たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

宝塚歌劇in東京スカイツリー_ラウンドシアター(3)

2018年12月31日 23時32分53秒 | 宝塚
2018年3月31日記事、宝塚歌劇in東京スカイツリー_ラウンドシアター(2)https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/aa0a2a551f1951426abd606ff495fbd3

 やっとこちらの続き、

3月から5月にかけて開催された東京スカイツリー、ラウンドシアターでみる宝塚、350階の夜景がみえるガラスがスクリーンで映像が映し出され、テンションがあがりました。

ブレブレなので雰囲気だけ。

花組が『ポーの一族』、月組が『All for one』、雪組が『ひかりふる路、SUPER VOYAGER!』、星組が『ベルリンわが愛、Bouquet de TAKARAZUKAブーケド・タカラヅカ』、宙組が『神々の土地、クラシカル・ビジュー』でした。






















350階展望デッキのトップスターさん



展望デッキからの夜景





展望回廊のなりきりトップスターミニ階段



展望回廊の輝きの軌跡展より、「舞台を彩った娘役たち」



帰りに地下鉄へとのりかえる出口をさがしていてみかけたお雛様。
スカイツリーにいったのはお雛祭りが近い頃でした。



 なかなか今年の備忘録は今年のうちにというわけにはいかず来年へとたくさん持ち越し。整理しているとあれもできていない、これもまだできていない、こんな写真もありましたと次から次へとたくさんでてきます。少しずつ、少しずつ、と思います。

 お正月の宝塚大劇場『ポーの一族』に始まり、今年も舞台からエネルギーをもらいながら生き延びた一年でした。年末年始は一時間に一本の巡回バスも走らないので。出かけることができずちょっとつらい感じの年の暮れ。それでもこうして迎え入れてくれる、居場所があるというのはほんとにありがたいと感謝の気持ちで一年を終わりたいと思います。不安だらけですが、来年も舞台に助けられながらなんとか生き延びていきたいと思います。

 一年間にわたり、ほとんど毎日ブログを書き続けました。書くことは生きること。ささやかなブログへの訪問、ありがとうございました。よろしかったらまたのぞいてください。

「この世は極楽、いのちに感謝や」
 (『Another World』より、紅ゆずるさん演じる康次郎さんの台詞)

 無事に新しい年を迎えられることに感謝しつつ・・・。




 

茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_無条件に愛されることで人は救われる

2018年12月30日 22時29分34秒 | 本あれこれ
「無条件に愛されることで人は救われる

 自分の居場所を見つけることは、幸せに生きるための大事な要素のひとつだと思います。自分の居場所とは、外でどんなにつらいことがあっても安心して帰れるところのことです。そして、そこには自分のことを受け入れ、無償の愛を与えてくれる人がいなければ安心できる場所とは言えないでしょう。

 『赤毛のアン』は、短編集を除けばシリーズで八巻までありますが、マシューは、第一作目で亡くなってしまいます。でも、全編を通していちばん印象に残る人のひとりです。それは、生まれてすぐに両親が亡くなり、その後孤児院を出たり入ったりする生活で肉親の愛情に飢えていたアンにとって、初めて無償の愛を与えてくれた人だからです。マシューがいたからこそ、アンのその後の人生すべてがある、というくらい大きな存在なのです。

 マシューは、内気で無口な六十代の独身男性。知らない人の中や、口をきかなくてはならない場所に出るのを、もっとも苦手としているような人物です。そして、同じく独身で五十代の妹マリラとふたりでグリーン・げーブルズに住んでいます。町では、変わり者として通っており、農業をやっているのですが、その経営感覚もあまりなく、すごく不器用。

 しかし、マシューは、最初から非常にいろいろなことを感じる能力に長けた人として出てきます。だからこそ、いちばん最初に、マシューがアンに感化され、彼女をグリーン・ゲーブルズに置いておきたいと思ったのです。

 また、マシュー、マリラ以前にも、アンに対して無償の愛を与えてくれた人たちがいました。その愛があったからこそ、アンは孤児院にいても、まっすぐな気持ちを持ち続けることができたのだと思います。それは、両親の愛情でした。アンが生まれたとき、「やせっぽちで、ちっちゃくて、目ばかり大きくて、見たこともないほど醜い子だった」と手伝いのおばさんは言っていたという。けれど母親は、「こんな美しい子はない」と思っていた。実は両親については、不思議なくらいあまり書かれていません。アンがその後両親のことを思い出すということもない。ただ、アンにとっては、母親だけは自分のことを美しいと思ってくれていた、という思い出は、厳しい孤児院での生活の心の支えになっていたはずです。

 ブリューエット夫人のように人としての価値を、役に立つか、立たないかで見るという合理的、機能的な捉え方があるとする一方で、両親、マシュー、マリラのように無条件でアンの存在を受け入れてくれる人たちによって、アンは救われていくのです。

 人は、それまでどんなにつらい思いをして生きてきたとしても、無条件に愛されることで救われるということがあるのではないでしょうか。」

(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』、104-106頁)




「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社

2016年『エリザベート』

2018年12月29日 23時40分41秒 | ミュージカル・舞台・映画
2016年6月‐7月帝国劇場ミュージカル『エリザベート』


 帝国劇場にて4回観劇することができた2016年『エリザベート』、2018年の暮れになってようやく劇場で撮った写真などを整理しています。(まだ途中だし帝国劇場で撮った写真をまとめているだけですがご興味あれば・・・)。

 少し前、2019年『エリザベート』のキャストが発表されてミュージカル界が沸き立ちましたが、わたしの心はまだ2016年『エリザベート』にいます。こういうことを書いていいのかどうかわかりませんが、2019年『エリザベート』、なんとなくこうなんだろうなあって予測がある程度ついてはいたものの、実際に発表されるとなんだか複雑な気持ちになってしまいました。魅力的なキャストがずらりと並んでいてみたいですけどみたくない、特定の誰かを批判しようとしているとかそういうわけではないですがなんだかもやもやとしたものがあります。

 以前にも書いていますが思いますが、わたし、2015年、2016年とシシィを花ちゃん一辺倒で観劇したことに少し悔いが残っています。宝塚から10年ほど離れていたわたしは蘭ちゃんのこと知らなかったのでキャストが発表された時に誰だか認識できなくて関心がありませんでした。初舞台のミーミル役からみていて、いっちゃん、ゆきちゃん、ずんこさんとのトップコンビ時代は全作品観劇し、雪組初演のエリザも宙組のエリザも観劇したわたしは、花ちゃんシシィが東宝でかえってきてくれることが心から嬉しくって嬉しくって、花ちゃんを何度でもみたかった、だからチケットがとれるかぎりとって、ありがたいことに2015年は7回、2016年は4回観劇することができました。大好きな作品。毎回、観劇するたびに深く魂が揺さぶられました。特に2015年は労働紛争によって擦り減ってしまったわたしの心を花ちゃんシシィは救ってくれました。『レディ・ベス』『エリザベート』と花ちゃんにはほんとに助けられました。そんな花ちゃんシシィをそのまま心にとめておきたいような気持ちが今はあります。2016年はきっとこれが花ちゃんシシィの見納めなのかなあと思いながら毎回命がけで観劇していたので、そのまま心にとめておきたいような気持ち。『金色の砂漠』でみりおさんと花組に注目するようになってから、蘭ちゃんが花組の娘役さんで二作だけだけどトップになったばかりのみりおさんの相手役をつとめてエリザで退団したこと、みりおさんとは月組時代の幼馴染だったことを知り、批判的なつぶやきをみて蘭ちゃんシシィを完全スルーしてしまったことを後悔しているということもあります。わたしの中では花ちゃんシシィが全てだったけど、また違ったシシィもみておけばよかったなあって。蘭ちゃんを知ると、2016年に発売されたDVDのパッケージが蘭ちゃんシシィをまるでなかったことにしたかのような仕様になっているのをみたときは複雑な気持ちになりました。それから蘭ちゃんごめんなさいの気持ちもあり、蘭ちゃんの舞台を観劇するようになりました。蘭ちゃんは、東宝エリザをやったことでキャリアの全てを失ってしまったのかな。天性の華があるのでそんなことはないと思うのですが、花ちゃんと比較されてしまうのはきつかったですね。『レディ・ベス』とも『マリー・アントワネット』とも違う、再演を繰り返している『エリザベート』という特別な作品。ビジュアルはどっちがどっちか見分けがつかないぐらいだし、あのとき花ちゃんとWキャストでシシィをやれるのは蘭ちゃんしかいなかったのかなとも思うのですが、蘭ちゃんは東宝エリザを演じていたとき、「家や稽古場や楽屋や行き帰りの車や地方のホテルの自室で、全ての人への申し訳なさや自分に対する絶望的な否定感に死んだ方が良いんじゃないか、死にたい、死んだ方が楽なんだろうと錯乱状態だった日々を思い出して、私は自分の精神がまた崩壊するのではないかと不安で、観にいくことが怖いと思っていました。」と月組エリザ観劇後のブログに正直な気持ちをつづっています。しろたんは以前ラジオで、どこまで本気だったかわかりませんが、二度とトートをやりたくないと話していました。やるのがこわかったと。それぐらいキャストにとっても大変な作品。ちゃぴさんはどうなるのかな。退団発表したときにはすでに決まっていたのかなあ、そのための月組エリザじゃなかったよねとか考えるとこれまた複雑な気持ち。大劇場千穐楽ライブビューイングと東京宝塚劇場で観劇した月組エリザ、今までのなかでいちばんシシィらしくないとも言われた元気印のパワフルなちゃぴさんシシィ、わたしそれはそれで好きだと思ったし、その好きを心の中にとめておきたいような気持ちが今はあります。

 『エリザベート』は観客の一人一人、それぞれに特別な作品。だから話題になりますが、複雑な気持ちでいるのはわたしだけでもないような・・・。りょんりょんルドルフとゆんトートなんてみたくって仕方ないし、芳雄さんトートも大好きだから、平方さんフランツもみてみたいから、なんだかんだいいながらチケット申し込むのかな。帝国劇場でしか上演しなさそうだからまた新幹線に乗って日比谷に行きたいし、リニューアルした帝国劇場の中にまだ入ったことないので行きたいし、どうしよう・・・。

 いつかまたそれでも舞台をやりきった強い蘭ちゃんのシシィも舞台にかえってきてくれるといいな。シビル・ジェインをみると、孤高のかなり面白いシシィをみせてくれることが期待できるように思うのですが・・・。

 気がついたら長文になっていました。だれかを批判しているように読めてしまったらわたしの文章の至らなさで、そういうことではないです。それぞれの心の中にある特別な作品『エリザベート』。リーヴァイさんのお腹には才能がつまっていて、この作品の楽曲を生み出したときのリーヴァイさんには神様がおりたっていたと思います。どこまでもすごい作品。



星組台北公演千穐楽ライヴビューイング_思い出し日記(2)

2018年12月28日 22時55分01秒 | 宝塚
2018年10月28日(日)記事、星組台北公演千穐楽ライブビューイングhttps://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f5582fc3b81810d0b24b3d4b095fd5e5

2018年11月5日(月)記事、星組台湾公演大千穐楽おめでとうございます
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e2fabc3ea9e73e4f3c4b3c93c39f8b5f

 極寒の夜に思い出す、熱い熱い台湾公演、ライブビューイング。昨日ハロワに出かけたとき、郷里近郊の駅前の旅行会社に、1月の星組公演大劇場日帰りバスツアー出発決定、申し込みはお早めにのポスターが貼ってあるのが思わず目に留まりました。平日だけど最少人数はうまったんだ、わたしは早々に出発が確定したところで申し込んだのでこれより早くに観劇予定。先日参加証が届きました。雪に阻まれることなく無事に往復できますように・・・。

 こちらの記事の続きで、今日はショー『キラー・ルージュ/星秀☆煌紅』のことを。

 『Another World』との二本立てから、台湾公演を意識して作られたショー作品。東京宝塚劇場公演からいくつか変更点がありました。ノリノリの楽曲ばかり、台湾の客席が熱く、終始まるでコンサート会場のようでした。とにかく歓声がすごくって、ラインダンスでもすごい盛り上がりでした。日本だとNGな掛け声もあったかな。私なんかがいうのもヘンですが、とにもかくにも台湾のみなさんが楽しでくれてほんとによかったと思いました。

 7月の東京宝塚劇場で観劇したときも、東京宝塚劇場の千穐楽ライブビューイングの時も気がついたら終わっていた体感5分のスピーディーなショーでしたが、この時は「紅子、海を渡る」の全編アドリブコーナーが長かったこともあってか、たっぷり楽しめた感でした。

 盛りだくさんでしたが、真っ先に思い出すのはフィナーレで燕尾服の紅ゆずるさんが「望春風」を歌った場面かな。客席で赤いペンライトが揺れていたのは台湾ファンの有志によるはからいとのことですが、ライブビューイングのカメラが客席と最後の力を振り絞って歌う紅さんの表情アップを交互に映してくれていたので映画館にいながら自分も参加しているような感覚で胸あつでした。最後の挨拶で、「わたしの歌はガタガタでしたが、大きな拍手をありがとうございます」みたいなことを話されたと思いますが、怒涛の9日間連続公演の千穐楽、芝居では誰よりも台詞の量が多く、ショーでは誰よりも出番が多く、さらにアドリブで組全体と客席を見回しながら仕切っていく力はすごいと思いました。すさまじい体力と精神力、綺咲愛里さんとのデュエットダンスでは最後にキスシーンがくるという振付で、それでも息があがらないのはまるでアスリート。すごいですね。


(舞台写真は宝塚ジャーナルよりお借りしています。)

キラー・ルージュと怪盗ルージュの対決場面。七海ひろきさんの髪型が千穐楽でも黒のロングだったと思います。台湾でも公演毎に髪型とアクセサリーを変えていたみたいで心意気がすごい。色っぽくてかっこよいい女役でした。足が長くてパンツスタイルがはえます。



ロックサウンドにのって、天華えまさん、礼真琴さん、綺咲愛里さんが歌う場面。台湾語だったかな、中国語だったかな。



「紅子、海を渡る」のコーナー、プログラムではホール案内嬢達の楽しいセッションとだけあります。まずは紅子さんがスーツケースを引きながら登場、本名がほしの小路紅子であることが明かされ、42歳独身、紅ゆずるさんを追っかけて台湾まできました、と自己紹介だったかな。紅子さんがひとしきり客席をわかせたところで愛子に扮したパンツスタイルの綺咲愛里さんが立て札をもって登場。中国語だと思いますが自己紹介。紅子さんに「なんていったの?」ってツッコまれて、「愛子と申します。可愛いでしょ、って言いました」と。その後タピオカミルクティーを中国語で披露、さらには「わたしはタピオカミルクティーを飲みたいです」を中国語で披露。客席の拍手に嬉しそうな笑顔の可愛いこと、可愛いこと。何言ってるかわからないとツッコミをいれ、客席が受けるとがんつける紅子さんにタジタジなってだんだん舞台袖へとずれていく姿もひたすら可愛い愛子さんでした。愛子さんがひっこむと今度はスカート姿の礼子さんが走りながら登場。足が細くてびっくりでした。紅子さんが素で汗をいっぱいかいていて、「すごい汗、拭くわよ」ってハンカチを出して拭いたのはどのタイミングだったかな。ジェンヌさんが珍しい、よほど暑かったんでしょうね。長かったこのコーナー、アドリブに字幕が追いつかず、紅子さんが「字幕が全然出てないけど続けます」みたいな。愛子さんとのやりとりでは、中国語に無理に英語をまじえようとしたり、サービス精神満載のごった煮状態でした。礼子さんとのやりとりでは、二人で見事に揃った「excellet」を披露したり、前日の公演でもすごくウケたっていう話だったかな。礼子さんは礼真琴さんの名前と写真がはいった立て札をがっしりともっているところが頼もしい感じでした。この日の紅子さんからのクイズは、この中で宝塚歌劇団星組が演じた作品はどれでしょうか、という内容でした。「一、ドラゴンボール」って言ったときの紅子さんのツッコミを思い出せませんが客席は笑いにあふれていました。二番目はなんだったかな。三番目の「メイちゃんの執事」は紅さんのバウ主演作品なんですね。正解はもちろん三番目でした。礼子さんがドスのきいた声をまじえながら盛り上げようとしていて、全く言葉が追いつきませんが二人のやりとりが楽しくって仕方ありませんでした。(礼子さん、紅子さんにアドリブ力鍛えられ中ですね。)完全に時間オーバーでようやく終わりました。



紅ゆずるさん、最後の挨拶で美しい涙を流されました。



礼真琴さん、ダンスをすればキレッキレ。フィナーレの男役を従えての群舞で「情熱の嵐」がなくなっていたのが残念。その分ダンスの見せ場が増えたかな。



 赤ずきんちゃんの場面、「紅子、海を渡る」の直後、星空のもとでペガサスを待って少女の綺咲さんが歌うとペガサスが降臨してくる場面も素敵でした。紅パパが、ママに朝ごみ袋を持たされる場面も台湾語でした。紅パパの、「何言っているかぜんぜんわからなーい」「うちの奥さん台湾人なんです」も絶妙でした。

 ラインダンスの場面、客席が拍手喝采といった感じですごい盛り上がり。日本では手拍子だけなのでびっくりでした。ライブビューイングのカメラが真ん中で踊る有沙瞳さんの可愛い笑顔をアップでなんども映してくれたの、目福でした。男役さんがアップで映るとお化粧が違うのでちょっとこわかったかな。お化粧の地の色が娘役さんよりもかなり濃いんだなあと・・・。

 盛りだくさんな3時間余り、いや4時間ぐらいあったかな。ライブビューイング会場でもスクリーンを通して熱気が伝わってくる、とってもいい公演でした。紅さん率いる星組だからこその空気感かな。きりがないのでこれぐらいでおしまいにします。

 長文の連続、失礼しました。



苦しかった、長い道のりだった

2018年12月28日 16時14分19秒 | 祈り
 極寒の年の暮れ、冷たい風が沁みます。働いている方々は仕事納めの日。わたしは二足ぐらい早く1カ月半ほど前に仕事納め。よくがんばったよ、自分。がんばったらがんばっただけ、疲れてしまって歯の治療にいくのも億劫だったツケがまわてきていて、下の一番奥もかなり膿がひどいとわかり、今日からあらたに治療が始まりました。また働く自分になっていく道のりは遠いです。昨日家に帰って、どこで働くにしてもここから通勤するのは無理だろうなあと思うと気持ちが沈みました。一時間に一本の巡回バスを逃したらもうあとがありません。お正月の間に自転車を買うしかないと心に決めましたが、ハロワで言われた雨や雪の日はどうするのかときかれたら、やはりなす術がありません。かつてより交通量が半端ない信号のない道路を端っこを走り、車がビュンビュンとばしているところを必ず渡らないと駅に辿りつくことはできない場所に家はあるので不便すぎます。わかってはいましたが、駅近で暮らし続けた身には慣れていくのきびしいです。地元でいちばん大きな銀行は県外に出たらほとんど役に立ちませんが、ここではいちばん大きくって都市銀行が近くにないのもほんとに不便でこれは大変。ちっそくしそうな部屋を引き上げるのに20万円近くかかったし、生活用品はほとんど捨ててきたし、遺品整理も自分の荷物整理もまだまだあるので今すぐまた家を離れることは考えられませんが、遠からずまた飛び立つ日は訪れると思います。過去から解き放たれて飛び立ちたい。本当に自分のために生きていきたい。

 (巡回バスが走っているだけありがたい、おじいちゃん、おばあちゃん、通勤の足にしているおじさんや、通学の足にしている高校生を見かけるし、子どもちゃんはバスに乗るとほんとに嬉しそう。隣町は利用者が少なくって、消滅してしまったそうなのでまだありがたいですけどね、これだけが頼りという人たちがいるのは事実でありがたいですけどね、車社会は大変なり・・・)。

 13年前の精神保健福祉士の資格取得に向けて勉強を始めた頃の自分。大会社で二人分労働して疲れ果てた体に鞭を打ちながら歯をくいしばっていた私がいます。食いしばりすぎて歯ボロボロ。ここまでしないと自分で自分を納得させることができませんでした。長い間自分を許すことができませんでした。日記を読み返していると自分でも苦しくなりますが、過去から飛び立っていくためにここにしたためます。

「2005年1月14日(金)

 ねばらならない、ばっかり抱え込んでいる私がいる。12月の仕事の疲れ、そしてお正月の精神的な疲れが今でてきているようだ。神経過敏になって人の視線が気になる。本当は仕事に行くのがつらい。ボロボロになった神経はまだ癒されていない。
部屋に引きこもっている方がずっと楽だと思う。
でも、部屋に住むためには、自分で働いて稼がなければならない。
この事実はずっしりと重い。

この10年間、母に、妹に、とらわれ続けているわたしがいることをあらためて感じる。
抜け出せない、受け入れられない。
私には私だけの人生があって、
母には母の、妹には妹の人生があって運命があるのだと受け取められない。
今ももがき続けている私がいる。
ここが自分の中で落ち着かないかぎり新しい道は、見えてこないだろう。

毎朝起きると胃が痛い。
ぐっすり眠れている感じが全くないし、気分はうつうつとしがちだ。
それでも私は生きていかなければならないのだろう。

今日は金曜日。疲れちゃった。もう何も考えられない。

      PURE CAFEにて。」

「2005年1がつ15日(土)雨

とても寒くてつらいが、今日は元気だ。
7時間ぐらいは眠ったし、起きた時胃の痛みもなかった。
ゴスペルも楽しくて、もっとはじけたい。
昨夜はあんなにうつ気分だったのがウソのようだ。
本当に今の環境はつらいんだなあと思う。
強いストレスを受け続けて、神経はズタズタだ。
今どこの会社でもみんな疲れているのだろうか。
事務職で他へいこうという気はおきない。
結局、ただの雑用係だもの。
例えば、ケースワーカーという仕事。
今から勉強してなれるものなのだろうか。
若さがないし、福祉の勉強をしたことがない。
精神保健センターという所では、どんな人を必要としているのだろうか。
自分がきちんと食べていける社会的仕事をしたいと思う。」


 まわりまわって、運とタイミングで社会的仕事の入口に立つことができたのだから、この流れでいくか、仕事内容の前に郷里の生活に慣れずそもそも通勤できるのかで躓いています。どうしてもやりたいという仕事はありませんが、現場にいたいという気持ちはあり事務には戻れないかなあという感じはしています。流れをとめることなくいけるのか、道はまた自ずと開けてくるのか、今は全くわかりません。まずは明日以降またカフェで応募書面を見直さないとね・・・。


 昨日に引き続き、お見苦しいものを失礼しました。家に帰ったら息抜きに宝塚の記事を投稿しようと思います。

これからどう生きていくのか

2018年12月27日 17時46分26秒 | 祈り
 極寒の年の暮れ、なんとかがんばってハロワに行ってきました。息抜きに帰りはまたド〇ールでお茶しながらモバイルパソコンを立ち上げています。窓口の女性に履歴書と職務経歴書のドラフトをみてもらいながらこれからのことを相談しました。もうひとつ自己PR分を用意した方がいいですよとのアドバイス。ハードな業務を通して自分が感じたことを、人にわかるように簡潔かつ具体的に書く、難しくて気持ちが折れることも多かったけれどほんの少し、自分のすることが人の助けになることもある、何もできないけれど何か力になりたい、応援したい、この人のために今自分は何ができるのだろうかと一生懸命に考えた、そんなこともある、だから仕事を続けることができた。そういう気持ちを書く。一番核になるところ。どうしてもこの仕事をやりたいというものはわたしにはありません。経験を生かして、ハードすぎないところでやりたいと思えるものがあればというところ。あと通勤に最寄り駅まで徒歩30分で巡回バスを利用しますだけではやはりどうにもならないので、せめて自転車に乗ることを考えなければなりません。年末年始の間に自転車を購入して練習しないとまた勤めにでるのは無理。ひとつずつハードルを越えていくしかないです。これからどう生きていくのか、また自分の力を必要とされる場所はあるのか、負なんですが、新しい年が明けたら少しずつ動いていきます。アドバイスをもらったので、まずは書面の準備。断捨離で日記を整理していたら13年前の自分に再会しました。資格の勉強を始めようとしている頃でした。この頃は福祉の仕事をしたいという気持ちがあったわけではありませんでしたが、結果的にまわりまわって資格をとったことが自分を救ってくれることには一応なりました。ハードですけどね、事務に戻ると物足りなさを感じてしまうのだろうなあ。大変な仕事をしてきてすごく疲れているんだろうなって思います、って最後に言われました。ハードだったこと、伝わりました。

 
「2005年1月10日(月)晴

こうしてまた何年かぶりでノートを書き始めることとなった。ヤジロベエのようにゆらゆらと揺れながらも安定しているために。

また誰にも会わない休日が終わっていく。
靴をはかないこんな日も必要だ。
電話もメールもほとんどないので淋しさがないわけではないが、孤独と友達になれたら、私も「おひとりさま」上級者かも・・。

勝ち組だとか負け組だとか、そんなマスコミのいうことにとらわれてはならない。なにをもってして勝ち負けは決まるのか。
どんなに一生懸命生きていても、自分探しをしていても結婚して子供を産まなければ、女としては足りない、ということになるのか。幸せにはなれないのか・・・。
休日に出かけることも疲れるようになった。若くはない女が一人でいると、人の見る目は「あのオバサン・・・」
人の目が気になる。緊張を強いられる。どんな時には凛としていたい。きれいでありたい。

休日の朝あまり眠れなかった時もお日様がふりそそぐ中で過ごしていると、前向きな幸せな気持ちになれる。お昼寝で疲れをいやして、レポートを書いて、今日も日吉の杜に暮れていく夕陽をみることができた。
かなりGoodな今度の部屋は、きっとわたしに元気といい運気をもたらしてくれるにちがいない。
部屋の中で過ごす時間、淋しさと背中合わせの心地よさを感じる。

セスクの基礎科のレポートについては、またあらためよう。
書いているうちに自分でも思いがけないところへ流れていってびっくりしている。
Y先生に読んでいただきたいのだがどうしよう。

「精神保健福祉士」という国家資格。
私が漠然と考えている女性の自立支援には、カウンセラーよりもそちらの方が近いのかもしれない。はたして、精神医学などという困難そうな分野が私に理解できるのか・・・。
その前に自立ということの意味を追及していきたい。
精神的自立と経済的自由・・・、私にはわからないのだ。
私はまだ自分が自立できている、という実感がもてない。
一生自分で食っていけるという確信が得られないからだ。
これが自分が、という言えるものを見つけることはそうたやすいことではない。
道のりはまだまだ長い。
一生懸命生きていくだけだ。肩の力を抜いて必死に・・・。

明日からまたバカなオヤジどもとのたたかい、アホな組織との葛藤。
食うために、すごいエネルギーを吸いとられる。

がんばれ、わたし。

 20時30分 ド〇ールにて。」


 過去から抜け出していくための振り返りでした。もがいてましたね、わたし。結婚歴があっても、出産歴が何回もあっても、自分一人の面倒すらみることができない女性も少なからずいることがわかった今は、それはどっちでもいいことなのかなって思います。人生の時間には限りがあるので、人が自分をどう見ているかなんていうのもどうでもいいこと。自分のために生きていきたいです。この頃より少しは成長できているのかな、わたし。



タカラヅカスペシャル2018_ライブビューイング(3)

2018年12月26日 20時29分00秒 | 宝塚
 

今朝目がさめてから、今年ライブビューイング何本みたかなあって数えてみたら10本以上、生の舞台も6回観劇することができました。それだけチケット代その他かかったわけだし、プログラムもまた溜まってきたので少しずつ整理していかねばと言い聞かせました。心身を削られるハードな仕事の合間、心の潤いを求めて劇場に、映画館に足を運びました。夢々しい世界に現実逃避させていただきました。こういう非日常的な時間がなかったら自分つぶれていたと思います。ほんとにありがたい一年でした。締めくくりのタカラヅカスペシャル、ライブビューイング。娘役さんたちの大きなリボンがついたピンク色の可愛らしいお衣装も夢々しくて、こんなおばさんが今さらですが憧れ。誰が誰だかわからないままみた『金色の砂漠』が衝撃的で花組が特に気になるようになったので、桜咲彩花さんや舞空瞳ちゃんが、トップスターさんの後ろで笑顔で踊る姿が時折ライブビューイングのカメラに映し出されると嬉しかったです。ああ今年もよくがんばったなあ自分って、余韻に浸りながら宙組『白鷺の城』『異人たちのルネサンス』のライブビューイングで今年はおしまい、と思っていたら安心できないのが、いつか退団という終わりが訪れる宝塚。昨日の花組退団者発表は衝撃でした。かつて紫ともちゃんの退団を知った時は今のようにネットがなかったので時差があったと思いますが、リアルタイムでわかる時代になり、リアルタイムでともちゃんの退団を知った時のようにさみしさと儚さを感じました。副組長の花野じゅりあさん、美人オーラとスタイルの良さが半端なく『ハンナのお花屋さん』のフィナーレでは誰よりもはじける笑顔で踊っていました。桜咲彩花さん、『金色の砂漠』のビルマーヤ姫で素敵な娘役さんだなあと思いました。『ポーの一族』のジェインも『あかねさす紫の花』の鏡女王も静かに輝いていて素敵でした。どの男役さんと並んでもお似合いで相手をたてつつお互いさらに輝けるという、いるようでいない稀有な存在、一作でもいいからトップ娘役になってほしいと思っていました。茉玲さや那さん、『ハンナのお花屋さん』の少年クリスが印象的でした。『メサイア』の少年姿も可愛らしかった娘役さん、まだまだこれからなのにと思うと残念です。このお三方の退団は衝撃。終わりがあるから美しいのが宝塚ですが、もう少しこうだったら、っていう気持ちが観客に残ってしまうのも宝塚。すべての出会いが一期一会。

 前置きが長くなってしまいましたが、『タカラヅカスペシャル』ライブビューイング。オープニングで花組が歌ったのは「ファンシー・タッチ」でしたね。オープニングでは最後に、東京宝塚劇場公演で不在だった宙組の「シトラスの風」の歌唱もありました。嬉しかったですけど、宙組さんがいないのでちょっとさみしい感も・・・。

 珠城りょうさんの体格の話になっていったのは、二幕のMCの時だったかな。かなり曖昧な記憶ですが、「いつからそんなふうに・・・」みたいな紅ゆずさんの質問から、珠城さん「3歳から水泳をやっていました、ヘルパーをつけて。中学生の時には陸上をかじったりして気がついたらこうなっていました」と自分の体型を示しながら。紅さん「気がついたら雨の中で歌って踊ることになっていたのね」とツッコミ。「いやあれは舞台の上で・・・」と珠城さん、「いやいやわからんよ、道でも踊ってるかもよ」みたいなツッコミをいれる紅さん。紅さんにいじられる珠城さんの下級生感と、隣で双子みたいに並んで時折うなづきながらきいている明日海りおさんと望海風斗さんが可愛かったです。

 リクエストを募集して望海さんが歌うことになったのが、『華麗なるギャツビー』から「朝陽の昇る前に」。「男役なら誰もが憧れる背中でみせる男役、スーツではありませんががんばります」と望海さん。準備があるのでと一足さきにはけていってしまうと、いってしまうの?みたいな表情のみりおさんがまた可愛かったです。(望海さんの)「準備の時間があるのでもうしばらくアンケートを続けましょう」で客席へのアンケートが続きました。杜けあきさんのギャツビー、白いスーツの後姿をみているわたしとしては雪組の歌うま望海さんが「朝陽の昇る前に」を歌うの、胸あつでした。スーツ姿ということでは紅さんにも歌ってほしかったかなとちょっと欲張りな心持ちになりました。続いてみりおさんの『ル・ポアゾン』のテーマソング。この歌生できいたことはないと思うのですが繰り返し歌い継がれてきているからしっかり知っているつもりの曲。みりおさんは何を歌っても安定しているし、すぐにその曲の世界感へとスィッチが入ります。男役の色気もにじませて天上知らずのすごい方だとあらためて思いました。紅さんの「LUCKY STAR」は黄色いお衣装で素敵でした。珠城さんの『太王四神記』は作品知らないのですが、「タムドクになり切って歌います」だったかな、の言葉どおり、たぶん世界感がうまく表現できているんだろうなと思いました。

 断片的に素敵だったなあと思う場面、思い出し。暗転からスポットライトがあたると七海ひろきさんが階段に坐って歌い始めた場面、曲名が残念ながらわからなかったのですがかっこよかったです。退団発表後で特にファンでなくても記憶に残っていくカッコよさでした。鳳月杏さんと海乃美月さんのコンビが似合っているなあと思ったのも曲名はわからずですが素敵でした。あと望海さんとみりおさんが二人で歌う場面もありましたね。これまたわたしは曲名わからずですが、最後に手をつないだりしていたかな。もうこんな場面もみることは二度とできないかもしれないと思うとほんとに一期一会。

 台湾公演のフィナーレで紅さんが、客席の赤いペンライトが揺れる中で歌ったのは「望春風」という台湾語の歌だそうで、調べてみると1933年に発表された台湾の民謡なんですね。懐かしさを感じるメロディライン。珠城さんの「台湾公演どうでしたか」から「すごく楽しい」で紅さんとみりおさんが打ち合わせなし?なのかな、即効で「望春風」をハモリ。「台湾公演の最後はこの歌」みたいな。素で羨ましそうな珠城さんに「あとで楽屋で歌ってあげるから」と紅さん。紅さんがわちゃわちゃしているみなさんの話にツッコミをいれながら仕切ってまとめあげてくれていたのはさすがの腕前。来年もみることができますように・・・。

 専科からは轟悠さん、華形ひかるさん、風凪瑠海さんが出演。轟さんの高音が苦しそうなのがちょっと心配、存在感はさすがでした。『蘭陵王』、帰郷しなければ間違いなく観劇していましたが、帰郷しなければ『ファントム』を大劇場で観劇することはできませんでした。全部をかなえることは無理ですが、後悔のないよう、この世にいる間にできる限り観劇していきたいと思います。

 断片的な『タカラヅカスペシャル』思い出し日記、まだまだあるような気がしますがひとまずこれでおしまいです。またまた長文、失礼しました。




 

 

日韓自殺対策シンポジウムの後で

2018年12月26日 16時15分46秒 | 祈り
「2014年11月30日(日)手帳から

神経が高ぶっていてとがっていて毎日9-10時間働いていた時にはどうでもよかったことが気になってしまう。状況が普通ではないので仕方ない。かなり病的だが理由は明確なので病気ではない。引っ越しもしたいが今はやはり無理だ。示談の目途と次の方向性がみえてからだ。いくら示談金が出るかに人生の仕切り直しがかかっている。弁護士はあくまでも会社はシロだと主張し続けている。普通の人が普通に見たら真っ黒なことなのに、一般人にはとうてい理解できない世界に入り込んでいる。答弁書を読んでから気分が悪くてフラフラになっている。たぶんもう勝っているのに今は全く実感できない。断捨離を続けている。Y先生に助けられている。慶応義塾大学の通信教育の資料、几帳面な字で書いた大量の参考文献の写し、レポートにびっしり。これを全部手書きでやっていたのか。我ながらびっくり。一生懸命がんばってきたんだ、わたし。Mちゃんとのお別れの前も後もがんばってきた。でもその前後では旧約聖書と新約聖書ぐらい違う。教えられたことははかり知れない。だから今の闘いもやることができている。社会の仕組みとしてはあっているので、ハケンはおかしいことをおかしいでしょと言うことが本当に困難。消えることのない苦しみ、答えのないものを探し求めながら生きている人間は弱いけれど強いことを伝えられたらいいと思う、終わった時には。日韓の自殺対策シンポジウムに行ってきた。Mちゃんを思いながら涙が出る。

 2012年9月、三人一緒にお墓に入れて、母の遺品を整理していたら出会ったMちゃんの日記。その年の5月から始まっていて、死にたい気持ちが書かれている。姉に相談した、という記述もあってまともに読むことはできない。自分を責める気持ちがぶり返してくる。私は本当に自分を責めた。その日々を思い出すと自分のことなのに苦しい。事故、事件、災害で家族を失った人も自分を責める。あの時こうしていれば・・・と。でも自殺は責める対象がまっすぐ自分に向ってくる、という点でやはり特殊なのかもしれない。現場を見ているか、見ていないかでも大きく違う。比べるものではない。

 Mちゃんは心の闇夜に迷い込んでどんな思いでさまよい続けていたのだろう。自分なんかこの世にいない方がいいんだ、必要とされない人間なんだって自分を追いつめて、本当に自らを殺してしまった。私はなにもしなかった。電話をしてきた時はかなり弱っていた。私が何を言っても変わらなかったのかもしれない。でも、なんであの時冷たい言葉を放ったのか、この十字架をおろすことはできない。終わることはない。

 ようやく思う。Mちゃんの死の背景には、大きく考えれば弱い者を排除し、問題を解決していこうとする社会があったのではないか。ウチの家族固有のことにとどまらず、苦しみ、怒り、悲しみ、迷い・・・といったネガティブな感情を表現することが許されない利潤追求の社会。死にたがっている人を特別扱いして精神科や専門家に任せて社会から排除するのが医療モデル。悲しみや苦しみを抱えている人もいたっていいんだよ、身近な所で支え合い助け合っていくのが社会モデル。特別扱いして専門家任せにしない。Mちゃんに必要なのは社会モデルだったんだ。薬はちょっと助けてもらうだけ。家族でもなくネガティヴな感情を語れる場。指示されるのでもなく、ただ思いを語れる場。そういう場は残念ながら21年前なかったし、今もあまりない。大きく広く考えれば弱者が見捨てられていくのは高度経済成長期のツケなんだろうな。弱者を踏みつけて強い者が生き残っていく。そんな社会の流れは残念ながら止まらないことを雇い止めで痛感させられている。行政の限界を感じる。前例から大きく外れることはどんなに実態としてはそうであっても、そうだと強く言うことはできないのだろう。官僚制機構、なんともやり切れない。民間の当事者が声をあげてがんばっていくしかないんだ。私がMちゃんの思いを知ることはできないけれど私が伝えられることを、理不尽な目にあいながら何も言えなかった人の分を私が伝えて行こうと思う。発信していこうと思う。終わったら本当にもう少しきちんと体裁を整えて、高度経済成長期のツケ払いという観点から、弱い立場の者が見捨てられていく社会への警告とまではいわないが声を発信したい。それは一人ではやれない。

 自死遺族である私にこれから何ができるのか。どうやって自分にごはんを食べさせながら生きていくのか、答えは簡単ではない。どんどん持ち出し。人生の仕切り直しができるだけのものが引き出せるのか、今は不安先走り。私個人の力ではどうすることもできないので祈るしかない。落ち着かなくて苦しいが、がんばれワタシ・・・。高度経済成長期のツケ払い。個人固有の問題ではなく、苦しむ人、弱い立場の人を利潤追求の果てに切り捨てて行く社会の仕組みが背景にあるのではないか。雇い止めもMちゃんの亡くなったことも・・・。ようやくそこでビーズがつながってきた。」


ささやかなブログへの訪問ありがとうございます。ずっと部屋にいるのはよくないので巡回バスに乗り、ド〇ールへやってきました。落ち着いて少し本を読んだり、できればブログは外でお茶を飲みながら気持ちを切り替えて書きたいです。部屋には持ち込みたくないことは特に・・・。

 都心のちっそくしそうな部屋を引き払い実家に戻って一か月余りが過ぎました。車社会に適応できず、生まれ育った場所とはいえ、気がつけば人生の半分以上を駅から徒歩圏内で暮らした身には、半分は知らない場所に引っ越したきたようなもの。まだ美容にいくことができていません。どこにいけばいいかわからないのです。歯医者さんとかかりつけ医はようやくクリア。JR東日本のエリアから外れてしまったことも大きく、色々な変化にひとつずつ対応。ひとつずつ慣れていくしかありません。こんな不祥な姉を家に住まわせてくれるだけありがたい、わたしの名義も入れてもらったから権利といえば権利ですけど、とりあえずライフライン甘えています。これから先どうしていこうかと考えると、駅から徒歩30分、車の交通量半端なく危ないので遠からずまた部屋を借りなければならないかなと思います。徒歩圏内にはコンビニもないので、先ほどようやくド〇ールの近くのコンビニで履歴書と職務経歴書のPDFファイルをプリントアウトしました。極寒の中、年内にハロワにいくエネルギーあるかな・・・。飛び立っていくには荷物が多すぎるで部屋にいるときはひたすら断捨離と荷物整理。まだまだ捨て去るべきものがあって終わりはみえません。少しでも身軽になってまた飛び立ちたい。

 久しぶりに妹とのお別れのあとのノート日記数冊を読み返しました。そして、振り返ってみると直後からの日記はこのブログに綴っているし、一応デジタル化もしているので思い切ってお別れしました。まだお別れし切れていないものもありますが、人生の時間には限りがあるので、これからは本当に自分のために生きていきたい。そのためには捨て去り、忘れていくことも必要なのかなって、どうにかこうにか生き延びていけばそれで十分でなのかなって、ハードな業務経験を経て思うようになりました。

 先日中学時代のミニ同窓会があり、すっかりおじさん、おばさんになった仲間たちが10人ほど集まりました。30年以上前の集合写真をみても誰だかわからなかったり、老眼加速中で眼鏡をかけないと写真の顔を判別できないのはみな同じ。かつてはお互い小さなことに一喜一憂していたことがうそのようです。ここまでくるとほんとにそれぞれ。根本はみんな変わっていないのかな。いや歳月を生き延びてきただけ、積み重ねられたものはあると思います。すでに3人がこの世の人ではないことをあらためて知りました。昨年秋に交通事故で亡くなった男の子は、のちに振り返れば夏にあった同窓会の時様子が変わっていて、その時んはすでにあの世から呼ばれていたかのような動きをしていたとのこと。中学生時代のスナップをみながら、この時からすでに運命は決まっていたのだろうかと考えてしまいました。わたしに与えられた時間はわかりませんが生きるのみだと思います。

 2014年11月30日の手帳日記は、労働紛争でズタズタになりながら社会への怒りと悔しさのマグマがまだおさまらず沸々と噴火し続けていた頃に書いたもの。日韓自殺対策シンポジウムに出席した直後、熱い思いがわきあがっていました。使い捨て同然の契約終了となった元派遣労働者としてほんの少しだけ社会に顔を出し、また自死遺族として少しばかり動いたりしていた頃でした。この10カ月にわたる完全無収入の日々が結果的に大きいのですが、わたしには必要な時間でした。今冷静に振り返ると、弁護士たちが生活の保障をしてくれるわけではないのに乗せれてしまったと同時に、働いているときにはできなかった、自死遺族としてなにかできないかという思いを少しばかり実現できた期間でもありました。書いていることの内容はともなく、わたしなりに必死でした。怒りと悔しさのマグマから完全に抜け出すためにはハードな仕事と3年以上の月日が必要でした。わたしが元派遣労働者としても自死遺族としても外に顔を出すことはもうありません。大会社への怒りと悔しさ、その中でがんばりにがんばった自分の気持ちをしたためた手帳日記ともそろそろお別れてしていこうと思います。生きて延びていくこと、こうしてささやかなブログを続けていくことがわたしにできることかな・・・。

 昨日は花組の大量退団者発表に衝撃を受けました。紫ともちゃんの退団を知った時と同じレベルのさみしさを感じています。男前の仙名さんが娘役さんたちをしたがえて花の園を去っていこうとしているの図。お嫁さんたちにさられた男役さんたちはどうなってしまうのか。ヅカ日記は部屋に帰ってから書こうと思います。

 長文におつきあいくださり、ありがとうございました。

茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_自らの居場所を求めて

2018年12月25日 22時36分32秒 | 本あれこれ
2016年9月22日記事、茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ced6d7c9526dfd0c22915956e9993326

 この時とは違うわたしで、もう一度この本を振り返ってみたいと思います。

「自らの居場所を求めて

 僕は小学校5年生の時に『赤毛のアン』に出会いました。しかし、実はこれはごく最近まで忘れていたことなのですが、僕は図書館で読む前にすでにこの小説と出会っていたのでした。というのも、小学校の時の教科書に『赤毛のアン』の抜粋が載っていたのです。そのことを最近になるまで忘れていたのですが・・・。

 教科書には、隣人のリンド夫人に赤毛のことを中傷されて癇癪を起してしまったアンが、そのことを謝りに、「マリラと一緒に彼女の家に行った帰り道でのシーンが載っていました。アンを引き取ることにしマリラは、50代で独身のため今まであまり子どもと接する機会がありませんでした。そのため、子どもにはどういう態度で接していいのか分からず、アンに対する態度も、そんなつまりはないのに、ぶっきらぼうで、そっけなくなってしまう。そんなマリラにアンはすり寄っていき、マリラのがさがさの手の中に、自分の手をすべりこませます。そのとき、マリラの中に初めて母性本能のようなものが生まれてきました。


 小さな手を握っているうちに、なにかあたたかい、心地よいものが、マリラの心にわきあがってきた-生まれて初めての、母親らしい気持ちが脈打ちはじめたのかもしれない。経験したことのないうっとりとした気分が、マリラをうろたえさせた。

 今まで母性本能なんていうものを感じたことのなかったマリラは、自分の中に沸き起こる温かい感情に気がつき、動揺する。心の中に甘美なものを感じるのです。

 これを読んだとき、なんとも曰く言い難い、はっきりとした言葉では表現しにくいのですが、妙なものを読んでいる感じがしました。読んだ当時は、その意味がよく理解できませんでしたが、あるいは今になって考えてみると、マリラに湧き上がってくる感情こそが、それまで自分が読んできた日本文学には感じることがなかったヒューマニズムのようなものだったのでしょう。

 何には、グリーン・ゲイブルズに来てからさまざまな奇蹟が起こります。たとえばそれは、プリンス・エドワード島という、美しい景色を目にすることができたこと。ずっと求めていた親友ができたこと。憧れのパフスリーブを着ることができたことなどです。そのどれもが、孤児院の生活では手に入れることができなかったものです。

 しかし、彼女に起こった最も重要な奇蹟のひとつが、このシーンには描かれています。それは、孤児で自分の家族を持たないアンが、マリラに受け入れられることによって、初めて自分の居場所を見つけたという奇蹟です。」

(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』、95-97頁)。

 自分の居場所・・・、居場所があるということ・・・、沁みます。


「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社

宙組『白鷺の城』『異人たちのルネサンス』_東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング

2018年12月24日 23時35分10秒 | 宝塚
 無事に今年の観劇納め、宙組『白鷺の城』『異人たちのルネサンス』、東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイングに行ってきました。会場までの往復が、都心にいた時よりもはるかに大変になってしまい、祝日は二時間に一本のバスの時間を勘違いにして徒歩30分、帰りはもちろんバスがないので今日も徒歩30分、ライブビューイング会場のショッピングモールの往復も一時間に一本のバス。気がつけば人生の半分以上苦労して家賃を払ってきたのと引き換えに利便性を享受していた身には適応できなくって、足腰にこたえて、やっと落ち着いて余韻を嚙みしめています。都心の映画館にも遠くから身に来ていた人だっていたはずだし、こうしてライブビューグで楽しめるだけありがたいこと。車にひかれずに往復できたことに感謝。

 おそいのでざっくりと。カーテンコールの退団者4名と専科へ異動する愛月ひかるさんの挨拶は、真風涼帆さんの人柄がにじみ出ているようなあったかい雰囲気でした。かなりお疲れなんだろうなと思うのですが、素敵な笑顔でした。日本物のお芝居仕立てのショーもお芝居も、トップコンビがほぼ出ずっぱりで、当然といえば当然ですが、これは大変だろうなと思いました。日本物のショーはたくさんの引き出しを求められるものだったと思いますが、真風涼帆さんも星風まどかさんも、場面場面、素敵にこなしていました。キキちゃんの出番が少なかったのが残念、でも出番の時は武士のいで立ちですっごくかっこよかった。時代を行ったりきたりするのがちょっとわかりづらかったかな。お芝居では、最後カテリーナが亡くなったところ涙がでました。脚本がいまひとつかなあというところもなきにしもあらずですが、モナリザの微笑みに集約していくところは予想できてしまったかなという感もなきにしもあらずですが、史実のダ・ヴィンチの、今の飛行機の原型となるようなものを構想していたところを上手く使っていたところがよかったと思います。今写真を整理中ですが昨年の夏、ダ・ヴィンチ展でレオナルド・ダ・ヴィンチの構想に基づいた羽根の模型をみたので、自分の中にはいってきやすかったです。鳥は羽根の下に風を起こして飛んでいる、飛行機の原型ですね。2014年春に、ボッティチェリ展をみているので、ボッティチェリが登場したのも嬉しかったです。メディチ家の庇護のもとで明るくのびのびと贅沢に絵を描くことができたボッティチェリでしたがメディチ家の斜陽と共に晩年の絵も暗いものへと変化していきました。当時のフィレンツェでメディチ家の力は絶大でした。(『逆光のメディア』という本を読みたいと思いながらいまだ果たせず)。そのメディチ家の二代目当主ロレンツィオを演じていたキキちゃん、冷ややかな眼差しにリアルにぞくっとしました。カッコよすぎました。宙組にきてほんとにのびのびとやっているキキちゃん。フィナーレの男役さんたちを従えての群舞が素敵でした。真風涼帆さんの娘役さんたちを従えての群舞も、星風まどかさんとのデュエットダンスも素敵でした。

 オリジナルの二本立て、初日の幕が開くまで不安でしたとカーテンコールで真風涼帆さんの挨拶、SNSで酷評も見かけましたが、今の宙組ならではのいいところが生かされていて、わたしはどちらも楽しめました。明日以降、プログラムをじっくり読みながら振り返っていきたいと思います。

 おそくなったのでこれにて・・・。