たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

花組『邪馬台国の風』『Sante!!』_思い出写真(2)

2019年03月30日 23時51分25秒 | 宝塚
2019年3月10日:花組『邪馬台国の風』『Sante!!』_思い出写真(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/baf4e4b2c850130472f59fbe52e32a3b

 真冬が戻ってきたかのような3月の終わり。完全に自己満足でしかありませんがそのままになっていた2017年夏の東京宝塚劇場の画像をようやく整理することができました。3月12日に明日海りおさんが退団発表。昨日から『CASANOVA』東京宝塚劇場公演が始まり、瞬く間に時間は流れていきますね。エルベのあとだと正直作品としてはなかなかきびしいものがあるかなあというのはありますが、楽曲がいいし娘役さんのお衣装が華やかな楽しい作品。ライブビューイングで見届けたいと思います。千穐楽まで無事に走り抜けられますように・・・。

東京への惜別の思いを込めて振り返り。
2017年夏、丸の内のKITTEでは期間限定で開局15周年を記念してスカイステージカフェがオープンしていました。
観劇後に東京宝塚劇場から歩いていきました。20分弱ぐらいだったかな。コースターほしさに抹茶ラテを飲んでしまったからか、舞台の興奮が残っていたからか、20日の夜はなかなか寝つけなかったのも思い出。
花組公演があったから乗り越えることができた、苦しくも楽しい夏でした。







KITTEビル内旧郵便局長室からみた東京駅。





2017年8月5日(土)の東京宝塚劇場。
























日比谷駅構内。



日比谷シャンテのステージ衣装コレクション展。



こうして振り返っていると次々と移り変わっていくので一回一回の観劇が一期一会の貴重な出会いなのだとしみじみ。どんな脚本を与えられようとジェンヌさんたちは命がけ。そんな舞台をみることが生きる喜び。


今日は午後3カ月ぶりに小学校時代時代からの同級生とお茶して、ずっと聞きたかった妹のことを聞きました。妹が働いていたビルに同級生が働いて会社の事務所も入っていたので時々会って話をすることがあったそうです。私が知らなかったこともあり、一生懸命に生きた時間があったし、写真の中の妹はいつも笑っているので楽しい時間もあったに違いないです。こうして思い出してくれる人がいるだけでその人の人生はIt,s all right!

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング(3)

2019年03月29日 21時08分59秒 | 宝塚
 これを読みたいために買った東京公演プログラム、ウエクミ先生のメッセージ。

「宝塚では、一つの演目を一カ月以上、多くは一日に二回、上演しています。

 これは出演者にとっては体力的にもハードワークであることに加え、本当は一度限りのその役の人生を、百回以上、舞台で生き直さないとならないというのが、非常にたいへんなのです。他の演劇の舞台で、百回以上公演する芝居はほとんどないでしょうから、宝塚の大劇場公演特有の難しさということになります。

 役者は、舞台で起こる出来事を、いちいち、まだ知らない情報として受け取らなくてはいけません。台本なんて百も承知であるにもかかわらず、その役の人生を、初めて体験することとして新鮮に驚きながら生きる。百も承知の次の相手のセリフを、初めて言われたように心を動かしつつ聞いて、百も承知の自分のセリフを、今、心に浮かんだものとして声にしていく。でも、ただリアリティに則って好きなように時間をかけて演じてしまっては見ている人には間延びして見えますから、ある程度、本当の人間の心の動きよりはすこし速いような、小気味いいセリフの間があり、芝居の型があります。それらの正確にはリアルとは違う「型」の中に、リアルな心を入れて、演じているのです。

 それを一日二回、一カ月以上やり続けることの苦労は並大抵のものではないはずで、タカラジェンヌは凄いと、その奇跡のような根気と努力にいつも瞠目しております。」


 大劇場公演の終盤に書かれたとのこと。深い脚本と冴えわたる演出の上に、100回以上、役の魂が役者の体に乗り移った奇跡の舞台でした。カール・シュナイダーは紅ゆずるさんの体に宿り続け、最後の最後、「鴎の歌」を歌わせると魂に声をのせて去っていきました。ものすごいものをみたのだという余韻。『エストレージャス』のプロローグで紅さんの声が掠れているとわかった時、まだまだこれから歌う場面がある、いくつあるのだろうと数えていました。中詰めのチャンピオーネはすごく長いし、どうなってしまうのだろう、途中で紅さん出てこないんじゃないかと心配しましたが、キラキラの笑顔満開で声が出ない分ダンスをがんばる感が大画面から伝わってきました。大階段燕尾服ダンスの、声をためて絞り出した渾身の「ふぅ!」はトップスターとしての責任と男役としての誇りと心意気、ダンスもキレキレでした。カーテンコールで大羽根背を背負った姿はいちだんと細くなったようにみえました。「申し訳ございませんでした」と、悔しさをにじませながら客席に深々と頭をさげる紅さんをみているのは辛いものがありました。同時にその潔さに頭が下がる思いでした。男役としての色気と大人の女性の色気がただよう表情は美しいなと思いました。オケピットが絞り出すように紅さんが歌う時音量をさげていたことに批判的な声もあるようなの残念。このあとの舞台に影響が出ませんように、早く治りますように・・・。

 ショーでの綺咲愛里さんの、「わたしががんばる」感をみなぎらせた気迫に満ちた表情も美しいの極みだと思いました。いつもと表情を変えることなく、やったるでぇーとスィッチが入った表情。ライブビューイングの大画面から気迫が伝わってきました。小さいお顔の左右が対称になっていないのがいいですね。最後のデュエットダンス、くしゃくしゃの表情でマルギットを抱きしめるカールを、愛理さんマルギットの手がぎゅっと抱きしめかえしていたかな。瞳と表情の表現力がすごい娘役さんなのだとわかったライブビューイングでした。

 七海ひろきさんの男役最後の愛の告白相手が紅さんだったいうのも奇跡のような千穐楽。退団されてからお二人でなにかやってくださるといいなあなんて、まだ先の話ですが思ったりしています。

 いくつもの奇跡が重なった大千穐楽、礼真琴さんは紅さんがささやき声で「みなさーん」って呼ぶと誰よりもデカい声で返事をして誰よりも早く駆け寄っていってたし、みんなが動じることなくいつもよりさらにトップスターをリスペクトしながら盛り上げようとがんばった舞台。ライブビューイングで観劇できて心の底からよかったと思います。

 備忘録もう少し続きます。

カウンセリングスクールのつぶやきメモより(16)

2019年03月29日 19時53分40秒 | 祈り
「2005年1月7日

1.この授業を受けて、感じたこと、考えたことを自由に書いて下さい。

どこまで病気でどこから病気でないのか、
精神病理についてもっと知りたいと思う」

「2005年1月14日

1.この授業を受けて、感じたこと、考えたことを自由に書いて下さい。

もっとたくさんのことを知りたいし、先生にいろいろとお聞きしたいのだが、こうして授業に来ること自体が大変だし、とても神経が疲れているので話を聞き続けるのはつらかった。」

 妹の死を受け入れたかったし、母の病気を理解したくてもがき続けた日々。結果的に前国家試験に合格するというかたちでひとつ区切りがつきました。それから10年余りを経て資格を生かした業務で母と同じ疾患の人たちにたくさん会ったことで、たぶんわたしにとってはいい意味で疾患に対して鈍感になることができました。なんとも思わなくなりました。特別なことではなくなりました。先日母が郷里近郊でかかった〇△クリニックは働いたことのある人がブ〇ックだと言っている評判の悪いところだとわかったというオチがついたところで母のことがようやくわたしの中で終わりました。妹のことは自分を責め続けた日々がありましたが、失業期間中自死遺族として話をする機会を得るなどしたことで想いをある程度遂げることができました。自分の中でひとつの区切りはついているのだろうなと思います。ずっと気になっていた遺された荷物を片付けるという命題を今は日々やり続けることができています。とりつかれたようにやり続けていることがいいとは自分でも思っていませんが、人生の中で今やらないともうこんな時間は訪れないだろうという気がしています。トップギアで走り続けてきたので、神様が与えてくれた束の間の人生の休暇。結果的に自分はほとんど住んでいない家に遺された大量の荷物を片付けるための帰郷ということになるかもしれません。家を建て替えて30年余り。病気になる前の母が張り切って建てた家で、病気になってからもこの家にいたいとがんばった家、この家で死にたいとの想いを遂げた家。わたしを縛るものは大量の荷物以外にはもうないので自由になっていきたいです。そのための断捨離・・・。

 昨日三週間ぶりにかかりつけ医となってもらった近郊の総合病院を受診。眠れなくなってきていることが多くなっていることを話すと、診療療法をやってみませんか、との提案。小さな総合病院ですが平日臨床心理士が常駐しているとのこと、保険適用で希望の時間で申し込めるとのことなので申し込んでみました。来週2通目の、応募しなおしてくださいというところに書類を出そうかどうしようかと迷っているので今日にしてもらいました。15時に受診。初回だけ1時間半ぐらいかかるとのことでしたが、2時間近くになってしまいました。一日中人に会わない日々が続いているので話過ぎてしまったかもしれません。すごく大変だったのだろうけれど前職のことを話しているときのわたしが一番生き生きしているし、すごくエネルギーを感じる、仕事にも都心にも気持ちが残っているようにきこえると言われました。ここは車社会なので仕事に通うのも仕事をするのも車、経験よりも車。余生を過ごすために帰ってきたのなら別だけど、本当にここでいいですか、都会とは違う、採用先は分かっていないと思う、物足りないんじゃって。今のわたしは半分異邦人のような郷里の暮らしに慣れることができず、目が三角になっているそうです。歩いていないので基礎代謝が悪くなっているのではないかとの話。たしかに毎日あれだけ街の中を、駅を歩いていたわたしが車社会でなんとか自転車に乗るようになってから歩くことがほとんどなくなったのでさみしいです。電車に乗って街に出かけるのがなんとか一週間に一回。ライヴビューイングがなかったらその機会すらないのでそういう意味でもライヴビューイングはありがたいと気づいたしだい。都心との違いが大きすぎて、自分が生まれ育った所ってこういう所だったのかと外からみてようやくわかりました。生活を立て直すために先ず毎日食べたものと歩いた距離を記録してほしいとのアドバイス。整理するところからなにかがみえてきたりするものなんだそうです。まずはその通りにやってみます。一週間にまた受診することになりました。体ガチガチで肩があがりません。トップギアで走り続けてきた疲労。

 来週の月曜日は自治体の洋服と布の回収日。朝8時までに近所の神社前の集積所に持っていかなければなりません。久しぶりに早起きして自転車で何往復できるかわかりませんがゴミ袋5つ分まとめました。布だけでまだあと衣装ケース2個にびっしり。運べる範囲でがんばりたい。家を処分し土地を売り払うまでの道のりはけわしく、これからどこへ流れていくのか、具体的にはまだなにもみえていませんが荷物を軽くしたいのでがんばる・・・。

 昨夜は1時頃に眠剤で就寝し、久しぶりに7時間睡眠。今夜はどうでしょうか。

 


やっと『モネ展』に行ってきました(5)

2019年03月27日 19時50分15秒 | 美術館めぐり

 

(右側)
クロード・モネ《サン=タドレスの断崖》
1867年 油彩、キャンヴァス 松岡美術館

モネ27歳、長男ジャンが誕生した年に描かれました(1914年モネはジャンに先立たれます)。雲の流れる様が美しい絵だと思いました。

(左側)
クロード・モネ《モンソー美術館》
1876年 油彩、キャンヴァス 泉屋博古館分館

 モネ36歳、「第二回印象派展」に参加した年に描かれました。


https://spice.eplus.jp/articles/198776/images/531168より画像お借りしています。


 

 

 

クロード・モネ《ラ・ローソン=ブロンの村(夕暮れの印象)》
1889年 油彩、キャンヴァス 三重県立美術館

「そして印象主義の牽引役を任じたモネ自身も自らの道を模索していた。批評家のギュスターヴ・ジェフロワ(1855-1926)からクルーズ峡谷への誘いを受けたのもちょうどその頃である。パリから南へ300キロほどのこの地に、初めはほんの2,3週間の気晴らしの旅のつもりが、結果として3ヶ月以上も足を止めることとなる。この間画家が完成させた作品は20点を越え、うち14点は1889年6月に開かれたオーギュスト・ロダン(1840-1917)との大規模な合同展に出品されている。

 ここには、かつて画家を捕らえたような、水面のきらめきや大気の震え、都市の快楽にいそしむ人々の姿はない。画家自ら「ひどく暗」く、「陰鬱」であると称した景色は、新たな一歩を踏み出さんとする悲壮なる決意の投げる影であろうか。批評家達もこれに応え、大いに画家の新しい試みに驚嘆し、「並ぶもののない威厳」と「最も並外れた完成度」と賞賛した。」

 モネ49歳、生涯の制作拠点となるジヴェルニーへ転居してから描かれました。学芸員の方のギャラリー解説をききながら鑑賞しました。一見暗く重い絵ですが、よくみると手前には河のゆらめきが描かれています。山肌を太陽が照らし、キャンヴァス全体が夕暮れに染まっている絵でした。

https://artsandculture.google.com/asset/ラ・ロシュブロンドの村/UAHU90YUw3I9fg?hl=jaより

 

「クロード・モネは、「印象派」をまさに代表する画家である。そもそも、「印象派」という言葉自体が、モネの作品《印象、日の出》に由来している。そして、「印象派」という美術の革新を支えたのは、モネら、若い画家たちの情熱であった。

 19世紀半ばのフランスの美術界には、表現における新感覚の胎動があった。アカデミーが主催する「サロン・ド・パリ」が絶対的と言っても良い権威を誇っていた時代。1863年、アカデミーはエドゥアール・マネの《草上の昼食》(1863年 パリ、オルセー美術館)を始め、多くの作品を展示することを拒否する。時のフランス皇帝ナポレオン三世によって、マネたち若手の画家の作品を集めた「落選作品展」が開催される。ささやかではあるが、フランスの美術界に改革の狼煙(のろし)が上がったのである。

 1874年、モネやピエール・オーギュスト・ルノワール、ポール・セザンヌらが中心となって、「サロン・ド・パリ」とは独立した展覧会が開かれる。この展覧会を見に来た批評家のルイ・ルロワは、新聞にモネたちの作品を揶揄して「印象派による展覧会」という評論を掲載した。これが「印象派」という名前の由来となる。

 もともとは、自分たちを批判する言葉を、肯定的な意味での歴史的呼称にしてしまう。モネを初めとする印象派の画家たちには、そのような「芯の強さ」があった。

 受難ゆえに高まる情熱。オルセー美術館で《日傘をさす女性》の絵を見た時に私の胸を打ったものは、苦境を自らのヴィジョンで切り開いてきた、モネの生き方そのものだったのかもしれない。」(小学館ウィークリーブック西洋絵画の巨匠「モネ」より、茂木健一郎)

 


道のりはけわしい

2019年03月26日 19時52分20秒 | 日記
 妹が遺した大量の布と手作りの洋服たちをなんとかしたくて先週インターネットで見つけた県内の業者にきてもらいました。あまりネガティヴな言葉を使わない方が・・・なんですが、モノとお別れしていく道のりは本当にけわしいです。まとめて処分して軽くなっていくための一番の近道はお金を出して業者に頼むこと。そうでなければ、地道に少しずつ自治体の燃えるゴミに出していく以外行く場所と方法はありません、残念ですが・・・。

 父も母も全く手をつけることのなかった、言い方を変えれば父と母が存命中はほとんど手をつけることのできなかった妹が遺した大量の荷物たち。私自身が解放されたくてなんとかしようとしているのですが・・・全部お別れするまでの道のりはけわしいのだとあらためてわかり、ため息・・・。

 まだモノを捨てるという考え方がなかったころ、モノを捨てるにはお金がかかるのだという感覚がなかったころに洋服を創るつもりでどんどんと買いためていったであろう布たち、洋服を創ったあとに残り、またいつか使おうと手元に残したであろう布たち。押し入れを整理し始めると衣装ケース4個分はあります。帰省するたびに処分してきたつもりだった洋服たちもまだまだあります。丁寧に創られた洋服たちは劣化しており型も時代にあいません、買った時には高かったであろう革のコート・ジャケットも劣化しており売れないので引き取ってもらうことはできませんでした。二束三文でも値段がついて引き取ってもらえたのはカバン、小物入れ、アクセサリー類、折りたたみ傘でした。

 収納スペースがたくさんあるのもよくないですね。モノがどんどんたまります。押し入れの上段を開けると、箱にしまわれたブランドバッグが20点ぐらいかな、出てきました。30年近く眠り続けたままだった電動ミシンの上下も二束三文ですが値段がつきました。これだけでも値段がついて引き取ってもらえたのだからよかったと考えましょうかね。床の間の収納スペースから出てきた母のお茶道具、花瓶の一部、父が遺した置物の一部、切手、ニセ小判も二束三文ですが値段がつきました。若かりし頃私が買ってきた仙台のこけし、ディズニーのクリスマスプレート、ブランド物のお皿も少しですが値段がつきました。これまた大量にある土産物の置物たちはほぼ引き取ってもらうことができませんでした。母がまだ元気だったころ北海道旅行に行って買ってきたアイヌの置物たち。他にも旅行先で買ってきたであろう細々とした置物たち。

 まとめて引き取ってもらってほんの数千円。貴金属類が出てくると値段がつくそうですがそんなことは滅多になく、値段つかないのかあと思わずため息が出てしまうのは私だけではなく、こうして遺品整理をしている人はみな同じ。主がこの世からいなくなればただのゴミでしかない大量のモノたちとやはり格闘しているそうです。片付けたと思ったら次々と出てくる、モノを買う時には捨てることを考えなくてはいけないという考え方がまだなかったころにどんどん買いためられたモノたち、収納スペースがあるからためこんだままになっていたモノたち、ああまだまだある、はあ・・・。


 これまたお別れするのがむずかしい写真も大量にあるなあ。昔のアルバムにびっちり、はあ・・・。


 三週間前に一通目の書類を送った事業所から今日のお昼にようやく電話がありました。一週間前にハロワを通して確認したからもうよかったのですがあらためて他の人を採用しました、書類どうしましょうかとの連絡でした。廃棄してくださいとお願いしました。理由は持っている資格が応募要件と違うからだそうです。2月の面接でぜひ経験を生かして力を貸していただきたいと言われ不合格通知がきたあとにこの求人がでていると連絡があったのはなんだったのかわかりません。特に私の話がいっていたわけでもなかった?わかりません。触れていいのかどうかわからないので触れませんでした。領域がかぶっているもう一つの資格がないとできないという仕事ではなく、前職の都心の事業所はそこ門戸を広げていました。募集する側は要件をうたっていてもマニュアル通りにやっているだけでよくわかっていないようだということがわかりました。逆にきかれてしまったので前職はこうだったこと、試験内容が半分はかぶっていることを伝えました。今回私の持っている資格ではダメなのか委託元に交渉したけれど今回はダメとのことだったと。二通目と同じで、私がこうして書類を送ったことで、応募してくださるかどうかわかりませんが次回募集をかけるときは要件を見直しますとのこと。三週間待たされた挙句にそんなことを言われても、っていう感じです。はっきり言って遅れていると思います。これが都心と地方の差なのか。明確な理由がわからずモヤモヤしていたのではっきりわかったのはよかったです。これで郷里が学んで見直すきっかけとなったのならそれはひとつよかったのか、でも私の居場所は見つからない。車社会ということだけでなく、幾つかの意味で都心と地方では大きく違うのだということを認識しないと郷里で生きていくことはできなのだとまたひとつ私のなかで学び。私の中に沁みついている感覚がなかなか切り替わらないままの毎日。これ以上社会とのつながりが切れたままだと、社会復帰できないのではないかという焦りが生れています。選択肢が限られているなかでどこに居場所を求めていけばいいのか。
 
 荷物を軽くして新しい道へと歩いていきたいですが、道のりはけわしい・・・。

 モノを買ってはいけない、自分のモノは自分がこの世にいる間に整理すべしですな。
 
 明日はまたエルベの観劇日記を書けるといいな。紅さんの喉が心配です。これからの舞台に影響でないレベルだといいのですが・・・。

月組『カンパニー』『BADDY』東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング- 思い出し日記(2)

2019年03月26日 08時51分04秒 | 宝塚
「初めて担当させて頂くショー作品も、やっぱり「ようわからん」ショーです。こうすればショーがショーとして成立する、という手法は先達が試行錯誤の中で練り上げてきたものですが、今回のショーはそれを踏襲しているとは言えず、稽古をしながら私も不安がありますし、出演者たちも少々訝しく思っていることでしょう。

 私はタバコは吸いません。煙も嫌いです。でも、葉巻がなくてもヘミングウェーはあんな作品を書けただろうかとか、紫煙にけぶるカフェでなければサルトルとボーヴォワールの恋は生まなかったかもとか、想像することがあります。
 
 グレーなものが押しやられて狭い範囲の白い領域だけで生きなければならないこの時代。ダメなもの、人が嫌うものの範囲がどんどん広がり全ての不快を排除しつつある現在。潔癖な無菌室で生きる私たちは心の花粉症にかかったように刺激物に過敏になり、小さな衝突も避けるようになった。人生に多少の痛みや毒がつきものだった時代には、世界にははっきり白と黒のコントラストがありグレーな部分も「必要悪」と呼ばれたりして、心にも、愛や憎しみのはっきりしたコントラストがあったような気がします。人々が強く人間らしい心を持っていたそんな時代の文学や舞台は今よりも面白かったかもしれません。
 
 日本の中だけを漂白したって、地球には善と悪が共存し続けます。また善と悪をどうわけるかも曖昧であり、権力や社会の影響を受けて善と思い込んでいるだけかもしれない。多くの歴史上の悲劇は、それが善と潔癖に信じた者によってこそもたらされた。悪を知り、善悪の相対性を考えることのほうが悪を目に触れない場所にしまいこんで無知でいることよりも、平和のために必要なことではないでしょうか。

 テレビから喫煙シーンが駆逐されたように、舞台でもタバコを吸えなくなる日がくるでしょう。今のうちに失われゆく悪と自由への挽歌を歌ってみたい。

 極悪非道のショー『BADDY』が誕生した所以であります。」

(東京公演プログラムより上田久美子先生のメッセージ)

 わけがわかったようなわからないような、「ようわからん」ショーでした。極悪非道のBODDYを、珠城りょうさんの素の心根の優しい感が滲み出てしまい極悪非道になりきれていないところが面白いと思いました。フィナーレの大階段でトップスターがサングラスをかけて大羽根背負って降りてくる、シャンシャンはタバコ、後にも先にもないのかもしれません。賛否両論あったと思います。今までにないものを生み出し続けるウエクミ先生、これからも役者の奇跡をひきだす作品を期待しています。


 ウエクミ先生作詞のテーマソング、

「BADDY BADDY BADDY
  ハッハッハッ

 BADDY BADDY BADDY
  ははははは!

 BADDY BADDY BADDY
  I,m cool・・・

 BADDY BADDY BADDY
  I,m hot・・・

 BADDY BADDY BADDY
  I,m free・・・

 邪魔だ どけ!

 誰も俺を止められない 悪逆非道

 Don,t stop me,I am BAD!

I,m BADDY!

天国なんて行きたくない
 
 天国なんて

 ばあさんたちの行く場所さ

 冗談じゃねえ

 BADDY BADDY BADDY

 堕ちてやるぜ 地獄

 BADDY BADDY BADDY

 宇宙一 悪党

 Be Free! 」

 犬養孝著『万葉の人びと』に言霊信仰ということが書かれています。「言葉には霊魂がある、命がある、だから良い言葉を使えば良いことが実現し、悪い言葉を使えば悪いことが実現するとする信仰といったらいいと思うのです。」

 ウエクミ先生の歌詞にはどんな言霊が宿っているのだろかとふと思います。良い言霊?悪い言霊?善悪だけのカテゴリーではくくり切れない魂が宿っているような気がします。

 完全に自己満足の思い出し日記、あと一回だけ書くかな。


 

 

 

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング(2)

2019年03月25日 12時53分59秒 | 宝塚
 痛々しいほどに、どこまでも自分に厳しく、人を思いやる心にあふれている紅ゆずるさんとカール・シュナイダーが一体化した千穐楽でした。『AnotherWorld』で全場面に登場して膨大な量の台詞を喋り倒したあとの『キラー・ルージュ』、『サンダーボルト・ファンタジー』で重い衣装に煙管を持ちながらほぼ出ずっぱりで説明もいれた膨大な量の台詞をこなしたあとの『キラー・ルージュ』、それでも紅さんの喉は潰れませんでした。どんだけ強いんだろうって思いました。そんな紅さんにカールの魂が宿り続けた3カ月間でした。最後の最後、カールの魂が潰れていたはずの喉で「鴎の歌」を紅さんに歌わせ、歌い終わるとカールの魂は紅さんの声を連れて紅さんの体から去っていったかのような奇跡の舞台に出会ったと余韻はさらに深くなっています。

 「ヒロイン・マルギットの綺咲愛里は、あまりにも全てがヒロインに都合よく展開されるストーリーを、尚もっともだと思わせるひたすらな可憐さで、現代の目から見てもこの令嬢を鼻持ちならない女性に見せなかったのが素晴らしい。実際この役柄を現代の娘役が、現代の観客に共感の念を持って見てもらうのには、想像以上に高いハードルがあったと思うが、存在自体が作り込まれた人形のようですらある綺咲の愛らしさが、そのハードルを越えるのに役立っていて、最後まで紅と共に歩むと発表している綺咲のキャリアにとっても、マルギットは貴重なものになった。」(宝塚ジャーナルより)

 丘の上のシーンが大画面で映し出されたとき、愛里さんマルギットの満開の笑顔はスクリーンからはみ出そうなほどに愛らしく、お人形よりもお人形のような可愛いがあふれていました。そんな愛里さんがショー『エストレージャス』では紅さんの声がでなくなっても動じることなくいつも通りの満開の笑顔で歌い踊り続けていたのがすごいと思いました。2017年のクリスマスイブ『ブーケド・タカラヅカ』で東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング、シカ(いやトナカイだよね)のかぶりものをして「セマニフィーク」を歌う紅さんの隣でひたすらニコニコニコニコニコニコと全く動じることなく歌っていた愛里さんの姿が印象的でした。振り返ればお二人の関係性がよくわかる場面でした。今回の千穐楽でも愛里さんは動じなかった。個性がぶつかり合う娘役群舞の真ん中で踊る愛里さんの表情には、わたしが紅さんの分まで舞台を守るんだ、わたしに任せておいてくださいみたいな気迫が伝わってきました。造形美にあふれた愛里さんだからわかりづらいですが、無知と無垢がギリギリのところでバランスよく同居した愛らしさ満点だった愛里さんマルギット。ショーでは誰よりもイケメンな姿に、これがトップの姿なんだなあと感嘆しました。
 
 礼真琴さん率いる若手男役による「Back」の場面はさらに気合いが入っていて、琴さんの表情には、自分が紅さんの分までがんばるんだという気迫がありました。チャンピオーネでは、さすがにライブビューイングのカメラが舞台と客席全部を映すことは無理でしたが大劇場で観劇した時のように客席降りしている組子さんたちもみんないつもよりさらにあたたかい眼差しで紅さんを見つめているんだろうなと想像していました。両隣の琴さんと愛里さんはさらに声をあげて弾けて、紅さんの長い腕に包まれるときはすごく嬉しそうで、組全体のあたたかさが伝わってくる場面。

 舞台は生もので、もしかしたら許されないようなショーだったのかもしれません。芝居で調整していればもしかしたら起こらなかったアクシデントかもしれません。でも調整していたら観客の魂を揺さぶるカールになり得ませんでした。声をなくすほどに一回一回命を削りながら生きたカールだからこそ。紅カール率いる星組だから成立した舞台であり世界観で奇跡の千穐楽。すごいものをみせていただきました。

 湖上のレストランからだんだんとカールが痛々しくってたまらなくなってきて、シュラック家の場面ではカールひとり異端者感半端なくって、タキシード姿は気慣れないものを着せられている感満載のかっこよくてカッコ悪いカール。マルギットが無邪気にフロリアンにカールはまだ自分を愛してくれていることに安心したことを報告する場面はカールにとって残酷の極みで痛々しくてたまりませんでした。残酷なまでによくできている脚本でつまらないといえばつまらない物語を魂にあふれた舞台へと昇華させた役者さんたちの力量はすごい、とエルベ語りはまだまだ終わりません。ライブビューイングだから気づけたこともあってまだまだ終わりません。ほんとに深い舞台。










星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング

2019年03月24日 20時48分36秒 | 宝塚
 平成最後の3月24日、日曜日、東京宝塚劇場、11時公演を経ての15時30分から大千穐楽。紅ゆずるさんが最後の最後、お芝居で喉をつぶしてしまわれました。カールの魂は声をつれて紅ゆずるさんの体から抜けていったかのようでした。ショーがはじまってプロローグから声が涸れていて、心の中で紅さんがんばれって応援し続けていました。誰よりも多い出番、誰よりも多い台詞の量、最後の最後、シュラック家でのマルギット、フロリアとのぶつかり合いはすごかった、マルギットの背中をペシッ、ペシッと二回叩いたあと札束が足元に落ちたのは札束がこわれたの?かとにかく拾い上げて最後にもう一回ペシッ、すごい場面でした。あれだけ体中のエネルギーを振り絞って全身全霊でカールを生き抜いたあとのショー。それでもキラキラの笑顔で最後まで舞台をやり抜いた紅さんはプロ中のプロだし、命を削りながら演じたカールをみたあとで紅さんを責める人がもしいたとしたらそれはほんとにどうかしています(いないと思いますが・・・)。歌っている途中で全く声が途切れてしまった場面もあり、誰よりもご本人が自分を許すことができずに、すごく悔しかったのだろうと思います。最後の最後まで笑顔をみせることができなかった素直なところがいかにも紅さんらしい。中詰めのチャンピオーネの場面があったのも奇跡。アドリブで「喉ごめんなさいね」って3回謝って、銀橋を渡るときも客席にごめんなさいのしぐさをしながらはけていかれ、カーテンコールでは「喉丈夫な方なのですが」「昨日まで元気にやっていたんですが、なぜ千穐楽の最後の最後なのか」「ほんとに情けないのですが」「プロとして失格ですが」と繰り返す姿が痛々しくもありました。同時に(ライヴビューイングのカメラが入っているので)「これって撮って、るんですよね」としっかり笑いを誘うところが紅さんらし過ぎました。「次は花組が東京に来ます」としっかり宣伝も。「外では桜の花が咲き始めました。桜の花の向こうに星をみながら花組も楽しんでください」と。こうしてアドリブでごめんなさいって言えるところがすごいし、客席も映画館も安心できたと思います。瘦せられたみたいだし、最後はもう魂が抜けているかのようでした。お正月の宝塚大劇場初日から今日まで一週間に10回、命がけてカールの人生を生き、30分間の幕までこれまた誰よりも出番も歌も多い一時間のショーをやり抜く。ここまで喉が潰れなかったことの方が不思議なくらいです。星組のさゆみさん(紅ゆずるさん)10月13日に退団、花組のさゆみさん(明日海りおさん)11月24日に退団、心から宝塚を愛するふたりのさゆみさんが続けて去っていくのもなにかのめぐりあわせなのかな。自分が生きている意味わからなくなっていますが、お二人の退団公演を見届けるまでは死ねないなあと思います。

 フィナーレの幕が降りる時、紅さんの両隣の綺咲愛里さんと礼真琴さんがすごくあったかくてやさしい表情で紅さんをみつめていたのが印象的でした。その前に銀橋で紅さんと琴さんアイコンタクトとってうなづきあっていました。カーテンコールで声が涸れてしまった紅さんを囲む退団者四名、両隣の瀬稀ゆりとさんと七海ひろきさんのキラキラした瞳が紅さんをフォローしようと必死になっていました。七海さんは「さゆみさんの隣に立つのは最後」「ありのままの紅ゆずるさんを愛しています」と告白。客席の拍手と退団者への気持ちを声にしようとして、宝塚は愛でいっぱい・・・って言いたいけれどそのあとが出てこない紅さんを温かい笑顔をみつめながら「宝塚は愛にあふれていますね」としびれるような声で喉が涸れた紅さんをフォローする場面も。「ほんとに申し訳ないですが、プロ失格なのですが、星組は優しい、袖に入ると忙しいのにみんなが自分のところに来てくれて愛を感じて嬉しい」と涙する紅さん。美しい涙でした。最後の最後まで客席に繰り返し謝り、退団者にこんな声で申し訳ないと謝り、元気な声が戻ったら退団者にちゃんとおめでとうって言いたい、客席にはなんて言おうか?ってどこまでも紅さんらしい。小顔で切れ長の目元が印象的な美人さん。鼻すすったりぬぐったり、口元を膨らませたりして全身で荒っぽい水夫を生き抜く姿は客席を圧倒していました。

 この日も紅さんが舞台をけん引しているのだということをあらためて強く感じました。『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』、広い広い大劇場の客席と舞台を引っ張っていく紅さんの力に圧倒された二本立てでした。出会えてよかった。カーテンコール、紅さんがささやくような声で「みなさーん」って呼ぶと星組のみなさんがいつも以上に「はあーい」と大きな声で返事をしていたし、ショーのコーラスの場面ではいつも以上に声を出して紅さんをフォローしようとする一体感がすごかった。災い転じて福となす。温かさがより伝わってくる大千穐楽でした。紅さんと愛里さんのトップコンビだからこそ成立したエルベの世界観。すごいものをみせてもらいました。少しでも喉と体を休めていただきたいです。



 映画館の最後列、スクリーンは遠かったですが見やすかった。シュラック家のパーティ後からの息つけない場面の連続でいびきが聞こえてきたの、どこのオヤジだよ!って思ったらおばちゃんだったみたい。わたしもおばちゃんですけどかんべんだよー・・・。


 今週もまたひたすら断捨離、遺品整理。量が半端なくって、業者に家の中まで入ってもらうしかないの、弟に理解されずもめごとのたね。つらいところですが背負い続けてきた大量の荷物をおろした先にきっとまた新たな灯がみえてくることだってあるはずと信じて今は断捨離、ハンパない荷物整理の日々・・・。


 この世からいなくなる前に自分の荷物は自分で整理しましょうね、っていいながら東京公演のプログラムを買ってしまいました。ウエクミ先生のメッセージ読みたさ。荷物を増やしてしまったからまだ死ねないや。

蘭乃はなちゃんのエルベ観劇ブログが素敵すぎます。
ぜひ読んでいただきたいです。

https://lineblog.me/ranno_hana/archives/1638613.html

月組『カンパニー』『BADDY』東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング- 思い出し日記(2)

2019年03月23日 20時38分22秒 | 宝塚
「~原作 伊吹 有喜『カンパニー』(新潮社刊)~
 脚本・演出/石田 昌也

2017年5月に新潮社から発行された伊吹有喜の小説『カンパニー』を舞台化。愛妻を亡くし生きる意欲を失った製薬会社の青年サラリーマン青柳誠二が、社の協賛公演を行うバレエ団への出向を命じられ、世界的プリンシパル高野悠が踊る冠公演「新解釈版・白鳥の湖」を成功に導くため、一癖も二癖もあるダンサーや業界人に翻弄されながらも、バレエ団のバレリーナ高崎美波との淡い恋や新しい仲間たちとの友情を支えに、様々な困難を乗り越え奮闘する姿を描くハートウォーミングな成長譚。努力・情熱・仲間たち(レッスン・パッション・カンパニー)をテーマとし、個性豊かな登場人物たちがそれぞれに懸命に生きる姿を、新感覚のバック・ステージ・ミュージカルとしてお届け致します。」
(歌劇団公式HPより) 

 『カンパニー』、一時間30分の芝居は正直なかなかにきついものがありました。「カンパニー、カンパニー~♪」と歌う場面は、一路真輝さんのトップお披露目公演『天国と地獄』を思い出しました。珠城りょうさんのサラリーマン姿、すごくかっこいいと思いました。病気で妻を亡くしたという設定でした。毎朝リュックを背負って満員電車で通勤。亡くなった妻を思いながら仕事にでる姿がすごく優しくて、冒頭痴漢にあった女性を助ける場面があったと思うのですが包容力のある感じでた。でも一番似合っているなあと思ったのは、夏祭りの浴衣姿でしょうか。素の体格のいいところがうまく生きて男役感マシマシ。現在上演中の宮本武蔵も着物姿がすごく似合っているんだろうなと思います。

 コンビニでアルバイトしながらプリマドンナを目指すバレリーナ、高崎美波の愛希れいかさんはとにかく可愛いかったです。ポスター画像にもなっているバレリーナ姿、腰の位置が高くってお似合いでダンスも素敵。原作は知らないのですが早乙女わかばさん演じるプリマドンナの有明紗良が怪我で舞台に出られなくなり、愛希さん演じる高崎美波が代役で踊ることになるという展開は途中でみえてしまったかな。

 早乙女わかばさん、瞳ぱっちりでなんて綺麗華な方なんだろうと思いました。そこにいるだけで華のある方。この公演で退団されて今はインスタなどやっていらっしゃるのを時々拝見。黒髪を短くしていっそう綺麗。大階段を下りて退団の挨拶が終わったあとのカーテンコールで同期の珠城りょうさんをよろしくお願いしますと言う姿が印象的でした。

 印象的だったことを断片的にもう少し。

 高野悠を演じる美弥るりかさん、すごく細かった。細くて男役の色気を漂わせる雰囲気が美しかったです。実は腰を痛めて踊れなくなっている世界的プリンシパルという設定だったと思います。体を診させてほしいと追いかけてくる海乃美月さん演じる作業療法士?の瀬川由衣、食い下がる瀬川由衣といやがる高野悠というふたりのやり取りの間がなんともいえず絶妙でした。『アンナ・カレーニナ』コンビ。海乃さんもすごく綺麗な方。『エリザベート』のヴィッテンシュタイン嬢もよかったし、芝居心のある方だと思います。

 この公演で退団された宇月楓さんがお鬚姿だったのも印象的でした。退団後インスタを時やっていらっしゃるのを時々拝見。今はすっかり乙女で宝塚って不思議なところだなあと思います。やはりこの公演で退団された副組長、綾月せりさんの製薬会社の社長にひときわ大きな拍手が送られていました。どなたが演じていたのかわかっていないのですが製薬会社の社員同士がお昼ご飯を食べるサラリーマン姿に、なんでもない場面ですが芝居の月組の芝居心を感じました。その後の『エリザベート』でも感じたのですが芝居の月組と言われる伝統って脈々と流れ続けているのだと感じる舞台でした。

 完全に自己満足の今さらながらの思い出し日記。ウエクミ先生初のショー作品『BODDY』がインパクトありすぎる二本立てでした。

 明日は星組エルベの東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング。ウエクミ先生の演出の手腕と星組との奇跡的な出会いと親和性により観客を唸らせる舞台となりました。東京公演は千穐楽も二回公演。タカラジェンヌの体力と精神力はほんとにすごいです。トップコンビの芝居がすごいことになっているようなので千穐楽はどんなことになるのか今からドキドキ。無事に終わっていきますように・・・。


時代は変わりました

2019年03月23日 14時13分29秒 | 日記
 昨夕は自転車で行くにはちと遠いカフェまでサイクリングして足腰が疲れたせいか、3日ぶりに眠剤なしで寝つくことができた土曜日の午前、引っ越し用の段ボール四箱になった古本の引き取りが終わりました。全部で二百円。二束三文にもなりませんでした。値段がついたのは数冊の単行本のみ。大判の世界名画全集はただのゴミなのだとわかりました。ゴミとして廃棄するのも分別収集の時代になったのでビニールを外さなければならず大変ですが引き取ってくれるとのこと。なので四箱まとめて持っていってもらいました。ヤフオクに100円から出品すればいつかは売れかもしれないというモノばかりで、ガソリン代にもならないゴミだらけ、かえって申し訳ない気持ちになりました。自力でヤフオクに出品するのも手間がかかるのでそこまではやれません。業者によっては引き取ってくれないだろうとのことなのでよかったと思います。

 40年ぐらい前にはこうした世界名画全集の類がたくさん出版されたそうです。私の父も含め、その頃購入して応接間の書棚に並べた世代が手放すようになりましたが、若い世代はそんなものはいらないので飽和状態。デジタルが進み、できるだけモノを持たないでコンパクトに暮らすという考え方が当たり前の時代になり、小説も漫画も紙では売れなくなったそうです。紙の文化にはデジタルでは決して出会うことができない味わいがあります。私も基本的には紙がいいです。紙の手触りが大好きです。でも荷物になりますからね、断捨離していくしかないと思っています。それでもやっぱり紙で持っていたいというモノだけが残っていくのかもしれません。妹が遺したアニメの関連本はさらに何十年も過ぎて、持っている人が少なくなれば価値が高くなるとのこと。すでに業者にある他の本とまとめれば売れるだろうからゴミにはならないとのことでホッとしました。今も連載が続いている人気の漫画本は最新刊までそろっていないと価値なし、他に男性のアーティスト関連のモノも売れないとのことでゴミ同然でした。

 モノをためることは簡単ですが処分していくにはとてつもないエネルギーが要ります。モノを持ってはいけないのだとまたしみじみ実感。引き取ってもらう際にも免許証などのご本人様確認できるものが必要。時代は変わりました。

 妹が遺した大量の布切れや手作りの洋服を引き取ってくれるところはないだろうかとネットで調べて問い合わせたところ、県内のちょっと遠方の業者が引き取りできるかもしれないとのこと。ただし再販がむずかしいのでそれだけだと引き取れないかもしれない、他にはないですか、できるだけたくさんまとめてもらうと値段がつけやすいですよとのこと。床の間の棚を物色すると母が遺した花瓶やお茶道具も出てきました。父が遺した切手や偽物の小判などもまだあります。土産物の置物も大量にあり、どこにでもあるモノにしかみえませんがたぶん値段つけられるとのこと。2階の妹の部屋にはざっとみていたよりもさらにさらに大量の布や洋服が押し入れに遺っているとわかりました。私が玄関先まで運んで見積もってもらうのは到底無理なほどにたくさんの荷物。業者さんにあがってもらって見積もってもらわないと無理ですが弟がなんていうかな。30年ほど眠り続けている工業用ミシンなども値段がつく場合があるそうです。遠からず処分しなければならないものばかりなので少しでも他の人が必要なモノがあるといいですがどうでしょうか。

 神さまが与えてくれた時間だと思って取りつかれたように断捨離の日々。私自身の整理がついていないこともまだまだあり、新しいことを始める前に風を通すための、こうした時間は必要なんだなあと思います。まとまった時間とエネルギーがなければできないですからね。でもずっとこれだけでは生きていけないので次の居場所をみるけるための書類作成もしなければなりません。自分、これからどこへ流れていくのか・・・。

 つまらないひとり言、失礼しました。





 再募集がかかったのでもう一度書類を送るだけ送ろうとしていた二通目のところ、応募要項をコンビニでプリントアウトして確認すると内容が少し変わっています。専業主婦歴があるわけでもなく、思い出したくない過去、もう忘れてしまった過去をほじくりかえさないと求められていることを全部埋められません。車の運転ができないと生きて行くことはできないことがこの四カ月で身に沁みてわかったし、こうして家を片付けるための帰郷ということで居場所を求めていくことはあきらめた方がよさそうかなという気持ちになったりもしています。ほんとは水道光熱費だけで一か月に二万円ぐらいは払わないといけません。このままではそろそろ居づらいし、自分のために稼がなければなりません。また一から信頼関係をつくりあげていくのはきつい。生まれ育った場所なのに違和感ばっかりで、家賃払い続けるのは大変になったし、3.11のあとから近所に知る人が誰もいないのすごく不安で同級生が近くにいる所でまた暮らしたいと思って帰郷したけれど、また戻った方がいいのかな。自分が壊れそうなほど働くことはできないし、隣近所の音が丸聞こえのせまい集合住宅はつらいですけどね・・・。

迷い・・・。

つまらないひとり言の追記でした。