苦しむことはなにかをなしとげること
苦しむことの意味が明らかになると、わたしたちは収容所生活に横溢(おういつ)していた苦しみを、「抑圧」したり、安手のぎこちない楽観によってごまかすことで軽視し、高(たか)をくくることを拒否した。わたしたちにとっては、苦しむことですら課題だったのであって、その意味深さにもはや目を閉じようとは思わなかった。わたしたちにとって、苦しむことはなにかをなしとげるという性格を帯びていた。詩人のリルケを衝き動かし、「どれだけ苦しみ尽くさねばならないのか!」と叫ばせた、あの苦しむことの性格を帯びていたのだ。リルケは、「やり尽くす」というように、「苦しみ尽くす」と言っている・・・。
わたしたちにとって、「どれだけでも苦しみ尽くさねばならない」ことはあった。ものごとを、つまり横溢(おういつ)する苦しみを直視することは避けられなかった。気持ちが萎え、ときには涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証(あかし)だからだ。しかし、このことをわかっている人はごく少なく、号泣したことがあると折りにふれて告白するとき、人は決まってばつが悪そうなのだ。
たとえば、あるときわたしがひとりの仲間に、なぜあなたの飢餓浮腫(ふしゅ)は消えたのでしょうね、とたずねると、仲間はおどけて打ち明けた。
「そのことで涙が涸れるほど泣いたからですよ・・・・」
(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、131- 132頁より)
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今日は月末でした。
新幹線で火災が起きたり、箱根の大涌谷で噴火が起こったりと落ち着かない日でした。
次の場所と出会っていくために動き始めましたが、なかなかにエネルギーが要ります。
心が少し動くものはお金がまったくついてきません。一番の壁。
今日出向いたところは、まったく話にならないぐらいについてこないので、悲しくなってしまいました。人が足りないところは予算がつかないから人を充足できない。人を充足できないところは予算がつかないから人が足りないまま。
なんだか負のスパイラルを感じただけで希望がみえず、すごく悲しい気持ちになってしまいました。涙が出そうなぐらいがっくりきてしまいました。
いつ終わるのかわからないことを続けていくのはきびしいです。
心から休むことがないままなのできついです。
気力が続いていくのか。この日々に終わりがくるという感じが全くしません。
こうして動こうという気力が生まれてきただけ前進ですが、険しい道のりのあとにはまた険しい道のり。想いはいろいろとあれど結局おれてしまいそうな・・・。
「それでも人生にイエスと言う」
『エリザベート』の場面の数々。「わたしだけに」「闇が広がる」
心の中で繰り返しながらの一日でした。
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