、いつでもできるはずだ。この方が、普通みんながするように、なにか享楽や気晴らしでもって、陰気な霊を追い払おうとするよりもはるかに有効である。そんなごまかしをしても、この霊はすぐにまた戻ってくるものであるから。

 他人の場合でも、仰々しい訓練や説得を加えるよりも、ちょっとした贈物でもしてやる方が、かえって陰気な霊をたやすく追い払うことができる。」

 

「5月19日

 「高い尊敬」を受けることは、しばしば自己改善の道の妨げとなる。」

 

「5月20日

 われわれの内部で本当に起ることは、すべて事実であって、われわれの単なる観念ではない。今まで存在しなかったものが、まさに生起するのである。このような出来事を導く道は、それが起るであろうという確信である。「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身に成るであろう」(マタイにりょう福音書9の29)。信じることの多い人は、多く与えられるであろう。

 すべての苦難は、それがのちに現実となった時よりも、その前に想像された時の方が、よほど困難に思われる。キリストでさえ、彼が祭司長やローマの法官の前に出た時よりも、いやおそらく十字架につけられた時よりも、捕えられる前にゲツセマネで祈った時の方が、多くの苦しみを感じたのである。もしキリストが尻ごみし、譲歩と屈服をする可能性があったとすれば、それはおそらくゲツセマネにおいて起ったであろう。」

 

「5月21日

 まことの聖心とは、神のみこころをつねに喜んで、気がるに、それどころか、さながら自明のことのように行い、また耐え忍ぶことである。その他の聖心はすべて本物ではない。

 信仰にとって都合の悪いことは(それとも、よいことかもしれないが)、最も力づよい信仰体験は全くひとに語ることができないこと、あるいは、それを語ったとしても、他人にはつまらないもの、信じがたいものと思われることである。」

 

「5月22日

 フリード・ニーチェが『漂白者とその影』のなかで、富者と無産者という人間の二つの階級は絶滅されねばならないといっている。これは、彼一流の奇矯な言い方であまりに過激な言葉ではあるが、しかし真にその目的に完全にかなった国家(今のところそれはまだ「理想国」にすぎない)にとっては、間違った考えではない。今日では、この二つの階級に生まれることは不幸だと、平静に主張してよろしい。これらの階級は、どちらも各個人の道徳的、精神的発達を妨げ、その結果、彼らは、社会全体にとっても、当然あるべき通りの有用な人間になっていないのである。それにもかかわらず、奇妙なことに、富者にとって富は桎梏(しっこく)であるからには当然それからのがれようと決心したり、あるいは彼らがみずからその富を管理しようと思えば、少なくとも自分の生存中に、せめてその富をなるべく正しく使用しようと決心できるはずなのに、そのような富者はほとんどいない。まさに富は、彼らをとりこにしておく力である。

 同胞教会讃美歌372番、374番。

 富と祝福とは全く異なった二つのものであって、祝福の宿らない富はあまり価値のないものである。祝福は、それを得ようと努めても手に入れることができない。それは一つの神秘的な力であり、賜物である。また、祝福は特にある個人に、その一つの特質のように、いたるところに付きしたがい、なお、その人に好意を示したり親切を施したりする人たちにまで、その力が及ぶものである。だから、賢明な者ならば、つねにそのような祝福ある人と関係を結ぼうと努め、反対に祝福の宿らぬ人をできるだけ避けようとするだろう。

 創世記27の27-29、民数記23の19-22、ヨブ記42の7ー9

、列王記下4の8ー10、マタイによる福音書10の13-15。」

 

「5月23日

 愛は、他のいかなるものにもまして、人を賢明にする。ただ愛のみがよく、人びとの本質と事物の実相とについての洞察を、また人びとを助けるための最も正しい道と手段とについての本当の透徹した洞察力を与えてくれる。

 だからわれわれは、あの事この事について、なにが最も賢い処置であるかを問うかわりに、なにが最も愛の深い仕方であるかを問う方が、たいていの場合、たしかに良策である。というのは、後者の方が前者よりもはるかに分り易いからである。なにが愛の深い仕方であるかについては、才分の乏しい者でも、自分を欺こうとしないかぎり、そうたやすく錯覚に陥ることはない。ところが、最も才能豊かな人でも、ただ賢さだけでは、将来のあらゆる出来事を正しく予見し、判断することはできない。」

 

「5月28日

 「魂の底にふれることなく、ただ良心をなだめるためにのみ存在する、外面的な、わざとらしい宗教を持つよりも、全く宗教など持たない方が、おそらくましであろう。」これはフランス革命時代の言葉であるが、これと同じ意味のことを、すでにキリストがこの上なく痛烈な言葉で語っている。マタイによる福音書21の31。

 単に外面的な信仰だけを抱いてすっかり自己満足をしている人たちは、今日でも、不信者よりもキリスト教の大きな障害である。実際、不信者のなかには、真理を渇望している人がきわめて多い。彼らはただ、かつて歴史的にこの(キリスト教の)真理がたしかに盛られていたその容器(いれもの・教会的形式)とか、その担い手たちを恐れて、これに近づきえないのである。

 それにもかかわらず、さらによく考えれば、上の言葉はすべて、ただ個人についてのみあてはまることだと、いわねばなるまい。概していえば、一般大衆にとっては、たとえ表面的なキリスト教の存在と実践であっても(実際、現在キリスト教はおしなべてそうであり、また過去千九百年の間たいていそうであった)、もしそれがなかったならその代りに現われたであろう他のものに比べれば、やはりまだしもましである。この点についても、フランス革命は一つの明らかな実例をのこしている。

 個々の人にとっては、力づよい内的革命が最上の方法である場合がきわめて多い。古い着物に新しい補布(つぎ)をあてても仕方がない。これに反して、社会全体として考えれば、過去との完全な断絶によってよりも、漸進的改革による方が、つねに事がはこびやすいであろう。キリスト自身もその当時、あのような断絶の避けがたいことを嘆いている。もっとも、この断絶がいつかは癒されるだろうという希望はすてなかったが。マタイによる福音書23の37‐39。

 この個人的革命か社会的革命かという一見明らかな二律背反と思われることも、次のような事実によって解消する。すなわち、実際には、社会全体がすぐさま改革されるわけではなく、各個人が、その時代に一般に認められている真理よりもすぐれた真理を、まず自分の内に明らかに感じ取り、それから、これを教えと実践とで個人的に表明することによって、つねに全体の改革が推進されるのである。

 イザヤ書46の11,49の1-3、エレミヤ書1の5‐10・17‐19、15の19‐21、マタイによる福音書12の18‐21。」

 

「5月31日

 われわれは喜びよりもかえって苦しみを愛し、ついには喜びを恐れることを学ぶような境地にまで達することができる。ここまでくれば、人生の最大の困難はすでに終ったのである。

 われわれが苦しみをただできるだけ早くとり除こうとしたり、あるいは全く受身に、ストア主義的にできるだけ無感覚な態度で、これを堪え忍ぼうとしたたりするのは、いずれにせよ、正しい態度ではない。むしろ苦悩を、種まきの時期として利用しなければならない。そうすれば祝福の穀物が実りうるのである。しかもこの種まきの時期は、一旦過ぎさると、そうたやすく、同じ形で戻ってくるものではない。

 神の最大の恵みの一つは、ある大きな善い仕事の勝利がほぼ戦いとられたときに、はじめてその仕事の主な困難さが認められるということである。さもなければ、戦いをはじめる勇気を、だれも持ちえないであろう。」

 

(ヒルティ著 平間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために(第一部)』岩波文

庫、141~167頁より)

 

 

 


三好春樹『関係障害論』より-オムツ体験をしてみると

2024年07月03日 16時42分56秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐「オムツになってしまったKさん」

「これが、どうしてかというのは、大変不思議だったのです。学校で習った解剖生理学では説明がつかないのです。だって、神経系統は障害を受けてないのに、感覚がなくなるのですよ。ですから、老人のオムツの原因とされる神経因性膀胱障害、神経が原因で膀胱障害を起こしているという言い方は全く当てはまらないです。神経因性ということはないわけです。神経は少しは鈍くなっているでしょう。だけど尿意はなくなっていません。

 尿に切迫感があって、これが何かという識別能力が落ちているということはもちろんあるでしょう。だから間違ったということはあるけれども、その程度のことであって、完全に感覚がなくなってしまったり、まして皮膚感覚がなくなってしまったということは考えられません。

 一時、老人介護の世界でオムツ体験というのが流行ったことがあります。自分でオムツを当てて、有機のある人はおしっこを出してみるということをやります。勇気のない方は塩水か何かでもいいのです。

 私も宿直の夜やりました。当時は紙おむつなどはありませんから、布おむつでした。布オムツをいっぱいもってきまして、それを付けてオムツカバーをビシッとはめて絶対洩れないようにして、老人と同じようにベッドの上に寝て出してみようと思いました。出ませんね。あれをすっと出せる人は、ちょっと常識のない人です。よっぽどルーズなしつけを受けた人ですね。

 ぼくたちは、お漏らしはだめよ、トイレに行っておしっこしなさいという教育を受けているじゃないですか。それを打ち破らなければいけないわけですから、すごく勇気がいります。心理的にも大変なことだけど、漏れるのではないかとか、シーツやマットを汚して不潔にしてはいけないという感覚がものすごくありますから、出なかったです。

 それで、男だから立ってやってみようとしましたが、これも絶対漏れるはずはないのに、ツーツーと腿の内側あたりから漏れそうでやっぱりダメでした。それでどうしたかというと、オツムを付けたままトイレにしゃがんで、それでやっと出しました。そして、しばらくこのまま仕事をしてみようと、夜勤の寮母さんに付き合ってナースコールに出ていったり、廊下をウロウロしてみました。」

 

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、37-39頁より)

 

 

 

 

 

 

 


『アンネの日記』より-現代の悩み

2024年06月29日 11時35分53秒 | 本あれこれ

「ここの生活では、大人たちの方が苦しんでいるという人は、わたしたち子供の上にのしかかっている問題が、どんなものだかを知らないのです。これらの問題は、若いわたしたちにはあまりにも重荷で、絶えずわたしたちを苦しめています。わたしたちはいろいろ苦しんだあげく、やっとその解決策を考えついたと思っても、現実にぶつかると、その解決策は泡のように消え去ります。理想も、あこがれも、夢も冷たい現実に直面すると、たちまち打ち砕かれてしまうのです。これが今のような時代の悩みです。

 あまりばかばかしくて、とても実現しそうもない自分の理想を、全部捨てられないのをわれながら不思議に思います。理想を持ちつづけているのは、人間の性は結局、善であることを、いまでも信じているからです。わたしは混乱、不幸、死などを土台として、その上に自分の希望を築くことはとてもできません。

 わたしは世界が次第に荒廃しているのを見、わたしたちさえも破壊するかも知れない、嵐の近づいている音を聞きます。数百万の人々の苦しみを身に感ずることができます。しかしそれでもなお、天を仰ぐとき、すべてがまた正常に帰り、この残虐も終わり、平和と静けさが世界を訪れるだろうと思います。

 それまで、理想をもちつづけなければなりません。やがて、これを実現できる時が来るでしょう。」

 

(A・フランク 皆藤幸蔵訳『アンネの日記』1974年7月25日第1刷、1978年10月1日第11刷文春文庫、365~366頁より)


『アンネの日記』より‐戦争の罪はだれにある

2024年06月27日 11時09分03秒 | 本あれこれ

「土曜日から食事時間を変えて、11時半に昼食を食べることにしました。しかも茶碗一杯のおかゆですませます。これで一食分節約になります。野菜はまだとても入手が困難です。今日の午後、腐ったようなレタスをゆでて食べました。野菜といえば、レタスとホウレン草しかありません。それに腐ったようなジャガイモを添えて食べます。とてもおいしい取り合わせです!

 あなたも想像できるでしょうが、わたしたちはときどき絶望的に、「戦争が何の役に立つのだろう?なぜ人間は仲よく、平和に暮らせないのだろう?この破壊は、いったい何のためだろう?」と、疑問をいだきます。

 この疑問はよくわかります。しかし、これまでのところ、だれもこれに対する満足な回答を思いつきません。そうです。人間は復興用に組み立て式の家を発明する一方において、どうして飛行機や戦車を大きくしようと努力するのでしょう。毎日、戦争のため何百万というお金を使いながら、どうして医療施設や、芸術家や、貧しい人のために使うお金が一文もないのでしょうか?

 世界には食物があまって、腐らしているところがあるのに、どうして餓死しなければならない人がいるのでしょう。人間はどうしてこんなに気違いじみているのでしょう。

 わたしは偉い人たちや、政治家や、資本家だけに戦争の罪があるとは思いません。いいえ、決してそうではありません。一般の人たちにも罪があります。さもなければ、世界の人々はとっくの昔に、立ち上がって革命を起こしたはずです! 人間には破壊と殺人の本能があります。そして人類が一人の例外もなく全部、大きな変化を経るまでは、戦争の絶え間はなく、建設され、つちかわれ、育てられたすべてのものが破壊され、ゆがめられ、人類はまた最初からすべてをやり直さなければならないでしょう。

 わたしは意気消沈することがよくありますが、決して絶望はしません。この隠れ家生活を恐ろしい冒険だと思いますが、同時に、ロマンチックでおもしろいとも考えています。日記の名kで、あらゆる不自由をおもしろいものとして扱っています。わたしはほかの女の子とは違った生活、そして大きくなったら、普通の家庭の主婦とは違った生活をしようと決心しています。わたしの出発点はとても興味に満ちていました。最も危険なときでも、そのユーモラスな面をみつけて笑うのは、全くそのためです。

 わたしはまだ若く、埋もれた素質をたくさんもっています。わたしは若く、健康で、大きな冒険の中に暮らしています。まだそのまっただ中にいるのですから、一日じゅう、不平ばかり言ってはいられません。わたしは快活な性質と強い性格をもっています。自分が精神的に成長していること、解放が近づいていること、自然はどんなに美しいかということ、周囲の人々がどんなに親切かということ、この冒険がどんなにおもしろいかということを、毎日感じています。それなら、なぜ絶望する必要があるでしょうか?」

(A・フランク 皆藤幸蔵訳『アンネの日記』1974年7月25日第1刷、1978年10月1日第11刷文春文庫、310~312頁より)


三好春樹『関係障害論』より‐「オムツになってしまったKさん」

2024年06月26日 13時22分13秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐「「専門家に相談」は正しいか」

「特別養護老人ホームの生活指導員を4年半ほどやっておりました。私のいた施設は、キリスト教系の非情に真面目な人を中心とした、今でもいいケアをやっているということで知られている施設なのです。それでも当時オムツを付けている人が半分くらいはいたと思います。だいたい病院からやってくる方は、みんなオムツです。病院で、専門家がいっぱいいるところでオムツを付けてきたわけですから、それ以上こちらで良くなるなんていうことは考えませんでした。ところが、どうも病院でオムツ付けられているのではないか、という気がしてならなくなってきました。

 こういうケースがありました。80代でしたが、ADLは全部自立しているKさんというおばあさんでした。広島大学からきている若いドクターが、いろいろと検査をやり、「この人は元気そうにみえるけど、ちゃんと精密検査を受けてもらったほうがいいよ」という指摘があったので、私が病院に連れていくことになりました。杖などは持っていますが、自立している人ですから、私の車の助手席に乗せて行くことにしました。近くの総合病院に電話したらベッドが空いていたので、段ボール箱2つくらいに、着替えとか洗面用具をもって、すぐ入院しました。

 4人部屋の一角でした。ベッドの高さが高いのです。でも検査入院で1週間だし、しかも元気な人なので、私は何も言わずに帰ったのです。ところが、その日の夜、彼女はオムツになってしまいました。昼間は病院に来ているということがわかっていたのですが、夜、目を覚ましてトイレに行こうと思って、いつもと同じつもりで足をベッドから降ろしたら、床に届かずにズルズルとすべって尻もちをついたのです。そこで看護婦さんがやってきて、骨折でもしたら大変だということで、オムツをして、トイレにいってはダメよということで、落ちないようにベッドの柵をガチャンガチャンと付けてしまったのです。

 1週間後、まだ出ていない結果もあるけれど、出ている分には異常はないので、迎えに来てくださいということでした。ですが、もう自分の車では行けません。24時間テレビでもらった車イスのまま乗れる大きなマークのついた車で連れて帰ることにしました。

(略)

 そういうことで、その車のリフトを使って車イスで連れて帰るということになりました。高齢という以外は、どこも障害はありません。にもかかわらず、1週間オムツを付けていますと、まず濡れているかどうかわかりません。帰ってきてすぐ寮母さんが、「いま、オムツ濡れている?」と聞いても、「わからない」というのです。もちろん尿意もありません。

 おかしな話です。でも、考えてみると、オムツでやってきた人はみんなそうです。誤解を恐れずに言うと、脳卒中なんていう障害があっても、脳卒中による片マヒは手足の感覚マヒであって、膀胱感覚がなくなるということは普通ではあり得ないことなんです。

 下半身マヒなら別です。下半身マヒにもいろいろあって、オムツがなくてもやっていける人はいっぱいいるのに、脳卒中だとか、骨折後遺症なんて、神経系統と何も関係ない疾患の人が、みんなオムツを付けてやってくるわけです。しかも、今みたいに尿意がないだけではなくて、皮膚感覚もないんです。お尻は鈍感で、会陰(えいん)部はすごく敏感なのですが、それが濡れているかどうかもわからなくなっているというケースは、いっぱいあります。

 あれは、どうしてでしょう。」

 

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、35-37頁より)

 

 

 


松本侑子著-断頭台に散った女王メアリ~スコットランドの風土と魔法をたどる旅~

2024年06月23日 11時09分54秒 | 本あれこれ

イギリスへの旅の思い出-エジンバラ2日目

イギリスへの旅の思い出-エジンバラ

 

 2024年6月21日(金)東京宝塚劇場で月組を無事に観劇。『Eternal Voice消え残る想い』がレディ・ベス(のちのエリザベス1世)に処刑されたスコットランド女王メアリ・スチュアートの首飾りをモチーフとした物語だったので復習。映像もとても綺麗で、1992年に訪れたロンドンとスコットランドの丘がおぼろげに思い出されました。

赤毛のアンのセミナーでいただいた資料より全文引用させていただきます。

 

「連載エッセイ「読む旅vol.4

断頭台に散った女王メアリ

~スコットランドの風土と魔法をたどる旅~松本侑子

 

🌸『赤毛のアン』に登場する女王メアリの詩

 スコットランド女王メアリを、ご存じだろうか。私は以前はよく知らなかったが、『赤毛のアン』の翻訳をきっかけに興味をもった。『アン』の主人公案は、スコットランド系カナダ人で、メアリの悲劇を描いた詩を唱える。そこから興味をもって、英国貴族レディ・アントニア・フレイザー著『スコットランド女王メアリ』(中公文庫)を読んだ。本を持ってスコットランドに行き、メアリの生涯の土地を訪ねてまわった。

 

🌸生後6日めに父と死別、16歳でフランス王妃に

 メアリは1542年、スコットランド王の娘として生まれた。当時のスコットランドは、イングランドとは別々の国で、両国は戦争中だった。メアリが生まれた6日後、父は、戦況悪化の心労で逝去する。

 国内には、王と敵対する反乱貴族もいた。いずれは女王となるメアリの身を案じた母は、娘をフランスに送る。というのも母は、フランス貴族の出身だったのだ。

 メアリは5歳で母と離れ、フランスへ。私は、メアリが母と永遠に分かれたグラスゴー近く、ダンバートンの山城に登り、メアリが船出した海を見下ろした。冷たい海風に吹かれながら、幼くして親元を離れて外国へ行くメアリの寂しい心境を想像したものだ。

 フランスで、メアリは美しく育ち、15歳で皇太子と結婚、16歳でフランス王妃となる。ところが夫が亡くなり、18歳のメアリは、スコットランド女王として祖国へ帰る。

 

🌸メアリとエリザベス、波乱に満ちた2人の女王

 その頃、スコットランドの隣国イングランドは、エリザベス女王1世が治めていた。

 エリザベス女王と言えば、スペインの無敵艦隊を破って英国を発展させ、劇作家シェイクスピアが活躍した時代を作った名君として有名だ。

 そのエリザベスにむかって、生意気にも、19歳のメアリは、自分こそが正当なイングランド王だと主張した。王家の血筋を見ると、メアリの要求に不思議はないが、いずれにしても、血のつながった2人の女王の亀裂が深まり、結局メアリは自分の死期を早めることになる。

 さらに時代は宗教革命。スコットランドでも新教プロテスタントが力を伸ばし、少数派となった旧教のメアリは、力が弱かった。

 そんな折り、イングランド王の血をひくダーンリー卿と出逢い、若いメアリは救いを求めるように結婚。だが夫は酒と女にだらしなく、しかもメアリの王位を狙っていた。夫に裏切られた身重のメアリは、堅牢なエディンバラ城にこもり、一人で息子を出産する。

🌸古都エジンバラに残されるメアリの面影

 古都エジンバラには、20代のメアリが夫と暮らした宮殿、出産したお城がある。彼女の毛髪、日用品、丁寧な刺繍、肖像画があり、メアリの人となりを思い浮かべて見学した。

 メアリの生涯は波瀾万丈で簡単には語れないが、結局は、スコットランド国内で、貴族との戦いに負け、イングランドに逃げていく。

 祖国スコットランドを離れる最後の夜を過ごした最後の夜を過ごした僧院は、エジンバラから遠く離れた辺境の村。500年たったいmは、廃墟になっていたが、保存公開されていた。遠くから海鳴りが響く寂しい所だった。次の日隣国イングランドに入ったメアリは、すぐに捕まり、19年間幽閉され、44歳の時、処刑された。

 

🌸ケルトの魔法に包まれた魅力あふれるスコットランド

 スコットランドは、しばしば冷たい時雨がふり、夏でもホテルやバスに暖房が入るほど寒い。木も育たない荒れ地、灰色の湖と海が広がる。けれど冷たく澄んだ空気や、バッグパイプの不思議な音色、スコットランドなまりの言葉に、ケルト族の魅力が、魔法のように溶けているのだ。

 帰国したある日、英国ペンクラブ元副会長が来日され、お会いした。驚いたことにメアリの評伝作者、フレイザー女史の妹さんだった。メアリの直筆手紙も研究した作家の身内からお話を聞いて、はるか昔に生きたメアリとの距離が少しだけ縮まった気がした。」