たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ようやく木曜日の年度末・・・

2016年03月31日 21時57分37秒 | 日記
 ちょうど2年前の自分を振り返ってみたらこんな状況でした。

 http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/m/201403

 会社に対して闘いを挑もうとしていましたが、全くそんなつもりはなくもっと簡単に甘く考えていました。どれほどきついことに自分が足を踏み入れようとしているのか、この時は全くわかっていませんでした。結果的に会社に対してひどいじゃないか!っていうためには闘いにならざるを得ませんでした。社会から孤立しながら心身をすり減らしていく日々の始まりでした。それから二年が過ぎ、この時には全く想像することすらできなかったところまでたどり着きました。結果的になにも変わらなくても書類は行くべき所までいきました。今さら変わったところで私が利するところはどのみちなにもありません。ただ使い捨てにされたという事実が残るだけ。ここまでがんばって書類を出すべき所にだしたのは、恩を仇で百倍返しにしてきた会社に対する私の復讐行為のようなもの。まだまだ悔しさはあります。私が何年にもわたってどれほど悔しい想いを噛みしめてきたのか、誰にもわからないと思います。やっぱり悔しいです。でも人生の時間には限りがあるので、いつまでもくさったような会社にこだわり続けていては前に進むことができないのでもう忘れていきたいです。忘れていかないといけないです。
ありがたいことに忙しくて疲れてしまっているので自ずと記憶から遠ざかっていきつつあります。13年も働いたのに「お世話させていただきました」「お疲れ様でした」と普通に挨拶をかわすことができないままになっていることだけが心残りです。なぜ一生懸命に働いて会社に貢献したはずの私が苦しまなければならなかったのか、不利益をこうむらなければならなかったのか、今もわかりません。全て働いてきた私の自己責任にしてしまった方が都合がいい。自己責任にできるようにうまーく社会の仕組みはつくられています。その中で声をあげていこうとしたいました。自分に再び働ける日が訪れることを全く想像することができませんでした。社会復帰できなくなるのではないかという不安と背中合わせの中できついことに足を踏み入れようとしていました。

 それから二年が過ぎ、これまた全く想像することすらできなかった職場で働くことになりました。苦しい日々が続いてきましたが二カ月近くが過ぎ、どうやら最初の大きなヤマを私は乗り越えることができたようです。2月9日の業務開始から研修生バッジをつけていましたが本日をもって外すよう責任者から指示がありました。ある程度仕事ができるようになったと認められたようです。擦り切れた自分がこうしてまた働くことができるようになるとは思いもしませんでした。再び元気に働いている自分の姿を想像することが全くできませんでした。業務内容と環境はともかく、こうして働くことができるんだっていう自信を取り戻していくことが今の私には一番必要なこと。ようやくどうにかこうにかそこまでたどり着くことができたようです。研修生バッジを外して仲間に入れるようです。きつくって仕方ないですが今週はすごい怒りに遭遇してしまうことなくやっと木曜日まできました。あと一日。無事に終わっていきますように・・・。

 年度末の今日で退職される方もあり、人事異動もあり、挨拶の場面に居合わせました。明日は4月1日。前職で毎年のように新入社員に社内手続きを色々と教えていました。社員よりも私の方が諸々の社内手続きを熟知していたってどういうことなんでしょうね。もう忘れていきましょう。私はまだやれます。自分で思っているよりもやれるのです。やれているのです。気負わず私らしくできるだけ笑顔を毎日を過ごしていけるといいなと思います。あと一日。ふんばれ、わたし!


頭がくらくらする水曜日・・・

2016年03月30日 22時12分06秒 | 日記
 毎日の通勤経路が意識しなくても、いやでも自然に体がその方向に動いていくようになったのでなんとか出勤できていますが連休なしの翌週5日間フル勤務はやはりかなりきついです。頭がくらくらしています。今日はノー残業デーなので自分へのご褒美に最寄駅の目の前にあるデパートでいちごのムースケーキとココアをいただきました。一時間の残業があるかないか、疲労度の違いは大きいです。毎日9時間近い拘束時間はやはり長いです。疲れます。それでも自分で思ったいたよりも私は業務をこなすことができるようになってきたのかもしれません。きょうはじめて責任者の女性から「たんぽぽさん、慣れてきましたね。やりはじめたら早いですね」と言われました。自分の中で最後の砦で、一か月前を走る人たちがやっているのをみながら疲弊した自分にはとても無理だと思っていた、来所者と対面しながらパソコンを操作して手続きを完了させるという業務も始めるようになりました。最初はそばでひとつひとつ教えてもらいながらでしたが、何回かやったらできるようになりました。慣れていくにはやるしかないと思ってやっていたら、自分が思っていたよりもできるようになったようです。苦しくて苦しくてしょうがなかった違う道へと歩きだす、大きな山をようやく超えるられそうなところまで来たのかもしれません。職務内容はともかく10年以上働いた先から飛び立って違う世界へと足を踏み入れていく、その第一歩が私には必要でした。安くても給料をもらいながら飛び立っていくきっかけが必要でした。ようやくここまで来ることができました。色々と間違えたり戸惑ったりしながらなんとかここまで、という感じです。

 一年前の今頃、納得には程遠い労働紛争の終結をどう受けとめていいのかわからず、ずたずたに疲弊しながらあまりの悔しさに涙があふれてどうしようもありませんでした。年末に帰省した時は、気力が失せたまま身動きできない自分がなさけなくってどうしようもなく、両親と妹が眠るお墓の前で泣き崩れていました。帰省していた一カ月、見守ってくれるようにと、よき方向に導いてくれるようにと毎日お墓参りをして祈り続けました。その時の私からすれば、こうして毎日行く場所があるだけずいぶんな進歩かもしれません。どこからも必要とされないまま社会から孤立している状態は本当に辛かったです。今毎日のように一人で話し相手のいないさみしさの中でいるであろう方々をみるので考えさせられます。今の職務内容自体は楽しくないし、ほんとうにどうかな、という感じですがものすごく色々と勉強になるのは事実です。滅多に入り込むことができない場所にたまたま入り込んで、滅多に知ることなどできないことをたくさん知りました。自分の目で確かめました。諸々が自分の糧になっていくと信じたいです。漢字で人の名前を書くってものすごくむずかしく、それだけでなにかと悩ましい毎日。知らなかったことだらけです、ほんとに。あと二日なんとか無事に今週が過ぎていくといいですがどうでしょうか。

 ニュース一覧をみると日本はかなしい国になったなあ、どんどんダメになっていくなあと感じることばかりです。お母さんに最後は守られたであろう三歳の男の子のいのちが助かりますようにと祈らずにはいられません。自死を完全否定できませんがやはり哀しいです。お母さんはSOSを発信できる人が近くにいなかったのか。助けて!と言える環境のなかにいなかったのか。公的サービスで助けを求めるとかえって孤独になってしまうこともあります。行政の限界を私自身が思い知っています。なんかほんとに色々と考えさせられることばかりの毎日です。中途半端な感じですが、今日はこれでおしまいです。今日も読んでくださり、ありがとうございました。

まだ火曜日・・・

2016年03月29日 22時14分57秒 | 日記
 年度末の月末、世間が忙しい時に自分だけ仕事もなく社会から孤立しているのも辛いのでこうして行く場所があるだけでもよしとしなければ、と思います。大きな混乱はなかったもののなんともいいようのない疲れを感じる一日の終わりです。喉の炎症をおさえる薬をのんでいるせいか、朝駅に急ぐ道すがらものすごく体がおもいのを感じました。これであと3日間出勤かー。大丈夫なのかな。仕事はなんとかこなせましたけどね、これが日本株式会社のやっていることか、これが日本株式会社の現実か、こんなんで大丈夫なのか、と感じながらの業務遂行はなんともむなしいものがあります。労働紛争のプロセスで社会の仕組みがいかにおかしいことになっているかをはからずも知ることになりました。それを再確認するような毎日です。日本株式会社、ほんとにおかしなことになっていると思います。非常に心配です。こんな日本でも子どもたちは元気です。子どもたちが元気に走り回っている姿をみると、それでもまだ大丈夫かなと思えたりもします。

 日曜日にデパートでみかけた子どもたちの風景。三人兄弟の一番上のお兄ちゃんがまだ小さい末っ子の弟と手をつないでいる、真ん中のおにいちゃんは催事場の食べ物を好奇心いっぱいでのぞきこんでいる。当たり前すぎる兄弟の風景。当たり前すぎる家族の風景。私の幼い時もこんな家族の風景だったはず。時はあっという間に過ぎゆく。幼い時の家族が幸せな時間は短い。幼い頃は全く予想だにしなかったようなことが待っていた。今でも自分が自死遺族であるということが信じられず・・・。どうしてなのか答えはどこにも見出せず・・・。ただ自分が一生懸命に生きていくだけ。

 色々とやりたいことはあれど休まないといけません。ブログやツィッターで元気がもらえるものに出会い何とか少しエネルギー補給できたでしょうか。なんともほんとに疲れる毎日が続いていきます。いつまでもつことやら・・・。

長い一週間の始まり

2016年03月28日 22時13分26秒 | 日記
 長い一週間が始まりました。週に5日も働きたくないですね。自分の時間がないです。帰宅したらごはんを食べながらこうしてパソコンを立ち上げてブログやツィッターをみるのがささやかな幸せの時間。清史郎君、ミュージカル、労働関連の情報をチェックします。

 なんというか今日もあんまりいい空気じゃなかったです。そもそもがおかしいので仕方ないですけどね。外からのすごいお怒りはありませんでした。むしろ、これじゃあ大変ね、ほんとにこんなのどうするのかしらね、働いている職員さんも虚しいですよね・・・そんな声をいただいて、ちょっと涙すら出てしまいました。詳しく書けませんがほんとにね、振り回されて大変な毎日なんです。その上に責任者との間がわからなくて、ちょっと油断して隙を見せてしまったら全くそんなつもりじゃなかったです、そういうことじゃないんです、っていうことでまた色々と言われてしまいました。ほんとにね、わざと遅れようとしたわけではなくて、テプラのテープがないからどうすればいいのかわからずウロウロしてしまっただけなんですけどね、朝礼始める様子がないからちょっとおトイレにいってしまっただけでギリギリに駆けこめばいいとか思っていたわけじゃないんですけどね、口には出しませんでした。

 テプラのテープがなくなった時前職では自分で必要な分だけインターネットで注文すれば翌日の遅くても午後には届くので、届いたら補充して使えばいいだけのことでした。自分でじゃあこれは明日やろうって段取りできました。やり慣れていれば15分か20分もあればできるはずのことができません。テプラテープの補充はどこにあるのか、求めている色と幅の補充がなければ誰が注文しているのかを聞いて回らなければなりません。補充されたら自分が次にいついつやろうとかっていう段取りもつけられません。そんなひとつひとつのことに体が慣れず疲れてしまいます。前職で自分の段取りで色々とやっていた分なんだか歯がゆくって余計に疲れるものがあります。わたしある程度はもうできているはずなんですけど、決まったものがない中での業務なのでなかなか慣れずにずれたことをしてしまったり、ほんとになんだか慣れません。こんな感じで長い一週間が始まりました。お昼休みで公園で『赤毛のアン』の英語テキストを読んでいます、といっても疲れてしまっているのでぼうっと眺めているだけですけどね・・・。窓の外ですごい音がきこえるのでなんだろうと思ったら雷の音。3月の終わりにですよ。どうなってしまっているんでしょうか、心配です。

つぶやき・・・

2016年03月27日 15時22分02秒 | 日記
 3月最後の日曜日の昼下がり、陽射しがあふれています。明日から金曜までフル出勤の予定。自分には合わないとわかっと仕事に行かなければならないのはきついです。外からも中からも怒られる毎日にエネルギーそがれて、疲れてしまっています。作業自体はつまらないし、少しも楽しくありません。それでも実績として次につなげていくためには完走するしかないのだと自分に言い聞かせています。つぶれる心配はないようなところだし。つぶれる心配がないので働きたい人がたくさんいるとききますが、私には少しもいいとは思えません。

 今日は電車に乗りません。出勤中は普通にパソコンを操作することがまったくなくなったので、こうして部屋でパソコンをやっているの時間がささやかな幸せ。前職で体にしみついてしまったものが全く役に立たないどころか邪魔っけだと感じます。感覚的にあまりにも違いすぎて、気づかいのつもりでやったことが余計な先走りだったり、逆に変に差別的なことをしたくないと思って普通にしたつもりのことを配慮がたりないと怒られたり。精神保健福祉士も含めて自分の中では当たり前になっている感覚と違いすぎて戸惑いの毎日です。そんな言い方しなくてもいいのに、っていういやな言い方をされるたびに傷ついています。ひとつひとつはほんとに小さなことですけどね、すり減りにはこたえることばかりです。前職の苦しい日々を思い返すとむなしさだけが胸の中に去来します。10年以上も実際に同じ会社で働き続けたのに何も残りませんでした。よかれと思って一生懸命にやったことの全てが仇となってかえってきました。全て一生懸命にやった、がんばってしまった私の「自己責任」です。己に鞭打ってがんばりつづけてしまったあの日々は私にとっていったいなんだったのか。あの会社での、あったかいとさえ思えた人間関係はなんだったのか、信頼を築き上げたはずの人間関係はいったいなんだったのか。貴重な40代をつぶしてしまいました。悔しさと心残りがありますが私が戻ることはないし、もう忘れたい気がします。何も残らなかった日々。むなしくて仕方ありません。

 ここに詳細を書くことができないのがとても残念ですが、日本はすごく疲弊してしまっているのではないかと感じてしまう現実を目の当たりにする毎日。自分はこうなってはいけないし、すきでこうなっている方はいないはずだと思います。労働環境の悪化、非正規雇用の増加がこうさせているとしか私には思えません。いったいこの国はどうなってしまっているのか、考えさせられます。一昨日うまく書けなかったこと。4年前に他界した母はなくなるまでの25年ぐらい統合失調症でした。そのためにずいぶん苦しんできたことはなんどかブログに書いています。受け容れられなくて、どんな病気なのか理解したくて精神医学をかじり、結果精神保健福祉士の国家試験にも合格しました。そのプロセスで私の中で精神疾患は特別なものではなくなりました。障害者手帳には身体、療育、精神の三つがありますが、精神だけ特別なものであるかのような扱いはしたくない、みんな同じ人、好きで精神の手帳を持っている人などいないと私なりに受け容れることができるようになりました。その頭で精神の手帳を持っている方を受け付けたとき、身体の手帳を持っている方と全く同じように書類に記入しました。そしたら人権に配慮が足りない行為だと上からも他の方からもすごく叱られました。その根底には精神の手帳を持っていることを人に知られてはいけないことだと特別視する意識があるのではないかと私は感じてしまいました。区別or差別なのではないかと。それは長い間苦しんできた末にようやくたどり着いた私の感覚。普通はまあ知られちゃいけないことだと思うのが自然でしょうからこの感覚は伏せなければなりません。明日からもまた毎日のように対応することになると思います。接遇なんて私には向いていないし、すごくむずかしくてうんざり。私には辛い職務です。


第1章性別職務分離の状況_⑦賃金格差

2016年03月27日 11時12分38秒 | 卒業論文
 男女別賃金格差は雇用の男女平等を示す指標である。昇進・昇格の男女間の格差は、男女間の賃金格差となって表れている。

 厚生労働省「賃金構造基本統計調査」によると、2000(平成12)年6月のパートタイム労働者を除く女性一般労働者(平均年齢37.6歳、平均勤続年数8.8年)の決まって支給する現金給与額は、23万5,100円、うち所定内給与額は23万6,000円である。一方、男性一般労働者(平均年齢40.8歳、平均勤続年数13.3年)にきまって支給する現金給与額は、37万300円、うち所定内給与額は33万6,800円である。(表1-27) 

 男女賃金格差は年齢が上がるほど大きい。女性一般労働者の賃金(所定内給与額)を年齢階級別にみると、17歳以下から年齢とともに緩やかに上昇し、35-39歳層をピークとして40歳以下で下降している。男女労働者それぞれの賃金の年齢間格差(20-24歳層を100として算出)をみると、男性は50-54歳まで年齢と共に上昇が続き、右肩上がりのカーブを描いているのに対して、女性は35-39歳をピークとして横ばいである(図1‐15)。

 女性の賃金(所定内給与額)を企業規模別にみると10~99人規模で20万2,100円(男性29万8,400円)、100~999人規模で22万2,300円(同32万5,000円)、1,000人以上規模では、24万6,600円(同39万3,000円)と企業規模が大きくなるほど賃金は高くなっている。これを年齢階級別にみると、10~99人規模では年齢35-39歳層が21万8,100円と賃金のピークとなっており、100~999人規模では40-44歳層が25万900円、1,000人以上規模では、45-49歳層が29万8,700円でピークとなっている。なお、男性は企業規模を問わずすべて50-54歳層がピークとなっている (図1-16)。大企業でも格差が大きいことがわかる。

 年齢別の男女賃金格差は若年では小さいが、年功賃金の影響が大きくなる30歳代以降は、拡大するばかりである。特に年功カーブのピークに当る40代後半の格差が最大になる。国際比較でみると、日本の格差はヨーロッパに比べて相対的に大きい。(図1-17)。 

 こうした男女間の賃金格差の要因としては、多くの女性が雇用形態、職種・職域の点で年功賃金体系が適用される職務についていないことがある。これまで見てきたように、日本型企業社会では、個々の意欲・能力・適性とは関係なく、性による振り分けが最も安定性を保ち、経済的であるため、労働市場において女性は男性に比して低く位置づけられてきた。女性は結婚・出産を理由に短期で辞めてくれることを期待されていた。

 一方、日本の年功賃金体系は長期勤続を前提としている。日本の賃金体系を概観してみると、これまで多くの企業で、「職能給」+「年齢給」、「職能給」+「年齢給」+「勤続給」などの組み合わせにより、基本給を決めてきた。この3つの賃金ができた背景を、少し追いかけてみると、1901年、官営八幡製鉄所が操業を開始した時、「社員を長く雇う中で、その社員を育成し伸ばしていこう。そしてその伸びに応じた賃金を払おう」という人間価値論による賃金制度が始まった。これが、「1年間働けば、その分だけ仕事に必要な経験や知識を身につけたはず。それに対して、お金を払いましょう」という「勤続給(年功給)」の始まりだ。日本型長期雇用の礎ともなった。

 戦後、労働組合が力を増してくると「賃金は生活に配慮したものでなくてはならない。子どもの養育費などを考えると、年齢が上がるごとに賃金」も上がることが望ましい」という観点から、「年齢給(生活給)」へと変わった。そして、1975年ごろから、労使双方の話し合いにより「能力に応じて賃金を決めよう」と「職能給」が生まれた。一人ひとりの「職務を遂行する能力」を評価し、それに資格を与える。個人が能力を身につけようと自己啓発に努めることも目的の一つとした制度だ。

 この三つの賃金制度は「人の価値」で決める賃金のため「能力主義」と言われる。個人が身につけた能力、知識、経験、技術に対して支払われるからだ。長期雇用のもと社内異動を繰り返し、キャリアを積み重ねていく働き方には、どんな仕事をしているかなど、その質や量を問わず、その人が持っている能力を評価する方法が適していた。これらの賃金は、一度上がったら下がらないのが特徴だ。「1年働いた分の経験や、一度身につけた能力は下がることがない」という考え方がその根底にある。社員の成長を前提としているため、定期昇給により、毎年、賃金は上がり続ける。1)

 総体として男性はこうした年齢別生活保障型の賃金カーブが形成される仕組みの下にあるのに対して、若年短期補助労働力と位置づけられてきた女性は未熟練労働者として入職時点から勤続年数が短い低賃金の補助的業務に固定されやすい。また再就職も低賃金のパートである場合が多い。つまり男性のように昇進・昇格できないポジションや職務であるため、それに伴う賃金上昇が生じないのである。

 性による偏った評価がなされてきた。仕事の質が低いから賃金が低いのではなく、主に女性がする仕事だから低く評価され、賃金が低くなっている。たとえば庶務担当の女性や看護婦のように責任の重い専門職でも、女性の仕事だからという理由で賃金は低く抑えられてきた。2)

『クロワッサン症候群の女たち』から男女間の格差を表す事例をここで一つ紹介したい。
大手生命保険会社の35歳の女性は勤続14年目にして事務主任という肩書きを得た。男性なら6年目でとれる資格である。彼女の勤める生命保険会社の場合、均等法前女性は入社すると事務職に就かされる。何年か勤めていると、課長の推薦で周りの女の子の面倒をみる事務リーダーになることができる。しかし、主任の肩書きを得るのは大変なことである。まず、生命保険協会の専門課程試験上級と生命保険講座の12コースに合格しないと主任テストは受けられない。
「主任になったとたん、お給料がガバッと上がったんですよ。2段階も上がって、7万円も増えたんです。仕事は昨日までと同じなのに・・・」
事務リーダーをしている時の手当は、たった6千円だった。
「すごい違いでしょ。結局、男性は入社して数年で主任になれるのだから、初任給は女性と一緒でも、本質的にはすごい差があるということになるんですよ。会社って、そういう仕組みになっているんですよ」 3)

引用文献

1)『日経ウーマン2002年7月号』60頁、日経ホーム出版社。

2) 女たちの欧州調査団『なくそう パート/契約労働/派遣 差別』54頁、2000年2月。

3) 松原惇子『クロワッサン症候群の女たち』(文庫版)156頁、1991年。(原著は1988年)


図1-15
厚生労働省雇用均等・児童家庭局編『平成13年度版 女性労働白書』付57-付表44もとに作成。
資料出所:厚生労働省『賃金構造基本統計調査』平成12年

図1-16
厚生労働省雇用均等・児童家庭局編『平成13年度版 女性労働白書』付59-付表46をもとに作成。
資料出所:厚生労働省『賃金構造基本統計調査』平成12年


自分でグラフを作成しましたが、ワードからコピーできませんでした。スキャンして追加掲載できればと思っています。

成長した清史郎君

2016年03月27日 10時43分35秒 | ミュージカル・舞台・映画
 NHKアーカイブスのFBに公開された2016年「精霊の守り人」トーヤ役の清史郎君と2009年「天地人」泣き虫与六役の清史郎君の写真。泣き虫与六は最初女の子が演じているのかと思いました。時の流れを感じます。大人にとっての7年は同じ職場で凝り固まってしまうようなところがありますが、子どもにとっての7年は一日一日が成長の軌跡、すごいですね。役者っていう感じのトーヤ役、いい表情しています。疲れちゃっているので癒されると同時に元気をもらえます。

 2011年の『レ・ミゼラブル』から毎年舞台で観ているので、少しずつ成長していく姿をみてきてはいますがこうして並べられた写真をみるとその成長ぶりにあらためて感慨深いものがあります。ミュージカルの舞台に戻ってくる日が本当に楽しみ!!


過去が遠ざかっていく

2016年03月26日 20時40分41秒 | 祈り
 今日も後味がいいとは言えない一日でした。怒りとストレスのはけ口になるし、中からも色々と怒られるし、今の仕事で後味がいい日なんてこれからもほとんどないでしょう。責任者の女性は、いちいちなんでわざわざそういういやな言い方をするんだろうっていう言い方しかできない方みたいだし、冷静に状況がちゃんと見えたうえで色々と言ってくるわけでもないことがもうわかったのでいやな言い方をされるたびに残ってしまいます。ひとつひとつ気にしていたら身がもちません。今の仕事に応募することを私に薦めた人に少し前に相談したところ、いい評判をきいたことがない、自分もその人を知っている、よくない責任者にあたってしまって大変だと思うけれど気にしてエネルギーを奪われるなんてもったいない、気にしない方がいいと言われました。毎日顔を会わせちゃうからなかなか難しいですが続けるならそうするしかありません。どこにいってもあることです。こういう人ってどこにでも一人ぐらいいそうな類の方です。仕方ありません。自分には合わない仕事だと思っても、過去を過去として忘れていくために今の時間は私に必要なことなのかもしれません。忙しくして疲れてしまっているとおのずと過去のことをあれこれと考える時間はなくなり、過去は遠ざかっていきます。ただ今の仕事。接遇経験者求むとかそういう募集のかけ方をすべきだったのではないかと思う仕事内容だし責任者からそういうスキルを求めるようなことを言われ続けます。作業自体は単純なので別に大量の書類を次々とさばいていくような事務経験とか必要ない、前職でしみついた感覚はかえって邪魔っけです。ちょっとしたこともその感覚でやってしまうと責任者からいやみな、つっかかるような言い方をされるので、ほんとにいやだなあと思ってしまいます。これまでやってきたことは何の役にも立たないんだと思ってしまいます。前職の、くさったような会社で頑張り続けてしまった10年以上の日々は私にとってなんだったのだろうと考えてしまいますが、社会に対して言うべきことはいったのだからもうそんなことを考えても仕方ないのかもしれません。人生の時間には限りがあります。色々な過去が私の中で遠ざかっていくような感じがあります。かなり久しぶりに、20年前の自分の日記を振り返ってみたいと思います。妹とのお別れから一年半ぐらいの、必死にもがいていた私がいます。

「1996年3月3日(日)Fine

ひな祭り。春。ほのかな香り漂う私の好きな季節である。
花粉症はちとつらいが・・・。
この2日間も十分に眠れず、せっかくの休日を楽しめないまま終わってしまったのが残念ではある。
昨夜はまた久しぶりにカウンセリングを受けて、まだまだ話したいこともたくさんあるように思えたが、限られた時間ではあるし、まあこんなもんだろう。
3か月前のわたしは、まだうつむき加減だった。今は背筋を伸ばして歩いている。
変わりつつあると思う。身体がどこか気持ちよくなっている。もう少しだという気がする。
今またつらさが増してきている。このヤマを乗り越えられたら、わたしはもっと楽に、そして強くなれると思う。
物事にはいい面もあれば悪い面もある。どちらも否定もしなければ肯定もしない。
どちらかに決めなければいけないことはない。評価をせず、ただあるがままに受けとめようとしているわたしがいる。風の如く、流れのままに・・・。なんて気持ちよくて素敵なことなんだろう。
今までのように頭の中だけで理屈をまわして自分を閉じ込めることに必死になって・・・。
でも、求めて変わろうとしているのはわたし自身なんだから、外に向かって扉をひろげようとしているわたしもいっぱいいるんだ。自分で心の扉に鍵をかけてきた。
そんなことをようやく身体で感じるなんてちょっとおそいけど、今までは今まででそうしないではいられなかった。その分気づかないでいたことも多いけれど、それはそれでいい。
本当は今すごく誰かにもたれかかりたい。がんばってるよな、って言ってほしい。
そんなわたしをわたしが支えている。
わたしはわたし自身で受けとめていくのだ。
今年に入ってからは、私にしては人と会う予定が続いたけど、もうなんにもなくて、ちょっと淋しいかな。
明日からまた会社でのキツイ日々が始まる。
気持ちは休まらない。静かにがんばれよ、わたし。
合宿中の人間関係が心地よかった分だけ、相対的な人間関係の会社はつらい。お互いを探り合っているのだから・・・。友達といっても、話すことをやっぱり選ぶし・・・。少しでもたくさんの素直なわたしを出せる場をみつけられるといいね。
今を過ぎれば、きっと強くてやさしいわたしをみつけられる。身体で受けとめられるわたしがいる。
がんばれ、わたし。」


写真はなんども載せていますが、春のプリンス・エドワード島の高い空。
オーウェルコーナー歴史村の草の上で寝ころんで見上げました。
自分も宇宙の一部なんだと感じたひとときでした。





修行のような毎日・・・

2016年03月25日 22時19分35秒 | 日記
 連休明け二日間のすさまじい取扱い件数が嘘のように静かな一日でしたが、色々とむずかしいことがありました。今までの経験値にないことだらけ。すごく細かいことも今まで体にしみついた感覚ではやれないことだらけ。なかなか慣れることができません。やれていないわけではないんですが、長らく働いてきた感覚でやっても違います、っていうことの連続。なんか事務経験ありとか関係ないじゃんっていう感じです。確かに事務的な手続きの案内には違いないですが、なんというかこれはもう長らく経験してきている人でないと無理でしょっていう感じです。アルバイトみたいなもんであれこれと注意を受けて完ぺきを求められても、それだけのものを貰えるわけではないのでモチベーションは正直あがりません。そんな完ぺきにやろうとしたらおかしくなってしまいそうです。喉が痛いので昨日処方箋で出してもらった薬を飲み始めましたが胃にがっときます。さらに喉も渇きます。水飲んだり、トイレ行ったりするタイミングもむずかしくって気を使います。

 詳細を書くことはできませんが、精神保健福祉士の国家試験に一応合格はしています、ってなんか中途半端でかえって邪魔くさいものなんだなあって思うことがありました。母とのお別れから四年が過ぎました。母が統合失調症を発症した時急性期の症状からすごく攻撃をされて苦しかったこと、自分もどっかおかしいんじゃないかとおびえ続けた日々のあったこと、統合失調症がどんな病気が知りたくって必死になった日々のあったことがどんどん遠ざかりつつあります。そんな日々のあったことが嘘のようにさえ感じます。たぶん母と同じ病気であろう方々に毎日のように会っていると思いますが戸惑うばかりで慣れません。それでまた色々と注意を受けましたが私の中で違和感があって、でも口には出せないし、むずかしいものがあります。ほんとにあれもこれもと求められても無理です。私にはやれません。作業自体はむずかしいこと何もないのに不慣れなことの連続ですごく疲れます。この仕事を楽しめることはなさそうです。早く明日の夕方5時半になってほしいです。ハブでお疲れさましながらパソコンやりたいです。このブログを書き終えたら明日の夕方までパソコンはおあずけ。金曜の夜、駅とかデパートとかまったりモードの中を自分は明日も出勤かー、っていう感じなのきついです。なんか毎日仕事に行っているっていうよりも武者修行にいっている感じがします。拘束時間長いし、疲れちゃってなんにもできないの悔しいです。限りある人生の時間。私はこれからどこでどうやって生きていきましょう。早く連休になるといいなー。あと一カ月ですね。安い時給でこの仕事をしたことによって喉がうんと悪くなってしまわなければいいですが自分で心配です。ガラガラ声のハスキーボイスで明日も出勤せねばなりません。いつまで持つのかなと思いながらの一日一日。休み明けの今日だけでげっそり、うんざり。長いです・・・。

こんな本を読みたい_「この国冷たさの正体 一億総『自己責任』時代を生き抜く」

2016年03月24日 20時53分02秒 | 本あれこれ
 インターネットラジオOTTAVAのサイトに「この国の冷たさの正体 一億総『自己責任』時代を生き抜く」(和田秀樹著)という本が紹介されています。先のことになりそうですが読んでみたいです。

 労働紛争となってしまった私をもっとも苦しめたのが「自己責任」という言葉です。会社を辞めなかった自分が悪い、と言われることにずいぶん傷ついてきました。働かない者を咎める社会がなぜ一生懸命に働いてきた者を咎めるのか。なぜ働いてきた者だけが責苦を受け、脱法行為を続けてきた会社には一切責任なしなのか、今もわかりません。本当にそれでいいのかと社会に対して問いかけ続けてきた私に対する社会からの答えは、それでいい、でした。会社の責任はどこにもひっかからないように全部うまーくできている上にさらにそれを法律で正当化してしまったのが日本という社会です。働きいてきたオマエが悪い、オマエの自己責任だって社会から言われてしまえば私はこれ以上なす術がありません。全てを弱者の自己責任にしてしまったほうが楽だし話が早いですね。この社会に希望を感じることはいまだにできません。「自己責任」ってなんでしょうか。これからも考え続けていきたいと思います。

 貴重な休日、少しのんびりしたらあっという間に終わってしまいました。他にも書きたいことがあったのですが今日はこれでおしまいです。喉が痛いのでお医者さんでみてもらったら少し赤くなっていると言われました。炎症を抑える薬を出してもらいました。ガラガラに涸れていて喋るのつらいです。

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「自己責任」論の本質とは? “弱者に責任をおしつける保身と欺瞞”の病理について掘り下げる一冊

「この国の冷たさの正体 一億総『自己責任』時代を生き抜く」(和田秀樹著)
朝日新書 778円

プレゼンター
林田直樹

以前から、何かと耳にする「自己責任」ってイヤな言葉だなあと、薄々思っていました。すごくニュアンスが冷たいからです。突き放したみたいで。
本書は、そんなもやもやの正体について考えるきっかけを与えてくれる一冊です。

近頃の日本は、何でもかんでも「自己責任」です。
子供を作るのも自己責任、育てるのも自己責任、高い学費を払うのも自己責任。
あなたの収入が低いのも自己責任、病気になるのも自己責任。薬に頼るのも自己責任。寝たきりの家族の面倒を見るのも自己責任…。
挙句の果てには、「国に迷惑をかけるな」ということが、声高に言われます。

本書から伝わってくるのは、そんな「自己責任」論の背後にあるのが、責任逃れのための強者の論理であり、弱者がさらに弱者を叩くフラストレーションの病理であるという実態です。テレビでも新聞でもネットでも、バッシングの対象を常に探しています。物事を一面的にしかとらえず、白か黒かでしか判断しない傾向も、そんな状況に拍車をかけています。

そんな冷たい社会にうんざりしていた気持ちが、本書を読むと、少しだけすっきりするかもしれません。個人的には同意しかねる記述も少し出てくるのですが、そういったことを含めて、物事を決めつけすぎず多面的にグレーなものとして見ようという著者の態度には納得です。
最もすぐれた記述は、最後に出てくる「人間は生きてるだけで『迷惑』の塊だと気づくことが大事」の一文です。いたずらに自分を責めず、優しい気持ちを失わずに人生を過ごしていくためのヒントが、ここにはあると思います。