たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

最終章自分自身であること-①多様な家族のあり方を求めて

2024年11月21日 15時00分57秒 | 卒業論文

 先ず、女性自身のジェンダーの内面化の現象の一つとして、結婚後、妻が夫の姓を名乗ることが通例となっていることに注目したい。現在法的には姓の選択は夫婦が対等に行うことができる。明治の民法制定時には、女性が夫の姓を名乗ることは、夫という個人のもつ姓ではなく、夫の属する「家」がもつ氏を継ぐという意味を持っていた。しかし、敗戦後、「家」制度は否定され、結婚後の姓の決定に際しては、夫と妻の権限は対等であり、両者の姓を選択する比率はほぼ一対一になるはずである。しかし、実際には、婚姻後妻が姓を夫の姓に変えるのが通例で、首都圏では97%、東海92%、関西98%となっている(リクルート・ゼクシィ事業部、1998年)。自由な恋愛が主で対等平等の関係を発展させる恋人同士の間にも男性優先の「家」文化の名残は強く残っている。一方、姓に関わる「家」意識においても、次第に変化が表れてきている。「夫婦別姓を望む人には許されるべきだと思う」という肯定派がほとんどである。しかし、実際に法律によって別姓が認められた場合、別姓にする意向のある人は17%程度にとどまっている、と坂西友秀は捉える。別姓にしない理由として、「結婚した証として」「家族の一体感のため」「子供のことを考えて」「同じ姓なのが当たり前だから」などがあるが、これらの理由には心理的な意味が強く含まれていると考えられる。「新しい姓のほうが好き」という女性も一割いる。こうした態度は法的な制度によって女性の内面に作り出されてきた一つの心理であり、不変とは考えられない。[1] 夫婦の名字についても一人一人が多様な生き方を選べるようにと、女性の側から強く求められている。夫婦別姓の容認の傾向は、第五章の最後に記した家族の「個人化」の現象のひとつとして捉えることができる。NHKの『現代日本人の意識構造[第5版]』によれば、夫の姓に統一しなければならないという考え方は徐々に後退し、反対に夫婦別姓でもよいという考え方がじわじわと増えている。男女別に見ると、特に女性では5年間に急増し、98年の調査では四割を超え男性を上回っている。夫婦の姓は必ずしも夫の姓でなくてもよいと考える女性が増えてきているのである。年代別では、1943年以降に生まれた人に「脱・夫の姓」を支持する人が増えている。1980年後半から夫婦別姓の導入を求める声が高まってきた。その理由としては、姓を変えることで自己喪失感を持ったりすることが考えられる。夫婦の名字をどのようにするかということは、実は姓と何か、個人とは何か、結婚とは何か、家族とは何かなどの根本的な問題と深く関わっている。夫婦別姓を容認する傾向は、「家族とは同姓でなければならない」という家族観の揺らぎであり、結婚したら女性が改姓するというこれまでの「常識」に対しての疑問の投げかけである。「夫婦別姓にすると家族の一体感が損なわれる」という意見があるが、家族の絆はなにから生まれるかという質問に、「苗字や戸籍が同じであること」「血がつながっていること」と答えた人は、前者は男女ともに1%、後者は男性12%、女性11%しかなく、一方「一緒に暮らすこと」は男性43%、女性38%、さらに「家族一人一人の努力」は男性34%、女性43%と、日常生活そのものによって、特に女性では同じ姓を名乗ることよりも一人一人の努力によって家族の絆は生まれると考えているのである(朝日新聞社「家族像」世論調査、1999年、全国の有権者)。[2] 第二章で、近代家族は女性の抑圧装置となったというフェミニズムの考え方に触れたが、女性にとって家族はこれまでのように自分を抑えて一体化するものではなくなってきている。個人を縛る従来の性役割に従う生き方や制度や社会に疑問を投げかけ、自分はどう生きていくのかを女性自身が問い始めている。「両性の平等」と「個の自立」という方向を目指しているのである。

 憲法24条の家族生活に関する事項においては、個人の尊厳と両性の平等を掲げているが、家族・男女関係の領域における日本人の意識の変化は、まさにこの文言を体言化してきたかに見える。『現代日本人の意識構造[第5版]』の調査を開始した73年と98年の結果から家族に関する意識変化をおさらいすると次のようになる。「愛情があれば婚前交渉は可」が「不可」を抑えて最大意見となった。「結婚はしなくてもよい」が6割近くに達した。「結婚しても、子供をもたなくてもよい」が増加している。先に記したように、「脱・夫の姓」が四割に達した。「女性は子供が生まれても職業を続けたほうがよい」が最大意見となった。「父親は仕事、母親は家庭」という「性役割分担」が二割に減少した。「夫の家事・育児の手伝いは当然」が8割を超えた。「子供に干渉しない父親」を求める傾向が増加。「女性に高学歴を」が多数派に、「老後は子供や孫と」が減り、「自分の趣味に生きる」が増えた。これらは全て、家族という私的集団の中でそれをさらに細分化する個的原理が強い主張を持ち始めたことを意味する。そして、そのことは一方で人々の新しい意識が既成の家族の規格ひいては既成の社会の規格にはもはや収まり切れなくなっているという切実な問題を招来させているのである。[3] したがって、これらの新しい意識を受容し適正化していく新しい家族や社会を確立させていくことが求められている。

 近年の生殖技術の発達が子供や家族という概念に与える影響を考えたうえで、私たちはどのような選択をしていくべきなのかということについて、長沖暁子は、子供のいない家族を含めて、多様な家族のあり方を認めていく方向で考えていくしかないのではないかと述べている。その上で選択するという状況を作っていかなければ、女性に対する子供を作れという圧力は減っていかないのである。少子化は子供を産めという圧力を産んでいる。医療自体も子供を作ることが善という方向にあり、社会から子供を作って欲しいという圧力がかかっている中で、個人が選択した場合、どう考えても子供を作る方向の後押しされていることになる。多様性を認める社会をつくっていくためには、当事者が語ること、言葉に耳を傾け、経験や知識を共有化することによって、価値観を広げていく、多様性ということを実感することが第一歩である。さまざまな立場の当事者が語ることから多様性を認める自然観・生殖観・生命観を実感する。その上で、どの選択肢を選んでも圧力がない社会、何を選んでも「等価」である社会がなければ自由な選択とはいえない。子供を産まない女は価値がないと思われている社会では、産まなければ存在証明にもならない。産んでも産まなくても、母親であってもなくても同じように認められる社会でなければ、アウトローでよいと居直らないかぎり、不利な選択はできないのである。そういう社会を作っていくためには女性たちがもっと政治的・経済的・社会的な力を付けていくことが必要だ。そして、男性たちには家事や子育てに積極的に参加し、性や生殖をもっと実感して、出産に関しても自分の問題として考えるような意識改革を期待したい。[4] 女性が性役割を超えて個人として自由な選択ができるようになるには、これまでの伝統的な家族形態だけに捉われない、多様な家族のあり方を認める社会への変革が望まれる。

 女性にとって家族は運命共同体ではなく、女性を取り巻く環境の一つになってきた。新たな家族の形態を確立することが必要とされている。しかし、昔ながらの男女の役割と伝統的な家族形態だけを頭に入れた教育が行われていては、男女それぞれが主体性を持てる、新しい家族関係を模索することは難しい。繰り返し見てきたように、女性は仕事をもつことによって家事労働と市場労働の二重負担に苦しむ。時には、妻が稼ぐことを疎ましく思い、自分の役割が侵されると感じる夫さえいるのである。離別、死別を問わず、単身の親の立場に立たされた時、今まで相手の役割だと思っていたことを自分がしなければならないのは、困難なことが多い。こういう時でも、男女の固定観念にあまり捉われていない人々は順応がより容易である。新たな家族形態によって、男女の役割は変わってきた。そうした現実に追いつくためには、行政面では保育所の充実は急務である。雇用の分野でも、企業内保育所や家族と共に過ごす時間を増やす制度の拡充が望まれる。今まであらゆる点で我々の社会は、変わり行く家族を受け入れる準備ができていなかった。社会の根底を揺さぶるような変化への対処の仕方などわからなかった。今や時代遅れの体制、政策をこれ以上続けても新たな家族形態、女性の生き方を受け入れるための何の解決にもならない。新しい家族生活の決まりを創り出そうとしている世代の能力を最大限に活用できるような社会政策を是非とも実現させなければならない。

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引用文献

[1] 坂西友秀「恋人たちがもつ現代的「家」意識」藤田達雄・土肥伊都子編『女と男のシャドウ・ワーク』29-30頁、ナカニシヤ出版、2000年。

[2] NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第5版]』38-41頁、NHKブックス、2000年。

[3] NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第5版]』213-214頁。

[4] 長沖暁子「家族の今をどう見るか」『三色旗655号』慶応義塾大学出版会、2002年10月。


最終章自分自身であること

2024年11月20日 10時00分10秒 | 卒業論文

「全ての人間の生活は、自己自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である。どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうとつとめている。ある人はもうろうと、ある人はより明るく。めいめいの力に応じて。誰でも皆、自分の誕生の残りかすを、原始状態の粘液と卵の殻を最後まで背負っている。ついに人間にならず、カエルやトカゲやアリに留まるものも少なくない。上のほうは人間で下のほうは魚であるようなものも少なくない。しかし、各人みな、人間に向かっての自然の一投である。われわれすべてのものの出所、すなわち母は共通である。われ輪われはみんな同じ深淵から出ているのだ。しかし、みんなその深みからの一つの試みとして、自己の目標に向かって努力している。われわれは互いに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない」。[1]「私」とは誰なのか。今どこに立ちどこに向かおうとしているのか。こうした自分への問いかけをしない人はいないはずだ。

 テレビの中で、女優が平凡なOLを演じている。彼女は何かに夢中になりたいと思っている。心から泣いたり怒ったり、思い切り情熱を傾けられる何かに出会いたい。けれど、何をしていいのかわからない。大都市のビルの屋上から、「わたしはここにいるんだぞ、バカヤロー」と叫ぶ。個として認められないOLの鬱屈した心情をよく現している場面ではないだろうか。

 「労働力」という点で女性の役割はいつも大きい。女性労働者の絶対数の増大と未婚者から既婚者への構成者の変化は大きな社会的インパクトを与えた。「労働」の視野を「人間と社会に不可欠な営み」にまで拡げれば女性の役割は、全労働者の四割を占めるという程度に留まらない。女性たちはどんな時代も働くことで社会を支えてきたのだ。にもかかわらず、女性が労働の場で男性と対等のパートナーと認識され始めたのはつい最近のことである。近年女性の役割の幅は大きく広がった。あえて子供を作らない生き方、婚前交渉、同棲、働きながらの子育てなど、その生き方の多様化は数え上げればきりがないほどだ。女性の価値観やライフスタイルの変化と共にパートナーたる男性も変わり始めた。しかし、男女平等はまだ達成されたわけではない。根強くはびこっている男女の役割へのこだわりは、いまだに男性、女性の双方を縛り付けている。この役割へのこだわりをすてないかぎり、家庭でも、職場でも、政治レベルでも、男女平等は実現しないだろう。大切なのは、男女双方ともに、人間として自分の持てる能力をできるだけ伸ばすことだ。この最後の章では、「個」として生きること、真に「あること」について考察してみたいと思う。

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引用文献

[1] ヘルマンヘッセ著、高橋健二訳『デミアン』6-7頁、新潮文庫、昭和26年。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑭組織の中で働くことの意味

2024年10月16日 08時22分12秒 | 卒業論文

 人は何のために働くのか。この問いにきちんと答えられる人がどれだけいるだろうか。私たちは働くという日常的実践的なる行為を通して自分の資質を生き生きと表現できているのだろうか。働くことがあまりにも当たり前になりすぎているために、私たちは自分へのこうした問いかけを忘れてしまっているのではないだろうか。現実に私たちは、職業人として働いている。職業は私たちの生活空間の中で大きな位置を占めている。私たちは人生の大部分を職業人として過ごす。現代社会では、自ら参加していくというよりも、それを当たり前のこととして職業生活に参加していく。そして、社会からの一定の期待に答える行動として職業生活を営む。職業活動には、すでに一定の規範と役割が存在しているのであり、それは、個人的裁量に基づいて行われるものではない。期待される役割がある。職業人として働く私たちは、一定の社会的役割を負っている。こうした職業活動は、私たちの幸福にとってどのような意味をもつのか。お金のために辛抱して働くというのではない、自らやっていることとしての働くということ、人間のこととしての働くということをここで改めて考えてみたい。この論文で働くことの意味を結論づけることはできない。学びの場、成長の場、自己確認の場であるという視点を考えてみるに留まる。

 まず、資本主義の中での労働ということについてあらためて考えてみると、私たちが所有する労働力は、商品とみなされ、私たちは匿名的な存在となりやすい。経済が人間のための手段ではなく目的になってしまっているのだ。市場経済システムは<経済的>人間が<本来的>な人間であり、したがって経済システムが<本来的>な社会であるという誤った結論を避けることをほとんど不可能にした。社会全体が経済主義的思考様式へ転換させられた。また、資本主義経済の市場において、労働は本来商品として生産されるものではないのに、土地・貨幣と並んで市場で自由に購入される商品に転化させられている。生活のために労働力を売るしかない人たちと、たえず利潤を求めて動く人たちとが存続するかぎり、市場経済は生き続こうとするし、市場経済が制約なしに一般化しているかぎり、その社会での人間生活を全面的に侵蝕しないではおかない。経済人類学者K・ポランニーは、人間が人間らしい相互関係を保ちながら生活するために、無軌道な剰余価値生産経済に対して警告した。今日我々が直面しているのは技術的には効率が落ちることになっても、生の充足を個人に取り戻させるというきわめて重大な任務である、と。働く人間が労働を、その目的の明確な、労働対象を正確に掌握した、仲間との連帯をしっかりしたものにするという希望が生まれてくる。技術の進歩による生産の限りない独走と利潤追求の猛烈な競争とを制御し、人間と自然との調和した交流を見失わぬ労働でありたい。[i] 生きた人間生活を取り戻すことが求められる。

 組織にとって匿名的な存在である個人の主観は問題ではない。T・ルックマンの次のような記述を引用したい。社会構造がいくつもの制度に分割されることによって、個人と社会秩序全体との関係は大きく変わった。“社会的存在”としての個人は、専門化した社会的役割の遂行にあたっては、匿名的な存在となる。したがって、その際には、一人の人間としての存在とか、その人間の個人史にかかわる意味の問題といったものは重要でないものとなる。・・・制度領域での行為の意味付けは、人間の個人史にかかわる意味づけの文脈とは遠く隔たっている。制度上での行為の意味づけを、主観的な意味体系に統合できなくとも、経済的政治的制度の機能を効果的に動かすうえでは支障ない。たしかに、社会的場面での行為者としては、個人は制度的規範の支配から免れることはできない。しかし、制度的規範の“意味付”は、個人のアイデンティティにはほとんど影響を与えない。またそれは、主観的な意味体系の中では、“局外者的”な立場しかとらないので、意識形成の面では個人は制度的規範からの影響をかなりの程度免れている。機能的合理的な制度に基づく専門的な役割の匿名性が増大するに従い、個人は取り換えの聞く存在となる。より的確にいえば、行為に際しての主観的で個人史にかかわる問題は、制度的領域の観点からは取るに足らない問題となる。[ii] このような労働の場においては、私たちは常に行き止まりの路地を歩いていることになる。両手を縛られ、目隠しされたまま日々働いていることになる。どのような職業についているかということは、人々を識別するための主要なてがかりとなるが、現実にサラリーマンが職業を言うとき、固有の意味の職業のかわりに属している会社その他の組織体を使う場合が多い。組織人であるということの中に自らを閉じ込めてしまっているのだ。組織の生活の中で個人はその運命を自分の手の中にもぎとらなければならない、とホワイトは述べている。組織人としてではなく「個」として私たちはあらねばならない。労働によって人間が非人間化されることを望む人はいないはずだ。労働を通じて私たちは己を社会的世界に関係づけるのだ。[iii]

 黒井千次は、僕にとっての企業とは、自分をも含めて現代において<生きる>とはいったいどういうことなのかをきわめて日常的な姿で学ぶ場であった。学ぶことは取材することによってではなく、企業の中の日常を生きることによって得られた。そこには様々な形で指摘される現代の諸矛盾が生々しく横たわり、あるいは未来を垣間見ることができるのではないかと思えるような緊迫した現象が傷口のように赤く口を開いていたりしていた。つまり、そこは「人間喜劇」の集中的表現の場のように思われた、と述べている。そこは一人の人間のささやかな、しかし彼にとっては全てである誕生から死滅までの軌跡をすくいあげるには不十分だが、現代における広大な空間を形成するものであったのだ。黒井は、企業組織に属することによってそれまでの自己確認の方法の非力を悟らせられたことを次のように記述している。黒井の自己確認への衝動は10代に始まった。10代の時には、目で見ることができ、手で触ることのできる、狭くはあっても確実な世界があった。しかし、学生時代を終えて自分で選択した企業の中に身を浸した時、ぼくは突然自己の姿が目の前から消えて行きそうになるのを感じた。完全に消え去ることはもちろんありえなかった。しかし、それまで幅も厚みもあり、重量も、水分さえも含んで感じられていた現実的な自己というものが、急にスクリーンの上に動く影にも似て平面的なものへと変貌してしまうことに気づいた。日向から闇の中にいきなり踏み込んだ時、そこにあるものの姿を認めることができないようなものだったのかもしれない。つまり、それまでぼくが持っていた自己確認の方法は、闇の中に動き出した自己を捉えるのにはあまりに弱いものだった。しかも、闇の中の錯綜する他との関係を通して、捉えようとする対象である自己自身が複雑に変化し始めている。以前とは違った環境の中で、以前とは異なった動きを示し始める自己を捉えるのに、自己の内部から自己を見るという単軸の構造は無力だった。動いていく自己を捉える主体である自己自身も当然動いていく。この中で自己を確認するためには、自己の外側に一つの客観軸を確立することが不可欠となった。このように企業に勤めることによって起こった自己確認の変化は、単なる一つのきっかけにすぎなかったかもしれない。しかし、現代社会の中に生きる以上、現代社会のゆがみと矛盾の集中的な表現の場であり、微やかな可能性の実験の場でもある、現代の企業という場所において改めて自己に向かい合ったことの意味は大きく重いものである。企業社会は常に現代社会そのものの凝縮体に他ならない。黒井は現実の社会機構の中に意識的な成員として組み込まれた中で始まった自己確認においては、自らも変化し続ける運動体であると述べる。そこに動こうとする自己へ対自的な接近は、いわば運動する自己への探索であり、運動を通しての自己確認であるといえる。自己を客観的な軸の座標により明らかに動くものとして把握する行為は、自己確認から自己実現へと僕を立ち向かわせるもののように思われる。なぜなら、ここにおける自己は運動体なのであり、それは一瞬、一瞬に位置を買え、その運動のエネルギーによって自らも変化し続ける存在だからである。運動体である自己には当然運動の法則があり、法則の中における運動方向の自由な選択があり、運動の結果に対する認識がある。つまり、動く自己を可能性として捉え、その極限にまで自己をおいつめてみたいという衝動が生まれる。自己を取り巻く生の枠組みが強固であり、そこに残されている自由の幅が狭ければ狭いほど、ぼくは自己のもつ自由の限界をさぐり、次にそれを突破する可能性を探さないわけには行かなくなる。それは自己確認から出発しつつも既にその枠を超えた可能性としての自己実現の衝動に他ならない。この可能性は現実性ではないわけだから、その衝動が実現する保証は常にはない。しかし、そのことは今ほとんど問題にならない。なぜなら、可能性は可能性として人間のうちに孕まれることが重要なのであり、そこにこめられる熱い願望の密度が問題なのであり、現実性への転化の打率によっておしはかられるものではないからである。人間の生の全体は、行為の結果の総計として捉えられるものではなく、行為の中に籠められた熱い思いによってもまた。測られねばならぬものだろう。[iv] 黒井の記述を長く引用したが、様々な葛藤を経験する日常的な労働の場は私たちにとって変化し続ける自己の確認の場であるということが言えるだろう。社会的世界の中で他者との対応を通じてこそ、私たちの自己確認は可能となる。自己の位置確認と存在証明は、他者たちとのコミュニケーションと社会的世界への参加を通して行われる。何が厄介といって、人間関係ほどむずかしいものはない。逃れようにも、こればっかりはどこまでも付いて回る。私たちは、この煩わしさを引き受けなくてはならない。[v] 組織に入れば、すでにそこには人間関係がセッティングされていて、その中に自分が入っていかなければならないのだ。好きも嫌いも言ってはいられない。相手がどんな人であろうと、否応なしに、その人たちは同僚となり先輩となり上司となる。自分が間違っていなくても謝らなくてはいけないこともあるし、愛想笑いをしなければならない時もある。理不尽だと思いながら、時として、こういうことも受け入れなければならない。彼ら彼女たちは、他人と接するときは自分の感情をコントロールしなければならないと思い込んでいる。でも、それが苦手でしょっちゅう失敗する。そんな自分は社会に適合しない、ダメな人間だと考え、悩んでいるのだ。彼ら彼女たちにとっての毎日は、壊れたイスに無理やり座らされているように居心地が悪く、背骨が痛くなる日々なのだ。[vi] そうした中で私たちは自己に向き合う。自己は日々変化する運動体なのだ。

 やむことのない自己確認への衝動に駆り立てられた黒井は、「サラリーマン」という言葉によって一群の人間を捉えることは間違っていると述べる。黒井が述べるところによれば、一人の人間の生活の全体、または主要な部分を取り出してそれに名を与える時、この呼び名は衰弱した印象しか与えない。「サラリーマン」という表現は職業を表わすものではなく、給与生活者という経済的な生活形態を表現するものである。しかしこの言葉が使われ、それによって名指される一群の人々の問題が論じられる場合、そこには抜きがたい「サラリーマン」のイメージが定着している。「サラリーマン」というとき「哀歓」とか「悲哀」とか言う言葉が連想される。このような貧血的なイメージしか沸いてこないのは、「サラリーマン」という言葉には、結果についての表現しかないからだ、と黒井は述べる。つまり、ある人間が給料を支払われるのは、それが労働の結果だからであるのに、この原因の部分が脱落してしまっている。「サラリーマン」からは何の労働のイメージも生まれてこない。そこには消費のイメージはあっても生産のイメージは拒まれている。うずくまる悩みの湿気を感じることはあっても、ダイナミックな苦しみや怒りの熱を見出すことは困難である。このようなことは、「サラリーマン」の実生活において「労働」が意識面から追放されている、または追放することが熱望されていることによって起こる。自分のことが自分で決められない一つの機構の中に埋め込まれた、いつでも取り換えのきく一片の歯車のようだという捉え方は「サラリーマン」の敗北性に関係がある。企業体の目的を遂行するために機構はあるわけだし組織は生み出されるのだから、組織の中で生きる人々の問題を生身の人間の側から考えていくためには、組織が作り出された目的そのものと人間との関係を明らかにしなければならない。組織の原点と人間の原点、この両点の衝突の場に「労働」はある。そして「サラリーマン」という言葉の中からは不思議にこの「労働」の部分だけがするりと抜け落ちている。ここに「サラリーマン」という言葉の欺瞞性がある。自分を「サラリーマン」であると認めたとき、あるいは「サラリーマン」と他人によばれることを自らに許したとき、彼は自分で自分を騙したことになる。なぜなら、そのとき彼は自分の「労働」から逃げ出して、無責任にも自分を曖昧模糊とした「サラリーマン」という名の影に売り渡したことになるのだから。彼がどのように巧妙に自己を欺いたとしても、朝になれば彼は職場に出かけていくのだし、二日酔いであろうが寝不足であろうが出勤すればそこに厳としてかれの労働が彼を待ち構えているのだから。[vii] 

 以上のような黒井のサラリーマンについての記述は「被差別者の自由」を享受するOLにも当てはめて考えることができるのではないだろうか。ここで、この論文の視点であるOLに立ち返りたいと思う。OLという言葉には、すでに繰り返し記してきたようなイメージがあり、そこには、生きがいに結びつくような労働は抜け落ちている。仕事はお金を得るための手段と割り切って働き、私生活での充実を求める。OLにとって労働は、収入を得るためにやむを得ず引き受けるものであり、常に厭わしいものである。このような生き方では、「職業に生きる」ことはできない。私たちが到達し得る生きがい、確保し得る幸福は職業生活の外側だけにあり、したがってそれはハーフハピネスでしかない、と尾高邦雄は述べている。[viii]では、私たちが日々苦痛と感じ抜け出したいと願っているのは労働そのものなのか。否、私たちが脱出を願っているのは、現在の労働または現在の労働のシステムなのではないだろうか。OLにとって、人間と労働との真の出会いであり、労働という行為がその中に本質的に持っている創造機能が瞬間的であれ活動する、[ix]という場面は極めて稀である。さらに労働からは目的が奪われている。自分の仕事の結果がどのような意味をもつのかを私たちは知ることができない。組織の中で部分的な労働にしか携わっていないので、全体像が見えてこない。全体が見えなければ部分を正当に把握することもまた不可能になる。企業活動における各機能の把握とは、いわば抽象的な視点を企業内に据えたものであるのに対し、労働を見つめる視点はむしろ具体的な個人の中に根ざしている。労働の主体である個人の中にありながら、その視線は個人を超えて直接的に生産者と消費者を結びつけてしまう。その視線の中に初めて僕らの労働の全体像は浮かび上がる筈なのに、この目を労働の細分化の中で私たちは奪われているのだ。[x] 

 では、労働の中に働きがいを見出せないことを私たちはどれだけ深刻に自らの問題として意識しているだろうか。巨大な管理組織の中で自分自身を探し出すことはほとんど絶望的な作業ではあるが、別の方向から光をあててみるならば、いわば管理社会の小典型である企業組織の中でこそ、人間はどのように生きることを望むものであり、どこにその手がかりを得ることができるかが先駆的に問われているのであり、その答えを求められている。決して生きよくはない組織の網の目の中で人間として直立するためには、先ず自らの労働に目を向け、そこに自己の原点を探り直し、その地点に突破口を見出す以外にないのではないだろか。そのためには意識面で労働から逃げ出すことを自分に拒絶することから全ては出発する。[xi] フロムに沿っていえば、私たちには本来「ありたい」という欲求がある。私の中心は私の中にある。私のある能力と自らの本質的な力を表現する能力とは、私の性格構造の一部であって、それを左右するのは私である。持つことは何か使えば減るものに基づいているが、あることは実践によって成長する。理性の、愛の、芸術的、知的創造の力、全ての本質的な力は表現される過程において成長する。[xii]

 OLの仕事は見たところ、受動的である。しかし、自らの労働に目を向け、組織の中にあって「個」を失わない、具体的には、仕事を通して自己の内面を律することのできる「職業意識」を求めている状態は、フロムが言うところの、行動としての主体を経験しない「疎外された能動性」の状態ではないと考えたい。職業意識だけが、管理組織そのものに内側から対決していくことができる。会社とはいくつかの職業が一つの目的に向けて組織された場所に過ぎないが、職業とは産業社会において人間の自立を保障する根源的な支えである。[xiii]OLに大切なのは、職業人としての自立意識ではないだろうか。キャリアは単に仕事・経歴をさすものではなく「生涯に経験する全ての職業、行動、考え方、姿勢」まで含む、自己実現、人生そのものをいう。[xiv]キャリアを充実させるためには、自ら良き指導者との出会いを求めて主体的に動いていくことの重要なことを松永真理は述べている。岐路に立ったとき正しい判断ができる助言を得られるメンターとの出会いは、誰にもある才能を生かすきっかけを生む。日本型雇用慣行の中で多く見られた男性管理職者は、自分の体験した枠組みでしかものをとらえられない、自分たちとは違う価値観や違うやり方を理解しようとしない。彼らは女性や若手にとって指導者ではなく、監視者である。松永は、勤勉の先が見えなくなってきている今の日本企業に、仕事を指示するだけの上司ではない、個人の力の結集を組織の力につなげてあげる良き指導者、メンターの存在が働く者にとって重要であることを強調する。これまでの組織長は、がんばれば課長にする給料をあげると言っていればよかった。つまり、出世のメカニズムにのっとって、ニンジンを鼻先にかかげていればよかったのである。ところが、今やポストはない。原資も少ない。そうなると、誰がいったい組織長についていくというのだろうか。これまでなら、人間として尊敬できなくてもニンジンさえあれば、人はついてきてくれたものだ。だが、もうそれは期待できない。だとしたら、人は何のために働くのだろうか。松永はこう述べている。出世だけでもない。お金だけでもないとしたら、それは、自分の能力が開発される喜びを得たいためである。これまで、日本人は自分を犠牲にしても組織のために働き続けてきた。そうするだけのメリットを手にできたからである。しかし、日本企業の中で、出世のヒエラルキーは崩れつつある。組織の中で働く者は、監視者ではなくコーチングできる人、つまりメンターの存在なくしては働く意味がなくなってきている。[xv] 組織には必ず目標があり、それに向かって私たちは仕事を行っている。しかし、組織の目標が個人の目標や生きがいになっているとは限らない。むしろそのギャップはどんどん広がっていると思われる。個人の目標の見えにくい時代になった今、私たちは共通の組織目標を大切にしながらも自分で自分の目標を創り出す力が求められている。[xvi]

『日本株式会社の女たち』に、大手電機メーカーの関連コンピューターソフト会社で業務部次長をつとめる41歳の女性が紹介されている。彼女を特徴づけているのは、自分のやりたい仕事の実現に必要な条件を、自力で調達しようとする自分へのひたむきな忠実さである。彼女の励みは、米国で著名なコンピューター研究者と意見交換したときの彼の言葉だ。「あなたを引き上げるものは、従来の会社員のように会社への忠誠心ではなく、仲間からの賞賛でもない。ただ、あなたが心からやりたいと願う仕事だけがあなたを引き上げてくれる」。[xvii] 私たちは、生きるに値する人生、より大きな幸福と、私生活と仕事での発展と成功のために、自分のキャリア形成のために働くのだ。それこそ、「疎外されない能動性」の状態、「あること」であると言えよう。最後にアランの『幸福論』から引用したい。どんな職業でも、自分が支配しているかぎりは愉快であり、自分が服従しているかぎりは不愉快だ。人間はもらった楽しみに退屈し、自分で獲得した楽しみのほうをはるかに好むものなのだ。しかもなによりも行動し獲得することを好む。[1]

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引用文献

[1] アラン著、串田孫一・中村雄二郎訳『幸福論』141-142頁、白水社、1990年。

[i]清水正徳『働くことの意味』171-186頁、岩波新書、1982年。

[ii]片桐雅隆「労働・余暇・私化」山岸健・江原由美子編『現象学的社会学・意味へのまなざし』279-282頁、三和書房、1985年。

T・ルックマン著赤沼憲昭他訳『見えない宗教』ヨルダン社、142-143頁、1976年より引用。

[iii] 山岸健『日常生活の社会学』75頁、NHKブックス、1978年。

[iv] 黒井千次『仮構と日常』22-33頁、河出書房新社、1971年。

[v] 松永真理『なぜ仕事するの?』51-52頁、角川文庫、2001年(原著は1994年刊)。

[vi] 『コスモポリタン2001年11月号』31-32頁、集英社。

[vii] 黒井、前掲書、159-164頁。

[viii] 尾高邦雄『職業の倫理』67-68頁、中央公論社、昭和45年。

[ix] 黒井、前掲書、165頁。

[x] 黒井、前掲書、167-168頁。

[xi] 黒井、前掲書、172頁。

[xii] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』154頁、紀伊国屋書店、1977年。

[xiii] 黒井、前掲書、178頁。

[xiv] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クエストで成功をつかもう』8頁、光文社、2001年。

[xv] 松永真理、前掲書、171-172頁。

[xvi] 全国大学・短期大学実務教育協会編『オフィス・スタディーズ』142頁、紀伊国屋書店、1994年。

[xvii] 竹信三恵子『日本株式会社の女たち』139頁、朝日新聞社、1994年。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑬余暇と労働-労働の場としての組織と「社会的世界」との関連から

2024年10月10日 01時36分41秒 | 卒業論文

 黒井千次は、労働の中に生きがいを見出すことができなければ私生活へと関心を向けるのは、病床の寝返りに過ぎない、と述べているが、余暇と労働の問題を考えるときの一つの視点として、余暇を媒介として成立する意味的世界も「社会的世界」の一つと考える私化論の立場をここで紹介しておきたい。山岸健は、日常生活を他者への関係づけ、他者への関与を通じて構築される社会的世界という局面でとらえた。[1] 私たちの生活の舞台である日常的世界は、私たちに共通に与えられた時間的空間的世界、「社会的世界」なのである。時間的に、また空間的に、様々なスタイルで存在する人々によって秩序づけられる「社会的世界」において見られる諸活動が日常生活といえるのであった。[2] こうした「社会的世界」を労働の場としての組織との関連で捉えるとどうなるだろう。現代社会において人間の絆が極めて多様化した側面を持ち始めている、と指摘する私化論の立場に立つ片桐雅隆の記述に沿ってみていきたい。

 私化論の立場から見た現代社会における人々を結びつける絆は、伝統的な家、組織、地域などによってすでに与えられた規範に基づいて形成される境界のはっきりし、誰もが自明としうるものではなく、一人一人の人間が自らの意味付与によって築き上げていくもののように思われる。そのような絆によってまとめ上げられる人々の集まりを説明する概念としてD・R・ウンル-の「社会的世界」という考え方をまとめれば、成員資格とか地域的限定など、形式的に決めることのできる境界によってくくられた人間のまとまりではなく、人々が共属していると「内的に理解」し合うことによって成り立つまとまりが「社会的世界」なのである。それには様々なものが含まれる。一人一人の人間が互いの存在を確かめながら作り上げる付き合いの世界、趣味やスポーツなどを媒介とした集団、ファンクラブ、あるいはより抽象的なまとまりとしての思想や学問の共有を媒介として形成される人々のまとまりなどが「社会的世界」の例である。人々が自らの「社会的世界」に参加することは、人々がそのことに意味付けの根拠を見出しているからであり、彼らの日常生活の営みにとって重要だからである。そして、この「社会的世界」を考える上で不可欠なことは、この世界がそれへの人々の関わりにおいて初めて成立するということである。もちろんその関わり方は多様であるが、「社会的世界」への安定した参加者は、その世界の形成と維持に深く関わり、その世界に自らのレリヴァンス[3]を見出し、また供給されるのである。このように、「社会的世界」とは、規模の大小、人々の関わり方の程度、境界の規定など様々であり、それ故に曖昧に定義されたものであるかもしれない。しかし、現代人の行動をくくるものが、すでに与えられた目に見える境界をもった在来の組織や地域などにのみ求めることが難しいとされる今日、それらの枠を超えて成立する人間のまとまりの概念として「社会的世界」という考え方は示唆的である。

 ここで、労働の場としての組織を「社会的世界」との関連で捉えてみる。組織は、成員の資格、境界などのはっきりした人々の集まりである。そして、そこでは、特定の目標、役割・地位に基づいた行動が見られると考えられている。そのこと自体に誤りはない。しかし、私化論の指摘に従えば、生活領域の多様化の指摘される現代において、特定の組織の成員たちはその組織とは相対的に独立したそれぞれの「社会的世界」をもっている。組織とは、多様な「社会的世界」を持った人々の集まりであり、それらの人々の目的や関心の競合する場なのである。そして、組織を様々な「社会的世界」の競合の場として考えた時、初めて労働と余暇の関連を捉える視点にたどり着く。現代社会において余暇は、あくまでも労働との関連において語られる。余暇の発生と労働とは不可分な関係なのである。産業革命以後の原生的労働関係における労働と余暇の関係は、長時間労働を強いられ、時間としての余暇は極めて少なかった。次に余暇を労働政策のひとつとして捉える時期がある。労働への補完的機能としての余暇の位置づけは現代でも多く偏在していると思われるが、現代ではさらに、余暇は労働とは相対的に独立した一領域になりつつある。仕事=労苦、遊び=安楽というような二分した捉え方が一般的になっていることがそれを示している。

 私化論において重要なのは、労働と余暇の関係を単に客観的な時間や空間の問題としてではなく、あくまでそれぞれの領域に人々がどのような意味付けをしているかという点から出発して扱おうとしたところにある。このような考え方は、「社会的世界」という考え方と多くの共通性を持っている。「社会的世界」のまとまりは、組織や地域などの目に見える境界によって区切られるのではなく、あくまで人々がそこに共通の意味づけを見出す限りで成立するまとまりである。余暇を媒介として成立する意味的世界を「社会的世界」の一つとして考えるならば、私化論の捉えようとした現実と「社会的世界」論のそれとは共通するものである。私化した社会を前提として初めて「社会的世界」についての考え方が成立したと言えるかもしれない。[4]

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引用文献

[1] 山岸健『日常生活の社会学』10-11頁、日本放送出版協会、1978年。

[2] 山岸、前掲書、98頁。

[3] レリヴァンス;有意性などと訳される。多義的であるが、個人や集団が自分たちにとって有意味な生活領域を特徴づけるときの評価や判断の基準となるもの。レリヴァンス体系が交差したり共有されるとき、人々の相互理解が可能になるといわれる。(有斐閣『社会学小辞典[新版]』

[4] 片桐雅隆「労働・余暇・私化」山岸健・江原由美子編『現象学的社会学・意味へのまなざし』289-292頁、三和書房、1985年。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑫公的生活と私的生活のバランス (余暇と労働)

2024年10月08日 01時31分42秒 | 卒業論文

 日常生活の秩序ある営みは、役割の分担、役割のコントロールによって可能となることは明らかだ。様々な役割をどのように調整しながら、己自身をどのように他者にかかわらせてゆくのか、しかもバランスをとってどのようにしてあくまでも自分自身であり続けるのか、ということが問題となる。公的生活と私的生活との調整は、今日きわめて大きな問題となっているといえるだろう。[1] 仕事=労苦の対極にあるものとして余暇は位置づけられる。労働それ自体にも、また企業への帰属によっても、労働の「意味」が見出せないならば、労働はあくまでも手段とし、個性や創造性といった「自己実現」は、他の領域に求めるほかない、といった考え方に私たちは導かれる。労働の喜びであり本質であったものが労働以外のものに求められるようになったのである。現代の高度産業社会では労働と家族や余暇の生活は、場としても、あるいは時間の区切りとしても明確に二分されてきただけでなく、双方の間に質的な違いが生じてきた。公的領域としての国家や労働の領域は、様々な規則や価値によって構造化されているが、一方、それらの領域の巨大化、細分化によって、人々はそれらの領域を通したアイデンティティの確保が困難となってきている。そして、一方、私的領域は、構造化された公的領域から相対的に独立し、その組立てはかなりの程度、個人の裁量に委ねられるようになってきた。そのために、人々は公的領域ではなく、私的領域に人生の意味や自己のアイデンティティを求める傾向になるのである。[2] このように、現代の生活では、公的生活と私的生活に見られる生活態度の両極化、つまり、社会的諸領域の二元性が顕著であり、[3]両者は分断されている。

 ここで言う労働とは、雇用労働を意味し、余暇とは睡眠や食事などの生理的な活動のために必要な時間と、労働や家事などのために必要な時間を除いた時間と一般には定義されているが、ここでもその原則にしたがって考える。

 仕事と余暇のバランスについて、『現代日本人の意識構造[第五版]』によれば、近年の傾向として、男女共に仕事中心の生活から余暇を取り入れた生活へと理想を変化させている。このような考え方の変化は国民一人ひとりが変わったためではなく、余暇と仕事の関係についての考え方は、基本的には生まれ育った時代によって決まっている。男性について生まれた年を基準にした統計によれば、余暇も時には楽しむが、仕事のほうに力を注ぐという仕事優先と、仕事に生きがいを求めて全力を傾けるという仕事絶対の「仕事志向」タイプは、若い世代で少なく年をとった世代の方が多いが、25年前と比べるとその高年世代でも時代の影響を受け減少している。一方、「仕事・余暇両立」は、戦後に生まれた世代では四割以上に達し、それより上の世代では徐々に少なくなっている。このように男性に見られる「仕事志向」の減少と「仕事・余暇両立」の増加は、これまで仕事一筋の生き方がモデルであった男性が、仕事だけではなく余暇も含めて人生を楽しむことへと気持ちが動いていることを示している。戦後の日本はアメリカやヨーロッパに追いつけ追い越せと働き、現在の日本は物質的に豊かになり、衣食住に満足という人は25年前の59%から74%に達した。高度経済成長期を経て、今は豊かな生活を築くことよりも、「その日その日を自由に楽しく過ごす」ことや「和やかな毎日を送る」ことが生活の中で大切だと思われている。経済的にさらなる発展を求めるよりも、今の豊かさは維持しつつ人生を楽しみたいという意識が人々の中に芽生えている。このような生活目標の変化が「仕事と余暇」の意識に絡み合い、余暇を肯定的に評価する動きとなっている。余暇の過ごし方についても、明日の仕事のために体を休めるという消極的な過ごし方ではなく、男性のすべての年齢層で「好きなことをして過ごす」ことが「休息」を上回っている。「自分の自由になる時間をもちたい」という気持ちのあらわれは、右上りの成長が望めない現在の日本において、これ以上の経済的なゆとりを手に入れることが困難であることを人々が感じ取り、生活に求めるものが従来とは異なるものへと変わってきているといえるだろう。[4]「勤労・勤勉の精神」が効率を追い求め、余暇の時間をも、濃密な時間、意味のある時間、充実した時間を体験しなければ、と義務のように私たちに思わせることは先述したが、『日経ウーマン2003年2月号』には、「あなたを幸せにするスローライフ宣言」と題して、効率、スピードの象徴としての食べ物「ファストフード」に対する言葉として話題になった「スローフード」、ここから転じて生まれた「スローライフ」という発想を提案している。「スローライフ」は何も、「特別な生き方」ではありません。自分のペースで無理なく生活するスタイルなのです。あなたなりの「スローライフ」を送ることで心に余裕が生まれ、心身のバランスがよくなる。“自分流”の生き方を見つけ、実践することで、仕事もプライベートもうまくまわり始めます。[5] こうした新たな発想は、今日の余暇には労働からの免除という意味もあるが、さらに労働との関連ばかりでなく、余暇独自の意味づけが生まれてきていると考えられる。

 だが、サラリーマンのほとんどが余暇の量と質の充実を望みながら、現実には働き中毒を余儀なくされている。『週間SPA2003年9月30日号』から1日13-14時間労働のサラリーマンの激務の例を紹介したい。「毎日朝4時にタクシーで帰宅。土日出勤も、3ヶ月間休みがゼロなんてことも当たり前。当社の場合『定時帰り』とは『終電に乗れた』ことを指すくらいですから」と言うのは、28歳ビジネスコンサルタント。とにかく短期間で結果を出すことを要求されるため、必然的に仕事量は多くなる。それでも朝は9時に定時出社である。月に150時間残業しながら5時間分の残業代しかつけられないというOAメーカーの男性(35歳)はそれでも「仕事だから仕方ない」と割り切る。「仕事は“その時”で評価が決まるので時期を逸すると“駄目”の烙印をおされてしまう。その烙印を払拭する手間を考えれば自分のプライベートな時間を惜しんではいられない」のだ。[6] 『日本人の生活時間2000』によれば、平成不況は企業が大規模なリストラにより経営の合理化を図って乗り切ろうとしているので、有職者一人当たりの仕事時間が1995年と2000年との比較で増加している。不況による仕事の総量の減少を上回って働く人が減らされたため、残された人に長時間労働というしわ寄せが来ているのである。[7] 

 

 公的生活と私的生活を考えるときに、公的領域においては匿名的な存在になる昼間の職業人としての私たちは、いわば機械の中で作られてしまった仮の人間であり、私的領域にある夜の時間が本当の人間なのだ、という考え方が一般的にある。しかし、一人の人間を考える時、その人の意志と立場とその両者が統一された総体(あるいは分裂しているならば分裂したままの全体)こそが、その人の本当の<人間>に違いない、と黒井千次は述べている。これは大げさに言えば、例えば同じ寝巻で眠るにしても、普通の人と警察官とでは眠り方が違うのだということになるかもしれない。一人の人間の内容は昼間の機能面だけでなりなっているわけではないが、昼間の職業人として求められている役割を果たす動く人間の現状を捉えるところから出発しなければ、あまりに茫漠とし、あまりに流動する現代の人間を捉えることはきわめて困難なことになる。しかし、昼間の人間は人間のトータルではない。問題は昼間と夜のどちらに視点を置くかであり、黒井は昼間の職業人としての人間を重視する。昼間を貫いて夜に至る視線をもって、闇の中にうごめくものの形をおぼろおぼろにでもつかみたい、と考えたのだ。[8] 昼間の公的な領域にある人間も夜の私的な時間を過ごす人間もどちらも固有の人格をもつ全体的人間として存在する。毎日の生活において、いわば集団人として生活している私たちには、役割演技者であるpersonとしての生活に集団人の一面がみられるが、私たち自身は一面的断片的な役割演技者としてだけ存在するのではないのだ。あくまでも、現実には固有の人格、全体的人間として存在しているのだ。けれども日常生活のさまざまな場面においては、私たちは、ある役割を演ずる-personとして、他者の前に現れる。かけがえのない一人の人間は、そうした役割の背景に隠れてしまっているのだろうか。あるいは人間の姿は見られても、人格は見失われてしまっているのだろか。[9] 山岸健によって役割演技者と言う視点が示された。黒井がこだわる昼間の私たちは、組織の拘束を受けながら、組織人としての役割を果たさなければならない。私たち人間は様々な役割を果たしながらそこに意味と価値を創り出していくのだ。[10] 私たちは実に多くの集団に属している。集団人として生活している私たちにとって、どのような集団にどのような状態で所属しているかということは、日常生活の基本的な問題事項である。どの所属集団をとってみても、私たちの全生活を包括するものはない。私たちは、おのおのの集団で果たさなければならない「役割」に必要なかぎりにおいて、その集団に参与し、それに応ずる物質的・精神的報酬を受け取っているに過ぎないのである。だから生活の全関心を充足しようとすれば、多くの集団に「分属」し、空間的にも時間的にも、それらの集団を渡り歩かなければならない。どの集団にも埋没しない「複数の所属集団」が現代人の運命となる。[11] 断片的に様々な集団に属し役割を果たす現代の私たちを全体的人間として捉えることは容易なことではないと思われる。

 

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引用文献

[1] 山岸健、『日常生活の社会学』12-13頁、日本放送出版協会、1978年。

[2] 片桐雅隆「労働・余暇・私化」山岸健・江原由美子編『現象学的社会学・意味へのまなざし』279-282頁、三和書房、1985年。

[3] 山岸健、前掲書、107頁。

[4] NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第五版]』151-158頁、NHKブックス、2001年。

[5] 『日経ウーマン2003年2月号』22頁、日経ホーム出版社。

[6] 「仕事だから仕方ないはどこまで仕方ないのか?」『週刊SPA2003年9月30日号』38-44頁、扶桑社。

[7] NHK放送文化研究所編『日本人の生活時間・2000』50頁、NHK出版、2002年。

[8] 黒井千次『仮構と日常』17-20頁、河出書房新社、1971年。

[9] 山岸、前掲書、12頁。

[10] ボーヴォワール著、『第2の性を原文で読み直す会』訳、『第二の性・Ⅰ』48頁、新潮文庫、2001年。

[11] 日本社会学会編集委員会編『現代社会学入門[第2版]』26-27頁、有斐閣、1980年。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑪モラトリアム

2024年10月02日 08時07分27秒 | 卒業論文

 若年層ほど企業定着率が低いことを「あること」との関連で考えてみたい。先に「前のめりの時間意識」で、青い鳥幻想について記した。この幻想が、現代では「自分らしさ」「本当の自分」、あるいは「個性的なライフスタイル」などといった標語となって、華やかなコマーシャリズムの世界から私たちの不安な心に語りかけている。こうした標語に惑わされ、「自分探し」へと駆り立てられるのはOLばかりではない。第五章で、20代後半の女性の転職率の高さに注目したが、若年層ほど継続就業率が低いことは男性にも顕著な現象である。『平成9年就業構造基本調査の解説』の年齢階級別の転職率をみると、男女ともにおおむね年齢層が低いほど転職率が高くなっており、特に25歳未満の男女では10%を超えている。1992(平成4)年と比べると、男女ともに多くの年齢層で低下しているが、「15~19歳」では男性1.8ポイント、女性1.7ポイント上昇している。(表6-1、図6-1) 転職率を男女別に見ると、男性3.8%、女性5.3%となっている。また、転職者について転職理由別の構成比をみると、男女ともに「労働条件が悪かったから」(ともに17.9%)が最も高く、次いで、男性は「収入が少なかったから」(13.0%)、「自分に向かない仕事だったから」( 12.7%)、また、女性は「自分に向かない仕事だったから」(11.8%)、「収入が少なかったから」(11.5%)などとなっている。[1] 

 「フリーター」と呼ばれる若者は、年々増える一方で、文部省の学校基本調査によれば、1999年春の4年制大学卒業者のうち、就職も大学院進学もしなかった人は過去最高の10万6,000人で、全体の19.9%を占めた。就職難の影響だけでなく、企業に縛られずに自分の都合に合わせて仕事ができ、また気軽に仕事を変えられるところに魅力があると思われる。[2] 大学院に進学する若者も増えている。2000年に博士課程に在籍していた学生は62,388人。1991年の29,911人に比べ、2倍以上の伸びだ。修士課程の学生も同様に大きく増えている。こうした背景には、文部省の専門知識を持った人材の養成という答申によるところが大きい。だが、今の日本にそうした人材を求めるのは難しい。戦後の豊かさの中で育った若者は、厳しい受験戦争を経て大学に入る。彼らにとって大学とは、学ぶ場所ではなくリラックスするところだ。「3、4年前から何もすることがないから大学院に来たという学生が増えている」と、関西のある国立大学大学院の教授は言う。「私は彼らを『豊かな失業者』と呼んでいる。彼らにとって大学院は『自分探し』の場所のようだ。[3] 雇用情勢が厳しいにもかかわらず、やっと入った会社を3年以内で辞めていく若者も多い。『週刊東洋経済』の2001年3月3日号の記事によれば、「七・五・三」と言われる。就職しても、中卒で7割、高卒で5割、大卒で3割が会社を辞める。若者の大離職時代がやってきた。特に最後の「三」、大卒離職者の増加が目立つ。2000(平成12)年版労働白書によると、四年制大学を卒業し、厳しい戦線を潜り抜けて就職した若者の33.6%が、三年以内に辞めていく。「MBAを取りたいから」といった目的を持って去る者。「やりたいことができない」「つまらない」「人間関係が面倒」そういい残し、なんとなく辞めていく者。“一生一社”の時代はとっくに終わった。大企業がつぶれ、親がリストラされる現実も見ているだろう。少子化で親の援助を受けやすくなっていることも一因するかもしれない。それに、彼らは「自分らしさ」を大事にしている。組織の論理で動く会社という場所に失望するのもわからなくはない。[4] 彼らは、きちんとした職業教育も受けないまま、「就社」したために、画一化された会社人間になっていくことに抵抗し、組織の中でやりたいことを見つけられないまま、早々に見切りをつけてしまったのではないだろうか。日本企業では採用時に企業の説明を十分に行わない。なぜ入社3年はこの仕事なのか。それが将来のキャリアにどうつながるのか。マイナス情報も含めての提示がないのである。日本的経営システムの下では、転職するときに初めてキャリアとしての「就職」のスタートラインに立つのかもしれない。近年、女性に重く偏っていた非正社員化の傾向は、男性にも及んでいる。最近、派遣社員となって働く男性が増えてきた。リストラの荒波を受けた中高年者が、派遣会社の門をたたくケースもあるが、独立や資格取得までの間、当座の収入を得る手段など、主体的にこのコースを選択する場合もある。派遣労働は、今まで女性に与えられたフレキシブルな労働の一つのパターンと考えられてきたが、このコースに男性も参加し始めている。こうした傾向は定年にはほど遠い20-30歳代の男性にも広がっている。派遣労働は男性にとっても働き方や生き方の選択肢の一つになりつつある。[5]『週刊SPA2002年5月14日号』には、20-30歳代の4人の派遣社員の男性が紹介されている。雇用条件、収入面で「正社員」と差が就く彼ら「派遣社員」の拠りどころは、社員として働いても派遣で働いても、営業である限りやる仕事は同じ、マイナス面はわかりにくい。(28歳) プロとして派遣されているという意識もあるし、派遣先もそう見てくれている。(30歳) 会社にしがみついていかなきゃいけない年配の人を見ると派遣のほうが身軽(26歳) 派遣といっても、会社を盛り上げるために業務に携わっている。周囲の扱い方が問題。(34歳) 彼らには安定という幻想がなくプロフェッショナルとしての意識も高い。彼らの表情は朗らかだ。[6]

 こうした企業定着率が低い若年層をどう捉えるか。フリーターという言葉は、10数年前、『フロムエー』の編集長道下裕史によって作られた。その時の定義は、「いつまでも夢を持ち続け、社会を遊泳する究極の仕事人」だった。一つの会社に縛られることなく、限られた人生の中でいろいろなことを経験したい、本当に自分がやりたいことを探す時間がほしいという彼らには、日本型企業社会に通念だった働き方は通用しない。「フリーター」という呼称は、雇用形態だけではなく、彼らのライフスタイルも表す。リクルートフロムエーの『フリーター白書2000』はフリーター人口を344万人と試算している。(この数字には派遣社員も含まれる)フリーターになってからの平均月収は11万円で、61%が親と同居している。フリーターの多くは親と同居しているから収入が低くても暮らしていける。親から反対されても現実の生活を考えれば親元にいることのメリットは捨てがたい。このリポートによれば、フリーターのほとんどの者は、今後ずっとフリーターを続けていくとは考えていない。多くの者がフリーターである時期は過渡期であると認識していて、将来は何らかの定職に就くことを考えている。フリーターには、定職に就くとしたら「本当に自分がやりたい仕事をしていきたい」という、やりたいことへのこだわり意識が強くある。今はまだやりたいことの方向が見出せない者にとっては、それをみつけるためにも時間が必要である。またやりたい仕事が見えている者でも、すぐにはやりたい仕事に就くことができないために、準備を重ねる時間を確保するためにフリーターの道を選択したという者もいる。いずれにしても、フリーターにとっては、やりたいことに向かうためには自分の時間が大切である。フリーター達の多くにとっては、将来は自分がやりたい仕事をしていくのが望みであり、そのために今のところは安定した収入や生活のためにやりたくない仕事に就いて貴重な自分の時間を割いていくという“妥協”をしようとは思わない。“現在”フリーターでいることは、自分の時間が確保できるという点で、定職に就くよりもメリットがあるといえる。しかしいつまでもフリーターをしていても、“将来”はフリーターであることのデメリットの方が大きくなるだろうと漠然と感じている。フリーターには、将来は手に職を持って自分の力を頼りに仕事をしていきたいという志向が強い。就社よりも職業選択を第一と考えるのだ。フリーターの大半が将来は自分のやりたいと思った仕事ができて、人並みの生活ができればよいというところに落ち着く。人並みの生活ができるという点は彼らのイメージの中でも重要であり、家族がいて、住まいがちゃんとあって、車は持って、ある程度の物質的欲求は満たされる生活が望みである。

 第五章の「パラサイト・シングルの労働観」では、山田昌弘に沿って、基本的な生活コストを負担することなく親に依存しながら生活する「いいとこ取り」のパラサイト・シングルだから、「仕事を通して自分を生かす」ことを求めることができることを記した。フリーター暮らしは「生活費の心配をしないぜいたく」なのだ。フリーターでも個の確立が条件になる。かりに「こうなりたい」という目的意識があったとしても、親のスネをかじっているようでは、ただの甘えに過ぎない。[7] その日暮らしの刹那的な生き方をしているフリーターは甘やかされた「パラサイト・シングル」と映る。山田は、パラサイト・シングルは日本経済を食いつぶし、日本社会の活力をそいでいる、と考えている。そんな若者は親から引き離し、自立して生活させるべきだ、というのが山田の持論だ。この主張に共感する大人は少なくない。ここでは、こうした主張とは異なって、「目的意識」をもちながらフリーターを続ける若者を、モラトリアム期にある者として捉えてみたいと思う。彼らには、黒井千次が述べるところの、「働きがい」の喪失に困惑する「労働無関心層」という面が見てとれる。

 あなたの人となり-個性や人格-は、多くの外的・内的な要因から形作られていく。外的要因は社会文化的なもの、つまり、「環境、家庭、職業」などで、内的要因は「遺伝、体質、気質」などである。この二つの要因が影響しあって「自分らしさ」が出来上がっていく。一般には子供の頃に出来上がった性格は一生のものと考えられがちだが、そうではない。外で起こった出来事がニーズや価値観を揺り動かし、バランスを狂わせるようなことは、むしろ大人になってからの方が多いともいえる。人生には様々な転機が訪れるのである。そうした転機を自分が成長し、次の段階へと進むことを促すサインと受け取れず、多くの人が悩む。次々とふりかかってくる変化や精神的な悩みは実は混沌としたものではなく、人生にはある一定の周期があり、それぞれにその段階に応じた課題がある、とキャロル・カンチャーはと述べている。[8] カンチャーはこのライフ・サイクルという考え方に基づいて、こうした周期の変わり目、次の段階へ移るための不安定な時期を変動期と呼ぶ。こうした時期にある人間を「モラトリアム人間」(猶予期間にある人間)と呼ぶ。小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』から引用したい。この著作の出版は1981年だが、20年を経て先行きの不透明な現在、次のような傾向はさらに強まっていると考えられる。

 企業の中では、今の職業を一生の仕事にするかと問われて、イエスと答えない青年が珍しくなくなったし、何を専攻するかときかれて、もうしばらく広くいろいろと勉強してからと答えるのが、大学院生や研究者の一般的風潮になってしまった。形の上では就職しても、その企業職員としての自分を本当の自分とは思わず、本当の自分はもっと別の何かになるべきだ、もっと素晴しい何かになるはずだ、と思いながら、表面だけは会社の仕事をつつがなくこなし、周囲に無難に同調するタイプのサラリーマン。すでに形の上で結婚し、子供さえできていても、それで本当の自分の身がかたまったと思っていない男女。みんなが、その実人生においてお客さまで、自分が本当の当事者になるのは、何かもっと先ででもあるかのように思っている。このお客さま意識、換言すれば、当事者意識の不在は、実は、現代のわれわれが、共通の社会的性格として互いに共有する「モラトリアム人間」に特有な社会意識である。[9] 社会的性格という概念を見出したのは、E・フロムである。ある社会集団の心理的反応を研究するとき、そこにその集団の成員の大部分に共通する性格構造を見出すことができる。この集団の成員の大部分がもっている性格構造の本質的な中核であり、その集団の共同の基本的経験と生活様式の結果から発達してきたものを、フロムは社会的性格と呼んだのである。フロムはある地域社会の成員に共通する基本的パーソナリティを考えるのでなく、その社会を構成する各社会層、各下位集団の成員に、それぞれ社会的性格が成り立つと考える。それぞれの時代、社会で暮らす人々の心の中には、彼らの共通の経験、共通の欲求に由来し、それぞれが無意識のうちに共有する人間のあり方=人間像が潜んでいるのである。フリーターの存在を肯定的に捉えるならば、フロムの言う「あえてあろうとする」若者であると考えたい。フロムの次のような記述によって、フリーターが「自分探し」をしていること、モラトリアム期にあることを説明できるのではないだろうか。

 若い世代の中に育ちつつある、大多数の人々の態度とは全く異なった態度、これらの若者の間に見出される消費の型は、隠された形の取得や持つことではなく、自分のしたいことをするがその報酬として何も<長続きのする>ものを期待しない、という純粋な喜びの表現なのである。これらの若者は遠くまで、それもしばしば苦労しながら、出かけていっては、好きな音楽を聴き、見たい場所を見、会いたい人々に会う。彼らの目標が彼らの思っているほど価値があるかどうかは、今は問題ではない。たとえ十分な真剣さや準備や集中力を持っていないとしても、これらの若者はあえてあろうとしているのであって、報酬として何かを得るかということや、何を守ることができるかということには、関心を持たない。彼らはまた、哲学的、政治的にはしばしば単純ではあるが、年上の世代よりもはるかに誠実であるように見える。彼らは市場で売れそうな<物>になるためにたえず自我にみがきをかけるようなことはしない。彼らは故意にせよ無意識にせよ常に嘘をつくことによって、自分のイメージを保護するようなことはないし、大多数の人々がするように、真実を抑圧するために精力を費やすこともない。そしてしばしば、彼らはその率直さによって年長者に感銘を与える。彼らの中にはあらゆる色合いの政治的、宗教的方向付けを持った集団もあるが、また特定のイデオロギーや教義を持たず、自分についてはただ<模索している>だけだと言うであろう者も多くいる。彼らはまだ自分をも、また実際生活の指標を与える目的をも見出してはいないかもしれないが、持つためや消費するためでなく、自分自身であるために模索しているのである。[10]「あろうとする」若者は妥協してはたらいたりはしないのだ。

 「モラトリアム」とは、支払猶予期間、つまり戦争、暴動、天災などの非常事態天下で、国家が債務・債権の決算を一定期間延期、猶予し、これによって、金融恐慌による信用機関の崩壊を防止する装置のことをいう。エリクソンがこの言葉を転用して、青年期を「心理社会的モラトリアム」の年代と定義した。青年期は、修行、研修中の身の上であるから、社会の側が社会的な責任や義務の遂行の決済を猶予にする年代である、という意味である。モラトリアム期に青年たちは、社会的自我=アイデンティティを培い、確立するために、様々な社会的実験や遊び、時には冒険を許容する。青年たちは様々の人間の生き方、思想、価値観に同一化しては、その実験者になる。次々に所属集団を変え、様々の関わりの中でいろいろな役割を試験的に身につける。そしてこの実験や練習を通して、自分に適うもの、適わぬものの吟味、取捨選択を積み重ねていくが、この試みは生活領域のすべてにわたって行われる。青年たちはモラトリアムを楽しみ、自由の精神を謳歌し、疾風怒濤や青春の彷徨を繰り返しながら、実験や冒険を続け、やがては最終的な進路、職業の選択、配偶者の決定をはじめ、そのすべてに自分固有の生き方=アイデンティティを獲得する準備を整える。旧来の社会秩序の中では、モラトリアムは一定の年齢に達すると終結するのが当然の決まりであった。青年からオトナになれば、「これが自分だ」と選択したオトナの人生に自分を賭け、一定の職業、専門分野、特定の配偶者、社会組織、役割としっかりと非可逆的に結び合い、安易なやり直しのきかないことを覚悟した倫理的な人生が始まる。猶予は失われ、社会的な責任が問われ、義務の決済が迫られる。つまり「心理社会的モラトリアム」は「自己定義=自己選択=アイデンティティ」と一対をなす概念であり、旧来の社会秩序に根をおろした確固たるオトナ社会の存在を前提として始めて、本来の目的を達成することができる。かつて、オトナ社会から半人前とされたモラトリアム期は様々な禁欲を強いられそのため多くのフラストレーションに悩まされた。一人前になるためにはそれらを耐え忍ばなければならなかったので、モラトリアム期は早く抜け出したいものであった。しかし、現代社会においては、本来なら社会的現実と対立するはずの猶予状態そのものが次第に一つの新しい社会的現実の意味をもつようになった。モラトリアム心理の質的変化が起こったのである。「新しいモラトリアム心理」はより広く、より潜在的な形で、現代青年の心理の中に日常化していった。この変化の背景には、青年たちの自己主張を促す社会全体における青年期の位置づけ、価値の上昇と豊かな社会の中での若者が、消費者として大きな比重を占め、オトナ社会の側が、彼らの存在権を様々な形で尊重し、その自己主張に拍車をかけることとなった。心理的にはモラトリアムでありながら、物質的な満足は得られる、日々の暮らしは比較的楽に送れるようになった青年たちには、実際には親や先輩に依存している未熟な自分と、空想の中では自信過剰の自分の際立った分裂が起きている。近年、青年期はますます延びる傾向にある。この要因として、モラトリアム期間中に継承されるべき技術・知識の高度化による修得期間の長期化と、青年期=モラトリアム時代の居心地の良さを、小此木は指摘する。長期のモラトリアムを必要とする分野がますます多くなったことと、居心地のよさとが相俟ってふんぎりがつかない青年が増え始めた。モラトリアム延長の願望は、表面的には社会人になったようにみえる若いサラリーマンの内面の潜在心理にも広く見出され、この種の自己限定の回避・延期心理を実社会の中に持ち込む“青年”が多数派になり始めている。[11] さらに、小此木の次のような記述は、近年の「フリーター」という新しいライフスタイルを送る若者の増加を十分に説明できると思う。

 社会変動の進行と共に、旧来の社会秩序を支えてきたいくつもの基本的な境界が次第にあいまい化し、アノミー化が進む。そのプロセスの中から、はじめは潜在的に、やがてはより顕わに、組織帰属型の人間と無帰属型の人間といった、より新たな社会心理境界が、少なくとも生活感情や暮らし方の次元では次第に出来上がっているように見える。かつて社会的人間とは帰属型の人間を意味し、無帰属型人間は実社会から落ちこぼれた困り者とみなされていたが、今や後者が前者と同等、いや時には優位の立場に立って、新しいタイプの社会的人間としての自己を主張し始めている。「新しいモラトリアム」期の青年たちは、根無し草的な自己の存在を肯定し、そのような自己のあり方を公然と主張しようとする。彼らは実社会に対し局外者でいながら、中産階級意識を保つことができる。彼らは、自分のおかれている社会的現実には心的な距離=隔たりがあり、そこには主体的にかかわっていないし、かかわるほどの積極的な力も関心も乏しい。実社会の流れに能動的にかかわらないだけに、長期的な見通しを欠き、その時その時の一時的・暫定的なかかわりを優先する気分派である。[12] こうした記述に沿えば、フリーターはあくまでも、社会の中でお客様的存在だといえるだろう。主体的に社会に関わっていないのに中流階級意識を維持できる。やはりこうした点については、パラサイトという視点と切り離して考えることはできない。必要な時に最低限の仕事をして稼ぎ、金が尽きるまで遊ぶ。刹那的なフリーターには、将来のキャリア形成への意識はあっても具体的で有効な取り組みがない傾向も見られる。フリーターの就業職種は限定されており、フリーターとしての就業経験が基本的なソーシャル・スキルの形成以外の職業能力形成に結びついている場合は少なく、フリーター就業が長期に及べばキャリア形成の貴重な時期を逸するおそれがある。日本労働研究機構のフリーターの意識と実態の聞き取り調査によれば、専門的な知識・技術の習得に役立った例は少ない。[13]

 フロムは、私の個人的な見積もりでは、持つ様式からある様式への変化に真剣に専念している若者の数は、あちこちに個別に散在する一握りの人間にはとどまらない。私は信じている。かなり多くの集団や個人があることを目指して進んでいることを、彼らは大多数の人々の持つ方向付けを超越した新しい傾向を代表していることを、そして彼らは歴史的な意義を持つ人々であることを、[14]と述べている。近年の日本の「目的意識」をもった「あろうとする」若者たちは社会を動かしていく力になるのだろうか。

 

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引用文献

[1] 総務庁『日本の就業構造 平成9年就業構造基本調査の解説』63-64頁、(財)日本統計協会、1999年。

[2]NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第五版]』147頁、日本放送出版協会、2000年。

[3] 増える大学院生研究は「自分探し」『ニューズウィーク日本版 2001年6月6日号』27頁、TBSブリタニカ。

[4] なぜ彼らは会社を辞めるのか『週刊東洋経済2001年3月3日号』31頁、東洋経済新報社。

[5]  藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』333-334頁、ミネルヴァ書房、1995年。

[6] 「村上龍のbye – bye Japanese-Black-bird」『週間SPA2002年5月14日号』64-75頁、扶桑社。

[7] 増える大学院生研究は「自分探し」『ニューズウィーク日本版 2001年6月6日号』35頁。

[8] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クエストで成功をつかもう』33頁、2001年、光文社。

[9] 小此木啓吾『モラトリアム人間の時代』15-16頁、110頁、1981年、中公文庫。

[10] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』109-110頁、紀伊国屋書店、1977年。

[11] 小此木、前掲書、17-38頁。

[12] 小此木、前掲書、40-41頁。

[13] 日本労働研究機構『調査研究報告書 NO.136 フリーターの意識と実態―97人へのヒアリング結果より』10頁、2000年7月。

[14] E・フロム、前掲書、111頁。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑩「労働は人間の本質」か?

2024年09月27日 01時20分49秒 | 卒業論文

 現代では、労働力は人間の基本的な可能性としてみなされている。[1] かつては労働の喜びであり本質であったものが労働と対極にある余暇の中に求められるようになったことを先に記したが、そもそも労働こそが人間の本質的な活動であるというのは、近代になって作られた労働イデオロギーである。近代初期に労働の禁欲倫理が外部から強制的に注入されたが、その歴史的生成過程が忘れられると同時に、今度は歴史の結果として生まれた労働の喜びというイデオロギーを知性化された義務感情という理想的目標に仕立て上げて、それを目指して努力することになる。おそらく労働に対する取り違えはここにあるようだ、と今村仁司は述べる。[2] 現代社会においては、働きがいが生きがいと読みかえられやすいことはすでに記したとおりである。19世紀の前半に労働が人間の人間たる根拠であるとする労働思想が生まれてから、現在まで労働の本質と人間の本質とを同一視する思想が普遍的にばらまかれ、今では空気のように自明となった。労働こそが人間を人間にするという命題は近代と現代の基本になっている。しかし、労働が社会生活に「必要」であるということと、人生の意味が労働にあり、労働の意味(喜び)が人生の生きがいになるということとはおよそ別個の事態である。前者は社会が核的な事実である、後者はイデオロギー的思い込みである。それどころか、労働意味論(労働喜び論)は、管理のためのイデオロギーである。もともと労働の中に喜びなどはない、だからこそ無理にでも喜びの労働内在性を虚構しなくてはならない。本当に労働の中に喜びがあり、故に人生の意味も労働の中に求めることができるならば、労働は実在性をもち、観念や感情に左右されたり、表象のなかに雲散霧消することはないだろう。[3]

 今村が述べるところによれば、古代であれ現代であれ、労働は基本的には自由な行為ではなくて、隷属的な行為である。労働の隷属性を、労働する者は、自覚するしないにかかわらず心の奥で感じている。それをなだめるのが種々のモラルであるし、特に他人による評価の媒介である。したがって労働の喜びは内発的ではなく外発的である。総じて苦痛である身体行為を何らかの形で「喜び」と感じさせるのが、他者による承認を求める欲望である。[4] 他人からの賞賛が労働の喜びの内容であることを今村は繰り返し述べているが、ここでは、基本的には隷属的な行為であり、労苦である労働が「勤労・勤勉の精神」によって、労働は人生を意味づけるもの、生きがいとして受け止められるに至る流れを、今村の記述に沿って大雑把に概観したいと思う。

 古代では、手仕事という意味でのメカニックな肉体的行為は格の低い活動であると見なされていた。古代のギリシアでは、テクネー(職人的制作)やポイエーシス(芸術家の制作)といった用語で指示される活動もまた手仕事のなかに含まれていた。ひとつの活動の格が高いか低いかは、一方では、それが肉体的活動、とくに奴隷的活動に近いかどうかによって、他方では、独自の時間意識によって評価されていた。余暇の中の行為は自由であり、非余暇の中の行為は隷属的であるという時間意識が種々の行為を価値づける。奴隷が自由人の生活の必要を充たす隷属的行為を行った。奴隷が行う隷属的行為は純粋に肉体的労苦であり、メカニックな行動の極限の形態をなしていた。奴隷は自由な時間を持たない。手仕事の社会的地位が低く評価されたのは、それはどこまでも肉体的活動を伴うからである。身体の活動は、古代のギリシアでは、職人的であろうと芸術家であろうと、上級の自由市民に奉仕する隷属的性格をついに免れることはできなかった。隷属的な活動は、時間意識からも低く評価される。自由な時間を絶対的に持たない好意は奴隷の労苦であり、その存在は動物的存在に等しい。その行為は動物的であり、自然の中の事物として扱われる。物体的であろうと、単に動物的であろうと、物質的であること、あるいは単に生物的に生きていることは、人間にとっては隷属的存在であった。肉体の生命や肉体の運動は、単にそれ自体では、価値や意味をもたない。肉体をもって物質的環境に反応するだけの「生きている」ことは動物と同じであり、「よく生きる」ことこそ意味のある生き方であった。「よく生きる」の「よさ」、生活の「正しさ」は自由な時間を持つことに等しい。では労苦から開放され余暇を持つ人間が自由な時間の中で何をしていたかといえば、「語ること」をもって公共の事物の運営を行った。自由人たちが公共の事物を論議し、決定し、実行するためには、思考を制約する条件から完全に解放されていなくてはならない。余暇の中で言説を持って公共的な世界に携わり、政治的共同体にかかわる全てを考える生活を送る。労苦から開放されるという意味での「自由」ならびにそれを支える「余暇」は文明の価値基準であった。古代の文明は、余暇の文明であり、事物の制作をしないという意味での無為を理想とする文明であった。無為は物を制作しないが、公共世界を言葉による交通によって構築する。その世界の中で活動的に生きることに価値があった。

 ところが、近代世界が最初に登場した西欧では、商品経済の発展と初期資本主義の興隆のなかで、久しく社会の下位に価値的に格下げされてきた手仕事の重要度が増してくる。メカニックな活動なしには近代経済は立ちゆかない。絶対主義国家がこの歴史的課題を背負った。手仕事または労働の必要が高まるにつれて、それまで隷属的とみなされてきた「労働」への感受性が変動し始める。労働は徐々に否定的なものから肯定的なものへ、格下げ状態から格上げ状態へと移行しはじめたのである。同時に、これまで文明の価値基準として通用してきた余暇と無為への感受性も変動し、余暇と無為は労働と反比例して、格下げをこうむることになる。この転換期において、無為が怠惰に変質するという事実は、注目に値する。自動的に変質したのではなくて、社会構造の変動とともに、人々は無為を怠惰とみなすようになる。無為は怠惰としての罪になった。文明の価値基準が根本から変動したのである。余暇(オティウム)から多忙(ネゴティウム、ビジネス)へ、無為(デズーヴルマン)から勤勉(インダストリー)へ、社会の精神的軸心が移動したのである。18世紀の後半にフランス革命が起きると、初期近代において開始していた機軸的変動は一層明白になる。古い価値は解体し、新しい価値が上昇する。余暇と怠惰は徹底的に非難され、多忙な生活としての産業的生産活動と勤勉倫理が圧倒的になる。そのとき「産業者」は時代の合言葉になる。絶対主義時代にまだ古い文明の価値意識で生きてきた王侯貴族たちは、怠惰的無為の代表として指弾され、代わりに多くの労働し生産する者が賞賛される。19世紀は産業者の時代になる。多忙と勤勉が到来したのである。ブルジョワも労働者も、同じ勤勉倫理を共有するようになる。労働者に味方するイデオローグも、労働者の勤勉を価値的にもちあげ、労働のなかに人間的なものがあり、労働の本質は人間の本質であると宣伝するようになる。人間的になるには労働する権利を獲得することだという。人生の意味が労働の喜びの中に求められるようになった。多忙と勤勉の勝利であった。[5] 多忙と勤勉は一見能動的なようだが、内面的な働きかけがない単なる多忙は「疎外された能動性」である。

 現代社会において全てが価値生産的でなければならないという強迫的な心性に迫られることは、今村の言葉に沿えば、一切の活動が労働になってしまった、のである。全ての活動は労働とは無縁な活動すら、勤勉なインダストリーの企て行為に近似していくし、未来を先取りし、目的を設定し、目的を実現するべく決断する、そういう産業的労働になってしまった。必然の労働が生活の全てを包摂する。全てが労働であることの基礎には、「時は金なり」で記したような「勤労・勤勉の精神」がある。「勤労・勤勉の精神」が物も人もたえず増殖させる。全ての領域の増殖力の究極の源泉は近代的な勤勉労働であり、人間の生活は全て勤勉労働を軸にして動いている。人々は労働とその条件のみを重視し、それ以外のことを考える自由な時間を喪失していく。このような労働文明、労働の忙しさゆえに消費行動すら多忙な労働に等しい現在の状態では、生きることの意味を考え、公共世界と歴史的世界の意味を思考することは不可能になる。この世に生を受けたものが自分の人生を充実して生きることを配慮し、「よく生きる」あるいは「正しく生きる」ことに多くの時間をさくことができないような状態は、おそろしく不自然なことである。日常の人生のなかで、一見したところ抽象的にみえる「よさと正しさ」を考える自由な時間を創造するためには、多忙と増殖の原理である勤勉労働の時間を可能な限り縮小する必要がある、と今村は述べている。[6]今村が述べる「よさと正しさ」を考える自由な時間の創造もまた、フロムに沿えば「あること」、生産的能動性の状態であろう。

 

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引用文献

[1] 鷲田清一『だれのための仕事』56頁、岩波書店、1996年。

[2] 今村仁司『近代の労働観』110頁、岩波新書、1998年。

[3] 今村、前掲書、149頁。

[4] 今村、前掲書、123-124頁。

[5] 今村、前掲書、158-164頁。

[6] 今村、前掲書、190-192頁。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑨時は金なり

2024年09月18日 13時33分43秒 | 卒業論文

 働きがいの喪失について記してきたが、そもそも私たちから労働の楽しさ(遊びの要素)を奪ったのは、資本主義経済である。それは二つの面から言える。第一は人間関係が商品交換という物的関係に帰してゆくこと、さらに労働力商品の売り手と買い手という立場を探っていくことによって明らかにされた経済的階級性、これによって生きた人間同士の交流が喪失し、しかも労働の楽しさを存続させようとしても可能なはずがない。第二は、機械的大工業の発展と労働の技術的従属による働くことの味気なさが深刻化することである。清水正徳は二つの視座を示す。一つには「物化」。「物化」とは、人間のエネルギー、活動力が「物」として処理されるに留まらず、人間と人間との自由な関係であるはずのものが、ある自然過程=物的過程のような法則性に従属させられることを指す。物的とは主体的でなく客体的であり、自由でなく必然的であることを言う。経済行為を行う個々の人間は自由に行為していると思っているが、それは社会的には決定された動きしかできない。さらに彼らの生活が経済行為の目的なのではなく、目的は価値の増殖であって、働く人間はその手段とされてしまっているということ。二つ目が物神性。これはマルクスが商品経済の特殊な神秘的店頭製を明らかにするために利用した語で、例えば机という使用価値(質)としてある物が、商品価値という量的要素に支配されてしまうことを示している。マルクスによる「商品の物神性」は、貨幣・資本が捨象されていても、すでに使用価値(質)が価値(量)に従属させられるという資本主義における倒錯の雛形が、抽象的な流通形態の中ですでに見られるからである。流通形態のなかで物神性が見られるというのは、貨幣が「価値尺度」及び「流通手段」という媒介・手段としての本来の役割から、さらに「貨幣としての貨幣」と呼ばれた性格のものへと転態していくからである。それは、貨幣が手段としての役割から、さらにそれ自身この上なく価値ある存在として現われることである。貨幣の流通圏が拡大し、一定の貨幣流通が持続して貨幣の信用が保たれることになると、より多くの貨幣さえもっていれば、より多くの諸商品がさらにより多くの価値あるものが何でも私のものになる、という貨幣への崇拝・愛情・欲求の気持ちが人々に浸透していく。貨幣としての金(きん)は、金(きん)であるというその使用価値自身が価値であるように幻想される、そして他の商品を買うための手段としてではなく、それ自身のために、蓄蔵の対象となる。[1]この二つの面は、どちらもフロムの言う「持つこと」であると思われる。現代社会が持つ存在様式に支配されているという面を象徴的に現すものとして「時は金なり」ということに注目してみたい。

 フロムの文脈に沿えば、ある存在様式においては、私たちは時を尊重するが、時に屈服することはない。しかし、この時の尊重は持つ様式が支配する時には屈服となる。この様式では、物が物であるばかりでなく、生きているすべてのものが物となる。持つ様式においては、時が私たちの支配者となる。ある様式においては、時は王位を失い、もはや私たちの生活を支配する偶像ではなくなる。産業社会では、時が至高の支配者となる。現在の産業様式が要請することは、全ての行為が正確に「時間どおり」であること、流れ作業のベルトコンベヤばかりでなく、活動の大部分が時に支配されることである。そのうえ、時は時であるばかりでなく、「時は金なり」である。機械は最大限に利用されなければならない。それ故、機械は自らのリズムを労働者に強要する。機械を通じて時は私たちの支配者となった。自由時間にのみ、或る選択ができるように見える。しかし、私たちはたいてい、仕事を組織化するように、余暇をも組織化する。あるいは、完全になまけることによって、私たちは自由であるという幻想を抱くが、実際には時の牢獄から仮釈放されているに過ぎない、とフロムは述べる。[2] 私たちが時間によって、圧迫を受けているのであればそれは問題だ。

 私たちは「時間がない」とよく言うが、それは近代の職業人に特徴的なことである。ヨーロッパの19世紀中ごろまでの伝統主義的な社会の生活は一般にゆとりのあるものであった。これまでと同じだけの報酬を得、伝統的な欲求を満たすためにはどれだけの労働をしなければならないかという考え方で生活を営んでいたのである。できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなかった。ところが、近代になって、できるだけ多く労働すれば、一日にどれだけの報酬が得られるか、という考え方がみられるようになった。そうした生活態度の変化は、労働が絶対的な自己目的、いわば職業すなわち使命とみなされるようになったことによる。時間を区分して生活するようになったのである。[3]フランクリンの「時は金なり」は、時間を貨幣の尺度で捉えるようになった近代社会を象徴的に現す。

 フランクリンの「時は金なり」に最初に注目したのはマックス・ウエーバーである。ウエーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかで、「時は金なり」は、何もしないで時間を空虚にしておくこと、無為に時間を消費してしまうことを損失として考える、そういう近代資本主義の精神を象徴的に含みこんでいることを指摘した。フランクリンの言葉には、正当な利潤を使命、すなわち職業として組織的かつ合理的に追求するという精神的態度が見られる。それを、ウエーバーは近代資本主義の精神と呼んだ。「時間は貨幣だということを忘れてはいけない。一日の労働で10シリング儲けられるのに、外出したり、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、娯楽や懶情のためにはたとえ6ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだけではいけない。本当は、そのほかに5シリングの貨幣を支払っているが、むしろ捨てているのだ。貨幣は繁殖し子を産むものだということを忘れてはいけない。貨幣は貨幣を生むことができ、またその生まれた貨幣は一層多くの貨幣を生むことができ、さらに次々に同じことが行われる。」こうしたフランクリンの言葉を引用して、ウエーバーは、この「吝嗇の哲学」に顕著な特徴だと感じるのは、自分の資本を増加させることを自己目的と考えるのが各人の義務だという思想だ、と述べている。ウエーバーは特にフランクリンの勤労と節約に注目しているが、それがすなわち「資本主義の精神」そのものではなく、個々の様々な特性を一つの統一した行動のシステムにまで纏め上げているようなエートス、倫理的雰囲気、あるいは思想的雰囲気、そうしたエートスこそが「資本主義の精神」なのである、とウエーバーは言う。[4] ウエーバーが明らかにしようとしたのは、近代資本主義が形成されていくにあたって、ピューリタリズムの禁欲的職業倫理が果たした役割についてである。ピューリタリズムにおいては、禁欲的な職業労働の忠実さも「隣人愛」を実践するという信仰心と結びついて耐久力のあるものに練り上げられていく。職業について、社会の「合理化」への奉仕こそがその実践であるという方向に導かれて行く中で、先ず有意義な職業を選ぶことが問題となる。同じ営利・収益を獲得するといっても、社会に奉仕できる道が、すなわち民衆層での生産を確実に高めることにおいて、世の中に広く福祉をもたらし、しかもこれによって得た営利をいたずらに浪費することなく、さらに積極的に生産につぎ込んでいく、こうしたピューリタリズムの宗教=職業倫理こそが、能率的に働き、生産し、収益を上げていくという産業資本主義への道を開く生活態度ともなり、やがて年月を経て宗教的な職業倫理が抜け落ちても、フランクリンなどに典型的に見られるような資本家の精神として長く行き続けるものなったことをウエーバーは強調する。[5] 日本では「勤労・勤勉の精神」は二宮尊徳に象徴されていると思うが、ここで、勤労の倫理と資本主義の関係、日本の二宮尊徳流の勤労精神とプロテスタンティズムの勤労精神との類似性に立ち入ることはしない。それはまた別の機会に譲ることとし、時間は希少な資源だという考え方に注目したいと思う。

 フランクリンに見られる次の三つの生活態度と時間との関係は興味深い。一点目は、時間を「経済資源」と考える点である。半日の娯楽のために放棄した収入は娯楽の費用とみなされる。つまり、娯楽の費用はそれにかかる直接費用6ペンスと放棄所得の5シリングの合計になる。この放棄所得を現代の経済学では、機会費用と定義する。二点目は、時間を生活倫理の実践に結びつけている「技術的」発想である。時間が日常の生活場面を具体的に秩序づけるための、技術的方法であることが示された。倫理を言葉として表現するのではなく、日々の生活の中で習慣化させなければならない。三点目は、「未来志向」の生活様式を重視する生活観の発想である。近代社会と特徴づける重要な価値観の一つは、個人の生まれ育ち(属性)よりも、その人のアチーブメント(業績)を尊重する発想である。この価値観が現在の生活よりも未来に豊かな生活を期待する生活態度を生み出した。[6] 目標の達成を未来におき、そこに到達するためのタイムスケジュールを綿密に作成し、それにのっとり目標に向かって課題を一つ一つ解決していく、これが近代人の基本的な生活態度である。[7]

 「前のめりの時間意識」についてすでに記しているが、ウエーバーが指摘した近代資本主義の精神が、人間の活動は絶えず価値を生産しなければならない、それも常により多く、より速やかに、つまりはより効率的に、という脅迫観念を生み出してくる。ここで私たちの日々の行為が何らかの価値を生産する活動として規定され、その合理性が効率性を基準として規定される。この「生産性の論理」が「前のめりの時間意識」と結びつくとき、「時は金なり」という言葉がもつ「道徳的訓戒」としての含みが顕わになるのであり、時間を無駄に使用することを一つの損失として意識させるような一種脅迫的な心性が発生する。時間の空白は埋めなければならない、しかも意味と価値のあるものによって、という西欧社会にかつて根深くあった「真空恐怖」にも擬せられるような神経症的な意識が生み出されることになるのである。時間の真空状態への恐怖は、現代社会にゆとりのためにゆとりなく働くというアイロニーも生んでいる。ゆとり・くつろぎが現代ではきわめて大きなビジネス・チャンスになるのだ。何もしていない時間を無為の時間として感じさせる、無駄をなくし少しでも効率の良い活動を、という精神に対する批判的な意識は1970年代に起こった。財にではなく「ゆとり」や「余裕」のうちにこそ、真の価値、豊かさがある。その意味では「時は金なり」が逆の意味で復活したのである。「仕事中毒」という言葉が生み出され、「仕事」や「労働」という言葉が急に色あせてみえるようになった。かつて労働の喜びであり本質であったものが、労働でない活動のなかに求められるようになった。ここで、労働は「労苦」であり、その労苦からの解放として、労働の対極として「自由」がイメージされる。「自由」は、「非労働」という逆倒した場面で探すほかなくなる。束縛された時間に対して、もっと自由な時間を、余暇をいう考え方である。非労働のうちにこそ「労働の純粋な形式」が輝くというパラドクシカルな現象に私たちは遭遇することになる。この純粋な形式としての「自由」は、質的な内容を持たない。「空虚」な時間としての「自由」な時間は、無内容な空っぽの時間として空洞化されていく。余暇は単なる退行的な活動へと縮減させられるのである。ここには労働を人生の軸とした近代的な勤労の精神が見てとれる。[8] 効率性を追求し、無為と怠惰を忌避する「勤労・勤勉の精神」は、余暇にも浸透していく。

 バブル期には、大会社ほど、壮年の男性社員に対して「余暇講座」なるものを開いていた。余暇とか遊びとかは、会社や仕事や他人の目を気にしてやるものではないと思うのだが、余暇に関しても「恥ずかしくない、聞こえのいい余暇」ということになるのだろうか、と清水ちなみは述べている。[9] 現代人の「きまじめな心性」は、このように余暇をも組織化した。「勤労・勤勉の精神」は、空き時間をもまた隙間なく活用し、開発するように私たちを駆り立ててくる。余暇(自由時間)そのものが消費の制度のなかに組み込まれ、絶えず新たな欲望で埋められるだけでなく、さらには何か実のあること、例えば自己学習や家庭奉仕、ヴォランティアなどといった、労働とは別の意味で価値生産的な活動で充填しなければ・・・という強迫的な意識が私たちのなかに芽生えてきた。あるいは、レジャー産業の隆盛に見られるように、労働からの免除という意味での余暇には、気持ちのいいこと、愉しいことをこそしなければ、という意識に煽り立てられる。快楽までもが義務のように感じられる。仕事も遊びも、手を抜くことなく全力投球してこそよろこびはあると考えるのだ。[10] 絶えず何かをしていないと不安になる。現代人の持つ様式に支配された時への屈服に対して、フロムは次のように言う。ある様式は今ここにのみ存在する。画家や彫刻家の創造行為は時を超越する。愛することの、喜びの、真理を把握することの経験は、時の中で起こるのではなく、今ここで起こる。この今ここは永遠である。すなわち時を超越している。[11]

 

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引用文献

[1] 清水正徳『働くことの意味』162-168頁、岩波新書、1982年。

[2] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』177-178頁、紀伊国屋書店、1977年。

[3] 山岸健『日常生活の社会学』76-77頁、NHKブックス、1978年。

[4] M・ウエーバー著、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』26-29頁、284頁、岩波書店、1988年。

[5] 清水、前掲書、94-101頁。

[6] 矢野眞和編著『生活時間の社会学』10-12頁、東京大学出版会、1995年。

[7] NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第五版]』216頁、日本放送出版協会、2000年。

[8] 鷲田清一『だれのための仕事』33-49頁、岩波書店、1996年。

[9] 清水ちなみ「OLから見た会社」内橋克人・奥村宏・佐高信編『就職・就社の構造』123頁、岩波書店、1994年。

[10] 鷲田、前掲書、52-54頁。

[11] E・フロム、前掲書、176頁。


第六章OLを取り巻く現代社会-⑧現代社会における働きがいの喪失-労働からの疎外

2024年09月14日 12時26分27秒 | 卒業論文

 資本主義経済の成立と定着における労働者の立場を大雑把ではあるが概観した。それは、前述したように、きわめて純粋な一般的な経済構造を対象として考えたものである。場面を現代社会に移せば、国家が大きく経済に介入せざるを得なくなった先進的な資本主義諸国において、資本主義の構造、とくにその階級構成がすこぶる見分けにくいものになった。例えば国家が大きく経済に介入してくる時、国家が自主的な政策をとるように見えたり、中立的な、国民全体のための政策をとるように見えたり、中立的な、国民全体のための政策をとるように見えたりする。自由競争の時代のような好況・恐慌・不況という景気循環に対して、今度は管理通貨制のもと、インフレ政策、デフレ政策をはじめ、巨視的・微視的な操作を加え、政府や中央銀行が大きな役割を果たすことになる。資本家と労働者という二つの経済的階級が社会生活そのものの中で否応なくはっきり判別できた時代に対して経営形態が複雑化し、職務分担が拡散化していくと、経済構造の基本性格、資本主義経済の階級性は一見したところ明確でないものになってくる。こうした中で、働く人間の対象との関係はますます従属的なものとなり、人間的関係も企業の中枢からのリモート・コントロール操作によって、都合のいいように動かされる傾向が強くなる。

組織人の項で記したように、会社という組織の中では、労働者はどうにでもさしかえのきく部品として扱われやすいのである。労働者においては、自分たちはこの世の中で積極的に意味のあることを、自分たちのため世の中のためにやっているのだという働く人間としての実感と納得が極小にまで追い込まれていく。とりわけ、機械技術が発達して生産労働が細かに分化せざるを得ない工業部門では形あるものを造る喜びを、各自があるいは幾人かの仲間が味わうということは事実上困難になってくる。生産物と労働者との間の乖離は、局部的・抽象的な仕事には、自分たちの創意工夫の入れられる余地が全くないというばかりでなく、労働者の働きがいのなさに結びつく。労働者は、何もしていないような実感に捉えられて、この働きがいのなさが繰り返し執拗に自分を悩ますということになる。[1] 社会的不安は工場労働者によって初めて世に現われたのだ。工場労働者は、自分の労働の成果を見ることがあまりに少ない。仕事をするのは機械であって彼はただこれに従属する道具に過ぎない。あるいはいつもただ小さな歯車か何かを作る手伝いをするだけで決して時計全体を作ることはない。しかも時計は楽しい芸術品で人間らしい真実の仕事の成果なのに。このような機械的労働は、どんなつまらぬ者もみな持っている「人間の尊厳」の観念に反し、決して人を満足させるものではない。[2] 

工場労働者の働きがいのなさを、ブラウナーはやはり疎外を鍵として、説明している。先にマルクスの自己疎外を記述したが、疎外は多く中心的な説明理念として伝統的に用いられてきた。ブラウナーは、社会学的ないし社会心理学的な観点から疎外を捉えている。彼の場合、疎外は特定の社会的状態から生ずる個人的経験の質とみなされるという。また、単一的ではなく多次元的に疎外概念を用いている。疎外とは労働者と職業の社会術的状況との間の一定の関係から生ずる様々な客観的条件と主観的な感性状態とからなる総合的な特徴群である。疎外が生まれるのは、労働者が自分たちの直接的な作業工程を統御したり、自分たちの仕事と全体の生産組織とを関連づける目標感や職務遂行感を身につけたり、個々の統合された産業共同体に帰属したりすることができない時であり、また自己表出の一様式である労働活動に熱中できない時である。ブラウナーは高度産業社会がもっている四つの疎外の類型を示している。人間は機械化された社会機構の中の一つの歯車に過ぎなくなってしまったことを説明するために、ブラウナーの疎外についての記述を紹介したい。

一つ目が無力性。人間が無力感を抱くのは、彼が他者あるいは没人格的な制度によって統御され操縦される客体と化している時であり、またかかる支配状態を変えたり修正したりする主体として自己を主張できない時である。無力な人間は客体として、働きかけるのではなくただ反応するだけである。彼は管理するのではなくて、管理されるかあるいは支配される。大規模な組織に雇用されている労働者は完成された製品に対する自分たちの権利を喪失してしまっており、工場や機械、またしばしば自分たちが使用している道具さえもが、自分のものではなくなっている。こうした大規模組織における「所有における無力性」は近代産業にあっては常識であり、被雇用者は通常、この領域において影響力を行使しようとしない。無力性のもう一つの側面は、意思決定に対する統制力の欠如である。これもまた近代的な雇用関係に共通してみられる現象である。大規模組織は頂点に権力が集中しているヒエラルキーな権威構造であり、そこでは手作業労働者は企業の重大な決定を統御する機会をほとんど与えられていない。またほとんどの雇用者がこの側面を産業における「所与」として受け入れる傾向がある。平均的な労働者は、何を、誰のために、どれだけ生産するか、製品をいかに設計するか、どんな機械を購入するか、仕事の配分をいかにするか、さらにまた仕事の流れをいかに組織するか、といった決定に対する責任をもちたいと思ったりはしない。疎外の第二の次元は、労働者が労働に意味を見出すことができない、無意味性である。とりわけ官僚制的な構造が無意味性を助長しているように思われる。大規模組織において分業がますます複雑になるにつれて、個人の役割は役割構造全体との有機的な連関を欠くようになり、その結果として、労働者は協同的な仕事を理解し、自分の仕事に目標感を持つことができなくなるのである。ブラウナーが述べているところによれば、カール・マンハイムは、「機能的合理化」と「実質的合理性」との間の緊張の結果として、官僚制組織のうちに無意味性が生ずると考えた。機能的合理化という概念は、近代的な組織では全てのものが最高度の能率を上げる方向に向けられているという観念に関連をもっている。先ず、製品ないしはサービスに必要な多数の作業内容と手続きが分析され、それから仕事の流れがスムーズに行くように、またコストも最小限に留まるように作業が組織される。技術的組織及び社会的組織の原理を十分に理解している者がいるとすれば、それは少数のトップの経営者だけである。全体の能率と合理性が増大するのに伴って、システムを構成している個人の実質的合理性は低下する。複雑な組織を持つ工場で、高度に細分化された職務を分担している労働者や、巨大な政府の部局で働いている事務員はきわめて限られた仕事しか知る必要がない。彼らは他人がどんな仕事をしているかを知る必要がないし、自分たちの隣の部局で何が起こっているかさえも知らないかもしれない。彼らは自分自身の仕事が全体の作業工程に、どのように組み込まれているかを知らなくてもすむ。その結果生ずるのが、「所与の状況において、諸現象の相互関連を自分自身で洞察し、それに基づいて知的に行動する能力」の低下である。近代産業社会の中では個々の労働者が完成品に対してなす貢献度はきわめて低い。規格化された生産と分業が基礎にあるため、個々の労働者が分担する責任と作業の範囲が狭いからである。大規模工場であればあるほど、労働者は自分の仕事から意味を引き出すことが困難になる。三つ目の、産業共同体への所属感をもたないという意味での社会的疎外(孤立)については、産業社会の初期の頃には特徴的であったが、今日では減少していると、ブラウナーは述べる。ある一つの産業共同体に労働者が所属しているということの中には、仕事の上での役割の一体化と職場共同体の一つないしそれ以上の中枢に対する忠誠心とが含まれている。他方、孤立とは、労働者が労働環境への帰属感を抱いていないために、組織とその目標に同一化できないか、あるいは同一化することに関心がない、ということを意味している。[3]

ブラウナーの記述に沿って、工場労働者に見られる働きがいのなさについて見てきているが、それは、ブラウナーの疎外の類型に、「被差別者の自由」を主体的に選択するOLの姿を見出すことができると筆者は考えるからである。

四つ目の自己疎隔という概念は、労働者が労働活動において、彼の内なる自己から疎外されることがある、という事実を指している。ことに労働者が作業工程に対する統制力を欠き、企業目標に自分がかかわりを持っているという意識を欠くとき、彼は仕事への直接の専心ないし没入を経験することができず、その結果、自我意識を喪失したある種の離脱状態を経験するかもしれない。このように、現時点で仕事に没入することができないということは、仕事が本来的に手段となってしまっているということ、すなわち仕事それ自体が目的であるよりは将来の報酬を得るための手段となってしまっているということを意味する。労働が自己疎隔を促進強化する場合には、労働者の独自な能力、潜在的能力ないしパーソナリティは、労働の中に表出されることがない。さらには、倦怠感と単調感、人間的成長の欠如、職業を通しての自己確認への脅威などが挙げられる。

近代社会になって労働は直接に、かつ直に満足を与えてくれるものでなければならず、しかも個人の独自な潜在的能力を表出するものでなければならないという見解を我々が抱くようになったのは、産業社会において労働が細分化されたことによると思われる。多くの決定的な社会変動によって、労働の細分化は進められてきた。もっとも基本的な変動は市場経済の登場である。それは生産と消費、努力と欲求充足との間の有機的な連関を切り離すことによって、労働に対する手段的な態度が出現するための契機を与えたのである。第二に、家庭と職場との物理的分離によって、労働生活と家庭生活との間に亀裂が生じたこと、第三に労働の動機付けであった宗教的制裁の重要性の減少、第四に、産業組織によってもたらされた専門化と、都市化によって助長された匿名性とによって、普通の人々の職業上の役割がなんであるかがわからなくなったこと、そして、最後に、労働時間の短縮と生活水準の向上とによって、単なる肉体的な生存のためだけに生活時間をさくことがますます少なくなってきたことが挙げられる。時間、エネルギー及び資源は労働以外の生活領域に利用することが可能となったのである。労働は満足を与えてくれるものではない、労働の場は自己表出の場ではない、自己疎隔の状態にあっては、労働の報酬は主として活動そのもの以外のところにある。労働は手段であってそれ自体が目的ではない。このように手段であり自己疎隔的な仕事になっても安定した仕事であれば、現代産業社会の典型的な労働者はそれに満足するかもしれない、とブラウナーは述べる。彼らにとって仕事とはレジャー、家族、消費などを中心として組織されている生活に必要な給料を稼ぐという、より大きな目的のための手段に過ぎないのである。最後に、労働が自己疎隔的である時、職業は個人の自己確認と自我意識とに肯定的には作用せず、むしろ自尊心を傷つける方向に作用する。現代の産業社会における自己確認の発達は創造的プロセスの発展であると考えられる。生きがいは働きがいと読み換えられることを先に記したが、血縁や地縁と遠くなった現代人にとっては職業が全般的な社会的地位を現す、より重要な要因となる。現代社会においては、全体的な自己確認を構成している諸要素の中で、職業における自己確認がより重要なものとなっているのである。労働が自己実現を促し、個人の独自の潜在的能力を引き出すようなものである時、労働することは労働者の自尊心を形成することに寄与するが、疎外された労働においては、労働者階級を社会的に低い地位に位置づけ、取るに足らないとする社会的評価を正しいものとして受けとめる人々の気持ちをますます強くしてしまう。

これら四つの次元には、それぞれの基礎に人間の存在と意識における断片化という観念が横たわっている。その断片化が経験と活動の全体性を阻害する。そして、それぞれの疎外的状態は、人間が「物として使用される」可能性をますます高める、とブラウナーは述べている。[4]

疎外という概念にもう少しこだわってみたい。現代社会において人間は機械化された社会機構の中の歯車の一つに過ぎなくなってしまったことを繰り返し記しているが、この「機械化」というのは、作業の機械化そのものばかりをいうのではない。これに必要な、あるいはこれから結果される作業の細分化、単純化、画一化、自動化などを含む概念である。機械化の進行に伴って、組織体の働く人々の作業は、ますます切れ切れの断片的作業となり、芸術家的な完成仕事ではありえなくなり、ルネサンス的な労働概念からは遠ざかることになる。大規模組織における「所有における無力性」がブラウナーによって述べられたが、労働者がこうした生産手段を持たないという基本的な特質の故に疎外状態に陥ることしばしば説明される。

尾高邦雄は、「疎外」について次のように述べている。疎外とは、ある人が事実上疎外されている客観的な境遇のことをいうのか、それとも、本人自身が疎外されていると感じている主観的な心の状態、したがって「疎外意識」のことをいうのか。人々が疎外意識をもつのは、彼らが客観的に疎外された境遇に置かれているからか、それとも客観的には少しも疎外されていないのに、本人は疎外されていると感じる場合もありうるのか。逆にまた、客観的には明らかに疎外されているのに、日本は少しも疎外感を持たず、楽しく働き、職場で生きがいを感じていることもありうるのか。そして最後に、疎外された客観的な境遇とは、何を意味し、どこからそれは結果されるのか。これらの問いのうち最後の問い以外は比較的簡単に答えるが出る。疎外とは、客観的な境遇であり、また主観的な意識でもある。では、客観的な事実としての疎外は何ゆえに発生するのか。マルクスの生産手段の非所有から導き出される疎外について、尾高は、ある人々の権力が相対的に小さく、被支配的立場にあること、それ自体が疎外をもたらしているのはなく、そのために生じた組織体内部の一定の状況、特に作業方法や管理機構の上での一定の状況が、人々の疎外状態をもたらす直接の原因になっていると述べる。さらに、今日組織体の中で働く人々の労働が、作業の機械化ゆえに芸術的な完成仕事ではありえないという論点が示される。尾高によれば、疎外とは、マルクスの言ったように、人間が自分の仕事からのけものにされていること、したがって自分の仕事の主人たることができず、また職場の自治的なメンバーであることをこまばれている状態を意味する。疎外意識または疎外感とは、このことを結果としての、のけ者にされているという意識、無力感、自己喪失感、もしくは生きがいの喪失のことであって、それはしばしば誤解されているように、単なる不満や失意の状態や挫折感のことではない。また、このような疎外の客観的状態と主観的意識とを作り出す要因は、組織の巨大化と官僚主義化にある。巨大な組織体が、従業員個々人に対して、彼らの職場の、また組織全体の、活動目標や活動方針に関する意思決定への参画を拒否している中央集権的な組織構造が、人々の疎外の根源である。上からの委任の行動が開始されなかったならば、組織体の末端で働く人々は職場の自治的なメンバーであることも、そこでの仕事の主人であることもできない。もし人々に、意思決定への参画の機会が与えられており、その結果人々が職場の活動目標や活動方針の設定や変更について十分に知らされており、それについて自由に希望や意見や批判を述べることができ、また自らがそれについての意思決定を行う権限の全部もしくは一部を上層部から委任されていたならば、人々が疎外状態に陥ることは極めて少なかったに違いない。[5] 

黒井千次は、労働における全体像の喪失は、労働者に「部分意識」をもたらすことを述べている。黒井が引用しているところによれば、中岡哲郎氏は、エッセイ「生産点の思想」(『展望』1970年2月号)の中で、労働の抽象化に伴う自分と全体との関係の希薄化に触れ、「つまり自分と全体との通路、かかわり方の具体的なイメージを失ってしまった分だけ、人々はとにかく自分はどこかで全体をささえているのだろうという意識で置き換えてゆくのである。我々の社会に本質的な『部分の意識』はここからスタートしている」と述べている。この「部分の意識」は追い詰められたものの悲鳴に似た叫びであり、自己正当化であり、居直りである。さらに部分意識は、部分意識としていかに定着させるかという緊張感と危機意識をはらんでいる。部分意識は、部分と全体の関係をどこかで快復しようと努めているように見えながら、しかし結局は部分を部分の中に押し込めることによって全体の幻影をつかませることにしか役立たないであろう。部分意識の確認は、それの市民権を認めるために必要なのではなく、遥かなる全体像との断絶を明らかにするために不可欠のものであるように思われる。黒井が述べる労働の喪失の二点目は、労働における自主性の喪失である。現代の雇用労働者は、「人に使われる」のではない「自分自身のために働ける」労働を体験することがない故に、働きがいを見失いやすい。誰に命ぜられるのでもなく、自分の身体が進んで労働のほうに立ち向かっていくという自主性と自発性を抜きにして、そこに労働の充実を実感することは困難だろう。今日の管理される労働の中では、どんな自主性をもってそれに参加し始めたとしても、たちまちのうちに彼の労働は命ぜられた労働に転落してしまうことは間違いない。三点目は、創造性の喪失である。創造という言葉の中には「新しく」という要素と「造る」という要素の二つが含まれている。今日、労働に従事するものは「造る」ことはできても「繰り返し」しか造ることは許されない。そういう事態を前提として成立している労働の中で、創造性を見出していくことは絶望的であるように思われる。

さらに、生産物との断絶である。自己の労働が自分に意義あるものとして納得させるためには、労働の生産物が他人によって受容されることを見届ける必要がある。労働の結果の客観的評価が、労働するものの主観的な労働へのかかわり方を保障する。自己の労働の結果に対する使用価値視点からの反応がこだまのように響いて始めて彼は彼の労働の意義を確認することができる。そのためには、労働するものは、自己の労働生産物と対等に全的に結び合っていなければならない。しかし分断された肯定の一部にしか参加できず、労働の全体像を拒まれている労働者にとっては、自己の労働と生産物とが切り離されているのは明らかである。彼には参加した労働の結果の全体について他人に対して責任さえとることができない。労働における生産物との断絶は、労働者にとって労働に内在する社会的広がりを断ち切られることに他ならない。五つ目に連帯感の喪失である。今日の一連の労働過程において、共同作業のイメージは著しく失われているように思われる。むしろ、今日労働に従事するものが具体的に連帯を感じることができるのは、一つのものに向かって積み上げられていく共同作業のなかでよりは、むしろ労働の過程外で、上司の悪口を言ったり、作業の愚痴をこぼしたりしあう中でのほうがはるかに強いに違いない。これは労働における連帯感の結果生じる、一つの防衛的な連帯感でしかないだろう。最後に労働における熱中の喪失である。黒井は、「遊びの喜び」と見間違うような、「純粋な活動そのもの」の喜びを労働の中に見出すことが、労働の全体像を模索する重要な手がかりになると述べている。労働の一瞬の熱中を手がかりにし、その瞬間をストロボ撮影のように連続して意識内で再生させ続け、そこに生じる残像と残像を結び合わせることによって一つの積極的な労働イメージを作り上げようと試みるのである。黒井は統括してこう述べる。「働きがい」の有無や程度に関係なく、人間は労働し続ける存在だという認識の地平に僕らは改めて立ってみることが必要なのではなかろうか。その労働は、単なる需要に応じて生産する労働でもなく、人間を人間たらしめる基本的要因としての労働であることは言うまでもない。人間存在の根底に根ざした労働の本質像、それをどこから汲み上げてくることができるかを考える時、現代の労働そのものの中に立ち戻る以外に道はないのではないか。なぜなら、人間が人間であることを確証する基本的な営みである労働というものは、それ自身の中に内部的な生命とでも呼ばれるような存在論的な継続性を秘めているに違いないと思われるからである。日常の中ではその光をみることはできないが、光を奪われた闇のなかにうがたれた穴を、闇を背景にしてすかしみるようにして労働の実像を探ることは不可能だろうか。今日の労働が様々な意味において苦痛である限り、職場の労働を拒否しようとする意識は、自然発生的に生じてくる。そこが「疎外の出発点」なのだ。これに対して「職場の労働に結びつこうとする意志」の確認は、労働する者にとってより困難な作業だろう。苦痛の泉とも言うべき職場の労働に結びつこうとする意志をもつことは、労働者にとって自己矛盾以外の何ものでもないからである。にもかかわらず、労働者は自分の労働の結果の中に自己自身の投影を見ざるを得ない。この過程は労働を拒否しようとする過程とは逆に、きわめて意識化されにくいものであるように思われる。それだからこそ、むしろ自己の労働に向けて結びついていこうとする傾向の意識化がきわめて重要な課題となるのではなかろうか、と黒井は述べる。さらにそのような意識化のうちに、失われた労働の影を探るという主体的な営みが含まれる可能性があると考えられる。労働の実像への肉迫は労働の苦痛を前提としつつ、なおも労働と結びついていかざるを得ないこの全過程を明確に意識化し続けることによってだけ可能なのではなかろうか。[6]

労働への肉迫には、失われた労働の影を探るという主体的な営みが含まれる可能性があると黒井は述べているが、私たちはなぜ労働の意味を探ろうと苦悩するのか。労働の中に働きがい、つまり生きがいを見出そうとするのか。ここで、人間の主体性、能動性との関連で、フロムの「あること」に触れておきたい。

 私たち人間には、ありたいという生来の深く根ざした欲求がある。それは自分の能力を表現し、能動性を持ち、他人と結びつき、利己心の独房から逃れでたいという欲求である。[7] フロムは、「持つこと」と「あること」という人が生きていくうえでの二つの基本的な存在様式を示し、この二つの生き方の違いから現代社会の様相を探った。フロムによれば、現代産業社会は持つ様式に支配されている。持つ様式においては、私の財産と私自身とは同一である。私は安心感と同一性を見出すために、持っている物にしがみつく。私と客体である持つものとの関係は死んだ関係である。これに対して、ある様式においては、私は何ものにも執着せず、何ものにも束縛されず、変化を恐れず、絶えず成長する。それは一つの固定した型や態度ではなく、流動する過程なのであって、他者との関係においては、与え、分かち合い、関心を共にする生きた関係となる。それは生きることの肯定である。持つ様式においては時に支配されるのに対して、ある様式は今ここにのみ存在する。ある様式における人間の内面は能動的であり、自分の能力や才能を、そして全ての人間に与えられている豊富な人間的天賦を表現する。これは忙しいという外面的能動性の意味ではなく、自分の人間的な力を生産的に使用するという内面的能動性の意味である。[8]

フロムの言う「あること」には、能動的であるという意味が含まれる。普通、能動性は、エネルギーの費消によって目に見える結果を生じる行動の特質と定義される。しかし、フロムの言う能動性には、自分のしていることに内的関係や満足を持つことをも含まれる。フロムは能動性と単なる忙しさとに対応した「疎外された能動性」と「疎外されない能動性」について述べている。「疎外された能動性」においては、能動性の行動主体としての自分を経験しない。また、ほんとうに働きかけはしない。私は外的あるいは内的な力によって働きかけられるのである。これに対して、「疎外されない能動性」においては、私は能動性の主体としての私自身を経験する。それは、何かを生み出す過程であり、何かを生産してその生産物との結びつきを保つ過程である。このことには、私と能動性と能動性の結果とは一体であるという意味も含んでいる。フロムはこうした「疎外されない能動性」を生産的能動性と呼ぶ。この場合の生産的とは、画家や科学者が創造的である場合のように、何か新しいもの、あるいは独創的な門を創造する能力を指すのではなく、能動性の産物を指すのでもない。能動性のもつ特質を指すのである。生産的能動性とは、内的能動性の状態を表す。それは、自分自身を深く意識している人物、あるいは一本の木をただ見るだけでなく、本当に「観る」人物、あるいは詩を読んで詩人が言葉に表現した感情の動きを自己の内部に経験する人物の中で進行している過程を言う。必ずしも芸術作品の創造や科学的創造や何か「有用な」ものの創造と結びつくものではなく、全ての人間に可能な性格的方向付けを指す。生産的能動性に対して、単なる忙しさの意味での「疎外された能動性」は実は生産性の意味においては、「受動性」である。一方、忙しくはないという意味での受動性は、疎外されない能動性であるかもしれない。[9] 尾高は、「職場における生きがい」に限定して、「生きがい」とは、自分でなければできない何かのために、自分の個性能力を十分に発揮し得ているという静かな確信、あるいは自分の仕事の主人であり、自治的な職場グループの尊敬されたメンバーであるという自覚である。このような自覚や確信を持っている場合、人間は必ず幸福である、[10]と述べているが、これこそ、フロムのいう、生産的能動性の状態であろう。

 

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引用文献

[1] 清水正徳『働くことの意味』158-161頁、岩波新書、1982年。

[2] ヒルティ著、草間平作訳『幸福論』(第一部)19頁、岩波文庫、1935年。

[3] R・ブラウナー著、佐藤慶幸監訳『労働における疎外と自由』39-53頁、新泉社、1971年。

[4] R・ブラウナー、前掲書、55-65頁。

[5] 尾高邦雄『職業の倫理』53-62頁、中央公論社、1970年。

[6] 黒井千次『仮構と日常』148-158頁、河出書房新社、1971年。

[7] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』142頁、紀伊国屋書店、1977年。

[8] E・フロム、前掲書、126-128頁。

[9] E・フロム、前掲書、128-130頁。

[10] 尾高、前掲書、69頁。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑦マルクスによる「労働力の商品化」の発見

2024年09月12日 01時37分31秒 | 卒業論文

労働に対する関心の出発点はそもそも近代的賃労働というものであって「苦しい働き」とか「寡黙にして実直な労働」ということではなかった。「労働」という言葉自体が近代資本主義的な賃労働に当てられたものだと考えられる。[1]労働の社会性が合理的な考え方や理論によって明らかにされ、人々に広く理解されるものとなったのは、近代資本主義の成立による。ここで、近代資本主義的な賃労働というものを大雑把だが、清水正徳の記述に沿って外観したいと思う。近代資本主義の合理的な考え方や理論には、社会的労働と経済的価値との関係を合理的に説こうとする積極的な姿勢が含まれていた。この社会での経済的価値とは、もちろん商品価値であり、現象面では貨幣によって価格として表示される価値である。価値があるから価格として表示されうる。そして、社会におけるほとんどの経済的な財(富)が繰り返し商品として生産され、貨幣経済として売買され、流通する社会は、近代資本主義として定着する。

近代資本主義は純粋モデルとしては、個別的な単純商品生産者が直接労働生産したものを相互に売買するという社会である。そして現実には、こういう経済関係が資本主義経済として定着し、商品・貨幣経済が支配的な経済構造となっていく。純粋モデルでは、人間と人間との関係がそもそも原子主義的な性格の社会を構成し、この人間関係がそこでの社会的労働・生産の性格を規定する。ここでは原子のような一人一人が単位となって職業を自由に選択し各自労働して生活している。各自が主観的な判断で職業を移転し主観的な判断で自身の労働を価値づける。このような社会では、個人的な労働量による個人的な労働生産物の価値づけは、そのまま社会的な平均的な価値づけと必ずしも一致するわけではない。この社会の成員は経済にかかわる人間としてその行動は全く自由であり、相互の立場は全く平等なので、自由に職業を選択して働き、その働きの成果を売り、または労働によって得た所得によって自分の必要なものを買い消費する。ここで貨幣が一般に価値の尺度となり、流通の手段として機能してくる。そして、より多くの貨幣を持っていればより多くの商品と換えうる、やがてはどっさりもっていればどんな商品でも買える、貨幣がオールマイティになってくるのである。貨幣さえより多く持てばいつでも好きなものが買えるし後々安泰だ、という考え方が普及してきて、一つ一つの経済的な財の、使用する者にとっての価値(使用価値)よりも商品としての価値(交換価値=価格)の方が経済を考える場合のより重要な基準になってくる。貨幣それ自体が何ものよりも価値あるものとして君臨することになるのである。貨幣で表示される商品の価値が労働生産にとって、さらに一般に社会的労働をする人たちにとって共通の座標となる。商品・貨幣経済が生産の基礎をもって成立していると考えると、そこにおける成員の意欲は単に商人や金貸しの利殖欲に留まるのではなく、「働いて儲ける」ということになる。生産労働で貨幣が殖える、ということになっていくのである。生産労働は、資本家と労働者という二つの新しい社会経済的な立場を誕生させる。生産手段、生産材料、そして賃金として支払うべき貨幣をもち、労働者を雇う。労働者は、自分の労働する力を一定時間(一定量)提供することによって、この労働力を売った値としての賃金を受け取る。近代的賃労働の誕生である。労働者を雇う資本家は少ない賃金で能率的に高い価値を実現しようとし、そのため生産工程もできるだけ合理的な無駄のないものにし、分業も大いに進める。一方、賃金労働者は、直接的な生産手段との結びつきから引き裂かれてもっぱら自分の労働力を売り、その力の消費者としての労働によって商品価値を生産・実現し、自分たちの賃金に見合うだけの労働より以上の労働によって、資本家たちにとっては利潤となる剰余価値を生産することになる。労働者は自分の労働力を売り、資本がその価値を増殖する運動に、資本の一つの要素として従属的に加わる、それが彼らの労働がもたらされる意味なのである。資本家と労働者という二つの階級の関係において、労働者たちはひたすら生活のために労働力を売り、資本家のものとなった自分の労働力の消費として他律的に労働する、という枠の中に閉じ込められることになる。そして、資本の運動の中で時には景気変動によって、つまり労働力に対する需要の変動によって木の葉のように翻弄されることになる。ここに記してきたような商品・貨幣経済の社会では、労働の社会的評価が可能となる。一人一人の労働が社会的価値として表される、すなわち価値量として表されることになるのである。労働の価値を表す客観的な基準としてA・スミスは、富の源泉であることを唱えた。貨幣を唯一の富とみなす重商主義の考え、貿易差額だけを基準として貴金属を獲得することを富の増進だとする考え方を拝して、労働生産こそが富の源泉であると説いたのである。[2]  A・スミスは富を「生活の必需品と便益品」として捉えた。そして国の富とは、国民の労働によって生産されるものの総量だという。スミスは、労働こそ価値の源泉であり、交換価値の基準となるものであるという考え方を示した。鷲田清一が述べているところによれば、スミスの考え方で興味深いのは、労働が人間の生命維持のためにどうしても必要な「苦労」(toil)であり
「骨折り」(trouble)だという考え方である。「苦労」であり「骨折り」であるがゆえに、しないでよいのならしないで済ませたいというのが本当のところだろうが、しないですまされないからこそ、逆にそれを進んで行い得るようなモチベーションが編み出されなければならなかった。「勤勉・勤労」という美徳がまさにそのようなものとして生まれたのである。スミスによって、「勤勉・勤労」という観念が、より多くの価値を生み出すという動態的な財の観点と、休まずに働くことそのこと自体が意義のあることなのだというエートスの奨励という観点を統合するものとして示された。[3]

18世紀のスミスの考え方は、労働生産が進めば国の富が増し国民一人一人の富も平均して豊かになるという楽天的なものであった。しかし、1世紀を経て、度重なる周期的恐慌によって資本家と労働者という経済的な二つの階級が対立・矛盾したものであることが露呈してくると、労働に対する考え方は厳しさを増し、マルクスによって、資本主義社会における「労働力の商品化」という視点が始めて示されるに至る。マルクスはヘーゲルの考え方を継承した。ヘーゲルによって、始めて労働は哲学的に捉えられた。ヘーゲルによれば、労働において人間は自己を自らにとっての対象となる、つまりは自己を対象化することで他在のもとで自己自身と関係する。労働とはつまり、人間の自己実現ないしは自己産出のものであるはずだ。がそれが資本家によって独占的に私有されている労働現場では、賃労働者による生産物が生産手段の所有者の所有物になるのでこの自己の対象化の過程は他ならぬ対象喪失の過程として現象することになる。自己の外化が自己の疎外へと裏返ってしまうのである。ヘーゲルの自己の本質の「外化」、「対象化」という考え方を引き継いだマルクスは、労働は人間が自ら設定した目的の実現の過程としてある故に人間にとってかけがえのないポジティブな意味を持つ、と考えた。[4] マルクスの眼には、労働者の生活がただ資本家との所得の違い貧富の差というだけでなく、社会における立場が、質的な違った立場だとみえてきた。それをマルクスは、「疎外された労働」という視点から考えようとした。労働者の対象化としての労働が自己疎外となり、労働生産物が疎外されて対象喪失となるのは、資本家がいわば現実世界の神となって、働く主体を奪い取っている、という考え方に基づいて、資本家が労働者を労働から、労働生産物から、さらには彼らの類的な在り方から疎外し、人間らしさを転倒させるのだと主張した。しかし、労働からの疎外といっても、労働者を疎外させている逆倒された主体が何かといえば、私的所有のようであったり、資本家という人間であったり、明確にはつかみにくい。次第に、疎外論的主張は、哲学的・主体的ではあっても、経済的現実を客観的に解明するものとしては、きわめて不十分だということがわかってくる。疎外を克服する条件が正確にはつかめないのである。克服すべき疎外された世界をそのものとして克明に認識するためには疎外論の立場では不十分であり、不適切であることに気づいたマルクスは、労働賃金を労働の価値と考えていたところから、やがてこれを労働力の価値として捉えるに至る。例えば、一定期間における労働賃金を仮に100とする。そして生産手段のその間における摩損分と生産材料の価値の合計を200とすると、労働生産によって得られた労働生産物の価値は200プラス100に資本家にとって利潤となるべきものを加えた価値量となる。仮に利潤となるべき価値を100だとすれば、これらの関係は、200(生産手段・生産材料)+100(労働賃金)+100(利潤)=400(総価値)、という式で現すことができる。この利潤となるべき100という価値を生むのが、人間の労働だというのである。疎外論では十分に説明できなかった人間の労働の価値を、労働と労働力とを峻別することによって説明した。労働賃金は労働の価値ではなく労働力の価値である、労働者は労働力の価値としての賃金と交換に自分の労働力を商品として売る。すなわち労働力商品である。一定条件のもとに売られた労働力はその条件の範囲内では労働者のものではなく、資本家の所有するものとなる。そして資本の運動(価値の自己増殖運動)に一要素として加わり、労働力の使用価値としての労働において労働力は消費され、賃金に妥当する価値100に加えて利潤となるべき100、合計200なる価値を生むことになる。利潤となるべき100という価値を生む労働を剰余労働と名づけると、資本的生産の価値方程式は次のように表現し直すことになる。不変資本200+可変資本100+剰余価値100=総価値400。このマルクスの「労働力」という概念の発見によって、資本主義における生産の価値の基本関係が明確になった。労働者は労働力の価値を得て、その価値に妥当する労働以上の労働によって剰余価値(利潤)を生産する。すなわち、剰余価値に当たる分だけの労働を「搾取」されていることになる。では、資本家はというと、資本の本質は「自己増殖する価値の運動体」ということであり、資本家は貨幣としての価値を(「最短期間に最大限の利潤を再生産可能に」)獲得するべき運動の担い手ということである。価値増殖の形の上での主役は資本家、実質的な担い手は労働者ということになる。このマルクスの価値方程式は、現在の経済における生産構造を現象面で明らかにするものではないが、資本主義という経済構造を人間関係(階級関係)においてもっとも簡明に示すものだといえる。労働力の商品化という問題を働く人間にとっての問題として考えてみると、労働力は人間のエネルギーであり活動力である。ここで商品として売られた労働力は、売られたからといって私の身体から離れるものではないが、しかし私の所有ではなく資本ないし資本家の所有なのだから自分の自由にはならぬものである。労働力の売り手である労働者たちは売買の自由を持つと共に、「餓死への自由を持つ」という極限状態の表現をマルクスはしている。[5] マルクスの「労働力の商品化」は、純粋な一般的経済を対象として考えた概念である。現代社会においては、資本主義の構造は複雑化し捉えにくくなっている。しかし、清水が述べるように、「労働力の商品化」は現実に即した抽象であり、資本主義経済の秘密を明かす細胞形態を労働力商品だとする点において、現代社会の中で働きがいの喪失を考える時に、重要な概念だと思われる。

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引用文献

[1] 清水正徳『働くことの意味』81頁、岩波新書、1982年。

[2] 清水、前掲書、58-87頁。

[3] 鷲田清一『だれのための仕事』44-47頁、岩波書店、1996年。

[4] 鷲田、前掲書、42-44頁。

[5] 清水、前掲書、143-154頁。