たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2009年ルーヴル美術館展より‐「6人の人物の前に現われる無原罪の聖母」

2024年12月22日 10時25分12秒 | 美術館めぐり

バルトロメ・エステバン・ムリョーリョ

(1617-1682)

《6人の人物の前に現われる無原罪の聖母》

1662-1665年

油彩、カンヴァス

172×298cm

(公式カタログより)

「スペイン「黄金の世紀」の画家で、最も頻繁に版画化されてきたムリョーリョの作品には2系列がある。ひとつは、いささか胸を締め付けるような思いを喚起する路上の貧しい子供たちを描いた風俗場面で、他は宗教画である。ルーヴルのこの作品はムリョーリョのふたつ目の系列を代表する作品である。この堂々たる作品がサンタ・マリア・ブランカ教会に置かれていたことを想像しなければならない。カトリックの対抗宗教改革によって発せらえた綱領によれば、神聖な者は我々の近くに現われる。この絵を見る者と聖母との関係は、画面左前掲の人物たちによって確かなものにされている。その中の後ろ向きに描かれている男の手は、神の空間と人間のそれとの移行を示している。聖母は華奢な乙女として描かれ、跪くような仕草で、三日月の上に身体を置いており、魂の高揚をかき立てるに相応しい表現となっている。とはいえ、この近接は相対的なものでしかない。雲のあいだを舞う天使たちは巻物をもっているが、そこには「最初より神は聖母を愛された」という銘文がラテン語で書かれており、聖職者だけが説明できるものだからである。

 17使役、聖母の「無原罪」という性格は、原罪の打撃からも神は聖母をお守りになったという信仰を意味している。この考え方と聖母の身体にイエスが宿ったという奇跡の懐妊とを混同してはならない。

 信者への「神の顕現」が流行したことをよく示すこの作品は、「黄金の世紀」においてカトリック教会によって注文された偉大な宗教装飾がどのようなものであったかをよく示す作例でもある。また、この作品は輝かしい神が人間世界に干渉するという超自然の場面を描く作例でもある。画面が神聖なもので満たされていることは、半透明でオレンジ色のケルビムが空一面に群れていることから示され、他方、信者の空間は遠近法的規則を尊重している。この画面は当時の典型的なものと言ってよいが、過去の遺産を継承している部分も考えるべきだろう。西欧文化において、最初に神的なものの顕現の形象化を展開したのはキリスト教世界ではなく、古代なのである。」

 


ルーヴル美術館展より‐「鹿に変身させられたアクタイオン」

2024年11月26日 00時20分14秒 | 美術館めぐり

(公式カタログより)

フランチェスコ・アルバーニ

1578‐1660

《鹿に変身させられたアクタイオン》

1640年頃

油彩、カンヴァス

77 × 99 ㎝

 

(公式カタログより)

「魅力的な裸体の女性たちを見せるための口実となったこの絵画の主題は、「鹿に変身させられたアクタイオン」である。17世紀前半のエミリア派の古典主義を代表する画家であるアルバーニによって描かれた本作品は、きわめて豊かな図像学的内容をもっている。

 本作品は神話主題ではあるが、その構図は風景を巧みに利用することで成り立っている。洞窟にはきれいな水が湧き出て、狩猟と貞潔の女神であるディアナの付き添いの女性たちの乳白色の身体をさわやかに包んでいる。また、岩の向こうには穏やかな森が広がっている。風景は、神話主題であることから異教の神々の威厳ある姿が見られる一方で、森の雰囲気も湛えている。ここに描かれている女性の裸体像は、ごく自然なものというわけではない。アルバーニを関連づけるべきカラッチのアカデミーの素描を学ぶ授業の中では、女性モデルがポーズをとることはなかった。ディアナやお供の女性たちは大まかに言って再構成であり、彼女たちは両性具有で、いずれにせよ、頭部が小さく、広い腰、異様なまでに引き伸ばされた背骨など慣習的な決まった形態が採用された。オウィディウスの『変身物語』から採られた主題は、狩人アクタイオンについての物語である。偶然にディアナが水浴するところを目撃したアクタイオンはその罰として鹿に姿を変えられ、彼自身の狩猟犬によってむさぼり食われてしまう。これは意図しない罪とその罰についての主題である。アルバーニは女神が罪人を指し示し、最後のさばきを申し伝える瞬間を描いている。アクタイオンには、すでに角が伸び始めている。ディアナの顔にはどのような怒りの表情も見られず、喜びだろうと怒りだろうと神々は顔をしかめることのない古典主義的な美の理想に一致している。侵犯、そして呪い、この主題は、人間世界への超自然の侵入を表している。「黄金の世紀」、すなわち、キリスト教的奇跡を描く絵画が盛んだったその時期に、アルバーニは古代の奇跡を描いた。カトリック文化と神話の目録は「聖人の世紀」に共存していたのである。」

 


ハローキティ50周年

2024年11月02日 12時01分36秒 | 美術館めぐり

2024年11月1日、ハローキティが誕生から50周年を迎えたそうです。

 

2010年1月3日(日)『ハローキティ展』

時の流れと共にキティちゃんの表情も変わってきていて、深いものがあるのだと感じた展示会でした。サンリオの社長室の椅子とかテーブルがキティちゃんになっていると言われていますが今もそうなのかな。大切につないでいきたい日本独自の文化。大阪万博のミャクミャクとのコラボは思いとどまっていただきたいです。

 

 


『KAGAYA/星空の世界 天空の贈り物』より-シリウスのツリー

2024年09月24日 17時21分13秒 | 美術館めぐり

『KAGAYA/星空の世界 天空の贈り物』より-天空への招待

 

「シリウスのツリー

 北海道

 2019年3月10日22時24分」

 


『KAGAYA/星空の世界 天空の贈り物』より-天空への招待

2024年09月11日 00時33分39秒 | 美術館めぐり

『KAGAYA/星空の世界 天空の贈り物』より-アンドロメダ銀河

「天空への招待

 北海道

 2019年3月10日17時49分」

 


『KAGAYA/星空の世界 天空の贈り物』より-アンドロメダ銀河

2024年08月13日 12時03分32秒 | 美術館めぐり

『KAGAYA/星空の世界 天空の贈り物』より-夜明けのリフレクション他

 

「アンドロメダ銀河

 山形県

 2020年10月20日21時54分撮影」

 


2022年『メトロポリタン美術館展』-ラファエロ『ゲッセマネの祈り』

2024年08月13日 00時09分31秒 | 美術館めぐり

2022年『メトロポリタン美術館展』-レンブラント・ファン・レイン『フローラ』

ラファエロ・サンツィオ(サンティ)

「ゲッセマネの祈り」

1504年頃 油彩/板

 20~21歳の作品、丘の上ではりつけにされようとするキリストが祈っている横で弟子二人が居眠りする光景、若きラファエロの繊細優美な画風、という解説でした。

 


2009年ルーヴル美術館展より‐《聖エウスタキウスのいる風景》

2024年08月12日 14時09分39秒 | 美術館めぐり

ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオラ

(1576‐1622)

《聖エウスタキウスのいる風景》

1610年頃

油彩、カンヴァス

68.2 × 67.8 cm

(公式カタログより)

「17世紀初頭の優れたローマの風景画家のひとりの手になる本作品は、さまざまな理由から検討に値する。第一に、この作品は古典主義的趣味の風景画であり、自然と敵対するのではなく、遠くに広がる見事な構成物(町だろうか、それとも、城館だろうか)が示すように、人間の手でつくられた心地よい世界の中で、主役のエウスタキウスは動きまわっている。つまり、描かれているのは再構成された自然なのである。第二に、そこで演じられているキリスト教のドラマもまた、見事なものである。前景に描かれた犬に何やら指示を出していると思われる狩猟者は、今まさに馬から降りて地面に跪き、大鹿を凝視している。この鹿の角のあいだには十字架が見え、そこから光が発し、この人物を驚かせている。幻視の後、キリスト教に転向したアントニウス帝時代のローマの兵士であるエウスタキウスの姿をそこに見ることができるが、ヴィオラが描いたのはまさにその幻視の場面である。

 この作品の図像学も単純ではない。対抗宗教改革という時代を考えれば、カトリックのイタリアにおいて、この主題は戦闘的意味を纏っている。ヴォラギギネのヤコブスとその「黄金伝説」を信じるならば、エウスタキウスは4世紀におけるコンスタンティウス大帝のキリスト教への改宗とそのローマ帝国における国家宗教としての同教公認以前の人物である。エウスタキウスの物語にこだわることは、すなわち、原始教会と最初期の英雄たちを全面に押し出すことを意味する(エウスタキウスはローマで殉教した)。特に、この作品はキリスト教の奇跡と異教のそれとの称賛に値する統合を打ち立てている。両者のあいだの視覚上、物語上の均衡も注目されよう。古典主義的絵画における超自然の表現は、古代とキリスト教的物語のあいだに立つヴィオラの本作品において見事に例証されている。」


『特別展中尊寺金色堂』東京国立博物館

2024年07月26日 12時33分33秒 | 美術館めぐり

『東北歴史紀行』より-降り残してや<ひらいずみ>

旅の思い出-岩手県-岩泉・龍泉洞⇒盛岡⇒平泉⇒仙台

 

 2024年3月16日(土)『特別展中尊寺金色堂』、今年はじめての東京でした。年末から寒さでほとんど体が動きませんでしたが少し暖かくなって無事に上野を往復することができました。旅日記を振り返ると、若かりし頃平泉を訪れた時には展示が遠く修学旅行生でざわついて何も心に残りませんでした。時を経て父、母、妹がいなくなった今の自分で出会った仏様たちはとても穏やかで優しいお顔をしていて癒されました。360度閲覧できるようになっていたので横顔も後ろ姿も拝見できて足にはかなりこたえましたが幸せなひとときでした。父、母、妹はこのような世界に今いるのでしょうか、この世から去るときにはわたしも仏様に導かれて藤原氏が夢みた極楽浄土へいくことができるでしょうか。

 

最後に展示されていた金色堂の模型

ライトアップされた東京国立博物館、金曜日と土曜日は19時まで開けてくれていました。ありがたいことです。出た直後足がつらすぎてお茶のみながら座っていたら警備員さんに声かけられました。門も閉めるのでそりゃそうですよね、ご迷惑かけました。

出品リスト、展示室ではフリガナがふられていましたがさすがにリストにはないので漢字が読めません。

 

東京国立博物館 - 1089ブログ (tnm.jp)

絵葉書を購入しました。
 
 
 
国宝 金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第十幀 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺大長寿院蔵(後期展示期間だったのでわたしがみたのは記事にある第三幀ではなく第十幀でした。
塔=経典で周りに仏や衆生が描かれているとのこと。実は仏教のこと殆どなにも知りません。日本の神様のことも仏様のこともなにも知らないまま生きてきました。この世にいる間に学ぶ時間はまだあるでしょうか。
 
 
 
国宝 地蔵菩薩立像 平安時代・12世紀 岩手県・中尊寺金色院蔵
阿弥陀三尊の両脇に3体ずつ安置される地蔵菩薩立像。
 
阿弥陀三尊と六地蔵のセットは六道輪廻からの救済を願う往生思想を体現しています。
 
 
国宝 阿弥陀三尊像(左から:勢至菩薩立像、阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像)平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
 
(中央)阿弥陀如来坐像 ふっくらと穏やかで優美な姿が特徴


『モネ連作の情景』上野の森美術館-ヴェトゥイユの教会

2024年07月19日 00時48分29秒 | 美術館めぐり

『モネ連作の情景』上野の森美術館-モネのアトリエ

 

クロード・モネ

《ヴェトゥイユの教会》

 1880年、ヴェトゥイユ 

 50.5 × 61.0

 サウサンプトン市立美術館、

 

モネ 連作の情景 - 芸術広場 (geijutsuhiroba.com)

 

(画像は『モネ連作の情景』公式ツィッターより)