たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

Another Worldに行くにはまだちと早いはず・・・

2019年07月31日 22時44分52秒 | 日記
 最寄り駅に着くと自転車置き場には熱風が吹きだまっていました。アスファルトもあったまったままでものすごく暑かった。天気予報をこわいけどみました。明日から土曜日まで最高気温が38度とか37度か36度とか。横浜よりも暑い。朝自転車で最寄り駅まで行く道がものすごく暑かったですが今日よりもさらに暑くなったらリアルに命の危険を感じます。頭ばっかり疲れて平日は5時間眠れるか眠れないかの日々。頭おかしくなりそうな、やってはいけなかった業務内容。睡眠不足では注意力が落ちて車に轢かれそう。色々な意味できつい。体も心もきつい。鉛筆を持つ手にものすごく力が入ってしまったいるので手も腕もしびれています。足腰も痛みます。康次郎さんの蓮の舟の乗り心地も悪くなかったですがAnotherWorldに行くにはちとまだ早いはずだと思いたい。次に大劇場へ行くまで死ねない。生き延びられるかしら。家の中も冷房の風が届かないところは高温注意報。週末にかけて試練の灼熱地獄。生き延びねば・・・。

長い7月がようやく終わろうとしています

2019年07月31日 18時54分40秒 | 日記
 昨夜は眠剤半錠で無事ねつくことができましたが4時頃お手洗いで目がさめて、その次は6時頃目がさめてしまいました。股関節悪い右足がつっていました。左足も自転車疲れでふくらはぎの痛みがひどくいつも足がつりそうになっています。灼熱地獄の中を自転車で行くのはいくつもの意味で命を危険を感じます。道路脇の雑草がものすごい勢いで伸びていて手入れされていないので視界を遮られたり、ぶつかりそうになったりしています。いなか暮らしは命がけ、車に乗らない人はいきていくことができないです、町がそのように作られています。あっちもこっちも車で吐きそう。仕事も吐きそう。やってはいけない仕事だった、不合格通知でよかった、辞退すればよかったと今日も心のなかでうらみごとを吐きながらの一日でした。昨日電話で違うことを言ってしまったかも、ネットで復習しなければと朝電車でスマホをみてしまったので頭くらくら。灼熱地獄のなか、いつ倒れてもおかしくないぐらいに頭はくらくら。一秒でも早く終わりたいと思いながら、たまってしまった書類ひとつひとつつっかえてなかなか進みません。締日があるってわかっていなかったです。いやですね、締日って。やらねばと寝ながらもがいています。職員もそんなわかっていなかったりする書類に時間とられたり、なんかほんとにきつい。これをあと何ヵ月もやるのかなあ、早く終わりたい。そればっかりです。はきになりながらかつかつとやっていた3時過ぎぐらい、地方弁丸だしのオヤジに電話で怒られてさらに吐きそうになりました。地方だから地方弁あたりまですが30年離れていた自分には汚なく聞こえてしまいました。方言が汚い言葉にしか聞こえない自分いることに気づいたこの頃。集合じゅうたくの大変さもよくわかっていますが不便過ぎるし、場所悪すぎるし、弟はわたしがうざいからいられないです。賃貸でいくのか今から購入するのか、老い先もう長いとはいえないポンコツ。家がもう少し駅に近く便利な場所にあったら違う人生を歩んでいたのかなあとばかなことをふと思ったりしています。


 明日と明後日はさらに灼熱地獄の予報。この地域で訪問のある仕事に就いていたら死んでしまっていました。収入の口にたどり着いた時には郷里に疲れ果ててしまっていました。それでこんなきつい仕事をやっていくのはきついです。ほんとにきつい。電話をとっていると終わりません。来週の月曜日休みたい夢はたぶん遠ざかりました。

 明日はまだ木曜日、いちばんきついところ。灼熱地獄のなかを自転車で走るのはリアルに死んでしまいそうです。きびしい毎日。

ほんの束の間、笑おう

2019年07月30日 22時00分18秒 | 日記
 今日も朝から熱波、降水確率60パーセントの予報はどこにいってしまったのか、わたしが熱波にさられるのは駅と家の間の往復、就労場所と最寄り駅の間の往復、そしてお昼休みだけといえばだけなんですがものすごく暑いですね。陽射しがささります。日傘は使わないので冷房対策のジャケットやストールをかぶってなんとかしのいでいます。向こう10日間の天気予報をみるだけで頭くらくらなります。家の中も冷房の風が届かないところはかなりの高温。帰りに寄ったコンビニは飛び上がるぐらい冷え切っていました。一歩外に出れば熱風。これでは体がおかしくなります。生きてこの夏を乗り切りことができるのかしらと不安になります。昨夜も眠剤一錠、すぐに寝つくことができて6時近くまでぐっすり眠っていたようですが、お手洗いに行った後は仕事のことが頭の中を駆け巡って緊張してしまいもう眠ることができませんでした。

 火曜日、今日も一時間ほどボランティア残業。管理職は早々に帰っています。どうなっているんだか。自分が残業するの具合悪いってわかっていても電話で時間とられて担当分の書類確認が遅々として終わっていかないので電話が鳴らなくなったあと落ち着いてやらざるを得ないです。あと2分でお昼休みという11時58分にいちばん近くの電話が鳴ってしまったので出ざるを得ませんでした。知っているといえば知っているはずのことをきかれても咄嗟には出てこなかったので資料をみてあたふたしながら答え方をおしえてもらおうとしましたがチャイムが鳴り、お昼休みなので昼当番の人にきいてくださいって言われました。いやいやわたしだって昼休みの時間なんですよ、って心の中でつぶやきながらなんだか涙が出そうになりました。仕方ないといえば仕方ないシチュエーションだったのかもしれませんがなんだかね。結局お昼休憩は12時15分ぐらいからとって13時に間に合うように戻りました。だって時間がおす分遅れて戻ってきていいですよって言われないかぎり一時間はとりにくいじゃないですか。余裕のある時は時間おしたらそこから1時間とってくださいって言ってくれましたが書類終わらなかったときは昼休みもやってくださいって言われたことあるから・・・。あれもこれも移行期で問い合わせの電話は鳴りやみません。連休明けからすっごい時間とられるようになりました。ひとつひとつわからないのでなおさら時間とられます。だってひとつひとつ全部違うからわからないんですよ、ほんとに。こんな基本的なことも自分は頭に入っていないのかと気づかされたこともあり夕方お茶しながらネットで調べなければと思いましたがそんな余裕はなく頭の中ぱんぱん。同時にいくつも入りません。吐きそうです。どうやら以前ボランティア残業している時に優しく声かけてくれた男性は仕事が滞っているっぽい。4月に異動してきてやり方違うので参っているという人も仕事ができているのかどうかわからないですが浮いているとわかってきました。仕事できる女性たちができない人たちに対してストレスをためていて色々と言っているのがすぐ隣から全部きこえてきます。どこらへんからが悪口レベルなのかわたしにはわかりませんがこういう所にずっといるだけも疲れてしまいます。こんな頭の体操しているみたいな、不特定多数から怒りぶつけられの仕事なんだろうなってふと思います。明日ようやく月末、7月の終わり。長いなあ、長い。自転車疲れひどいですが、それ以上に頭の疲れがひどいようです。締め日まであるので気持ち追い詰められても仕方ないです。こんな仕事で自分を追い詰めなくてもいいのだよ、自分。夢に見なくていいんだよ、自分。

 束の間だけど、笑おう。

 紅さん率いるメンバー、楽し過ぎます。コンサートがあったの。2011年12月21日だったんですね。8年近く前か。大震災のあった年の暮れ、関西は関係なかったと思いますが関東から東は総うつ状態。笑って救われた方もたくさんいらっしゃったのではないかと思います。このメンバーで歌う「栄光の架け橋」、響きます。美弥さんがんばってって送り出されてそのとおりにすごくがんばったんだろうなということもわかりました。リアルタイムで知っているファンの方々が復活を望む気持ちもすごく理解できました。楽しいですよね、笑いは大切。再映像化、ありがたし。

清史郎君、お久しぶり

2019年07月29日 22時22分19秒 | 日記
 二年前帝国劇場の客席で遭遇して以来の清史郎君、ますますさわやかイケメンになってる、背伸びてるよね、次回のレミゼに帰ってくるかな。憲ちゃんは昨年のるろ剣以来。湧君、背がすらとした美少年。次世代のミュージカル界を背負っていく役者さんたち。清史郎君の次の舞台、観たい。その時まで死ねない。疲れて疲れて外は熱風拭いているし、中は寒いし、まだ月曜日なのにかなりへばってる、きつい。でも死ねない。いっときは車椅子生活を送っていた80過ぎのおばあちゃまが紅さんに会うためにどこからかわからないですが一人で新幹線に乗って大劇場まで遠征したというエピソードをツィッターで拝見。会いたいが生み出すときめきエネルギー、すごい。

月曜日からつらい

2019年07月29日 19時14分52秒 | 日記
 長い一週間が始まってしまいました。昨夜眠剤1錠で6時間ほど眠れたのは幸いですが、今週もつらい一週間の始まりとなりました。あれもこれも移行期で電話がなりやまず、出ているとひとつひとつわからないのでききながらやっているから時間くいます。そうこうしている間に自分の手元の書類は父として進みません。早く5時15分になればいいのにと思うのですが、5時15分になっても自分の仕事は終わっていないので微妙なところです。結果電話がならなくなった5時16分以降にやらざるを得ません。ようやく落ち着いてやれる時間。でもわたし時間外はつきません。たぶん本当は時間外をしてはいけない立場で、管理職に帰ってくださいって言われたのですがでも終わらないんですよね、電話に出ていると。だって無理ですよ、あれもこれも、これもあれも、あっちもこっちも、こっちもあっちも同時に頭にいれるなんて。いい加減な気持ちでやっているつもりはないし遊んでいるわけでもない。職員だってわかっていないことをそんなに無理ですよ。むずかしいのでほんと職員もわかっていないのだとわかってきました。そのためにも時間くいます。以前ある人にきいて教えてもらったことで電話対応していたらたまたま隣できいていた指導員にそれは電話で言ってはいけないことになっていますって言われて、自分わかっていないからそのあとのフォローに冷や汗かきながら、勉強不足で申し訳ありませんと謝りながらなんとか切り抜けました。この時わからかったことをマニュアル読んで復習しなければと思いましたがおなかいっぱい、吐きそうなのでスマホで調べるにとどまりました。こういうことをもっとちゃんと説明していれば向こうも安心できたのだろうと反省。人によって言うことが違うというのも困ります、むずかしすぎます。意地悪な電話もありました。自分も以前◯◯でしたからこれぐらい知っておいてもらわないと最後に言われ、その前自分のところにきた通知は詐欺なんじゃないのかとか、おそらくわたしが非正規で採用された者だということをなんとなくかぎわけてカマかけてきたっぽい。現役時代自分もすごく怒られたんでしょうね、すごく色々言われたんでしょうね。自分がされたから立場を離れたらはらいせに自分も同じことをする。相手がいやだとわかっていることをする。いやだとわかっているからする。人っておろかなもの、自分勝手なもの。ああなんて意地悪。もうこういうところで働きたいなど考えることはやめようと心に誓う日々です。一日も早くおわりたいです。一秒一秒、一分一分、終わりに近づいているのだといいきかせています。今日またなんとか一日減りました。あと何ヵ月か考えるのはやめましょう。ああ吐きそう。3年前も苦痛でしかなかったので10ヶ月と3周間がとてつもなく長かったです。それよりは少し短いですがながいなあ、長い。

 外は熱風、朝から暑くて暑くて自転車はきついです。明日は少し雨がふるの?かな。ずっと35度超の予報。次に大劇場へ行くまでは死ねない、今はそれだけです。19日のライブビューイング当たれば休みます。その前にも一日休みたいとおもっていますがちょうどしょるがどんどん回ってくるタイミングだし次の締日もやってくるので無理っぽい。電話で時間くわないためには復習しかないって言われましたがこれ以上入りません。吐きそう。

 帰ったららお弁当食べながらDVDみたい。

 慣れないこと尽くしの郷里をもう離れたいですが、自分の居場所ではないとわかったので離れたいですがそのためには多大なお金とエネルギーがいります。これからどこでどうやって生きていけばいいのか、こうして踏ん張り続けていることが正解なのか、答えはみえません。

2008年『フェルメール展-光の天才画家とデルフトの巨匠たち』_壊れた壁のあるオランダの町の眺望(2)

2019年07月28日 23時03分35秒 | 美術館めぐり
ダニエル・フォースマール
(デルフト1622-1669/70 デン・プリール)

《壊れた壁のあるオランダの町の眺望》

 1660-65年頃

「ハートフォードのワーズワース・アテネウム美術館やデルフトのプリンセンホフ市立美術館にある作品には、街の黒焦げた廃墟や、焼け散った木々、粘り強く被害者の救護にあたる救助隊員などが、新教会、旧教会、聖ヨーリス病院などといったデルフトが誇る有名な建築物を後と景に、横幅を最大限に生かした構図で描かれている。これらの作品は、街の破壊的なさまを広範にわたり描写しているという点で、爆発事故そのものの様子とその余波を描いたエフベルト・ファン・デル・プールの作品ときわめて類似する。どの作品にも、惨劇をすぐさま描いたことを主張するかのごとく、1654年という年記が入っている。

 しかしフォスマールは、復興に向けて動き出した街を縦型の構図でも描いている。フィラデルフィア美術館のジョン・G・ジョンソンのコレクションにある作品でも、全景に「デルフトの惨事」後の廃墟を、後景に新教会の尖塔を描写してはいるが、散策するカップルや、そのそばにいる包帯を巻いた少年-間違いなく事故の被害者である-と輪遊びをする少女を添えている。右側には雑談を交わす男性二人の姿も見える。惨事がヨーロッパ中の関心を集め、野次馬や、ボヘミアン国王の未亡人、エリザベス・スチュアート王妃などといった慰労訪問者がデルフトに引き寄せられ、惨劇を目の当たりにしたことが知られている。フィラデルフィア作品には青々とした木々が登場する。それ以前の作品に描かれていた焦げた大地も姿を見せない。事故から数えること一つ、二つの季節が過ぎ去ったのだろう。とは言え、多くのがれきはなお残っており、復興にはその後も数年が費やされた。


 本作品にも、木の葉や、手入れされた庭とおぼしきものが後景に描かれている。日常生活が戻りつつあることがしのばれる。しかし、廃墟、なかでも驚くほど爆心地に近い場所で描かれた一画などが、街の負ったいまなお癒えない傷を物語っている。とはいえ、風景上の傷として人目をひく歪んだ植物や壁をおおう蔦を思わせるものは微塵もない。その大胆な空間構成は、フォスマールがファブリティウスの同僚にして共同制作者であったことを思い起こさせる。フォスマール作品に、爆発で消滅したであろうこの有名な巨匠の諸作品がこだましていると指摘する者もいる。実際、興味深いこに、本作品におけるフォスマールの大胆にも断片化され、遮断された空間の使い方は、ファブリティウスの《歩哨》の諸特徴のなかに見出すことができる。どことなく不安げで、悲嘆の感情が沁みわたる本作品は、詩人のヨースト・ファン・デン・フォルデルがデルフトに捧げた弔辞を思い出させる。彼は、デルフトの廃墟を死体に埋め尽くされた教会墓地にたとえ、ついこの間、オランダの人々の救いの象徴となった火薬庫の倉庫が、一瞬にして破壊者に化すという皮肉を指摘したのだった。」







届いた、元気出そう

2019年07月28日 14時24分09秒 | 宝塚
 再販が発表された直後に予約していた紅5のDVDが届きました。7月30日発売予定となっていたので平日は受け取るのきびしいなあ、次の土日になってしまうなあと心配していたら、こんな人たちのために、日曜日に届くよう前倒しで発送してくれたということですかね。だとしたら、タカラヅカクリエイティブアーツ、サービスのクオリティ高いです。ありがたい。これで長い二週間を生き延びていけるかしら、生き延びていけるはず。

 台風通過からの熱波、冷房使っていると弟に怒られましたが使わないと死んでしまいます。外はものすごく熱い、暑い。一昨日の夜眠剤を使わずやっと6時間半ほどの睡眠、昨日も眠剤を使わずやっと8時間余りの睡眠。眠れると頭が回転するし気力も回復してきますね。睡眠は大切。昨日はまだ大雨が降る中を30分ほど自転車に乗りまたお風呂屋さんへ行きました。都心のスパを懐かしみながら、とにかく一週間溜まり切った毒を洗い流したかったし股関節と足が痛いのをほぐしたかったので行きました。まだ雨が降っている中をいつものごとく何種類かある露天風呂に出たり入ったりして過ごすこと2時間。あったまって汗が出たところで水を飲んで冷水をかけてまたあったまるを数分単位で繰り返すと生き返ってきます。疲労が蓄積されていることを実感しました。悪夢のような、ほんとに吐きそうな平日、こうして毒を洗い流さないとリアルに死んでしまいそうな気がします。やるだけやったのでいつやめてもいいという余白を自分に許しながら、収入は必要なのでつらくてもふんばるしかありません。また家を出るためには何十万も必要だし、収入がないと何の発言力もないし、自分のごはんを自分で買うこともできません。観劇することもできません。住民税の請求もきています。まだ開封していませんが社保加入の前の保険料の請求書も届いています。だから8月分の給料は必要。そのためにふんばる。ただそれだけ。台湾旅行に行ったしね、やめることができないようにするために行ったようなもの。

 一度リセットボタンを押したいと選んだ帰省の道。リセットボタンをちゃんと押せたのかどうかわかりません。ここは自分がずっと生きていく場所ではないことが確認できた帰省。歳をとってから生まれ育った所に戻ったあと事件を起こすのは極端な例だと思いますが、便利なら話はまた違ってくるかもですがさびれた所に戻るのは賢明なことではないようです。別に山奥ではないですが公共交通機関が整っている首都圏の生活とは雲泥の差。これからどこへ旅立っていきましょうかね。もう少し荷物を減らしたい。減らしてまたどこかへ旅立っていきたい。

 こうしてDVDを観たいとか、大劇場や東京まで観劇に行きたいとか思えるうちはまだ大丈夫なんでしょうね。この気力をなくした時が人生の終わりなのかな。あらたな家族をもつことに夢を描けなかった人生。なんのために生きているのかわからないと思うこともありますが自分のために生きればいいのだと思います。

 過酷な一週間が待っています。車危ないし、死なないように生き延びることが最大の目標。来週の月曜日休めたら梅田芸術劇場に行こうかなと目論んでいるのですが無理かな・・・。


 あきらめなかったから今がある。イバラだらけだったであろう道のりの、たどり着いた先はこうして劇団をあげて送り出してくれるというあたたかみ。このまま日本で生き続けることに希望を持てません。希望をもてるニュースがほとんどありません。そんな中であきらめなかった一人の女性がいるということは希望の灯。だからにわかファンでも歌劇の殿堂みていて心がふるえました。


旅の思い出_飛騨高山(2)

2019年07月27日 16時22分24秒 | 小さな旅の思い出
 過去から解き放たれていくために、家族は幸せなものだと信じて疑ったことなどなかった頃の自分語り。

「1984年9月23日(日)

はじめての高山の夜です。
〇っぺさんとの二人の旅です。
空は快晴。
高山の街は落ち着きがあってなかなか良い所。
屋台は豪華で綺麗。
今度、必ずお祭りの時に来てみたい。
連休なのでやはり人が多い。
思ったよりものんびり回れてよかった。
夕陽がなぜかとても新鮮でなつかしく思われて、忘れていた時が戻ってきたみたい。」


「1984年9月24日(月) 快晴

6:00 起床・食事
8:00 レンタサイクルで飛騨の里、飛騨民族館へ。
12:00 高山陣屋
    駅前の食堂にて山菜うどんを食べる。
    三之町でおみやげを買う。
    ”イフ”にてアイスオーレ。
14:51 高山発
17:40 ●●着
18:25 自宅着」

「帰宅後の記

楽しかった旅も終わりました。
今回の旅は天気にも恵まれて
ちょっと暑いくらいだった。
〇っぺさんとも気楽に過ごせて
一人もいいけれど、時には誰かと一緒がいいな、
写真もたくさん撮れたし、
今度一緒に神戸に行きたいねっていってた。
外人さんも多くて、高山には。
みんな元気がよくて、気取りがなくて感心してしまった、お話できなかったのは残念だったけれど。
というわけで、明日からは仕事頑張るぞ」

飛騨の里・飛騨民族館









飛騨民族考古館





高山屋台会館





高山陣屋





飛騨高山観光案内図





 この時一緒だった高校時代の同級生と今は付き合いありません。郷里を離れてからも年賀状のやり取りは数年していたと思いますが、いつ頃かな連絡きても返信しませんでした。今はわかりませんが1984年頃郷里にはまだ適齢期という言葉があって、彼女もそんなお年頃になると当たり前のようにお見合いを繰り返していました。(そんな話今思えばわたしほとんど興味なかったですね。)そして母親が病気で亡くなったのでまだ20代半ばだけど早く結婚したいという男性のところへお嫁に行きました。そんな彼女にすごく違和感をおぼえて、まあ結婚披露にはお呼ばれしたのですが、なんか母親のかわりに家政婦をしてくれる女性が早くほしいってことじゃないかって思ってしまったのでした。彼女は素敵な人だからと喜んでいましたけどね、なんか、そういう地方の風習というか、そういうものに自分は当てはまらない気がしたのも家を離れて都心へ出た理由の一つだったのかもしれません。全くどうでもいいですが一応わたしも適齢期に見合いらしきことを二度か三度したことあります。なんと自分に似合わないことかと逃げたいばかりでした。どっかのオバチャンが突然建て替えたばかかりのデカイ家の玄関にあがりこんできて適齢期の娘の顔をみに来たりね、いやでしたね、すごく・・・。



来週は熱波がくるのか

2019年07月27日 13時30分00秒 | 日記
 週末が台風ってわかっていなかったですがとにかく平日でなくてよかったです。自転車に乗れないし電車も動かないだろうし大変なところでした。台風が通過したあとの来週は35度近い日が続く予報。きびしい。中は寒すぎで外は熱風。死んじゃう。いや二週間後にまた宝塚大劇場に行くまでは死ねない。星組さんも東京公演が始まった雪組さんも梅田芸術劇場公演が始まった月組さんも無事に過ごせますように・・・。

昨夜また眠れず、三時間睡眠

2019年07月26日 22時50分21秒 | 日記
 体もかなり疲れているはずなのに、それよりも頭が疲れすぎているからなのかな、昨夜は眠剤半錠で回す1時頃布団に入りましたが寝つけず、2時を回ったころにさらに半錠のみましたが寝つくことができず、よくないとわかりつつさらに半錠のんだ時には4時を回っていました。その次に6時頃お手洗いで目がさめて、その次には7時前に目がさめてしまいました。これで頭がしびれてくるような仕事をよくやったよな、よく死なないでいられるよなって自分ながらに思います。たった2カ月でこれもあれも、あれもこれも、こっちもあっちも、似ているようで違うあんなこともこんなこともに頭こんがらがりながら、わけわからないまま全部違う内容の電話に出て、ひとつひとつ答えなければならないの。やっとひとつ終わって自分の手元の書類を確認できそうなタイミングになった途端また電話が鳴るので出なければなりません。それでもってまたわからないからアタフタ時間かかって手元の書類は進まないし、それもまたわからないことや知らないことが次々と出てくるし、電話で中断されると慣れてないから間違えるし、涙でそうでした。わけわからんまま説明して時には怒られるし吐きそうです。吐くよこれは、ほんとに。これがまだ続くの、一日も早く終わりたい。もういいやね。職員もわかっていない人はわかっていない様子。一年ぐらいやるとようやくわかってくるのかもしれませんがこれはもう3カ月もやれば十分。ずっと頭の体操しているみたいでつらい。こんなにややこしいの、一般人がわからなくて当然だよなあ。吐きそう、あーきつい。収入は必要なので歯を食いしばっているだけ、食いしばり過ぎて食いしばる歯がなくなりそうなぐらに食いしばり続けてきたのよ。もう十分すぎるぐらいにがんばってきたのよ、だからこれ以上わたしに「頑張ってね」とか「頑張れ」とか言わないでほしい。もうがんばりたくないのよ、自分にがんばらなくていいんだよ、って言ってあげたいのよ、本当は。

 土日は台風で来週はさらに猛暑?郷里近郊、外は首都圏よりもさらに熱風吹いているし、中は寒すぎ、死んじゃうよ、いやいや二週間後は星組。それまで死ぬわけにはいかないのだ。今夜が眠れても眠れなくても眠剤はのみたくたい。お疲れ様だよ、自分・・・。