たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『シェイクスピアの面白さ』より(4)

2018年11月30日 18時27分28秒 | 本あれこれ



「「オセロ」という芝居がある。いまさら解説するまでもあるまいが、周知のように、イアゴーに諮られた黒人将軍オセロが、ありもしない若妻デズデモーナの不貞を疑心暗鬼して、ついにこれを殺してしまうという、いわゆる「嫉妬」の悲劇である。

 シェイクスピアの悲劇では、もっともよくまとまった破綻の少ない作品だが、それでも、果たして主人公はオセロか、イアゴーか? などという、多少珍妙な話題まで含めて、問題は決してないわけでない。そしてその大きな一つに、悪役イアゴーの動機論というのが昔からある。つまり、なぜイアゴーは、特に大して怨恨の種もありそうにないオセロに対して、ああも執拗に悪意の策謀を働きかけ、最後は破滅に陥れるのか、という心理的不可解さに関してである。無理もない疑問という点もあり、その結果が「無動機の悪」などという有名な批評論議さえでるほどであった。

 もちろん作品全体、とりわけイアゴーの独白などを読んでいくと、動機とおぼしいものは、ある程度はっきり述べられている。たとえば開幕冒頭いきなりのやりとりを聞くと、旗手のイアゴーは空位になった副官の位置を、長袖流の文弱青年キャシオに見事さらわれてしまったことがわかる。しかも昇進というのが、すべて実力よりもコネで決るというので、「あんなオセロを愛する、なんの俺に義務があるのだ」とイアゴーは強い憤懣を吐き出している。またしばらくすると(第一幕第三場)、「あいつは、俺の寝床の中で俺のつとめをしたとの噂もある」などと独白の中でもらしている。つまり、確証はないが、コキュの嘆き、つまり妻がオセロにつまい食いされたのではないかという疑惑である。昇進失敗の怨み、妻を寝取られたのではないかという疑惑、いずれもそれは当然復讐の動機でありうる。

 だが、なにぶんこの動機らしい言挙げの理由と、それが結果する罪もないデズデモーナ、オセロ両人の破滅という悲劇的結末との間に感じられる、あまりにもひどい不釣合い、アンバランスが、ついに動機論についての疑いを生む。そして真の理由はもっとほかにあるのではなかろうとか。そこで、たとえばただ悪のために悪をなす、いわば悪の芸術的天才などという解釈さえ出てくるのである。

 そんなわけで、不釣合い、アンバランスといえば、確かにそうである。コキュのほうは単に噂にしかすぎないのだし、昇進のほうも、旗手から副官といえば、せいぜい「貧乏少尉」が「やっとこ中尉か大尉」になる程度のみみっちい野心、出世欲であろう。その程度の風聞や挫折で、イアゴーともあろう眼から鼻にでも抜けるような、冷徹で聡明な男が、あの深刻な復讐の悪業をたくらむというは、どうも腑に落ちないものが残るのも当然であろう。が、そこにこそ実は、文学、あるいは演劇というものが、その時代の時代相、社会的雰囲気を鏡となって写すという、きわめて興味深い一面が見えるように思うのである。以下、そのことについて、多少読者諸君と一緒に考えてみたい。

 文学とか芝居というものは困ったもので、どうも聖人君子の美徳善行を扱ったものよりは、悪徳の描写のほうに精彩がある。ダンテの「神曲」でも、地獄篇は実に面白くて生き生きしているが、天国篇は正直に言って退屈である。イギリスのある作家などは、おそらくシェイクスピアが「オセロ」を書いているとき、イアゴーに舌なめずりするほど興味がはずんでペンが動いたであろうが、デズデモーナの部分では、ときどき生あくびを我慢しいしい書いていたのではないか、というような皮肉まで述べている。「源氏物語」で、もしあの光君が筆者のような石部金吉金兜だったら、いったいどういうことになったろうか。もしまたあの因縁めいた藤壺との間の罪がなかったら、これもひどく退屈な物語になっていたかもしれないのだ。ところで、いま当面の問題というのは、その文学に現れる悪の動機というのが、それが書かれた時代の社会相と考え合わせてみると、ときにきわめて興味ある問題を提出するように思われるのだ。

 「オセロ」が書かれ、初演されたのは、ほぼ確実に1604年と考えられる。1604年とはエリザベス女王はすでに没し、ジェイムズ一世の治政になり、暗い小唄なども流行する。いわばエリザベス朝ルネサンスの闊達な気分はすでに過ぎ、ようやく社会的矛盾や行詰りの目立つ時代閉塞の時期にさしかかっていたということである。そこで悪役イアゴーによるあの深刻な悪行の動機が、あまりにも些細な取るに足らぬものであるという事実は、一つにはまさにこうした時代相の背景の中でも考えられなければならない問題ではなかろうか、というのが筆者の「オセロ」解釈のひとつの鍵である。

 シェイクスピアは、作家活動の初期から中期にかけ、つまりエリザベス朝ルネサンスのさ最盛においても、十篇に近い悲劇、史悲劇を書いている。「ヘンリー六世」三部作、「リチャード三世」、「リチャード二世」等々である。そしてこれらにも、もちろん有名な悪役は登場する。たとえば典型的なのはリチャード三世であろう。だが、これら悪役の悪行は、悪は悪でも壮大である。リチャード三世でいえば、肉体的にも身分的におインフェリオリティ・コンプレックスに悩む彼が、王位奪取という野望を賭けての大悪業だった。血が血を呼ぶ残忍な殺しも、すべてはこの大野心を軸に回転した。しかも最後に戦場で身の危険が迫ってくると、その王国さえ捨ててかりみない。「馬を引け!王国くらいくれてやる!」という例の有名な絶叫をくりかえす。悪は悪でも壮大である。

(略)

 王国など馬一頭ほどにも値しなかった「リチャード三世」の傲慢な悪役ぶりから、「やっとこ大尉」になりそこねてのイアゴーの執拗冷徹な悪行への変化、そこにも明らかに時代相の変化が、まるで鏡に映したように移されているような気がするのである。もちろん「オセロ」を、時代を超えた普遍相の悲劇として、イアゴーの悪の動機を考察するのも、一つの行き方にはちがいないが、必ずしもそうした「永遠の相の下において」見るだけでなく、これをイギリス・ルネサンス、言葉をかえていえば、エリザベス朝という特定の時代の中に泳がせてみることも、そこにはおのずからまた別の興趣が湧くのである。」

(中野好夫著『シェイクスピアの面白さ』より) 




シェイクスピアの面白さ (講談社文芸文庫)
クリエーター情報なし
講談社

花組『MESSIAH』『BEAUTIFUL GARDEN』東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング(2)

2018年11月29日 22時16分54秒 | 宝塚
2018年10月14日記事
花組『MESSIAH』『BEAUTIFUL GARDEN』東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/9ad41c3b3377113caa91f8736cd07caf

 
 
 なかなか書けていなかった記事の続き。この公演をもって退団された天真みちるさん、翌日からOGさんたちのSNSに登場され、最近なんと会社を立ち上げてご自身もSNSを始められました。なんだかあっという間に時間が流れた感、観客はまだ思い出にひたってぼやぼやとしています。一日一日を必死に生きてきてほんとになんだかあっという間に時間が流れました。今日は大学時代から都心で過ごし10年ほど前に帰郷した友人とかなり久しぶりに再会。一緒に食事をしました。帰郷してからしばらくは気持ちがふさいで慣れるまでに10年かかったそうです。わたしも道のりはけわしいなあ。今日はやや久しぶりに宝塚の思い出し日記、少し書いてみようと思います。

 この公演で3人のジェンヌさんが退団されましたが、それぞれに自分の中で納得のタイミングが訪れて納得の退団にさみしさとすがすがしさが入りまじった挨拶でした。天真みちるさん、スマスマの特番ではまだヅカを離れていた時期だったのでお名前は認識できていませんでしたがタンバリン芸人は印象に残りました。ショー『BEAUTIFUL GARDEN』では、パリの場面、柚香光さんと舞空瞳ちゃんがメインコンビでパラソルを片手で歌い踊る中、白い衣装にタンバリンをもった天真さんが登場するという演出もありました。長く貢献されてきたジェンヌさんへのいきなはからい。エトワールをつとめられ、最後の大階段を降りての退団挨拶でも明日海りおさんと同期の鳳月杏さん、鞠花ゆめさんが渡された花束の中にはタンバリンが。組長の高翔みずきさんが天真さんを紹介されるとき経歴を紹介されなかったのは意図的だったのかな、経歴の紹介は必要ないほど独自の印象を残されたジェンヌさんでした。断片的な記憶、子供の頃、作品名は思い出せないけどおばあちゃんと宝塚の舞台映像をみて、おばあちゃんにみちるは将来ここに入りなさいと言われ、おばあちゃんが言うなら入れると思ったけれど一回目の音楽学校受験に失敗。二度目の受験前に、自分は本当に宝塚に入りたいのか考えて受験し合格。入団してからの道はきびしく、3年目でもう辞めようと思って最後だとラインダンスで思いっ切りウィンクをとばしていたら、終演後「あんたおもろいなあ」(関西弁)って声をかけられ、お客様が喜んでくれるならとの思いで続けてきた、自分の思いは完結したので退団を決意した、という内容のお話。三度目のカーテンコールだったかな。明日海さんと退団者3人が舞台に登場したとき、わたしからみなさんにお願いがあります、「たそー」って呼んでくださいって言ってライブビューイング会場もみんな心の中では、「たそー」って叫んでいた空気感でした。(タンバリンの)シャンシャンという音をどこかできいたら自分のことを思い出してほしいって。四度目ぐらいのカーテンコールだったかな。明日海さんの配慮で、天真さんの掛け声で花組ポーズ。わたしは、『金色の砂漠』、『ポーの一族』、『メサイア』の三作品だけですが、独自の印象を残してくれたジェンヌさんでした。退団後のお写真ではすっかり可愛い女子に。男役、天真みちるは永遠に観客の心の中に刻まれました。

 新菜かほさん、大劇場の千穐楽挨拶では、四度目の受験で宝塚音楽学校に合格、受けても受けても失敗したときは部屋の壁を破ったりというようなエピソードを話されたようで、東京宝塚劇場の千穐楽では、「新菜かほ、身長158センチ」と自己紹介され、小柄だけど情熱とガッツは人一倍。正塚晴彦先生の作品で自分だけ8役を与えられ早変わりの連続、他の人たちは一役なのになぜ自分だけ8役なのと思いながら舞台をつとめていたら褒めてくださるお客様の声があり、どんな役でも舞台に立って作品を支えたいと思うようになったという話。ご自身の中でやり切った感のあるすがすがしい笑顔でした。『ポーの一族』で少年エドガーと赤ちゃんだったメリーベルがスコッティの村で捨てられる場面、後ろで控える乳母の眼差しと佇まいが印象的でした。プログラムを確認すると、新菜かほさんでした。観客は忘れないと思います。

 桜舞しおんさんはまだ若手。これからという時ではという感もありましたが、ご自身の中で納得のタイミングだったんでしょうね。千穐楽の舞台をライブビューイングで観劇できるようになってから、退団者がいない大劇場公演はないことを知り、退団者はみなさん宝塚はほんとに素晴らしい場所だったと笑顔で退団されていくことを知りました。まだ早いのではと観客は思うジェンヌさんもそれぞれタイミングがあるのでしょうね。退団していく方だけがみせる笑顔でした。

 真夏の大劇場公演に合わせて作られたショー『BEAUTIFUL GARDEN』、少し寒くなってきた10月半ばに、「ジラされて熱帯」や「シーズン・イン・ザ・サン」をきくのもなかなかおつなものでした。長くてきびしい平成最後の夏の終わり。このライブビューイングでほんとにわたしの中で途方もなくきびしい夏が終わりを告げた感でした。

 『BEAUTIFUL GARDEN』、スチール写真が公開されたときにはこてこてすぎて、うーん、花組さん大丈夫?とか思いましたが観劇するとそうでもなく、黒とピンクを配したテーマカラーの衣装を身に着けたジェンヌさんたちをのせた盆が回転するオープニングは華やかで文字通り花園のようでした。一番好きだったのは、みりおさん退団しちゃうの?っていう「ETERNAL GARDEN TSKARAZUKA」でした。もう少し書きたいですが長くなってきたので今日はここまで。

 一週間後はずっと先だと思っていた初の大劇場日帰りバスツアー。一時間に一本のバスを逃したら終わり。間に合うかな、バス乗り場わかるかな。ひとつひとつ緊張、その前に明日はようやく離職票をもって外出だし、遠征前に『BEAUTIFUL GARDEN』と『凱旋門』と『エリザベート』の観劇日記、書けるといいな・・・。

 写真は9月26日の東京宝塚劇場。またこの中に入ることがあるかしら・・・。

 舞台との出会いは一期一会。いい舞台との出会いはあの世へ旅立ちときの心のお土産。一回一回そう思いながら観劇しています。


 























2008年8月‐12月『フェルメール展』_光の天才画家とデルフトの巨匠たちより_デルフト新教会の回廊

2018年11月28日 22時29分58秒 | 美術館めぐり
イヤホンガイド3の絵のお話、公式カタログからの引用です。ご興味があれば・・・。


「ヘラルト・ハウクヘースト(ハーグ 1600頃-1661)

《デルフト新教会の回廊》1651年頃、マウリッツハイス王立美術館蔵

 ハウクヘーストが提示するのは、ウィレム沈黙公の廟墓のある新教会の内部である。彼は、現在ハンブルクにある1650年の年記を持つ革新的な大作でも同じ教会の内部を描いたが、空間は反対側の視点からとらえられていた。本作品の年紀は今では完全に見えなくなっているが、1895年のマウリッツハイス王立美術館のカタログには1651年と記録されている。それゆえ、おそらくこの絵画はハンブルク作品の翌年に描かれたことになる。

 ハウクヘーストは、本作品において、再び廟墓に焦点を当てたが、教会をずっと詳細に描写しようとしている。実際、慣用的な遠近法を用いる際に推奨される限界を超えている。回廊の狭い空間に据えられた地点から、両面左手には、南側の側廊から聖歌隊席の間仕切りに至るまで教会の全長が見通されている。しかしまた同時に、右側に、聖歌隊席の向こう側と反対側の回廊までがぐるっと見渡せる。これは現実的にはありえない状況である。一番手前の床の部分と、デ・フリースが奇しくも傘のようだと指摘した頭上で四方に広がるヴォールト天井を同時に眺めることも不可能である。ハンブルク作品とは異なり、本作品でのハウクヘーストは、建築が特定の視点から見える様子を描写することには興味がなかった。むしろ、伝統的な遠近法の妥当な限界を超えるようなパノラマ的情景をとらえようと試しているのだ。ここでの視野角度はおよそ105度。標準よりもはるかに広いため、「魚眼」レンジ的な効果が生まれている。しかし散漫になることはなく、むしろ、鑑賞者はその歪みを受け入れている。なぜなら全体の美的効果へと見事に融合されているからだ。そうした歪みは、ハウクヘーストが教会の情景をより包括的に捉えようとして遠近法を巧みに用いたことを証明するばかりではない。廟墓をめぐる楕円状の動きのなかにある一連の柱と、両面の至るところに漂う優雅なパターンの繰り返しとして鑑賞者を魅了しもするのである。たとえば、ヴォールト状の天井が見事に扇形に広がる効果を高めるために、ハウクヘーストは特権的な芸術上の荒技を行使し、明るい均一化された光を導入した。それは、新教会のかなり暗い周歩廊では決して期待できないものであった。


 リートケが本作品の遠近法を線画により分析し、実証したところによると、廟墓の中心部分の詳細と一番先に目に飛び込んでくる柱は、チャールズ・クリューズ・コレクション旧蔵の1650年制作の作品中ですでに描かれていた。リートケはさらに、両方の絵画はおそらく遠近法を用いた同一の下絵から制作されたものだろうと説得力のある推測を行った。ウィーロックの指摘するところでは(1977)、この絵画の構図はフレーデマン・デ・フリースが1604年に刊行した『遠近法』中の、二点透視図法を用いた版画の1つに似ている。教会内部を描いたサーレンダムの視野の広い素描とも類似している。背の高い扇状のヴォールト状天井と、右手に回廊の壁が見受けられるからである。しかし、最も興味深い類似を示すのは、ウィーロックとリートケの双方が指摘するように、カレル・ファブリティウスの《楽器商のいるデルフトの眺望》である。ハウクヘースト作品の翌年に制作された同作品は、デルフト画家が現実の場所を広角で描こうと試みた唯一の現存作品なのである。もっと言えば、2つの作品はほぼ同じ角度から描かれている。描いた地点も100メートルほどしか離れていない。ただし、一方は教会の内側から、もう一方は外側から描かれ、さらに一方は回廊が目を見張るようなカーブを描き、もう一方は新教会をぐるりと周るデルフトの通りと運河を描いている。他のどのデルフト画家も、遠近法においてかくまで洗練度の高い実験に取り組みことはなかった。」




この街とお別れ(4)

2018年11月27日 17時22分56秒 | 日記
 部屋を引き払い実家に戻って一週間。ガラクタだらけの荷物を片付けながら断捨離の日々。ひたすら離職票が届くのを待っています。ほんの二週間前まで働いていたところに昨日電話して今週中には届くことを確認。時間がかかることをわかってはいても待つ日々はつらいなり。自分が生まれて20代半ばまで暮らした場所に戻り、ほんの一週間前までは.駅近の都心にも便利な場所に住んでいたのがうそのような生活に戻りました。苦労して家賃を払い続けたかわりに利便性を享受していたのだとしみじみ感じる毎日を送っています。あれ以上ちっそくしそうな部屋に暮らしながら、クソな大家に家賃を払い続けることなどあり得ませんでした。すぐ斜め向かいに住む引きこもりのおっさんの物音や気持ちの悪い唸り声が丸聞こえの生活は悪夢のようでした。ドアの開閉も聞こえてしまい、隣も向かいも斜め向かいも生活時間帯丸わかりの集合住宅は悪夢のようでした。地の利が全ての部屋でした。広い部屋で近隣の物音を気にすることなく安心して眠ることができる生活に戻りました。たくさんのガラクタとこんなポンコツの姉を受け入れてくれて、ゆったりとお風呂に入らせてもらえるのはほんとにありがたくって幸せです。

 ただ駅から遠く、どこへいくにも不便すぎて、自治体が片道100円で走らせている1時間に1回の巡回バスを逃すと途方もなく歩かなければならず、先ずはバスに慣れていくところからの再スタート、大変です。車社会だから歩いている人なんて犬の散歩をさせている人ぐらいしかいないところを、ベテランのペーパードライバーのわたしはてくてく歩いてドラッグストアやコンビニに行っています。弟にペーパードライバー向けの講習を受けたらと言われていますが、老眼加速中の身で今さらおそろしくって運転などできず、まずは自転車に乗る練習をしなければと思っています。足腰痛めているのに、てくてくと歩くような場所ではないところを車にひかれそうになりんがら歩いているのでなかなか痛みはなくなりません。それでもずっと家の中だけにいるのはよくないので、夕方少しの時間でも外に出たいとがんばってしまいます。他に行くところはないのでね、コンビニも遠くって、それでもコンビニがあるだけありがたいわけで、田舎暮らしに慣れるのはなかなかにきびしく大変です。都会で生まれ育った人が地方に移住するって大変でしょうね。もともと地方民が戻るのすらこんなに大変なんだからと考えてしまいます。JALスイカをずっと使ってきたの、もう何年も。JRのエリアが変わったらオートチャージできなくなりました。一万円だしてカードリーダー買わないとできないことがわかったの、変わるということはひとつひとつ大変なり。はあっ・・・。

 花組の舞浜公演ライブビューイング会場、調べてみたらめっちゃ遠い。片道1時間半から2時間コース。電車代とタクシー代を考えると往復2千円ぐらいかな。郊外のショッピングモールの中にあって車を使うのが前提の場所。ショッピングモールの名前を冠したバス停も駅もあるのですがとにかく僻地で便は一時間に一本だけ。問い合わせたとき、電車で行く人なんているんですか、ってきいてしまいました。いなくはないとのこと。先行予約の段階では落ち着いて調べるだけの心の余裕がないままとにかく故郷の名前がある所でと申し込んでしまいました。駅から近い隣の県の映画館で申し込めばよかったと激しく後悔。宙組も同じ映画館で申し込んでしまったんですよね。タカラヅカスペシャル、どうしましょう。あー、ほんとに不便。気持ちが折れます。いやいやもっと不便な所に暮らしながら、東京や関西に遠征したりライブビューイング会場に行っている人はたくさんいるはずだからがんばれ自分と叱咤激励中。気がつけば来週の木曜日は大劇場日帰りバスツアーですが朝早くに最寄り駅まで一時間に一本のバスに間に合うか、今からどきどきしています。大丈夫かな、自分。一本逃すのがほんとにおそろしいです。

 就寝時刻は働いていた頃とさほど変わりませんが起きる時間はおそくなっています。毎日7時間前後の睡眠の日々。仕事の大変さとお隣にチャラ坊が越してきて夜遅くのドッタンバッタンから睡眠障害になり、眠剤を繰り返し飲んだ後遺症をまだまだ引きずっています。戻ってきてからはまだ一度も頼っていません。睡眠不安がつきまとっています。4年前からやめられなくなってしまったホットワインから少しずつ離れていきたいです。焦っても仕方ないので、少しずつ、少しずつ・・・。

 先週住民票の異動と国保加入の手続きをすませ、今日はようやく警察署で免許証の住所変更と都市銀行めぐりのために中心部までお出かけ。それぞれ離れているのでまためっちゃ歩きました。久しぶりにファーストフードカフェに入って休憩中。都市銀行の口座をひとつ解約しました。かつて自分が勤めていたこの地域のメインバンクに口座をつくったので、引き落とし口座の変更が全て終われば都市銀行の口座はひとつを残して解約予定。少しずつ変更、少しずつ慣れていくしかありません。きっとやり直せると信じてひとつずつ、ひとつずつ・・・。

 観劇をやめられない自分への言い訳、生きている間だけだから、一回一回、一期一会の出会いだから、幸せな時間はあの世へいくときのお土産だから・・・。

 弟は数年先にマンションを買うつもりみたいなのでこの場所も永遠ではありません。自分の道は自分で切り開いていくしかないんだなあと思います。自分どうしていくのか今は考えられません。まずは休息しながら次の足場をみつけていくこと。ガラクタを整理していくこと。少しずつ、少しずつ・・・。

 シアタークリエとフェルメール展に出かけるのにスパは予約しているものの往復の交通手段は未確定。なんか離職票が届かないと身動きとれず、です。バスは安いけど時間がかかってきついので決められなかった金曜か土曜にこだまで移動しますかね。眼科にもいきたいです。歯医者に行かねばならないのですがどこに行けばいいのかわからず行くことができていません。あまり遅くなってもだめなのにと気持ちの焦りだけ。友人の旦那さんがよくしてくれていたのでもっとちゃんと行っておけばよかったのですが仕事をしていると疲れ過ぎてしいまって無理でした。ひとつひとつ慣れない、知らないところに行くのがおそろしくって大変。少しずつ片付けていこう、少しずつ・・・。



 先々週、観光客気分で歩いた街の風景。
 一週間前までこの街に暮らしていたのが夢だったように感じられます。









人形の家、久しく行っていないなあ。今度上京するときおのぼりさん気分で行こうかな。鎌倉にも行きたいなあ、たぶん12月はそこまで無理だけど・・・。












2018年8月『フェルメール光の王国展2018』

2018年11月26日 22時16分48秒 | 美術館めぐり
2018年8月『フェルメール光の王国展2018』



2018年8月12日の記事「フェルメールへの心の旅」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/859261bd83531d4cead528bd611f35ed


 複製画でたどるフェルメールへの心の旅。スマホで撮った写真の半分ほどをようやく整理しました。よろしかったらご覧ください。「真珠の耳飾りの少女」、複製画でも本当にきれいですね。原画はもっときれいでした。わたしの願いは、この世にいる間に、マウリッツハイス美術館を訪れて少女に再会すること、ゆっくりと対話がしたいです。他にも出会っている作品は何点もあります。来月シアタークリエの翌日かな、訪れようとしているフェルメール展も楽しみです。その前にできるだけあれやこれやと整理できればいいなと・・・。

 以前にも引用している文献ですが、

「フェルメールは身辺を描いた画家だ。人びとの暮らし、日常生活と人生の一場面が主題化されている。彼の生活の場であったオランダ・デルフトの絵には、デルフトの日常生活、居住空間の様相、風景などが描かれている。彼はさまざまな窓辺や壁を描き、また、楽器を描いて、生活空間を明るみに出した画家であり、人物を描くときには、手もとや身辺に注目し、また、視線を描いた画家でもある。」

(山岸健著『絵画を見るということ』、NHKブックス、108頁より)

やっとここまで書けました。



浪漫活劇『るろうに剣心』_楽しかったでござる(4)

2018年11月25日 23時30分51秒 | ミュージカル・舞台・映画
 晩秋らしくなってきた11月の終わり。生活が変わって色々と片付けなければならないことやモノが多すぎてなかなかに落ち着かない日々。車がないと身動きとれません。気分転換にお茶しにいけるような場所などなく、ファーストフードカフェが少し恋しいこの頃。これはこれでなかなかに大変。まあ仕方ありません。

 さてさてようやくまた『るろうに剣心』、断片的思い出し。公式ツイッターをチェックしながら楽しかった時間を思い出していました。最初にるろ剣の舞台を創り上げたのは早霧さん率いる2015年の雪組メンバーだから複雑な心境の方もいらっしゃったようで、それはそれでそうなのかなと思いました。わたしが観劇した新橋演舞場は宝塚OGの方々がたくさんご覧になり、松竹座は現役ジェンヌさんがたくさんご覧になったようです。みりおさんや望海さんが三浦涼介さんや廣瀬友祐さんをご覧になったのかと思うとなんだかドキドキします。感想をきいてみたいものです。


 緋村抜刀斎(剣心の影)の松岡広大さん、まだ21歳で刀を使った殺陣は初めてだそうですが、全くそんなことは感じさせませんでした。儚く消えていく巴を抱きとめているときの苦悩の表情、憂いがあって大人っぽかったし、早霧せいなさん剣心とのバランスも抜群でシンクロ感がすごくよかったです。背が早霧さんより少し低いのかな、絶妙のバランスだったと思います。刀さばきと立ち回りのスピード感がすごかったのは何回も書いているとおり。人斬り抜刀斎だった若き日の自分を剣心が回想する場面、そして最後に二人が対決する場面が一番好きでした。大千穐楽には、抜刀歳の刀が折れるというハプニングがあったそうで、生の舞台ではそれもまた物語の一部になりますね。技術だけじゃなくって心がある殺陣。素晴らしい。





 昨日も触れた、明治維新前の数分間、幕末の京都で三浦涼介さんが維新側の桂小五郎を演じている場面。朱音太夫に故郷に帰ると告げるところが何気に好きだったりします。お顔小さくって麗しい。二幕の四乃森蒼紫と全く違う。「あかね」ってかける声が色っぽくて優しくって、足長すぎて袴が短かったのが足首がみえそうになっていたのがツボ。二幕でジェラール山下を名乗る新選組の加納惣三郎と幕末に出会うという伏線がはられているのでした。まだ少年でポニーテールの人斬り抜刀歳だった早霧さん剣心の、かっこいいことといったらありゃしないし。




 相楽左之助が剣心に闘いをもうしこんで歌舞伎調で手合わせする場面。楽しかったあ。
弥彦役の子役ちゃんが歌舞伎の拍子木っていうのかな、を二人のリズムに合わせながら一生懸命に打つの。わたしがみた憲ちゃんも川口君もがんばっていました。このあと剣心の愉快な仲間になる左之助の、すごくいい奴感のキャラクターが好きです。植原拓也さん、幕末の場面では新選組の隊士を演じていたんですね。二回目にオペラグラスでようやく気付きました。ガトーの武田観柳さんこと上山竜治さんも幕末は新選組の隊士を演じていたのかな。



 いつも背中に竹刀を背負って、神谷道場に比留間組が押し入ってくると竹刀をかまえる弥彦、武士の血をひき強くなりたいと願う弥彦の生き様。子どもながらにあっぱれ、小生意気なところが可愛かったです。左之助といつも一緒の凸凹コンビ。わたしはそこまで気づきませんでしたが左之助はいざという時しっかりと弥彦を守りに走っていたようで、そんな細かいところまでみるには目が足りませんでした。舞台上隅から隅までたくさんのキャラクターがそろって動いていることが多かったので躍動感ありすぎて、ほんと目が足りませんでした。




 公式の稽古場映像をみていても、早霧さん剣心の立ち回りは爽快。線は細いですがものすごくスピード感があり、所作が流れるように美しい。男性アンサンブルさんたちと呼吸を合わせるの、ずいぶん稽古されたんでしょうね。すごい運動神経と体力と精神力。脱帽です。
イケメンぞろいの中で誰よりもイケメンでした。




 薫の歌声にのって、弥彦と剣心とのデュエットダンス、お気に入りの場面。剣心が薫に逆刃刀を抜かれたときのおろっていうふわふわしたところやプチガルニエのダンスの場面で、おろおろと振り回されるふりしているところ(早霧さんほんとはダンスできるからふり)、殺陣の時の鋭い眼光とのギャップも可愛すぎました。




 写真ありませんが、御庭番衆のバック転を入れたアクロバティックなダンス、素敵でした。お頭の四乃森蒼紫、「最強の証を立てるために」の台詞回しが色っぽ過ぎました。麗しいビジュアルに、どんどん芝居心のある舞台役者の味が出てきているなあと思いました。



 幕末の斎藤一から藤田警部へと、プログラムに書かれているような一本筋の通った生き方、体現できていたのではないでしょうか。低音ボイスから響く声、言葉は少なかったですが心がありました。いつもほとんど感情が表にでないようにみえましたが、最後剣心に情をみせるあたり、ぐっときました。



 一番もっていったのは武田観柳さんでしたね。歌うまなので説得力大。アンジョルラスからの振り幅大きすぎ。ガトー砲にキスまでして、武ちゃんって呼んでねって話しかけて、お金がすべての成金のいやらしさを存分に発揮されていました。最後、しょっぴかれながら斎藤一に「前髪切れよ」っていうところが絶妙。斎藤一さん、表情を変えることはできないけど心の中では笑っているのかしらとか想像してしまったりしました。



 小池先生、キャスティングも絶妙でほんとにありがとうございました。




ついつい遅くなってしまいますね。まだまだ書き足りませんが、やらねばならないことはあれもこれもとあるので今日はこれにて。

駆け足で断片的思い出しでした。

追記)

 早霧さんの年頃の頃の自分、年齢を異常に気にしていたところがありました。花ちゃんをみても思いました。もちろん年齢はある、けれど別に気にしなくっていいんだなって、いや気にしなきゃいけない時もある、みんな歳をとるわけで気にしないわけにはいかないんだけど自然でいればいいんだなって思いました。そんなことを教えてもらったようにも勝手に感じています。もちろんすごく葛藤があったと思いますが、剣心を体現した早霧さんはおそらく宝塚時代よりもさらに自由に生き生きと演じられていたと思います。素敵でした。

新橋演舞場で自分のためにお土産買っちゃった。



浪漫活劇『るろうに剣心』_大千穐楽

2018年11月24日 23時34分36秒 | ミュージカル・舞台・映画
 『るろうに剣心』、松竹座にて無事に大千穐楽を終えたようです。おめでとうございます。東京からさらに進化した舞台が繰り広げられたようで、連日SNSをのぞくのが楽しみで仕方ありませんでした。想定外にはまった舞台。公式サイトのダイジェスト動画を繰り返しみています。宝塚を退団したあとの女性が演じる男役。不思議な感覚でした。リアル男子、リアル子役ちゃんの中で、優男の剣心を演じる早霧さんの中世的な魅力がより際立って剣心に、たぶん宝塚よりもさらに近づいた感じだったのではないでしょうか。新橋演舞場で二回観劇しましたがもっと観たかったです。最後の最後、苦労して家賃を払ったから得られていた地の利を満喫してチケットを追加して二回も観劇できただけで十分幸せですけどね、何回でも観たい魅力ある舞台でした。アンサンブルさんたちの隅々にいたるまで、お一人お一人が役のまんまに生きられていました。心がある舞台でした。

 宝塚OGの方もたくさん出演されていました。朱音太夫とカトリーヌを演じられていたの、昨年11月に宙組を退団された彩花まりさんでした。すごく綺麗でした。一幕と二幕の演じ分けもお見事。月影瞳さんを拝見したのはいつ以来かな。記憶あいまいですが『凱旋門』以来かな。プチガルニエの舞踏会の場面で廣瀬友介祐さん演じる藤田警部とダンスをするときの、食いつきそうな顔つき、山県夫人の役、振り切ってました。ダンスで腰痛くなった旦那さんに「御前、しっかりしてください」って言う時の言い方も好きでした。高荷恵役の愛原実花さんも華があるし、役の体現具合が素晴らしかったです。最後、「野暮な男はもてないよ!」って左之助の胸をたたく音、二回目観劇したときはさらに大きくなっていました。武田観柳に「みろよ」って怒られたときは素で笑っていたし、ナイフをつきつけて観柳をうしろから羽交い締めにするときかっこよかった。プチガルニエで早霧さん剣心とイチャイチャしている感じもいい雰囲気でした。二回目イチャイチャ度があがっていたかな、嫌味がなくってお似合いでした。みなさんそろって美人だし、所作のひとつひとつが美しかったです。

 三浦涼介さんの桂小五郎と四乃森蒼紫との演じ分け、実は一回目の時はよくわかっていませんでした。なので二回観劇できてほんとによかった。どちらも色っぽくて素敵でした。時間的にすごく短い、明治維新前だけの数分ですが、桂小五郎が何気によかった・・・、

 などなど語り始めたらきりがありませんがつまらないことしていたら遅くなってしまったので今日はこれにて。



公式ツイッターよりお写真、お借りしました。




 

 花組ライブビューイングのチケットをとったので映画館の場所を調べていたらものすごく遠い。郊外のショッピングモールにあるので基本車で行くのが前提につくられている。免許証をもっていても運転できないからめげそう。都心と違って地の利はほんとに悪い、わかってはいても悪すぎる、他にもめげることいっぱいですが、めげてはいられませんね・・・。

この街とお別れ(3)

2018年11月23日 21時53分01秒 | 日記
 つい一週間前までは自分がこの街に暮らしていたことが嘘のようにも思える昨日、今日。わかってはいても駅から遠いし、都市銀行にいくのすごく不便だし、日常的なことが全部違ってくるのでひとつひとつ慣れていったり、変更していったりするのが大変。利便性はぐっと落ちます。運転免許証を持ってはいても、老眼加速中の身で今さら車の運転を練習しなおして社会に迷惑をかけることはできないのでせめて自転車に乗る練習をしなければなりません。駅から徒歩圏内に長らく住んでいたので自転車にも乗っていません。乗れるかしら。ひとつひとつ。平日外を歩いていると社会からの孤立感。弟とけんかにならないうちにまたなにかしらしなければと思いますが、歩くような距離じゃないところを足がなくって歩いているので足腰痛いの相変わらずだし、かなり荷物を捨てたつもりですが迷ったものは持ってきてしまったのでさらに捨てるべきだったなあと思ったり、生活を切り替えていくのは大変です。半分はがらくたみたいな荷物にうもれています。長ったからそりゃそうだ。ただ広い部屋で安心して眠れのが嬉しいです。家賃負担のなくなったことが気持ちを楽にしてくれています。神奈川芸術劇場の花組公演を観劇することはできませんけどね、チケットあるならちょっといってみようかっていうわけにはいかなくなりました。そこは我慢、仕方ない。また新しいスタートのための仕切り直し。昨日ようやく役所で転入手続きと国保加入手続きをしました。一時間に一本の巡回バスに乗るのにどきどき。乗り場の勝手がわからずどきどき。浦島太郎や。少しずつ、少しずつ。離職票が届くまでは身動きとれず。そもそも手元に届くのがおそいのに、引っ越してしまったのでさらに時間がかかります。なかなかにきびしい。15日に入るお給料は11月の稼働日数が少ないのでわずかなもの。なかなかにきびしいです。ほんとにやり直せるのかなあと不安になったり。焦っても仕方ない。狭い部屋でちっそくしそうになりながら暮らしていた後遺症を感じるので休養は必要。なるようにしかならないのだから少しずつ、少しずつ。3年前にズタズタに擦り減った自分で家に帰ってきたときはほんとにつらかった。一カ月ほぼ引きこもって電車に乗ることも全くありませんでした。その時と比べると雲泥の差。先日までスーパーハードな仕事をしていましたって言える自分になって帰ってきたのです。どこにいたってどうにかこうにか生き延びていればいいわけで、生きていればこそ。いちいちめげることばかりだけど、希望をもっていこうじゃないか。必ずまたプリンス・エドワード島に行こうじゃないか。


お別れ行脚に、観光客気分で訪れた街の光景。

夕暮れの港。







シーバス乗り場。日常生活では訪れたことがありませんでした。最後でなければ乗らなかったシーバス。楽しかったあ。










毎朝この道を必死に歩き己に鞭をうって会社に向かっていました。
ほんとに必死でした。一生懸命に生きた日々。
今年はこの黄葉をみる前にこの街を離れました。たぶん、もういくことはないかな。
一生懸命に生きた日々がある。それでいい。それで十分。




 明日はるろ剣とマリー・アントワネットの千穐楽。とっても気になります。観劇日記は明日以降少しずつ書ければと・・・。

 連続投稿、失礼しました。



2018年秋_ちひろ美術館に行ってきました(6)

2018年11月23日 21時09分58秒 | いわさきちひろさん
 2018年11月15日に訪れた、東京ちひろ美術館の写真、これがラストです。

 ちひろさんが愛用していたソファ。以前は展示室に置かれていましたが図書館に移動していました。スマホに夢中になっている大人二人に挟まれて坐る子どもが熱心に本を読んでいました。これも時代ですね。自分もこうしてパソコンやスマホでネットに依存しているのに、子どもたちにはできるだけタブレット端末に触れてほしくない、紙の本に触れてほしいと思ってしまうこの頃です。



二階から眺めたお庭。







美術館の看板を



アップすると可愛らしい子供の姿が浮かび上がってきました。




閉館後のちひろ美術館。





劇場の看板もそうなんですが、少し撮る角度を変えるとこうして木立に囲まれた光景を撮ることができます。これもまた素敵だなと。



住宅街にあるちひろ美術館、暗くなってしまうと駅まで戻る道のりを迷ってしまい、ぐるぐるしてまた美術館に戻っていました。



 
 ちひろさんが願い続けた、世界中の子どもたちが平和でありますように、との想いがここから世界中に届きますようにと祈らずにはいられません。ちひろさんの言葉を引用したいところですが、まだ引っ越した荷物が整理しきれておらず本に再会できないので、写真のご紹介だけ。ちひろさんの言葉は後日あらためてご紹介できればと思います。

 6回にわたってご紹介した2018年秋のちひろ美術館、訪問してくださり、ありがとうございました。
 

 

2018年秋_ちひろ美術館に行ってきました(5)

2018年11月22日 22時44分23秒 | いわさきちひろさん
 ちひろ美術館に展示されていたちひろさんの写真、ひととおり全部スマホで撮ってきたのでご紹介。だぶっているものもあります。




















ちひろさんが実際に着用されたコートと帽子。
おしゃれでした。アンデルセンのふるさと、デンマークへのスケッチ旅行の写真で着用され
ていたかと・・・。




 展示されていた写真、本の中で拝見したことがあるものばかりでしたが、こうして眺めていると鋼のような強さを内に秘めながらいつまでも可愛らしい方だったんだなあと思いました。何度も同じことを書いてしまいますが55歳での旅立ちはあまりにも早過ぎました。技術が進み、子どもたちもタブレット端末をもつようになった時代をちひろさんは空からどんなふうにご覧になっているでしょうね、びっくりされているでしょうか。ふと思いました。

 この日2階の映像コーナーでは、黒柳徹子さんがトットちゃんの本が出来上がるまでのエピソードを語っていらっしゃいました。ちひろさんに絵を依頼しようとしたときちひろさんは他界され、息子の猛さんから提供された絵に不思議ことにトットちゃんの内容にあう絵がすべてあったという内容のお話。小学校の机の前でちょっとふんって横を向いているのが女の子だからよかった、これが男の子だったら使うことはできなかったというエピソード。以前になにかで読んだことがあるような記憶もありますが、ちひろさんの底力を感じるお話だと思いながら映像を拝見しました。

 写真はもう少しありますのでまた明日以降アップ予定。その後は去年の秋のちひろ美術館のお庭の写真もアップできればと思います。ためこんでしまったもの、少しずつ、少しずつ。部屋で使っていたガラクタだらけの荷物が届いたので少しずつ整理しながら同時にほんの一歩ずつ前へと進んでいければと・・・。

 仕事がきつい時は気持ちもひねくれてしまってきついですが、ひとつひとつのことがありがたく感謝だなあと思うこの頃。どこでもとにかくどうにかこうにか生き延びていればいいんだなあと思います。ひとつひとつの出会いが一期一会。今この時だけですね。