たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

考える日々

2014年09月30日 16時54分04秒 | 祈り
自分で言うのもヘンですがブログを開くと、懐かしい場所に帰ってきたような気持ちになってほっとしたりしているこの頃です。
納得のできないことがあって、でも今までの自分の経験では是非の判断がつかないので、どうすればいいのかわからなくなっています。むずかしいです、すごく・・・。
目に見えないパイプがはりめぐらされていてわけわかりません。

正直ベースで生きていくのはむずかしいのでしょうか。
気持ちを切り替えて、自分が必要とされる場所で信じあえる人たちとささやかに生きていきたいと思いながら、なかなかまだ足踏み状態で苦しいです。
気がつけば来年の手帳やカレンダーが目に入るようになりました。
来年どこでなにをすればいいのか、まだ決められません。
決められるのか、不安と背中合わせの日々です。
これから何をすべきなのか、何ができるのか、今はわかりません。

一生懸命自分で自分を支えていた日々へと、またしばし戻ってみたいと思います。

「1995年8月1日(火)

Y公園であろう。花火の音だけがきこえる、
風鈴の音が涼しげなもう夜ー。
昨夜から、不安の気持ちを落ち着け、ぐっすり眠れるように薬を飲んでいる。
そのおかげか、よく眠れた。ビデオをみていて夜更かしをしてしまったのはいけないが、
いつもよりは楽な気がする。
とにかく、休むことだ。
あせらないでいこうよ。
こんなわたしでなにが悪い-そんな気持ちを取り戻そう。
排他的になることではない。
こんなわたしにふさわしい場所をみつける努力をすることだ。
きっとあるサ、どこかに。
きっといるサ、どこかに、自分を必要としてくれる人が。
核となるテーマさえみつかれば、強いものが生まれるはずだ。
人をうらやむこともなくなる。
自分に忠実であれば、きっとみえてくる。
今は、じっとしていよう。
ぼうっとしていればいいじゃん。

1995年8月10日

芝居はいいなあ。色んな世界を生きられて羨ましいな、わたしも原稿用紙の上でいろんな世界を生きてみたい。

1995年8月11日

紫と白とピンクと黄のあい色の花と、りんどうを一輪かった。
花びらがひらいて、お花にかこまれているような部屋になった。
嬉しい。

1995年8月12日

今日も睡眠とテキストと散歩で一日は終わった。
けっこう疲れていると思う。
明日はできれば教会へ行きたい。」

この苦しみの日々からここまでなんとかやってきた自分の力を信じるしかないです。
きっと空から家族が守っていてくれると信じるしかないです。


写真は、春のプリンス・エドワード島、ケープ・トライオンです。
赤土と緑と青空とちらちらと輝く銀色の海。また会いに行けるかな・・・。

「大草原の小さな家」への旅_ウィスコンシン州ぺピン(丸太小屋復元_1)

2014年09月27日 22時43分54秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「(ぺピン)湖畔から183号線を通り、ローラが1867年に生まれた丸太小屋へ向かった。
 183号線は、ローラの父さんが、丸太小屋からぺピンの町まで、馬車や徒歩でとおった森の中の道だ。それが舗装されて道路になったのだ。ローラのころはどこまでも木立がつづいていた大きな森も、今ではほとんど開墾されている。

「小さな家」シリーズの第一巻『大きな森の小さな家』は、1932年に発行され、アメリカで広く読まれた。しかし全米的な大ブームになったのは、1974年にアメリカでテレビドラマが始まってからだ。ドラマの人気が高まるにつれて、ローラが生まれた丸太小屋についての問い合わせが増えた。そこでぺピンの歴史協会が、丸太小屋の跡を探しだして、1970年代に復元したのだ。」

(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年発行、幻冬舎文庫、164-165頁より引用しています。)



小屋のまわりを一周してみました。










台所、左手に暖炉が見えます。





ミュージカル『レディ・ベス』(3)

2014年09月26日 22時13分48秒 | ミュージカル・舞台・映画
「考えてみると、エリザベスの前半生ほど数奇という言葉がそのままあたる人間もあるまい。彼女はヘンリー八世の娘として生れた。このヘンリー八世というのがまた、英傑と悪魔とを完全に同居させたような人物だったが、エリザベス王女は生まれて三年、まだ満三歳にもならないときに、その実母(アン・ブリン。ヘンリー八世の二番目の妻)は父の命によって断頭台で首をはねられている。またこえて九歳の春には、彼女が深く慣れ親しんでいた継母、すなわち父ヘンリー八世の五人目の妃が、これまた実母と同じ断頭台におくられた。少女時代にはいっては、いくどか宮廷内の陰謀事件に関連を疑われて、とかく日蔭の身をかこっているが、ことに1554年に起こったある未遂の反乱陰謀事件では、21歳の彼女までロンドン塔に送られ、その後やっと濡れ衣ははれるが、文字通り断頭台の一歩手前まで行った。もちろん当時王位が転げこんでくるなど思いもよらなかった。したがって、1558年25歳ではからずも王位についたなどというのも、文字通り運命の不思議というよりほかないが、ということは、この歳までの彼女は、ほとんど庶民の娘も知らぬほどの苦労と経験をなめたにちがいない。人間の運命の測り難いこと、人の心の頼りにならぬことなど、おそらくいやという身にしみて味わったにちがいない。そこはおどろくべき聡明な彼女である。彼女45年の治政成功の秘密の底には、明らかのこの娘時代の体験が見事に生かされていたと考えるしかない。」

(中野好夫著『シェイクスピアの面白さ』新潮選書、191頁より引用しています。)


5月19日(月)の夜の部、三回目の観劇でした。

レディ・ベス:花總まり
ロビン・ブレイク:山崎育三郎
メアリー・チューダー:吉沢梨絵
フェリペ:平方元基
ロジャー・アスカム:石丸幹二


当日朝窓口でチケットを購入してから出かけました。
一階の補助席。観やすくていい席でした。
贅沢でしたが、自分にご褒美を用意しておかないと乗り切れそうにないことでした。
大きな局面の後の観劇で、昼間のことを色々と考えながら観ていたら歌詞がとても身近に感じられ、共感できるものがたくさんありました。



プロローグでアスカム先生が歌います。
「星々が告げるベスの運命」
ヘンリー八世のハンプトンコート・パレスの天文時計がモチーフの傾斜舞台。
最初に観たときにはわからなかったですが、数奇な運命をたどるベスの前半生を暗示していたのですね。
石丸さんがこんな低音で歌われるのは始めてだそうですが、堪能させていただきました。


舞台はこのあと物語の中で唯一、何のしがらみもない、しばられるもののない架空の人物、ロビンと三人の仲間たちが登場します。
史実にベスとロビンとの出会いを絡ませて、物語は進んで行きます。

ロビンと仲間たちがが歌います。
「人生は一度きり、自由に生きろ」(人生は一度きり)と。

ロビンが歌います。
「家も金も義務もない
 自由で 気まま
 この美しい世界のすべて
 俺のものさ

 心のままに書く詩人で
 道化が得意な役者で
 つらい時代忘れさせる 歌手さ
 旅に生きる流れ者

 富と名声 財産に名誉
 何もいらない
 歌と物語ならあるさ
 俺は自由だ」
 (俺は流れ者)


ロビンはリュートを弾いたり、酒樽の上に乗ったり、大道芸人のようにジャグリングを披露したり、舞台を駆けまわって自由に呼吸している雰囲気は本当につらいことを忘れさせてくれました。いろんなものにがんじがらめになっている人たちの中で、彼と仲間たちの存在はやすらぎを感じました。
山崎さんロビン、やんちゃな雰囲気が彼本来の持っているものとうまく重ね合わさり自然体で流れ者の雰囲気がよく出ていたと思います。

一度きりの人生、ロビンのように自由人でいることは現実にはあり得ませんが、心はしがらみに縛られることなく自由でありたい。一度きりの人生、自分を大切に生き直していきたいと心から思いました。

傲慢になってはいけないですね。人をだましたりしてもいけません。
自分の感性を信じて一生懸命に生きていけばいい、そんな思いをベスの歌がさらに後押ししてくれました。

一幕の終わり、メアリーによってロンドン塔に送られることになったベスが歌います。
「私の心が読めると言うの?
 あなたとは違う 読めはしない
 濡れ衣 着せられても 微笑み返す
 潰されはしない 何をされても
 責められ 罰せられても 魂だけは自由

 心はわたしのもの
 窓なんてない、のぞけはしない
 秘めた想いを あなたは知り得ない

 命令される そのたびに
 信念だけは 護ってきた
 あなたと同じ考え方など無理よ
 自分自身を裏切れないわ
 閉じ込め 脅かされても
 魂だけは自由」
 (秘めた想い)


二幕終盤、メアリーと和解したベスは、アスカム先生、養育係のキャット・アシュリーと穏やかなひとときを過ごします。このまま穏やかな時が続いて、迎えにきたロビンと一緒にどこかに行って普通に暮らせたらどんなにいいだろうに、ベスは女王として生きる道を選びます。
ロビンに、一緒に行くことはできないと告げたベスは、ずっと髪につけていたイモーテル(永遠に枯れない花)を託して戴冠式に臨みます。
イモーテルを胸に王冠をいただいたベスにひざまずくロビンは、これからどこへ流れていくのでしょう。ふっと気がついたら風のようにどこかの空にいってしまうような、そんな切ないラストでした。

フェリペ皇子ふたりのチケットホルダーをもらい、終演後はお見送りイベントもありました。平方さんフェリペとロビンの仲間たち三人組に見送られました。山崎さんロビンのあいさつもあったし、幸せなひとときでした。


『レディ・ベス』、先日名古屋で半年間の公演の千秋楽を迎えました。
落ち着いていれば、オンドリャーをまた観たかったですがかなわず残念でした。
個人的体験と重ねあわせて、忘れられない舞台になりそうです。



真摯に一生懸命生きようとすると苦しかったりしますが、正直ベースで生きていくのはきびしいのかなと思ったり、迷いの日々ですが希望を捨てずに、自分を見失うことなく歩いていければいいなと思います。この舞台から、そのエネルギーをもらいました。

書き足りない感もありますがひとまずここまでです。




5月19日のキャストボード。



ライトでかなり見づらいですね。



同じですがこちらも。




石丸幹二さんアスカム先生



山口祐一郎さんアスカム先生





絵本を読みました

2014年09月24日 14時18分09秒 | いわさきちひろさん
9月17日にコミュニティハウスのプログラムの中でで少しの時間ですが、いわさきちひろさんの絵本を読みました。手持ちの『ゆきのひのたんじょうび』を考えていましたが、全体として文字数が小さい子には多すぎるので、スタッフの方と相談して、小さい子向けの『あかちゃんのうた』『おふろでちゃぷちゃぷ』を選びました。スタッフの方が近くの図書館で借りてきてくれました。


いわさきちひろさんは1974年8月8日に55歳で亡くなられていますので、晩年の作品ということになります。松谷みよ子さんは88歳で健在でいらっしゃいます。



松谷みよ子 あかちゃんの本 いわさきちひろ え
『おふろでちゃぷ ちゃぷ』
(1970年5月5日初版発行、童心社発行より引用します。)

あひるちゃん
どこいくの

いいとこ
いいとこ

あれ?
タオルをもった
ねえ どこいくの?

いいとこ
いいとこ

あれ?
せっけんもった
ねえ どこいくの?

いいとこ
いいとこ

はっはァ
わかった!
おふろだ!

グワッ
グワッ
そうだよ
はやく おいで-
いっとうしょうは だあれ

まって
まって
いま せーたー
ぬいだとこ

はやく
はやく

まって
まって
いま ズボン
ぬいだとこ

はやく
はやく

まって
まって
いま シャツ
ぬいだとこ

はやく
はやく

いま パンツ
ぬいだとこ

わーい
はだかんぼだーい

おふろで ちゃぷちゃぷ
せっけん ぶくぶく
あひると いっしょ
おふろ
ぼく
だーいすき

あたま
あらって
きゅーぴーさん



松谷みよ子 ぶん
いわさきちひろ え
『あかちゃんのうた』
(1971年8月20日初版、童心社発行より引用します。)
この中から三つの作品を読みました。

「ののさま だいすき」
ののさま いくつ
十三 七つ
どこまで いっしょ
ずうっと いっしょ
ふうちゃんが あるけば
ののさまも あるく
ふうちゃんが とまれば
ののさまも とまる
ののさま だいすき
あしたも またね



ののさまってなんだろう?ご年配の方にお聞きしたところ、仏様とのことでした。
この絵本で描かれているのはたぶんお月様。お月様には魂が宿っている、亡くなった人たちの魂が昇って行ってお月様になった。昔は月に魂が宿っていると考えられていたのでそんなふうに受けとめることができるでしょうか。



「うさぎ」
うさぎ
うさぎ
どうして おみみが
なあがいの

おやまの はなしも
ききたいし
のはらの はなしも
ききたいし
それで おみみが
なあがいの

「木の葉が」
木の葉が
ちらちらしているでしょ
風さんが ふいているのよ
こうちゃんに
こんにちは、って
おひさまのところから
ふいてきたのよ
お花をゆすって
ほら
こんにちは、って
しているのよ

はじめて絵本を読んでみました。
いわさきちひろさんの絵を載せることはできませんが、松谷みよ子さんの文にはリズムがあって言葉のいみがちゃんとわからなくて不思議に心の中にすっと入りこんできます。
こうして大人になってから絵本を読むのはいいものです。私自身がほっとしました。

冬になったら『ゆきのひのたんじょうび』を読む機会があればいいなと思います。







「大草原の小さな家」への旅_出発&1日目(ウィスコンシン州ぺピン)

2014年09月23日 14時36分01秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2013年9月2日(月)は夜11時頃まで働いたなあ。

2013年9月3日(火)はがんばって有給休暇取得。
荷物(赤いトランク)をお昼に空港に送る。やっぱりいろいろと詰め込んでしまった。
緊張してくる。
成田エクスプレスのチケットを確認し直したり、いろいろと・・・。
最寄駅までのタクシーも頼んだ。そうしないと部屋を出られない。
緊張・・・。

2013年9月4日(水)

11時40分:成田エクスプレス乗車
15時50分:デルタ航空622便ミネアポリス行き搭乗

朝9時過ぎに地震。蒸し暑い。緊張。
ツアーだと思ってのんびりかまえていたけど、やっぱりバタバタ、色々と大変だ。
デジカメの充電器が行方不明で新しく買ったり、靴もやっぱり買ったりいろいろ・・・。
一週間、地球の裏側へ行くって大きい。
まもなく離陸。今さらだが成田空港で迷子になった。情けない。
あまり揺れなかった。機内寒い。
薬にたよってぼちぼちと眠った。

現地時間12時45分:ミネソタ州ミネアポリス・セントポール国際空港着

入国審査に一時間かかった。
なんだか外は暑く、中は冷房の効きすぎが多い。

ミネソタ州ミネアポリス⇒ウィスコンシン州ぺピン

ローラの生家(丸太小屋復元)見学
メアリが通った学校の跡(今はとうもろこし畑)

ぺピンの丘陵はローラが人生の後半を過ごしたマンスフィールドとよく似ている。

ミシシッピ河を渡り、ぺピン湖畔(ミネソタ州)のレイクシティホテルへ。
夕食はホテルの反対側のレストランでお魚のフライ、たぶん鱸(すずき)。
おいしいが大きくって全部は食べきれず・・・。

ほんとに何もない田舎地帯。
今はアスファルトにおおわれている道も100年前は森の中で、馬車か徒歩で移動した。
電気もなく真っ暗な所をすごいなあ。
今の時代には考えられないような暮らしが、ほんの100年前にはあったんだ。
子どもの頃、本を読んでも意味がわからなかった。
テレビドラマをみていても殆ど何もわかっていなかった。
本当の「大草原シリーズ」の世界がここにある。
不思議な感じだ。はじめて訪れたアメリカ。
渇いている。

個人旅行のようなきだぞっていう感じではないが、自力でこようとしたら大変だし、
たぶん二度と来ることはないだろうし。一度はみておきたかった。体で感じたかった。
明日からもボチボチとがんばろうと思う。
丸太小屋は、ほんとに小さくて質素。
本に描かれているように隙間がいっぱいあって寒かっただろうな。
父さんは余裕があれば隙間を埋めることができた。
周囲はほんとに何もない・・・。
外灯だってあるわけじゃなし。ただただ森(今はかなり切り開かれてはいるが・・・)。
これが大草原の世界。
アメリカの原点なんだなあ・・・。
来てみないと、自分の目で確かめないとわからなかった。
勉強になった。

時差14時間。
携帯が勝手に表示してくれるので、あまり頭を使っていない。
便利になっていいんだかなんだか・・・。

ぺピン湖畔
AmericInnLodge&Suite泊(ミネソタ州)
こじんまりとした田舎のカントリーインだ。

***********

時差で長い一日は終わりました。
やっと書けました。
写真は、ローラが生まれた丸太小屋の復元です。
テレビドラマの放映によって復元され、実際にあった場所からは少し離れているそうです。
他にも写真はあるので少しお待ちください。

ゆるやかな秋の日

2014年09月23日 14時06分50秒 | 日記
2010年から続いた弔事が今年はなく、ひとりお彼岸の日を過ごしています。
郷里から離れて暮らしているのでお墓参りはできませんが、心の中で手を合わせます。
壁うすうすでゆったりとできる住環境ではありませんが、秋の空高く、雲は遠く流れて、
21年前の今日は気も狂わんばかりに泣いていたのが夢をみていたかのように思えます。


ずっと頭の中が緊張しているので、何度も目がさめてしまいます。
薬の力を借りないときついかなと思ったりもしますが、連続になるとよくないので我慢してがんばっています。
社会の新しい流れについていっていない旧態然とした仕組みの中で、弱い立場の者がねじれをひきうけるようになっていることがなんともやりきれなくて、今は言葉がみつかりません。希望がみつかりません。
限られてはいますが声を出せるだけのものを持っているので、きついですがこのままいくしかありません。
戻れない所まで来ているので、ため込んだものを整理しながらこのまま行く先にしか次はないんだろうと思います。
妹と両親がきっと守ってくれると信じ続けます。


なんだかヘンだなに気づきすぎてしまったりすると、なかなか息苦しいですね。
あまりにもマニュアル通りに丁寧に声かけされるとうれしくないどころか、返す言葉を失います。いえ言葉を返してはいけないんです。
マニュアルにそんなことはたぶん書いてない・・・。
こちらは能面になるしかありません。


ささやかでいい、信じ合える人たちの中でこれからは生きていきたいです。


雲は遠く流れて行く

2014年09月21日 21時38分22秒 | 祈り
昨日の自分を振り返ってみると、一昨日のぶり返しもきていてちょっときつかったですね。

気がつけば、今日で突然のお別れから21年となりました。どれだけ時間がたっても思いが尽きることはありません。母の病気と妹との突然のお別れ、受け入れられなくて、自分をどうしたらいいのかわからなくて本当に苦しかったです。自分がいけなかったんだと責め続けてしまいました。ちょっと重いことを書いてしまいますが、私は詳しい状況を知らないので幸いでした。知っていたらもっと自分が大変だっただろうなと時々ふっと考えてしまいます。私に背負える分だけを与えられたのだと今さらながらに気がつきました。


こんなことがなければ、過ごすことはなかったであろう深い人生の時間を過ごしてきました。
その分感度があがってマニュアル社会の気持ち悪さに堪えがたかったするのできつい面もありますが、一生懸命にこれからも生きていこうと思います。


今、きっと、人生の大きな転換期。
苦しかった日々にひと区切りつけて、自分を生きていこうと思います。
忘れるわけじゃない、ずっと心のどこかで思い続けています。
思い続けながら自分を生きていきます。
高い空からきっと見守ってくれている、良き方向に導いて行ってくれる、そう信じて今の苦しい時をなんとか辛抱していきます。
一個人の力ではいくらがんばってもどうすることもできない社会の仕組みになっているので、どうしようもありません。あとは信じるしかないです。
たぶんかなりもう限界にきている感があります。心から休むことができていないので、
休みたいです。でもまだ許されない。信じてふんばるしかないです。



お別れから一年後の私、情けない状況ですが精一杯でした。


「1995年9月21日(木) Fine

このけだるい虚脱感、そろそろ部屋にいるのも飽きてきたし、お金もないし、メリハリがないので、仕事したいなあと思うけど、なにをしていいかわからないので、ぼうっとしている。
頭の中だけで、グルグルといろんなものが回ってしまうことに、疲れてしまうのだ。
いつもあくせくしているわたしがおかしいよね。

昼間のあたたかな陽射しの中でぼんやりして、夕暮れになってせんたく物を取り入れていると、こんなゆったりとした時間もあったんだなあ、って少しほっとした気持ち。
何かを造り出している人への嫉妬、でも、同時に今は臆病になってもいる、書くということに対して。
いろんな思いがあふれた一年だった。ことばにしたい、という気持ちもある。
が、こわい。未知数のことが多過ぎるからだ。
わたしにはまだ自分を探すということが、どういうものかわかっていないらしい。
家族への思いにとらわれ、亡き物への思いにとらわれ、あまりに重すぎる事実に、とても
わたしには背負っていくことはできない。もう一度だけでいいから、会いたい、と涙した
時がどれほどあったことか・・・。

一年という時が、ようやく少し傷をいやしてくれたように思う。
仕方なかったんだと思えるようになった。本当はそんなことばはいやだが・・・、
妹が自ら選んだことなら、どうしようもない。
事実は事実として受け取めていくしかないのだ。
今は一年前の出来事がウソのようでもあり、同時に少し慣れてきたのかな、という気がしている。生きていてもつらすぎたかもしれない。
そう思うしかないじゃん。

父と母への怒りにもずいぶん苦しんだ。今でもどう考えていいのかわからない。
ただ親の思いはわたしにはわからない。
家に帰っている間、わけのわからないことを言う母に苛立ちもしたが、母なりに出口のみつからない苦しみの渦の中にいるのだと思う。はなれているからこそ、おだやかな気持ちになれる。自分のことばっかり言って、と怒りをおぼえたりもするが今はよそう。
家にはYクンがいるのだ。
先、自分がどう進んでいくか、ということに帰結する。
今は母からお金を送ってもらうという事実が、わたしをみじめにさせている。その分、前に進めばそれが恩返しだ。

明日から、校正の通信教育、はじめようっと。
考え込むのはよそう。人のいうことを気にするのもよそう。
なにもしないでいるより、なにかした方が一歩前に進んでいける。
仕事はどうするんだ?
明日、また考えよう。
こんなわたしで、なにが悪い。
変われるはずもないんだから、いいじゃないか。
でも、同時に自分が変われるような人間関係を求めているわたしもいる。
今はまだわからないことだらけだ。
どんどん、自分に自信がなくなっていって、穴ぐらの中に落っこちそうだ。
こんな時もあるサ、考え込むのはよそう。
ただ、今は課題を残してくれた、いろんなことに気づかせてくれたMちゃんに感謝・・・」








ちょっと無理したかも・・・

2014年09月20日 21時53分24秒 | 日記
今日は午後いっぱい、ちょっと研修に参加してきました。
昨日に続いてで、少しばかり自分に無理をさせてしまったかもしれません。
本当にいろんな方がいらっしゃって、お一人お一人状況が違うし、必要なことも違ってくるのだとあらためて思いました。普通にはきつい内容の話がどうしても残るので、きついものはあります。それでも行こうと決めて、行ってきました。きっと私にとって意味のあることなんだと思います。
会場がたまたま毎日通っていた場所の近くで、同じ駅を使って同じ交差点を渡りました。
駅に着くときついのを奮い立たせて気合いを入れるために、自動販売機でドリンク剤をよく買っていました。
その自動販売機を見てとてもいやな気持ちになってしまいました。
誰にも話せない、わかってもらえない、言葉に言いようのない苦しさを思い出してしまいました。
もう少しの辛抱です・・・。


昨日の夜はまた心のお休み時間を求めて、ミュージカルソングを聴きに行ってしまいました。
一路さんの『アンナ・カレーニナ』から「セリョージャ」、昆さんの『ミス・サイゴン』から「命をあげよう」、涙が流れました。
大好きな『エリザベート』の意外なキャストでのメドレー、
『レ・ミゼラブル』から今井さんの「彼を帰して」、村井さんの「Stars」、
一路さんの男役の『エリザベート』から「愛と死の輪舞」などなど、
しばしぜいたくな時間を過ごしました。
また詳しいことはあらためます。まだ5月の『レディ・ベス』のことが書けていないと
勝手にあせっています。


プリンス・エドワード島で買った映画『赤毛のアン』のDVDを行方不明にしてしまったことに
今日気づきました。せまっこい部屋のどこかにあるはず。まだまだぐちゃぐちゃ状態です。


先日ちひろ美術館で撮ったいわさきちひろさんの絵から一枚載せますね。
ちひろさんの絵にはやさしさの裏に強さがあると思います。
今週半ばにコミュニティハウスでささやかに絵本を読んだりもしたのですが、これも来週あらためます。




秋の日の祈り

2014年09月19日 23時12分36秒 | 祈り
混乱の終結がまだ見えないので、肩をいからせて全身で緊張し続けています。かなりきついですが、お薬の力も借りながらなんとかやっています。きっとこれでよかったんだと思える日が訪れる、進むべき道にほんの少しずつだけれど近づいていっている、そう信じ続けています。

早いもので父親とのお別れから4年、妹とのお別れからは21年が過ぎようとしています。
私の人生の大きな転換期が向こうからやってきてくれたということですね。
これからどうやってご飯を食べていくのかが見えてこないのですごく苦しいですが、きっと大丈夫、そう言いきかせて今は踏ん張り続けます。

突然のお別れから一年が過ぎようとしている頃の私へと戻ってみます。

「1995年9月20日(水) Fine

結局、仕事もなくぼんやりしている。
なかなかにタイミングが合わなくて、仕事が決まらない。具体的にたいして動くこともなく、こうして部屋でじっとしているわたし。

昨日郷里から戻ってきてひとりのどこかにいつも緊張感があるような暮らしに、少しまだ抵抗感があるのかもしれない。家に帰っても、なんだか落ち着いて眠れなかったのにね、おかしいね。
さり気ないひと言のいえる家族の暮らし、
自分を見つめられるひとりの暮らし、
ちょっぴり淋しさがあって、自分を好きでいられるひとりの暮らし、
それぞれにいいものだと思う。


*********


今日はまだ戸惑っていた。
5日間の家での滞在を終えて、再び一人の部屋に戻ったことに・・・。
そのことが、昼間書いた文章に現れている。
昨夜、ひとりTVに向かって食事をした時など、正直いって少し淋しかった。
おかしいね、家では今一つ落ち着いて眠れなかったのに・・・。
戻ってみれば、いつもの部屋と、不安と背中合わせのわたし。
ほんの小さなことにドキドキしたり、嬉しかったり、よおし、がんばるぞって、いきがったり、そんな毎日に戻ることに、まだ少し抵抗感があるのかもしれない。

また郷里でのんびり暮らすのもいいかなって、家にいる間思った瞬間もあったし、
仕事が決まらないうしろめたさ(?)が、そうさせていることもあるだろう。
急にドラマチックに変われる筈もなく、ただ毎日の暮らしが戻ってきたのだ。
これでいい、家にはもうわたしの部屋もなく、時々帰るだけだからこそ、
母に対しても、少しやさしい気持ちを取り戻せた。
自分を見つけられなくて、(家を出て)もう7年半にもなるというのに、まだ悪あがきを続けている。
いいじゃないか、先がどうなるかわからない生活。
生きている限り、苦悩の連続であるはずだ。
でも、その中にほんのぽっちりでも輝くものをみつけられたら、それでいいじゃないか。
明日でほんとうに一年。
頭の中だけで、グルグルといろんな考えがまわってしまうことに、ひと区切りつけたい。
ほんの少しずつでも、考え込むより先に行動したい。
一年前の苦しみに比べたら、ちょっと仕事がみつからないぐらい、どうってことないはずだ。
なんとかなるんだ、生きてさえいれば。
消去していけば、妥協と前向きの気持ちとが交わる点もきっとみつかるにちがいない。
考え込むのは、もうよそう。」


今の私は過去の自分からエネルギーをもらっています。
のたうちまわるような思いで過ごしながらも自分の気持ちと向き合うことから逃げることなく
ここまでやってきました。
私が背負わなければならない分は十分すぎるぐらい背負える私にようやくなれたのかもしれません。やっとここまでくることができました。
これからは自分を生きていくことを考えていこうと思います。


自死遺族の会に参加させていただき、終わった後は今日も一カ月ぶりのパスタランチ。
ちょっとぜいたくですが、お腹いっぱい食べて、紅茶をゆっくりといただきながら、
『赤毛のアン』の原文を読んで気持ちを落ち着けていきました。
いろんなお話をきかせていただき、自分のことも語ることは、いろんな思いもあふれかえってきてしまい、自分で感じている以上に疲れているものです。
こういう時間は必要ですね。



兄弟姉妹との突然のお別れの苦しさを言葉にしている人は少ないのかもしれません。
ささやかですが、こうして書き続けていこうと思います。



写真は、春のプリンス・エドワード島、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡の緑です。

夏のプリンス・エドワード島への旅_帰国(バンクーバー空港にて)

2014年09月18日 18時35分38秒 | プリンスエドワード島への旅
2009年7月17日(金)

バンクーバーまできてしまった。
ここだって日本から遠いのだが、PEIが夢だったように思える。

キャベンディッシュでは食事がまともにできなくて、夜は何度も目がさめて、身体はきつかった。
日頃の眼精疲労がきて、頭痛薬を飲んだりした。
なのに思い出すのは、おだやかな風景と風の音、銀色の海、うすい雲。
そして、なにもしない静かな時間。橙色の夕陽。
幸せだったんだなあ。
こわれそうな心にエネルギーを与えてくれた。幸せをくれた。
がんばれると思う。また来るために、そしてもっと触れ合うために英語を勉強しよう。

大丈夫かな、課題が大きかったかな・・・と不安だったがやり遂げられたし、要領がわかった。
よくやったと思う。十分だ。そして私は大丈夫。
4?才のオバサンが一人でなにやっているんだろう、なんて疲れてくると思ってしまったが、
年齢じゃないんだよね。今を大切に、何をしたいかだようなあ。
日本にへばりついている理由はないんだよなあ。私ができることで、カナダで必要とされることが
あればなあ・・・。

おっと、ロブスター食べたよ。
ハーフサイズを注文して、ムール貝はつけあわせであるかのように(日本語のメニューに)書いてあったのに、ボールで出てきてびっくり。とても食べられない。
半分にしてもらった。それでもおなかいっぱい。おいしかったけどね。
グラスワインをいただきながら、ロブスターもがんばって食べた。
本当にわたしにはきつい大きさなのだが、自然の味がしてうまかったなあ。
庶民的なおしゃれじゃない店で食べたのがよかったかな。

(ロブスターを食べた日の前日に同じ店で食べた)オイスター、うまかったあー。
ワインを飲みながらだったら、もっとうまかっただろうなー。

要領はわかった。
ずっと一人はきついものもあるけど、一人じゃないと空気は満喫できない。
実現できるかどうかわからないけど、ホームステイかカナディアンロッキーをプラスした旅をしたい。
秋にも行ってみたいなあ。
そのために働く。それでいいじゃないか。
先のことはわからない。
片道およそ24時間。きついがやれた。
また行くぞ、PEI。

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東のモントリオールから4-5時間かけて、エアカナダの国内線で西のバンクーバーへ移動。
バンクーバーから成田空港へと戻って、はじめてのプリンス・エドワード島への旅は終わりました。
帰国便の成田空港行きの電光掲示板を見ると、帰りたくなーい!と心の中で叫んでいたのは
いつものことです。

春のプリンス・エドワード島への旅日記もありますが、次は、大草原の小さな家への旅日記を書こうと思います。やっとです。ヨーロッパへの旅の写真もありますが、整理が追いつかないのでぼちぼちと・・・。


以前にも載せていますが、夏のキャベンディッシュ・ビーチの夕暮れです。