「多神教の日本に生まれた『 源氏物語』
河合、『源氏物語』は個人が書いた物語ですね。僕の考えでは、一神教では神の力があまりに強いから、人間の神が創りたもうた物語を生きるんですよ。
小川、神様が、人間が生きていくための物語を、あらかじめて書いているということですね。
河合、そうそう。人間のくせに物語をいじったりしたらいかんわけです。キリスト教なら聖書があるわけだから、それ以外の物語を作ってはいけない。
(略)
河合、いや、僕は女性だから書けたと考えています。なぜかというと、それぞれの時代にはその時代にスタンダードな物語があって、その物語は、男のためのものだったから。紫式部が『源氏物語』を書いた頃、男には出世していくという物語があった。 特に殿上人は、次の正月に自分が何の位になるかということが、最大の関心事でそれに乗って生きていた。男はみんなそうやって生きていたから、自分で作る必要がなかった。女の人でも、身分の高い人にはスタンダードな物語があった。つまり、いかにして宮中に入って、天皇の想われ者になるか、それで男の子を産んで、その子が次の天皇になったら、自分は天皇の母親になれる、そういう物語です。
ところが、紫式部は身分としてそういうスタンダードには乗れない立場なわけです。だけど経済的な心配はない。財力がある、というのは大事なことです。そして平仮名がある。こういう条件の中で最初の物語ができたというのが、僕の考えなんです。あの頃は男は文章は全部漢文で書いていましたからね。
小川、漢文というと公式文書みたいなものでしょうか。
河合、男たちが書いている文章は「誰それが宮中に行った。天皇は元気であった」とかだいたいお決まりのことです。それは全部漢文で書ける。でも、気持ちを書こうと思ったら日常使っている大和ことばでしょ。それで平仮名ができてくるわけです。そういう条件が全部そろったところで、紫式部が出た。あの頃は清少納言でも菅原孝標女でも書いたのは女子ばかりです。読むのは男も喜んで読んでおったみたいですけどね。
小川、『源氏』より以前の世界では、人が死ぬということについては「誰それが死んだという漢文の記述でしか残っていない。『源氏』の中で初めて、どういうふうに死んだか、それをどういうふうに思ったかというように、人の死の場面が描かれたと先生がおっしゃっていて、なるほどと思いました。平仮名で、女性が心を描くということで、初めてそれが出来た。
河合、『源氏』は世界に誇れますね。(略)
小川、『 源氏物語』では 、光源氏の存在感は、物語が進むにつれだんだん小さくなって、光はむしろ女性の方を際立たせるためのもので、彼は狂言回し的な役になってきますね。
河合、そういう「光」をあてる役なんです。
小川、なるほど、光は自分にではなく、女性にあてるということですね。
河合、そうです。僕に言わせると、女性たちは全て紫式部の分身なんですね。その光の当て役として源氏がいる。確かに彼は光り輝いています。姿は美しく、文章を作っても上手く、絵を書いても上手い。分身たちの美点を描くには、それらが全部できる人でないとならん。あんな男が実在するはずがないわけですが、光の当て役としては素晴らしい。『源氏』には、女性がものすごくうまく書かれていますね。」
(河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』新潮文庫、平成23年発行、77-81頁より)
河合、『源氏物語』は個人が書いた物語ですね。僕の考えでは、一神教では神の力があまりに強いから、人間の神が創りたもうた物語を生きるんですよ。
小川、神様が、人間が生きていくための物語を、あらかじめて書いているということですね。
河合、そうそう。人間のくせに物語をいじったりしたらいかんわけです。キリスト教なら聖書があるわけだから、それ以外の物語を作ってはいけない。
(略)
河合、いや、僕は女性だから書けたと考えています。なぜかというと、それぞれの時代にはその時代にスタンダードな物語があって、その物語は、男のためのものだったから。紫式部が『源氏物語』を書いた頃、男には出世していくという物語があった。 特に殿上人は、次の正月に自分が何の位になるかということが、最大の関心事でそれに乗って生きていた。男はみんなそうやって生きていたから、自分で作る必要がなかった。女の人でも、身分の高い人にはスタンダードな物語があった。つまり、いかにして宮中に入って、天皇の想われ者になるか、それで男の子を産んで、その子が次の天皇になったら、自分は天皇の母親になれる、そういう物語です。
ところが、紫式部は身分としてそういうスタンダードには乗れない立場なわけです。だけど経済的な心配はない。財力がある、というのは大事なことです。そして平仮名がある。こういう条件の中で最初の物語ができたというのが、僕の考えなんです。あの頃は男は文章は全部漢文で書いていましたからね。
小川、漢文というと公式文書みたいなものでしょうか。
河合、男たちが書いている文章は「誰それが宮中に行った。天皇は元気であった」とかだいたいお決まりのことです。それは全部漢文で書ける。でも、気持ちを書こうと思ったら日常使っている大和ことばでしょ。それで平仮名ができてくるわけです。そういう条件が全部そろったところで、紫式部が出た。あの頃は清少納言でも菅原孝標女でも書いたのは女子ばかりです。読むのは男も喜んで読んでおったみたいですけどね。
小川、『源氏』より以前の世界では、人が死ぬということについては「誰それが死んだという漢文の記述でしか残っていない。『源氏』の中で初めて、どういうふうに死んだか、それをどういうふうに思ったかというように、人の死の場面が描かれたと先生がおっしゃっていて、なるほどと思いました。平仮名で、女性が心を描くということで、初めてそれが出来た。
河合、『源氏』は世界に誇れますね。(略)
小川、『 源氏物語』では 、光源氏の存在感は、物語が進むにつれだんだん小さくなって、光はむしろ女性の方を際立たせるためのもので、彼は狂言回し的な役になってきますね。
河合、そういう「光」をあてる役なんです。
小川、なるほど、光は自分にではなく、女性にあてるということですね。
河合、そうです。僕に言わせると、女性たちは全て紫式部の分身なんですね。その光の当て役として源氏がいる。確かに彼は光り輝いています。姿は美しく、文章を作っても上手く、絵を書いても上手い。分身たちの美点を描くには、それらが全部できる人でないとならん。あんな男が実在するはずがないわけですが、光の当て役としては素晴らしい。『源氏』には、女性がものすごくうまく書かれていますね。」
(河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』新潮文庫、平成23年発行、77-81頁より)
生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫) | |
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