たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』より_多神教の日本に生まれた『源氏物語』

2017年05月22日 19時17分39秒 | 河合隼雄・小川洋子 『生きるとは、自分の
「多神教の日本に生まれた『 源氏物語』

河合、『源氏物語』は個人が書いた物語ですね。僕の考えでは、一神教では神の力があまりに強いから、人間の神が創りたもうた物語を生きるんですよ。

小川、神様が、人間が生きていくための物語を、あらかじめて書いているということですね。

河合、そうそう。人間のくせに物語をいじったりしたらいかんわけです。キリスト教なら聖書があるわけだから、それ以外の物語を作ってはいけない。

(略)


河合、いや、僕は女性だから書けたと考えています。なぜかというと、それぞれの時代にはその時代にスタンダードな物語があって、その物語は、男のためのものだったから。紫式部が『源氏物語』を書いた頃、男には出世していくという物語があった。 特に殿上人は、次の正月に自分が何の位になるかということが、最大の関心事でそれに乗って生きていた。男はみんなそうやって生きていたから、自分で作る必要がなかった。女の人でも、身分の高い人にはスタンダードな物語があった。つまり、いかにして宮中に入って、天皇の想われ者になるか、それで男の子を産んで、その子が次の天皇になったら、自分は天皇の母親になれる、そういう物語です。
 
 ところが、紫式部は身分としてそういうスタンダードには乗れない立場なわけです。だけど経済的な心配はない。財力がある、というのは大事なことです。そして平仮名がある。こういう条件の中で最初の物語ができたというのが、僕の考えなんです。あの頃は男は文章は全部漢文で書いていましたからね。

小川、漢文というと公式文書みたいなものでしょうか。

河合、男たちが書いている文章は「誰それが宮中に行った。天皇は元気であった」とかだいたいお決まりのことです。それは全部漢文で書ける。でも、気持ちを書こうと思ったら日常使っている大和ことばでしょ。それで平仮名ができてくるわけです。そういう条件が全部そろったところで、紫式部が出た。あの頃は清少納言でも菅原孝標女でも書いたのは女子ばかりです。読むのは男も喜んで読んでおったみたいですけどね。

小川、『源氏』より以前の世界では、人が死ぬということについては「誰それが死んだという漢文の記述でしか残っていない。『源氏』の中で初めて、どういうふうに死んだか、それをどういうふうに思ったかというように、人の死の場面が描かれたと先生がおっしゃっていて、なるほどと思いました。平仮名で、女性が心を描くということで、初めてそれが出来た。

河合、『源氏』は世界に誇れますね。(略)

小川、『 源氏物語』では 、光源氏の存在感は、物語が進むにつれだんだん小さくなって、光はむしろ女性の方を際立たせるためのもので、彼は狂言回し的な役になってきますね。

河合、そういう「光」をあてる役なんです。

小川、なるほど、光は自分にではなく、女性にあてるということですね。

河合、そうです。僕に言わせると、女性たちは全て紫式部の分身なんですね。その光の当て役として源氏がいる。確かに彼は光り輝いています。姿は美しく、文章を作っても上手く、絵を書いても上手い。分身たちの美点を描くには、それらが全部できる人でないとならん。あんな男が実在するはずがないわけですが、光の当て役としては素晴らしい。『源氏』には、女性がものすごくうまく書かれていますね。」


(河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』新潮文庫、平成23年発行、77-81頁より)


生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
小川 洋子,河合 隼雄
新潮社

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』より_厳密さと曖昧さの共存

2015年09月29日 18時31分45秒 | 河合隼雄・小川洋子 『生きるとは、自分の
小川 新宿の街なんか歩いていて思うんですが、超高層の近代的な、一流企業が入っているようなビルもあれば、ガード下の一杯飲み屋みたいなものもある。日本は街自体にも境界線がないですよね。

河合 そうそう、日本は境界線がいろんな点で曖昧な、ものすごく面白い不思議な国ですよ。外国人から誤解されるのは無理ないと思います。

小川 でも、科学技術が限界まで発達してしまった現在の段階になると、むしろ厳密さよりも曖昧さの方が人間を楽にしてくれるんじゃないかなって思いますね。

河合 そのとおりですね。だからこれからは、厳密さと曖昧さの共存をよく考えないかんとことになる。ただしそれは、論理的に矛盾するわけでしょ。でも矛盾したものを持たないかんということです。ガッチリやらないかんことと、曖昧なのと。科学技術を享受しながら、曖昧がよいと言ってはいけないわけですよね、本当はね。

小川 いいとこ取りしているということですものね。

河合 そうそう。だからそれを共存させるような人生観、世界観がないかっていうことを、今ものすごく考えているんです。人間は矛盾しているから生きている。全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。命というのはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾しているんだとか、なぜ矛盾してるんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、この頃思っています。そして、それをごまかさない。

(略)

小川 矛盾との折り合いのつけ方こそ、その人の個性が発揮される。

河合 そしてその時には、自然科学じゃなくて、物語だとしか言いようがない。

小川 そこで個人を支えるのが物語なんですね。

河合 ええ。自然科学の成果はたとえば数式になったりして、みんなに適用するように均一に供給できる。そして、それで個が生きるから、物語になるんだっていうのが、僕の考え方です。

(河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』新潮文庫、平成23年発行、104-106頁より)




生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
小川 洋子,河合 隼雄
新潮社

河合隼雄・小川洋子 『生きるとは、自分の物語をつくること』より_西欧一新教の人生観

2014年01月22日 16時26分30秒 | 河合隼雄・小川洋子 『生きるとは、自分の

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』96-98頁より抜粋(平成23年3月1日、新潮文庫)

小川:『源氏物語』のなかにも「物の径」みたいなものが出てきます。

河合:そうですね。物の径なんていうのは実体があるわけじゃない。近代的解釈をすれば、見た人の心の中にあるんです。夕顔の心の中にも、源氏の心の中にも物の径がいて、それが実体化して見えてくるというわけやね。

小川:その物の径が死の世界へ導く水先案内人になっている。でも彼らの暮らしぶりを見ていると、引っ張って行かれるみたいな雰囲気がありますよね。

河合:今はそういうのがない分、大量殺人とか大量の死亡事件とかが起こるわけですよ。昔は何百人もの人が一挙に死ぬなんて、天変地異でもなければなかった。戦さだってほとんど死んでない。

小川:昔は一対一の死ですよね。

河合:ところが今は1人の人間が一度に大勢の人を殺せる。飛行機なら何百人死ぬ。


小川:私は、人が大勢一度に死ぬということに対してどうしても素通りできないものを感じるんです。自分でも理屈がつかないんですが、人が大勢死んだ場所に、つい吸い寄せられて、アウシュビッツにも行きました。去年(2005年)の夏は、御巣鷹山の日航機事故から20年でした。関連本が書店に出たのですが、あの一日朝日新聞がどういうふうに事故を伝えたかというドキュメントの本があったんです。(『日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時』1990年、朝日文庫)。その巻末に、乗客乗員の氏名・年齢・住所、乗っていた目的が、それぞれ一行で書いてありました。今だったらたぶん、個人情報保護法で出せないと思うのですが、それを、一日中でも読んでいられるんです。

河合:いや、そうでしょうね。

小川:そこには何の感情も込められていない。たとえば「何の何某(四十幾つ)、会社員、東京での出張の帰り」というように書いてあるだけなんです。

河合:でもその一行は、全部一つ一つの物語を持っているんですね。

小川:そうなんです。何冊もの本を読んだような気分になりました。

河合:それぞれそれまでの人生の物語がある。亡くなった五百二十人それぞれの物語の終着点が一致して、一緒に命を失ったわけです。昔はこんなことはなかった。なぜ最近は起こるかというと、それは神様がコンピュータを導入したためじゃないかと思いますよ。

小川:神様も技術を進歩させてるわけですね。

河合:ええ、そうとしか考えられないですね。

小川:墜落機に1人で乗っていた小学生の男の子がいました。夏休みに、甲子園に桑田と清原の試合を観に行くというので、お母さんがその子を1人で乗せたんです。

河合:堪りませんね。

小川:そういう事実を、一行一行読んでいくと、抜け出せなくなります。


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一年前のちょうど今ごろ、たまたま本屋さんの平積みの中から手に取った一冊でした。
このあと、わたしはとりつかれたように、美谷島邦子さんが書かれた『御巣鷹山と生きる』(新潮社)、『日航ジャンボ機墜落-朝日新聞の24時』と立てつづけに読むことになります。その時の日記は後日書ければと思いますが、母の一周忌を前に、わたしの心の中の大きな転機となりました。


今を生きる私たちは亡くなった命の重さを真摯に受けとめてつないでいく責任があると思う。
うまくいえないが、目先の利益だけに捉われて動くのもういい加減やめてほしい。
人が人じゃなくなる。悲し過ぎる。

ひとりひとりかけがえのない命。

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『日航ジャンボ機墜落-朝日新聞の24時』297頁より

 事故から三日後の8月15日午後、墜落現場の生存者救出地点の近くで見つかったボイスレコーダーは、次のように機内の会話を記録している。それは操縦不能に陥った日航123便を、何とか立て直そうとする乗務員の32分間に及ぶ苦闘の記録であった。
(ボイスレコーダーは、約30分間のエンドレステープで録音されている。以下の記録のうち・・・は判断不能部分、」””は人口合成音を示す。なおパーサー、スチュワーデスら
客室向けのアナウンスも、録音されている部分を再現したが、地上との交信部分は、一部を除き省略した)


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涙が止まりません。
1人でも多くの方が読まれるといいなと思います。
ようやくこのことを書かせていただきました。