たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

普通がありがたいです

2017年02月02日 22時35分09秒 | 日記
 北風の冷たい一日、今朝もまだ暗いうちに起きて支度をして出勤。今日も一日の始まりはローソン。今日は大変な一日になるとわかっていたので、ちょっと奮発の気持ちで150円のカフェラテをいただき、早めに就労場所に入りました。昨夜はいつもより少しだけ早めに就寝したので起きるときは辛かったですがなんとか無事にやりきることができました。午前中だけでヘトヘトになってしまいましたが、お昼休みになんとかエネルギーチャージして午後も乗り切りました。お昼休みは、現実を忘れるべく食堂でロミジュリを動画を観ながらいただきました。(今週はずっとロミジュリの動画。来週はエリザも動画も再生できるようにしようっと)。途中でうまく再生できなくなってからはOTTVAでクラシックの聞き流し。なんでもいいんです、とにかく美しいものに触れて現実を忘れる時間を過ごしたいです。麗しの王子様たちがロックティストの「世界の王」を歌い踊るのを観ているひととき、現実がぶっとびます。王子様達の存在、ほんとにありがたいです。帰宅してからはツィッターのお写真や動画をみてしばし息抜きしています。今度の日曜日は宝塚のライブビューイング。明日海りおさんの男役が楽しみです。すごい現実をみているのでこんな目福な時間をもつことはすごく大切です。そのためにお金を使うことは必要なこと・・・。

 ほんとにね、世の中には自分の経験値では測り知ることのできない、すごい現実があるんだなあとあらためて知りました。人を疑いたくはないけれど安易に信じてしまってはいけないのも現実なんだとあらためて知りました。某弁護士とかではないですが、全く自分とは別の世界の生き物なんだと思うしかないような現実があることをあらためて知りました。人を疑いたくなくても安易に信じてはいけないことがあるのも現実。なんだか足元みられたなあという感じです。別にわたしに落ち度があったわけでもなく、責任があるわけでもなく、なんというか仕組みの限界と難しさを感じています。何か起きれば一般的に批判されるようなことが、今までは自分もそのとおりに違いないと思ってきたことが、別の角度からみると違ってみえてきました。こういう仕組みの中で尽力しても、こういう仕組みのなかで信じられないような人たちがいて、信じられないようなことがおきているのが現実で批判されてもどうしようもないです。根本を変えていかないかぎりどうしようもないです。それはあまりにも話が大きすぎることで小さなわたしたちにはどうしようもないです。決められたことのなかで尽力することしかできないし、それが役割でもあるので役割を全うするだけです。難しいです、ほんとに。現実がすごすぎて圧倒されています。きりがありません。自分にできること、やっていることなんてほんとにちっぽけでなんにもたいしたことないです。それでもわたしは、こうして普通に生活できることが心からありがたいと思うし大切にしていきたいです。普通がいちばん難しいんでね、つつましく普通に生活して、観劇の時間を大切にして、願わくば時々旅に出たいなあ、飛び立ちたいなあ、願わくばね・・・。

 ようやく、あっという間に明日は金曜日。土曜日はまた断捨離と観劇日記の更新などやれるといいなあと思います。今日ごちゃごちゃっとしたものとお別れして、またほんのちょっぴり食器棚をすっきり。先日は前々職のカイシャと前職の就労場所の苦労が沁みついてクタクタになったカーディガンとお別れしました。新しいものを買ったのでね、古いモノには「ありがとうございました」とお礼を言ってお別れ。これまた4-5年は着たように思います。少しずつ、少しずつね。

 普通がほんとにありがたいです。普通がいちばんです。

 今日も気がついたら長々と徒然日記でした。

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2 コメント

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Unknown (大自然の法則)
2017-02-03 23:03:12
『盲亀の浮木』
人とのつながりは盲亀浮木の如く。
大海に住む盲目の亀が百年にただ一度だけ海面に浮かんでくる時に、
たまたま穴の開いた流木が浮いて、その流木の穴に首入れるという仏教の寓話があります。言わば、めぐり合うことは非常に難しいことの例えです。

血のつながる家族となることは、盲亀浮木のような奇跡の確率です。
生まれてくることは、両親がいます。
両親のそれぞれの両親、合計4人。
このようにさかのぼって考えてみましょう。 
10代前を遡ったら自分と同じ血が流れている先祖は1024人。
20代前だと約100万人!!
そのうちのただのひとりでも欠けたら、自分はいま存在していないです。
「命」を次につないできたから、現在の自分の「命」があります・・・
奇跡的なことのように思えます。
そのように考えてみると、先祖の大切さがわかり、お墓の重さがわかります。
先祖に手を合わせて感謝しましょう。
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大自然の法則さんへ (たんぽぽ)
2017-02-25 14:44:42
おそくなりましたがコメントありがとございました。
お墓の近くに住んでおり、休日にはお墓を囲んで掃除したり水をやったりしながら家族が会話する音風景に出会います。アメリカでわたしがみたお墓には造花が飾られていたことを思うと、とても日本的な風景だと思います。なにか、守られているような感覚があります。引き取り手のない遺骨があることを知りました。お墓に入れてもらえることできる人生を送れたら、それだけで十分に幸せなのかもしれません。
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