2024年7月28日則武謙太郎さんチャンネル、
(61) 【ライブ配信】日本の稲作が潰される?米が品薄で価格高騰、その背景にある仕組みとは?なぜ政府は日本の農業や畜産業を守ろうとしないのか?【心理カウンセラー則武謙太郎】 - YouTube
2024年7月28日則武謙太郎さんチャンネル、
(61) 【ライブ配信】日本の稲作が潰される?米が品薄で価格高騰、その背景にある仕組みとは?なぜ政府は日本の農業や畜産業を守ろうとしないのか?【心理カウンセラー則武謙太郎】 - YouTube
2024年7月29日厚生労働省
第102回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会、令和6年度第4回薬事審議
会医薬品等安全対策部会安全対策調査会
3歳(接種時)・男 ジェービックV
2カ月(接種時)・男 アクトヒブ プレベナー13 ロタテック
6カ月(発症時)・女 ヘプタバックス アクトヒブ プレベナー13 テトラビック
1歳(接種時)・男
乾燥弱毒生麻しん風しん混合ワクチン「タケダ」
乾燥弱毒生水痘ワクチン「ビケン」
乾燥弱毒生おたふくかぜワクチン「タケダ」
2カ月(接種時)・男
ロタリックス ビームゲン バクニュバンス ゴービック
1歳(接種時)・女
乾燥弱毒生麻しん風しん混合ワクチン「タケダ」
乾燥弱毒生水痘ワクチン「ビケン」
アクトヒブ
バクニュバンス
おたふくかぜ生ワクチン「第一三共」
乳幼児(発症時)・不明
バクニュバンス
3カ月(発症時)・女
クイントバック ヘプタバックス バクニュバンス ロタリックス
乳幼児(発症時)・不明
バクニュバンス ゴービック ロタウイルスワクチン
インスタグラムで今日は子供にワクチン4本接種、がんばりましたという投稿をみかけることがあります。若いお父さん、お母さんはこうした死亡報告のあることを小児科で知らされているのでしょうか。こうした報告があがっているという事実にアクセスできているでしょうか。バクニュバンスというのは今年の4月から定期接種を開始したワクチンとのこと。事例報告を読むと、リアルに治験やっているのではないかと背筋がこおる思いです。定期接種化されたワクチンを接種させないと虐待として児童相談所に通報されてしまうことがあるようですが、小さい体がワクチン漬け。
新型コロナワクチンでは1歳の女の子が健康被害認定されました。
令和6年7月25日厚生労働省
疾病・障害認定審査会 感染症・予防接種審査分科会 審議結果
Xユーザーの須藤元気さん: 「政府の黒字は国民の赤字です。日本経済を底上げするには逆のことをしないといけません。 https://t.co/RIkB6Rr3zA」 / X
「政府の黒字は国民の赤字です。日本経済を底上げするには逆のことをしないといけません。」
2024年7月29日時事通信、
25年度に財政「黒字化」 政府試算、8000億円 岸田首相、歳出改革の継続強調(時事通信) - Yahoo!ニュース
「政府は29日の経済財政諮問会議(議長・岸田文雄首相)で、財政健全化の指標として重視する国・地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)が、2025年度に8000億円程度の黒字に転換するとの試算を示した。
好調な企業業績を背景に税収が増えることに加え、大規模経済対策が一巡して歳出が抑制され、収支が改善すると見込んだ。
岸田首相は会議で、「歳出改革努力を継続し、制度改革の取り組みを確実に進める」と強調。25年度予算編成ではワイズスペンディング(賢い支出)を徹底する考えを示した。
PBは、社会保障や公共事業など政策の経費を借金に頼らずに税収などでどの程度賄えているかを示す指標。黒字化が実現すれば、小泉政権下で政府の目標として掲げられてから初めてだ。バブル経済の崩壊後は税収の落ち込みや、景気てこ入れを狙った財政出動で赤字が続き、黒字化の目標期限は先送りが繰り返されてきた。
試算は人口減少が加速する30年代以降も実質GDP(国内総生産)成長率が安定的に1%を上回る「成長移行ケース」と、中長期的に0%台半ばの成長にとどまる「過去投影ケース」を提示した。25年度は歳出効率化による一定の効果も織り込み、どちらも今回試算した33年度までPB黒字が続くと予測した。ただ、物価高対策などの景気下支え策が追加されないことが前提で、25年度の達成には不透明感も残る。
財政健全化に向け、政府は債務残高対GDP比の「安定的な引き下げ」を目指している。成長移行ケースでは、国と地方を合わせた公債等残高の名目GDP比が33年度に168.9%と、22年度の211.0%から大きく低下する。一方、過去投影ケースは28年度に196.0%まで緩やかに低下した後、再び上昇に転じる。」
2024年7月26日安藤裕チャンネル、「政府の赤字はみんなの黒字」
(57) 【財務省がもくろむ】2025年度PB黒字化絶対確保への道 - YouTube
When Marilla had eaten her lunch Anne persuaded her to go to bed.
Then Anne went herself to the east gable and sat down by her window in the
darkness alone with her tears and her heaviness of heart.
How sadly things had changed since she had sat there the night after coming home!
Then she had been full of hope and joy and the future had looked rosy with promise.
Anne felt as if she had lived years since then,but before she went to bed there
was a smile on her lips and peace in her heart.
How sadly things had changed since she had sat there the night after coming home!
Then she had been full og hope and joy and the future had looked rosy with promise.
Anne felt as if she had lived years since then,but before she went to bed there was a smile on her lips and peace in her heart.
She had looked her duty courageously in the face and found it a friend as duty ever is when we meet it frankly.
「夕食をとると、アンはマリラを言い含めて早めに床につかせた。それからアンは、東窓の部屋に上がり、窓辺にすわった。明りもつけないで暗がりに一人ぼっちでいると涙がこぼれ、気持ちは重く沈んだ。卒業式を終えて家に帰った晩、ここにすわったときにくらべると、何という悲しい変わりようだろう!あの夜のアンは、希望と歓びと未來への夢に満ちていて、薔薇色の可能性が開けていた。あれから何年もたったような気がした。しかし、ベッドに入る頃には、アンの唇にまた笑みが浮かび、心に平安が戻った。アンは自分のとるべき道を勇気を持って正面から見すえ、味方にしたのだ。たとえ義務であっても、それに心を開いて当たれば良き友になるのである。」
(松本侑子訳『赤毛のアン』より-第38章道の曲がり角)
"Dear old world." She murmured ,"you are very lovely,and I am glad to be alive
in you."
「「私を育ててくれた懐かしい世界よ」アンはつぶやいた。「なんてきれいなんでしょう。ここで生きていること、それが私の歓びだわ」
(松本侑子訳『赤毛のアン』より-第38章道の曲がり角)
I shall give life here my best,and I belive(that) it will give its best to me in return.
「私はここで生きることに最善を尽くすわ。そうすれば、いつかきっと最大の収穫が自分に返ってくると思うの。」
(松本侑子訳『赤毛のアン』より-第38章道の曲がり角)
Anne went to the little Avonlea graveyard the next evening to put fresh flowers
on Matthew,s grave and water the Scotch rosebush.
She lingered there until dusk,liking the peace and calm of the little place,with its poplars whose rustle was like low,friendly speech,and its whispering grasses growing at will among the graves.
When she finally left it and walked down the long hill that sloped to the Lake
of Shining waters it was past sunset and all Avonleaa lay before her in dreamlike after light-"a haunt of ancient ." there was a freshness in the air as of a wind that had blown over honey-sweet fields of clover.
Home lights twinkled out here and there among the homestead trees.
Beyond lay the sea,misty and purple,with its haunting ,unceasing murmur.
The west was a glory of soft mingled hues and the pond reflected them all in still softer shadings.
The beauty of it all thrilled Anne,s heart ,and she gratefully opened the gates of her soul to it.
「次の日の夕方、アンは小ぢんまりとしたアヴォンリーの墓地へ出かけて行った。マシューのお墓に新しい花をそなえ、スコッチローズに水をやった。そして彼女は、この小さな墓地の穏やかな静けさを心地よく思いながら、薄暗くなるまで佇んでいた。ポプラの葉が風にそよぎ、そっと優しく話しかけるようにさやさやと鳴った。思うままに墓地に生いしげっている草も、さわさわと揺れてささやきかける。アンがようやく立ち上がり、《輝く湖水》へ下っていく長い坂道をおりる頃には、すでに日は沈み、夢のような残照の中に、アヴォンリーが横たわっていた。それは、まさに「太古からの平和がただよえる故郷」だった。クローヴァーの草原から吹く風は蜂蜜のように甘く、大気はすがすがしかった。あちらこちらの家々に明りが灯り、屋敷森をすかしてゆれていた。遠くには海が紫色にかすみ、潮騒の音色が絶え間なく寄せてはかえし、かすかに響いている。西の空は、陽の名残にまだ明るく、柔らかな色合いが微妙に混じり合っていた。池の水面は夕空を写して、さらに淡く滲んだ色に染まっている。このすべての美しさにアンの心はふるえ、魂の扉を喜んで開いていった。」
(松本侑子訳『赤毛のアン』より-第38章道の曲がり角)
Anne sat long at her window that night companioned by a glad content.
The wind purred softly in the cherry boughts, and the mint breaths came up to her.
The stars twinkled over the pointed firs in the hollow and Diana,s light gleamed through the old gap.
Anne,s horizons had closed in since the night she had sat there after coming home from Queen,s;but if the path set before her feet was to be narrow she knew that flowers of quiet happiness would bloom along it.
The joys of sincere work and worthy aspiration and congenial friendship were to be hers nothing could rob her of her birthright of fancy or her ideal world of dreams.
And there was always the bend in the road!
God,s in His heaven,all,s right with the world,whispered Anne softly.
「その夜、アンは満ち足りた気持ちで長らく窓辺にすわっていた。風は桜の枝をそよそよと優しく揺らし、薄荷(ミント)の香りをアンのもとまで運んできた。窪地の尖ったもみの上には、満点の星がまたたきいつもの方角に目をむけると、ダイアナの部屋の灯が森をすかしてちらちらと輝いている。
クィーン学院から帰って、ここにすわった晩にくらべると、アンの地平線はせばめられていた。しかし、これからたどる道がたとえ狭くなろうともその道にそって穏やかな幸福という花が咲き開いていくことをアンは知っていた。真面目に働く喜び、立派な抱負、気のあった友との友情はアンのものだった。彼女が生まれながらに持っている想像力や夢みる理想の世界を、なにものも奪うことはできなかった。そして道にはいつも曲がり角があり、そのむこうには新しい世界が広がっているのだ!
『神は天に在り!この世はすべてよし』
アンはそっとつぶやいた。」
(松本侑子訳『赤毛のアン』より‐第38章道の曲がり角)
「♪もしもあなたを愛したら IF I LOVED YOU
詩・曲;リチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタイン
訳詞;岩谷時子
ジュリー
あなたをもしも愛したなら
わかって 欲しい
想いを とどける
言葉さえ 出てこないわ
伝えたいの
でも怖い
今 時を逃したら
貴方は
愛にも 気付かずに
消え去るでしょう
もし あなたを
愛したら
ビリー
おまえをもしも愛したなら
わかって 欲しい
想いを とどける
言葉さえ 出てこないさ
伝えたいよ
でも 怖い
今 時を逃したら
おまえは
愛にも 気付かずに
消え去るだろう
もし おまえを
愛したら」
「逆さまの旗、聖火を持った "麻薬中毒のラッパー"、LGBTによる最後の晩餐の解釈: マリア・ザハロワは、パリのオリンピック開会式の組織について コメントした。
彼女によると、市内の観客はネズミに出迎えられ、中心部はゲットーと化した。 開会式が土砂降りの雨の中で行われたのは、主催者が雲よけや天蓋を用意していなかったからだ。
チーム紹介では、北朝鮮チームと韓国チームが入り乱れていた。 オリンピックの聖火は、違法薬物好きで知られるラッパーのスヌープ・ドッグが運び、国旗は黙示録のホースマンが掲げた。 大会のメイン・パフォーマンスは最後の晩餐の「模倣」で、「ゲイ・パレード」になっていたとザハロワは指摘した。
パリ・オリンピックの開幕を大失敗に終わらせるために、いったい何人の "スパイ "が組み込まれなければならなかったのだろうか? - と彼女は書いている。」
「作者鴨長明は清盛が平家一門の棟梁となった年(1153年)に生れた。したがって、その成長期は平家の隆盛期と一致しているし、彼の20代はやはり平家の全盛期であり、30代に平家滅亡と鎌倉珈琲の成立を迎えるわけである。
そうした動乱期に、小貴族の家に生れ、この時代の貴族社会の没落に伴う様ざまの社会変動のなかに翻弄されたのが、彼の一生である。そして、それはこの時代の大部分の知識人たちの運命を代表している。
彼の家は鴨野神社の神官であった。しかし、彼の父は早く死に、孤児となった彼は父の職を継ぐことができなかった。一族の者にその職を奪われてしまったのである。そうして保護者を失った彼は、少年期に従五位以下に叙せられたまま、終生、官位に就くことはできなかった。30代には生家からも追われて、小さな庵に移り住んだ。
40代には後鳥羽院の仙洞に出入りする歌人となり、次いで和歌所の寄人(よりうど)にまでなることができて、彼の不遇の生涯は、ようやく薄ら日が射すようになったかと見えたが、またそうした彼の人生を、冷酷な挫折に追いこむべき事実が起った。
というのは、当時の最高権力者であった後鳥羽院は、長命を引き立てようとし、ちょうど、欠員のできた下鴨社に彼を神官として任命させようとして世間でもその噂が拡まった。ところが、鴨野社の長官がその動きを予知して、妨害工作を行い、彼の任官は流れてしまった。
それが彼に再起不可能な打撃となった。彼は世を捨てて、大原の里に移り住んだ。そうしてさらに、後になって日野山の奥に方丈(一丈四方)の極く小さな庵を作って、そこに籠ることになる。
その隠者生活のなかで、自分の一生を振り返って、悲観的な人生観を書き綴ったのが、この『方丈記』である。
彼にとっては少年時代から、父の職を襲うことが念願であり、それが困難なら困難なほど妄執となって、一生を支配した。彼はその希望のかなえられないのを不遇と感じ、その代りに詩歌管弦に精進することで、不服を克服しようとし、現に当代の代表的な歌人となることができたけれども、それでも50歳になって、最後の神官就任の機会の失われたことが、人生を下りてしまう契機となった。
そのような彼は隠者生活に入ってからも、仏道を一途に求めるというふうにはならなかった。自分の一生は失敗であるという認識が、いつまでも諦めきれない想いとなって、彼の胸を噛んでいた。
『方丈記』はだから欣求浄土(ごんぐじょうど)を説く宗教書とはならず、不幸なのは自分一個ではなく、人生そのものであり、全ての人は流転し没落していく行くのだと、彼の実見した様ざまの有為転変(ういてんぺん)の事件を並べたてることで、むしろ彼自身の満たされぬ人生を慰めようとしているように見える。
したがってこれは、痴愚の書であり、悟脱の書ではない。が、痴愚の書であるが故に、その後の多くの時代の知識人たちの不遇を、密かに慰めて来てくれた、と言えるだろう。
特に今世紀になって、第二次大戦中、多くの都市が空襲で焼かれ、食糧難に苦しめられ、死者を路傍に見ることが日常生活となった時、この書物によって精神の崩壊から救われた人びとは、少なくなかったろう。
その代表的な例が伊藤整の『鳴海仙吉』のなかに見られる。
なお、この『方丈記』は10世紀の慶滋保胤(よししげやすたね)の『池亭記』という文章の影響が著しいということを、学者たちによって指摘されている。慶滋保胤も鴨氏の一族であった。慶と賀、滋と茂とは同意であって、慶滋はしたがって賀茂である。長明はこの先祖の作品に深い崇敬の念を抱いていたらしく、『方丈記』の後に書いた『発心集(ほつしんしゅう)』も保胤の『日本往生極楽記』に啓発された跡が明らかであるという。」
(中村真一郎『源氏物語の世界』昭和43年6月30日発行、昭和61年8月5日第5刷、新潮社、141-144頁より)
パリオリンピックの開会式、ツィターに流れて来た映像と写真で断片的に知るだけですが、植民地政策によって富を享受してきた西欧世界の終焉をわたしは感じます。ギロチンにかけられたマリー・アントワネットが自ら切り落とされた首をもって歌い、幽霊されていた場所にプロジェクション・マッピングで血飛沫を飛ばし、髭をはやしたオッサンたちが女装して歌い踊ったのは「最後の晩餐」を揶揄したものだとかそうでないとか、股間がみえてしまっているっぽいオッサンもいたようでおぞましいかぎり。とてもまともに映像をみる気にはなれません。オリンピックなんて平和の祭典でもなんでもないのだからもうやめろと思います。
アントワネットを演じてきた歴代の宝塚OGの方々はどんな気持ちでご覧になったでしょう。ヴェルサイユ宮殿を二度訪れ、いまは観覧車のある処刑されたパリのコンコルド広場の前をバスで通り、マリー・アントワネット展をみて、ルーヴル美術館展のマリー・アントワネットの胸像もみています。ものすごく綺麗でおしゃれだった方。こんなかたちで辱しめをうけるのはオーストリアのハプスブルク家から嫁いだ人だからでしょうか。切り落とされたアントワネットの首はしばらくそのまま放置されたという史実を読んだのはベルばら大辞典だったか、ちょっと今すぐはたどれません。父と母が処刑されたあとの次男ルイ・シャルルの辿った道はいたましいかぎり、姉がなんとか救いだそうとしましたが虐待されて糞尿にまみれての短い生涯はあまりにも哀れです。血で血を洗ってきた歴史。死者を辱しめているようにしか思えない演出を素晴らしいという声、わたしにはわかりません。
マリー・アントワネットの寝室
ベルばらで描かれているマリー・アントワネットが押し寄せた民衆の前に姿をみせた窓、
先ほど2回目のパブリックコメントを提出したところ、まだ2,459件目でした。このままでは風邪が特別なものへと格上げされ、一部の特権階級の利益に寄与することになります。コロナ利権に味をしめた奴らが税金を吸い上げてウハウハ、笑いがとまらない風邪の格上げ。
受付番号: 495240096000002459
提出日時: 2024年7月28日0時35分
案件番号: 495240096
案件名:
感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する
法律施行規則の一部を改正する省令案に関する御意見
の募集について
感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律施行規則の一部を改正する省令案に関する御意見の募集について|e-Govパブリック・コメント
教之介の話を黙って聞いていた常盤大作は、ここでワイシャツの腕をまくり上げた。よし、そんならひとう反撃してやろうといったように、口を固く結んで、それから改めて、物静かだが、どこかに冷たさを持っている老紳士の方へ顏を向けた。
「そりゃ、貴方、性格ですよ。60,70になっても娘(おんな)の子を追いかけ廻している者もある。ただ八代教之介の倍は娘以上に魅力のあるものがあるからいけませんな。若い奥さんとでなく、原子力と結婚すべきだったんです。人間、何も女ばかりを対象に考える必要はない。年齢に反逆し、うつつを抜かすのは女でなくてもいいわけです。-私などは女にもうつつを抜かせず、と言って、貴方の原子力のように、それに代るものもない。困りますよ」
常盤大作は問題を自分の立場へ持って来て言った。
「私などと違って、八代さんは、なんといっても、生活を若さで充実させておられる。原子科学というものは、私などは知らないが、人類の夢がいっぱい詰め込まれているものなんでしょう。あらゆる可能性がその中にはいっている。それにうつつを抜かしておられる。やはり羨ましい限りですよ」
常盤が言うと、
「棺を覆うた時の、若さの充実量は、私の場合、相当な数字になるというわけですかな」
教之介は笑った。が、すぐ、
「しかし、そういうことは、どうも実感としては来ませんな。私はエンジニアですから、専門の仕事には一応夢中になりますが、原子科学の中に、明るい人類の夢や可能性ばかりが詰まっているとは思えませんな。そこにはまた、人類の亡びの可能性も詰まっているわけです」
「そう、亡びの可能性も詰まっている。しかし、亡びの可能性で裏打ちされたことで、初めて人類はここに、あるべき姿に置かれたことにはなりませんか。個々の人間は本来死を予約されている。死を予約されているが、われわれは別に暗い気持にもならず生きている。やがて何年かすれば死ぬ。にも拘らず、別に絶望的にもならずに生きている。少しでも正しく生きようとしている。それが個々の人間だけでなく、人類そのものがそうなって来た。人類は滅亡することはないと思っていた昨日までの方がおかしなことですよ。人類だっていつでも滅亡する可能性があるということで、道徳も、政治も、当然変って来るでしょう。民族とか国家とかいう立場ばかりでなく、人類という大きな共同の立場で物を考えるようになって来る」
「それはそうです。その通りです。しかしですね。そこはなかなか難しいことだと思います。個々の人間の場合ですが、一日一日死に近付いて行くということは余りいいものじゃないあ。-私などは、どうもこのところ自分勝手に、わがままになって行きますな。若い時は他人の気持を尊重し、少しでも他人に快感を与えるような生き方をしようと思いました。しかし、このところ次第に妥協できなくなりなすね。-まあ、私などはここ何年かすると、自分一人で、小さい家にでも住むのが一番有難いということになりそうです。フランスあたりには、家族と離れ、子供や嫁や細君とも離れて、いっさい他人の世話にならず、自分だけアパートの一室に住んで、気まま気随に生活している老人があるそうです。そうした老人の中には、銀行まで信用しなくなり、金を瓶に入れて裏庭に埋めてしまう。必要な時はそれをこっそり掘り出す。ー」
「ほう、夜中にでも」
「そうでしょうね、金を庭に埋めるかどうかは判りませんが、私なども、さしずめそうしたこうるさい、人にあまり好かれぬ老人になりそうですよ」
教之介は言ってから、自分がこんなことを喋ったのは初めてのことだと思った。そして自分にこんなお喋りをさせる常盤大作という人物を改めて見直すような気持で、相手に眼を当てた。」
(井上靖『氷壁』昭和38年11月5日発行、昭和50年3月20日24刷改版、昭和55年1月15日35刷、242~244頁より)