たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『就職・就社の構造』より_就職戦線は人の頭をおかしくする_杉元玲一(1)

2015年10月31日 22時46分58秒 | 本あれこれ
「今でこそ生きるも死ぬも自由業、売文稼業を生業にし、所得税を青色申告している僕ですが、これでもかつて就職活動をしたことがあります。

 溯ること6年前、結局は中退してしまった大学の5年生だった僕は八方手を尽くして単位をかき集め、帽子から鳩を出す奇術の如き手際で卒業見込みを出し、伊勢丹かなんかでおよそ似合わない濃紺のスーツを買い、苦労してネクタイを結び、写真館で顔をひきつらせて写真を撮り、履歴書をかきなぐっては勇猛果敢に就職活動を展開した。
 
 もともと僕が大学に進んだのも、働くことをなるべく先に延ばそうという理由からだった。
おまけに計画性というものが欠如した人間だったため、その年の夏になるまで就職について考えたことはなかった。

 今より遥かにのどかな時代だったとはいえ、友達が春先から企業に資料を請求したり、英単語を覚えなおしたり、OBを訪問して食事をたかったり、と活発に準備をしているのを見ても、まあなんとかなるだろう、とたかをくくっていた。

 当時はバブル経済真っ盛りで、企業の人材採用枠は天井知らずの地価や株価と連動して増えていった。就職は完全な売手市場であり、どこで聞きつけたのか、流し綱方式で僕のような社会参加意欲の希薄な学生のところにも、ブルドーザーで整理をつけるより他ないくらいの量の会社資料が送られ、小社や弊社の面接を受けてみませんかという勧誘の電話が鳴らない日はなかった。

 もう少し出来の良い学生となると、十社や二十社から内定通知をもらって、一体俺はどこに入ればいいのうだろう、と本気で途方に暮れていた。

(略)

 そうした状況は僕のような学生を確実に増長させる。世間を舐めてかかるようになる。
 
 部屋の一隅を占拠している資料の山を見て、世の中には星の数ほど会社があって、どうやら僕を必要としている人事部もあるらしい、と安心するのは当然のことだった。就職は一向に火急の問題にならなかった。

 何より自分がどんな仕事をしてみたいのか皆目解らなかった。(略)

 人間一人生きていくのに必要最低限の糧は勝手気儘なアルバイトで十分賄えるし、終身雇用制が徐々に崩れ出しているとはいえ、敢えて会社構成員の鉄鎖(そう思っていた)を自分の足首に嵌めなければならない積極的な理由が見つからなかった。

 夏休みの声を聞く土壇場になって、僕が照準を絞ったのはマスコミだった。大手出社社を主戦場にして、遅まきながら就職戦線に参戦した。

 志望動機は単純明快、本を読むのが好きだから、だった。外国文学を読み散らかしていたので、ひいきにしている南米や東欧のマイナーな作家の小説を出版できたら楽しいだろうな、と考えた。趣味の延長線上でしか職業を想定できなかった。(略)

 他の業種が春先から入社試験を開始し、梅雨明け前に早くも人員募集が一段落しているのと違い、マスコミ各社はおおむね7月末から始まるゆっくりした採用カレンダーで動いていた。時間的に間に合ったことも僕が志望した理由だった。

 もちろん、一部のマスコミでは、青田は盛んに刈られていた。作文の添削や模擬面接を行い、就職活動の指導をしていやろうという親切な名目で「就職セミナー」なるものがあちこちで開かれ、学生を呼び集めては、実質的な入社試験として機能していた。

 某テレビ局などは五月の時点で定員を満たし、八月の本試験は他社に流れた内定者の穴埋めに過ぎないという噂がまことしなやかに流れていた。(略)

 ただし、本試験とは別に採用を実施していることを企業は公にしていないので、学生の側は耐えず目配りし、耳をそばだてていなけれならない緊張感を強いられる。(略)

 幸い、僕は大学で文芸サークルに入っていて、周囲にはマスコミ志望、出版社を受験する人間がたくさんいて、自分の足で動かなくても、試験日程や採用計画の情報を集めることができた。
 
 しかし、共闘を求めてみると、彼らは呑気な僕を腹の底から嘲笑した。マスコミ就職を他の企業と同じに考えていると、お前は来春、職安の列に並ぶ羽目になると脅かされた。

 右肩上がり一直線のバブル経済に浮かれ、深刻な人手不足に苦悶している世間の売手市場とは別の惑星にマスコミ就職は存在し、大変な狭き門なのだという。

 大手マスコミの人事課が試験日程をのんびりと組んでいるのは焦る必要がないからで、後から網を投げても、学生が大群となって飛び込んでくるのだった。

 有名大手となれば、日本全国から数千人の学生が押し寄せ、採用人員は二、三十人しかないという。競争率は優に百倍を越える。

 百倍という数字は僕を圧倒した。

 百倍という数字を実感したのは、テレビ局を受験した時だった。

 一次面接に三日間をかけ、受験者の総数およそ七千名、採用枠は技術系社員を含めてたったの三十人前後。競争率は二百五十倍だった。この倍率を突きつけられ、気力の減退しない人間がいたら、日本代表になれる優秀な学生が重度のパラノイアだろう。

 面接会場の光景は物凄いものだった。

 広大なスタジオ内に学生を三人ずつ面接するブースを何十も設け、テレビ局の社員が総出で、一組十分間の質疑応答でできぱきと処理していた。フル・オートメーションの製品検査体制が完成していた。面接の順番を待つ受験生はケージの中のブロイラーだ。

 こういう騒然とした面接会場で、疲れ切った試験官に質問され、
「よく観るテレビ番組は落語とボクシング中継ですが、どっちも深夜にしかやらないので、寝不足になって困ります」
としか自己アピールできなかった学生が不合格になったのは言うまでもない。

 こりゃ大変なことになった、とさすがの僕も危機感を持った。初めて不合格通知をもらって、僕は自分の将来にじめじめとした暗雲が立ちこめているのを感じた。

(略)

 テレビ局で失敗した後、僕は出版社のみに絞って履歴書を提出することにしたが、その後も連戦連敗だった。

 一次の筆記試験であっと言う間もなく撃退された会社もあれば、嘘発見器がショートしそうな自己アピール、鼻毛を読みまくった貴社の志望動機、歯が浮きまくって歯槽膿漏を併発するお世辞、社交辞令を並べ立てた挙げ句、不採用になった会社もある。

 一次面接、二次面接、馬脚を表すことなく乗り越えていって、最終の役員面接に到達し、本の奥付で名前を見たことのある社長以下重役お歴々の前に引っ張り出され、緊張でこちこちになり、厳かにモンドが閉じられた会社もあった。

 残念ながらご縁がありませんでした、と告げる不採用通知の常套句は今も癒しがたいトラウマとして僕の心に残っている。

 実際、悲惨な体験だった。」

(『就職・就社の構造』岩波書店、1994年3月25日発行より)
 

 
 


就職・就社の構造 (日本会社原論 4)
クリエーター情報なし
岩波書店

自尊心を取り戻したい

2015年10月29日 22時40分40秒 | 日記
 明日はまた会社に行く人みたいに早起きして、いや働いていた時は普通だった時間に起きて、会社に行く人みたいに電車に乗って緊張の場面に飛び込むために出かけなければなりません。毎日同じ会社に行って同じことをやっていた時と違って試験なのでまたエネルギーそがれます。午前中通過した人だけが午後に進めるそうです。これまたけっこう残酷。自分を否定されたような気分を味わわなければならないのかと思うと気持ちが折れますが生活あるので仕方ありません。

 この一年半あまり自分の全人格を否定されるようなことばかり続いているので本当にきついです。もう限界。平日の昼間の過ごし方がほんとうにやっかいで出かける予定がない時は遅いお昼をどこかで食べてから図書館やコミュニティハウスでパソコン立ち上げてあれやこれやの作業。なんかノートパソコンを持って歩いている姿を近隣大学の学生たちにおぼえられてしまっているみたいですごく居心地悪いです。何言われたって奴らになにか迷惑かけているわけじゃないのでうるさいんだよ!って感じですが、今の私はなに言われたって関係ない、へいきさ!っていう強さを失っています。一生懸命にまだ自分を責めたりしています。でもそれは仕方ないこと。それだけ大変なことを色々と経てきたのだから無理もないこと。もう少し自分をいたわってあげないとかわいそうですね。人に何言われたってかまわない。自分は自分。自分はこれでいいんだっていう気持ちを取り戻していきたいです。もう少し時間が必要かな。

 たまっている本も断捨離しながら少しずつ読んでいます。10年以上前に読もうと思いながら読めなかった本を今読むとすごく面白かったりします。どれもこれもこのブログで紹介したくなります。『就職・就社の構造』とか1994年に出版された本ですが、今経営統合で消えたり現在まさに不祥事を起こしている大会社の名前がいっぱい出てきます。なんだか大会社ほどドス黒くってどうしようもなく腐っているのは今に始まったことではなく、思い起こせばバブル経済が崩壊した頃から色々と問題が浮き彫りになっていました。それから20年が過ぎても経団連の頭は依然として高度経済成長期の成功体験の時のままの大会社病にかかっりっぱなしのようでどうしようもないなと思いながら読んでいます。けっこう笑ってしまいます。なにか問題が起こる会社ってその布石は何十年も前からちゃんとひかれていたっていうことです。

 『赤毛のアン』の第34章ホテルでの演芸会の場面から原文を引用したいですが、残念ながら今日はおしまいです。これでも時間は押しています。明日大丈夫かな。全く自信がありません。たぶんかなり疲労がたまっています。心の底からのんびりはできていないです。仕方ないですね。無収入状態が続いているのですからそんなこと無理です。気持ちちょっと切り替えたらと言われても無理です。

 このブログを開く時。自分の懐かしい場所に返ってくるような気持ち。また明日更新できればいいと思います。写真は前回と同じ秋のプリンス・エドワード島から2号線沿いの車窓からの風景です。



疲れているかも・・・

2015年10月26日 23時28分38秒 | 日記
 昨日コンタクトレンズをしている右眼が結膜下出血というのを起こしてしまいました。レンズを装着した眼が渇きすぎているところへ咳かくしゃみをした拍子に出血してしまったようです。日曜日ぐらい緊張感から解き放たれてお茶をのみながら本を読もうと出かけた先でトイレに入って鏡をみたら眼の中が赤くなっているのでびっくり。眼科にいったところ、一カ月以内にもう一度同じことが起これば糖尿病か高血圧が隠れている心配があるので、内科で血液検査を受ける必要があるんだそうな。私はどちらも心配な節はなさそうなので、目薬をまめにさしていれば一週間ぐらいで治癒していくはず。
 
 それにしても乾燥の季節になってから喉はやられています。マスクしていないと空調のきいたところではすぐに小さな咳が止まらなくなります。長時間労働を続けていた時職場のぼろ空調にやられてしまった後遺症。いやーなモノばっかり残っていて悔しさがまた蘇ってきてしまいます。かかりつけの内科医で鼻と喉に効く薬を出してもらって夜だけのみようにしています。本当は正しい飲み方ではありませんがすごく眠くなります。なので夜だけのむとよく眠れます。このところ降り積もった疲れが出てきているせいか朝起きられなくなっています。なんかこれだけ疲れているんだなあって自分で感じます。こんなことでは社会復帰できないですね。夜早く休めばいいのだけど夜になると落ち着かなくなっていろいろなことがきになってしまいつい夜更かし。それで朝起きられないなんてダメですね。人間失格。金曜日の朝は会社に行く人と同じように起きて、かつて自分が毎朝そうしていたように電車に乗って都心に出かけなければなりません。緊張する場面を迎えるために。ちょっと面白そうだけれど、本当は行きたくない。でも生活あるしこのまま社会から孤立しているわけにもいかないのでそんなこと言ってもいられない。でも社会から孤立している私のような者には無理なのかな。すっかり自信をなくしたままなのでひとつひとつのプロセスがすごくきついです。エネルギーそがれます。どこまで心のエネルギーがもつのでしょうか。一歩進んで二歩下がりの繰り返し。繰り返しの先になにか見えてくるものがあると信じて、進んでみるほかありません。こうしてどこかにたどり着いた時にはまたへとへとになっている感がありますがどうなんでしょう。こんなに大変なことやり抜ける自信が全く今の私には全くありません。自分にふさわしい場に出会えると信じてみるしかないですね。それにしても疲れます。書類を一回一回整えて送って返事を待って。時間もかかります。あー大変だー!自分の目指していることが就職なのか就社なのか、なにしているんだかわけわからなくなってきそうです。

 写真なく味気ないですがこれで終わりです。読んでくださりありがとうございます。
 

秋の昼下がり_苦しかった日々を思い出す

2015年10月25日 13時13分42秒 | 日記
あたたかな陽射しが降りそそぐ秋の昼下がり。
窓の外のお墓からはお線香の香りと家族がお墓を囲んで集う風景。
ひしゃくのカタ、っという音。
子どもの声と大人の声が入り交じる。
日本の家族の風景。

机のまわりを見回すとまだまだグチャグチャ。
旅の資料などもかなりスキャンして捨てましたが、整理が追いついていません。
旅日記も止まっていますね。
自分でもどこまで何を書いたのかすっかり忘れています。
もう少し整理がついてすっきりしてから次に進みたいですが、そんなこと言っているわけにはいかず進んでいくためにがんばるしかないのです。
すごく疲れているので本当はきついっす。
でもね、このまま社会から孤立しているのはさらにきついっす。
旅日記に戻れないまま、昨日書けなかったメモ帳から書きたいと思います。
ひとりぼっちで苦しくって、でも社内に安心して愚痴こぼせる人もいなくなってしまった時、
私は書かずにはいられませんでした。書くしかなかった。そんな一頁です。

「会社は相変わらず矛盾とねじれに満ちている。私の身体が強くそれを感じている。
弱者がねじれを引き受けなければならない。なんか、もう限界かなと思いながら、いつもぎりぎりの所でふんばっている。眠りの質もよくないない。下の部屋がうるさいこともあって、睡眠不足の朝がつらい。少し休みたいなあ。
沖縄かパラオに行ってまったりと過ごしたい。
そんな弱気ではいけないね。でももう眼とか身体がきつい。
なんかもういいや。まだ何か足りないって言われたら、足りる人みつけてください、っていうつもり。
今夜は少し早めにねたい。
睡眠不足はきつい。
明日は飲み会。でも火曜日って、忙しいんだよね。
変なストレスよ、こんちきしょーだ!

休日を経てここにくると変なストレスでことばに言いようのない変なストレスで身体がよじれそうな思いがしてつらい。ことばにできないし、できなくてつらいことを言う機会もない。
私がどんな思いで必死にこらえながらあそこにいるのか、誰にもわからないだろう。
生活を守るために、旅行に行くために、そして未来のために今をがんばる。
それだけだ。性格が悪いって思われようと、悪い評判が立とうともいういいやって開き直りの思い。誰かに足元をすくわれる時がくるかもしれないなあ。
でも、もう身体が限界なんだよね。
こんなことでPSWとしての未来はあるのだろうか。人間関係はもっときつくなる。
専門職、責任、でもやりがい・・・。
私が必要とされる場面はきっとある。
信じよう。Never Give up my hope!

2008年4月14日(月)12時45分」


「やっぱり疲れてボロボロの一週間だった。悔しんだなあ。一般職の社員の奴らってほんとにばかだと思う。コネで入ったりしてるのかな。頭悪いったりゃありゃしない。頭悪いってわかっていない所がまたばか。人間的にどうかといえばけっこうひどい。会社のことをわかっているかといえばわかっていないし、派遣の人の方ができる人はできるし、一生懸命働いている。変だよなあ。がんばってる人たちが報われないなんて・・・。
日々のニュースをみていても、なんか先の希望がもてない。そのせいかどうか、若者の自死が多い。年寄りだらけで若年層が将来像を描けないなんて、モノはあふれかえっていても、なんと貧しい社会であることか・・・。そんなに効率性とかいいから、目先の利益を追いかけていかないで、人としてどう生きるべきか、幸せってなに、そういう根本を見直そうよ。便利なものはそれと同じくらいリスクも伴う。それを人は忘れてはならない。おごってはならない。

2008年4月25日(日) 13時25分

5時を過ぎてスパにきてやっと生き返った気がする。
日頃空間の中には「ねばならない」が多すぎる。
疲れる世の中。でもいきていかねばならない。」

 かなり言葉が悪いですね。過重労働の日々。二人分労働の日々。上司が厳しい人になって、それでもなお足りないと言われました。これだけの金を払っているのだから云々って言われました。もう辞めたいとどれほど思ったかしれません。カウンセラーのY先生に泣きながら電話しました。その度に「こうやって電話してきていいから、自分から辞めるって絶対言っちゃだめよ」と励まさ続けました。そうしてふんばってしまったことが私の人生にとって正解だったのか・・・。

結果的に予感通り、私は足元を不意にすくわれることになりました。
ふんばり続けてしまった自分がばかだったと今も私は自分を責め続けています。
一生懸命に働いてきた人が、一生懸命に働いてきた自分を責めなければならない。
辞めていればよかったと悔やまなければならない。
それが今の日本の雇用の現実です。希望がわからない。

ここまで読んでくださった方いらっしゃったらありがとうございます。




“会社”に傷ついているわたし

2015年10月24日 23時36分17秒 | 日記
 ここにきて今までの疲れがどっと出てきているようです。その上になんとかしていくしかないとがんばってしまっているので疲れの上塗り。そのくせ夜になると気持ちが落ち着かず、翌日早起きして行くところもないので夜更かしの癖が抜けきらず、結果的に今朝は10時半ぐらいまで起きることができませんでした。13時30分から都心で認知行動療法のワークショップに参加する予定だったので、急いで身支度をすると、朝食ではなく昼食をレトルトカレーですませて出かけました。なんとも情けない生活。世の中はもうおせち料理だの、クリスマスコンサートの予約だのと、動いているんですね。自分ひとり先の見通しがつけられないまま、社会から孤立して取り残されている孤独との闘いの毎日です。出かける先がないと、近所にぶらっとよれる所がないし、知りあいもいないので3日間ぐらいほとんど誰とも話すことなくすぎていくとか、すごく苦しいです。

 そして今日のワークショップで、人が話す「会社で、会社で・・・」という言葉に傷ついている自分がいることに気がつきました。混乱による傷は自覚しているよりも深いようです。消えない傷が残ってしまいました。でも、今日もそうでしたが、死別体験者のためのワークショップだったので、時間の都合もありますが混乱のことをちゃんと話せる場ではなかったのでやめておけばよかったかなと思ったりしています。カウンセリングを勉強していた時も、認知行動療法には違和感を感じてなじめなかったし、社会復帰したいとがんばってすごくエネルギーを消耗しているので、昨日キャンセルしようかどうしようかと迷いました。電車賃もかかるし。でも行かないとほんとに5日間ぐらい人と話すことなく過ぎていってしまうことになるので、せっかく申し込んだしと思っていきました。

 そこで、つかった物を元に戻さない人がいた時どうしますか?という課題に対する気持ち、考え方、行動をグループに分かれてシェアし合う時、私が入ったグループにたまたま具体的に「会社でみんなだらしない、会社でのことを想定しました」と発表された女性がいらっしゃいました。皆さん私と同じようにたぶん全員自死遺族というお立場の方々だったようです。誰も私がそんな言葉に傷つくなんて思って発言してはいないです。むしろ私の経験がかなり特殊で普通にはありえないことなので勝手に私が傷ついていただけです。

 私もかつては、「会社、会社」いつも「忙しい、忙しい、大変、大変」を連発していました。自覚がなかっただけで人を傷つけていた場面がもしかしたらあったのかもしれません。こんなことで傷ついている自分がいることに驚きました。人はどんな経験をしているかわからないものです。ただ、自分の体験から選んで気持ち、考え方、行動を書いて発表する時に、死別体験とは限らないと言っても、混乱の話はどうしてもややこしくて気持ちを話す前の事実関係の説明が長くなってしまうので、「ちょっと待って」となってしまいました。三週間ほど前のグループでもそうでした。聞いている方は何言っているかわからないし長くて退屈なばっかりで場にもそぐわないんですよね。仕方ないです。そういう内容の話なので。ヘンな言い方だけれど、家族との死別体験、自責の念が長く続いたことを話した方がよっぽどわかりやすくて楽なんです。でも私が今一番抱えている苦しい思いは死別体験ではないんです。私の中では、妹がずっと背中を押し続けてくれているからこうしてここまでがんばってきたし、なんとかしようとすることができているので、家族との死別と日中の居場所の喪失という二つの体験はちゃんとつながっています。でもそれを安心してゆっくりと話せる場は社会の中にほとんどないんです。お寺さんのグリーフケアで、自分を語りましょうをテーマに、住職に事前に了解ももらった上で二回話す場をいただきました。それでもスタッフにここはグリーフケアの場なので・・・と言われてしまったりとかあります。分かち合いの会に行けば当然自死とは関係ない話なのでテーマが違うから話せません。

 私の体験と気持ちに共感してくださっている記者さんとか同じ就労形態の人とか、私の体験と気持ちを理解しようしてくれる友人には話せます。納得できていない気持ちを理解しようとしてもらえます。ほんとに社会の中にほとんどないんです。こんな特殊な経験を安心して共有できる場が。来週の水曜日にようやく同じような混乱の体験をした人たちが集まる場に招待していただけたので、少し遠いですが行ってみるつもりです。

 乾燥してきたせいか喉が痛くて外に出る時はマスクしていないと咳が止まらなくなります。空調の効いている電車の中とかカフェとか大変です。かかりつけの内科医で咳止めの薬を出してもらっていることもあって眠くてたまりません。過去の手帳からさらけ出して書きたかったですがおそくなってきたのでまた明日にします。今の私の怒り、悔しさ、苦しさは自然な感情で無理に押し込めたり、ないもののようにしようとは全く思いません。これから先時間の経過とともに軽くなっていくことはあるだろうけれど事実は事実なので消えない傷は残りました。そんなことにあらためて気づいた一日となりました。無理に消すことなんかしません。

写真は秋のプリンス・エドワード島から。2号線沿いの車窓からの景色が続いています。

心にしみる言葉たち

2015年10月20日 22時48分36秒 | 日記
 しばらく前に、シールズのツィッターをみていたら出会った若松英輔さんのツィッター。むずかしいところもありますが、心の奥深くに沁み込んでくる珠玉の言葉が並んでいます。目にはみえないものを信じること、悲しみ、苦しみに語らせること、悲しみの奥にこそ本当の喜びがあること・・・。今までも書いてきたし、これからも書き続けようと思います。書くことでしか、自分の気持ちを整理できないし、表現できません。出口の見えない暗いトンネルの中を彷徨っているような毎日。書くことでしか向き合っていけそうにありません。私の中にまだまだオリのようにたまっている言葉たち。書かずにはいられません。よろしければ引き続きお付き合いください。


若松英輔 ‏@yomutokaku · 19時間19時間前
目に見えないものは頼りない、などというのは虚言に過ぎない。信頼、希望、人生の意味、どれも目に見えず、ふれることもできない。しかし、私たちはそれらをどこかで認識しながら生きている。むしろ、その存在を固く信じている。何であるかを明言できないものでも人は、それを深く感じている。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 19時間19時間前
夢を見る、というように「見る」には、目に見えないものを「見る」という意味がある。この一語には、目に映るものだけを見ていては、何も「見ていない」事になる、という叡知がある。同時に、人は意識するかはどうかは別に、目に見えるものと共に、じつは不可視なものも感じていることを示している。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 22時間22時間前
心に、悲しみの花を咲かせよ。悲しみの経験はいつしか種子になり、心に根付く。心を流れる、見えない涙は、尽きることなき水になる。花々は決して目に見えない。だが、それは朽ちることなき死者への供物となる。心に、悲しみの花を咲かせよ、それはいつしか、耐え難い苦しみにある自らをも救うだろう。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 10月17日
悲しみなら幾つでも見つけられる。だが喜びは、容易には見つける事ができない。そんな経験は、誰にでもあるだろう。こうしたとき人は、悲しみの深みを覗いても苦しみが増えるだけだと思い込んでいる。だが、振り返ってみると朽ちることのない喜びはいつも、悲しみの奥にあったように思われる。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 10月15日
悲しさではなく、悲しみを語れ。悲しみの程度を口にせず、悲しみ自身に語らせよ。苦しさではなく、苦しみを、美しさではなく二度と戻らぬ美を語れ。悲しさを、苦しさ、美しさを語る者は、あの、ただ一度しか起こらぬ奇蹟を知らない。幾度も繰り返すなら、この世に悲しみなど存在しないはずではないか。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 10月11日
苦しみにある時は外に答えを求める前に内なる詩人を目覚めさせよ。詩人は目に見える言葉を信用しない。だが決して、隠された生きる意味を見過さない。詩人はいつも静かに語りはじめ、これから語ることを書き記せという。これが「書く」ことの秘儀である。一切の例外なく詩人は、誰の胸にも生きている

若松英輔 ‏@yomutokaku · 10月11日
感情はいつも折り重なるように存在している。だからこそ古人は「かなし」を「悲し」とだけでなく「愛し」も、また「美し」も「かなし」と読んだのである。悲しみは単に悲痛の経験ではなく眠れる情愛を発見する契機となる。また悲しみの底には喜びを通じては見る事ができない美しい光景が広がっている。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 10月11日
人生には何度か、本を読めなくなる時期がある。ページを開いても言葉が心に届かない。そんな時は誰かが書いた文字を読むときではない、そう人生が告げいているのである。ペンを執り、うごめく想いを書いてみる。書くとは単に他者に想いを伝える行為ではない。自分が何を考えているかを知る事でもある。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 10月7日
誰もが「活躍」できる社会の建設を明言する者は、世界が苦難に満ちていることを知らない者か、もしくは、虚言を発することに心を痛めない者かどちらかだろう。万人が「活躍」する社会を目指すのではなく、苦難に直面しながらも、誰もがどうにか生き抜ける、そんな世界が求められているのではないか。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 10月7日
「活躍」などしてくてよい。人はただ、生きているだけで十分に貴いからだ。「活躍社会」は、人生の困難に直面する者たちの声を封じ込め、そして、その叫びをなかったことにするだろう。人は「活躍」するために生まれてきたのではない。「活躍」とは、誰かに基準を定められるべきものでも決してない。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 10月1日
ビジネスの世界で成功物語を語りたがる人の言葉には気をつけた方がいい。その人はどこかで成功のカギは自分にあると思っている。そうした人は、自分の見えないところで他者がどれほど助けてくれているかが全く見えていない。どんな仕事であれ一人で成し遂げられる成功など、あるはずがないではないか。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 10月1日
いい仕事ができた、と感じることは確かにある。だが、振り返ってみると、そんなことを考えないままに、仕事に誠実を尽すことができたとき、仕事は自ずとある美しさをたたえるのではないだろうか。いい仕事とは、そこに携わる人々との間に深い信頼が生まれたところにだけ生起するようにも思われる。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 9月26日
読む、書くとは何かを体得する事は、文章の方法を勉強する事は全く違う。勉強すれば確かに文章は書けるようになる。だがその人自身よりも教える人間に似ている文章をいつまで書き続けるのか。最期の時までそんな文体で書くのだろうか。書け、思うままに。今、本当に感じている事を、感じているままに。

若松英輔 ‏@yomutokaku · 9月25日
心に届く言葉を書こうとして、文章の書き方を勉強するよりも心を真剣に感じてみることの方が、よほど重要なのではないだろうか。心の存在を真剣に考えないものに、どうして心に届く言葉を書くことができるだろう。大切なのは、文章を学ぶよりも、心の痛みを想い出すことの方なのではないだろうか。


『この地球で私が生きる場所』_プロローグ_あこがれ

2015年10月18日 17時13分04秒 | 本あれこれ
一度気力が失せると回復していくまでに数日かかります。断捨離をしていたらこんな本と再会して、10年以上前あこがれの思いをもって購入したことを思い出しました。つい誘われてしまい、自分の何かしなくちゃいけない、羽ばたきたいと思いながら、でも目の前の生活があるので何も動くことができないまま10年以上の月日は流れました。

 こんなプロローグについつい惹かれてしまいます。このままではいけない!と思っている女性を魔法にかけます。そして魔法にかけられても、結局たいしたことはできないのです。たいしたことできなくたっていい、どうにかこうにか生きていればいい、生きているだけで十分すぎるぐらいすごいことなんだと思えるまでに時間がかかりました。おもいっきり羽ばたきたいという気持ちに今もさせられますが、海外の行くの、安全面でかなりおっかないです。

「海外での暮らしを夢みた経験はありませんか。
「なんとなくかっこよさそう」という漠然とした憧れもあるでしょう。異なる文化や環境で真っさらな自分を試したいというチャレンジ精神もあるでしょう。国際的な舞台で活躍したいという野心もあるでしょう。

 動機はなんであれ、見知らぬ国で生きることは、それなりの困難を伴います。

 この本では、世界各地のさまざまな分野で活躍している女性13人を紹介しています。とかく男性主導になりがちな現代社会において、女性のほうが新天地に飛び出そうとするエネルギーをたくさん抱えていると考えたからです。

 彼女たちはジェンダーというハードルに加えて、異文化というもうひとつのハードルを、それぞれの流儀で乗り越えながら、自分らしい生き方を今日も模索しつづけています。

 この本は、実際に海外をめざす人の参考になるのはもちろんですが、そうでない人にも、人生の岐路に立ったとき、自分を見失いそうなとき、ぜひ読んでいただきたいと思います。

 2002年春、朝日新聞日曜版に連載した当時、「背中を押してくれました」「一歩前に進めそうです」というお便りを読者の方から多数いただきました。その年齢層は10代、20代から70台までに及びました。
 
 地球という大きなステージで、思いきり両手を広げている13人の姿から、あなたも勇気と励ましを受け取ってください。」

(朝日新聞日曜版編集部『この地球で私が生きる場所』2002年、平凡社発行より)

迷い道小道

2015年10月17日 20時36分02秒 | 日記
 二つ目のエントリー通過先も行っても意味はないとすでにわかっていました。そして絵に描いたようにそのとおりでした。私の居場所ではありませんでした。かすかな希望の灯りが見えたかのように勘違いしてしまいましたが、現実にはあまりにもどす黒い社会であることがわかっただけ。またもや社会への絶望感に打ちひしがれ、気力がうせてしまってどうしようもないです。あっちもこっちもなにもかも中途半端。お役に立てますよと売り込めることなんかなんにもなくって、なんにもないなら売り込めるようにスキルアップして、前向きにがんばっている自分をアピールしていけばいいのだけれど、そういうの自分には向きません。そんなこと言っていたらごはん食べていけないですね。売り物にならなくなってしまっているのだから、売り物になるように転換していかなければならないのに、その気力を失ってしまっています。一度失うと回復するまでに何日もかかります。

 なんかマクドナルド式のドライなのって私には合わないです。無理です。そんなこと言ってたら今の社会、くいっぱぐれ。私の居場所はどこにもありません。居場所に出会っていくためには何十通も書類を送り続けて、落選してを繰り返し、絶望感に打ちひしがれても這い上がっていくだけの気力が必要なんだそうです。今の私にそんなことできるだけの気力はありません。なんだかお仕事さがしというより、会社探しなわけで、なんども打ちひしがれているうちに何をしているのかわからなくなってしまいそうです。私にはとても無理。どうすればいいのでしょう。

 何年も続いた過重労働の日々の苦しさと、その挙句にほされてしまったような存在になってからのさらなる苦しい日々。毎日毎日違和感を感じ続けて、何だか変だと感じ続けて、息苦しくてたまらなかった。そんな日々を思い出すと今も辛くなるし、悔しさもまたよみがえってきてしまうのです。こんな私は人から見たらいつまでも被害者面しているだけの、やる気のない駄目な人、利潤追求の社会では全く使いものにならない、必要のない人なんでしょうか。

 喪中はがき受付中とか、お歳暮の早期割引中とか、来年の手帳とか。自分だけ社会から孤立している間に社会はどんどん動いていっています。今年ももうすぐ終わり、ですね。色々と想いはあれど、生計を維持していかなければならない以上ボランティアなんてやっていられないんです。仕方ないんです。どうしようもないんです。だから割り切って入口に立とうとしたのに、社会の仕組みが拒絶しました。マクドナルド化した社会。とってもおかしいです。これを書いているのはマクドナルドですが・・・。震災の後感じ続けた社会への違和感。それは今も私の中で続いています。大きくなるばっかりです。振りかえってみるとこんなこと手帳に書いていました。お恥ずかしい限りですがさらけ出します。

「2012年5月28日(月)

機械的なマニュアルどおりのことが多すぎて気持ち悪くって仕方ない。アメリカ式のマクドナルド化がますます増えてきている。コンビニ、ファーストフード、色々なモノはあるが、何かが大きく違っているような気がする。なにか大切なものが欠けているような違和感・・・。
心のこもっていない「ありがとうございます」「また起こしくださいませ」の繰り返し。それを心地いいと感じている人はあまりいないだろう。無言で立ち去っていく人が多い。
自然がいつまた牙を向くかわからないし、すごく不安で落ち着かないこの頃。荷物を軽くして海外に逃げたいなあ。このまま日本で暮らし続けるのは不安で仕方ない。まだまだ時間がかかりそうだ。落ち着かない。」

入江杏『悲しみを生きる力に』_「「負の感情」の取り扱い方

2015年10月13日 18時22分43秒 | 本あれこれ
「「負の感情」にはどんあものがあるでしょうか。悲しみ、苦しみ、辛さなどが、まず浮かびます。また、怒りや悔しいという気持ち、劣等感、妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、恥ずかしいという気持ちなども、「負の感情」といえるでしょう。ここで大切なことは、「負の感情」と呼んでいますが、この感情自体がけっして悪いという意味ではないということです。感情そのものに善悪はありません。そうした感情が起こること自体、自然なことなのです。

 ところが、学校という場所では、とにかく「負の感情」をもってはいけないとされ、
「負の感情」をなかったことにしがちだ、と副島(そえじま)先生はおっしゃいます。そうすると、「負の感情」が起きた時、子どもたちはどうすればよいのかわからず、苦しむことになります。副島先生は、だからこそ、「負の感情」の扱い方、向き合い方を教えたいと話します。

 悲しみや苦しみをそっと掌に暖めるようにして向き合うことで、自分が本当に求めているものに気づくことにもなると思います。また、自分の周囲に、同じように悲しんでいる人や困っている人がいる時には、その人の悲しみに気づくことができるようになるでしょう。気づくということは、とても大切です。」

(入江杏著『悲しみを生きる力に』岩波ジュニア新書、166-167頁より)

 企業社会の中でも負の感情をもつことは許されません。誰もが自然にもつ感情を押し殺すように過ごさなければならない日々は、私には苦しすぎました。どう表現していくのかむずかしいですが自然な感情。それをないもののようにしなければならないのはすごく息苦しかったです。



悲しみを生きる力に――被害者遺族からあなたへ (岩波ジュニア新書)
クリエーター情報なし
岩波書店

入江杏『悲しみを生きる力に』_「人生で辛かったことは何か?」

2015年10月12日 23時43分57秒 | 本あれこれ
「悲しい体験、辛い体験ということについて、気になる現象があります。就職活動の面接などでよく聞かれる質問の一つに、「人生で一番辛かったことは何ですか?」というものがあるそうです。あなたは、どう答えますか?

(略)本来なら、苦しみや悲しみの体験をありのままに伝えることには、とても大きな意味があると考えます。

 ところが、企業の面接でなされる質問の答えとして期待される「一番辛い体験」とは、そういうものではないでしょう。

 実際に企業で面接を行っている人に聞いてみたことがあります。その人が言うには、この質問の主眼は、主観的分析しかできない学生を不合格にすることにあるとのことです。「一番辛いこと」を聞かれて、いじめに遭ったことや、両親の不和、生家の貧困で苦しんだこと、さらには家族や親族が自死したことなど、そうした体験の辛さを語ったとしても、それらは主観的表現として、ほぼ伝わらないというのです。

 では、企業がこの質問をする目的は何でしょうか。それは、辛かった体験自体に関心があるのではなく、その辛さや悲しみをどう乗り越え仕事に活かせるかを聞きたいのでしょう。仕事で困難に立ち向かった時、どのように対処する能力を持っているかを聞きたいのです。

 そもそも企業に勤める際に必要とされる能力は、客観的に分析する能力です。「辛いこと」というのは克服すべき課題のことで、その課題をどのように自分なりに工夫して克服したか。そうした論理的思考力と行動力が問われているというわけです。

 苦労話などに関心はないのだから、苦しい辛い経験を話すにしても、相手にそれを感じさせないスマートさが求められる。そう言い切る人もいました。「いつも前向きにがんばれる性格です」「絶対あきらめない性格なので、粘り強く乗り越えました」といった、苦しみを苦しみと感じない「前向きさ」をアピールするのがよいというのです。

 確かに企業が利益を追求する存在である以上、面接においては、それでもよいのかもしれません。企業にとっては、学生の能力を測るための、ある種の「ひっかけ問題」でしかないのでしょう。しかし、それでも、この質問の前に、誰しも立ち止まってしまうのは、人はみんな心の底で悲しみや辛さを抱えているからです。

 東日本大震災を経て、日本社会はいっそう不確実な時代を迎えようとしています。(略)そうした大きな変化の真っ只中にあって、本当に力を発揮できるのは、悲しみや辛さを知り、それらに向き合うことができる人だと、私は思っています。企業からみたら、苦しみや悲しみの描写は、単に主観的表現だと思われるかもしれません。しかし、まず正直な気持ちを可視化して人に語ることができること自体、かなりの能力だと思います。何より、自分の体験した苦しみを発信すること自体がとてもむずかしいのですから。企業が求めるように、その経験を通じて「何を学んだか」「どう対処したか」「どんなふうに成長できるか」といった答えができるようになる以前に、どれほどの人が、自分の感じた苦しみや悲しみを、前後関係をきちんと整理したうえで、表現することができるでしょうか。

 就職活動という場面で、この人生の本質的な問いに取り組むのは難しいことでしょう。しかし、こうした質問に向き合って自分なりに答えてみることは、悲しみを生きる力に変えていく上でとても大切なことだと思います。まず表現してみることです。(略)表現してみることに意味があります。」


(入江杏著『悲しみを生きる力に-被害者遺族からあなたへ』岩波ジュニア新書、79-81頁より)


 杏さんのお話を何度もうかがっていますが、著書を読むのは初めてです。心は深い深い闇の中を漂うように過ごしながら、その苦しさを外に向かって表現してはいけないのだと信じて一生懸命に閉じ込めながら過ごしてきた20年あまりの年月を思い起こしながら読ませていただいています。

 言葉に言い尽せぬ苦しみを乗り越えることなんかできない。乗り越えなければならないものとしてがんばる必要なんか全くない。苦しみが消えてなくなることはない。遺された人は背負いながら一緒に生きていくしかない。そんな思いをたどりつくまでに私には20年ほどの歳月が必要でした。

 目先の利益追求の大組織に振り回されながらすごくがんばってしまいましたが、私には苦しすぎました。そんな世界に戻るのはやはりもう無理な人間なのかなと思います。私が新卒の学生の面接のように辛かったことを質問されることはないと思いますが、どんな時にも前向きに明るくがんばれる人間ですと、自分に無理をさせてアピールすることなど私にはできないのでもう無理かなと思います。

 かなりエネルギーを取り戻してきましたが、思ったよりも深く心は傷ついているので、やはり苦しいです。苦しい時は苦しいままに、悲しい時は悲しいままに。身動きとれない時は立ち止まっていればいい。こんな考えは数字が第一の企業倫理とは相反するので、これからどう生きていけばいいのか、答えは簡単には出そうにありません。数字、数字に振り回され過ぎて疲弊していました。あまりにもいろいろな就労形態の人たちが混在していて、それだけで神経がすり減っていました。あの、言葉に言いようのない消耗感を思い出すと今も辛くなります。かといって、基本的生活すら維持できないお給料ではどうしようもないので、むずかしいところです。生活があるので気持ちだけ焦り始めています。






悲しみを生きる力に――被害者遺族からあなたへ (岩波ジュニア新書)
入江 杏
岩波書店