たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

母が亡くなった翌年-2013年4月

2024年07月21日 01時18分56秒 | 祈り

「2013年4月5日(金)

忙しく働いてかなりの疲労がきている。

1985年6月19日、本を出版した前後の日記を捨てた。思い出すことができない場面ある。妹や母のことがでてくると辛い。もう忘れよう。

よくそんなエネルギーがあったもんだと思うが、一途な日々だったが、全ては過去だ。もう忘れよう。捨て去っていこう。新たに生き直していきたい。」

 

「2013年4月21日(日)

冬に逆戻りしたような寒さの終末。1992年5月、イギリスへの旅の日記を捨てた。ヅカのパンフも捨て始めている。『JFK&バロック千一夜』『国境のない地図』『忠臣蔵』『雪之丞変化&サジタリウス』もだったかな。20年近くたった今も出演した人達はそれぞれにたくましく生きている。私もいつまでも止まってはいられえない。前に進んでいくために捨てる。

原発事故の後、もし限られた荷物しか持てず逃げなければならないとしたら何をもっていくのか考えた。このまま全てを抱えて生きていくことはできない。だからっ捨てる。父と母の遺品を処分しながら考える。要らないんだなって。だから捨てる。軽やかになりたい。アケさんやりーりからの手紙も捨てていく。少しずつ。封印していたMちゃんからの手紙や葉書とも出会ってしまう。自分を責めるだけなので読み返すことはできない。いずれYくんと燃やそうと思う。いつかどこかでお別れしなければならない。人との出会いも、物との出会いも必ず終わりはくる。

「フタバから遠く離れて」を来往舎で途中からだったがみる。電気を使っていた関東の人間が何事もなかったかのように暮らしていて、電気を使っていなかった人達が避難している。なんとも違和感がある。貧しい海沿いの地域に原発をつくってリスクを背負わせて都会の人間があっちもこっちも電気をつけて暮らす。そういう仕組みになっていたことを愚かながら知らなかった。そんな豊かさは要らない。自分たちの手で制御できなくなるものを造ってはいけない。自分は何をすべきだろう。何ができるだろう。考え続ける。

もう少し落ち着いたらブログを始めようと思う。」

 

「2013年4月27日(土)

毎日どっちゃり働いているので疲れが出て辛い。それでも断捨離をやめることはできない。すごい数の日記、パンフ、勉強の資料。1986年頃の日記と写真。もう忘れたい。若かった私、愚かだった私にサヨウナラ。

高校時代の日記は今週捨てた。『二十歳の原点』に出会ってしまったのがよかったのかどうか、今となってはよくわからない。ただ私の気負いは助長されてしまったかもしれない。

妹と同じ部屋になった時のこと、母とケンカしたこと、父のがなっているのがよくわからなかったこと、妹の荷物が多くて帰りもおそくなって父が駅に迎えに行ったもののなぜか入れ違いになって3人で声を張り上げていたこと、きかん気だった妹を思い出す。信州に旅行に行って母は車酔いがひどくってほとんど食事ができなかったこと、母は病気になってからその時のことも持ちだして父に向って攻撃した、激しく。色々な場面がその後につながってしまって辛い。なぜなのか、なぜなのか。家は和やかだと高校生の私は書いている。私のなぜ?に対する答えはどこにもなく、いつまでも空をさまよう。求めてはいけない。

三人がこの世からいなくなって全ては終わった。私自身の幸せを考えよう。解放されたんだ、家から・・・。

もう少しすっきりしてきたら、ブログと哲学の勉強を始めたいと思う。

仕事は辛い。疲れたね・・・。」


第五章岐路に立たされる女性-⑥転職

2024年07月20日 17時05分58秒 | 卒業論文

 結婚が誰もが納得する退職の理由であることを記したが、近年の晩婚化の進行と共に、従来、固く結びつけて考えられてきた結婚と退職との間に、乖離がみられるようになった。結婚のための退職ではなく、より多くの女性がOLを辞めて新しい職業に就くようになった。派遣会社に登録する女性もあれば、日本企業よりも男女平等という点において一歩先を行くと見られている外資系の会社に勤める女性もいる。またその外資系勤務に必要な語学力を磨く目的で海外留学を志す女性もいる。さらに、何からの専門的な職業に就くために修学・資格取得を目指す女性もいる。ここでOLが転職へと促される様子を概観したいと思う。

 先ず男性に比して女性の方が転職希望率の高いことを裏付ける資料として『平成9年 就業構造基本調査の解説』から転職希望率及び求職率を男女別に見た場合、女性の方が高いことが読み取れる。転職希望者は、男性391万5千人、女性323万1千人、転職希望率は男性9.9%、女性11.8%と男性に比べ女性の方が高くなっている。さらに、転職希望者のうち、実際に仕事を探すなどの求職活動を行っている者(転職求職者)は、男性170万6千人、女性143万3千人で、ともに転職希望者の約4割を占める。また、有業者に占める転職求職者の割合(転職求職率)をみると、男性4.3%、女性5.2%となっている。(表5-1)(図5-1)

 東京・三田にある「女性と仕事の未来館」の事業報告によれば、転職に関する相談は、大別すると人員整理などでやむなく転職を迫られる層と、自分の生きがい・能力発揮を目指して転職を希望する層に分けられる。日本では従来、男女を問わず転職に良いイメージはもたれなかったが、最近の企業倒産、人員削減の中で転職せざるを得ない人々が増え、女性にもその波は押し寄せている。一方、ヘッド・ハンティングや引き抜きによる一見華麗な転身が話題になる時代でもあり、実に気軽に転職の相談を寄せてくる相談者が多い。また、今なお女性を補助的な仕事の担い手として位置づけている均等法以前の古い体質の企業が数多くあり、女性が転職せざるを得ない状況におかれているケースもある。女性たちの年齢層は20代後半から30代初めが圧倒的に多く、特に29歳、30歳という年齢は転職を考えるメルクマールかと思われる。[i] 

 平凡な毎日の中で、平凡なOLが自分を見出していくのは難しい。銀行員生活3年目の終わりの日記にわたしはこう書いている。「OL生活もうすぐ4年生。丸3年間毎日同じことの繰り返し。けだるさを感じずにはいられない。仕事に振り回されて、心が乾いてしまいそうでそんな自分がいやなのだ。毎日毎日をもっと大切に生きたいのだ」。

 25歳を境に女性のライフサイクルは分化し、就業を継続していた場合28歳頃に男女の壁にぶつかることはすでに記した。OL7年目は転職に揺れる時期である。先の「女性と仕事の未来館」の事業報告から次のような事例を紹介したい。Aさん27歳は製造業に就職、事務職として勤務してきたが、仕事は営業に出ている男性の補助業務、雑用ばかりで会社にはそれ以上のことは期待されていない。気が付くと同期の女性も次々と結婚、子供をもって働いているような先輩女性の姿もない。「一生このままかと思うと自分の人生は空しくなります」と転職を考え始めた。「何で私、今こんなことしているんだろう。このままじゃいけない、何とかしたい」といった自身の心の叫びを大多数のOLは幾度となく聞いているだろう。しかし、何か始める時は大きなエネルギーを必要とする。リスクも伴うものだ。唯川恵は、27歳にして突然上京した友人の姿にOL7年目の自身の焦燥感を次のようにも回想している。無謀でもいいじゃない。そんなパワーが私にも欲しい。パッと花咲く花火のようにたとえ一瞬でも私も無茶に生きてみたい。このままこの会社でOLとして、ただ年をとってしまうなんて、あまりにも哀しい。でも、でも・・・そんな簡単にはいかない。そんな勇気はない。[ii]

 転職を契機に何か資格を身につけて出直そうと考える人も多い。しかし、大多数は何をやっていいのかわからないのが現状だ。資格を取ること自体が目的になってしまってその先が見えない場合も往々にしてある。「どうして女性はそんなに資格・資格と資格にこだわるのか」という男性の声がきかれることがあるが、資格を持っていないと自分を証明することができないことがあるのだ。一つの企業に勤め続けている男性には経験ないだろうが、男性に比して女性にとって資格は、「自分の証明してくれるもの」として重要である。男性の肩書き同様、社会に出て信用を得られるものだと位置づけることができる。なぜなら女性が日本型企業社会の中で身元を証明しようとするとき、所属企業や学歴よりも資格の効果の方が高い場合が多いからだ。女性にとって所属企業に勤めていることは、男性のようにそこの住人とはみなされにくい。管理職になっていれば別だが、通りすがりの人、いっときの社会見学者ぐらいのものである。「そしていつか、いなくなるんでしょ」といったところだ。「専業主婦」をしている女性の場合は、誰々の奥さん、誰々のお母さんとしか呼ばれず、また役所の書類から銀行の振込みまでいつも旦那さんの名前をサインしていると、自分の名前がいつか消えてしまいそうな不安にかられる。資格をとることで、自分の名前を取り戻した「専業主婦」もいる。自分が自分であることを証明する。一生ものの資格とは、そんな自分の存在証明ができる資格のことをさしているのだ。[iii]

「今の仕事はつまらない」、「長く勤めたところで仕事内容や待遇が改善されるわけではない」、こうした理由から退職へと補助業務に固定されたOLは促される。退職したOLの結婚以外の選択肢の一つとして転職はある。しかし、とにかく今の仕事をやめて新しい仕事に就けば新しい人生が開けるというような安易な転職はすべきではない。そうした考え方は、結婚を仕事からの逃げ道とする、いざとなれば結婚という伝統的解決方法をとればいいという考え方と質的には同じである。「今の仕事はつまらなくて、やりがいが感じられないので適職をみつけて転職したい」。これは、「女性と仕事の未来館」の事業報告から短大卒業後食品会社に就職して6ヶ月の女性の場合である。とにかく会社を辞めさえすれば新しい人生を開けるというような、一歩間違えば安易な行動を起こしかねない。そんなOLに唯川恵は次のようなエールを送っている。ただ会社がつまんない、とか、仕事が面白くない、なんて理由で転職を考えるのははっきり言って愚かでしかありません。どこに行っても、つまんない会社はあります。面白くない仕事だって、そっちの方がほとんどなのです。仕事は仕事です。私たちは報酬をもらうために労働を提供しているのであって、楽しみを得るために勤めているわけではないのです。継続は力なり。私は、この言葉をOLの座右の銘としてささげます。いいえ、OLだけでなく、生きることにおいて必要不可欠なことだと信じています。それを踏まえた上で、転職するかしないか考えるべきです。決めるのは自分自身。腹をくくって考えてほしい。[iv] 一度辞めてしまえばどれほど後悔しても元の会社に戻ることはできない。現在の会社に見切りをつける前に他にやりたい仕事は何か、その可能性や到達手段を考えて在職中から準備をしておくことが必要だ。すぐにも会社をやめる前に、まず現在の日々の仕事を遂行していく中でやりたいことの関連知識や技術をしっかり習得して、キャリア・アップを図るための自己研鑽を怠らないことが重要である。仕事を通じて着実に蓄積された能力は職務遂行の上でも、転職、再就職の際にも有効なものとなろう。また、社内研修、社外の勉強会等にも積極的に参加し、多くの人々との人間関係を大切にしておくことも忘れてはならない。民間の専門学校等を含め学ぶ場は多くあるので、積極的に情報を集め、まず自ら行動が起こしてみることが大切である。[v]

 転職とは、キャリアの進むべき方向を大きく変えることである、とキャロル・カンチャ-は述べている。カンチャーによれば、キャリアとは単に仕事・経歴をさすものでなく、「生涯に経験するすべての職業、行動、考え方、姿勢」まで含む、自己実現、人生そのものなのである。仕事を変えることは大きなリスクを伴う。従来の価値観に捉われず、自らのキャリアの創造のため仕事と人生を変えるリスクを冒す勇気を持つ人をカンチャーは「キャリア・クエスター」と名づけている。「キャリア・クエスター」とは、よりよい人生を実現するために、転職というリスクを進んで侵していく意志のある想像的な人のこと、言い換えれば、「転職力」を身につけている人のことである。[vi]「自分らしさ」を求めて、転職をする、留学を志す、派遣社員という働き方を利用する、さらに専門的な職業を求めて就学するなど選択肢は様々であるが、いずれを選ぶにせよ、ポジティブなOLは、「キャリア・クエスター」と言えるだろう。自分さえちゃんとしていれば、「失敗」は「失敗」ではない。「失敗」を恥ずかしいとか、取り返しがつかないとは思わないほうがいい。長い人生から見たら、「失敗」の一度や二度、どうってことはないのだ。だいたい失敗しない人生なんて、平坦でつまらないではないか。[vii]「キャリア・クエスター」タイプは、フレキシビリティに価値を認め、自分で選択したキャリアを通じて、自分を作り変える。自分の尺度を持ち、仲間に尊敬されるよりも、自分で自分を尊重できることに重きをおく。世間の常識に束縛されることを嫌い、独立心に富む。仕事と精神的生活のバランスをとろうと努力するタイプである。

カンチャーは、仕事に対する姿勢を三つのタイプに分けている。ポジティブな生き方をするOLが先に記した「キャリア・クエスター」タイプだとすれば、「被差別者の自由」を享受し、巨大で強烈な消費者集団としての顔を持つ、特に親と同居のOLはカンチャーの分類の二つ目に当たる、「自分の生活が一番、責任なんて負いたくない」タイプと言えるだろう。このタイプは自分の満足を求めることだけがその行動の基準なので、企業戦士などもってのほか。恋愛のため、余暇のため、家族や自己実現のための時間を欲しがり、完全にバランスの取れた人生を送りたいと望む。このタイプは、仕事はお金のためと割り切り、昇進や難しいビジネスにまつわる話題は避ける。そういったことは生活を脅かす要素と考える。キャリアのために生活を犠牲にする気はさらさらなく、また、仕事が生活を圧迫することも好まないのがこのタイプである。三つ目としては、組織から与えられる仕事に受け身で関与する、「組織内での評価がすべて」タイプである。昇進、権力、役職、そして他人の評価と尊敬に何よりも価値をおく。転職など考えもせず、その適応能力も、組織内で動き回ることと組織内での生き残りにおいてしか発揮されない。日本の「会社人間」は言うまでもなく、このタイプに当たる。いずれのタイプにせよ、キャリア・クエストという生き方を選ぶことによって、人生を変えることができる。キャリアを積み上げながら人間として成長していくことが大切なのである。そのためには、ひとつの職場で昇進することよりも、個性の多くの面にフィットする複数の仕事が必要だとカンチャーは述べている。目的をもって人生を生き、その目的がキャリアの目的と一致するときにはじめて、「私は何者なのか。私は何になりたいのか」という誰もが抱く疑問の答えが見えてくる。それは人生に意味を与える仕事とライフワークの選択を可能にしてくれる。キャリア・クエスターは自己に忠実である。自分で確信を持って、「こうありたい」という人生を生きている。人生の道に沿って、キャリアも常に動いている。本当に満足できる人生とキャリアの実現のためには、人生のあらゆる要素をよりよいものにするように努め、自分の内と外に調和をもたらすようにしなければならない。[viii] すでに概観したように、女性にはしばしば人生の転機となる機会が訪れる。そうした転機は自分を成長させ、次のステップへと進むチャンスなのである。ライフ・サイクルの変化に沿って、自ら選択しキャリアをフレキシブルに変化させていく。転職とは、より充実した人生を歩んでいくための手段なのである。

では、女性が働くことの意味がどこにあるのか、生活費を稼ぐ絶対の必要性に縛られている場合に、より良い人生を歩もうとする「キャリア・クエスター」がどのような選択をするか、やりがいや目的のある仕事の探求と生活のためにしなければならないこととのバランスをどのようにとりながら「自分らしさ」を見出していくか、こうしたことについては、さらに考察していきたいと思う。「自分らしさ」を見つけることは簡単ではない。

 

 

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引用文献

[i] 『女性と仕事の未来館 報告書 NO.3 働く女性が拓く未来』7-8頁、2001年。

[ii] 唯川恵『OL10年やりました』160-161頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。

[iii] 松永真理「なぜ仕事するの?」80-83頁、角川文庫、2001年(原著は1994年刊)。

[iv] 唯川、前掲書、162-163頁。

[v] 『女性と仕事の未来館 報告書 NO.3 働く女性が拓く未来』22頁。

[vi] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クセストで成功をつかもう』8-9頁、光文社、2001年。

[vii] 松永真理『なぜ仕事するの?』199頁、角川文庫。

[viii] キャロル・カンチャー、前掲書、18-26頁。


三好春樹『関係障害論』より‐人間の目が光る?

2024年07月20日 08時00分25秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐「アヴェロンの野生児」を読んでみる

「もっと最近のお話もあります。これは、よく知られていると思います。

 同じく福村出版から出ていますが、『狼に育てられた子』という本です。植民地時代のインドで、怪物が現れるという噂が地元の人たちの間にあって、イギリスの宣教師で、孤児院をやっていた人が見にいきます。狼の穴から化け物が一気に2匹出てくるのです。よく見ると、人間らしいということで、捕獲をいます。そして、自分の孤児院で育てるための受け入れの準備をしてくるから、それまで見ていてくれと、地元の人に頼んで帰っていきます。地元の人はこれは悪魔だと気持ち悪がって水も与えなかったものですから、彼が迎えにきたときは死にそうになっていました。彼はそれをもう一回元気にしまして、育て始めます。いわば、教育を始めるわけです。

 好奇の目にさらされるのはかわいそうだということで、誰にも明らかにしないで、自分たちだけで教育を始めるわけですが、夜になると2人で外へ出ていって、狼のように遠吠えをします。人間では考えられない感覚がいっぱい出てきます。おそらく姉妹だったろうということですが、1人が1年足らずでなくなり、もう1人は発見後9年目に尿毒症で亡くなっています。

 亡くなった後、記録を発表します。写真もたくさんあり、本にも載っています。ところが、専門家はみんなこれはでっちあげだと信用しませんでした。なぜかというと、記録の中に「夜になると四つの目が光った」という記載があったのです。動物の網膜というのは、わずかな光に反応して、光を返す物質が生成されているのですが、人間の網膜にはそういうものは一切ありません。ですから、目が光るということは、人間には考えられないことだったのです。

 そのうち、この記録が嘘ではないということが明らかになってきます。というのは、ある生物学者が、昆虫採集のために森の中を歩いていたのですが、そこを他の学者に銃で撃たれる、という事件が起こりました。どうして撃ったのかというと、「暗闇の中で目が光ったから動物だと思った」と言うのです。そんな馬鹿なとうことで調べてみたら、この昆虫学者の網膜には、動物と同じ物質がちゃんとあったのです。この人は暗い森の中をずっと歩いていたものですから、そういう物質ができてきたらしいのです。それ以降、洞窟に住んでいる人の中から同じような現象が出てくるようになりまして、人間というのは、本来体の中で分泌されない物質を環境に適応するために作り出すらしい、ということがわかってきたのです。本来は存在しない化学物質さえ環境に合わせて作るのですから、感覚を忘れることくらいは、老人だってやるでしょう。

 これはどういうことなのでしょうか。感覚として感じていないわけではないのです。感覚器官があって、尿意はちゃんと神経を伝わって脳に達しているはずです。途中で切断されているわけでも何でもない。だけどそれを感じないというのはなぜかというと、これは一種の「認知障害」だとしか思えないです。左マヒ特有の「失認」という症状があります。見ているけど見えていない、聞いているけど聞いていない、という不思議な症状です。

 なぜこういう症状が起きるのかというと、物を見るという視覚中枢のもう1つ上のレベルに、資格認知中枢というのがあって、ここで見ているということを意識してはじめて人間は見ることができる、といわれています。この認知中枢が血管障害によって障害されているときに、失認という症状が出るのですが、この場合には認知中枢がやられているわけではなくて、心理的に認知をしないわけですから、認知拒否です。要するに、器質的な障害はないのに失認と同じ症状が出ているということで、私は『老人の生活リハビリ』という本の中で、オムツによって感覚がなくなるということを、「仮性失認」と名づけています。認知拒否という症状を、理論的に考えてみるとそうなると思います。」

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、44-47頁より)

 

 

 


「大草原の小さな家」への旅_Discover Pepin

2024年07月19日 19時31分48秒 | 「大草原の小さな家」への旅

「大草原の小さな家」への旅_ペピン湖畔

 

 ウィスコンシン州ぺピンのパンフレット、あの世に旅立つと一緒にいくことはできないので今一度ここに掲載してお別れします。

 

 


8/16までパブリックコメント募集中:急性呼吸器感染症を五類に追加

2024年07月19日 13時55分29秒 | 気になるニュースあれこれ

厚労省は風邪を五類に分類しようとしているようです。マスクさせてワクチン打たせる理由づけを増やそうと必死になっているのか?

先ほど反対しますと送ったところまだ30件目でした。

感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律施行規則の一部を改正する省令案に関する御意見の募集について|e-Govパブリック・コメント


『モネ連作の情景』上野の森美術館-ヴェトゥイユの教会

2024年07月19日 00時48分29秒 | 美術館めぐり

『モネ連作の情景』上野の森美術館-モネのアトリエ

 

クロード・モネ

《ヴェトゥイユの教会》

 1880年、ヴェトゥイユ 

 50.5 × 61.0

 サウサンプトン市立美術館、

 

モネ 連作の情景 - 芸術広場 (geijutsuhiroba.com)

 

(画像は『モネ連作の情景』公式ツィッターより)


7/11予防接種健康被害制度による新型コロナワクチン接種の死亡認定は合計713名に

2024年07月18日 14時41分36秒 | 気になるニュースあれこれ

Xユーザーの葵❇Yukari KAMIJIMAさん: 「R6.7.11開催 第19回感染症・予防接種審査分科会新型コロナウイルス感染症予防接種健康被害審査第三部会審議結果 総数 進達受理 11,540件 否認 2,020件 認定 7,738件 保留 17件 未着手 1,765件 死亡一時金・葬祭料に係る進達件数 進達受理 1,422件 否認 266件 認定 713件 保留 6件 未着手 437件 1/ https://t.co/394xpegCL8」 / X

「R6.7.11開催 第19回感染症・予防接種審査分科会新型コロナウイルス感染症予防接種健康被害審査第三部会審議結果

 

総数

進達受理 11,540件

否認 2,020件

認定 7,738件

保留 17件

未着手 1,765件

 

 

死亡一時金・葬祭料に係る進達件数 進達受理 1,422件

否認 266件

認定 713件

保留 6件

未着手437件

 

障害年金・障害児養育年金に係る進達件数 進達受理 584件

認定 102件

保留 0件

未着手 292件

今回の審議で,障害年金・障害児養育年金認定件数が100件を超えました

 

20代以下の新たな認定は

医療費・医療手当

12歳 男性 左視力低下,両視神経委縮,視神経症

29歳 男性 肩痛・慢性疼痛,頚部痛

 

〈死亡一時金・葬祭料〉

26歳 突然死

https://mhlw.go.jp/content/10900000/001274777.pdf

制度を知らなかったり,申請のハードルが高くて申請を諦めている方が多いので,数字に表れているのは氷山の一角です

現在,患者会では申請の簡素化と国による詳細な実態調査を要望する署名活動を行っています

https://x.com/vaccinesosjapan/status/1784055163407511637

 

新型コロナワクチン種後の健康被害に関する救済認定数は,過去45年間の定期接種に関する認定数の2倍以上,死亡一時金・葬祭料に関しては4倍以上です

多くの方がワクチン接種後に重篤症例を含む健康被害を訴えているのは紛れもない事実なのに,国民への情報公開がなされず,全国メディアで大きく取り上げない為, 多くの国民がこの事実を知りません

接種開始から3年以上経過し,接種後に起きた健康被害に関する症例報告や様々な懸念を示すデータや論文が発表され,新型コロナワクチンのリスク評価に結論が出たとは言えないのに,ワクチンの安全性に関する評価が軽視された状況が続いています

これまでは,どのワクチンに関しても,数名に重篤な健康被害が生じた場合には再開されたとしても調査の為に一旦中止されています

ワクチンは健康なヒトに接種するので,リスクは限りなくゼロでなくてはならないからです

新型コロナワクチン接種後にこれだけの数の健康被害が生じているにも関わらず,なぜ一旦中止にならないのかと不思議で仕方ありません

また,mRNAワクチンのリスクそのものや,そもそも炎症惹起作用のあるLNPや血栓形成作用のあるスパイクタンパクを用いた製剤設計の問題に関して,十分な検証をすることなく,mRNAの技術を用いた他の新しいワクチン開発が進められていることに警鐘を鳴らさざるを得ません

今秋から実用化を目指しているレプリコンワクチンで同様の被害が起きることは十分に予測できます

国民への説明や周知もされず,接種が続けられているのは異常だと思います

政府は,全国民に向けて現時点で明らかになっているリスクや健康被害状況を速やかに分かりやすく公表したうえで,ワクチン接種を一旦中止して,被害に関する迅速かつ丁寧な調査と検証を実施すべきです」

 

自力ではたどり着くことのできない厚労省HPのリンク先、多くの方が指摘しているようにわざとわかりづらくしているのでしょう。厚労省のHPはとてつもなくわかりづらいようにつくられています。

 

001274777.pdf (mhlw.go.jp)

疾病・障害認定審査会 感染症・予防接種審査分科会
新型コロナウイルス感染症予防接種健康被害審査第三部会 審議結果


三好春樹『関係障害論』より‐「アヴェロンの野生児」を読んでみる

2024年07月18日 00時41分46秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐もし呆け老人だったら

「そんなことがあり得るのかと思われるでしょうね。まず理論的にそんなことがありうるのか、ということになりますが、これに関係論的に仮説を立ててみます。そして、もしその仮説が正しいのであれば、関係によって感覚は戻ってくるはずだということになります。そういうことはあり得るみたいです。人間というのは不思議なものですね。

『アヴェロンの野生児』という本が福村出版という、こういう本の専門の出版社から出ています。かなり昔ですが、フランスのアヴェロンの森で、野生児が発見されます。野生児といっても、青年です。推定年齢17歳か18歳だろうといわれています。小さいころ、森に捨てられたか、迷い込んだかとして、人間とは何の接触もなく森の中で過ごしてきて、17~18歳になったようです。これが、村人によって捕まえられます。噂を聞いたパリの国立病院のイタールという医者が、さっそく駆けつけまして、これを保護して教育を始めます。

 この野生児は人間ですから、解剖学的にはふつうの人間と全く一緒なのですが、森の中にいるともんそうごく違うのです。感覚機能がぜんぜん違います。いくら大声で呼びかけても何も反応をしません。だから、耳が聞こえないのだろうと思っていたのですが、実はそうではなかったのです。

 クルミとクルミが触れ合う音がすると、そちらをパッと見るというのです。どういうことかというと、それまで人間の世界にはいませんから、人間の声というのは、自分が生きていく上で全く必要ではなかったのです。でも、クルミは生きていく上で必要なものだからなんです。

 耳が聞こえる範囲があるとしますと、その部分はすごく発達して、ふつうの人間だったら発達しているはずの人間の声に反応する部分が、全く退化しているという状況だということがわかってきました。寒い日に、夜、裸で外に寝ても風邪もひかない。あるいは、栗を与えると、栗を暖炉の中にぽっと投げ入れて、そしてそれを手で出してつかんでも熱くない。そういう不思議な行動を克明に記録しています。

 当時は、社会契約論のルソーの思想が支配的だったのです。彼の主張というのは、人間というのは生まれたときはすごく素朴で、善人なんだけど、社会に入ることによってだんだんと悪いことを覚えていくのだという、社会が悪いという説でした。この説が本当かどうか、格好の材料ではないですか。生まれたまま社会と触れ合っていない人間が、初めて見つかったわけですから。それでいろいろなことを調べます。いま考えるとおかしいのですが、本人の目の前でいきなり十字架をパッと見せて、どんな反応をするかなんて実験をしています。自然児に神という観念があるかどうか調べているんですね。

 先ほどのお年寄りの話です。トイレに行けなくなったらすぐオムツ、という二者択一しか排泄の方法がないというところに入り込んでしまった人というのは、ちょうどアヴェロンの森に迷い込んでしまった子どものようです。その環境に適応するために、自分の感覚を変化させた、あるいは喪失させてしまったということです。老人は適応力が弱いとはいえないですね。ものすごい適応力です。いじらしいほどの適応力です。つまり、老人が介護のレベルに合わせて、自分の身体を変えてしまうということが起っているのです。」

 

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、42-44頁より)

 

 

 


第五章岐路に立たされる女性-⑤「結婚退職」はOLの花道

2024年07月17日 13時05分13秒 | 卒業論文

 仕事と私生活が不可分な関係にある女性の前半生の流れを大雑把に素描してみたが、女性にとって「生まれ変わる」ことのできる最大のチャンスは結婚である。女性に対してしばしば賞味期限といった言葉が使われるが、それは、女性自身の中にも内面化されている。「25歳は女の賞味期限。それまでに結婚しなきゃ」-。そんな悩みを抱える女性は少なくない。[i] 何かしたいと思う。じゃあ何がしたい?私に何ができる?もう歳だし、これといってしたいこともない、資格もないし、だいいち才能もない・・・。こう考え出した時には、無性に結婚に走りたくなる。「やっぱり結婚した方がいい」という線に落ち着いてしまう。結婚神話に魅せられるのである。女性誌の中から、結婚と仕事にゆれる女性の声を拾ってみると、「生涯、続けられる仕事をしたくて会社を辞めました。退職後は、講座を受講したり、独学で勉強をしたり、最近になって就職活動を始めました。でも、この不況。やりたい仕事はあっても経験がないと採用してもらえない。そんなとき彼からプロポーズ。疲れているときに、“このまま結婚してしまおうかな”と、楽な道を考えてしまいます。でも、今結婚したら一生後悔するだろうし、結婚しても続けられる仕事をしたくて会社を辞めたので、簡単にはあきらめたくありません。両親には“女の子は結婚するのだから無理して働かなくていい”と言われ、友達には“結婚するって逃げ道よね”と言われ。どうしたらいいですか?」[ii] この中にあるように、女性にとって結婚は、伝統的な解決方法、苦しい時の逃げ道でもあるのだ。 松原惇子は、「結婚」という二文字は私にとって「かけこみ寺」のようなものだった、と述べている。何かあったら結婚すればいい、逃げ道だったのである。[iii] 唯川恵は、「私だって結婚退職をしてOLの花道を飾りたい」とOL5年目の「宙ぶらりん」の心情を回想している。「結婚退職と依願退職じゃ、退職金にも差がつく。第一、周りの目が、納得度が違う」のだ。[iv]  学校を出て社会見学も4、5年やって、ある悟りの境地にも達している。まあこんなものよ。これだ!と思える仕事とも出会えなかったし、やっぱり女の幸せは結婚かも・・・。結婚神話に魅せられるOLの心情はざっとこうしたものではないだろうか。結婚さえすれば、金屏風の前に立ちさえすれば、たとえ妥協と惰性の産物であったとしても輝いて見える。誰もが祝福してくれるのである。結婚退職は、会社にとっても最も円満でありがたい辞め方である。さらに、出産・子育てと続けば、女性は賞賛の嵐を浴びることになる。日本型企業社会の中では、「女」は軽く扱われても「母」は尊敬されるからだ。

 

 昨吟の日本の人口の動態上、最も重要な変化の一つが晩婚化である。晩婚化の動きは特に都市部で顕著であり、東京都の20代後半の女性では、未婚者が過半数を超えた。晩婚化に伴い、女性の平均勤続年数も上昇中である。昔のように独身女性を偏見のまなざしでみる風潮はなくなってきた。ひと昔前なら、30すぎて結婚していない女性は、オールドミスというレッテルがはられ、社会に出て安心して働いていられない状態だったが、今は堂々と社会で生きている。しかし、結婚はしない、あるいはしたくない、と考えて働いている女性は少数派であろう。OLにとって職場の同僚の結婚退職は大きな関心事である。ベテランOLになると、同僚の結婚退職を祝福しつつも、幸せそうに職場を去っていく同僚を見ると、一瞬、取り残されたような気持ちにさせられてしまうのである。小笠原祐子は次のような34歳の独身OLを紹介している。「今後? それが一番問題ですね。とにかく入社したときは、こんなに長くいるとは思っていなかった。4年ぐらいで辞めると思っていたので。就職のときは、とりあえずどっかに入らないと、って感じだったので。派遣(の仕事)も何度も考えましたよ。でも派遣って、所詮はごまかしていることにちがいないんです。『あの人結婚できないんだわ』『いつまでいるつもりかしら』っという(社内の)目を避けるため(退社して派遣の仕事に就く)。こんな状況でいるのも心細いんです。こんなつもりじゃなかった。同期がやめてゆくのって、とてもつらいし寂しい」。この不動産会社に勤務する女性は,OLの生活も「結婚するまでの期間と思えばそれなりに仕事してそれなりにお給料もらって結構居心地良い」と感じていた。しかし、「結婚するまでの」という条件が取り払われたとき(あるいは取り払われたと意識したとき)、それまで居心地良いと感じていた職場に対する気持ちが大きく変わったのである。このOLは「社内でも社外でもやりたいことを捜して見つけられたらいいなって思う」とインタビューを締めくくっている。[v] この女性のように、仕事に対してビジョンや目的があるわけでもなく、どこかの一般企業に入り、結婚するまでの間、とりあえずOLをする。結婚は幸せを連れてきてくれる。結婚した後の人生が本番で、それまではリハーサル。その先のプログラムを女性はなかなか描くことができないのは、すでに記したとおりである。結婚して今の生活から抜け出したい。結婚さえすればすべてが解決する。結婚こそがオールマイティ。女性がシンデレラコンプレックスにかかる背景には、「結婚=幸せ」、「仕事=苦しみ」というステレオタイプ的な図式ができあがっていることが考えられる。結婚が逃げ道であるということは、結婚することで仕事という労苦から逃れることができる。嫌な選択-雇用労働-からの誰もが納得する逃げ道として、消極的な評価が結婚に対してなされている、ということだ。女性というのは、男性と「結婚」することにより、自分の力では得ることができなかったものを一瞬にして手に入れることができるのである。安定した収入のある男性と結婚しさえすれば、積み重ねなくして生活パターン、生活そのものを180度転換することができる強みがある。「あなた任せのプログラム」では結婚しだいで全く異なる人生を歩むことができる。沈没しかかった自分の船を自分の力で復元させることなく、通りかかった船に乗り移ることで自分を救うことができるのだ。女性は結婚することにより職業を中断し、経済的に不安定になる可能性が大きい。その分男性に対する期待は増大し、結婚後に感じる経済的負担は、女性(36%)よりも男性(69%)に大きくなる。[i]結婚を契機に性別役割分業は強くなり、女性が男性の収入に依存する度合いが大きくなるのである。結婚を、仕事をやめるための理由として選択する、仕事をやめたいから結婚する、筆者はそうした女性の姿を20代初め頃の銀行員時代に先輩の中にみた。そうした身の引き方は、性別役割分業が浸透した日本型企業社会の中で女性たち自身が自ら「個」として生きることを規制してしまっている姿だと言えるのではないだろうか。

 日本の女性の、他者に依存して幸福にしてもらおうとする他力本願的な幸福感を松原惇子は痛烈に批判する。独身女性も、今はシングルというだけで、シングルを選んでいるのでもなければ肯定しているのでもない。それどころか、ひとりで一生くらすなんて、とんでもないと考えている。日本の女性は、世界でもまれにみる、お嬢ちゃん。人に食べさせてもらうことが好きな人たちだ。自立とか口にするが、本当の自立がどんなことかぜんぜんわかっていない人が多い、と松原は述べる。[ii] 松原によれば、女性自身が自らシングルという生き方を否定しているのだから、世間がシングルを認めるわけがない。世の中でも最もシングル女性に対して偏見をもっているのが、彼女たちの親である。30間近の未婚の娘を持つ親は、血相を変えている。娘が未婚であることが、一家の重大事とは考えられないが実際はそうなのである。娘は健康で仕事があるから幸福だ、と考えられない親の多いこと、多いこと。こんな親に育てられた娘は、自分の生き方に自信をもてず、親を喜ばせるために、いつしかいいなりになっていく。そして、妥協して結婚、出産。そのうち、こんなことを口ばしるようになる。「あなた、どうして結婚しないの?」その言葉が、女性を傷つける。女同士、理解しあってないのだもの、男たちがシングルの女性を理解するわけがない。彼らのほとんどは、女性が社会進出することはいいことだ。女性もどんどん働くべきだという考えをもっている。しかし、本音はといえば、はやくやめて家庭に入ってほしいのである。「女がひとりでがんばってどうするの?」正直な男は、ポロリと本音を口にする。日本人は、一つの価値観しか認めない国民性を持つ人たちである。人には、いろいろな生き方があることが理解できない、特殊な人たちである。「女性は結婚するのが幸せ」この考え方は、根深い。しかし、問題は結婚か未婚かではなく幸福になることだ。これからの女性たちは、親や世間の考え方に左右されず、リンとした気持ちで生きる必要がある。[iii]松原が述べるように、結婚ですべてが解決するわけではない。結婚はシンデレラ姫のような御伽噺ではないのだ。人生はいつもぶっつけ本番。今を充実して生きなければ、一生、とりあえずのリハーサル的な生き方しかできない。そんな生き方はしたくない。結婚するしないにかかわらず、自分の人生は自分のためにある。結婚したいから相手を捜すのではなく、結婚したいと思う人が現われたとき結婚しよう。それが自分の「その時」なのだ。[iv]結婚にタイムリミットはない。

 

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引用文献

[i] 坂西友秀「恋人たちがもつ現代的「家」意識」藤田達雄・土肥伊都子編『女と男のシャドウ・ワーク』36-37頁、ナカニシヤ出版、2000年。

[ii] 松原惇子、『OL定年物語』95-98頁、PHP研究所、1994年。

[iii] 松原惇子、『OL定年物語』95-98頁、PHP研究所、1994年。

[iv] 唯川恵、前掲書、153-154頁。

[i] 『日経ウーマン 2003年2月号』22頁、日経ホーム出版社。

[ii] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』213頁、文芸春秋、1998年。

[iii] 松原惇子『クロワッサン症候群』244頁、文春文庫、1991年(原著は1988年刊)。

[iv] 唯川恵『OL10年やりました』119頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。

[v] 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』50-52頁、中公新書、1998年。

 


『モネ連作の情景』上野の森美術館-モネのアトリエ

2024年07月17日 00時31分46秒 | 美術館めぐり

『モネ連作の情景』上野の森美術館-ルーヴル河岸

クロード・モネ

《モネのアトリエ》

 1874年、アルジャントゥイユ 

 50.2 × 65.5

 クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー

 

(画像は『モネ連作の情景』公式ツィッターより)