たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

最終章自分自身であること-⑦自分自身であること

2024年12月13日 22時50分31秒 | 卒業論文

 誰でも生きることを求めているのであって、死ぬことを求めているのではない、[i]とアランは「幸福である法」の中で述べている。憲法13条には、全ての人が個人として尊重されることが謳われている。「人格の尊厳」あるいは「個人の尊厳」とも言われる。「生命、自由」に続いて「幸福追求に対する国民の権利」とあるが、これを「幸福追求権」といい、人格の担い手である個人が自らの幸福を追求する権利であり、自分の生き方を決める自己決定権を含む。幸福を求めない人はいないはずだ。私たちは希望を抱き幸福を求めて生きる。幸福は到達さるべき目標としてあるわけではなく、あくまでも実現されるべきものとして求められる。[ii] 幸福という言葉から私たちが思い浮かべるものは千差万別であろうが、幸福でありたいと願うのは万人に見られる自然の性情といえるだろう。

 経済的自立なくして真の自立はないと述べる 松原惇子は幸福について繰り返し記述している。幸福って心の持ち方一つだ、本当に考え方一つだ。幸福の形ってないような気がする。幸福って内なるもの。自分で感じるもの。自分でつくるもの。[iii] こう述べる 松原は、自らが創造した46歳の独身OL麻子にこう言わせている。「こういう生き方をすれば幸福、なんてものはないのよ。それを幸福と思えるか否か、それだけのことじゃないの。条件で人は幸福になんかなれないのよ。本当に大事なのは、自分の考え方なのだ。人と比べるのはよそう。人は人だ。外見的なもので、幸、不幸を判断するのはよそう。わたしはわたしだ。わたしは46歳のOL。それがわたしなのだ。わたしはもっと自分に自信をもって生きなくちゃ。ひとりのOLとして見事な一生を送らなければ。誰も評価してくれなくてもいいではないか、自分が満足なら。わたしはがんばる。毎日、積極的に心の勉強をするわ。幸福な人生を送りたいもの」。[iv] シングルだから淋しい、結婚しているから幸福という方程式はない。結婚できても、幸福だと感じなければ幸福ではない。淋しさというのは、結局、自分自身の心の問題で、人や条件が取り除いてくれるものではないのだ。大事なのは、今の自分を生き生きと生きているかどうか。そして、自分で決めたこと、行動したことに、責任を持つこと、[v]であり、「会社」「結婚」というノアの方舟に身を任す人生ではなく、自分自身がノアの方舟の主であるべき、[vi]なのだ。

 ヒルティは『幸福論』の中で次のように述べている。苦しみのときにあっても、少なくとも心の奥底では、つねにできるだけ自信をもち、またいかなる場合にもつねに、大いに勇敢であり給え。そうすれば、経験に照らしても、いつも神の助け給う日がやってくる。しかし、万一、神の助けがまったく現われず、われわれを圧迫し不安にする悪条件がとり除かれなかったとしても(とりわけ苦しい時にはしばしば、ほとんど怪しいばかりの説得力をもってそう思わせられやすいが)、それでもなおわれわれは「気晴らし」の享楽や厭世観や、怒りや無気力におちいるよりも、自分自身の勇気と善良さをもって戦うほうが立派に凌いでゆくことができるであろう。なぜなら、われわれは結局、絶え間なく-そしておそらく永遠に-ただ自分自身でもって生きていかなければならないし、他人ではなく、まさしくわれわれ自身がどのような人間であるかというその在り方が、つまるところ、何よりもわれわれの幸福を決定するからである。[vii] 幸福には、意志の力が強く働いている。何か特別な甘美な薔薇色の状態が幸福なのではなく、日々の生活の中での在りように幸福は潜んでいる。実際には幸福であったり不幸であったりする理由はたいしたことではない。いっさいはわれわれの肉体とその働きにかかっている。[viii] 要はそこに、存在することだ。

 精神世界への目覚めから年収2千万円を捨てた元キャリアウーマンの48歳の女性は、「野心から解放された私はやっと自由になれたんです。ただ、存在するだけでいいんだ、と今やっと思えるようになったんです」と言う。[ix] 何もない彼女の顔は輝いている。その対極にいるのが「高価な服やバッグを買い、毎日タクシーを使い、おいしいものを食べ、お金を使ってもちっとも幸せじゃないし、ちっとも心が晴れません」[x]という28歳のOLだ。巨大な消費者集団としての顔をもつOLは、「モノ語り」の人々を代表する。「モノ語り」の人々は、人そのものの描写は苦手だがモノを媒介にした人物描写になると雄弁になる。[xi] 産業社会から私たちが今どっぷりと浸っている高度消費社会へと移行するなかで、私たちは、生活必需品を買うためではなく、新たな快楽を求めて商品の集積をうっとり眺めるようになった。ブランドものなどの「付加的な消費」へと誘われるようになったのである。ブランドを身につけることで、それなりの自分を簡単に演出することができる。顕示的消費においては、たくさん「持つこと」によって、自分の存在を確認することができる。生きるためには物をもたなければならないが、そのうえ物を楽しむためにはますます多く持つことが目的となる。自分がもっているものにたよることは私たちを強く誘惑する。持っているものはわかりやすいので、私たちはそれを固守して、それに安心することができるのだ。しかし、持っているものは失われうる。失われたときの私は何者だろう。[xii] フロムは「持つもの」に自我を含めて考察している。マイスター・エックハルトは、何も持たず自分を開き「空虚」とすること、自分の自我にじゃまされないことが、精神的富と力を達成するための条件であると教えた、[xiii]とフロムは述べる。生産的な内的能動性の状態は、あらゆる形の自我の束縛と渇望を乗り越えることだ[xiv]というのだ。

 自我の実現とはなんであるか。観念的な哲学者は、自我の実現は知的洞察だけでなしとげられると信じていた。彼らは、自分のパーソナリティを分割することを主張し、人間の本性が、理性によって、抑えられ導かれるようにしようとした。しかしこの分割の結果、人間の感情生活ばかりでなく知的な能力もかたわになった。理性はその囚人である人間性を監視する看守となることによって、自分自身が囚人となった。そして人間のパーソナリティの両面、すなわち理性と感情はともにかたわとなった。我々は自我の実現は単に思考の行為によってばかりでなく、人間のパーソナリティの全体の実現、かれの感情的知的な諸能力の積極的な表現によって成し遂げられると信ずる。これらの能力は誰にでも備わっている。それらは表現されて始めて現実となる。いいかえれば、積極的な自由は全統一的なパーソナリティの自発的な行為のうちに存する。我々はここで、心理学のもっとも困難な問題の一つである自発性の問題に近づく。自発的な行為は、個人が孤独や無力に寄って駆り立てられるような強迫的なものではない。またそれは外部から示唆される型を、無批判的に採用する自動人形の行為でもない。自発的な活動は自我の自由な活動であり、自らの自由意志のということを意味する。我々は活動ということを、「なにかをなすこと」とは考えず、人間の感情的、知的、感覚的な諸経験のうちに、また同じように人間の意志のうちに、働くことのできる創造的な活動と考える。この自発性の一つの前提は、パーソナリティ全体を受け入れ、「理性」と「自然」との分裂を取り除くことである。なぜならば、人が自我の本質的な部分を抑圧しないときにのみ、自分が自分自身にとって明瞭なものとなったときにのみ、また生活の様々な領域が根本的な統一に到達したときにのみ、自発的な活動は可能なのであるから。[xv] これ以上、この論文で、自我とは何かという問題に立ち入ることはしない。自分らしく立つことはどういうか、自分の能力や才能、自分に与えられている人間的天賦を表現するとはどういうことなのか。今後の課題としたい。自分さがしについて黒井千次は、「私」をさがすぼくと、ぼくにさがされる「私」とが円環をなしてぐるぐると堂々めぐりをしてしまうのか、抜き抜かれつしているうちに、どちらがどちらを追い、どちらが捜されるのかすらわからなくなってしまうのかもしれない。もしそうだとしても、どこか虚しい、それでいて激しく熱いそのような運動の中からしか、「私」は出てこないのではなかろうか、[xvi]と述べているが、このようにして、自分とはなにかという問いかけは今後も続いていくであろう。

 ここで記しておきたいのは、繰り返しになるが、自分で意志決定すること、能動的に生きること、自分の人生の責任を自分がとる覚悟をもつことが「あること」である、ということだ。和辻哲郎は、人間存在を主体的実践的な連関としての主体的なひろがりと呼んだ。[xvii]自分のした決心、自分で選んだことについて責任をもつこと、アランの言葉を用いれば、「喧嘩せずにうまくやること」[xviii]なのだ。いつでも発奮するのに遅すぎるということはない。自ら意欲し創り出していくことこそ、幸福へとつながるだろう。前向きに生きて入ればほしいものは自ずと手に入る。私たちは他人との競争や比較で自分を相対的に評価することで、自分自身の存在意義を実感しがちだが、持っている知識、積んできた経験が異なるのだから、自分と他人は違って当たり前だ。自分を愛すること、自分と仲良くし受け入れることだ。年齢や生活環境で自分の可能性を制限してしまうことなく、自分が心地いいと思える方向でがんばればいい。正解は生きている人の数だけある。重要なのは、自分の正解を実行に移せるかどうか。何をどう組み合わせたら自分のビジョンに近づくのか自分で料理する時代[xix]なのである。

 私たちは、妻、母という性役割の前に自分との葛藤を避けて通ることはできない。他人にかまけて一生を終えられる時代ならばよかったが、今は子育て後に45年という年月が横たわっている。いつしか心にポッカリとあいてしまう穴はとても他人が埋められるような大きさではない。自分で埋めるしかないのだ。夫に子供に軸を置いた生き方をしているとその穴を自分で埋める力がなくなってしまう。自分にとって余分なものを削ぎ落とし、「これだけは絶対に捨てられない」テーマを掘り起こしていく姿勢が求められる。自分のテーマが見つかれば、年齢を重ねることの恐怖も減っていく。自分の中に蓄積されていくものを実感できるようになると、年齢は自分の味方になるのだ。[xx]

能動的であることは、アランの記述に沿えば、次のようにも言えよう。われわれはどんなことも、腕を伸ばすことさえ、自分で始められない。誰も神経や筋肉に命令を与えてそれらを始めるわけではない。そうではなく、運動がひとりでに始まるのだ。われわれの仕事はその運動に身を委ねてこれをできるだけうまく遂行することである。だから、われわれは決して決定はせずに常に舵を取るだけである。猛り立った馬の首を向け直す御者のようなものだ。しかし、猛りたつ馬でなければ首を向け直すことはできない。そして、出発するとはこのことだ。馬は活気づき、走り出す。御者はこの奮起に方向を与える。同様にして、船も推進力がなければ舵に従うわけには行かない。要するに、どんな仕方でもいいから出発することが必要なのだ。それから、どこへ行くかを考えればいい。[xxi] 出発しさえすれば、辿り着く港は自ずと見えてくる。大切なのは、自分を生きることだ。

 人生では旅人のように、病気に出会ったり、失意に出会ったり、いろいろなことに出会って、その駅で停車したり、あるいはまた進んだりしながら、最後にみんな平等に「死」という終着駅につくのだと思います。死ぬことは、それまでの人生がどんな内容のものであっても、その人なりに精一杯生き、完全燃焼した死であれば、安らかであると私は思っています。現世で起きることがどんなに辛くても厳しいとしても、最後には死という永遠の安息がある。永遠の平和があると、私はいつも思っています。

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引用文献、

[i] アラン著、串田孫一・中村雄二郎訳『幸福論』274-275頁、白水社、1990年。

[ii] 山岸健『日常生活の社会学』109頁、NHKブックス、1978年。

[iii] 松原惇子『いい女は頑張らない』210-211頁、

[iv] 松原惇子『OL定年物語』200-201頁、PHP研究所、1994年。

[v] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』119頁。

[vi] 松原、前掲書、56-57頁。

[vii] ヒルティ著、草間平作・大和邦太郎訳『幸福論(第三部)』156頁、岩波文庫、1965 年。

[viii] アラン、前掲書、21頁。

[ix] 松原、前掲書、183-185頁。

[x] 松原、前掲書、241-242頁。

[xi] 大平健『豊かさの精神病理』8-9頁、岩波新書、1990年。

[xii] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』33頁、151頁、紀伊国屋書店、1977年。

[xiii] E・フロム、前掲書、34頁。

[xiv] E・フロム、前掲書、99頁。

[xv] E・フロム著、日高六郎訳『自由からの逃走』284-285頁、現代社会科学叢書、昭和26年。

[xvi] 黒井千次『仮構と日常』28頁、河出書房新社、1971年。

[xvii] 山岸健『人間的世界と空間の諸様相』641頁、文教書院、1999年。

[xviii] アラン、前掲書、75頁。

[xix] 『日経ウーマン 2003年6月号』57頁、日経ホーム出版社。

[xx] 松永真理『なぜ仕事するの?』41-42頁、角川文庫、2001年(原著は1994年刊)。

[xxi] アラン、前掲書、74-76頁。


最終章自分自身であること-⑤再挑戦するOL

2024年12月07日 00時09分06秒 | 卒業論文

 女性はこれまで企業の中で自立した職業人として育成されてこなかった。男性中心の日本型企業社会の中では二流の労働力扱いされてきた。すでに見てきたように、戦後の民主化の流れの中で、女性は個人の労働者として労働市場に登場することを当初から期待されていなかったのである。しかし、今日のように激しく変化する社会では、女性にも失敗を恐れず、より充実した人生を送ろうとする主体性が求められていると考えたい。女性もどう働き、どう身を守るかを学ばなければならない。

 「女性と仕事の未来館」の相談室には「毎日同じ仕事をしていて気がついたら年数ばかり経ち、昇進もできなかった。このままではリストラになりかねないが、転職を考えたくても自分の能力に自信がない」という漠然とした不安を抱えた相談が多く寄せられる。就職、再就職、転職あるいは社内での昇進・昇格時やリストラに遭遇した時など、誰でもまず自らの職業能力と向き合うことになる。一方、企業の側では厳しい経済環境の下で、自社のニーズにあった即戦力を求め、能力主義的人事管理を進めている。今や男女を問わず生涯を通じて職業能力の開発を意識せざるを得なくなっており、入社時の学歴や資格、専門知識のみでは長い職業生活を有意義に送る事はできない状況にある。[i]「女性には女性の仕事が適している」という呪縛から女性自身が解放され、やりがいのある仕事を求めていくことが必要である。これまでは女性が働くというとキャリアかそうでないかにはっきり二分されてきたが、総合職か一般職かを問う時代ではなくなりつつある。女性が職場で男性と平等の地位を得るためには、企業や政府レベルの社会全体の変革はもちろんのこと、女性の側の意識も変革しなければならない。日本の男性の、男女平等に対する意識変革が遅れているのは、裏返せば女性の側の努力が足りないとも言える。これまで女性は持てる能力を社会ではなく、家庭で発揮するように育てられてきた。だから、女の子を社会適応させる手順を変えることから始めなければならない。さらに男性中心社会の男女の役割に関する意識を変える必要がある。企業においては、終身雇用制を前提としていたため、新入社員のように学業を終えると、それからOJTやOff-JTによって職務遂行能力をつけてきた。しかし、最近では、高度専門職や派遣社員のように即戦力となる人材を採用するケースも増えてきている。したがって、職務遂行ニーズを充足させる教育の場は、企業内だけに限らなくなってきている。第五章にも記したが、社外の勉強会等にも積極的に参加し、多くの人々との人間関係を大切にしておくことも忘れてはならない。そもそも日本では、エキスパートになれるだけの専門性を学校では養成しない。一部の人を除いて、ほとんどの人が出身学部と職種が一致していないのが現状だ。それでも、男性の場合は多様な職域を経験しながらキャリアを積み上げていく機会が与えられるが、女性はそこのところが難しい。だから、キャリアの展望を描くことができないし、勤続年数が長くなればなるほど男女の格差は広がってゆく。

 しかし、成果主義の導入により、賃金制度が大きく変化してきている近年、公平になった分だけ女性にも賃金上昇のチャンスもあると考えられる。成果主義については、『日経ウーマン2002年7月号』には、次のような説明がある。成果主義を「仕事をしたら、その分だけ給料がほしい」という人は、成果主義的な考え方をしていると言えるだろう。ただし、「その分だけ」と言うからには、「仕事で成果を出しているか」が問われることになる。成果主義では、個人にどんな能力、知識、経験、技術があっても、それらが仕事の場で発揮されなければ、評価はされない。能力主義との大きな違いは「仕事の価値」に対して賃金を払うことだ。どんな仕事をし、どんな責任を負っているか、そしてどこまで目標を達成できたかにより、昇給や賞与に差がつく。「仕事の価値」に支払われるため、諸手当も、基本給に組み込む形で廃止する方向に向かっている。最近は、「仕事で、どのようなプロセスを踏んだのか」も評価がなされるようになってきている。潜在能力ではなく、仕事でどんな成果を生み出すかが問われているのは同じだが、成果を生み出せる実力をつけていくためには、結果ばかり見ていてはダメだという認識が広がりつつある。そのため、若いうちはこれまでのように「能力」を評価し、管理職以降に「成果」が問われる方向に進んでいるようだ。日本型雇用慣行の特徴であったこれまでの右肩上がりの年功型賃金は、「若い頃は低く抑えられる代わりに、年をとってからその分もらえる終身決済型」だと言われてきた。この「右肩上がり」が、今、モデルではなくなろうとしている。定昇(定期昇給・ベア(ベースアップ)だけでなく、昇格・昇進による昇給がこのモデルを支えていたが、運用が「年功的」になっていたという反省から、成果主義導入に伴い、納得性の高い昇給・昇進を実現していこうと企業は努力している。[1] 成果を生み出せる人が、高い評価を得ていく成果主義。しかし、成果を生み出せと言われても、事務職は数字で結果が見えにくい仕事である。そもそも「成果」とは何だろう? 『日経ウーマン』は引き続き、「数字ではっきり表れるものばかりが成果じゃない。自分なりに工夫したり、苦労して取り組んできた仕事で、それが結果的に会社に何らかのメリットを生み出したなら、それは立派な成果と呼べる」というコンサルタントの声を紹介している。自分なりに力を入れた仕事、それなら誰にでもあるはずだ。また、「一つの成果から次の成果を生み出していく能力は、今後強く求められる。自分なりの成果を見つけたら、その成果を生み出すまでの“行動”を振り返ることが大事」[ii]だ。

 時代は大きく変わりつつある。この環境変化に対応して生き抜いていくためには、個人の側もまた企業の側も能力の向上を図らなければならない。企業を構成する要素には、人・物・金といったハード面の資源と、情報・技術・組織といったソフト面の資源があるが、このうちでも人の力が経営を大きく左右することはいうまでもない。これらの経営資源を有効に活用して大きな成果を生むのも人の力に他ならないからである。そこで、企業の存続発展にとって人材の開発は、重要な企業活動の一つといえる。事業内教育訓練は、企業目的を達成するために、従業員の能力を計画的かつ体系的に育成する企業活動である。その活動は、業種や企業規模の如何を問わず必要なことである。そこで、もう一度振返って企業目的とは何かを再確認しておくことが大切である。それは、

①企業業績を高めて収益を上げること。

②より良い製品とサービスを顧客に提供すること。

③従業員とその家族の生活安定と、従業員の仕事の生きがいや人間的成長といった自己実現欲求を充足させること。

④地域社会に対する貢献や奉仕などの社会的役割を果たすこと。

などをあげることができる。特に現代社会においては、企業の立場を中心に考えるばかりでなく、従業員個人の立場を尊重することと、社会的貢献が大事なことといえるだろう。能力開発といった観点では、個人が自分の成長への高い意欲を持っていることを重視すべきであろう。またそこに企業側のニーズと個人側のニーズの接点を見出すこともできる。[iii] 

 日本の大学ではきちんとした職業教育がなされていないという点も問題である。日本的経営システムの下では、入社するのが最大の目的であり、すでに触れているが企業は大学に職業教育を全く期待していない。私たちは、ビジネス社会や企業の成り立ちを知らないまま「就社」してきた。職業選択能力を向上させる機会をあたえられることもなく、職業選択についての意識が不明確なまま仕事ではなく、会社を選んできたのだ。しかし、これからはどこの会社でも通用する職業人として自立していくために、入社後を捉えたキャリアとしての「就職」をすることが重要だと思われる。組織の構造をしっかり理解し、自分はその中で何がしたいかを考える力を身につけていかなければならない。

 リスクを伴うことを承知で、企業を離れ、大学で学び直すという道を選ぶ女性もいる。東京の大手出版社を辞め北海道の大学の獣医学部で学ぶ34歳(2002年時点)は、組織であぐらをかくのではなく、自分の力で走りたいと考えて新しい道へと足を踏み入れた。「何のために生きているのか突き詰めたい、いつ死んでもおかしくない自分をつくろう」と進学を決意したのだ。[iv]

 キャロル・カンチャーは次のように述べている。人間は、保守的な生き物です。変化を恐れ、現状を維持するために、莫大な時間とエネルギーを費やしている人はたくさんいます。慣れ親しんだ決まりきった毎日のほうが安心感があるのは、人間の本性ですから、仕方がありません。変化にも、エネルギーが必要です。同じエネルギーなら、変化に費やすべきです。また、人生、キャリアの展開には、ダイナミックな変化にあえて挑戦することによって、新たなエネルギーを与えることも必要なのです。現状を維持するためのエネルギーは、周囲で起こっている変化の原因と本質を理解するためのエネルギーでもあります。しかし、それだけでは、日々変化する今日の社会についていくことはできません。人生の転機に、自ら考え、意志決定してリスクに立ち向かう能力は、まさに今日の急激に変化する世界において、自分のキャリアを創造するために必要な能力です。リスクを冒すことなくして、成長も活力も真の喜びもありえません。カンチャーはさらにこう述べている。成功は結果ではなく、満足感のある一日一日の積み重ねなのです。失敗か成功か、完全にどちらかなどということはありえません。[v] 

 第五章で、女性は20代後半から生き方が分化し、専門職と事務職の一部には、仕事に前向きに挑戦しようとする女性がいることを記した。OLの中にも「スペシャリスト志向」を見ることができるのである。仕事に対する意欲を、ヒエラルキーを登ることよりは多様な事業展開の中のある部門のスペシャリストになる方向に注ぐ。こうして若いOLの一定層は確かに銀行や証券会社、デパートや消費者向けメーカー、そして自治体の中で、ある領域の営業、開発、企画のできるような知識や技能を備える努力を始めている。性別職務分離の支配の中でも女性の活躍できる空間を懸命に求める、「被差別者の自由」を享受する層の限界を知悉した甘えのないOL像といえるだろう。この「スペシャリスト志向」は、退職と結びついていることも考えられる。女性がある部門のプロとなる空間が企業内に見つけられなければ、退職して大学で学び直す、留学する、資格を取るための勉強をする、「起業」を計画するなどの道が探られよう。今日、OLの退職理由に占めるこの種の「再挑戦」は、統計には現われないもののかなり多いはずである。[vi] このようにしてスペシャリストへの道を歩む女性が日本型企業社会の中で、どのように自立していくのか。これからの課題であろう。女性たちの挑戦は始まったばかりだ。

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引用文献

[i] 『女性と仕事の未来館 報告書 No.3 働く女性が拓く未来』21頁、2001年。

[ii] 『日経ウーマン 2002年7月号』64-65頁、日経ホーム出版社。

[iii] 郷田悦弘(ごうだよしひろ)『始めよう能力開発』1-2頁、中央職業能力開発協会、平成元年。

[iv] 『AERA2002年1月21日号』8-9頁、朝日新聞社。

[v] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クエストで成功をつかもう』11頁、30頁、光文社、2001年。

[vi] 熊沢誠『女性労働と企業社会』154-155頁、岩波新書、2000年。

 

 


最終章自分自身であること-②求められる社会と企業の変革

2024年11月23日 10時39分25秒 | 卒業論文

 先にも参照した『現代日本人の意識構造[第5版]』の調査結果によれば、73年と98年の25年間で日本人が理想とする家庭像は、夫は仕事、妻は家庭という「性役割分担」から夫も妻も家庭に目を向ける「家庭内協力」へと大きく転換している。73年調査では「性役割分担」を支持する人が最も多かったが、83年の調査以降急速に減少し、98年の調査では半減している。かわって、「家庭内協力型」は83年以降毎回増加し、98年の調査では多数派になった。[1] これは、高度経済成長期に定着した企業に取り込まれた家庭、企業にとって都合のよい性別役割分業に基づいた「男女共生システム」が「女性が働き続けること」「男性が家庭のことに協力すること」というコインの表と裏を支持する国民の意識変化、つまり時代にあわなくなってきていることを示している。家庭のあり方や男女の働き方について社会や企業が変革を迫られているのである。性という要因で個人の能力とは関係なく仕事と家庭に分けられてしまうのではなく、女性にとっても男性にとっても、家庭と社会の両方とのかかわりがもっと自由に選べ、性によって固定されない生き方やまたそういう生き方が可能な社会が求められている。

 これまで日本型企業社会は、会社以外の仕事の一切を主婦に割り当て、夫や父を地域から隔離することで企業に全てを集中させてきた。しかしこの結果、会社の論理はあまりにも肥大し、今や地域や家庭を食いつくし、自らの基盤を掘り崩しつつあるように見える。夫は賃労働に、妻は無償労働にと峻別するようになった結果、男女それそれがその分担をもち協力しながら暮らしていた時代に比べると、現代社会においては男性と女性がそれぞれの本性に基づいて協同し生活することができなくなってしまった。「会社人間」の夫と「内助の妻」の共生はさびしい。家庭をひたすら家計に還元したうえで、その経済合理性を追求するべく性別役割分担を維持することは、大きな「不合理」、人間的資源の「非効率」を招いている。もはやこの関係には終止符が打たれなければならない。[2] 企業は今、出世というひとつの価値観で造られたヒエラルキーに行き詰まりを覚えている。日本型企業社会は、従来のやり方にすがりつくことを辞めて、男女問わずに知恵を引き出せる仕組みへ向けて労務管理の一つ一つを再点検する時期だ。そのためには、異質な個人を個人として評価し活用していくことも必要だ。男性は、「男は家事や育児に向いていないからできない」のでなく、たとえ帰りたくても家庭に帰れない現在の仕組みを率直にみつめることだ。「男女共生システム」を「自分に有利」と錯覚し、支持している自分自身が自分の暮らしにくさを招いているのではないか、と立ち止まって考えてみてはどうだろうか。そして女性は、彼女たちの耳元で鳴り続けてきた「女性が無能で怠慢だから働けない」という呪文を断ち切り、「こんな仕組みでは女性は力を発揮できない」という事実を、先ず声を出してきちんと主張することだ。会社に適応しようと自分をねじまげて不幸になるのではなく、適応できない自分にいらだって、ただ会社に反発するのでもなく、自分がやりたいことのために仕組みそのものを変えていくことだ。虚構を前提に作り上げられた仕組みに無理やり合わせるのではなく、対外がそれぞれの実像を確認し、実像にあった本当に効率の良い組織をどう作っていくかを考える必要がある。[3] 企男性不在のもっとも明確なのは、育児においてである。女性が仕事を続ける場合、育児は大きな課題である。女性にのみ柔軟な働き方が求められる。子供の熱がでた、ケガをした、塾の迎えなど、仕事を辞める場合と同様、女性には女性の数だけ仕事を休む「理由」がある。そこに混迷を感じると遙洋子は述べている。どれも理由になり、どれも理由にならない。[4] 働く女性は働きながら出産する女性に対して、男性以上に批判的になってしまう。事態を変えるには、出産や病気などに対応できる人員の配置や職場の都合がすべてに優先する、という企業の倫理規範を洗いなおす根本的な作業が必要だ。従来、女性は職場での変更についての決定権や発言権をほとんど持たない。しかし、今後、少子・高齢化社会の労働の担い手となる女性からの情報をきちんと受け止め生かすことは不可欠だ。もっと下位職務の女性たちの発言権と決定権が高められなければならないだろう。また、仕事と家事・育児を両立できるようにしなければならないのは女性のみではない。男女ともになのだ。仕事と家庭の両立は今度働く女性の問題から男性も含めた働く人全てにとっての問題へと拡大するだろう。欧米では普通のことながら、日本でも男性サラリーマンがある契機で自らの家庭責任を痛感し、あるいは妻の就業権を尊重して、育児休業をとったり、過度の残業や遠隔地赴任を拒んだりするとしよう。そんな行為がいささかの不利益な処分もなく擁護されるような企業社会の風土を変えること、そうした職場の変革が求められる。[5]

 憲法13条の個人の尊厳と同14条の法の下の平等は、日本国憲法の人権保障の基本的原理である。13条は、全ての人が個人として尊重されることを謳っている。「人格の尊厳」あるいは「個人の尊厳」とも言われる。「生命、自由」に続いて「幸福追求に対する国民の権利」とあるが、これを「幸福追求権」といい、人格の担い手である個人が自らの幸福を追求する権利であり、自分の生き方を決める自己決定権を含む。この憲法13条は、憲法や法律の解釈基準になるとともに、憲法に明文の規程がない新しい人権を認める根拠になる規程である。近年13条を重視する考えが強まっているが、女性の労働権の確立にとって欠かすことのできない原理である。

 14条は、全ての人が性別により差別されないと定めている。かつては、男と女は特性や役割が異なるということを前提にした性別特性論や性別役割論に基づく「平等論」が根強く存在した。この立場からは、結婚している女性は夫に扶養されるのだから、男性より定年を早くしても差別ではないとされてきた。しかし、13条の個人の尊厳の原理に立てば夫の収入がどうであれ、妻である女性にも個人の権利としての労働権があり、また、出産機能を持つ女性の労働権は保証されなければならない。[6] パートタイマーや派遣労働、契約社員の収入は、女性が経済的に自立していくには遠い金額である。これら非正社員の不当な低賃金の是正と共に、「女性に適した仕事」の低賃金を是正させる方法として重要なのは、「同一価値労働同一賃金の原則」である。「同一価値労働同一賃金の原則」とは、同じ仕事についての同一労働同一賃金だけでなく、仕事が違ってもその価値が同じなら、女性と男性に同一賃金を支払わなければならないという考え方である。長い間、「女性に適した仕事」の賃金は低いのが当たり前とされてきたが、大切なのは仕事の価値を評価する時に、性による偏見をなくすことである。例えば人の世話をする仕事は機械を扱う仕事より価値が低いとか、手先を使う細かい仕事は力仕事より価値が低いというのは性による偏った評価である。こんな偏見をなくし、女性が担っている細かい仕事、単調な仕事、頻繁に作業を中断したり、他人の後片付けをする仕事などの価値を正当に評価し直していくことがポイントである。[7] 

 また、現行の「世帯主」である男性を中心とした経済制度や社会保障制度は女性が基幹労働者として働くことの足を引っ張るものであり、根本から見直しを迫られつつある。「103万円の壁」と言われる、ライフスタイルの変化にそぐわない働く女性に制裁的な日本の税体系は問題だ。女性たちが伝統的な「女の規範」に従って「それなりの男女共生」観を自らのものとして内面化しているうちは現行の仕組みは性差別と意識され糾弾されることを免れてきた。しかし、今、女性の短期勤続、定型的または補助的な仕事、そして低賃金という「三位一体」構造も「男女共生システム」もはっきりと揺らいでいる。「三位一体」を構成する要因のいくつかはすでに変貌を遂げ、仕組み全体の安定性を揺るがせている。一方、職場の仕事においても充実したい、一人でも生きてゆけるよう職業人として自立したいと願うようになった一定比率の女性たちは、これまでの世帯単位とは異なる「シングル単位」(伊田広行『21世紀労働論』青木書店、1998年)の男女共生をようやく求め始めている。[8] 社会保障制度や福利厚生を「世帯主」単位から「個人単位」へと見直すべき時が来ている。人間本位の立場から社会制度は改善されなければならない。その時、男女共同参加型の社会が実現し、社会全体の民主化をもたらす。大切なのは、先の憲法に謳われているように「個人の尊厳」、女性にも人間として男性と平等な「労働権」が人権の柱として存在するという認識である。21世紀が少子化社会、逆の言い方をすれば高齢化社会であることを考えれば、高齢化社会の労働サービスを提供する労働者としても、また高齢化社会を財政面から支える納税者としても「個人として」の女性の存在が経済に与えるインパクトは測り知れない大きさであると言えるだろう。女性も基幹労働者として位置づけられなければならない。こうした変革は、日本型企業社会の利潤創出の仕組みの一つを崩すことで、一時、産業社会にダメージを与えるかもしれない。しかし、長いスパンでこれを考えるとき、男女共同参加型社会の実現は、内では少子・高齢化社会を乗り切る知恵と活力を生み出し、外に向けては日本型企業社会の国際化に道を拓くであろう。

 社会全体の民主化のために、社会全体が女性の役割を定義し直すことを受け入れ、支持する体制にならなければ、これまでのステレオタイプ的な、固定された性による役割を打ち破ることはできない。男性が人間らしい生き方をするためにも、性役割の変化は必要である。男性が性役割に捉われると、出世しなければならないし、人に頼ってはいけないという圧力から相互で支えあう精神はそっちのけで人間的な感情も押し殺すようになってしまう。こうして男性の役割は社会的に豊かな人間関係を築く機会を男性から奪いとっているといってよい。男女はもともとお互いに支えあうべきである。双方が人間的な幅を広げ、お互いに連帯しあうようになれば男女の間を隔てる溝は埋められ、ずっと調和の取れた円満な関係を築くことができるだろう。しかし、双方が人間として自分の持てる能力をできるだけ伸ばすためには、成長期の子供たちに親が何を押し付けているか、その態度から見直していかなければならない。調和のとれた人間関係を築くのに必要な自立心と相互連帯の精神の両方を、女の子にも男の子にも育てていくことである。親たちがこれらの特質を、男の子にも女の子にも平等に身に付けさせようと努力するなら偏りのない、バランスのとれた大人に成長していくはずである。そして、自立心と他人の心や痛みを思いやる精神は両立することを教え、人を思いやる道を示していくことである。同時に本やテレビなど、マスコミに登場する人間像にも変化を求めなければならない。マスコミの影響力は大変強力なので、本や子供の番組を作る担当者は、男女の役割に関する固定観念を捨てて柔軟な男女観を描き出す義務がある。そのような人間像を幼いうちから目にしていけば、伝統的な男女の役割に束縛される必要などないことを子供たちは肌で学んでいくだろう。学校制度も男女の伝統的役割に深く根を下ろしている。教育の目的は個人の創造力や知的探究心を伸ばすことにあり、男女の性役割を基準として生徒の評価を下すことは断固としてやめなければならない。性役割をなくすことがそのまま男女の平等につながるわけではない。男性と女性には違いがあると考えることと、女性は男性より劣っていると考えることは全く別のことである。この両者の混同が社会的政治的なジェンダー差の根底にある。意識的にせよ無意識にせよ、この混同は、民主主義の世界で理想とされる原則とは真っ向からぶつかるものである。また、人類の半数を占める女性に十分な社会参加をさせる妨げとなってきたのである。[9]

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引用文献

[1] NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第5版]』49-50頁、NHKブックス、2000年。

[2] 大沢真理『企業中心社会を超えて』123頁、時事通信社、1993年。

[3] 竹信三恵子『日本株式会社の女たち』200-201頁、朝日新聞社、1994年。

[4] 遙洋子『働く女は敵ばかり』19頁、朝日新聞社、2001年。

[5] 熊沢誠『女性労働と企業社会』201頁、岩波新書、2000年。

[6] 東京都産業労働局『働く女性と労働法 2003年』4頁、東京都産業労働局労働部労働課。

[7] 女たちの欧州調査団『なくそうパート/契約労働/派遣差別』54頁、2000年。

[8] 熊沢、前掲書、2-3頁。

[9] エスター・グリーングラス著、樋口恵子編訳『女と男はどうつくられる?』235-237頁、三笠書房、1985年。

 


最終章自分自身であること-①多様な家族のあり方を求めて

2024年11月21日 15時00分57秒 | 卒業論文

 先ず、女性自身のジェンダーの内面化の現象の一つとして、結婚後、妻が夫の姓を名乗ることが通例となっていることに注目したい。現在法的には姓の選択は夫婦が対等に行うことができる。明治の民法制定時には、女性が夫の姓を名乗ることは、夫という個人のもつ姓ではなく、夫の属する「家」がもつ氏を継ぐという意味を持っていた。しかし、敗戦後、「家」制度は否定され、結婚後の姓の決定に際しては、夫と妻の権限は対等であり、両者の姓を選択する比率はほぼ一対一になるはずである。しかし、実際には、婚姻後妻が姓を夫の姓に変えるのが通例で、首都圏では97%、東海92%、関西98%となっている(リクルート・ゼクシィ事業部、1998年)。自由な恋愛が主で対等平等の関係を発展させる恋人同士の間にも男性優先の「家」文化の名残は強く残っている。一方、姓に関わる「家」意識においても、次第に変化が表れてきている。「夫婦別姓を望む人には許されるべきだと思う」という肯定派がほとんどである。しかし、実際に法律によって別姓が認められた場合、別姓にする意向のある人は17%程度にとどまっている、と坂西友秀は捉える。別姓にしない理由として、「結婚した証として」「家族の一体感のため」「子供のことを考えて」「同じ姓なのが当たり前だから」などがあるが、これらの理由には心理的な意味が強く含まれていると考えられる。「新しい姓のほうが好き」という女性も一割いる。こうした態度は法的な制度によって女性の内面に作り出されてきた一つの心理であり、不変とは考えられない。[1] 夫婦の名字についても一人一人が多様な生き方を選べるようにと、女性の側から強く求められている。夫婦別姓の容認の傾向は、第五章の最後に記した家族の「個人化」の現象のひとつとして捉えることができる。NHKの『現代日本人の意識構造[第5版]』によれば、夫の姓に統一しなければならないという考え方は徐々に後退し、反対に夫婦別姓でもよいという考え方がじわじわと増えている。男女別に見ると、特に女性では5年間に急増し、98年の調査では四割を超え男性を上回っている。夫婦の姓は必ずしも夫の姓でなくてもよいと考える女性が増えてきているのである。年代別では、1943年以降に生まれた人に「脱・夫の姓」を支持する人が増えている。1980年後半から夫婦別姓の導入を求める声が高まってきた。その理由としては、姓を変えることで自己喪失感を持ったりすることが考えられる。夫婦の名字をどのようにするかということは、実は姓と何か、個人とは何か、結婚とは何か、家族とは何かなどの根本的な問題と深く関わっている。夫婦別姓を容認する傾向は、「家族とは同姓でなければならない」という家族観の揺らぎであり、結婚したら女性が改姓するというこれまでの「常識」に対しての疑問の投げかけである。「夫婦別姓にすると家族の一体感が損なわれる」という意見があるが、家族の絆はなにから生まれるかという質問に、「苗字や戸籍が同じであること」「血がつながっていること」と答えた人は、前者は男女ともに1%、後者は男性12%、女性11%しかなく、一方「一緒に暮らすこと」は男性43%、女性38%、さらに「家族一人一人の努力」は男性34%、女性43%と、日常生活そのものによって、特に女性では同じ姓を名乗ることよりも一人一人の努力によって家族の絆は生まれると考えているのである(朝日新聞社「家族像」世論調査、1999年、全国の有権者)。[2] 第二章で、近代家族は女性の抑圧装置となったというフェミニズムの考え方に触れたが、女性にとって家族はこれまでのように自分を抑えて一体化するものではなくなってきている。個人を縛る従来の性役割に従う生き方や制度や社会に疑問を投げかけ、自分はどう生きていくのかを女性自身が問い始めている。「両性の平等」と「個の自立」という方向を目指しているのである。

 憲法24条の家族生活に関する事項においては、個人の尊厳と両性の平等を掲げているが、家族・男女関係の領域における日本人の意識の変化は、まさにこの文言を体言化してきたかに見える。『現代日本人の意識構造[第5版]』の調査を開始した73年と98年の結果から家族に関する意識変化をおさらいすると次のようになる。「愛情があれば婚前交渉は可」が「不可」を抑えて最大意見となった。「結婚はしなくてもよい」が6割近くに達した。「結婚しても、子供をもたなくてもよい」が増加している。先に記したように、「脱・夫の姓」が四割に達した。「女性は子供が生まれても職業を続けたほうがよい」が最大意見となった。「父親は仕事、母親は家庭」という「性役割分担」が二割に減少した。「夫の家事・育児の手伝いは当然」が8割を超えた。「子供に干渉しない父親」を求める傾向が増加。「女性に高学歴を」が多数派に、「老後は子供や孫と」が減り、「自分の趣味に生きる」が増えた。これらは全て、家族という私的集団の中でそれをさらに細分化する個的原理が強い主張を持ち始めたことを意味する。そして、そのことは一方で人々の新しい意識が既成の家族の規格ひいては既成の社会の規格にはもはや収まり切れなくなっているという切実な問題を招来させているのである。[3] したがって、これらの新しい意識を受容し適正化していく新しい家族や社会を確立させていくことが求められている。

 近年の生殖技術の発達が子供や家族という概念に与える影響を考えたうえで、私たちはどのような選択をしていくべきなのかということについて、長沖暁子は、子供のいない家族を含めて、多様な家族のあり方を認めていく方向で考えていくしかないのではないかと述べている。その上で選択するという状況を作っていかなければ、女性に対する子供を作れという圧力は減っていかないのである。少子化は子供を産めという圧力を産んでいる。医療自体も子供を作ることが善という方向にあり、社会から子供を作って欲しいという圧力がかかっている中で、個人が選択した場合、どう考えても子供を作る方向の後押しされていることになる。多様性を認める社会をつくっていくためには、当事者が語ること、言葉に耳を傾け、経験や知識を共有化することによって、価値観を広げていく、多様性ということを実感することが第一歩である。さまざまな立場の当事者が語ることから多様性を認める自然観・生殖観・生命観を実感する。その上で、どの選択肢を選んでも圧力がない社会、何を選んでも「等価」である社会がなければ自由な選択とはいえない。子供を産まない女は価値がないと思われている社会では、産まなければ存在証明にもならない。産んでも産まなくても、母親であってもなくても同じように認められる社会でなければ、アウトローでよいと居直らないかぎり、不利な選択はできないのである。そういう社会を作っていくためには女性たちがもっと政治的・経済的・社会的な力を付けていくことが必要だ。そして、男性たちには家事や子育てに積極的に参加し、性や生殖をもっと実感して、出産に関しても自分の問題として考えるような意識改革を期待したい。[4] 女性が性役割を超えて個人として自由な選択ができるようになるには、これまでの伝統的な家族形態だけに捉われない、多様な家族のあり方を認める社会への変革が望まれる。

 女性にとって家族は運命共同体ではなく、女性を取り巻く環境の一つになってきた。新たな家族の形態を確立することが必要とされている。しかし、昔ながらの男女の役割と伝統的な家族形態だけを頭に入れた教育が行われていては、男女それぞれが主体性を持てる、新しい家族関係を模索することは難しい。繰り返し見てきたように、女性は仕事をもつことによって家事労働と市場労働の二重負担に苦しむ。時には、妻が稼ぐことを疎ましく思い、自分の役割が侵されると感じる夫さえいるのである。離別、死別を問わず、単身の親の立場に立たされた時、今まで相手の役割だと思っていたことを自分がしなければならないのは、困難なことが多い。こういう時でも、男女の固定観念にあまり捉われていない人々は順応がより容易である。新たな家族形態によって、男女の役割は変わってきた。そうした現実に追いつくためには、行政面では保育所の充実は急務である。雇用の分野でも、企業内保育所や家族と共に過ごす時間を増やす制度の拡充が望まれる。今まであらゆる点で我々の社会は、変わり行く家族を受け入れる準備ができていなかった。社会の根底を揺さぶるような変化への対処の仕方などわからなかった。今や時代遅れの体制、政策をこれ以上続けても新たな家族形態、女性の生き方を受け入れるための何の解決にもならない。新しい家族生活の決まりを創り出そうとしている世代の能力を最大限に活用できるような社会政策を是非とも実現させなければならない。

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引用文献

[1] 坂西友秀「恋人たちがもつ現代的「家」意識」藤田達雄・土肥伊都子編『女と男のシャドウ・ワーク』29-30頁、ナカニシヤ出版、2000年。

[2] NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第5版]』38-41頁、NHKブックス、2000年。

[3] NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第5版]』213-214頁。

[4] 長沖暁子「家族の今をどう見るか」『三色旗655号』慶応義塾大学出版会、2002年10月。


最終章自分自身であること

2024年11月20日 10時00分10秒 | 卒業論文

「全ての人間の生活は、自己自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である。どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうとつとめている。ある人はもうろうと、ある人はより明るく。めいめいの力に応じて。誰でも皆、自分の誕生の残りかすを、原始状態の粘液と卵の殻を最後まで背負っている。ついに人間にならず、カエルやトカゲやアリに留まるものも少なくない。上のほうは人間で下のほうは魚であるようなものも少なくない。しかし、各人みな、人間に向かっての自然の一投である。われわれすべてのものの出所、すなわち母は共通である。われ輪われはみんな同じ深淵から出ているのだ。しかし、みんなその深みからの一つの試みとして、自己の目標に向かって努力している。われわれは互いに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない」。[1]「私」とは誰なのか。今どこに立ちどこに向かおうとしているのか。こうした自分への問いかけをしない人はいないはずだ。

 テレビの中で、女優が平凡なOLを演じている。彼女は何かに夢中になりたいと思っている。心から泣いたり怒ったり、思い切り情熱を傾けられる何かに出会いたい。けれど、何をしていいのかわからない。大都市のビルの屋上から、「わたしはここにいるんだぞ、バカヤロー」と叫ぶ。個として認められないOLの鬱屈した心情をよく現している場面ではないだろうか。

 「労働力」という点で女性の役割はいつも大きい。女性労働者の絶対数の増大と未婚者から既婚者への構成者の変化は大きな社会的インパクトを与えた。「労働」の視野を「人間と社会に不可欠な営み」にまで拡げれば女性の役割は、全労働者の四割を占めるという程度に留まらない。女性たちはどんな時代も働くことで社会を支えてきたのだ。にもかかわらず、女性が労働の場で男性と対等のパートナーと認識され始めたのはつい最近のことである。近年女性の役割の幅は大きく広がった。あえて子供を作らない生き方、婚前交渉、同棲、働きながらの子育てなど、その生き方の多様化は数え上げればきりがないほどだ。女性の価値観やライフスタイルの変化と共にパートナーたる男性も変わり始めた。しかし、男女平等はまだ達成されたわけではない。根強くはびこっている男女の役割へのこだわりは、いまだに男性、女性の双方を縛り付けている。この役割へのこだわりをすてないかぎり、家庭でも、職場でも、政治レベルでも、男女平等は実現しないだろう。大切なのは、男女双方ともに、人間として自分の持てる能力をできるだけ伸ばすことだ。この最後の章では、「個」として生きること、真に「あること」について考察してみたいと思う。

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引用文献

[1] ヘルマンヘッセ著、高橋健二訳『デミアン』6-7頁、新潮文庫、昭和26年。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑭組織の中で働くことの意味

2024年10月16日 08時22分12秒 | 卒業論文

 人は何のために働くのか。この問いにきちんと答えられる人がどれだけいるだろうか。私たちは働くという日常的実践的なる行為を通して自分の資質を生き生きと表現できているのだろうか。働くことがあまりにも当たり前になりすぎているために、私たちは自分へのこうした問いかけを忘れてしまっているのではないだろうか。現実に私たちは、職業人として働いている。職業は私たちの生活空間の中で大きな位置を占めている。私たちは人生の大部分を職業人として過ごす。現代社会では、自ら参加していくというよりも、それを当たり前のこととして職業生活に参加していく。そして、社会からの一定の期待に答える行動として職業生活を営む。職業活動には、すでに一定の規範と役割が存在しているのであり、それは、個人的裁量に基づいて行われるものではない。期待される役割がある。職業人として働く私たちは、一定の社会的役割を負っている。こうした職業活動は、私たちの幸福にとってどのような意味をもつのか。お金のために辛抱して働くというのではない、自らやっていることとしての働くということ、人間のこととしての働くということをここで改めて考えてみたい。この論文で働くことの意味を結論づけることはできない。学びの場、成長の場、自己確認の場であるという視点を考えてみるに留まる。

 まず、資本主義の中での労働ということについてあらためて考えてみると、私たちが所有する労働力は、商品とみなされ、私たちは匿名的な存在となりやすい。経済が人間のための手段ではなく目的になってしまっているのだ。市場経済システムは<経済的>人間が<本来的>な人間であり、したがって経済システムが<本来的>な社会であるという誤った結論を避けることをほとんど不可能にした。社会全体が経済主義的思考様式へ転換させられた。また、資本主義経済の市場において、労働は本来商品として生産されるものではないのに、土地・貨幣と並んで市場で自由に購入される商品に転化させられている。生活のために労働力を売るしかない人たちと、たえず利潤を求めて動く人たちとが存続するかぎり、市場経済は生き続こうとするし、市場経済が制約なしに一般化しているかぎり、その社会での人間生活を全面的に侵蝕しないではおかない。経済人類学者K・ポランニーは、人間が人間らしい相互関係を保ちながら生活するために、無軌道な剰余価値生産経済に対して警告した。今日我々が直面しているのは技術的には効率が落ちることになっても、生の充足を個人に取り戻させるというきわめて重大な任務である、と。働く人間が労働を、その目的の明確な、労働対象を正確に掌握した、仲間との連帯をしっかりしたものにするという希望が生まれてくる。技術の進歩による生産の限りない独走と利潤追求の猛烈な競争とを制御し、人間と自然との調和した交流を見失わぬ労働でありたい。[i] 生きた人間生活を取り戻すことが求められる。

 組織にとって匿名的な存在である個人の主観は問題ではない。T・ルックマンの次のような記述を引用したい。社会構造がいくつもの制度に分割されることによって、個人と社会秩序全体との関係は大きく変わった。“社会的存在”としての個人は、専門化した社会的役割の遂行にあたっては、匿名的な存在となる。したがって、その際には、一人の人間としての存在とか、その人間の個人史にかかわる意味の問題といったものは重要でないものとなる。・・・制度領域での行為の意味付けは、人間の個人史にかかわる意味づけの文脈とは遠く隔たっている。制度上での行為の意味づけを、主観的な意味体系に統合できなくとも、経済的政治的制度の機能を効果的に動かすうえでは支障ない。たしかに、社会的場面での行為者としては、個人は制度的規範の支配から免れることはできない。しかし、制度的規範の“意味付”は、個人のアイデンティティにはほとんど影響を与えない。またそれは、主観的な意味体系の中では、“局外者的”な立場しかとらないので、意識形成の面では個人は制度的規範からの影響をかなりの程度免れている。機能的合理的な制度に基づく専門的な役割の匿名性が増大するに従い、個人は取り換えの聞く存在となる。より的確にいえば、行為に際しての主観的で個人史にかかわる問題は、制度的領域の観点からは取るに足らない問題となる。[ii] このような労働の場においては、私たちは常に行き止まりの路地を歩いていることになる。両手を縛られ、目隠しされたまま日々働いていることになる。どのような職業についているかということは、人々を識別するための主要なてがかりとなるが、現実にサラリーマンが職業を言うとき、固有の意味の職業のかわりに属している会社その他の組織体を使う場合が多い。組織人であるということの中に自らを閉じ込めてしまっているのだ。組織の生活の中で個人はその運命を自分の手の中にもぎとらなければならない、とホワイトは述べている。組織人としてではなく「個」として私たちはあらねばならない。労働によって人間が非人間化されることを望む人はいないはずだ。労働を通じて私たちは己を社会的世界に関係づけるのだ。[iii]

 黒井千次は、僕にとっての企業とは、自分をも含めて現代において<生きる>とはいったいどういうことなのかをきわめて日常的な姿で学ぶ場であった。学ぶことは取材することによってではなく、企業の中の日常を生きることによって得られた。そこには様々な形で指摘される現代の諸矛盾が生々しく横たわり、あるいは未来を垣間見ることができるのではないかと思えるような緊迫した現象が傷口のように赤く口を開いていたりしていた。つまり、そこは「人間喜劇」の集中的表現の場のように思われた、と述べている。そこは一人の人間のささやかな、しかし彼にとっては全てである誕生から死滅までの軌跡をすくいあげるには不十分だが、現代における広大な空間を形成するものであったのだ。黒井は、企業組織に属することによってそれまでの自己確認の方法の非力を悟らせられたことを次のように記述している。黒井の自己確認への衝動は10代に始まった。10代の時には、目で見ることができ、手で触ることのできる、狭くはあっても確実な世界があった。しかし、学生時代を終えて自分で選択した企業の中に身を浸した時、ぼくは突然自己の姿が目の前から消えて行きそうになるのを感じた。完全に消え去ることはもちろんありえなかった。しかし、それまで幅も厚みもあり、重量も、水分さえも含んで感じられていた現実的な自己というものが、急にスクリーンの上に動く影にも似て平面的なものへと変貌してしまうことに気づいた。日向から闇の中にいきなり踏み込んだ時、そこにあるものの姿を認めることができないようなものだったのかもしれない。つまり、それまでぼくが持っていた自己確認の方法は、闇の中に動き出した自己を捉えるのにはあまりに弱いものだった。しかも、闇の中の錯綜する他との関係を通して、捉えようとする対象である自己自身が複雑に変化し始めている。以前とは違った環境の中で、以前とは異なった動きを示し始める自己を捉えるのに、自己の内部から自己を見るという単軸の構造は無力だった。動いていく自己を捉える主体である自己自身も当然動いていく。この中で自己を確認するためには、自己の外側に一つの客観軸を確立することが不可欠となった。このように企業に勤めることによって起こった自己確認の変化は、単なる一つのきっかけにすぎなかったかもしれない。しかし、現代社会の中に生きる以上、現代社会のゆがみと矛盾の集中的な表現の場であり、微やかな可能性の実験の場でもある、現代の企業という場所において改めて自己に向かい合ったことの意味は大きく重いものである。企業社会は常に現代社会そのものの凝縮体に他ならない。黒井は現実の社会機構の中に意識的な成員として組み込まれた中で始まった自己確認においては、自らも変化し続ける運動体であると述べる。そこに動こうとする自己へ対自的な接近は、いわば運動する自己への探索であり、運動を通しての自己確認であるといえる。自己を客観的な軸の座標により明らかに動くものとして把握する行為は、自己確認から自己実現へと僕を立ち向かわせるもののように思われる。なぜなら、ここにおける自己は運動体なのであり、それは一瞬、一瞬に位置を買え、その運動のエネルギーによって自らも変化し続ける存在だからである。運動体である自己には当然運動の法則があり、法則の中における運動方向の自由な選択があり、運動の結果に対する認識がある。つまり、動く自己を可能性として捉え、その極限にまで自己をおいつめてみたいという衝動が生まれる。自己を取り巻く生の枠組みが強固であり、そこに残されている自由の幅が狭ければ狭いほど、ぼくは自己のもつ自由の限界をさぐり、次にそれを突破する可能性を探さないわけには行かなくなる。それは自己確認から出発しつつも既にその枠を超えた可能性としての自己実現の衝動に他ならない。この可能性は現実性ではないわけだから、その衝動が実現する保証は常にはない。しかし、そのことは今ほとんど問題にならない。なぜなら、可能性は可能性として人間のうちに孕まれることが重要なのであり、そこにこめられる熱い願望の密度が問題なのであり、現実性への転化の打率によっておしはかられるものではないからである。人間の生の全体は、行為の結果の総計として捉えられるものではなく、行為の中に籠められた熱い思いによってもまた。測られねばならぬものだろう。[iv] 黒井の記述を長く引用したが、様々な葛藤を経験する日常的な労働の場は私たちにとって変化し続ける自己の確認の場であるということが言えるだろう。社会的世界の中で他者との対応を通じてこそ、私たちの自己確認は可能となる。自己の位置確認と存在証明は、他者たちとのコミュニケーションと社会的世界への参加を通して行われる。何が厄介といって、人間関係ほどむずかしいものはない。逃れようにも、こればっかりはどこまでも付いて回る。私たちは、この煩わしさを引き受けなくてはならない。[v] 組織に入れば、すでにそこには人間関係がセッティングされていて、その中に自分が入っていかなければならないのだ。好きも嫌いも言ってはいられない。相手がどんな人であろうと、否応なしに、その人たちは同僚となり先輩となり上司となる。自分が間違っていなくても謝らなくてはいけないこともあるし、愛想笑いをしなければならない時もある。理不尽だと思いながら、時として、こういうことも受け入れなければならない。彼ら彼女たちは、他人と接するときは自分の感情をコントロールしなければならないと思い込んでいる。でも、それが苦手でしょっちゅう失敗する。そんな自分は社会に適合しない、ダメな人間だと考え、悩んでいるのだ。彼ら彼女たちにとっての毎日は、壊れたイスに無理やり座らされているように居心地が悪く、背骨が痛くなる日々なのだ。[vi] そうした中で私たちは自己に向き合う。自己は日々変化する運動体なのだ。

 やむことのない自己確認への衝動に駆り立てられた黒井は、「サラリーマン」という言葉によって一群の人間を捉えることは間違っていると述べる。黒井が述べるところによれば、一人の人間の生活の全体、または主要な部分を取り出してそれに名を与える時、この呼び名は衰弱した印象しか与えない。「サラリーマン」という表現は職業を表わすものではなく、給与生活者という経済的な生活形態を表現するものである。しかしこの言葉が使われ、それによって名指される一群の人々の問題が論じられる場合、そこには抜きがたい「サラリーマン」のイメージが定着している。「サラリーマン」というとき「哀歓」とか「悲哀」とか言う言葉が連想される。このような貧血的なイメージしか沸いてこないのは、「サラリーマン」という言葉には、結果についての表現しかないからだ、と黒井は述べる。つまり、ある人間が給料を支払われるのは、それが労働の結果だからであるのに、この原因の部分が脱落してしまっている。「サラリーマン」からは何の労働のイメージも生まれてこない。そこには消費のイメージはあっても生産のイメージは拒まれている。うずくまる悩みの湿気を感じることはあっても、ダイナミックな苦しみや怒りの熱を見出すことは困難である。このようなことは、「サラリーマン」の実生活において「労働」が意識面から追放されている、または追放することが熱望されていることによって起こる。自分のことが自分で決められない一つの機構の中に埋め込まれた、いつでも取り換えのきく一片の歯車のようだという捉え方は「サラリーマン」の敗北性に関係がある。企業体の目的を遂行するために機構はあるわけだし組織は生み出されるのだから、組織の中で生きる人々の問題を生身の人間の側から考えていくためには、組織が作り出された目的そのものと人間との関係を明らかにしなければならない。組織の原点と人間の原点、この両点の衝突の場に「労働」はある。そして「サラリーマン」という言葉の中からは不思議にこの「労働」の部分だけがするりと抜け落ちている。ここに「サラリーマン」という言葉の欺瞞性がある。自分を「サラリーマン」であると認めたとき、あるいは「サラリーマン」と他人によばれることを自らに許したとき、彼は自分で自分を騙したことになる。なぜなら、そのとき彼は自分の「労働」から逃げ出して、無責任にも自分を曖昧模糊とした「サラリーマン」という名の影に売り渡したことになるのだから。彼がどのように巧妙に自己を欺いたとしても、朝になれば彼は職場に出かけていくのだし、二日酔いであろうが寝不足であろうが出勤すればそこに厳としてかれの労働が彼を待ち構えているのだから。[vii] 

 以上のような黒井のサラリーマンについての記述は「被差別者の自由」を享受するOLにも当てはめて考えることができるのではないだろうか。ここで、この論文の視点であるOLに立ち返りたいと思う。OLという言葉には、すでに繰り返し記してきたようなイメージがあり、そこには、生きがいに結びつくような労働は抜け落ちている。仕事はお金を得るための手段と割り切って働き、私生活での充実を求める。OLにとって労働は、収入を得るためにやむを得ず引き受けるものであり、常に厭わしいものである。このような生き方では、「職業に生きる」ことはできない。私たちが到達し得る生きがい、確保し得る幸福は職業生活の外側だけにあり、したがってそれはハーフハピネスでしかない、と尾高邦雄は述べている。[viii]では、私たちが日々苦痛と感じ抜け出したいと願っているのは労働そのものなのか。否、私たちが脱出を願っているのは、現在の労働または現在の労働のシステムなのではないだろうか。OLにとって、人間と労働との真の出会いであり、労働という行為がその中に本質的に持っている創造機能が瞬間的であれ活動する、[ix]という場面は極めて稀である。さらに労働からは目的が奪われている。自分の仕事の結果がどのような意味をもつのかを私たちは知ることができない。組織の中で部分的な労働にしか携わっていないので、全体像が見えてこない。全体が見えなければ部分を正当に把握することもまた不可能になる。企業活動における各機能の把握とは、いわば抽象的な視点を企業内に据えたものであるのに対し、労働を見つめる視点はむしろ具体的な個人の中に根ざしている。労働の主体である個人の中にありながら、その視線は個人を超えて直接的に生産者と消費者を結びつけてしまう。その視線の中に初めて僕らの労働の全体像は浮かび上がる筈なのに、この目を労働の細分化の中で私たちは奪われているのだ。[x] 

 では、労働の中に働きがいを見出せないことを私たちはどれだけ深刻に自らの問題として意識しているだろうか。巨大な管理組織の中で自分自身を探し出すことはほとんど絶望的な作業ではあるが、別の方向から光をあててみるならば、いわば管理社会の小典型である企業組織の中でこそ、人間はどのように生きることを望むものであり、どこにその手がかりを得ることができるかが先駆的に問われているのであり、その答えを求められている。決して生きよくはない組織の網の目の中で人間として直立するためには、先ず自らの労働に目を向け、そこに自己の原点を探り直し、その地点に突破口を見出す以外にないのではないだろか。そのためには意識面で労働から逃げ出すことを自分に拒絶することから全ては出発する。[xi] フロムに沿っていえば、私たちには本来「ありたい」という欲求がある。私の中心は私の中にある。私のある能力と自らの本質的な力を表現する能力とは、私の性格構造の一部であって、それを左右するのは私である。持つことは何か使えば減るものに基づいているが、あることは実践によって成長する。理性の、愛の、芸術的、知的創造の力、全ての本質的な力は表現される過程において成長する。[xii]

 OLの仕事は見たところ、受動的である。しかし、自らの労働に目を向け、組織の中にあって「個」を失わない、具体的には、仕事を通して自己の内面を律することのできる「職業意識」を求めている状態は、フロムが言うところの、行動としての主体を経験しない「疎外された能動性」の状態ではないと考えたい。職業意識だけが、管理組織そのものに内側から対決していくことができる。会社とはいくつかの職業が一つの目的に向けて組織された場所に過ぎないが、職業とは産業社会において人間の自立を保障する根源的な支えである。[xiii]OLに大切なのは、職業人としての自立意識ではないだろうか。キャリアは単に仕事・経歴をさすものではなく「生涯に経験する全ての職業、行動、考え方、姿勢」まで含む、自己実現、人生そのものをいう。[xiv]キャリアを充実させるためには、自ら良き指導者との出会いを求めて主体的に動いていくことの重要なことを松永真理は述べている。岐路に立ったとき正しい判断ができる助言を得られるメンターとの出会いは、誰にもある才能を生かすきっかけを生む。日本型雇用慣行の中で多く見られた男性管理職者は、自分の体験した枠組みでしかものをとらえられない、自分たちとは違う価値観や違うやり方を理解しようとしない。彼らは女性や若手にとって指導者ではなく、監視者である。松永は、勤勉の先が見えなくなってきている今の日本企業に、仕事を指示するだけの上司ではない、個人の力の結集を組織の力につなげてあげる良き指導者、メンターの存在が働く者にとって重要であることを強調する。これまでの組織長は、がんばれば課長にする給料をあげると言っていればよかった。つまり、出世のメカニズムにのっとって、ニンジンを鼻先にかかげていればよかったのである。ところが、今やポストはない。原資も少ない。そうなると、誰がいったい組織長についていくというのだろうか。これまでなら、人間として尊敬できなくてもニンジンさえあれば、人はついてきてくれたものだ。だが、もうそれは期待できない。だとしたら、人は何のために働くのだろうか。松永はこう述べている。出世だけでもない。お金だけでもないとしたら、それは、自分の能力が開発される喜びを得たいためである。これまで、日本人は自分を犠牲にしても組織のために働き続けてきた。そうするだけのメリットを手にできたからである。しかし、日本企業の中で、出世のヒエラルキーは崩れつつある。組織の中で働く者は、監視者ではなくコーチングできる人、つまりメンターの存在なくしては働く意味がなくなってきている。[xv] 組織には必ず目標があり、それに向かって私たちは仕事を行っている。しかし、組織の目標が個人の目標や生きがいになっているとは限らない。むしろそのギャップはどんどん広がっていると思われる。個人の目標の見えにくい時代になった今、私たちは共通の組織目標を大切にしながらも自分で自分の目標を創り出す力が求められている。[xvi]

『日本株式会社の女たち』に、大手電機メーカーの関連コンピューターソフト会社で業務部次長をつとめる41歳の女性が紹介されている。彼女を特徴づけているのは、自分のやりたい仕事の実現に必要な条件を、自力で調達しようとする自分へのひたむきな忠実さである。彼女の励みは、米国で著名なコンピューター研究者と意見交換したときの彼の言葉だ。「あなたを引き上げるものは、従来の会社員のように会社への忠誠心ではなく、仲間からの賞賛でもない。ただ、あなたが心からやりたいと願う仕事だけがあなたを引き上げてくれる」。[xvii] 私たちは、生きるに値する人生、より大きな幸福と、私生活と仕事での発展と成功のために、自分のキャリア形成のために働くのだ。それこそ、「疎外されない能動性」の状態、「あること」であると言えよう。最後にアランの『幸福論』から引用したい。どんな職業でも、自分が支配しているかぎりは愉快であり、自分が服従しているかぎりは不愉快だ。人間はもらった楽しみに退屈し、自分で獲得した楽しみのほうをはるかに好むものなのだ。しかもなによりも行動し獲得することを好む。[1]

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引用文献

[1] アラン著、串田孫一・中村雄二郎訳『幸福論』141-142頁、白水社、1990年。

[i]清水正徳『働くことの意味』171-186頁、岩波新書、1982年。

[ii]片桐雅隆「労働・余暇・私化」山岸健・江原由美子編『現象学的社会学・意味へのまなざし』279-282頁、三和書房、1985年。

T・ルックマン著赤沼憲昭他訳『見えない宗教』ヨルダン社、142-143頁、1976年より引用。

[iii] 山岸健『日常生活の社会学』75頁、NHKブックス、1978年。

[iv] 黒井千次『仮構と日常』22-33頁、河出書房新社、1971年。

[v] 松永真理『なぜ仕事するの?』51-52頁、角川文庫、2001年(原著は1994年刊)。

[vi] 『コスモポリタン2001年11月号』31-32頁、集英社。

[vii] 黒井、前掲書、159-164頁。

[viii] 尾高邦雄『職業の倫理』67-68頁、中央公論社、昭和45年。

[ix] 黒井、前掲書、165頁。

[x] 黒井、前掲書、167-168頁。

[xi] 黒井、前掲書、172頁。

[xii] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』154頁、紀伊国屋書店、1977年。

[xiii] 黒井、前掲書、178頁。

[xiv] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クエストで成功をつかもう』8頁、光文社、2001年。

[xv] 松永真理、前掲書、171-172頁。

[xvi] 全国大学・短期大学実務教育協会編『オフィス・スタディーズ』142頁、紀伊国屋書店、1994年。

[xvii] 竹信三恵子『日本株式会社の女たち』139頁、朝日新聞社、1994年。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑬余暇と労働-労働の場としての組織と「社会的世界」との関連から

2024年10月10日 01時36分41秒 | 卒業論文

 黒井千次は、労働の中に生きがいを見出すことができなければ私生活へと関心を向けるのは、病床の寝返りに過ぎない、と述べているが、余暇と労働の問題を考えるときの一つの視点として、余暇を媒介として成立する意味的世界も「社会的世界」の一つと考える私化論の立場をここで紹介しておきたい。山岸健は、日常生活を他者への関係づけ、他者への関与を通じて構築される社会的世界という局面でとらえた。[1] 私たちの生活の舞台である日常的世界は、私たちに共通に与えられた時間的空間的世界、「社会的世界」なのである。時間的に、また空間的に、様々なスタイルで存在する人々によって秩序づけられる「社会的世界」において見られる諸活動が日常生活といえるのであった。[2] こうした「社会的世界」を労働の場としての組織との関連で捉えるとどうなるだろう。現代社会において人間の絆が極めて多様化した側面を持ち始めている、と指摘する私化論の立場に立つ片桐雅隆の記述に沿ってみていきたい。

 私化論の立場から見た現代社会における人々を結びつける絆は、伝統的な家、組織、地域などによってすでに与えられた規範に基づいて形成される境界のはっきりし、誰もが自明としうるものではなく、一人一人の人間が自らの意味付与によって築き上げていくもののように思われる。そのような絆によってまとめ上げられる人々の集まりを説明する概念としてD・R・ウンル-の「社会的世界」という考え方をまとめれば、成員資格とか地域的限定など、形式的に決めることのできる境界によってくくられた人間のまとまりではなく、人々が共属していると「内的に理解」し合うことによって成り立つまとまりが「社会的世界」なのである。それには様々なものが含まれる。一人一人の人間が互いの存在を確かめながら作り上げる付き合いの世界、趣味やスポーツなどを媒介とした集団、ファンクラブ、あるいはより抽象的なまとまりとしての思想や学問の共有を媒介として形成される人々のまとまりなどが「社会的世界」の例である。人々が自らの「社会的世界」に参加することは、人々がそのことに意味付けの根拠を見出しているからであり、彼らの日常生活の営みにとって重要だからである。そして、この「社会的世界」を考える上で不可欠なことは、この世界がそれへの人々の関わりにおいて初めて成立するということである。もちろんその関わり方は多様であるが、「社会的世界」への安定した参加者は、その世界の形成と維持に深く関わり、その世界に自らのレリヴァンス[3]を見出し、また供給されるのである。このように、「社会的世界」とは、規模の大小、人々の関わり方の程度、境界の規定など様々であり、それ故に曖昧に定義されたものであるかもしれない。しかし、現代人の行動をくくるものが、すでに与えられた目に見える境界をもった在来の組織や地域などにのみ求めることが難しいとされる今日、それらの枠を超えて成立する人間のまとまりの概念として「社会的世界」という考え方は示唆的である。

 ここで、労働の場としての組織を「社会的世界」との関連で捉えてみる。組織は、成員の資格、境界などのはっきりした人々の集まりである。そして、そこでは、特定の目標、役割・地位に基づいた行動が見られると考えられている。そのこと自体に誤りはない。しかし、私化論の指摘に従えば、生活領域の多様化の指摘される現代において、特定の組織の成員たちはその組織とは相対的に独立したそれぞれの「社会的世界」をもっている。組織とは、多様な「社会的世界」を持った人々の集まりであり、それらの人々の目的や関心の競合する場なのである。そして、組織を様々な「社会的世界」の競合の場として考えた時、初めて労働と余暇の関連を捉える視点にたどり着く。現代社会において余暇は、あくまでも労働との関連において語られる。余暇の発生と労働とは不可分な関係なのである。産業革命以後の原生的労働関係における労働と余暇の関係は、長時間労働を強いられ、時間としての余暇は極めて少なかった。次に余暇を労働政策のひとつとして捉える時期がある。労働への補完的機能としての余暇の位置づけは現代でも多く偏在していると思われるが、現代ではさらに、余暇は労働とは相対的に独立した一領域になりつつある。仕事=労苦、遊び=安楽というような二分した捉え方が一般的になっていることがそれを示している。

 私化論において重要なのは、労働と余暇の関係を単に客観的な時間や空間の問題としてではなく、あくまでそれぞれの領域に人々がどのような意味付けをしているかという点から出発して扱おうとしたところにある。このような考え方は、「社会的世界」という考え方と多くの共通性を持っている。「社会的世界」のまとまりは、組織や地域などの目に見える境界によって区切られるのではなく、あくまで人々がそこに共通の意味づけを見出す限りで成立するまとまりである。余暇を媒介として成立する意味的世界を「社会的世界」の一つとして考えるならば、私化論の捉えようとした現実と「社会的世界」論のそれとは共通するものである。私化した社会を前提として初めて「社会的世界」についての考え方が成立したと言えるかもしれない。[4]

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引用文献

[1] 山岸健『日常生活の社会学』10-11頁、日本放送出版協会、1978年。

[2] 山岸、前掲書、98頁。

[3] レリヴァンス;有意性などと訳される。多義的であるが、個人や集団が自分たちにとって有意味な生活領域を特徴づけるときの評価や判断の基準となるもの。レリヴァンス体系が交差したり共有されるとき、人々の相互理解が可能になるといわれる。(有斐閣『社会学小辞典[新版]』

[4] 片桐雅隆「労働・余暇・私化」山岸健・江原由美子編『現象学的社会学・意味へのまなざし』289-292頁、三和書房、1985年。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑫公的生活と私的生活のバランス (余暇と労働)

2024年10月08日 01時31分42秒 | 卒業論文

 日常生活の秩序ある営みは、役割の分担、役割のコントロールによって可能となることは明らかだ。様々な役割をどのように調整しながら、己自身をどのように他者にかかわらせてゆくのか、しかもバランスをとってどのようにしてあくまでも自分自身であり続けるのか、ということが問題となる。公的生活と私的生活との調整は、今日きわめて大きな問題となっているといえるだろう。[1] 仕事=労苦の対極にあるものとして余暇は位置づけられる。労働それ自体にも、また企業への帰属によっても、労働の「意味」が見出せないならば、労働はあくまでも手段とし、個性や創造性といった「自己実現」は、他の領域に求めるほかない、といった考え方に私たちは導かれる。労働の喜びであり本質であったものが労働以外のものに求められるようになったのである。現代の高度産業社会では労働と家族や余暇の生活は、場としても、あるいは時間の区切りとしても明確に二分されてきただけでなく、双方の間に質的な違いが生じてきた。公的領域としての国家や労働の領域は、様々な規則や価値によって構造化されているが、一方、それらの領域の巨大化、細分化によって、人々はそれらの領域を通したアイデンティティの確保が困難となってきている。そして、一方、私的領域は、構造化された公的領域から相対的に独立し、その組立てはかなりの程度、個人の裁量に委ねられるようになってきた。そのために、人々は公的領域ではなく、私的領域に人生の意味や自己のアイデンティティを求める傾向になるのである。[2] このように、現代の生活では、公的生活と私的生活に見られる生活態度の両極化、つまり、社会的諸領域の二元性が顕著であり、[3]両者は分断されている。

 ここで言う労働とは、雇用労働を意味し、余暇とは睡眠や食事などの生理的な活動のために必要な時間と、労働や家事などのために必要な時間を除いた時間と一般には定義されているが、ここでもその原則にしたがって考える。

 仕事と余暇のバランスについて、『現代日本人の意識構造[第五版]』によれば、近年の傾向として、男女共に仕事中心の生活から余暇を取り入れた生活へと理想を変化させている。このような考え方の変化は国民一人ひとりが変わったためではなく、余暇と仕事の関係についての考え方は、基本的には生まれ育った時代によって決まっている。男性について生まれた年を基準にした統計によれば、余暇も時には楽しむが、仕事のほうに力を注ぐという仕事優先と、仕事に生きがいを求めて全力を傾けるという仕事絶対の「仕事志向」タイプは、若い世代で少なく年をとった世代の方が多いが、25年前と比べるとその高年世代でも時代の影響を受け減少している。一方、「仕事・余暇両立」は、戦後に生まれた世代では四割以上に達し、それより上の世代では徐々に少なくなっている。このように男性に見られる「仕事志向」の減少と「仕事・余暇両立」の増加は、これまで仕事一筋の生き方がモデルであった男性が、仕事だけではなく余暇も含めて人生を楽しむことへと気持ちが動いていることを示している。戦後の日本はアメリカやヨーロッパに追いつけ追い越せと働き、現在の日本は物質的に豊かになり、衣食住に満足という人は25年前の59%から74%に達した。高度経済成長期を経て、今は豊かな生活を築くことよりも、「その日その日を自由に楽しく過ごす」ことや「和やかな毎日を送る」ことが生活の中で大切だと思われている。経済的にさらなる発展を求めるよりも、今の豊かさは維持しつつ人生を楽しみたいという意識が人々の中に芽生えている。このような生活目標の変化が「仕事と余暇」の意識に絡み合い、余暇を肯定的に評価する動きとなっている。余暇の過ごし方についても、明日の仕事のために体を休めるという消極的な過ごし方ではなく、男性のすべての年齢層で「好きなことをして過ごす」ことが「休息」を上回っている。「自分の自由になる時間をもちたい」という気持ちのあらわれは、右上りの成長が望めない現在の日本において、これ以上の経済的なゆとりを手に入れることが困難であることを人々が感じ取り、生活に求めるものが従来とは異なるものへと変わってきているといえるだろう。[4]「勤労・勤勉の精神」が効率を追い求め、余暇の時間をも、濃密な時間、意味のある時間、充実した時間を体験しなければ、と義務のように私たちに思わせることは先述したが、『日経ウーマン2003年2月号』には、「あなたを幸せにするスローライフ宣言」と題して、効率、スピードの象徴としての食べ物「ファストフード」に対する言葉として話題になった「スローフード」、ここから転じて生まれた「スローライフ」という発想を提案している。「スローライフ」は何も、「特別な生き方」ではありません。自分のペースで無理なく生活するスタイルなのです。あなたなりの「スローライフ」を送ることで心に余裕が生まれ、心身のバランスがよくなる。“自分流”の生き方を見つけ、実践することで、仕事もプライベートもうまくまわり始めます。[5] こうした新たな発想は、今日の余暇には労働からの免除という意味もあるが、さらに労働との関連ばかりでなく、余暇独自の意味づけが生まれてきていると考えられる。

 だが、サラリーマンのほとんどが余暇の量と質の充実を望みながら、現実には働き中毒を余儀なくされている。『週間SPA2003年9月30日号』から1日13-14時間労働のサラリーマンの激務の例を紹介したい。「毎日朝4時にタクシーで帰宅。土日出勤も、3ヶ月間休みがゼロなんてことも当たり前。当社の場合『定時帰り』とは『終電に乗れた』ことを指すくらいですから」と言うのは、28歳ビジネスコンサルタント。とにかく短期間で結果を出すことを要求されるため、必然的に仕事量は多くなる。それでも朝は9時に定時出社である。月に150時間残業しながら5時間分の残業代しかつけられないというOAメーカーの男性(35歳)はそれでも「仕事だから仕方ない」と割り切る。「仕事は“その時”で評価が決まるので時期を逸すると“駄目”の烙印をおされてしまう。その烙印を払拭する手間を考えれば自分のプライベートな時間を惜しんではいられない」のだ。[6] 『日本人の生活時間2000』によれば、平成不況は企業が大規模なリストラにより経営の合理化を図って乗り切ろうとしているので、有職者一人当たりの仕事時間が1995年と2000年との比較で増加している。不況による仕事の総量の減少を上回って働く人が減らされたため、残された人に長時間労働というしわ寄せが来ているのである。[7] 

 

 公的生活と私的生活を考えるときに、公的領域においては匿名的な存在になる昼間の職業人としての私たちは、いわば機械の中で作られてしまった仮の人間であり、私的領域にある夜の時間が本当の人間なのだ、という考え方が一般的にある。しかし、一人の人間を考える時、その人の意志と立場とその両者が統一された総体(あるいは分裂しているならば分裂したままの全体)こそが、その人の本当の<人間>に違いない、と黒井千次は述べている。これは大げさに言えば、例えば同じ寝巻で眠るにしても、普通の人と警察官とでは眠り方が違うのだということになるかもしれない。一人の人間の内容は昼間の機能面だけでなりなっているわけではないが、昼間の職業人として求められている役割を果たす動く人間の現状を捉えるところから出発しなければ、あまりに茫漠とし、あまりに流動する現代の人間を捉えることはきわめて困難なことになる。しかし、昼間の人間は人間のトータルではない。問題は昼間と夜のどちらに視点を置くかであり、黒井は昼間の職業人としての人間を重視する。昼間を貫いて夜に至る視線をもって、闇の中にうごめくものの形をおぼろおぼろにでもつかみたい、と考えたのだ。[8] 昼間の公的な領域にある人間も夜の私的な時間を過ごす人間もどちらも固有の人格をもつ全体的人間として存在する。毎日の生活において、いわば集団人として生活している私たちには、役割演技者であるpersonとしての生活に集団人の一面がみられるが、私たち自身は一面的断片的な役割演技者としてだけ存在するのではないのだ。あくまでも、現実には固有の人格、全体的人間として存在しているのだ。けれども日常生活のさまざまな場面においては、私たちは、ある役割を演ずる-personとして、他者の前に現れる。かけがえのない一人の人間は、そうした役割の背景に隠れてしまっているのだろうか。あるいは人間の姿は見られても、人格は見失われてしまっているのだろか。[9] 山岸健によって役割演技者と言う視点が示された。黒井がこだわる昼間の私たちは、組織の拘束を受けながら、組織人としての役割を果たさなければならない。私たち人間は様々な役割を果たしながらそこに意味と価値を創り出していくのだ。[10] 私たちは実に多くの集団に属している。集団人として生活している私たちにとって、どのような集団にどのような状態で所属しているかということは、日常生活の基本的な問題事項である。どの所属集団をとってみても、私たちの全生活を包括するものはない。私たちは、おのおのの集団で果たさなければならない「役割」に必要なかぎりにおいて、その集団に参与し、それに応ずる物質的・精神的報酬を受け取っているに過ぎないのである。だから生活の全関心を充足しようとすれば、多くの集団に「分属」し、空間的にも時間的にも、それらの集団を渡り歩かなければならない。どの集団にも埋没しない「複数の所属集団」が現代人の運命となる。[11] 断片的に様々な集団に属し役割を果たす現代の私たちを全体的人間として捉えることは容易なことではないと思われる。

 

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引用文献

[1] 山岸健、『日常生活の社会学』12-13頁、日本放送出版協会、1978年。

[2] 片桐雅隆「労働・余暇・私化」山岸健・江原由美子編『現象学的社会学・意味へのまなざし』279-282頁、三和書房、1985年。

[3] 山岸健、前掲書、107頁。

[4] NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第五版]』151-158頁、NHKブックス、2001年。

[5] 『日経ウーマン2003年2月号』22頁、日経ホーム出版社。

[6] 「仕事だから仕方ないはどこまで仕方ないのか?」『週刊SPA2003年9月30日号』38-44頁、扶桑社。

[7] NHK放送文化研究所編『日本人の生活時間・2000』50頁、NHK出版、2002年。

[8] 黒井千次『仮構と日常』17-20頁、河出書房新社、1971年。

[9] 山岸、前掲書、12頁。

[10] ボーヴォワール著、『第2の性を原文で読み直す会』訳、『第二の性・Ⅰ』48頁、新潮文庫、2001年。

[11] 日本社会学会編集委員会編『現代社会学入門[第2版]』26-27頁、有斐閣、1980年。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑪モラトリアム

2024年10月02日 08時07分27秒 | 卒業論文

 若年層ほど企業定着率が低いことを「あること」との関連で考えてみたい。先に「前のめりの時間意識」で、青い鳥幻想について記した。この幻想が、現代では「自分らしさ」「本当の自分」、あるいは「個性的なライフスタイル」などといった標語となって、華やかなコマーシャリズムの世界から私たちの不安な心に語りかけている。こうした標語に惑わされ、「自分探し」へと駆り立てられるのはOLばかりではない。第五章で、20代後半の女性の転職率の高さに注目したが、若年層ほど継続就業率が低いことは男性にも顕著な現象である。『平成9年就業構造基本調査の解説』の年齢階級別の転職率をみると、男女ともにおおむね年齢層が低いほど転職率が高くなっており、特に25歳未満の男女では10%を超えている。1992(平成4)年と比べると、男女ともに多くの年齢層で低下しているが、「15~19歳」では男性1.8ポイント、女性1.7ポイント上昇している。(表6-1、図6-1) 転職率を男女別に見ると、男性3.8%、女性5.3%となっている。また、転職者について転職理由別の構成比をみると、男女ともに「労働条件が悪かったから」(ともに17.9%)が最も高く、次いで、男性は「収入が少なかったから」(13.0%)、「自分に向かない仕事だったから」( 12.7%)、また、女性は「自分に向かない仕事だったから」(11.8%)、「収入が少なかったから」(11.5%)などとなっている。[1] 

 「フリーター」と呼ばれる若者は、年々増える一方で、文部省の学校基本調査によれば、1999年春の4年制大学卒業者のうち、就職も大学院進学もしなかった人は過去最高の10万6,000人で、全体の19.9%を占めた。就職難の影響だけでなく、企業に縛られずに自分の都合に合わせて仕事ができ、また気軽に仕事を変えられるところに魅力があると思われる。[2] 大学院に進学する若者も増えている。2000年に博士課程に在籍していた学生は62,388人。1991年の29,911人に比べ、2倍以上の伸びだ。修士課程の学生も同様に大きく増えている。こうした背景には、文部省の専門知識を持った人材の養成という答申によるところが大きい。だが、今の日本にそうした人材を求めるのは難しい。戦後の豊かさの中で育った若者は、厳しい受験戦争を経て大学に入る。彼らにとって大学とは、学ぶ場所ではなくリラックスするところだ。「3、4年前から何もすることがないから大学院に来たという学生が増えている」と、関西のある国立大学大学院の教授は言う。「私は彼らを『豊かな失業者』と呼んでいる。彼らにとって大学院は『自分探し』の場所のようだ。[3] 雇用情勢が厳しいにもかかわらず、やっと入った会社を3年以内で辞めていく若者も多い。『週刊東洋経済』の2001年3月3日号の記事によれば、「七・五・三」と言われる。就職しても、中卒で7割、高卒で5割、大卒で3割が会社を辞める。若者の大離職時代がやってきた。特に最後の「三」、大卒離職者の増加が目立つ。2000(平成12)年版労働白書によると、四年制大学を卒業し、厳しい戦線を潜り抜けて就職した若者の33.6%が、三年以内に辞めていく。「MBAを取りたいから」といった目的を持って去る者。「やりたいことができない」「つまらない」「人間関係が面倒」そういい残し、なんとなく辞めていく者。“一生一社”の時代はとっくに終わった。大企業がつぶれ、親がリストラされる現実も見ているだろう。少子化で親の援助を受けやすくなっていることも一因するかもしれない。それに、彼らは「自分らしさ」を大事にしている。組織の論理で動く会社という場所に失望するのもわからなくはない。[4] 彼らは、きちんとした職業教育も受けないまま、「就社」したために、画一化された会社人間になっていくことに抵抗し、組織の中でやりたいことを見つけられないまま、早々に見切りをつけてしまったのではないだろうか。日本企業では採用時に企業の説明を十分に行わない。なぜ入社3年はこの仕事なのか。それが将来のキャリアにどうつながるのか。マイナス情報も含めての提示がないのである。日本的経営システムの下では、転職するときに初めてキャリアとしての「就職」のスタートラインに立つのかもしれない。近年、女性に重く偏っていた非正社員化の傾向は、男性にも及んでいる。最近、派遣社員となって働く男性が増えてきた。リストラの荒波を受けた中高年者が、派遣会社の門をたたくケースもあるが、独立や資格取得までの間、当座の収入を得る手段など、主体的にこのコースを選択する場合もある。派遣労働は、今まで女性に与えられたフレキシブルな労働の一つのパターンと考えられてきたが、このコースに男性も参加し始めている。こうした傾向は定年にはほど遠い20-30歳代の男性にも広がっている。派遣労働は男性にとっても働き方や生き方の選択肢の一つになりつつある。[5]『週刊SPA2002年5月14日号』には、20-30歳代の4人の派遣社員の男性が紹介されている。雇用条件、収入面で「正社員」と差が就く彼ら「派遣社員」の拠りどころは、社員として働いても派遣で働いても、営業である限りやる仕事は同じ、マイナス面はわかりにくい。(28歳) プロとして派遣されているという意識もあるし、派遣先もそう見てくれている。(30歳) 会社にしがみついていかなきゃいけない年配の人を見ると派遣のほうが身軽(26歳) 派遣といっても、会社を盛り上げるために業務に携わっている。周囲の扱い方が問題。(34歳) 彼らには安定という幻想がなくプロフェッショナルとしての意識も高い。彼らの表情は朗らかだ。[6]

 こうした企業定着率が低い若年層をどう捉えるか。フリーターという言葉は、10数年前、『フロムエー』の編集長道下裕史によって作られた。その時の定義は、「いつまでも夢を持ち続け、社会を遊泳する究極の仕事人」だった。一つの会社に縛られることなく、限られた人生の中でいろいろなことを経験したい、本当に自分がやりたいことを探す時間がほしいという彼らには、日本型企業社会に通念だった働き方は通用しない。「フリーター」という呼称は、雇用形態だけではなく、彼らのライフスタイルも表す。リクルートフロムエーの『フリーター白書2000』はフリーター人口を344万人と試算している。(この数字には派遣社員も含まれる)フリーターになってからの平均月収は11万円で、61%が親と同居している。フリーターの多くは親と同居しているから収入が低くても暮らしていける。親から反対されても現実の生活を考えれば親元にいることのメリットは捨てがたい。このリポートによれば、フリーターのほとんどの者は、今後ずっとフリーターを続けていくとは考えていない。多くの者がフリーターである時期は過渡期であると認識していて、将来は何らかの定職に就くことを考えている。フリーターには、定職に就くとしたら「本当に自分がやりたい仕事をしていきたい」という、やりたいことへのこだわり意識が強くある。今はまだやりたいことの方向が見出せない者にとっては、それをみつけるためにも時間が必要である。またやりたい仕事が見えている者でも、すぐにはやりたい仕事に就くことができないために、準備を重ねる時間を確保するためにフリーターの道を選択したという者もいる。いずれにしても、フリーターにとっては、やりたいことに向かうためには自分の時間が大切である。フリーター達の多くにとっては、将来は自分がやりたい仕事をしていくのが望みであり、そのために今のところは安定した収入や生活のためにやりたくない仕事に就いて貴重な自分の時間を割いていくという“妥協”をしようとは思わない。“現在”フリーターでいることは、自分の時間が確保できるという点で、定職に就くよりもメリットがあるといえる。しかしいつまでもフリーターをしていても、“将来”はフリーターであることのデメリットの方が大きくなるだろうと漠然と感じている。フリーターには、将来は手に職を持って自分の力を頼りに仕事をしていきたいという志向が強い。就社よりも職業選択を第一と考えるのだ。フリーターの大半が将来は自分のやりたいと思った仕事ができて、人並みの生活ができればよいというところに落ち着く。人並みの生活ができるという点は彼らのイメージの中でも重要であり、家族がいて、住まいがちゃんとあって、車は持って、ある程度の物質的欲求は満たされる生活が望みである。

 第五章の「パラサイト・シングルの労働観」では、山田昌弘に沿って、基本的な生活コストを負担することなく親に依存しながら生活する「いいとこ取り」のパラサイト・シングルだから、「仕事を通して自分を生かす」ことを求めることができることを記した。フリーター暮らしは「生活費の心配をしないぜいたく」なのだ。フリーターでも個の確立が条件になる。かりに「こうなりたい」という目的意識があったとしても、親のスネをかじっているようでは、ただの甘えに過ぎない。[7] その日暮らしの刹那的な生き方をしているフリーターは甘やかされた「パラサイト・シングル」と映る。山田は、パラサイト・シングルは日本経済を食いつぶし、日本社会の活力をそいでいる、と考えている。そんな若者は親から引き離し、自立して生活させるべきだ、というのが山田の持論だ。この主張に共感する大人は少なくない。ここでは、こうした主張とは異なって、「目的意識」をもちながらフリーターを続ける若者を、モラトリアム期にある者として捉えてみたいと思う。彼らには、黒井千次が述べるところの、「働きがい」の喪失に困惑する「労働無関心層」という面が見てとれる。

 あなたの人となり-個性や人格-は、多くの外的・内的な要因から形作られていく。外的要因は社会文化的なもの、つまり、「環境、家庭、職業」などで、内的要因は「遺伝、体質、気質」などである。この二つの要因が影響しあって「自分らしさ」が出来上がっていく。一般には子供の頃に出来上がった性格は一生のものと考えられがちだが、そうではない。外で起こった出来事がニーズや価値観を揺り動かし、バランスを狂わせるようなことは、むしろ大人になってからの方が多いともいえる。人生には様々な転機が訪れるのである。そうした転機を自分が成長し、次の段階へと進むことを促すサインと受け取れず、多くの人が悩む。次々とふりかかってくる変化や精神的な悩みは実は混沌としたものではなく、人生にはある一定の周期があり、それぞれにその段階に応じた課題がある、とキャロル・カンチャーはと述べている。[8] カンチャーはこのライフ・サイクルという考え方に基づいて、こうした周期の変わり目、次の段階へ移るための不安定な時期を変動期と呼ぶ。こうした時期にある人間を「モラトリアム人間」(猶予期間にある人間)と呼ぶ。小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』から引用したい。この著作の出版は1981年だが、20年を経て先行きの不透明な現在、次のような傾向はさらに強まっていると考えられる。

 企業の中では、今の職業を一生の仕事にするかと問われて、イエスと答えない青年が珍しくなくなったし、何を専攻するかときかれて、もうしばらく広くいろいろと勉強してからと答えるのが、大学院生や研究者の一般的風潮になってしまった。形の上では就職しても、その企業職員としての自分を本当の自分とは思わず、本当の自分はもっと別の何かになるべきだ、もっと素晴しい何かになるはずだ、と思いながら、表面だけは会社の仕事をつつがなくこなし、周囲に無難に同調するタイプのサラリーマン。すでに形の上で結婚し、子供さえできていても、それで本当の自分の身がかたまったと思っていない男女。みんなが、その実人生においてお客さまで、自分が本当の当事者になるのは、何かもっと先ででもあるかのように思っている。このお客さま意識、換言すれば、当事者意識の不在は、実は、現代のわれわれが、共通の社会的性格として互いに共有する「モラトリアム人間」に特有な社会意識である。[9] 社会的性格という概念を見出したのは、E・フロムである。ある社会集団の心理的反応を研究するとき、そこにその集団の成員の大部分に共通する性格構造を見出すことができる。この集団の成員の大部分がもっている性格構造の本質的な中核であり、その集団の共同の基本的経験と生活様式の結果から発達してきたものを、フロムは社会的性格と呼んだのである。フロムはある地域社会の成員に共通する基本的パーソナリティを考えるのでなく、その社会を構成する各社会層、各下位集団の成員に、それぞれ社会的性格が成り立つと考える。それぞれの時代、社会で暮らす人々の心の中には、彼らの共通の経験、共通の欲求に由来し、それぞれが無意識のうちに共有する人間のあり方=人間像が潜んでいるのである。フリーターの存在を肯定的に捉えるならば、フロムの言う「あえてあろうとする」若者であると考えたい。フロムの次のような記述によって、フリーターが「自分探し」をしていること、モラトリアム期にあることを説明できるのではないだろうか。

 若い世代の中に育ちつつある、大多数の人々の態度とは全く異なった態度、これらの若者の間に見出される消費の型は、隠された形の取得や持つことではなく、自分のしたいことをするがその報酬として何も<長続きのする>ものを期待しない、という純粋な喜びの表現なのである。これらの若者は遠くまで、それもしばしば苦労しながら、出かけていっては、好きな音楽を聴き、見たい場所を見、会いたい人々に会う。彼らの目標が彼らの思っているほど価値があるかどうかは、今は問題ではない。たとえ十分な真剣さや準備や集中力を持っていないとしても、これらの若者はあえてあろうとしているのであって、報酬として何かを得るかということや、何を守ることができるかということには、関心を持たない。彼らはまた、哲学的、政治的にはしばしば単純ではあるが、年上の世代よりもはるかに誠実であるように見える。彼らは市場で売れそうな<物>になるためにたえず自我にみがきをかけるようなことはしない。彼らは故意にせよ無意識にせよ常に嘘をつくことによって、自分のイメージを保護するようなことはないし、大多数の人々がするように、真実を抑圧するために精力を費やすこともない。そしてしばしば、彼らはその率直さによって年長者に感銘を与える。彼らの中にはあらゆる色合いの政治的、宗教的方向付けを持った集団もあるが、また特定のイデオロギーや教義を持たず、自分についてはただ<模索している>だけだと言うであろう者も多くいる。彼らはまだ自分をも、また実際生活の指標を与える目的をも見出してはいないかもしれないが、持つためや消費するためでなく、自分自身であるために模索しているのである。[10]「あろうとする」若者は妥協してはたらいたりはしないのだ。

 「モラトリアム」とは、支払猶予期間、つまり戦争、暴動、天災などの非常事態天下で、国家が債務・債権の決算を一定期間延期、猶予し、これによって、金融恐慌による信用機関の崩壊を防止する装置のことをいう。エリクソンがこの言葉を転用して、青年期を「心理社会的モラトリアム」の年代と定義した。青年期は、修行、研修中の身の上であるから、社会の側が社会的な責任や義務の遂行の決済を猶予にする年代である、という意味である。モラトリアム期に青年たちは、社会的自我=アイデンティティを培い、確立するために、様々な社会的実験や遊び、時には冒険を許容する。青年たちは様々の人間の生き方、思想、価値観に同一化しては、その実験者になる。次々に所属集団を変え、様々の関わりの中でいろいろな役割を試験的に身につける。そしてこの実験や練習を通して、自分に適うもの、適わぬものの吟味、取捨選択を積み重ねていくが、この試みは生活領域のすべてにわたって行われる。青年たちはモラトリアムを楽しみ、自由の精神を謳歌し、疾風怒濤や青春の彷徨を繰り返しながら、実験や冒険を続け、やがては最終的な進路、職業の選択、配偶者の決定をはじめ、そのすべてに自分固有の生き方=アイデンティティを獲得する準備を整える。旧来の社会秩序の中では、モラトリアムは一定の年齢に達すると終結するのが当然の決まりであった。青年からオトナになれば、「これが自分だ」と選択したオトナの人生に自分を賭け、一定の職業、専門分野、特定の配偶者、社会組織、役割としっかりと非可逆的に結び合い、安易なやり直しのきかないことを覚悟した倫理的な人生が始まる。猶予は失われ、社会的な責任が問われ、義務の決済が迫られる。つまり「心理社会的モラトリアム」は「自己定義=自己選択=アイデンティティ」と一対をなす概念であり、旧来の社会秩序に根をおろした確固たるオトナ社会の存在を前提として始めて、本来の目的を達成することができる。かつて、オトナ社会から半人前とされたモラトリアム期は様々な禁欲を強いられそのため多くのフラストレーションに悩まされた。一人前になるためにはそれらを耐え忍ばなければならなかったので、モラトリアム期は早く抜け出したいものであった。しかし、現代社会においては、本来なら社会的現実と対立するはずの猶予状態そのものが次第に一つの新しい社会的現実の意味をもつようになった。モラトリアム心理の質的変化が起こったのである。「新しいモラトリアム心理」はより広く、より潜在的な形で、現代青年の心理の中に日常化していった。この変化の背景には、青年たちの自己主張を促す社会全体における青年期の位置づけ、価値の上昇と豊かな社会の中での若者が、消費者として大きな比重を占め、オトナ社会の側が、彼らの存在権を様々な形で尊重し、その自己主張に拍車をかけることとなった。心理的にはモラトリアムでありながら、物質的な満足は得られる、日々の暮らしは比較的楽に送れるようになった青年たちには、実際には親や先輩に依存している未熟な自分と、空想の中では自信過剰の自分の際立った分裂が起きている。近年、青年期はますます延びる傾向にある。この要因として、モラトリアム期間中に継承されるべき技術・知識の高度化による修得期間の長期化と、青年期=モラトリアム時代の居心地の良さを、小此木は指摘する。長期のモラトリアムを必要とする分野がますます多くなったことと、居心地のよさとが相俟ってふんぎりがつかない青年が増え始めた。モラトリアム延長の願望は、表面的には社会人になったようにみえる若いサラリーマンの内面の潜在心理にも広く見出され、この種の自己限定の回避・延期心理を実社会の中に持ち込む“青年”が多数派になり始めている。[11] さらに、小此木の次のような記述は、近年の「フリーター」という新しいライフスタイルを送る若者の増加を十分に説明できると思う。

 社会変動の進行と共に、旧来の社会秩序を支えてきたいくつもの基本的な境界が次第にあいまい化し、アノミー化が進む。そのプロセスの中から、はじめは潜在的に、やがてはより顕わに、組織帰属型の人間と無帰属型の人間といった、より新たな社会心理境界が、少なくとも生活感情や暮らし方の次元では次第に出来上がっているように見える。かつて社会的人間とは帰属型の人間を意味し、無帰属型人間は実社会から落ちこぼれた困り者とみなされていたが、今や後者が前者と同等、いや時には優位の立場に立って、新しいタイプの社会的人間としての自己を主張し始めている。「新しいモラトリアム」期の青年たちは、根無し草的な自己の存在を肯定し、そのような自己のあり方を公然と主張しようとする。彼らは実社会に対し局外者でいながら、中産階級意識を保つことができる。彼らは、自分のおかれている社会的現実には心的な距離=隔たりがあり、そこには主体的にかかわっていないし、かかわるほどの積極的な力も関心も乏しい。実社会の流れに能動的にかかわらないだけに、長期的な見通しを欠き、その時その時の一時的・暫定的なかかわりを優先する気分派である。[12] こうした記述に沿えば、フリーターはあくまでも、社会の中でお客様的存在だといえるだろう。主体的に社会に関わっていないのに中流階級意識を維持できる。やはりこうした点については、パラサイトという視点と切り離して考えることはできない。必要な時に最低限の仕事をして稼ぎ、金が尽きるまで遊ぶ。刹那的なフリーターには、将来のキャリア形成への意識はあっても具体的で有効な取り組みがない傾向も見られる。フリーターの就業職種は限定されており、フリーターとしての就業経験が基本的なソーシャル・スキルの形成以外の職業能力形成に結びついている場合は少なく、フリーター就業が長期に及べばキャリア形成の貴重な時期を逸するおそれがある。日本労働研究機構のフリーターの意識と実態の聞き取り調査によれば、専門的な知識・技術の習得に役立った例は少ない。[13]

 フロムは、私の個人的な見積もりでは、持つ様式からある様式への変化に真剣に専念している若者の数は、あちこちに個別に散在する一握りの人間にはとどまらない。私は信じている。かなり多くの集団や個人があることを目指して進んでいることを、彼らは大多数の人々の持つ方向付けを超越した新しい傾向を代表していることを、そして彼らは歴史的な意義を持つ人々であることを、[14]と述べている。近年の日本の「目的意識」をもった「あろうとする」若者たちは社会を動かしていく力になるのだろうか。

 

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引用文献

[1] 総務庁『日本の就業構造 平成9年就業構造基本調査の解説』63-64頁、(財)日本統計協会、1999年。

[2]NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第五版]』147頁、日本放送出版協会、2000年。

[3] 増える大学院生研究は「自分探し」『ニューズウィーク日本版 2001年6月6日号』27頁、TBSブリタニカ。

[4] なぜ彼らは会社を辞めるのか『週刊東洋経済2001年3月3日号』31頁、東洋経済新報社。

[5]  藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』333-334頁、ミネルヴァ書房、1995年。

[6] 「村上龍のbye – bye Japanese-Black-bird」『週間SPA2002年5月14日号』64-75頁、扶桑社。

[7] 増える大学院生研究は「自分探し」『ニューズウィーク日本版 2001年6月6日号』35頁。

[8] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クエストで成功をつかもう』33頁、2001年、光文社。

[9] 小此木啓吾『モラトリアム人間の時代』15-16頁、110頁、1981年、中公文庫。

[10] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』109-110頁、紀伊国屋書店、1977年。

[11] 小此木、前掲書、17-38頁。

[12] 小此木、前掲書、40-41頁。

[13] 日本労働研究機構『調査研究報告書 NO.136 フリーターの意識と実態―97人へのヒアリング結果より』10頁、2000年7月。

[14] E・フロム、前掲書、111頁。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑩「労働は人間の本質」か?

2024年09月27日 01時20分49秒 | 卒業論文

 現代では、労働力は人間の基本的な可能性としてみなされている。[1] かつては労働の喜びであり本質であったものが労働と対極にある余暇の中に求められるようになったことを先に記したが、そもそも労働こそが人間の本質的な活動であるというのは、近代になって作られた労働イデオロギーである。近代初期に労働の禁欲倫理が外部から強制的に注入されたが、その歴史的生成過程が忘れられると同時に、今度は歴史の結果として生まれた労働の喜びというイデオロギーを知性化された義務感情という理想的目標に仕立て上げて、それを目指して努力することになる。おそらく労働に対する取り違えはここにあるようだ、と今村仁司は述べる。[2] 現代社会においては、働きがいが生きがいと読みかえられやすいことはすでに記したとおりである。19世紀の前半に労働が人間の人間たる根拠であるとする労働思想が生まれてから、現在まで労働の本質と人間の本質とを同一視する思想が普遍的にばらまかれ、今では空気のように自明となった。労働こそが人間を人間にするという命題は近代と現代の基本になっている。しかし、労働が社会生活に「必要」であるということと、人生の意味が労働にあり、労働の意味(喜び)が人生の生きがいになるということとはおよそ別個の事態である。前者は社会が核的な事実である、後者はイデオロギー的思い込みである。それどころか、労働意味論(労働喜び論)は、管理のためのイデオロギーである。もともと労働の中に喜びなどはない、だからこそ無理にでも喜びの労働内在性を虚構しなくてはならない。本当に労働の中に喜びがあり、故に人生の意味も労働の中に求めることができるならば、労働は実在性をもち、観念や感情に左右されたり、表象のなかに雲散霧消することはないだろう。[3]

 今村が述べるところによれば、古代であれ現代であれ、労働は基本的には自由な行為ではなくて、隷属的な行為である。労働の隷属性を、労働する者は、自覚するしないにかかわらず心の奥で感じている。それをなだめるのが種々のモラルであるし、特に他人による評価の媒介である。したがって労働の喜びは内発的ではなく外発的である。総じて苦痛である身体行為を何らかの形で「喜び」と感じさせるのが、他者による承認を求める欲望である。[4] 他人からの賞賛が労働の喜びの内容であることを今村は繰り返し述べているが、ここでは、基本的には隷属的な行為であり、労苦である労働が「勤労・勤勉の精神」によって、労働は人生を意味づけるもの、生きがいとして受け止められるに至る流れを、今村の記述に沿って大雑把に概観したいと思う。

 古代では、手仕事という意味でのメカニックな肉体的行為は格の低い活動であると見なされていた。古代のギリシアでは、テクネー(職人的制作)やポイエーシス(芸術家の制作)といった用語で指示される活動もまた手仕事のなかに含まれていた。ひとつの活動の格が高いか低いかは、一方では、それが肉体的活動、とくに奴隷的活動に近いかどうかによって、他方では、独自の時間意識によって評価されていた。余暇の中の行為は自由であり、非余暇の中の行為は隷属的であるという時間意識が種々の行為を価値づける。奴隷が自由人の生活の必要を充たす隷属的行為を行った。奴隷が行う隷属的行為は純粋に肉体的労苦であり、メカニックな行動の極限の形態をなしていた。奴隷は自由な時間を持たない。手仕事の社会的地位が低く評価されたのは、それはどこまでも肉体的活動を伴うからである。身体の活動は、古代のギリシアでは、職人的であろうと芸術家であろうと、上級の自由市民に奉仕する隷属的性格をついに免れることはできなかった。隷属的な活動は、時間意識からも低く評価される。自由な時間を絶対的に持たない好意は奴隷の労苦であり、その存在は動物的存在に等しい。その行為は動物的であり、自然の中の事物として扱われる。物体的であろうと、単に動物的であろうと、物質的であること、あるいは単に生物的に生きていることは、人間にとっては隷属的存在であった。肉体の生命や肉体の運動は、単にそれ自体では、価値や意味をもたない。肉体をもって物質的環境に反応するだけの「生きている」ことは動物と同じであり、「よく生きる」ことこそ意味のある生き方であった。「よく生きる」の「よさ」、生活の「正しさ」は自由な時間を持つことに等しい。では労苦から開放され余暇を持つ人間が自由な時間の中で何をしていたかといえば、「語ること」をもって公共の事物の運営を行った。自由人たちが公共の事物を論議し、決定し、実行するためには、思考を制約する条件から完全に解放されていなくてはならない。余暇の中で言説を持って公共的な世界に携わり、政治的共同体にかかわる全てを考える生活を送る。労苦から開放されるという意味での「自由」ならびにそれを支える「余暇」は文明の価値基準であった。古代の文明は、余暇の文明であり、事物の制作をしないという意味での無為を理想とする文明であった。無為は物を制作しないが、公共世界を言葉による交通によって構築する。その世界の中で活動的に生きることに価値があった。

 ところが、近代世界が最初に登場した西欧では、商品経済の発展と初期資本主義の興隆のなかで、久しく社会の下位に価値的に格下げされてきた手仕事の重要度が増してくる。メカニックな活動なしには近代経済は立ちゆかない。絶対主義国家がこの歴史的課題を背負った。手仕事または労働の必要が高まるにつれて、それまで隷属的とみなされてきた「労働」への感受性が変動し始める。労働は徐々に否定的なものから肯定的なものへ、格下げ状態から格上げ状態へと移行しはじめたのである。同時に、これまで文明の価値基準として通用してきた余暇と無為への感受性も変動し、余暇と無為は労働と反比例して、格下げをこうむることになる。この転換期において、無為が怠惰に変質するという事実は、注目に値する。自動的に変質したのではなくて、社会構造の変動とともに、人々は無為を怠惰とみなすようになる。無為は怠惰としての罪になった。文明の価値基準が根本から変動したのである。余暇(オティウム)から多忙(ネゴティウム、ビジネス)へ、無為(デズーヴルマン)から勤勉(インダストリー)へ、社会の精神的軸心が移動したのである。18世紀の後半にフランス革命が起きると、初期近代において開始していた機軸的変動は一層明白になる。古い価値は解体し、新しい価値が上昇する。余暇と怠惰は徹底的に非難され、多忙な生活としての産業的生産活動と勤勉倫理が圧倒的になる。そのとき「産業者」は時代の合言葉になる。絶対主義時代にまだ古い文明の価値意識で生きてきた王侯貴族たちは、怠惰的無為の代表として指弾され、代わりに多くの労働し生産する者が賞賛される。19世紀は産業者の時代になる。多忙と勤勉が到来したのである。ブルジョワも労働者も、同じ勤勉倫理を共有するようになる。労働者に味方するイデオローグも、労働者の勤勉を価値的にもちあげ、労働のなかに人間的なものがあり、労働の本質は人間の本質であると宣伝するようになる。人間的になるには労働する権利を獲得することだという。人生の意味が労働の喜びの中に求められるようになった。多忙と勤勉の勝利であった。[5] 多忙と勤勉は一見能動的なようだが、内面的な働きかけがない単なる多忙は「疎外された能動性」である。

 現代社会において全てが価値生産的でなければならないという強迫的な心性に迫られることは、今村の言葉に沿えば、一切の活動が労働になってしまった、のである。全ての活動は労働とは無縁な活動すら、勤勉なインダストリーの企て行為に近似していくし、未来を先取りし、目的を設定し、目的を実現するべく決断する、そういう産業的労働になってしまった。必然の労働が生活の全てを包摂する。全てが労働であることの基礎には、「時は金なり」で記したような「勤労・勤勉の精神」がある。「勤労・勤勉の精神」が物も人もたえず増殖させる。全ての領域の増殖力の究極の源泉は近代的な勤勉労働であり、人間の生活は全て勤勉労働を軸にして動いている。人々は労働とその条件のみを重視し、それ以外のことを考える自由な時間を喪失していく。このような労働文明、労働の忙しさゆえに消費行動すら多忙な労働に等しい現在の状態では、生きることの意味を考え、公共世界と歴史的世界の意味を思考することは不可能になる。この世に生を受けたものが自分の人生を充実して生きることを配慮し、「よく生きる」あるいは「正しく生きる」ことに多くの時間をさくことができないような状態は、おそろしく不自然なことである。日常の人生のなかで、一見したところ抽象的にみえる「よさと正しさ」を考える自由な時間を創造するためには、多忙と増殖の原理である勤勉労働の時間を可能な限り縮小する必要がある、と今村は述べている。[6]今村が述べる「よさと正しさ」を考える自由な時間の創造もまた、フロムに沿えば「あること」、生産的能動性の状態であろう。

 

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引用文献

[1] 鷲田清一『だれのための仕事』56頁、岩波書店、1996年。

[2] 今村仁司『近代の労働観』110頁、岩波新書、1998年。

[3] 今村、前掲書、149頁。

[4] 今村、前掲書、123-124頁。

[5] 今村、前掲書、158-164頁。

[6] 今村、前掲書、190-192頁。