たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_ヴェルサイユ宮殿

2018年04月30日 16時47分37秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 今日はちょっと曇り空、先週の睡眠不足を取り戻すかのように眠る休日、よかった、眠れたよかった。明日はまた稼働日で緊張感が少し高まりつつある月曜日、断捨離は少しずつしか進まず部屋のなかでちっそくしそうになってきたのに耐えられず、つかれてしまってまだまだ荷物ありますがまたスパに逃げ出してきた月曜日。

 ツアー中の2007年10月27日、一人で日帰り英語ツアーに参加しヴェルサイユ宮殿をはじめて訪れました。久しぶりに旅日記、といってもヴェルサイユ宮殿はとてつもなく広いので通常のツアーでプチトリアノンまで行くのは不可能。近くに一泊して自転車で回らないと無理なんですね、見学できるのはほんの入り口部分に過ぎません。だからここまで来たのに、という未練が残りながらも奥の奥までの道のりは果てしなく遠く、現地で購入した日本語ガイドブックからの振り返りです。先日の舞台で、ポリニャック伯爵夫人の「王妃様、お仲間がプチトリアノンでお待ちです」ということばをきいて書きたくなりました。

 二年前の『1789バスティーユの恋人たち』の観劇日記になんども書いたように思いますが、この壮大なヴェルサイユ宮殿を築いたブルボン王朝の負の遺産を背負うことになったのが、アントワネットの子どもたち、とりわけ長男の王太子が病気で亡くなり、革命後次男のルイ・シャルルの人生は悲惨なものだったことを思うと胸がいたみます。その想いを先日の『1789~』の観劇で思い出しました。政略結婚によって嫁いだアントワネットもまた大きな運命のうねりにあらがうことができずにのみこまれてしまいました。舞台では「悲しみの報い」を歌うときの、なにもかも失い、潔く運命に受け入れて天に召されようとする王妃の姿が一番美しいと思いましたが、肖像画でも質素な装いの王妃が美しいなと思います。この肖像画は、2017年1月の「マリー・アントワネット展」にもあったかな。ほんとにきれいな人だったんだあと。王太子が亡くなったあとの、王妃の「わたしは盲目だった」ということばがずんと胸に響きました。語り始めると長くなってしまうので、あとは観劇日記にいつかまたあらためて書ければと思います。

 とにかく広いヴェルサイユ宮殿、鏡の間とその広さを二度も体感できてよかったかな。振り返れば、あの時しかありませんでした。旅もまた一期一会。今のわたしには海外に飛び立てるだけの気力と資力がありません。行っておいてほんとによかったです。まだまだ写真を整理し切れずですが、休日の時間はかぎりがあり今日はこんな感じかな・・・。



2008年8月‐12月『フェルメール展』_光の天才画家とデルフトの巨匠たち(7)

2018年04月29日 19時18分02秒 | 美術館めぐり
会場で購入した公式カタログより

「デルフトの文化と社会

 ハーグには、宮廷とその周辺に集まる廷臣と好事家など、裕福なコレクターがいたが、デルフトには、それに加えて質の高いコレクターがいた。ホラント州の他の場所と同様、デルフトにおける美術収集の文化が発展したのは17世紀のことだった。17世紀前半を通じて、家庭における絵画の数は倍増し、1640年頃以降、財産目録には作品を制作した画家の名前を記す傾向が強まっていった。芸術への関心の高まりを示す確かな兆候である。外国からやってきた者もまた、オランダ人が絵画に対してとても強い関心を抱いていることに注目した。17世紀初頭、デルフトには、醸造家アーベル・フランツ・ファン・デル・ハウフェ、造幣局長官でおそらく画商でもあったメルヒオール・ミンティスのようなコレクターを誇っていたが、この2人はともにカレル・ファン・マンデルの『絵画の書』(1604年)で言及されるという栄誉に浴した。17世紀前半のデルフトで最も重要なコレクターは、州税官で西インド会社の上級取締役でもあったバウデウェイン・デ・マンであった。彼は、ルーベンスとヤン・ブリューゲルの絵画、ルーラント・サーフェリー、アブラハム・ブルーマールト、ヘンドリック・テル・ブリュッヘン、ディルク・ファン・バビューレンなどユトレヒト派の画家の絵画、レンブラントの風景画1点、16世紀絵画としてはピーテル・アールツェン(略)のような地方画家による最近の作品を所有していた。美術に博学なことでその名を知られていた彼は、ルーベンスの失われた絵画《エマオの晩餐》を所有していたが、この作品に基づきウィレム・ファン・スワーネンブルフが1611年に制作した版画の銘文では、デルフトにおける絵画の導き手と評されている。公証人ウィレム・デ・ラングもまた教養豊かな美術コレクターであったらしく、1655年、デルフトで競売を主宰している。

 17世紀半ば以降のデルフトで最も優れたコレクターの一人に、ピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンがいた。彼は富裕な醸造家の息子で、アウデ・デルフト運河とフォールストラートに家を所有していた。マイケル・モンティアスが初めて明らかにしたように(1989)、ファン・ライフェンはフェルメールの主要なパトロンであったようだ。彼が所有していた21点ものフェルメール作品は、娘のマフダレーナとその夫ヤーコプ・ディシウスに相続され、1696年5月16日、アムステルダムでディシウスの財産由来のものとして売りに出された。今日知られているフェルメールの貴重な絵画のうちの多くは、この売り立て出たものである。(略)明らかに彼は、フェルメールと個人的に親しい関係にあり、1672年、フェルメールとヨハネス・ヨルダーンがレインスト・コレクションのイタリア絵画を鑑定するために呼ばれたとき、フェルメール一行にハーグで加わったほどであった。フェルメールは、つまり、イタリア美術の知識を高く評価されていたに違いないのだ。しかし、それはデルフトで習得できるものではなかった。裕福なアムステルダムの画商ヨハネス・デ・レニアルムは、イタリア絵画を所有していて、デルフトに家があり、1644年にはデルフト聖ルカ組合に加入していた。とはいえ、デルフト市民の財産目録に記録されているイタリア絵画はごく少数で、フランス絵画に至っては皆無であった。若きレンブラントは、アムステルダムには非常に多くの優れたイタリア絵画があるので、イタリアに旅行するまでもなかったと得意そうに総督秘書官コンスタンテイン・ハイヘンスに話したが、デルフトの事情はそれとは異なっていた。イタリア絵画を入手できる数少ないコレクターは、アムステルダム、ロッテルダム、ハーグに集中していたのである。」

2018年『1789バスティーユの恋人たち』_二度目の観劇でした

2018年04月28日 23時32分13秒 | ミュージカル・舞台・映画
 帝国劇場で夜の部を観劇、当日券といっても二週間前にインターネットで予約した当日券枠の補助席。幕が開いてすぐに客席袖の扉からペイロール伯爵と部下たちが登場して舞台にあがっていくのですが、背もたれに背中をつけていたら触れたのは岡さんペイロールのマントだったかな。ふわっとしました。岡さん、捕らえられたロナンへの鞭さばきにさらにみがきがかかって迫力のペイロール。今日もこかったです。あのマントと髭が似合うのは岡さんしかいないかも。


 Wキャストは、ロナン:加藤和樹さん オランプ:神田沙也加ちゃん  マリー・アントワネット:龍真咲さん でした。


 龍さんは宝塚時代を含めて初見。男役をやっていた方とは思えない可愛らしさと母性に溢れたアントワネットでしたが、カーテンコールの最後にはけていくとき、加藤さんロナンを手招きした仕草がめっちゃ男前でかっこよかったです。10年以上かけて創り上げてきたものが体にしみついて何気にでてしまうところがファンの方には嬉しいんじゃないかな。華やかさにあふれた凰稀さんアントワネットとはまた違う雰囲気で、王太子を亡くしたことで自分の愚かさに気づき、フランス王妃として生きていく心をかためたあとの潔い強さが素敵でした。

 休憩をはさんで3時間の舞台ですが、とにかく盛りだくさんで登場人物が多いし、物語の進行が早いので、ダンスパフォーマンスがすごいなあと思いながら集中しているとあっという間。二週間前に観劇したときはまだ初日が開いた間がなかったからか、物語の進行とアクロバティックなダンスシーンの連続とがかみあっておらず、なんとなくまだばらつきがある感じがしましたが、折り返しを過ぎた今日は、あのシンプルだけどすごい迫力感を生み出している大きな可動式の壁というんでしょうか板というんでしょうか、舞台セットともうまくかみあってきていて流れが自然になっていました。全体の熱量がすごくってエネルギーに満ち溢れた舞台でした。観始めるとやみつきになって何度でも観たくなります。終演後に客席をできるときの、観客のだれもがなんともいえない満たされた感のベールをまとっている感じがします。擦り減った心のエネルギーをチャージすることができました。一週間後にもう一度あります。今度は徹平君ロナン。加藤さんロナンは見納めでした。ペイロールに撃たれてしまう最後はやっぱり切なくって、ロナンの生き様がなんとも切なくって涙。農民という身分に生まれたロナンがペイロールに父親を射殺されたのをきっかけにパリに出て行き、革命家たちと出会い、投獄され、王族たちと敵対し、オランプと恋に落ちるも、フランス革命の大きな契機となったバスティーユを陥落に導くも命を落とすという、激動の時間を歩むことになった、短くも一生懸命に生き抜いた人生。こわいもの知らずになって、アルトワ伯のことを、相手にとって不足はないという加藤さんロナンの響きが何故だか好きです。最後の最後まであきらめてはいけないというメッセージをくれた感。また何カ月もかけてゆっくりと思い出していけるといいかな。

 再演で落ち着いてみると、ソレーヌのパン屋襲撃の場面は違和感が否めなかったかな。ソニンさんと女性ダンサーたちの熱演がすごいだけに、もう少し違う流れでの組み込み方もあったのでは、っていう印象になったのは残念。

 三浦さんロベスピエールは、古川さんロベスピエールとはまた違うひんやり感と熱量とがいいバランスで、またロベスピエールにはまってしまいそうです。

 シャルロット役の子役ちゃんは今回も歌うまだし出番も多くて、一幕最後は舞台の真ん中に立って幕が降りる重要な役所なのを堂々たる役者ぶりですごいなと思いました。

 忘れないうちに思いつくまま書いてみました。あと一回。また上演されるかもしれませんがダンスシーンが多いことを考えるとこのキャストはもうないのではと思います。アクロバティックなダンスを繰り広げるダンサーたちほんとにすごい。カーテンコールでも二回転?したりしてすごい。『ミス・サイゴン』でもドラゴンダンサーですごいダンスを披露していた方とかロミジュリのダンサーとかいらっしゃってほんとにすごいの。舞台との出会いも一期一会。この世にいる間にしか観ることができないのだと思うとやめられません。ロッカーに預けた荷物を出しながらふと思いました。これまでの時間よりもこれからの時間の方が少ないのは間違いないのだから今しかないのだと。

 カフェで早い夕食をすませたあと帝劇に向かう前にキャトルレーヴで一枚だけ『ポーの一族』の舞台写真を購入。宝塚はよくできていてさりげなく商売上手で次回花組の東京公演のチラシにはさんでビニール袋に入れてくれました。ほんとにうまいなあと感心しました。9月公演のチラシ。その時までわたし生き延びていられるのかわかりません。ここまでこうがんばったら次はこうなる、こんだけお金は入ってくるっていう見通しが全く立ちません。生き延びていられるのかもほんとにわかりません。気がつけばすっかり年をとっただけで、働く見通しは結局全く立たない人生となってしまいました。いつどんな舞台があるかを軸に生き延びていきますかね。悪夢から解き放たれた、プラスのエネルギーに満ちた土曜日となりました。満足度たかし、めでたし、めでたし。

 写真は二年前の帝国劇場内です。



 

シルクロードの旅からの便り

2018年04月28日 16時14分08秒 | 祈り
 ようやく8時間眠れた土曜日、三連休初日。こんな土曜日も、朝も昼も夜も関係なく、引きこもりのオッサンはいるので、あーほんとにこの部屋にはいられないんだなと、ちっそくしそうだなと日比谷に逃避行中。東京宝塚劇場前のカフェで早い夕食。窓からみえる新緑がきれいです。梅雨の前の緑がいちばん輝く季節。プリンス・エドワード島にはかないませんが色々な緑にあふれる季節。

 母の遺品にあった私が出した手紙や葉書。家を出て数年はさみしさもあってかこんなにまめに便りをしていたことに自分でも驚いています。妹とのお別れが訪れる前の愚かだったわたし。あまり思い出したくない、若かったころのわたし。ほんとにおろかでした。気がつけが人生の半分ほどを妹とのお別れからの苦しみ、母の病気を受け入れていく苦しみのうちに過ごしてきました。その中で精神保健福祉士の国家試験に合格しましたがそれで仕事をするのは、わたしには苦しすぎるみたいです。これからどこでどうやって生きていけばいいのか。父も母もいなくなりました。これからは自分のために生きていけばいいんだよね。

 これから帝劇で『1789~』。四週間後には東京宝塚劇場の宙組公演。今はこの楽しみのために生き延びる毎日です。



「前略

 北京にて故宮をみた後、ウルムチまで4時間のフライト。
 ユーラシア大陸の真ン中にいます。
 中国は広いです、大きいです。
 今日はこれからバスでトルファンに向かいます。

  1991年4月29日たんぽぽ」


 

苦しい一週間が終わりました

2018年04月27日 19時45分37秒 | 日記
 ようやく金曜日の夕暮れ、長い一週間が終わりました。昨夜も眠剤で就寝、なんとか5時間の睡眠を確保しましたが、金曜日ともなるとさすがにつらかったです。昨夜朝無事に起きて無事に出勤できる自信は全くありませんでした。ほんとに一日一日。なんだかいつにもまして長く苦しい一週間でした。昨日からの流れでなんとかわからないことをききづらくって、指導担当に自分からは声をかけられなくって、でも上の人のおかげでそんなに大ごとにはならなかったのでほっとしました。月末、システム入力ができない日なのでたまっていた書類を整理していましたが、そこは月末ですね。重篤な困った電話がはいってきて、直属の上司は休みでしたが、役職者に相談して後ろ盾を得ながらなんとか無事に切り抜けました。疲れました。重すぎます。どこまで本当のことなのかわかりません。すごく大げさに大変だ大変だって言っている可能性はなきしにもあらず。ただ怒りをかわないように、できるだけ気持ちはわかりますがと聴くようにつとめました。お昼には眠いばかりでバッテリー切れをすごく感じてつらくて仕方ありませんでした。そんなところへ重篤な電話。昨日の今日でこういう内容かなと想像したところとは全く違うところへきました。ひゃー、ほんとに一般人の想像力では及ばないです。こんなん日常茶飯事の職場なのでみんなマヒしているのかなあ。わたしには重すぎておろおろ、涙が出てきてしまいました。その時いる役職者に助けを求めるしかありませんでした。幸い去年の夏の就労場所に居た人でわたしのことを覚えていてくれたので、助けてもらえてよかったです。他の役職者だったらここまでは心配してくれなかった内容だったかもしれません。想定的にどうなのかわかりませんが、わたしには重すぎました。ここまで苦しみながら、こんなに安い給料でなんの補償もないのに無理してこの仕事を続けることないんですよね。ただ他にやりたい仕事があるわけでもなく、社会のどこからも必要とされないのはもっとつらくってたまたま縁あってこういう流れになっただけ。この先どこでどうやって生きていけばいいのかわかりません。今いちばんの願いは広い部屋で安心して眠れることなのかもしれません。ちっそくしそうな就労場所、ちっそくしそうな部屋、もういいよ~。

 明日はまた帝劇で『1789バスティーユの恋人たち』、当日券引き換えないとね。事前に予約しているんだから当日券じゃないけど当日券分の席。その前に用もないのキャトルレーヴによってまた無駄遣いしてしまいそうです。シャンテで食事もしたい。その前に今夜は夜更かしをしないことですけどね、疲れたから早く帰って早く休もうっていう気持ちになれる部屋じゃないのがつらいところです。あー、ほんとにちっそくしそう。

 こんなグチ日記に夕暮れと麗しいみりおさんのお写真を使ってしまいました。ようやく金曜日の夕暮れ、一週間お疲れ様でしたね、わたし・・・。

昨夜も眠れず

2018年04月26日 19時58分10秒 | 日記
 ちっそくしている木曜日、ちっそくしそう部屋に帰りたくなくってココアを飲みながらひといき。昨夜も眠れませんでした。自分でもよくわかりませんが、すごく眠いのでほろ酔いで眠れるかなと思ったら眠れませんでした。時計をみたら一時半ごろ、すごくお手洗いに行きたくなって、それまで眠っていたのか目がさめたままだったのか自分でもよくわかりませんでしたが、もう朝まで時間がありませんでした。ちっそくしそう部屋でとにかく眠らなければのプレッシャーに勝つことができずに眠剤をのみました。二晩連続。そこから4時間ぐらいは眠れたはず。また無用に早く目がさめてしまい、そこからまたうとうとで結局携帯アラームが鳴った頃にはすごくつらい朝。木曜日だからつらいのは当たり前。すごく眠いのに、眠らなければならない時には眠れなくなってきました。あと6カ月と10日ほどあり、梅雨と真夏を超えなければならないのですが、有給休暇はもうほとんどないし、この調子ではなんか無理やね。

 人事異動で4月半ばに席替えと担当替えがあり、私自身は担当も席もそのままですが指導担当がお向かいの席の人になってしまったし、人に教えるより自分でやった方が早いっていうタイプの男性で今までもわからないことをきくのにききづらかったですが、いっそう聞きづらくなってしまいました。それまで指導担当が坐っていたお隣の席には女性がきて、わからいことがあるとついつい声をかけてしまいますが指導担当はお向かいの席の男性なので順番があります。今日はその女性が休みだったし、どうしていいのか、どう答えていいのか考え方がむずかしくってわからなくって、でもきける人が近くにいなくって勇気をもってきけそうな人のところにききにいきました。基本のキを知らないまま何カ月もやってきているわけで、知らないことはわたしの罪ではないので仕方ないです。何年もやってきている人たちには当たり前のことがわたしにはわかりません。次々と知らないこと、わからないことが湧いてきて、ひとつひとつが細かいしむずかしいのできくしかないです。でもわたしに声をかけられるということはそれだけ自分の仕事が妨げられて進まなくなるわけだから、すごく声をかけづらいです。わからにことをきくのはほんとにむずかしいです。おまけに会社にはなかった、こういう組織独特の考え方というか、グレーな部分というか、気をつけなければならないところというか、そういうものがほとんど体に沁みていないのでわかっていなくって、今日は最後の方でよけないことをしてしまいました。書かない方がよかったことを書いてしまい、余計な仕事を増やしてしまいました。指導担当がいらいらしているのありありでした。明日役職者に話してなんとかするしかないことをしてしまいました。知らなかったからわかっていなかったら仕方ないやんって思いますが、なんか居づらくって切りのいいところまで事務処理を終えるとそっと執務室をでました。誰にも声をかけたくなかったし、声をかけられたくありませんでした。若い子ならまだしも、おばさんがおろおろしながら歯を食いしばっていたってみっともないだけやなあって思いました。何を言われているやら、女性が多いのでどうみられているやら、おそろしいです。わたしにはむずかしすぎる仕事。こんなに毎日苦しみながらでないとやれないならもうやめた方がいいよなって思います。苦しみながらがんばったところでその先に待っているのはまた失業するいうことだけ。その先どうやって生きていけばいいのかわからないです。良識ある一般人の感覚では理解できない奴らが相手だし、あー、苦しい、ちっそく。職員同士の誰と誰が同期とかっていう会話がきこえてくると、自分所詮話相手もいない、仮の居場所にいるアルバイトなんだなって思います。わたしの本当の居場所、HOMEはどこなのかわからないまま、かぎりある人生の時間は流れていきます。明日は金曜日。ものすごく喉が渇いていますが今夜も眠剤で眠るしかないと思っています。

 長々とグチ日記失礼しました。観念して帰りたいけど帰りたくないちっそくしそう部屋に帰らねばです。疲れました。おばさんがおろおろしているのほんとにみっともない・・・。

ぼろぼろになりながら生きる毎日

2018年04月25日 22時05分36秒 | 日記
 なんていうのは大袈裟かもしれませんが、一日一日をどうにかこうにか、ようやく生き延びている毎日。昨夜は眠剤にたよったにもかかわらず、寝なければと焦りストレッチをちゃっとすませて布団に入った結果、しばらく寝つくことができませんでした。頭の中が飽和状態で、頭ばっかり疲れすぎていたようです。それでもって朝はすごい喉の渇きを感じて携帯アラームが鳴るまでまだあるなあという時間に目がさめてしまいました。明るさでなんとなくわかります。よくないですよね、眠剤なんて。口の中が気持ち悪いし喉が渇くし、ほんとはのみたくないです。緊張感と寝なければのプレッシャーに勝つことができずにのんでいるだけ。今夜はほろ酔いで眠れるかなあ。明日はまだ木曜日、金曜日だったらいいのにと思いながらの木曜日、一週間でいちばんつらいところ。ほんとに濃くって濃くってぶったおれそうな毎日。きく人がいなくって、ききづらくって、でもわからないことだらけだし、ほんとに疲れてしまって胃の痛みがとまりません。こんなにきつい仕事をしているのに、苦労して家賃払っている部屋に帰ってきても心が休まらないというのはきついです、ほんとにきついです。古い建物、廊下せますぎ。こんなところによく人が住み続けてきたなあって思う建物。仕事にもいかず、どこにもいかず、平日も土日祝日も関係なく、朝も昼も夜もずうっと部屋にこもっているオッサンの物音や喉を鳴らすような音とかめっちゃ聞こえてくるんですけど、どういうことですかね、気持ち悪くって仕方ないです。部屋を出るとオッサンの部屋のドア、すっごい近いんですけど、こんなんいやや、はよ出たい。家賃と住人のクオリティーは比例するのだということを学びました。稼ぎが悪いから、給料安すぎるから自分にはこれだけの力しかないということですけどね、アハハハ。年度末の作業、終わりがみえてきましたが、できていないことだらけの上にささらにどんどん何かが起こるし、書類がくるし、そんなにできないよ。

 もうやめましょう、あと少しいやしのみりらん動画などみたらお風呂に入らねばです。ちっそくしそうですが、好きなものがあるから宝物があるからなんとか過ごせる部屋。小さめの衣装ケースとお別れしました。50センチ以下なので粗大ごみではなく一般ごみとして廃棄。明後日はようやく紙ごみを出せる金曜日。一週間長いね。

 写真は本文とは全く関係なくメガネ男子の清史郎君。入魂の清史郎君の演技みたいけど、テレビ処分したのでね、残念。清史郎君、すっかりイケメンだけど基本は泣き虫与六の頃と変わらないのがうれしい。しばしいやし。

 平日のグチ日記、今日も長々と失礼しました。

わからないことをきくのはむずかしい

2018年04月24日 22時30分01秒 | 日記
 今日も朝からどんより曇り空。また重い参考資料を持ち歩いての研修でした。とにかく重くって重くって足が痛いです。頭の中飽和状態でどっちみちちっそくのつらい状態。みなさんお疲れ状態でどんより。それでもストレスフルモードでどんよりの就労場所よりはまだましなのかな。なんか行きづらいなあと思います。わからいこと、知らないことはわたしの罪ではないですが、わからいことをきくのはむずかしいです。色々なことがありすぎて、ひとつひとつむずかしいことばかり、いちいちきかないとわからいことの連続。一度や二度きいていても忘れてしまっていることの連続なのに、机の配置がよくなくって、気がついたらわからないことをきける人が近くにだれもいないこともよくあります。こんな席いられないっていう意味がようやくわかりました。あと6カ月と10日ほどになってきたのですが、数カ月やってきてこんな基本的なことを知らないままやってきたっていうことをようやく知った次第ですが、こうして勉強しても終わりは決まっているのですが、どこまでやれるかわかりません。やるしかないのですが、自分ほんとに来てよかったのだろうかという想いをずっとひきずっています。一か月前ウィルス性胃腸炎で一週間ぼうにふってしまい、有給休暇もほとんどなくなってしまったうえにすっかり自信喪失状態から抜け出せません。アルバイトだから権限がなくってやれないこともあって職員さんにやってもらわないといけないこともあるし、ようやく基本のキを知ったわたしには難しすぎて理解できず手間もかかるし、職員さんにとっては説明しているよりも自分でやった方が早いっていうこともあるし、なんだかね、こいつは大丈夫なのかって気を遣われながらいるのも疲れるし、こんな一般人の感覚ではわからない奴らを相手にするような仕事やめておけばよかったかな。期限付きだってわかっていることやめておけばよかったかな。でも会社で働くことはできなくなったわたしにはこういう道しかなかったかな。わかりません。この部屋を一日も早く出たいし、また失業者になって持ちこたえられるだけの力はもうないし。これからどうやって生きていけばいいのか。明日はまた小さめの衣装ケースとお別れします。先日も着古した服とお別れしたし、中身がなくなってくると収納用品ってほんとにいらないんだなって思います。少しずつ、少しずつ。

 明日はまだ水曜日。もう少しゆっくりしていたいけど明日のためには休まねばです。明日も明後日もどんよりだってわかっているので気が重いです。もうやめましょう。ちょっとだけいやしのみりらん動画をみたら休まねばです。足痛くって起き上がれないよね。

 今日も長々とグチ日記失礼しました。

どんよりと一週間が始まりました

2018年04月23日 22時22分06秒 | 日記
 昨日は夕方から二週間ぶりにスパへ。ミストサウナに入っているときたない汗がどんどん出てきてびっくりしました。ほんとになんだかきたなく澱んでいる感じがしました。そりゃそうだよね、眠れないとつらいからのみたくもない眠剤を一週間に三度ものんでしまったし、良識ある一般人の感覚ではとてもついていけない、マイナスオーラをはなっている奴らに毒されているんだから仕方ないよね。結局また二時間ほどサウナにジャグジーに炭酸浴にて汗を流してようやくなんとか生き返りました。そのそばから昨夜はまた眠剤をのみました。このちっそくしそうな部屋で緊張しながら寝なければのプレッシャーに勝つことができずに頼ってしまいました。なんか起きるの辛いなあからの月曜日。なんとか出勤した就労場所は朝からどんよりとしていました。人事異動と担当変更で、先日からわたしの指導担当になった方は教えているよりも自分でやった方が早いっていうのがあからさまな方。自分自身の仕事の引継ぎでも相当イライラきているみたいで、その上にわたしの面倒をみなければならないのにイラついている感の会話を、わたしが出勤すると、わたしの机の前でしていたみたいんですっごいどんより。わたしなんだか居づらくって気持ちがさがりました。今日の空のようにどんより、どんより、どんより。ほんとにどんより。まあそういう気持ちわからないでもないけどさ、わたしだって大会社で働いていた時人が激しく入れ替わるとそう思ったけどさ、それってわたしのせいじゃなかったし、今わたしが知らないことばかりなの、わたしの罪ではありません。仕方ないじゃん。何カ月もやっているのに先日ようやく基本のキを知る機会があったばかり。なんにも知らずに誰かが教えながらやるという前提のアルバイトとして雇っているんだから仕方ないじゃん。アルバイトなんだからできないこともあるの仕方ないじゃん。わたしが決めてそうしているんじゃなくって組織としてそう決まっているんだから仕方ないじゃん。わたしの罪ではないんですけどね、わからいことでてきてもききづらくって、やりづらいです。しかも席は隣ではない。ついつい隣の方に声かけやすくってきいてしまったりしまいますが隣の方は指導担当ではなくて、指導担当はお向かいの方。なんだかなあ、上の人たちが考えてくれたのかもしれないけどすごくビミョウ。午後の訪問先もほんとに気持ちがさがるばかりのどんよりとした場所で、猫のえさを踏んづけてしまい、替えの靴下をもっていかなかったことを後悔しました。あと6カ月と10日ほどになってきましたが、このまま次々とわからいことばかりで、わからいことをきくのに気疲れしながら、自分ができない分をやってもらううしろめたさを感じながら、有給休暇はほんのわずかでやり遂げられる感じはありません。一ヵ月前ウィルス性胃腸炎になった敗北感みたいなの、ずっとひきずっています。やり遂げられたとしてもその先に希望はないからなおのこと気持ちはつらいです。この、水漏れが起きていたちっそくしそうな部屋を契約更新したくない。どうすればいいのかわからないまま少しずつ地味に荷物減らしながら明日はまだ火曜日。疲れますけどまた研修にいきます。どんよりとした場所にいくのとどっちがいいのか、きついのでどっちもどっち。全くどうでもいいことですが、大会社で二人分労働をしていた頃、もう一人は毎日出社しないアルバイトしかいなくって同じフロアに入ることになった別の部署の派遣社員からやりにくいって言われたの思い出しました。そういう体制にしたのはわたしではなく上の人たちの決めたこと。わたしのせいではないのに、まるでわたしの罪であるかのようだった。そういうのカンベンしてほしいです。ちっそくしそう、引きこもりのオッサンの喉をならす音が丸聞こえのこの部屋も就労場所もほんとにどんより、ちっそくしそうです、あー、ちっそくしそう。つらいなり。明日はまた研修。こい奴らの電話から解放されるだけいいか。

 平日はこんなグチ日記の連続、月曜日から長文失礼しました。

ミュージカル『ダディ・ロング・レッグズ』_思い出し日記(1)

2018年04月22日 18時15分29秒 | ミュージカル・舞台・映画
 2017年11月8日、18時30分開演を観劇しました。とってもあったかくて優しい、幸せオーラに満ちた舞台でした。今の業務をスタートする目前、最後の心のエネルギーチャージでした。直前になんとかボックス席がまだ残っていて観劇することができました。2014年3月に上演されたときは、当日券ありとの情報をみながら大会社から使い捨てにされて先が見えない中お金を使うことはできないとあきらめました。3年越しで願いが叶いました。二人だけの舞台。三人だけのオーケストラ。途中からこれは生演奏なのかなと気づいたのですが、弦楽器の音色が心地よくって生演奏はほんとにいいもんだと心に沁みました。ブログを振り返ってみるとわたし、就労開始を控えて緊張していたし、気持ちが慌ただしかったからか当日はなにも書いていませんね。ゆるりと観劇日記を書けたらいいなと思いながら時間切れになってきました。スパに逃げ込んできたのでこれからお風呂にはいってたまりきった毒を洗い流し、また明日からの濃い一週間にそなえなければなりません。連休中に書けるかな。『足ながおじさん』原作のやさしい、やさしい舞台。井上芳雄さんも坂本真綾さんも素敵でした。上手に演じているというよりも劇中のキャラクターに同化している感でした。プログラムを読み返しながら、ゆっくり書けるといいな。

 終演後井上芳雄さんのプリンス・ロードをみました。クリエの前で一人ずつ握手ながらお話されていてこんなところが愛される所以ですね。ルドルフデビューをみているので、トート役といい、ここまで成長されたの、ほんとになんともいえない感慨深いものがあります。ずっと仕事されていていつ休んでいるのかと心配なぐらい。どんどん次の舞台で出演されていますが、わたしはようやく思い出し観劇日記を書こうとしています。今度の休みにね。平日はまたへたれのグチ日記になります。


 お向かいの東京宝塚劇場では、朝夏まなとさんの退団公演中でした。クリエの開演前シャンテ横のカフェで食事しながら入れない東京宝塚劇場を眺めていました。どんどん様変わりしていくので、舞台との出会いは一期一会。