たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「大草原の小さな家」への旅_Discover Pepin

2024年07月19日 19時31分48秒 | 「大草原の小さな家」への旅

「大草原の小さな家」への旅_ペピン湖畔

 

 ウィスコンシン州ぺピンのパンフレット、あの世に旅立つと一緒にいくことはできないので今一度ここに掲載してお別れします。

 

 


「大草原の小さな家」への旅_ミズーリ州マンスフィールド_石の家のパンフレット

2024年04月12日 08時17分57秒 | 「大草原の小さな家」への旅

「大草原の小さな家」への旅_ミズーリ州マンスフィールド_石の家&教会

 


『プラム・クリークの土手で』より

2022年11月15日 01時26分39秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_父さんの鐘
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/a22798ce539904aa1e4c4334fbb37c32


「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_プラム・クリーク(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ffd428bd2c2d34ae994c23600a2d0739


「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_プラム・クリーク(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/3722fadbf28aa7befc137abd8f325fd6




「昼ごはんがすむと、とうさんは洗いたてのワイシャツを着て、ヴァイオリンの箱から三ドル出しました。あたらしいブーツを買いに町へ行くのです。その週は、馬たちは毎日労働していたので、家で休ませるために、とうさんは歩いて出かけました。

 その日の夕方、とうさんはかなりおそくなって帰ってきました。ローラは、クリークのザリガニの巣の所であそんでいたので、とうさんの姿が丘に見えると、ジャックといっしょに丘をかけのぼって、とうさんのあとから家へはいりました。

 かあさんは、ストーブの前で土曜日ごとの仕事のパン焼きをしていて、天火からパンをとりだしながらふり向きました。

 「ブーツはどうしたんですか、チャールズ?」かあさんはびっくりしてききます。

 「じつはな、キャロライン」とうさんはいいました。「町でオルデン牧師に会ったら、教会の鐘楼に入れる鐘のための資金が、どうしてもたりないって言うんだ。町の連中は、みんなできるかぎりの献金をしたんだそうだが、ちょうど三ドルだけ不足だったのさ。それで、その分を献金してきたんだよ」

「まあ、チャールズ!」かあさんは、ただそういったきりでした。

 とうさんは、口をあいたブーツを見おろしました。「なに、もう一度つぎをあてるさ。なんとか繕えるだろうよ。それに、信じられるかい、あの教会の鐘は、ここまでちゃんときこえるそうだよ」

 かあさんは、あわててストーブのほうを向いてしまい、ローラはそっと出ていって、戸口の段にすわりました。のどがしめつけられて、きゅっと痛みます。とうさんがあたらしいブーツを手にいれるのを、ローラはどんなにか待っていたのに。

「いいんだよ、キャロライン」とうさんの声がきこえてきます。「小麦の刈り入れも、もうそう先のことじゃないんだから」」

(ローラ・インガルス・ワイルダー著・恩地三保子訳『プラム・クリークの土手で』2002年11月20日初版、2012年3月5日第5刷、福音館書店、236-237頁より)


「暗い空に、星は、小さく、霜がついたように見えます。馬の蹄が、かたく凍った地面にカッカッと鳴り、馬車はガラガラ音をたてて走ります。

 とうさんが、何かほかの音をききつけました。「ドウ、ドウ!」とうさんは手綱をひきました。サムとデイヴィッドが足を止めます。でも、あたりは一面に暗く、寒く、静まりかえっていて、ただ星が光っているだけでした。すると、その静けさのなかから、美しい音がひびきわたりました。

 澄んだふたつの音色が高くひくくひびき、また間をおいてふたつ、そしてまたふたつ。

 みんなじっとして耳をすまします。サムとデイヴィッドだけが、くわのはみをチャラチャラいわせ、フーッと息をしました。このふたつの音は、高くはっきりと、ひくくやさしく、いつまでも鳴りつづけています。まるで、星が歌っているようでした。

 もっときいていたいのに、かあさんが小声でいいました。「そろそろ出かけましょうよ、チャールズ」そして、馬車はまたガラガラ走りだしました。でも、そのガラガラいう音をむって、ローラには、ゆれ動くその音をきくことができたのです。

「とうさん、ねえ、あれなんの音?」ローラがきくと、とうさんはいいました。「あたらしい教会の鐘の音だよ、ローラ」

 このために、とうさんは、古いつぎだらけのブーツをはいていたのでした。

 町は眠っているようでした。店の前を通ると、なかは真暗です。すると、ローラは声をあげます。「ねえ、教会を見て!なんできれいでしょう!」

 教会にはあかあかと灯がともっています。どの窓からも明かりがこぼれだし、だれかを入れるために扉がひらくと、おもての闇に明りがどっと流れでるのです。馬が止まるまでは、けっして立ちあがってはいけねいといわれているのに、ローラは、思わず毛布からとび出しそうになりました。」

(同、303-305頁より)











『大草原の小さな家』-完全版放送

2021年12月14日 23時18分41秒 | 「大草原の小さな家」への旅
 わたしはテレビを持っていないのでみることができないのですが、ドラマ『大草原の小さな家』が来年4月3日からNHK-BS4Kで完全版放送予定とのこと。4Kリマスター版、高画質でよみがえるそうです。市販されているDVDは昔の画質そのままでよくないので、もう一度みたい世代には嬉しいニュース。

「アメリカで1974年~83年まで放送され、日本でも大ヒットした海外ドラマ不朽の名作「大草原の小さな家」。
古き良きアメリカの開拓時代、インガルス一家が様々な困難を乗り越える姿を通して、家族愛や人間愛の尊さを描く。

原題:Little House on the Prairie
制作:1974年~ アメリカ」

https://www4.nhk.or.jp/daisougen/

キャロラインお母さんの声の吹き替えを担当される小林さやかさんのツィッター、青年座の女優さん。
https://twitter.com/satoyoshilove


日色ともゑさんの吹き替えがあまりにもそのまますぎるキャロラインお母さん、プレッシャーも大きいと思いますが頑張っていただきたいです。

ドラマの舞台となったミネソタ州ウォルナット・グローヴの博物館の前に展示されていた幌馬車のレプリカ、
ここに家財道具一式と命を乗せて人生を切り開いていった一家の物語。



ローラのお父さん、



ローラのお父さんとお母さん、



盲目となったメアリーお姉さん、



ローラの家のミニチュア、



博物館ではなぜか、いじわるネリーが人気者でした。博物館近くのお昼を食べたレストランにもネリーの名前が冠されていました。













2013年9月に訪れたウォルナット・グローヴなどローラゆかりの地をめぐる旅の日記と写真は、「大草原の小さな家」への旅のカテゴリーからお読みいただけます。お時間と興味がありましたらご覧になってください。

「大草原の小さな家」への旅-ミズーリ州マンスフィールド-ローラとアルマンゾが暮らした家

2021年08月02日 00時59分34秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「大草原の小さな家」への旅-ミズーリ州マンスフィールド-ローラとアルマンゾが暮らした家
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2fbc4ae4063abc562cdf00f0bd4d82dc

ローラの足跡を辿った旅の中でいちばん心に残ったミズーリ州マンスフィールドのローラとアルマンゾが暮らした家。現地で購入したガイドブックからの引用。昨年9月に少しだけ書いたところからあらためてご紹介。グーグル翻訳にかけました。

 旅日記にも書いていますがほとんどがアルマンゾの手作り。小柄だったローラの丈にあうように作られているあったかい空間でした。ローラは暖炉のある部屋から広い農場を眺めるのが好きだったというお話がありました。娘のローズが建てた近代的な設備の整った家に数年暮らしましたが二人はこの家の居心地がよくて戻ってしまい、大草原の小さな家シリーズのほとんどがこの家で書かれたそうです。徹夜をするローラが横になるためのこぶりのソファもありました。二人が最期を迎えたのもこの家。


「LAURA,ALMANZO,AND ROCKY RIDGE FARM-

 After struggling for several years in De Smet,South Dakota,and after a brief and unhappy move

to Westville,Florida,Laura and Almanzo decided to move to a place kinder to farmers than De

Smet.Lured by promotional literature advertising the Ozarks as a good region for small-scale

farming,the Wilders set off once again in a covered wagon in search of a better life.Laura

describes this journey in On the Way Home. 」

「デスメット、サウスダコタ州で数年間苦労した後、短い不幸な動きの後

ウェストビル、フロリダ、ローラ、アルマンゾは、デスメットよりも農家に親切な場所に移動することを決定しました。小規模農業に適した地域としてオザークを宣伝する宣伝資料に促され、ワイルダーは再び屋根付きのワゴンを探して出発しました。 ローラは、On the Way Homeでこの旅について説明しています。」

「The Wilders ended what would be their last journey in Mansfield,Missouri.The town,established 1881-1882,was a growing community.A 40-acre plot of land a mile east of the Mansfield town square became the final home of the Wilder family.The purchase price was $400;the paperwork,all in Laura,s name,was signed on September 21,1894.」

「 ワイルダーズはミズーリ州マンスフィールドでの最後の旅を終えました。1881年から1882年に設立された町は成長するコミュニティでした。マンスフィールドの町の広場から1マイル東にある40エーカーの土地がワイルダー家の最後の家になりました。 購入価格は400ドルでした。書類はすべてローラの名前で、1894年9月21日に署名されました。」

「Like most of the Ozarks,the site consisted of ridges,slopes and chiseled rocks.Laura aprly named the Wilder land Rocky Ridge Farm.The Wilders, first home on the farm,a one-room log cabin,stood at the top of a wooded knoll.Eventually,Laura and Almanzo built a larger farmhouse nearby,and the log cabin has long since vanished.」

「ほとんどのオザークと同様に、この場所は尾根、斜面、彫りの深い岩で構成されていました。ローラは4月にワイルダーランドをロッキーリッジファームと名付けました。ワイルダーズは農場の最初の家で、1部屋の丸太小屋が樹木が茂った頂上に立っていました。 結局、ローラとアルマンゾは近くに大きな農家を建て、丸太小屋はずっと前に姿を消しました。」

「Over time Laura and Almanzo added onto both the farmhouse and the farm itself.Rocky Ridge Farm grew to include approximately 200 acres.While it was not a large farm,Rocky Ridge was,nonetheless,khown for its up-to-date methods in raising cows,chickens,and fruits.In 1913,after many years of labor,Laura and Almanzo put the final addition on their rambling white frame home.This was their last little house,and it was here that Laura wrote many of her Little House books.」

「時が経つにつれて、ローラとアルマンゾは農家と農場自体の両方に追加されました。ロッキーリッジファームは約200エーカーに成長しました。それは大きな農場ではありませんでしたが、それにもかかわらず、ロッキーリッジはその最新の飼育方法で知られていました。 牛、鶏、果物。1913年、長年の労働の後、ローラとアルマンゾは、とりとめのない白いフレームの家に最後の追加を行いました。これが彼らの最後の小さな家であり、ローラが彼女の小さな家の本の多くを書いたのはここでした。 」


 the Ozarks=オザーク高原(オザークこうげん、英: The Ozarks, Ozarks Mountain Country, Ozark Mountains, Ozark Plateau)は、アメリカ合衆国の中央に位置する地形学的、地質学的および文化的な高地の名称である。ミズーリ州の南部大半とアーカンソー州北西部に広がっている。山地の西部はカンザス州の南東の外れとオクラホマ州の北東部にも掛かっている。(ウィキペディアより)










「大草原の小さな家」への旅_ペピン湖畔

2020年12月31日 12時53分37秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「大草原の小さな家」への旅_ウィスコンシン州ぺピン&ミネソタ州
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/7eb50a6dc23bce73ff9bb1926d238ae9

 ローラ・インガルス・ワイルダーの足跡をたどる旅、写真はもうないのでペピン湖の地図とパンフレットを。今は飛行機で飛べる広大なアメリカ大陸を幌馬車に全財産と命をのせてローラは移動したので振り返るとき整理するのが少し大変。こんなに広いアメリカ大陸からみたら日本はアジアの端の小さな国に過ぎないんだろうと思います。もう訪れることはないであろうローラ誕生の地へしばしAirTrip。以前にも書いていることとたぶんかぶりますが・・・。

「一家は、幌馬車に全財産をつんでペピンを立ち、冬の凍ったミシシッピ河を渡りました。アメリカ北部から南のメキシコ湾へ流れる、全長6000キロをこえる大河です。
 19世紀の当時は、今のような橋はありません。氷におおわれた川面を、馬車で渡ります。もし氷が割れたら、深い河底へ。
 一家は、無事に渡り終えます。東部のウィスコンシン州から、河をこえて、西部に入ったので。

 幌馬車は、果てしない大草原を、一日に30キロずつ進み、ついに1000キロ、南になるカンザス州インディペンデンスに着きました。」(松本侑子先生の資料より)









(LITTLE HOUSE ON THE PRAIRIE-GOING WESTより)

「They had come in the covered wagon all the long way from the Big Woods of Wisconsin,

across Minnesota and Iowa and Missouri. All that long way, Jack had trotted under the wagon.

Now they set out to go across Kansas.

Kansas was an endless flat land covered with tall grass blowing in the wind. Day after day they

traveled in Kansas, and saw nothing but the rippling grass and enormous sky.

In a perfect circle the sky curved down to the level land, and the wagon was in the circle,s

exact middle.」

「大草原の小さな家」への旅-ミズーリ州マンスフィールド-ローラとアルマンゾが暮らした家

2020年09月12日 14時41分44秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2013年9月14日;「大草原の小さな家」への旅から帰国しました
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2d059f2a4c154ce01fabe27742c91ed9

2017年3月20日;「大草原の小さな家」への旅_ミズーリ州マンスフィールド_ローラが眠る墓地
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/621dd3832b7e7226a827eba88045da7b

2019年3月9日:大草原の小さな家への旅_ミズーリ州マンスフィールド_ローラとアルマンゾが暮らした家
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/d096f28e2942731b9b7f0a92652e6e50

2020年4月4日;「大草原の小さな家」への旅_ミズーリ州マンスフィールド_石の家&教会
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/d5a4c7bacdfcc2925fbe1bc0783fc2c3

2020年5月8日:大草原の小さな家への旅_ミズーリ州マンスフィールド_ローラとアルマンゾが暮らした家
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/a2f84cd1d4841049d0bd8ba2d68bbe56

ローラとアルマンゾが暮らし家のパンフレット









隣のローラ博物館のチケット






このささやかなブログの中でいちばんアクセスが多いのが、こちらの記事。

2013年10月27日;「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ(1)https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ce9f785325a6977befa94b5ef489bd95

Googleで「大草原の小さな家」「ブログ」と検索してみたら3番目ぐらいに表示されました。シリーズ本を読んで検索をかける方が多いのかな。一般的には企画されない特別なツアー、自力で地球の裏側の広いアメリカ大陸に飛んで辿ることはまずできない旅程。7年前、人生最初で最後になるであろうと思い切ったことはほんとうによかったと思います。1月下旬海外ニュースとして武漢のことが伝えられた時から、瞬く間に気がつけば、近くの台湾・韓国に渡ることすらいつ可能になるかわからない世界になってしまいました。(お正月には宝塚OGの方々が中国公演を行い、北京の故宮博物館を訪れたことなどブログに書かれていたので本当にあっという間に世界が変わってしまった感です)。海外への旅は色々な条件が揃ったときにいっておかねいと後悔が残りましたね。この時でなければと心に決めた時実行した旅のすべてが今となっては人生の宝物です。

 ローラの足跡を辿った旅の中でいちばん心に残っているのが、ミズーリ州マンスフィールドのローラとアルマンゾが暮らした家。あたたかみのある空間でした。ここまで旅しなければ感じることはできませんでした。撮影禁止だったので内部の写真はありません。いつ終わるかわりませんがガイドブックから少しずつ紹介文を引用していこうと思います。





「LAURA,ALMANZO,AND ROCKY RIDGE FARM

After struggling for several years in De Smet,South Dakota,and after a brief and unhappy move

to Westville,Florida,Laura and Almanzo decided to move to a place kinder to farmers than De

Smet.Lured by promotional literature advertising the Ozarks as a good region for small-scale

farming,the Wilders set off once again in a covered wagon in search of a better life.Laura

describes this journey in On the Way Home. 」

Google翻訳にかけるとこう訳されました。

「デスメット、サウスダコタ州で数年間苦労した後、短い不幸な動きの後

ウェストビル、フロリダ、ローラ、アルマンゾは、デスメットよりも農家に親切な場所に移動することを決定しました。小規模農業に適した地域としてオザークを宣伝する宣伝資料に促され、ワイルダーは再び屋根付きのワゴンを探して出発しました。 ローラは、On the Way Homeでこの旅について説明しています。」

二人は農業に適した場所を求めてサウスダコタ州デスメットからミズーリ州マンスフィールドまで旅をしたんですね。わかりづらいですが今でこれでごめんなさい。



ミネソタ州ウォルナット・グローヴの博物館前に展示されていたワゴン車。





「大草原の小さな家への旅」_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_芝土の家

2020年06月14日 16時30分40秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2019年3月5日:大草原の小さな家への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_芝土の家
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b98bd0d6ed77e05ebc5683f396545d25

 2013年9月6日(金)の朝、ミネソタ州ニューウルムのホテルを出発して、ドラマの舞台となったウォルナット・グローヴへと向かったバスの中からの光景だったかな。







芝土の家、二か所、訪れました。どちらが比較的新しかったのが忘れてしまいましたが、新しい所は家具調度品もそろっていて住めなくはないかな。煙突もありました。家に煙突があることはとても大切なことだというお話がありました。



























芝土の家を離れて、博物館などがあるウォルナット・グローヴの町に中心部に戻るとき、バスの中からみえた郊外の風景だったかな。







これはミネソタ州ミネアポリスの空港近くの夕焼けだったかな、残念ながら記憶が遠ざかってしまいました。



「大草原の小さな家」への旅日記、ようやく終わりました。この世にいる間、もう訪れることはないであろう広大なアメリカ大陸を体で感じた旅でした。いろいろ意味で無理しましたがこの機会を逃さなかったのは正解だったと思います。


宝塚歌劇団星組OG、麻央侑希さんのインスタグラムより

「アメリカではミネソタ州ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドさん(46)が白人警官に押さえつけられて死亡した事件により、各地で抗議デモ(プロテスト)が拡大しています。」

https://www.instagram.com/p/CA9YDoAF4kj/










「大草原の小さな家」への旅_カリフォルニア州ロサンゼルス

2020年06月10日 23時09分56秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2020年5月11日;「大草原の小さな家」への旅‗カリフォルニア州ロサンゼルス

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/a0f1c8c82c0cec79385680049dbe3241


 20代の頃、雑誌『スクリーン』を愛読し、往年の名画を呼ばれる作品を上映している映画館に足繫く通いました。いつか行ってみたいと憧れたハリウッド。アカデミー賞授賞式の会場は思いのほかこじんまりとしていました。わたしが訪れた時は、階段の両脇のお店がCLOSEとなっているなどしてさみしい感がありました。時代の流れですね。











周辺の喧騒は、日本人にはとにかく「スリにご用心!」、一人ではこわくて歩けず、ショルダーバッグの口をおさえながら、ツアーでご一緒の方々と離れないようにとがんばりました。







夢をあたえてくれたハリウッドスターたちの手形。
訪れた時から7年が過ぎ、どなたのサインなのか、判別不可能となってしまっているものもありますがアップします。
お名前の判別、違っているかもしれません。









ジョン・ウェイン




グレース・ケリー




ハンフリー・ボガート



ジョン・トラボルタ



マイケル・ジャクソン






ポール・ニューマンと?



ピーター・フォンダ



ジェーン・フォンダ



ヘンリー・フォンダ



ドリス・ディ




 気がつけば、映画館は大型ショッピングモールの中で完全入れ替え制、単館の映画館は生き残ることが難しくなってきました。足繫く通っていた銀座のリバイバル上映の映画館も何年か前、久しぶりに行ってみたらなくなっていました。時代はうねり続けています。昔はよかったということではない、昨今の内外のニュースをみながらよくなっていくことを祈るばかり。

 PS.見返して違っていることに気づいたところを修正しました。それでも違っているかも、ごめんなさい・・・。



「大草原の小さな家」への旅_ウィスコンシン州ぺピン🚌ミネソタ州レイクシティホテル

2020年05月21日 00時09分38秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2014年12月7日:「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ぺピン湖畔

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/preview20?eid=44ce3c68f296c49c3607ee2c55fff110&t=1589986846277


旅の一日目、

ウィスコンシン州ぺピンのローラが生まれた丸太小屋(復元)を見学したあと、ミシシッピ河を渡りミネソタ州レイクシティのホテルへ向かう途中、バスの中から撮った写真。

ホテルが近くなってきた頃の風景だったと思います。

ぺピン湖畔にキャンピングカーが何台も停まっています。こうして家族でキャンピングカーに寝泊まりしながら旅をするというお話でした。