たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

明後日は久しぶりの大劇場

2019年11月28日 23時19分52秒 | 日記
 明後日は気がつけば二カ月半ぶりの大劇場遠征。お弁当付のチケットをキャンセル待ちで入手できたので自力で往復。帰りに宝塚駅までの乗車券と新大阪駅までの新幹線の特急券を購入しました。帰りの時間を気にしてあせらなくてもいいし一人は気楽なので、慣れればこうやって自力で往復する方が、バスツアーよりも性分にあっているかなあと思います。ライブビューイングがあるので久しぶりの感じは全くありませんが、10月の月組バスツアーが台風で中止になったので生で舞台を観劇するのは9月の花組公演以来。キキちゃんに会いに行きます。自分への言い訳は、この世にいる間しかみることができない(別に言い訳しなくてもいいんですが・・・)。ライブビューイングにはライブビューイングの良さがありますが、劇場の空気感を感じながら観劇する時間は特別なひととき。月に一度は生で舞台を観たいです。ここ数年ずっとそうしてきているのでそういう時間がないとちっそくしてしまいそう。

 5日間フル稼働したあとの土曜日はつらくて体が動かないので明日は少なくとも午後時間給をとりたいと思い、昨日一応一日有給で申請して今日の様子で決めることにしました。午後3時ぐらいまで、こりゃ明日二時間だけでも出勤した方がいいかしらという状況でした。一部職員の口の悪さと態度の悪さ、誰なのか受付者の欄に記入しなければならないはずの名前がないのでわかりませんでしたが職員の基本的なスルーに怒りをとおりこして、あきれてしまいました。その割をくわされるかたちでなんだか無理するのあほらしいと思いながら、でも気になったまま休むのは嫌だから仕方ないかと揺れていました。書類が足りないものは足りないし、間違っているものは間違っているわけでこうしてくださいという指導にしたがってわたしもやっています。理解していない自分の責任じゃん、素直に認めてくださいよ、って思いました。名前書くことになっているんでしょ、誰だか知らんけどちゃんと名前書いてくださいよ、わたしの責任の範疇じゃないですよって思いました。結果的にしぶしぶ納得、名前がなかった方は自分が受け付けたわけではない職員が代わりに動いてくれたので助かりました。けっこう深いことみたいでわたしにはわからないし責任もてない。あとでなにかあったときにあなたの責任ですよとなっても困る。ほんとにちゃんとやってほしい。この仕事ぶり、どこがどうなっているのやら、わたしには不思議でならないと思うことがちょくちょくあります、ほんとに不思議。世間知らずもいいところというか、よくわからないです。あと4カ月、無事に通い切れるかどうかわかりませんが離れれば二度と関わることはない、二度と関わりたくない。今は与えられたことを、なにか言われないようにやるだけです。幸いなことに時間とられる長い電話がなかったので受けた書類は全部チェックすることができました。明日またどっさりくると思いますが次の締め日は再来週。明日はたぶん電話に忙殺されてしまうので逃げます。職員がこんなんなのに自分が無用な無理してもしゃあない、やることはやったから、休暇申請は認められたので一日休むことにしました。12月は祝日がなくなったので長い、まだまだ5日間フル稼働がある、いつ冬の雨や雪に阻まれて駅まで自転車で行けなくなるかもとか、そんなことも今は考えない、考えない。先のことなんか誰にも分からないので考えても仕方ない。自分が電話に出て困っている人にこういう方法もありますよと伝えることができたのがほんのひとかけらのよろこび。自分も経験しているから苦労だろうなっていうことがわかる、援助職じゃないから自分の担当事案とかなにもないのでそういうことはないのですがひとかけらでもそういうことがないと、心を能面にしてやるしかないと自分に言い聞かせていますが、そういうこともないとやってられないです。自分のしていることが誰かの助けになっている、それを感じることがほんのひとかけら感じることができた、それがよすが。脳みそぼけぼけになるのおそろしいので資料持って帰ってきましたが明後日は現実逃避。

 ひとあしお先に一週間、お疲れ様でしたね、自分。明後日無事に往復できますように・・・。

 当たり前みたいなことは当たり前ではない。一期一会の出会い・・・。

ここに来てよかったと思いたいのに・・・

2019年11月27日 22時42分01秒 | 日記
 平日はひたすらグチしか書けない自分が哀しすぎますが、今すぐ帰りたいって思いながらひたすら我慢の一日となりました。一分一秒、少しでも早く終わりたいと思いながら耐えました。出勤したらわたしが気がつくべきだったらしいことをスルーしていたの、最初に言いましたよねって指摘されました。涙がにじみました。職員だってわかっていなくてスルーした、たまにしかない、むずかしいことを、たしかにノートみたら書いていましたが、4ヶ月やそこらのわたしの脳みそに入りきるはずがない、そんなの無理ですよ、って心の中で叫びました。何年も同じことやっていて頭に入りきっている人と同じにやれるはずなどない、最初のころに説明されても理解できるはずなどなかったことでした。今までスルーしてきたっぽいことを、きびしくやりたいのでたんぽぽさん気がついてください、って言われても、正直知らねーよって思います。職員たちが気がつかないで今までやってきているんでしょ、そんなん知らねーよって思います。昨日手があいた時間があったときいたので、本当はたんぽぽさんがやらないといけないこういう仕事もあって1月からやってほしいとも言われました。ここまできて、わたしあと4ヶ月のタイミングでそんなこと言われてもなあって思いました。これが地域性なのか、首都圏と地方の差なのかわかりませんが残念ながら、やっぱクオリティ悪いし、意地悪な感じです。最初の頃の、あからさまに悪口がきこえてきた時を思えばずっとマシですがここまできても、辞退しなかったことを後悔。電話で困っていても、自分担当じゃないから知らないって言われてもわたしはもっと知らない。職員の誰も知らないこと、わたしはもっと知らない。担当が決まっているんだったら、それぞれ担当が答えるような仕組みにすればいいんじゃないのって思います。どこまで自分の責任なのかわからない、あれもこれも同時に理解して認識していくことを求められてもポンコツには無理ですわ。へなへなと力が抜けてモチベーションが下がりました。ここに来てよかったと思いたいのに思えないのつらい。希望があると思っていただけに、希望が見えないのつらい。ひとかけらの希望やよろこびが見出せないとがんばれないよ。収入は必要だし、次に行く場所が今はまだわからないし、交通費半年分もらってしまっているので逃げ出すことはできない。頭の中うにうになにながら、長い長い消化試合、一分一秒少しでも早く終わりますようにとひたすらカウントダウン。なぜここに吸い寄せられてしまったのか、自分でもわかりません。

 家では弟に怒られないように気をつかい、外に出れば敵ばっかりのなかで電話と内部で怒られないように気をつかいで、年くってきてから、こんな慣れないこと尽くしで、自分死んじゃうのかなって思うことあります。生活がいっきに変わりすぎました。風が冷たくなってきたので自転車に乗る時山歩き用の雨具をはくと寒さが緩和されることに気づき、さっそく実行。着脱に時間かかりますが仕方ないです。それにしてもこれがあとまだ4ヶ月もあるの、ほんとなのかなあ。今すぐ逃げ出したい。その先どうするかを考えたほうがいいのに、通勤不安と背中会わせのひたすら逃げ出したい気持ちで満タン状態。まちがえたなあ、いくところをまちがえました。でも他に選択肢がないんですよね・・・。

 今日もお見苦しいグチ日記、失礼しました。

 世界にはまだまだ自分の知らない理不尽があふれているのですね。ツィッターで知りました。ヤフーニュースで話題になっているようです。わたしが訪れたウルムチは、新疆ウイグル自治区は今どうなってしまっているのか、心が痛いです。

私の身に起きたこと ~とあるウイグル人女性の証言~
https://note.com/tomomishimizu/n/nfd4c33d0fcdf

かっこ可愛い

2019年11月26日 23時10分51秒 | 日記
 かっこよくてかわいくてきれいなべにちゃん、ショートウエーブがなんとも中性的ないろっぽさを醸し出していて端正ですね。情報解禁のタイミングが絶妙すぎます。新しいファンも獲得していくんだろうなと思います。退団していちばん変わったことは、「夜、好きなものを食べられるようになったこと」とか。YouTubeの大食い動画をみて「わたしの代わりにたくさん食べてくれてありがとう」と思っていたそうな。男役さんが退団後無理にスカートはかなければならない時代は過ぎ去りました。永遠にかっこいい唯一無二の紅ゆずるさんでいてほしい。湖月わたるさんとか今もかっこよくて、永遠のタカラジェンヌだとわたしは思っています。

 それにしても退団公演を終えたあとのタカラジェンヌに、記者会見で「結婚の予定は?」ってきくの、星組のさゆみさんに続いて、花組のさゆみさんにも・・・。時代錯誤もいいところ。「今後も予定があると答える人はいないと思います」は自分のあとに退団していくトップスターのためにそんな質問しないでくださいという、最大限オブラートに包んだアピールだったと思います。報道関係者のみなさん、これからは退団会見でもそんなこときかないでくださいね。

怒られるしむずかしいし・・・

2019年11月26日 18時59分17秒 | 日記
 昨夜は眠剤一錠からの5時間半睡眠かな、寒い朝でしたがなんとか無事に間に合いました。歩いていないので運動量はたいしたことないのにものすごいエネルギーを消耗している感でした。車でしか生きていくことができない所で車がこわくて悲鳴をあげているのはわたしぐらいだと思いますが、ほんの数十秒でもうなりをあげて走っていく車の脇を通らなければならないのはこわいです、停止線をはみだす勢いで突進してくるのもこわいです。ここで生きていくのは無理なので荷物整理を終えてはやく逃げ出したい、これからどこでどうやって生きばいいのか、そればっかり思っています。明日は雨、朝は降らないことを願うばかりです。朝から降られたら過酷すぎる、年をとってからのこんな生活無理すぎました。慣れない所で慣れない暮らしをする上にきつい仕事、無理すぎました。

 金曜日、休もうか、午後時間給をとろうかどうしようかと迷いながらの一日、休まないと土曜日大劇場に向けて体は動かないですけどね、月末月初に向けて明日午後ぐらいからまた書類がどっとくるみたいなので迷います。今日はその前のスポットでわりと余裕ありました。余裕ありましたが、自分の担当分の書類の量とは関係なく、今日も一日電話で緊張し続けました。人ってむずかしいですね。そっか人によってはこういうことでこうやって怒るのだっていうことで午前中から怒られました。怒られることに慣れることなどできないので心を能面にして、お手数かけて申し訳ありませんと言いました。結局年中怒られる仕事なのだとわかりました。二度とやりたくない。一日六時間も訪問で外に出る息抜きの自由時間ないと長いです。電話にでなくていい時間まであと30分もあるのか、20分、10分、5分、あと一分、どうか鳴りませんようにと祈りました。こういうこともああいうことも同時、それぞれむずかしいので、時々復習しないととっさに出てこないので恐ろしいです。この業務に慣れることはできそうにありません。あと4ヶ月と3日。とにかくひたすらはやく終わりたいです。

 無事に終われたらどうしましょうかね。家にはいられない。いろいろと面倒くさいです。今さら帰省の道を選んだ自分あほすぎました。うまくいくはずなどなかった。家を壊すときに処分してくれていい荷物だけ残して旅立ちたい。また家賃払いながら暮らすだけの力が自分にあるのか。いやそうしなければなりません。自分が選んだ場所ではない、自分の場所ではない。旅に出たい。その前に明日が無事にすぎていきますように・・・。

 昨日久しぶりに動く紅ちゃんみて安心しました。なんにも変わっていないという安心感。コンサート無事に申し込めているのかな、気になります。楽しみを胸に生き延びる日々。清史郎君が帝国劇場に戻ってくるのを見届けるまで死ぬわけにはいかない、車にひかれるわけにはいかない。気をつけながらやっていきますが神経は休まりません。また逃げ出したいです・・・。

夜の風が冷たくなってきました

2019年11月25日 22時45分20秒 | 日記
 昨夜真夜中に少し降ったのでしょうか、雨のにおいがしました。朝雨に降られることなくさほど寒くもなく駅まで無事にたどり着くことができました。お昼に外へ出た時はまだ風が冷たいと感じるほどではなかったですが駅から家まで自転車を走らせる頃には風が冷たくなってきました。自転車通勤するにはきびしい季節の到来ですが自分が車を運転するか専属ドライバーを見つけるかしないかぎり、一時間に一本の巡回バスだのみではどうにもならず他に手立てはありません。どこまでやれるのか自分でもわかりません。昨夜眠剤一錠で就寝しました。時計に見たら3時近くに意識がありました。それまで眠れていたのか、ずっと目がさめていたのか自分でもわかりませんでしたがすごく体が冷えていてお手洗いにいきたくなっていました。お風呂場と洗面所の冷えが体にきています。山歩き用のダウンをパジャマの上にはいて足元を電気アンカであっためて歯を磨きますが冷えた空気が足腰にしみます。昨日苦手ですがライブビューイング会場となった映画館が入っている巨大ショッピングモールの中にユニクロがはいっているのを知って、ヒートテックより暖かいと書かれている下着を買ってみました。12月に入ったらあらためて出かけて、家の中で羽織る用のあったかコートとパジャマの上にはけそうなワイドパンツを買わねばと思います。わたし、冬を越せますかね、もちこたえることができますかね。この家からも通勤も業務もどこまでやれるかわかりません、やれるところまでやるしかない、今はそれだけです。

 年末の足音がきこえるようになってきたこの頃、年次ルーティンでこんどはこういうことで怒られるんだっていうことがわかりました。人はなんでも与えられれば与えられるだけそれがどんどん当然の権利のようになっていく、なんでも与えられるのは人をダメにするというのは前職で学んだことでしたが、やってもらえて当然みたいな感じで怒られるのはほんとに胸くそ悪いし慣れることはできません。わたしは声が大きくないので申し訳ないなと思うところはあるのですが電話に出たとたん怒りモード。最初から、こうでは困る、ここをこうしてくれて当然みたいな感じで、即答できなかったので確認しますといって保留にしている間に待たせすぎて怒ってしまったのか、電話は切れてしまっていました。だって仕方ないですよ、わたし例年どうしているか知らないし職員の説明も長いので仕方ないですよ。またかかってきて怒られるのかとドキドキしていました。電話に出なくてもいい時間になるまでまだあと20分もあるのかとかカウントダウンしてしまいました。あと10分、あと5分、あと2分、あと1分、たのむからもう電話よ鳴らないでくれと祈りました。幸いなことに鳴りませんでした。でも明日とってしまうかもしれません。さっさと出ろよーみたいな電話の鳴る音がいやでたまりません。時には一方的な言い分にたたかわなければならないこともあります。まあでも正面切ったら増幅させるだけなので申し訳ありませんと能面になっていうしかないのですが心の中で吐きそうになります。なんでもやってもらえるのが当然だって思うなよって思います。自分も気をつけなければです。

 令和になって12月の祝日はなくなったのだということに気づきました。手帳みてぞってなりました。日比谷遠征の前日は有給休暇をとるつもりですが、それ以外は休みをとらないかぎり五日間ふる出勤が三回も。ひょえーこれは長い。年末年始9連休が待っていると思えばやれるのでしょうか。それにしても長い、終わりそうで終わらないのも長いです。今はひたすら早く終わりたいばかり。でも家を出るまでにはまだ時間が必要。本と写真を整理するための時間がまだ必要。それ以外はわたしもうたいして荷物ありません。小型家具さえもっていません。最後の最後、施設か病院となったときにはもう身の回りのモノしかもつことを許されません。だから人生の最後の方までもっていたいモノをのぞいて整理、整理。その前に明日も出勤ですな。今夜も眠剤で眠りませう。明後日はまた雨の予報で気温も低い。どうなるのでしょうか。朝無理だったら時間給とるしかない。そのための休暇をのこしておかねば。馴染むことのできない郷里の生活。色々な意味でここにはいられないのでエネルギーがあるうちにまた旅立つことをめざして生き延びる日々。12月と1月の日比谷遠征、無事に果たさねば。その前に大劇場も・・・。

 動画でもう少しほっこりなって一日を終わります。
 

花組『A Fairy Tale』『シャルム』_東京宝塚劇場千穐楽LV

2019年11月25日 22時00分55秒 | 宝塚
 東京は昨日極寒で雨だったのかな。今朝もまだ雨が残っていたのが、明日海りおさんが楽屋入りする時になって奇跡的に晴れてきたとのこと。10月13日(日)、大型台風通過のため千穐楽前日の公演が昼夜共に中止になった現実を受け入れて退団していった星組生のことを、前楽のサヨナラショー中止を受け入れて退団していった紅ゆずるさんのことを思いながら東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイングを拝見。公演中止もなく一人の休演者もなく無事に千穐楽の幕がおりたこと、心からおめでとうございます。そしてみりおさん、17年間お疲れ様でした。わたしが観劇したのは『金色の砂漠』のライブビューイングからでしたが、ひとときの幸せな時間をたくさんいただきました。ありがとうございました。

「花組二十七代目トップスター明日海りお、本日任務を終えます」。無事に責任をまっとうした清々しさに満ち溢れた笑顔はやわらかく、ほがらかでした。紅さんの退団挨拶を思い出していました。言葉はちがえと、宝塚のとりこになった時から宝塚が好きで好きでたまらず入団から17年間、この舞台に立つことに全てをかけてきた、この舞台が人生の全てだった、一度きりの人生の中で心がふるえるほど好きなものに出会えた自分は幸せもの、明日からタカラジェンヌでなくなることを自分でどうしていいかわからない、と一途に宝塚を愛し続けまっとうした清らかさは同じなのだと思いました。伝統を受け継ぎ、紡ぎ、次世代へとバトンを渡していくべく、神様から選ばれた方。どんどん痩せていく姿が心配でした。「どうして退団発表してしまったんだろう、退団発表しなければよかった、このままずっと男役をやっていたい」「心身共に消えてなくなってしまうんじゃないかと思ったこともあったけれど、こうして元気にここに立つことができている」「この舞台に立つことができてほんとうに幸せだった」。かなり意訳していますがこんな言葉があったかな。下級生のころは、台詞が言えな過ぎて大量にあった台詞を大きくカットされたり、ひっそりと目立たないように過ごしていたこともあったとか。全身全霊、命がけで舞台に立ち続けた日々だったと思います。「明日からは偽タカラジェンヌなので街でみかけたらお気軽に声かけてください」に客席がびっくり。悲鳴があがっていましたかね。「エッ?なんで、もちろん」とゆるふわモード。最後に緞帳があがったとき、「緞帳が上がる前組長さんから何してもいいっていわれたんですけど、どうしよう、こういうときおもしろいことが言える人に卒業したらなりたい、男役にしかできないことってなんだろう」で客席から投げキッスの声があがり、「受け取れよ」といって投げキッス。サヨナラショーの最後、「エターナル・ガーデン」をうたった時の衣装が、真っ白に紫色の小さいお花があしらわれていて、バックにひらひら?がついているのは男役ならでは。『Beautiful Garden』の大階段で歌い上げたときを思い出しました。「花組が次に全員で皆さんにお会いできるのは来年、退団者はいつになるかわかりません。ですので・・・皆さん良いお年を!」と年越しの挨拶が出てくるのもみりおさんらしすぎました。『ハンナのお花屋さん』の千穐楽ライブビューイングを思い出しました。次のお仕事、たぶん決まっているのかな。すぐにはないと思いますが、ほどなくして情報解禁されるような気がします。でも男役としては今日が最後でした。息継ぎしているの?とびっくりするほど息つく間もなく次々と主演舞台のテーマ曲をうたいあげていった姿と喉の強さは圧巻。あの歌声を生で聴くことはもうないのかな。『エリザベート』に出演しているからガラコンサートなど機会はあるかな。男役さんだったジェンヌさんたち、もうないと思っていた男役をOG公演でなんどもされているので再会できる日もあると思います。宝塚フォーエバー、さゆみさん、フォーエバー。「退団してからも清く、正しく、美しく生きていきます」は、突然退団してなんともみっともない姿をネットにさらしている花組OGへの、みりおさんなりの戒めにもきこえました。YouTubeに出ているのだから当然ご存知と推察。自分トップスターの時に退団していって尊敬できる上級生はいなかったとか言われたら哀しいですよね・・・。

 作品としては実は大劇場、大劇場千穐楽ライブビューイングに次いで三回目にしてようやく納得できました。みりおさんが最後に納得の、やりきった感にあふれた笑顔をみせてくれたことで納得。『A Fairy Tale』は部分部分悪くないですが、ストーリィとしてはかなりちぐはぐ、2年前当初は『ハンナのお花屋さん』ではなくこのプロットを舞台化しようとしていたのを舞台装置などの事情で見送った経緯があるとSNSでみかけました。植田景子先生の作品、大劇場にのせるにはきびしいかなというのが正直な感想でした。忘却の粉をシャーロットにふりかえることができなかった罪によって白い薔薇の精だったエリュが青色に染まっていき青い薔薇の精になるという過程を衣装の変化により表していること、ようやくわかりました。舞台装置も衣装もすごく綺麗、歌は悪くない、ただ心理的葛藤がうすくて男役明日海りおの集大成としてはもったいなかったかな。乙羽映美さん演じる謎の女性は結局女王の使いだったの?庭の再生を依頼したのは女王?シャーロットが依頼したわけではない?シャーロットが男性の名前で本を出さないと誰も読んでくれなかったはリアルでせまってきましたけどね。

『シャルム』はようやく楽しめました。花組生がみりおさんの退団公演ということに押されすぎて内側向きすぎていて客席には花組らしい熱量が伝わってこないと感じていました。大千穐楽にしてようやく、パリの地底を舞台にしているショーだということも納得。華優希ちゃんがほとんど歌っていないし踊っていない印象でしたがそんなことはなかったです。みりおさんが「華優希ちゃんが無事にお披露目を果たした」と最後にしっかり紹介していました。今日雨が上がったのは、みりおさんの晴れ男パワー、フルフルちゃんの魔法、そして昨日組長がつくってくれたテルテル坊主のおかげだったとか。晴れやかな千穐楽になってほんとうによかったです。 

 退団者の紹介映像が流れたとき、キキちゃんと鳳月さんのことを思うと少し複雑な気持ちにはなりました。みりおさんの花組を支えた立役者。会いたくなりました。もうすぐ会えます。

「happines~♪」最後は笑顔がこぼれて大千穐楽もひっくりかえった? 「わたしが成し遂げられなかったhappinesを受け継いで成し遂げてくれると思います」。涙がでそうになった場面は何度もあったと思いますがそのたびにこらえていて涙がこぼれることはありませんでした。

 星組のさゆみさん、花組のさゆみさん、それぞれの個性があふれる退団挨拶とカーテンコールでした。また会える日を楽しみにしています。お二人でトーク&ライブとかないですかね、ないかな・・・。

 
 
写真は9月19日の宝塚大劇場。











 明日の朝自転車で駅に向かう頃雨?二日連続の電話当番からは放免となりました。カウントダウンは始まっています。いやなことは明日の朝まで考えない、考えない。今夜はこの清らかな気持ちのまま過ごしませう。

2014年『キトラ古墳壁画展』

2019年11月23日 16時42分04秒 | 美術館めぐり
 奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡)に描かれた壁画を後悔する「キトラ古墳壁画展」が2014年4月22日(火)から5月18日(日)まで上野の東京国立博物館で開催されました。わたしはゴールデンウィークが始まった初日にいきました。上野公園のなかで一時間ぐらい並んでようやく入場できたかな。13年間働いた大会社から使い捨てにされて、気がつけばそんなつもりは全くなかったのに労働紛争が始まろうとしていた頃でした。部屋にはいられず、日中の居場所をなくして孤独でした。こうして逃げ場所がありほっとしました。次に進んでいくために、これまたようやく思い出ふりかえり。

 会場におかれていた朝日新聞の別刷りより。

 「キトラ古墳とは、7世紀末~8世紀初めに築かれた直径14m、高さ約3.3mの円噴。石室の四方の壁に中国の神獣・四神(青竜・白虎・玄武・朱雀)、動物の顔と人間の身体を持つ十二支像、天井に天文図が描かれていたが、保存のために取り外された。被葬者については天武天皇の皇子や大臣クラスの豪族、朝鮮半島から亡命してきた百済王家の人物などの説がある。」

「緻密なタッチが映す国民性 漫画家里中満智子

特別展「キトラ古墳壁画」に来られた人たちには、とにかく自分の目で見て、何かを感じてもらいたい。「意外に小さいんだな」と思うかもしれませんが、小さくても丁寧に描かれていて、大きくアップにしても観賞に堪える柄です。その絵に被葬者へのどんな思いが込められているか、それぞれに考えてほしい。

 私にはキトラ古墳の被葬者がだれとまでは言えませんが、皇族の一員だったと思います。キトラ古墳の壁画には当時の理想とされる美しい世界が描かれています。邪悪なものから被葬者を守るために四神を、「ここがこれからあたなの世界ですよ」と伝えるために天文図を描いたのでしょう。十二支は非常に小さいですが、タッチが生き生きとしてうまい絵。心をこめて描かれたと思います。

 私は今、1983年から執筆し続けてきた「天上の虹」の最終巻に取り組んでいます。この作品では、後に文武(もんむ)天皇となるかるの皇子の后・紀皇女(きのひめみこ)と、その不倫相手の弓削皇子(ゆげのみこ)の墓が、それぞれ四神を描いた壁画古墳になっています。紀皇女の墓には安らかに眠ってほしいというかるの皇子の願いが、弓削皇子の墓には、せめt墓は立派にし、この世に戻ってこないようにしようというかるのの祖母・持統天皇の思惑が込められた、というストーリーにしました。

 中国のお墓の壁画は非常に大きくて迫力がありますが、細かいところは省略したり、雑だったりする。日本の壁画は狭い空間に合わせた大きさで、緻密に描かれる。民族の考え方、感じ方の違いをひしひしと感じます。日本人は外来文化を自分たちに合わせてどんどん変えていきますが、お墓の壁面からも国民性が見えて面白いですね。」


「高度な死生観と精神力文化 青柳正規文化庁長官

 1972年に発見された高松塚古墳壁画の保存修復方針を決める際には、イタリアでの古代壁画保存の経験が強く反映された。

 イタリアでは50年代から壁画のはぎ取り保存が盛んに試みられた。しかし乾燥による退色が問題になり、主流は現地保存に切り替わった。ちょうどそのころに高松塚古墳が発見され、イタリアにならって現地保存の方針が決まった。高松塚古墳のしっくい層は極めて薄く、はがすのは困難だという事情もあった。

 イタリア・エトルリアの墓に描かれた壁画は、死語の世界でも現世と同じ生活が続くという思想によるもの。黄泉の国の世界観・宇宙観を描いたキトラ古墳の壁画は、より高度な死生観を反映している。壁画からはこうした精神文化が読み取れる。そこに込められた古代の人々の思いを長く保存できれば、と思う。」











カウントダウンは始まっているのだ

2019年11月22日 20時07分31秒 | 日記
 朝から寒い金曜日。昨夜も眠剤一錠で6時間ほど眠ることができました。携帯アラームがなった時気持ちよく眠っていたので起きなければならないの、つらい朝でした。わたしが自転車で駅に向かう間はまだ雨が降っていなかったのは幸いでした。冷たい風のなか無事電車の時間に間に合いました。行きたいわけではない、行かないですむなら二度といきたくないですが、もう十分なのですがまだあと4ヶ月と一週間あります。続けるなら観念するよりほかなく、ここまできたら今逃げ出すことをかんがえるよりも、その先のことを考えるよう切り替えていったほうがいい、カウントダウンはもう始まっているのだと電車の中で自分に一生懸命言い聞かせました。今日も脳ミソがしびれまくりました。なんども怒られました。そのたびにはきそうになりました。わたしに非があるわけではなく、無理解なだけ。高齢者が理解するの無理なんだろうなあっていうことで、なんど同じことを繰り返しても理解されず金を二重にとられているという被害者意識が最初にありきなので怒られるばかり。これ以上説明のしようがない。甘えられても知らない。心が死んでくるのでなにも考えず機械的に対応するだけです。月次のルーティンがわかってきましたが年次のルーティンで来週以降はなにが飛び出してくるのか、あらかじめ知らされるわけでもないし、どういう書類が出るとか、出ているのか別に知らない。心は能面でやるだけ。むずかしいことばかりで職員だってわかっていない、間違えたり抜けたりしていることを同時にいくつも瞬時に理解しろと言われても無理、短期間でここまで理解してやっているのだから十分過ぎるぐらいだと思います。何年もやっている職員と同じようにできるはずないじゃないか。職員同士のせめぎあいの狭間にたたされても知らない、知らない。しっかりしてくださいよ、と口に出すことはできないので心の中でつぶやきながらの一日でした。脳ミソ満タン、しびれっぱなしで息抜きの予定ばかり考えていてその先を具体的に考えるには至らず。今は気持ちだけ、カウントダウンは始まっているので次に向けて必要な情報がちゃんと入ってくるようアンテナをたてる気持ちだけはせめてもっていたい。ようやくここまできました。金曜日、お疲れ様でしたね、自分。

 来週の土曜日は宝塚大劇場。旅行会社からチケットとお弁当の引き換え券が届きました。評判いいみたいなので予定どおり行きたい。前日休まないと体がつらすぎる。月末、次の締め日まで一週間以上あるので休もうかな、座っていても電話がなりっぱなしで手元の書類はたぶん進まない。担当分やるだけやればいいので休んだもん勝ち。有給休暇あるので休みたい、前後にまたボランティア残業すればいいだけ、楽しみは大事、楽しみの方が大事なり。




10年以上使っているPORETRの財布の小銭入れのチャックがこわれたので代替品を求めて無印良品に行ってみましたが納得できるものがなくあきらめました。アフタヌーンティーがあることを知りましたがベイブリッジが見えないのさみしくって気持ちがあがらず、久しぶりのドトール。キーボード使っていたら近くにきた女性にじっとみられて居心地悪かった。都心にいたときも、わたし、全く関係ない他人から悪口言われたりとか時々ありました。おんなじこと?だけど、店に入るとみられること多くてね、この地域に馴染んでいきていこうという覚悟をもつことはできない・・・。


急な寒さがこたえます

2019年11月21日 22時55分04秒 | 日記
 昨夜は眠剤一錠で6時間睡眠。携帯アラームが鳴った時気持ちよく眠っていました。日曜日の朝以来やっとまた眠ることができました。12月並みの寒さの朝、なんとか無事に電車に間に合うように駅まで辿り着くことができました。帰りは顔面に冷たい風。着込んでは脱いでの繰り返し。足腰が特に冷えます。まだ始まったばかり。これがあと3カ月以上続くのか、いやそこまで生き延びることができないかも。急な寒さは夏の暑さ以上に体にこたえて、死んでしまうのかなあって思います。30年間遠ざかっていた自転車通勤。帰り道は真っ暗な中に突然無灯自転車があらわれて危なかったです。今は電動アシストもあるので自転車も横着、道路は危険がいっぱいすぎてほんとにこわい。木内みどりさん急逝の報に、自分もいつどうなるかわらないなあとの思いをさらに強くしました。想定以上につらすぎて帰省したことはわたしの死期を早めてしまったのかなあとしきりに思ったりする今日この頃。人生の時間には限りがあるので、可能なかぎり悔いのないように観劇しようとあらためて思いました。首都圏で短期間しか上演されない舞台をみることはかぎりなくむずかしくなりました、同じ作品を思い立ったら何度もみることもできなくなりました。そのかわり宝塚大劇場に日帰りでいくことはできるようになりました。梅田芸術劇場行ったことありませんが、紅さんのコンサート、ファンクラブの先行予約で申し込んでみました。この世にいる間だけだから、全ては生きていればこそだから、行きたいと思ったところにはできるだけ行こうと思いました。それだけの心身が健康でいられる間だけだから行けるときにできるだけいきたいです。そのために脳みそがうんでくさりそうな仕事をなんとか耐え忍んでいます。

 長い一日、今日もなんとか生き延びて一日が無事に終わりました。なんだかなあばっかり、ほんとになんだかなあで4カ月半が過ぎてようやく少し自力でなんとかなるところも出てきたのでなんとかやっていますが、ほんとになんだかなあ。次々とローテで書類が発送されていて問い合わせがきても、どんな書類が出ているのか知りません、見たことありません、こういう書類が発送されたというインフォメーションはたまにしかありません。なので知らないのですがたぶんこういう内容のことが書かれているんだろうなということは相手の話すことから推測できるようになって、それに対する答えはこういうことだとわかってきたのでなんとかやっています。それぞれ担当者が決まっているんだから担当者じゃだめなのって思うのですが全部たまたま出た人の責任みたいです。担当のすみわけがよくわからず、これは誰にきけばいいのだろうとあたふたなっていてもフォローはありません。もうわかってるでしょ、自力で勝手にやってください状態。難しいことばかりなので職員も間違て人によって違うこと言ってそのはざまに立たされてもなあってなったり、色々考えてしまうと苦しいので心を無にしてなにも考えず機械的に同じことを繰り返して、できるだけ難しい電話に当たらないよう祈りながら長い一日をやりすごしていくだけ。長い長い消化試合。

 明日は最高気温がさらに低くなる予報。雨が降るのは午後からみたいなので少しほっとしています。どうか朝わたしが駅に向かわなければならない時間帯は雨が降りませんようにと毎日お祈り。こんなに慣れない状況で冷たい雨はきびしすぎます。冬は始まったばかり。12月と1月の日比谷遠征無事に果たせますように。その前に月末の大劇場遠征、チケットが今日届いたので生き延びて無事に辿りつけますように・・・。

 今日は新生星組を元トップコンビがご観劇とのこと。少し元気でました。明日のことは明日。火曜日休んだので明日は金曜日。5日間フルと4日間の違いは大きいです。年内の稼働日数は30日をそろそろきるぐらい?来週になったらカウントダウンを始めましょうか。まだ死ぬわけにはいかない。車と自転車と歩行者に気をつけながら生き延びていきたいです。明日も無事に一日が終わりますように・・・。


急に寒くなりました

2019年11月20日 23時09分46秒 | 日記
 昨日は先月申請したとおり有給休暇をとりました。かかりつけ医を受診するなら14時までは来院してほしいとのことで、やっと滞納していた住民税15,000円を郵便局の窓口で納めたあとなんとか駆け込みました。通帳の磁気がまたダメになっていますが、自転車で銀行の窓口へ行くことは断念しました。車が危なすぎるし、そこから病院へとなると走行距離が長くなって足腰痛むので年末に持ち越し。病院を出たあとはマックでカフェラテのみながらブログを更新、そのあとお風呂屋さんに行きました。土曜日にも行ったばかりなのですが冷え切った足腰を束の間でもあたためなくて、しびれた脳みそを束の間でも休めたくて行かないではいられませんでした。心身ともにあったまりました。ささやかですが天然温泉と称する露天風呂があるので遠くに行かなくても湯けむり旅情気分。夕方から急に寒くなりました。家の中で冷え切ってしまうので就寝前歯を磨くときは腰にカイロをいれて山歩き用のダウンをはいてさらに腰にセーターを巻いてさらに妹が遺した革のコートを着込んで電気ストーブであたためながらの数分間。温泉効果がいくらか続いていたようですがそれでもだだっ広い空間には叶わず足腰冷えました。眠剤一錠でおとなしく就寝。なんとか5時間半は眠ることができたようです。

 今朝はいちだんと冷え込みがきびしくなりました。駅までの道のり、30年以上前に自分で編んだ耳当てして妹が遺した大判をストールを首回りにはおって腰にはフリースを巻きました。それでも自転車は冷えました。明日はさらに冷え込むもよう。冬は始まったばかり、これからが本番。夏暑かったので冬は寒さがきびしいです。雨が降った朝はどうなるのか、雪が降ったら駅までたどり着く術はタクシー利用しかない?わかりません。帰省してからひとふゆこしましたが無職でしたからねえ、毎日決まった時間に決まった場所へいくプレッシャーはありませんでした。年明けぐらいだったか家の中のあまりの寒さに震えあがっていましたがまだ郷里で居場所を見つけることに希望をもっていました。車社会のかべをまったくわかっていませんでした。だから気持ちは楽でした。今一年前とは雲泥の違い。駅から遠いことによる心身の負荷、通勤不安から逃れられないこと、車が危なすぎることなど考えると駅から近いところに部屋を借りた方が賢明なんだろうと思います。でもあと4カ月のために今何十万も出すことはできません。郷里の最寄り駅近くに住んでも銀行やスーパーが駅前にあるわけでなく、生活に必須な場所は徒歩ではいけない場所にあります。駅近くは駐車場ばっかり。アパートがいくつか建ってはいますが全て広い駐車場併設のようです。ここにお金を使って住んでも利便性はさほどあがりません。通勤不安から逃れることはできますけどね。来年中にJALSUICAのオートチャージができるエリアに戻りたいと漠然と思っています。写真と本を整理するのにまだ時間は必要。パートしながらやれるといいですがパート仕事すら車の運転しないかぎりないです。車の人しか生けていけない所。わたしの居場所はありません。今はこのまま車にひかれないように気をつけながら、自分をだましだましやれるところまでやるしかないです。ほんとに車危ないの。どこから飛び出してくるかわからないし平気で飛ばしまくってるし、無理、わたしには無理。

 出勤したら今日の電話当番をかわってほしいと頼まれたので急遽今日もお昼の電話当番。そのかわり来週月曜と火曜連続で当番となっていたのを両日ともやりますとの申し出でした。来週は放免となりめでたく電話当番が一日減りました。長い一時間、&人がいないので電話鳴りっぱなし。あまりにも出る人がいないと電話がさっさと出ろよーと鳴り響いていました。そうか先週末あたりにまた違うお知らせが発送されたので今はこういう問い合わせが続くタイミングなのかとようやくわかりました。脳みそふりしぼりながらなんとか乗り切りました。なかなかわからないですよ、むずかしいことばっかりで。やっと少しわかってきたの。月末近くになってくるとこんどは何があるんでしたっけ。絶えず動いているので次々と果てしなくエンドレス。金曜日はまた締め日。30日の宙組を目指して、来月半ばの日比谷を目指して、なんとか生き延びていきたい。今はそれだけです。

 明日の朝どうかな。今夜も眠剤でとにやく5時間は眠れますように・・・。