たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

第五章岐路に立たされる女性-⑥転職

2024年07月20日 17時05分58秒 | 卒業論文

 結婚が誰もが納得する退職の理由であることを記したが、近年の晩婚化の進行と共に、従来、固く結びつけて考えられてきた結婚と退職との間に、乖離がみられるようになった。結婚のための退職ではなく、より多くの女性がOLを辞めて新しい職業に就くようになった。派遣会社に登録する女性もあれば、日本企業よりも男女平等という点において一歩先を行くと見られている外資系の会社に勤める女性もいる。またその外資系勤務に必要な語学力を磨く目的で海外留学を志す女性もいる。さらに、何からの専門的な職業に就くために修学・資格取得を目指す女性もいる。ここでOLが転職へと促される様子を概観したいと思う。

 先ず男性に比して女性の方が転職希望率の高いことを裏付ける資料として『平成9年 就業構造基本調査の解説』から転職希望率及び求職率を男女別に見た場合、女性の方が高いことが読み取れる。転職希望者は、男性391万5千人、女性323万1千人、転職希望率は男性9.9%、女性11.8%と男性に比べ女性の方が高くなっている。さらに、転職希望者のうち、実際に仕事を探すなどの求職活動を行っている者(転職求職者)は、男性170万6千人、女性143万3千人で、ともに転職希望者の約4割を占める。また、有業者に占める転職求職者の割合(転職求職率)をみると、男性4.3%、女性5.2%となっている。(表5-1)(図5-1)

 東京・三田にある「女性と仕事の未来館」の事業報告によれば、転職に関する相談は、大別すると人員整理などでやむなく転職を迫られる層と、自分の生きがい・能力発揮を目指して転職を希望する層に分けられる。日本では従来、男女を問わず転職に良いイメージはもたれなかったが、最近の企業倒産、人員削減の中で転職せざるを得ない人々が増え、女性にもその波は押し寄せている。一方、ヘッド・ハンティングや引き抜きによる一見華麗な転身が話題になる時代でもあり、実に気軽に転職の相談を寄せてくる相談者が多い。また、今なお女性を補助的な仕事の担い手として位置づけている均等法以前の古い体質の企業が数多くあり、女性が転職せざるを得ない状況におかれているケースもある。女性たちの年齢層は20代後半から30代初めが圧倒的に多く、特に29歳、30歳という年齢は転職を考えるメルクマールかと思われる。[i] 

 平凡な毎日の中で、平凡なOLが自分を見出していくのは難しい。銀行員生活3年目の終わりの日記にわたしはこう書いている。「OL生活もうすぐ4年生。丸3年間毎日同じことの繰り返し。けだるさを感じずにはいられない。仕事に振り回されて、心が乾いてしまいそうでそんな自分がいやなのだ。毎日毎日をもっと大切に生きたいのだ」。

 25歳を境に女性のライフサイクルは分化し、就業を継続していた場合28歳頃に男女の壁にぶつかることはすでに記した。OL7年目は転職に揺れる時期である。先の「女性と仕事の未来館」の事業報告から次のような事例を紹介したい。Aさん27歳は製造業に就職、事務職として勤務してきたが、仕事は営業に出ている男性の補助業務、雑用ばかりで会社にはそれ以上のことは期待されていない。気が付くと同期の女性も次々と結婚、子供をもって働いているような先輩女性の姿もない。「一生このままかと思うと自分の人生は空しくなります」と転職を考え始めた。「何で私、今こんなことしているんだろう。このままじゃいけない、何とかしたい」といった自身の心の叫びを大多数のOLは幾度となく聞いているだろう。しかし、何か始める時は大きなエネルギーを必要とする。リスクも伴うものだ。唯川恵は、27歳にして突然上京した友人の姿にOL7年目の自身の焦燥感を次のようにも回想している。無謀でもいいじゃない。そんなパワーが私にも欲しい。パッと花咲く花火のようにたとえ一瞬でも私も無茶に生きてみたい。このままこの会社でOLとして、ただ年をとってしまうなんて、あまりにも哀しい。でも、でも・・・そんな簡単にはいかない。そんな勇気はない。[ii]

 転職を契機に何か資格を身につけて出直そうと考える人も多い。しかし、大多数は何をやっていいのかわからないのが現状だ。資格を取ること自体が目的になってしまってその先が見えない場合も往々にしてある。「どうして女性はそんなに資格・資格と資格にこだわるのか」という男性の声がきかれることがあるが、資格を持っていないと自分を証明することができないことがあるのだ。一つの企業に勤め続けている男性には経験ないだろうが、男性に比して女性にとって資格は、「自分の証明してくれるもの」として重要である。男性の肩書き同様、社会に出て信用を得られるものだと位置づけることができる。なぜなら女性が日本型企業社会の中で身元を証明しようとするとき、所属企業や学歴よりも資格の効果の方が高い場合が多いからだ。女性にとって所属企業に勤めていることは、男性のようにそこの住人とはみなされにくい。管理職になっていれば別だが、通りすがりの人、いっときの社会見学者ぐらいのものである。「そしていつか、いなくなるんでしょ」といったところだ。「専業主婦」をしている女性の場合は、誰々の奥さん、誰々のお母さんとしか呼ばれず、また役所の書類から銀行の振込みまでいつも旦那さんの名前をサインしていると、自分の名前がいつか消えてしまいそうな不安にかられる。資格をとることで、自分の名前を取り戻した「専業主婦」もいる。自分が自分であることを証明する。一生ものの資格とは、そんな自分の存在証明ができる資格のことをさしているのだ。[iii]

「今の仕事はつまらない」、「長く勤めたところで仕事内容や待遇が改善されるわけではない」、こうした理由から退職へと補助業務に固定されたOLは促される。退職したOLの結婚以外の選択肢の一つとして転職はある。しかし、とにかく今の仕事をやめて新しい仕事に就けば新しい人生が開けるというような安易な転職はすべきではない。そうした考え方は、結婚を仕事からの逃げ道とする、いざとなれば結婚という伝統的解決方法をとればいいという考え方と質的には同じである。「今の仕事はつまらなくて、やりがいが感じられないので適職をみつけて転職したい」。これは、「女性と仕事の未来館」の事業報告から短大卒業後食品会社に就職して6ヶ月の女性の場合である。とにかく会社を辞めさえすれば新しい人生を開けるというような、一歩間違えば安易な行動を起こしかねない。そんなOLに唯川恵は次のようなエールを送っている。ただ会社がつまんない、とか、仕事が面白くない、なんて理由で転職を考えるのははっきり言って愚かでしかありません。どこに行っても、つまんない会社はあります。面白くない仕事だって、そっちの方がほとんどなのです。仕事は仕事です。私たちは報酬をもらうために労働を提供しているのであって、楽しみを得るために勤めているわけではないのです。継続は力なり。私は、この言葉をOLの座右の銘としてささげます。いいえ、OLだけでなく、生きることにおいて必要不可欠なことだと信じています。それを踏まえた上で、転職するかしないか考えるべきです。決めるのは自分自身。腹をくくって考えてほしい。[iv] 一度辞めてしまえばどれほど後悔しても元の会社に戻ることはできない。現在の会社に見切りをつける前に他にやりたい仕事は何か、その可能性や到達手段を考えて在職中から準備をしておくことが必要だ。すぐにも会社をやめる前に、まず現在の日々の仕事を遂行していく中でやりたいことの関連知識や技術をしっかり習得して、キャリア・アップを図るための自己研鑽を怠らないことが重要である。仕事を通じて着実に蓄積された能力は職務遂行の上でも、転職、再就職の際にも有効なものとなろう。また、社内研修、社外の勉強会等にも積極的に参加し、多くの人々との人間関係を大切にしておくことも忘れてはならない。民間の専門学校等を含め学ぶ場は多くあるので、積極的に情報を集め、まず自ら行動が起こしてみることが大切である。[v]

 転職とは、キャリアの進むべき方向を大きく変えることである、とキャロル・カンチャ-は述べている。カンチャーによれば、キャリアとは単に仕事・経歴をさすものでなく、「生涯に経験するすべての職業、行動、考え方、姿勢」まで含む、自己実現、人生そのものなのである。仕事を変えることは大きなリスクを伴う。従来の価値観に捉われず、自らのキャリアの創造のため仕事と人生を変えるリスクを冒す勇気を持つ人をカンチャーは「キャリア・クエスター」と名づけている。「キャリア・クエスター」とは、よりよい人生を実現するために、転職というリスクを進んで侵していく意志のある想像的な人のこと、言い換えれば、「転職力」を身につけている人のことである。[vi]「自分らしさ」を求めて、転職をする、留学を志す、派遣社員という働き方を利用する、さらに専門的な職業を求めて就学するなど選択肢は様々であるが、いずれを選ぶにせよ、ポジティブなOLは、「キャリア・クエスター」と言えるだろう。自分さえちゃんとしていれば、「失敗」は「失敗」ではない。「失敗」を恥ずかしいとか、取り返しがつかないとは思わないほうがいい。長い人生から見たら、「失敗」の一度や二度、どうってことはないのだ。だいたい失敗しない人生なんて、平坦でつまらないではないか。[vii]「キャリア・クエスター」タイプは、フレキシビリティに価値を認め、自分で選択したキャリアを通じて、自分を作り変える。自分の尺度を持ち、仲間に尊敬されるよりも、自分で自分を尊重できることに重きをおく。世間の常識に束縛されることを嫌い、独立心に富む。仕事と精神的生活のバランスをとろうと努力するタイプである。

カンチャーは、仕事に対する姿勢を三つのタイプに分けている。ポジティブな生き方をするOLが先に記した「キャリア・クエスター」タイプだとすれば、「被差別者の自由」を享受し、巨大で強烈な消費者集団としての顔を持つ、特に親と同居のOLはカンチャーの分類の二つ目に当たる、「自分の生活が一番、責任なんて負いたくない」タイプと言えるだろう。このタイプは自分の満足を求めることだけがその行動の基準なので、企業戦士などもってのほか。恋愛のため、余暇のため、家族や自己実現のための時間を欲しがり、完全にバランスの取れた人生を送りたいと望む。このタイプは、仕事はお金のためと割り切り、昇進や難しいビジネスにまつわる話題は避ける。そういったことは生活を脅かす要素と考える。キャリアのために生活を犠牲にする気はさらさらなく、また、仕事が生活を圧迫することも好まないのがこのタイプである。三つ目としては、組織から与えられる仕事に受け身で関与する、「組織内での評価がすべて」タイプである。昇進、権力、役職、そして他人の評価と尊敬に何よりも価値をおく。転職など考えもせず、その適応能力も、組織内で動き回ることと組織内での生き残りにおいてしか発揮されない。日本の「会社人間」は言うまでもなく、このタイプに当たる。いずれのタイプにせよ、キャリア・クエストという生き方を選ぶことによって、人生を変えることができる。キャリアを積み上げながら人間として成長していくことが大切なのである。そのためには、ひとつの職場で昇進することよりも、個性の多くの面にフィットする複数の仕事が必要だとカンチャーは述べている。目的をもって人生を生き、その目的がキャリアの目的と一致するときにはじめて、「私は何者なのか。私は何になりたいのか」という誰もが抱く疑問の答えが見えてくる。それは人生に意味を与える仕事とライフワークの選択を可能にしてくれる。キャリア・クエスターは自己に忠実である。自分で確信を持って、「こうありたい」という人生を生きている。人生の道に沿って、キャリアも常に動いている。本当に満足できる人生とキャリアの実現のためには、人生のあらゆる要素をよりよいものにするように努め、自分の内と外に調和をもたらすようにしなければならない。[viii] すでに概観したように、女性にはしばしば人生の転機となる機会が訪れる。そうした転機は自分を成長させ、次のステップへと進むチャンスなのである。ライフ・サイクルの変化に沿って、自ら選択しキャリアをフレキシブルに変化させていく。転職とは、より充実した人生を歩んでいくための手段なのである。

では、女性が働くことの意味がどこにあるのか、生活費を稼ぐ絶対の必要性に縛られている場合に、より良い人生を歩もうとする「キャリア・クエスター」がどのような選択をするか、やりがいや目的のある仕事の探求と生活のためにしなければならないこととのバランスをどのようにとりながら「自分らしさ」を見出していくか、こうしたことについては、さらに考察していきたいと思う。「自分らしさ」を見つけることは簡単ではない。

 

 

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引用文献

[i] 『女性と仕事の未来館 報告書 NO.3 働く女性が拓く未来』7-8頁、2001年。

[ii] 唯川恵『OL10年やりました』160-161頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。

[iii] 松永真理「なぜ仕事するの?」80-83頁、角川文庫、2001年(原著は1994年刊)。

[iv] 唯川、前掲書、162-163頁。

[v] 『女性と仕事の未来館 報告書 NO.3 働く女性が拓く未来』22頁。

[vi] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クセストで成功をつかもう』8-9頁、光文社、2001年。

[vii] 松永真理『なぜ仕事するの?』199頁、角川文庫。

[viii] キャロル・カンチャー、前掲書、18-26頁。


第五章岐路に立たされる女性-⑤「結婚退職」はOLの花道

2024年07月17日 13時05分13秒 | 卒業論文

 仕事と私生活が不可分な関係にある女性の前半生の流れを大雑把に素描してみたが、女性にとって「生まれ変わる」ことのできる最大のチャンスは結婚である。女性に対してしばしば賞味期限といった言葉が使われるが、それは、女性自身の中にも内面化されている。「25歳は女の賞味期限。それまでに結婚しなきゃ」-。そんな悩みを抱える女性は少なくない。[i] 何かしたいと思う。じゃあ何がしたい?私に何ができる?もう歳だし、これといってしたいこともない、資格もないし、だいいち才能もない・・・。こう考え出した時には、無性に結婚に走りたくなる。「やっぱり結婚した方がいい」という線に落ち着いてしまう。結婚神話に魅せられるのである。女性誌の中から、結婚と仕事にゆれる女性の声を拾ってみると、「生涯、続けられる仕事をしたくて会社を辞めました。退職後は、講座を受講したり、独学で勉強をしたり、最近になって就職活動を始めました。でも、この不況。やりたい仕事はあっても経験がないと採用してもらえない。そんなとき彼からプロポーズ。疲れているときに、“このまま結婚してしまおうかな”と、楽な道を考えてしまいます。でも、今結婚したら一生後悔するだろうし、結婚しても続けられる仕事をしたくて会社を辞めたので、簡単にはあきらめたくありません。両親には“女の子は結婚するのだから無理して働かなくていい”と言われ、友達には“結婚するって逃げ道よね”と言われ。どうしたらいいですか?」[ii] この中にあるように、女性にとって結婚は、伝統的な解決方法、苦しい時の逃げ道でもあるのだ。 松原惇子は、「結婚」という二文字は私にとって「かけこみ寺」のようなものだった、と述べている。何かあったら結婚すればいい、逃げ道だったのである。[iii] 唯川恵は、「私だって結婚退職をしてOLの花道を飾りたい」とOL5年目の「宙ぶらりん」の心情を回想している。「結婚退職と依願退職じゃ、退職金にも差がつく。第一、周りの目が、納得度が違う」のだ。[iv]  学校を出て社会見学も4、5年やって、ある悟りの境地にも達している。まあこんなものよ。これだ!と思える仕事とも出会えなかったし、やっぱり女の幸せは結婚かも・・・。結婚神話に魅せられるOLの心情はざっとこうしたものではないだろうか。結婚さえすれば、金屏風の前に立ちさえすれば、たとえ妥協と惰性の産物であったとしても輝いて見える。誰もが祝福してくれるのである。結婚退職は、会社にとっても最も円満でありがたい辞め方である。さらに、出産・子育てと続けば、女性は賞賛の嵐を浴びることになる。日本型企業社会の中では、「女」は軽く扱われても「母」は尊敬されるからだ。

 

 昨吟の日本の人口の動態上、最も重要な変化の一つが晩婚化である。晩婚化の動きは特に都市部で顕著であり、東京都の20代後半の女性では、未婚者が過半数を超えた。晩婚化に伴い、女性の平均勤続年数も上昇中である。昔のように独身女性を偏見のまなざしでみる風潮はなくなってきた。ひと昔前なら、30すぎて結婚していない女性は、オールドミスというレッテルがはられ、社会に出て安心して働いていられない状態だったが、今は堂々と社会で生きている。しかし、結婚はしない、あるいはしたくない、と考えて働いている女性は少数派であろう。OLにとって職場の同僚の結婚退職は大きな関心事である。ベテランOLになると、同僚の結婚退職を祝福しつつも、幸せそうに職場を去っていく同僚を見ると、一瞬、取り残されたような気持ちにさせられてしまうのである。小笠原祐子は次のような34歳の独身OLを紹介している。「今後? それが一番問題ですね。とにかく入社したときは、こんなに長くいるとは思っていなかった。4年ぐらいで辞めると思っていたので。就職のときは、とりあえずどっかに入らないと、って感じだったので。派遣(の仕事)も何度も考えましたよ。でも派遣って、所詮はごまかしていることにちがいないんです。『あの人結婚できないんだわ』『いつまでいるつもりかしら』っという(社内の)目を避けるため(退社して派遣の仕事に就く)。こんな状況でいるのも心細いんです。こんなつもりじゃなかった。同期がやめてゆくのって、とてもつらいし寂しい」。この不動産会社に勤務する女性は,OLの生活も「結婚するまでの期間と思えばそれなりに仕事してそれなりにお給料もらって結構居心地良い」と感じていた。しかし、「結婚するまでの」という条件が取り払われたとき(あるいは取り払われたと意識したとき)、それまで居心地良いと感じていた職場に対する気持ちが大きく変わったのである。このOLは「社内でも社外でもやりたいことを捜して見つけられたらいいなって思う」とインタビューを締めくくっている。[v] この女性のように、仕事に対してビジョンや目的があるわけでもなく、どこかの一般企業に入り、結婚するまでの間、とりあえずOLをする。結婚は幸せを連れてきてくれる。結婚した後の人生が本番で、それまではリハーサル。その先のプログラムを女性はなかなか描くことができないのは、すでに記したとおりである。結婚して今の生活から抜け出したい。結婚さえすればすべてが解決する。結婚こそがオールマイティ。女性がシンデレラコンプレックスにかかる背景には、「結婚=幸せ」、「仕事=苦しみ」というステレオタイプ的な図式ができあがっていることが考えられる。結婚が逃げ道であるということは、結婚することで仕事という労苦から逃れることができる。嫌な選択-雇用労働-からの誰もが納得する逃げ道として、消極的な評価が結婚に対してなされている、ということだ。女性というのは、男性と「結婚」することにより、自分の力では得ることができなかったものを一瞬にして手に入れることができるのである。安定した収入のある男性と結婚しさえすれば、積み重ねなくして生活パターン、生活そのものを180度転換することができる強みがある。「あなた任せのプログラム」では結婚しだいで全く異なる人生を歩むことができる。沈没しかかった自分の船を自分の力で復元させることなく、通りかかった船に乗り移ることで自分を救うことができるのだ。女性は結婚することにより職業を中断し、経済的に不安定になる可能性が大きい。その分男性に対する期待は増大し、結婚後に感じる経済的負担は、女性(36%)よりも男性(69%)に大きくなる。[i]結婚を契機に性別役割分業は強くなり、女性が男性の収入に依存する度合いが大きくなるのである。結婚を、仕事をやめるための理由として選択する、仕事をやめたいから結婚する、筆者はそうした女性の姿を20代初め頃の銀行員時代に先輩の中にみた。そうした身の引き方は、性別役割分業が浸透した日本型企業社会の中で女性たち自身が自ら「個」として生きることを規制してしまっている姿だと言えるのではないだろうか。

 日本の女性の、他者に依存して幸福にしてもらおうとする他力本願的な幸福感を松原惇子は痛烈に批判する。独身女性も、今はシングルというだけで、シングルを選んでいるのでもなければ肯定しているのでもない。それどころか、ひとりで一生くらすなんて、とんでもないと考えている。日本の女性は、世界でもまれにみる、お嬢ちゃん。人に食べさせてもらうことが好きな人たちだ。自立とか口にするが、本当の自立がどんなことかぜんぜんわかっていない人が多い、と松原は述べる。[ii] 松原によれば、女性自身が自らシングルという生き方を否定しているのだから、世間がシングルを認めるわけがない。世の中でも最もシングル女性に対して偏見をもっているのが、彼女たちの親である。30間近の未婚の娘を持つ親は、血相を変えている。娘が未婚であることが、一家の重大事とは考えられないが実際はそうなのである。娘は健康で仕事があるから幸福だ、と考えられない親の多いこと、多いこと。こんな親に育てられた娘は、自分の生き方に自信をもてず、親を喜ばせるために、いつしかいいなりになっていく。そして、妥協して結婚、出産。そのうち、こんなことを口ばしるようになる。「あなた、どうして結婚しないの?」その言葉が、女性を傷つける。女同士、理解しあってないのだもの、男たちがシングルの女性を理解するわけがない。彼らのほとんどは、女性が社会進出することはいいことだ。女性もどんどん働くべきだという考えをもっている。しかし、本音はといえば、はやくやめて家庭に入ってほしいのである。「女がひとりでがんばってどうするの?」正直な男は、ポロリと本音を口にする。日本人は、一つの価値観しか認めない国民性を持つ人たちである。人には、いろいろな生き方があることが理解できない、特殊な人たちである。「女性は結婚するのが幸せ」この考え方は、根深い。しかし、問題は結婚か未婚かではなく幸福になることだ。これからの女性たちは、親や世間の考え方に左右されず、リンとした気持ちで生きる必要がある。[iii]松原が述べるように、結婚ですべてが解決するわけではない。結婚はシンデレラ姫のような御伽噺ではないのだ。人生はいつもぶっつけ本番。今を充実して生きなければ、一生、とりあえずのリハーサル的な生き方しかできない。そんな生き方はしたくない。結婚するしないにかかわらず、自分の人生は自分のためにある。結婚したいから相手を捜すのではなく、結婚したいと思う人が現われたとき結婚しよう。それが自分の「その時」なのだ。[iv]結婚にタイムリミットはない。

 

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引用文献

[i] 坂西友秀「恋人たちがもつ現代的「家」意識」藤田達雄・土肥伊都子編『女と男のシャドウ・ワーク』36-37頁、ナカニシヤ出版、2000年。

[ii] 松原惇子、『OL定年物語』95-98頁、PHP研究所、1994年。

[iii] 松原惇子、『OL定年物語』95-98頁、PHP研究所、1994年。

[iv] 唯川恵、前掲書、153-154頁。

[i] 『日経ウーマン 2003年2月号』22頁、日経ホーム出版社。

[ii] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』213頁、文芸春秋、1998年。

[iii] 松原惇子『クロワッサン症候群』244頁、文春文庫、1991年(原著は1988年刊)。

[iv] 唯川恵『OL10年やりました』119頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。

[v] 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』50-52頁、中公新書、1998年。

 


第五章岐路に立たされる女性-④35歳は女の転機

2024年07月14日 00時53分45秒 | 卒業論文

 35歳というのは、女性にとってひとつの大きな転機である。なぜなら、そろそろ先がみえてくる時期だからだ。20代はなんとなく楽しくすごしていたが、30代に入ると自分の位置というものが否が応でも見えてくる。結婚している、していないにかかわらず、女性の転機ではないだろうか。ちょうど人生が見渡せる年齢。肉体が明らかに衰えの方向に向かっているのを実感させられる年齢である。山に例えればほぼ中間地点。すそ野の景色も見渡せる地点まできたということだろうか。一生懸命上ってきたけれど、私の山はこの程度だったのか。いや、私が目指してきた山はこんな低い禿山ではなかった。人それぞれ、
様々な思いがよぎるのは35歳である。これでよかったのだろうか。この人生で終わって後悔しないのだろうか。軌道修正するなら今のうちだ。ふと、立ち止まり、考える。35歳は自分の姿を鏡に映して再び見直す時期なのだ。[1]

 35歳をはさむ前後数年間が多くの女性にとって人生の転機となっていることに注目したゲイル・シーヒィは、アメリカの男女の「中年の危機」の過ごし方についてインタビューし、『パッセージ』という本にまとめた。 シーヒィによれば、人は誰しも人生の半ばに達した頃、自分の人生が一つの分かれ道にさしかかっている、ないし「これが最後のチャンス」だという感じにとらわれ、後半生に向けて人生を再設計する。この「パッセージ」の感覚を、女性は男性よりも一足早くだいたい35歳頃に迎えるのである。なぜ35歳かという理由としてシーヒィは、1970年代のアメリカの女性の人生に即して、六つの事実を挙げている。①平均的主婦の場合、末っ子が小学校に入学する年齢、②浮気の危機年齢が始まる時期、③平均的既婚女性が職場に戻る年齢、④離婚した女性が再婚する年齢、⑤妻がもっとも蒸発しやすい年齢、⑥生物学的な限界が目に見えてくる年齢。この六つの事実は、今の日本でもかなり共通していると考えられる。[2]

 この中で、特に⑥に注目したい。生物学的限界とは、妊娠し、出産することのできる年齢がそろそろ終わりに近づくという意味である。35歳という生物学的限界が近づく年齢は、否が応でも女性に子供を産むか産まないかの選択を迫る。仕事の都合などで、子供と共に歩む人生を選ぶべきかいなかの結論を、後に先延ばしにしてきた人たちは、結論をもうあまり先延ばしにできないことに気づく。出産のタイムリミットは迫ってくる。女性は、結婚適齢期のプレッシャーからは逃れることができても、まだ出産適齢期からは逃れられない。子育ては老後の楽しみにとっておいて65歳で出産します、というわけにはいかないのである。第二章で、日本型企業社会は、女性のみが出産・育児を担うことを生物学的に規定されたものであるかのように位置づけてきたことを記した。男性なしに妊娠はあり得ないが、妊娠・出産という身体的機能は女性のみがもち、タイムリミットがあることはたしかなのである。子供を産み育てる。それは、会社で働くのとは比べ物にならないほど満足感のある仕事に違いない、と 松原惇子は述べている。私の尊敬する世界的芸術家イサドラ・ダンカンでさえ、子供を産んだ時、自分の芸術を捨ててもいいと思ったというのだから。時代がどんなに変わろうが、出産は女性にしか味わえない至高の喜び。出産が女性にしかできない限り、女性はどこまでいっても男性と同等の社会的進出を果たすことはできない気がする、[3]と。 胎児に関しては、一般に20代を過ぎた後は、加齢と共に妊娠しても、自然流産や染色体異常胎児の出現率が高くなる一方、母体に関しても、妊娠に伴う母体合併症や分娩時の困難が多くなる。とはいえ、「高年(齢)出産」が、20代の出産に比べて非常にリスクが高いというわけではないし、また個人の人生設計はさまざまであるから、この時期に「最後のチャンス」として、出産に挑戦する女性も多い。「女に生まれたからには、一度は結婚、出産をしてみたい」[4]と考えるのだ。出産のタイムリミットは女性の心を揺り動かす。

 一方、仕事との関係では、先に記した熊沢の四つの立場のうち二番目と三番目にあたるOLは大多数が、管理職につながるような育てられ方をされていないので、不況が続き、事業の縮小や企業の合併が日常茶飯事な今日的状況の中では、「会社で生き残れないのでは」と、せっぱつまった心境になる。リストラへの不安が、日々押し寄せてくるのも35歳である。「35歳は、キャリアをすでに確立していなければいけない年齢。そのうえで、最終的な自分の居場所を考える時。転職や独立の最終決断、今の会社に居続けるなら、どうポジションを維持していくかを考えるべきときにきている。ただ、実際は、これといった実績をもたずに35歳になってしまった女性が多いのが実情」[5]である。均等法第一世代の中からは管理職に就く女性も出始めてはいるが、大多数のOLは同期の男性が管理職に昇進していくのを横目にみていなければならない。性別役割分業に基づく人事配置の結果、OLはどう働きどう身を守るかを教わらないまま放置されているのである。

 いずれにせよ、自分の人生を改めて選び直せる最後の「チャンス」が、女性にとっての35歳頃だと考えられる。後半生に向けての仕切り直しの時期なのである。「このままでいいのか」という疑問を持ち、女性の心は大いに揺れ動く。

 

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引用文献

[1] 松原惇子『いい女は頑張らない』38-39頁、PHP文庫、1992年。

[2] 井上輝子『女性学への招待[新版]』172-175頁、ゆうひかく選書、1997年。

[3] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』213頁、文芸春秋、1998年。

[4] 『Yomiuri Weekly 2003年10月12日号』13頁、読売新聞社。

[5] 『コスモポリタン』2003年2月号、集英社。

 


第五章岐路に立たされる女性-③転機が訪れる

2024年07月12日 10時24分08秒 | 卒業論文

  男性のように仕事と私生活を切り離して考えることができず、私生活の事情次第で働き方も異なり、性別役割分業に対する意識も一様ではない女性には、年齢に沿って節目が訪れる。女性はたびたび岐路にたたされるのだ。素描してみるとー。

 入社まもない若い女性は総じて性別職務分離という考え方には疎遠である。与えられる下位職務の定型的で高密度の作業にはうんざりする。しかし勤続年数の短いうちは、そんなものかと思ってまずは事態の推移を待つ。次のような25歳の女性の言葉が一般職の若い女性のおおかたの声を代弁していると思われる。「仕事が面白いって感覚わからないんです」、「みんな、今は就職しているけど、一生働こうと思っている人はいないですよ。お金を貯めるためにがんばって働いているひとはいるけど、仕事をいきがいだと話す人はきいたことないです」、一生勤めようとは思わないが、「夏になればボーナスをもらえるし、今すぐ辞める理由はない」のである。[i] 文句はいいながらも律儀にOLを続けてゆく。それもまた一つの道である。そして、実際そういうOLがほとんどでそういうOLたちによって会社は支えられているのである。しかし、一方では、このままではいやだという気持ちも捨てられない、何かしたい、私にだって何かできるはず。気持ちは揺れるのだ。平均25歳を境に結婚・転職が増えていく。仕事を続けて5年以上たち、余裕ができて迷いも生じる頃である。「25歳って考える歳です」という、雑誌の記事の中からいくつか女性の声を拾ってみたい。「私は今25歳です。いろいろなことがあって今の歳になりましたが、25歳って女にとって考える歳のように感じます。今は結婚も考えられない状況ですが、そういったことも含め自分のことを見つめ直さないといけないと思っています。」「25歳。昨年は私にとっていろいろ悩んだ歳でした。特に、仕事のことで…。会社を辞めて派遣で働きだしたり、派遣先でも、壁にぶつかったりと、波乱万丈でした。その中で得たことは、辛抱強くなることと友達や彼氏の大切さ。精神面で助けてもらい、本当に感謝しています。ある意味では精神面で成長した1年間だったと思います。」「5年勤めた会社を辞めて、オーストラリアへワーキングホリデーに行くと決めたのが25歳。仕事も一生懸命やっていたときでした。ちょうどその頃って、自分についていちばん考え始めるんじゃないかな。もちろん25歳のときだけではなく私の激動は今も続いています。でも、パワフルにいこうって思えたのは25歳でしたよ。」[ii]

 そのまま仕事を続ければ、28歳で「男女の壁」にぶち当たる。この頃から、同期の男性と、会社からの扱われ方に差が出始めるのである。多くのOLは基本的に定型的または補助的な仕事のままで、男性社員のように上位職務への脱出は願ってもかなわない。そして、社内に目指すべき女性の先輩がいないことに不安になる。30歳を境に求人案件が減少するという実情や結婚もからみ、「本当に今の会社でやっていくのか」と多くの女性は悩むのである。「今の仕事に本当に向いているのかわからない。大学の女友達が結婚・出産し始め焦る」(27歳)「仕事にいろいろな思いをもつようになり、このままでいいのか?もっとできることがあるのではないか?・・・仕事に打ち込めば打ち込むほど悩みは強くなる」(28歳)[iii] 唯川恵は、揺れるOL7年目の心境を次のように振返っている。「今のままでいれば安定したお給料が入ってくる。仕事だってつまんないけど覚えている。会社でハニワのようになっていれば、後は習い事をするとか、パーッと飲みに行くとか、海外旅行でも行って気分を晴らせば。何も無理して新しい仕事なんか捜さなくても」と思う。しかし、「このまま勤めてたってただのOLでしかいられないわ」と突然退職し専門学校に通い始めた友人の生き生きとした姿に、では「私はいったいなにができるの?なにがしたいの?」と自問自答は続くのである。[iv] 

 そして、30歳を迎える。この頃を境に女性は同年代でも生き方がばらばらになってくる。20代後半に始まった分化は、30代前半にはくっきりとしてくるのである。20代後半から30代始めにかけて、専門職と事務職の一部には、近年の能力主義の強化、女性の「戦力化」政策に対応して仕事に前向きに挑戦しようとする女性も出現する。この挑戦が条件に恵まれて成功を収める程度に応じて、彼女らは「もう男だ、女だってこだわってる時代じゃない」というジェンダーニュートラルな志向に傾いてゆく。もっとも、こうした女性たちの多くはプロ志向であって管理職志向ではないので、彼女たちの中からは修学や資格取得希望の退職者も輩出される。[v] 就業を継続させていた場合、勤続10年ともなればOLの仕事の質と量が個人間で多様化し、他方私生活では出産や子育てがかかわりもっとも家事の負担が重くなる。会社の要求と仕事への意欲、プライベートがかみあわず苦しむ女性も多い。熊沢誠は、30代前半の女性の就業コースに四つの立場を想定している。

 先ず、仕事の裁量権が与えられていて面白くかつ労働時間、ノルマなどのしんどさもほどほどで家庭責任との両立が可能な少数派。その対極にある、仕事が定型的または補助的なものに限定されたままでやりがいがなく、かつ心身を消耗させるほどしんどくて家庭責任との両立が困難な場合。この場合、生活のために働く絶対の必要性に迫られていない限りは、そのさきの就業コースとしては、相対的に見て多数が結婚・出産退職すると考えていいだろう。女性は家事や育児といった裁量権を発揮できる「女性らしい」営みに自分の不可分性を発揮することによってそれなりの自立を求めるのである。三つ目として仕事にやりがいはないけれども家事・育児と両立できるほどの負担に留まっている場合。この場合、とりあえず今の会社での就業継続を選択すれば様々な心の調整が求められる。女性は、性別職務分離と言う確固たる現実に「妥協」するか、やりがいのある仕事への欲求を調節して「納得」するかを選ぶだろう。もやもやした気持ちを抑え、「10年1日同じような仕事をさせられている」という鬱屈を「どこへ行ってもわたしにできるのはこんなこと」、という悟りに変えて勤め続ける。気力なく働くという場合もある。あるいは、「営業アシスタント」「データ入力係」「職場の潤滑剤」も会社の業務には不可欠と考え、そこに自己の存在理由を見出そうとする。こうした様々な心の調整も、正社員を限定する労務政策の強化や穏やかだった職場の雰囲気に変化があれば無理になり、結婚・出産を契機におくればせながら家庭に入っていく。この論文で注目しているOLの大多数は、二番目と三番目の立場だろう。四つ目としては仕事にやりがいはあるけれども、心身ともにきつく、家庭生活との両立が困難な場合が想定される。[vi] どの立場であろうとも、年齢との葛藤を男性よりも早くから味わっている女性は、35歳頃に人生の転機を迎えるのである。

 

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引用文献

[i] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』227-235頁、文芸春秋、1998年。

[ii] 『OZマガジン 1999年SPRING号 あなたが選ぶ生き方』、スターツ出版。

[iii] 『日経ウーマン 2001年11月号』15頁、日経ホーム出版社。

[iv] 唯川恵『OL10年やりました』155-158頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。

[v] 熊沢誠『女性労働と企業社会』170-171頁、岩波新書、2000年。

[vi] 熊沢、前掲書、156-158頁。

 


第五章岐路に立たされる女性-②女性は仕事と私生活が不可分

2024年07月09日 14時42分23秒 | 卒業論文

  一般職OLには期間限定の感がある。松永真理は、商社に勤めるOLから聞いたこんな話を紹介している。商社でOLしているというのがウリになるのは、25歳までなんです。その後はウリがリスクに変わっていきます。5年たってもまだいい男性を見つけられなかったのか、って他人の視線を感じてくるし、5年も同じ仕事やっているただの事務員か、って自分でも思えてくるし」。[i] このOLが言っているように、「まだ結婚しないのか」という周囲の視線と、第四章の「OLと年齢」の項で記したように、OLの仕事は単純反復作業であればあるほど若さに価値がおかれていることをOL自身が肌で感じている故に、OLにとって一般職OLの仕事を一生の仕事とは考えにくい。「生涯一OL」とか「58歳のOL」とかにはなかなかならないのだ。女性の多くは、どこかまだ本当の自分ではないような気がし、現在の生活をいっときのもの、と感じている。「このままでいいのか」と言う疑問が、つねに頭のどこかにあり、自問自答を繰り返しているOLが多いのだ。次のような女性の言葉がOLの代表的な声であろう。「25歳は女の転機ですよ。辞めるなら今だと思いました。かねがね、OLをずっと続けていくことに疑問を感じていました」、「OLなんか続けていても何の将来性もないし」。[ii] このように、単なる事務職であるOLが若いうちだけ「とりあえずOL」し、25歳を節目と考え、25歳を過ぎれば結婚・転職等迷う背景には、女性は男性に比して仕事と私生活が深く結びついていることがある。女性は男性と異なり、結婚、出産、子育てといった大きなライフイベントが20代、30代という人生の前半に集中し、年齢との葛藤も早い時期から味わう。結婚する相手によって住む場所も変われば、生まれる子供によって手のかかり方も違う。自分の意志だけではいかんともしがたい、そうした私生活の事情次第で女性の働き方は異なってくるのだ。日本型企業社会の中で女性にとって仕事と家庭を切り離して考えることは困難である。女性は男性に比して、それぞれの私生活の事情によって仕事の上での課題や問題点も違ってくるのである。日本の性差別的企業慣行が男性と女性に異なる働き方を要求し、それがジェンダーによって納得され正当化されていることはこれまでにも繰り返し記してきた。ここで改めて小笠原祐子の記述に沿って女性にとって仕事と私生活がいかに密接に結びついているかを概観したい。

  小笠原は、BG時代からめんめんと続く「女の子」扱いに対してOLが組織だった抗議行動を取らない理由を、女性の仕事と私生活の不可分性に見出している。従順、受動的、あるいは嫉妬深い、といった女性特有とされる性質にOLの連帯感の欠如の原因を見出しがちであるが、そうした見解は、OLが連帯感を情勢するには非常に困難な状況におかれているという構造的要因を無視した、いわば被害者に被害の原因を求めるようなものだ、と小笠原は述べている。嫉妬などのいわゆる「女性的」とされる感情は、女性の生得的なものではなく、外部の環境が女性により多くそのような感情を引き起こさせる。OLは男性社員に比して生来嫉妬深いのではなく、職場の環境と仕事の過程が男性と女性では異なり、その異なる外部要因が一方の性により嫉妬という感情を引き起こしているのだ。先ず社内的には、OLは男性社員に比べ社内の上下関係の中での自分の位置が不明確であることが考えられる。年功、学歴、勤続、年齢といった上下関係を決定する四つの異なる指標が互いに矛盾して存在し、学歴の異なる女性の人事方針は矛盾に満ちている。

次に、社外的には、女性の場合、独身、結婚、出産という比較的短い期間に訪れる人生の各場面においてどのような決断をしたかによって、同じ女性社員といってもその目標や悩みはずいぶんと異なり、一人一人の働き方は違ってくる。[iii] さらに、非正社員化が進み、就労形態の異なる女性同士が入り混じっている今日的状況では、それぞれの位置づけは不明確であり、同じ職場で似たような仕事をしつつも、目前にしている状況はそれぞれに異なり、その中での目標や期待も異なれば、心を痛める心配事も抱える問題も様々なのである。男性は女性に比べると、私生活によってその働き方に相違がでる度合いがはるかに小さい。男性も女性同様に様々な異なる私生活を送っている。結婚や子育てを経験する。しかし、私生活がどのように異なっても、女性の場合ほどに働き方に影響を与えることはない。子供が生まれたからといって男性は仕事と子育ての両立に悩むことはまずないのだ。大多数の男性はどのような女性と結婚しようと勤め先の企業を辞めない。大多数の男性は家族の状況がどうであろうと、いったん会社から辞令が下れば、遠方への転勤に同意する。大多数の男性は何人子供を持とうと育児休暇をとろうと思うことはない。男性のこうした硬直的な職業生活は、女性が自身の生活を柔軟に適応させているから可能なのである。夜遅くまで残業や接待、休日出勤する夫に代わって家事や育児をする妻。夫の転勤が決まれば仕事を辞めて一緒に任地に赴く妻などなど、男性が仕事から家庭を切り離すことができるのは、女性が仕事と家庭を切り離して考えないからである。女性は自分を抑えて家族を支える生き方を求められてきた。女性の仕事と家庭の不可分性は、日本型企業社会が女性に求めてきたこうした役割と密接な関係がある。

 小笠原の『OLたちのレジスタンス』に共感する熊沢誠は、女性の性別役割分業に対する意識の多様性を次のように述べている。第一に、経営組織上の下位職務にほぼ平行移動できるような「女に適した仕事」があるということへの幾重もの正当化、第二に、世帯の主要な稼ぎ手は男であり、女は補助的な稼ぎ手には「なってもよい」があくまで家事・育児の専担者であるべきだという通念。この二つに対応する女性の主体的な意識には、第一の性別職務分離論についてはもとより、きわめて一般的なレベルでは支持率の高い性別役割分業論についても多様性がみられる。一方の極にはここからの肯定・内面化があり、他方の極にはきっぱりとした「拒否」がある。しかし、おそらく多くの女たちの意識の位相は両者の中間にあるだろう。そこには現実の動かし難さに応じて欲求をコントロールした上での「納得」、その現実への「妥協」、あるいはジェンダーのしがらみを回避できるような個人的な立場を獲得する選択などが認められる。[iv] 個人としての女性のライフサイクルは、年齢に沿ってしばしば訪れる人生の転機に、たとえば学歴や職業や「時代の常識」によってこうした多様性のいずれかに傾き柔軟に適応していく。職場体験と生活体験を重ねるなかで変化も遂げていくのである。

 

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引用文献

[i] 松永真理『なぜ仕事するの?』141頁、角川文庫、2000年(原著は1994年刊)。

[ii] 松原惇子『クロワッサン症候群』147頁、文春文庫、1991年(原著は1988年刊)。

[iii] 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』33-34頁、中公新書、1998年。

[iv] 熊沢誠『女性労働と企業社会』170-171頁、岩波新書、2000年。


第五章岐路に立たされる女性-①女性のテーマは「自分さがし」

2024年07月05日 11時54分13秒 | 卒業論文

   日本型企業社会の中で、新卒の男性はこれまで「就職」ではなく、会社組織に「就社」してきた。[i] 就職するに際し、十分な知識も準備もないまま、そして就職したあとどういう仕事をするのかもよくわからないまま、ともかくどこかの会社に入ればよかった。会社に入れば、ローテーションによって異動を繰り返し、様々な業務を経験しながら管理職に向かっていく。こうした会社本位主義的なシステムは崩壊しつつあるが、これまでは、男性であれば、係長になって、課長になって、ここら辺の地位まであがりたい、こういう仕事をしたいと出世の各段階で先を読むことができた。男性には仕事が自己実現のようなところがある。[ii]

   男性に対して、昇進・昇格の道が閉ざされてきた女性の場合、先のプログラムを作ることはなかなか困難である。考えられるとしても、だいたいは結婚までのプログラムである。筆者自身、高校卒業後、銀行に入行した時(1981年)、数年したら当然結婚退職するものだと思っていた。23・4歳は当時の適齢期であった。結婚が女の花道であり、他の、見本となるような生き方をしている「普通の」女性が身近にはいなかった。1970年代から80年代にかけて20代を過ごした松永真理は、こう述懐している。視界のなかには、多数の「ああはなりたくない」サンプルか、立派すぎて「ああはなれない」少数のサンプルのどちらか一方だった。自分の望む「ふつうのいいもの」は、ひとつもなかった、と。[iii] ここでは、筆者が均等法施行前に就職した世代であることから、プレ均等法世代を念頭におきながら、女性が人生80年のライフサイクルを描くことが困難であることを考察したい。

 日本型企業社会は、女性には持てる能力を社会ではなく、家庭のなかで発揮するよう期待してきた。そのように育てられ、均等法施行前に就職した世代の女性は、特に昔ながらの社会的通念、「女は子供を産んで一人前」「家事・子育ては女の仕事」が潜在化しており、自分の将来を一般主婦にしかおくことができなかった。そして、一般主婦として描くことができるプログラムはだいたい次のようなものである。学校を卒業後は、とりあえずどこかの一般企業に入り、OLをする。仕事は9時から5時まで。責任はないからラクといえばラクである。アフターファイブは、お茶にお華、英会話に通ってもっぱら自分を磨く。靴はいつもピカピカにブラシをかけ、爪には毎日マニキュアを施し、24歳でほどよく婚約、25歳で結婚。27歳で第一子、30歳で第二子を産み終えると、35歳からは第二の人生をスタートさせる。よく聞かれたのは、「結婚したら行けなくなるから今のうちに外国へ行っておく」「結婚したら遊べなくなるから今のうちにいっぱい遊んでおく」といった言葉である。女性の人生は結婚相手次第という「あなた任せのプログラム」は、結婚する人によってどんな人生を送るかわからない、結婚しても子供が何人できるかわからないし、どれくらいの収入があって、どういう家に住んで、といった不確定要素がいっぱいで、人生80年のライフサイクルで、プログラムを描くことなどできなかったのである。

 しかし、先述したように80年代を境に女性の生き方は変わってきた。今や女性の前には、様々な選択の道が用意されている。教育も、結婚年齢も、仕事も自分で選ぶことができるのである。仕事一筋の男性と違っていろいろな生き方の選択肢があるためにかえって、生き方について悩む率が高い。今の女性にとって、大きな悩みや不安があるわけではないけれど何か物足りない、何か打ち込めるものを探したいという、「自分さがし」は大きな関心事となっている。女性誌には、女性の生き方に関するテーマがたびたび取り上げられる。例えば、「あなたが選ぶ生き方-わたし行きの切符を探せ!」[iv]、「恋、仕事、人生・・・そうだ!自分リセットして出直そう」[v]、「転職、別れ、結婚、出産・・・人生は迷いと選択の繰り返し-決断して始める新しい私」[vi]等、このままではいけない、自分は何がしたいのか、何ができるのか、自分らしい何かを見つけなければいけない。これらのテーマは、「自分さがし」へと女性を誘う。留学、転職、キャリア・アップ等のキーワードは、今の自分には足りないものがあると感じさせ、否が応でもそれまでの過去を全部捨ててリセットしなければいけないかのように女性を惑わせる。

 ここで、 松原惇子の『クロワッサン症候群』の記述に沿って、80年代の女性の生き方の変化と女性誌の影響について触れたい。1970年代から80年代にかけて「女性雑誌の時代」と呼ばれるほど日本では女性雑誌が隆盛した。70年代はじめに若い女性向けのファッション雑誌が次々と登場し、続いて70年代後半には、「大人の女」向けの雑誌が続々と創刊され、「自立」「キャリア・ウーマン」といった流行語を生んでいった。「大人の女」向けの雑誌が推進したのは、職業をも視野に入れた「ライフスタイルの自由な選択」とでもいうべきもので、カラフルなグラビアと「素敵」「新しい」「おしゃれ」などのコピーを伴いつつ、多様な女性の生き方を読者に紹介したのである。60年代にアメリカで始まったウーマンリブ運動が70年代の後半に日本でも定着しつつあった。日本の女性に自立ブームが起こった。この流れを大衆規模に拡大したのが女性誌である。女性誌は一斉に叫びだした。自立している女こそ、素敵な女なのよ、女よ!もっと自由に!結婚という枠にとらわれずに生きようよ!知的な女は飛ぶのを怖がってはいけないわ!それまで女性が社会的にスポットライトを浴びた時代はなかった。雑誌が提案した「女性の新しい生き方」、「結婚以外の生き方」に当時の迷う若い女性たちは飛びつき、松原が「クロワッサン症候群」と名づけた中途半端な独身女性を生み出した。

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引用文献

[i] 奥村宏「揺らぐ日本型就職システム」内橋克人・奥村宏・佐高信『就職・就社の構造』34頁、岩波書店、1994年。

[ii] 鴨下一郎『女性がストレスとつきあう本』180頁、大和書房、1996年。b

[iii] 松永真理『なぜ仕事するの?』5頁、角川文庫、2000年(原著は1994年刊)。

[iv] 『OZマガジン1999年SPRING号あなたが選ぶ生き方』、スターツ出版、1999年。

[v] 『コスモポリタン2001年11月号』、集英社、2001年。

[vi] 『日経ウーマン 2003年3月号』日経ホーム出版社、2003年。

 


第五章岐路に立たされる女性

2024年07月04日 17時25分49秒 | 卒業論文

 今や女性の生き方の選択肢は大きく広がった。86年の均等法施行が節目であると考えられる。それまでにも、働く女性はたくさんいた。しかし、働いているといっても大半の女性は結婚までの腰かけで企業に就職したにすぎず、女性たちの真の目的は「永久就職」つまり、「家庭におさまる」ことであった。それまで、女性の幸せといえば、親の決めた相手と結婚するか、会社で知り合った男性と結婚し寿退社するか、というような社会通念が一般的であった。それが、一挙に崩れていったのである。

『Yomiuri Weekly』2003年6月15日号に、40歳前後を迎えた均等法第一世代を取材した記事が掲載されている。その記事は、均等法施行から17年間の流れを次のように振り返っている。「女性の幸せは結婚にある」との社会通念が崩れた。バブルと円高がこの流れを加速させた。企業は女性を雇用する余力がつき、新規事業には女性が有力な戦力になった。一方で、円高のおかげで女性の海外旅行や海外留学のブームが到来。女性の行動範囲や視野が広がっていき、海外勤務を希望する女性も急増した。企業も海外に女性をどんどん送り出していった。仕事や経済力を手に入れた女性は多様な生き方も手に入れた。DINKS、バツイチ、シングルマザー、ダブル不倫、子連れ再婚、海外放浪、海外就職、子育て後の再就職・・・などなど、新しいキーワードが次々と出現していった。[i]  

第三章で見たように均等法は、即座に性別役割分業の消滅をもたらすようなものではなかった、片手落ちの法律であったが、女性の社会進出を促進したことにはちがいない。社会進出を促進したばかりでなく、女性の生き方をも大きく変えるものだったといえるだろう。しかし、選択肢が広がった分だけストレスを抱え込む機会も増えた。このままでいいのだろうか、本当の幸せってなに?と常に自問自答し続けている。第四章で記したように、OLを取り巻く環境は厳しさを増している。「ちょっとしたプライドを捨てればOLっていい職業」[ii]ではなくなってきている。先行きが不透明な今、働き方も生き方も自己責任が問われ、主体的な選択が求められる時代になったのである。コインに裏表があるように、好景気には高収入と働き過ぎが、景気低迷には時間と少ないお金があり、多様化には選ぶ自由と自己責任が、幸せには手に入れる努力と楽しみが伴う。

 こうした流れの中で女性初の何かになったというニュースになるような特別な人ではない、テレビや雑誌に紹介されるようなキャリア組ではない、「普通の」OLをしている女性にとっての真の自立、「自分さがし」と生活をしなければならないこととのバランス、さらには幸福感について触れていきたいと思う。

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引用文献

[i] 『Yomiuri Weekly 2003年6月15日号』15頁、読売新聞社、2003年。

[ii]  松原惇子『OL定年物語』15頁、PHP研究所、1994年。

 


第四章OLという存在-⑫OLだってやりがい、わりきってばかりもいられない

2024年07月02日 01時14分08秒 | 卒業論文

 日本型企業社会において周縁労働力に押し込められてきた一般職のOLで、現状の仕事を続けることが生きがいだと思っている人は少ない。「被差別者の自由」を享受したOLたちの楽しみの多くは、消費や趣味、友人や恋人との人間関係など、仕事以外のところにある。性差別を受け入れ、仕事以外に充実を求め、労働における内容面での充実ということは生きがいから外しているのである。男性のように出世できるわけではないから、仕事に少しぐらい手を抜いたところで、「よほどのこと」をしない限り評価に差はなかった。しかし、さらに、「どうせ一般職なのだから」仕事はお金を得るための手段と割り切って「そこそこに」働き、仕事以外に打ち込めるものをさがせばいい、と考えても、来る日も来る日も長い時間を過ごさなければならない職場で、そう簡単に割り切って働き続けられるものではない。現状の仕事のどこかに自分なりの価値観を見出していなければ、私生活にばかり充実感を求めても、満たされないものを感じ、やりきれない思いに襲われるのではないだろうか。ヒルティは次のように述べている。多くの人たち、ことに女性たちは、その天職を見失っている。今日ではそれを見失うこともやむをえないとさえ思われる。なぜなら、現在の与えられた状況の中では、彼女たちの活動する余地がまだないからである。この場合、天職にかわるどんな代用物、たとえば、ある種の享楽、芸術や芸術家に対するむやみな熱狂、クラブ生活、そのほか現代的教養のどんな種類も、この欠陥を補うことに役立たない、[1]と。私生活充実の方向へ走った結果ますます元気がなくなってしまう例として、『日経ウーマン』はこんな読者を紹介している。ある30歳の女性は、結婚を機に仕事は「そこそこに」働くことにした。残業はせずに帰宅。ガーデニングに精を出し、おいしいご飯を作り、家の中はいつもきれいにしている。週に一度はネイルサロンに通い、雑誌に載っている海外高級リゾートにも、毎年一度は出掛けている。なのにどこか満たされない。[2]「OLに求められる役割」の項で記したように、一日の大半を過ごす職場生活にやりがいを見出すことができなければ退職へと促されるOLも多い。そうそう、わりきってばかりもいられないのだ。

 さらに、近年OLを取り巻く職場環境は大きく変化してきている。平成不況の長期化によるリストラや雇用調整のターゲットに真っ先になったのは、ホワイトカラーの中高年管理職と女性労働者であることはすでに記したが、ジェネラリストという名の「管理職」も、いってみればOLという名の「一般事務職」も、特定の分野に限らないジェネラリティ(一般性)を何やら怪しいものにしてきている。[3] 一般事務職の新規採用と中途採用は激減した。バブル景気が終わり、採用の中味が「量から質へ」と転換した。「今すぐ10人欲しい」から、「いい人いたら5人ぐらい欲しい」に変わり、さらに「こんな職務ができる、こんな人が欲しい」へと変化した。派遣社員の要請にも、かつては「OA操作のできる人」だったのが、「エクセルを使って営業事務ができる人」など求められることがより具体的になり、そのレベルは高くなってきた。事務の仕事にスペシャリティが求められるようになったのである。就労形態の非正社員化が進む今日、すでに在籍している一般職OLも「いてくれるとありがたい人」から「この人がいなければ仕事が進まない」に変えていかなければ安穏としてはいられない。筆者が2003年7月に東京都の女性と仕事の未来館においてキャリアカウンセラーと対面した際にカウンセラーから「いい加減に仕事してきて泣いている30代の女性が今いっぱい、いますよ」という話がきかれた。「被差別者の自由」を享受するばかりではいられないのだ。こうした中で、成果主義の導入は仕事に前向きな女性も輩出していると考えられる。

 先にも記したが、近年、成果主義という言葉が聞かれるようになった。従来の日本的能力主義に基づいた年功賃金制度に代わって実績主義が台頭してきたのだ。成果主義については、『日経ウーマン』2002年7月号には、次のような説明がある。成果主義を「仕事をしたら、その分だけ給料がほしい」という人は、成果主義的な考え方をしていると言えるだろう。ただし、「その分だけ」と言うからには、「仕事で成果を出しているか」が問われることになる。成果主義では、個人にどんな能力、知識、経験、技術があっても、それらが仕事の場で発揮されなければ、評価はされない。能力主義との大きな違いは「仕事の価値」に対して賃金を払うことだ。どんな仕事をし、どんな責任を負っているか、そしてどこまで目標を達成できたかにより、昇給や賞与に差がつく。「仕事の価値」に支払われるため、諸手当も、基本給に組み込む形で廃止する方向に向かっている。最近は、「仕事で、どのようなプロセスを踏んだのか」も評価がなされるようになってきている。潜在能力ではなく、仕事でどんな成果を生み出すかが問われているのは同じだが、成果を生み出せる実力をつけていくためには、結果ばかり見ていてはダメだという認識が広がりつつある。そのため、若いうちはこれまでのように「能力」を評価し、管理職以降に「成果」が問われる方向に進んでいるようだ。日本型雇用慣行の特徴であったこれまでの右肩上がりの年功型賃金は、「若い頃は低く抑えられる代わりに、年をとってからその分もらえる終身決済型」だと言われてきた。この「右肩上がり」が、今、モデルではなくなろうとしている。定昇(定期昇給・ベア(ベースアップ)だけでなく、昇格・昇進による昇給がこのモデルを支えていたが、運用が「年功的」になっていたという反省から、成果主義導入に伴い、納得性の高い昇給・昇進を実現していこうと企業は努力している。[4] 成果を生み出せる人が、高い評価を得ていくのが成果主義なのである。

 長引く平成不況の中で、これまでは主として男性の一定職種のみに適用を限定されていた実績・成績の査定が、女性労働者も携わる広義の営業や事務に拡大されつつある。旅行会社のカウンターセールス業務もデパートの定員も銀行のテラーも一定のノルマを持つ。また近年ではいくつかの企業が、「業務職」「総合職Ⅱ」などと呼ばれる、仕事上の要請が総合職と一般職の間にある「中間職」を設け始めている。「中間職」は昇給が急カーブになると同時に厳しいノルマ達成を求められる営業が混じってくる。女性はこの厳しいノルマのある仕事を忌避するかといえば必ずしもそうではない。従来の日本的能力主義の評価を脱却した公平で客観的な業績評価であるならば、さらにノルマが普通の生活リズムを可能にする水準に設定されているならば、意欲的な女性は実績・ノルマシステムを受け容れていくだろう、と熊沢誠は述べている。しかし、この志向の評価は簡単ではない。熊沢は、日本の実績主義は普通の女性を働きやすくさせるほどの「清朗」なものにはならないだろう、と述べている。なぜなら、日本には、実績評価の客観性を保証するような職務区分・職務記述も、そしておよそ作業量を連帯的に規制しようと試みるような労働組合機能も、さし当り見当たらないからである。OLの「すきま業務」を公平に評価するような明確な職務区分はないということである。もう少し、熊沢の記述に沿って見よう。日本型企業社会では、個人に割当てられる仕事の範囲、ノルマ、責任が総じて流動的である。「一定の職務」に誰を配置するかという管理よりは、この人にどれだけの仕事をさせるかという管理が重視される。すなわち、それぞれの職務の価値をさしあたり担当者の属性を離れて評価できるような職務概念が不明瞭なのだ。それ故人事考課も、一定の職務の要件をその人がどれほど満たしているかの評価というよりは、その人の能力、成績、態度、性格を多面的に見る、どれほどフレキシブルに働けるかを基準とした「人」への評価になりがちである。こうした日本的能力主義の下では、職務評価は門前払いされている。[5] しかし、従来の男性に有利な年功型賃金制度は崩れつつある。

 さらに、会社にいた時間ではなく、「何をどれだけしたか」という評価の仕方は、女性にとってチャンスが増えたと考えることができる。そのためには、普通のOLも普通の事務ではなく、より専門性を高めていく必要がある、経費削減の波に脅えないですむためにはより付加価値を高めていく必要があるだろう。しかし、突然、より専門性をと言われても、これまでの教育では、特別の専門教育を受ける人を除けば、ほとんどの人が専門教育らしい教育を受けてはこなかった。さらに、これまで日本の企業では、専門性はとかく「深さ」というよりも、幅の「狭さ」に結びつけられやすく、それは勢い組織人としては行き止まりを意味していたのだ。専門性を高めるといってもその方法さえつかみにくいのが現状であろう。松永真理は、専門性を高めるということについて、次のような答えを見つけている。つまり、専門性とは、ひとつひとつの専門知識や技術そのものではなく、自律性、協調性、創造性、そしてその根底にあるつねに何かを獲得できるような基礎的な力である。ある専門性を身につけようとすることを通して、そうした基礎的な能力を身につけていくこである、と。[6]

 どのような働き方を選ぶにしろ、選択は女性自身に委ねられている。女性に主体意識が求められているのだ。大切なのは自分の軸を見つけること、個の確立ではないだろうか。キャロル・カンチャーは『転職力』の冒頭でこんなメッセージを読者に送っている。「自分の人生は自分で決める。それはすなわち、自分の運命を自分で引き受けることです。人生と仕事の質を向上させ、夢を実現する知恵と勇気を見いだしてください。」[7] 女性には男性と違っていろいろな生き方の選択肢が用意されている。そのためかえって、生き方について悩む率が高い。昔のように、結婚以外に選択肢がなかった時の方が楽であったといえるかもしれない。絶えず向上することを願いながら生き方を模索する。次の章では、「自分さがし」が女性にとって大きな関心事であることを概観したい。

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引用文献

[1] ヒルティ著、草間平作・大和邦太郎訳『眠られる夜のために』(第一部)79-80頁、岩波文庫、1973年。

[2] 『日経ウーマン2002年7月号』54頁、日経ホーム出版社。

[3] 松永真理『なぜ仕事するの』142頁、角川文庫、2001年。(原著は1994年)。

[4] 『日経ウーマン2002年7月号』60-61頁、日経ホーム出版社。

[5] 熊沢誠『女性労働と企業社会』50-52、207-208頁、岩波新書、2000年。

[6] 松永真理『なぜ仕事するの?』157-158頁、角川文庫、2000年(原著は1994年刊)。

[7] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力―キャリア・クエストで成功をつかもう』13頁、光文社、2001年。

 


第四章OLという存在-⑪「被差別者の自由」の享受を可能にしているもう一つの理由

2024年06月28日 18時43分39秒 | 卒業論文

 圧倒的多数の男性は会社を辞めたいと思っても簡単に辞めるわけにはいかない。しかし、多くの女性は「とりあえずOLしているのであり、いざとなれば辞めればいいやと思っている」ので、ぎりぎりのところに立たされた場合には女性のほうが極端な行動をとることができてしまうことを先に記した。いざとなれば女性のほうが開き直ることができてしまう。一般職のOLは仕事の最終責任を負っていない、出世の道も初めから閉ざされているので抵抗行為をすることができる。さらに、このようなことを可能にしている背景には、OLは基本的生活水準を親に依存しており、生活の心配のないことがあげられる。通常、男性社員であれば、上司が気に入らないとか、不愉快な目に遭ったからといって簡単に会社を辞めることはできない。家族を養うためには会社でがんばって仕事をし、できれば少しは出世もして、と思ってきた。しかし、家族を養うどころか、親と同居していて自分自身の生計さえ立てなくてよい場合が多いOLは、不愉快なことがあったら、男性のように我慢することはないのである。親と同居するリッチな独身者を「パラサイト・シングル」と呼んだ社会学者の山田昌弘は、若者が親と同居しているかどうかが、労働問題を考える場合に重要な要素となると述べている。山田は男女かかわりなく、親と同居しリッチな生活をする未婚者をパラサイト・シングルと呼んでいるが、実際には親に寄生して豊かな生活を楽しむ未婚者は、女性が圧倒的に多い。この性差が持つ意味を山田は次のように説明している。男性の場合、親と同居している割合がそもそも低いし、同居していても、結婚資金を貯めたり、農業など家業を手伝っていたりする人が多く、パラサイト生活を楽しむ人は少ない。これは、日本では、専業主婦指向が強いゆえに生じている性差だと考えられる。つまり、女性は結婚によって別の人生を始め、結婚後は夫の収入に頼るという見通しを持つから、未婚者は安心してパラサイト生活を楽しむことができる。結婚前はどんな生活をしていようと、夫婦の経済生活は夫次第と思っているのだ。一方男性は親と同居しても、将来の妻子を養うというプレッシャーから解放されない未婚者が多い。それゆえ、結婚を望むなら、パラサイト生活を楽しむという心境にはならないのではないかと考えられる。結婚は女性にとって「生まれ変わり」、男性にとって「イベント」なのである。生まれ変わるから、今を楽しむだけ女性と、現在と将来と連続しているから楽しめないという構図である。[1] 基本的生活条件のコストを負担しないで済むパラサイト・シングルは、親にとっては子、外に出れば社会人という「いいとこ取り」をしているから、精神的な満足度を一般的に考えられる「好きなことを追求できることと、嫌なことをどれだけしないで済むか」という尺度で測ると満足度を高くする条件を兼ね備えている、と山田は述べている。「嫌なこと」の多くは、仕事上の問題からくる。人間関係上のトラブルもあるし、自分の実力が評価されなかったり、身につけている能力を発揮できない仕事だったり、そもそも嫌いな職業についているというケースもあるだろう。たとえ、好きな職業に就いていても、勤務時間が拘束されたり、頭を下げたりすることが多い。それでも、多くの人が仕事を続けるのは、やめれば生活できなくなるということに尽きる。それを「余裕がなくなる」といっても同じである。パラサイト・シングルはこの点でも恵まれている。基礎的生活条件が親によって保証されているので、少々の小遣いの減少を我慢すれば、嫌な仕事はやらないですむのだ。たとえ仕事をやめなくても、「いつでもやめてやる」と思ったり、言ったりすることができる。仕事における立場が強くなるのだ。また、失業したとしても、親と同居していさえすれば、住む所と食べ物には困らない。自立して、自分の給料で生活している人は、次の仕事の見通しがつかない限り、なかなか離職しない、というよりできないといってよい。しかし、パラサイト・シングルは、好きな仕事をしたいから、もしくは今就いている仕事が嫌だからという理由でやめることができる。山田が述べているところによれば、失業率は1999年3月現在で4.8%、特に若年失業率が高く、20代後半の女性で特に高い。[2] 若者の失業率が高くてもそれほど社会問題にならないのは、若者が親と同居していてパラサイト生活を送っているからである、と山田は述べている。日本の若者の失業は、ぜいたくな失業といえないだろうか。「切実に」「生活のために」仕事を探しているのではなく、「自分に合った職」「プライドを保てる職」にこだわるために、なかなか就職せず、また、自分に向かないと感じた合わない仕事はやめてしまうのではないか。非正規社員という就業形態を可能にしているのも、基本的生活条件を親に依存しているからである。長時間拘束されるのはいや、自分の時間が確保できない、職場の人間関係がわずらわしいという意識、熊沢が「被差別者の自由」と呼んだ意識と非正社員の増加とはすでに述べている通り深く関係している。これは、豊かな生活を他人に支えてもらい、あくせく働く必要のなくなった立場の労働観である。好きな仕事ならやるということは、嫌な仕事ならつかないし、やめてもかまわないという立場、つまり、「労働」の趣味化がパラサイト・シングルの間で起こっていることを山田は指摘している。[3] 繰り返し述べてきた、OLがいざとなればやめればいいやと考えることができるのは、山田の記述に沿って考察すれば、自身の生計を立てるために仕事をする必要がないからである。山田は、渡辺和博とタラコプロダクションによる『金魂巻』(1984年)から引用しながら、次のように述べている。

  一般の会社に女子社員として勤めていれば給料の差などというのはあまりないので、そんなにまる金とまるビの差は出ない気がしてきますが、実際には2-3年OLしているうちに、決定的にまる金とまるビの差が出てしまいます。いったい何によって出るかというと、自宅通勤とひとり暮らしによってまる金とまるビに分かれてしまいます。この一点です。(64頁) つまり、渡辺和博氏は、OLの経済階層は、職業や仕事内容、収入、学歴、努力などといった要素とはほとんど関係なく、ただ単に、親と同居か、一人暮らしかで決まるということを主張している。そして、その差は、単に、生活水準の差ではなく、生活様式、男女関係や社会意識、そして、心のゆとりにまで影響することが、読み進むうちに分かってくる。自宅のOLは、お嬢さん感覚を身につける一方、一人暮らしOLは、毎日の生活に追われているうちに、「疲れた」感じがどうしても出てきてしまうと評される。この本は、パラサイト・シングルの優雅な生活を描いていると同時に、未婚女性の間で貧富の差の拡大、つまり、「階層分化」が生じていることを明らかにしている。[4]

 多くの女性は自分のために他人がどれだけ稼いでくるかという点で、自分の階層意識も決まり、未婚女性にとって世帯収入が多ければ階層意識が高く、逆に世帯収入が低ければ階層意識も低くなる。山田によれば、同居の親の収入が多くて、自分の収入が少ない場合、もっとも階層意識が高くなる。結婚している女性でも似たような傾向を示し、世帯収入と既婚女性の階層帰属意識の相関が高く、自分の収入にはあまり影響されない。[5] 先にも記したように、親と同居する未婚者は女性に限ったことではないが、特に女性にとって親の経済的利用可能性が自分の生活水準を決める決定的要因になっている。86年の雇用機会均等法施行以降、女性の社会進出が進み、女性も個人として経済的に自立していくはずという認識も生じたが、実際には親と同居し、お給料は全部お小遣いとして使うことができる。生活の心配がないOLは労働の場を離れて「巨大で強烈な消費者集団」としての顔をもつ。均等法成立後も、日本型企業社会は、女性を周縁労働力として活用し続けていることは繰り返し記してきた。女性労働者は未婚の時は親に、結婚したら夫にパラサイトすることを前提に位置づけられている。今も日本型企業社会が持ち続ける雇用慣行は一般職の女性に自立を阻むものではあっても、自立を促すものではない。 松原惇子は、女性の自立が困難であることを次のように述べている。

 “自立した女”とか“自立”と言う言葉を私たちは軽く口にするが、実際に自立することは並たいていのことではない。特に女性にとって自立することは非常に難しいことである。自立には二つの要素が含まれる。一つは経済的自立、もう一つは精神的自立である。この両方をクリアできてはじめて自立していると言えるのであって、単に女性が仕事を持っているからといってその女性が自立しているということはいえない。食べていけても心の中で誰かをあてにしていたり、仕事が嫌になった時の避難場所のことを考えたりしているのでは、その女性は精神的に自立しているとは言えないだろう。最近、マスコミでは、一時の“翔んでる女”から“女の自立は何もお金を稼ぐことだけではない”路線に変わってきている。家庭で子育てをしていることも女の自立につながる。それも正論だが、私には何かすり替え論のような気がしてならない。何も経済的に自立したくない、男性の庇護のもとに暮らしたい女性に無理に外に出てお金を稼ぐべきだと言っているのではないが、自立は自分で稼げる、ということが絶対条件だと私は思うからだ。それもパートタイムやお花を教えてのチョロチョロ仕事ではなく、男性と同等の稼ぎがある。そのくらいの経済力を持ってはじめて女性が経済的に自立していると言えるのではないだろうか。[6] 

 女性が親と同居し続けることと、男女ともに根強い専業主婦志向は「依存主義」という意味で同じ現象であると山田は述べている。パラサイト生活は、親に生活条件(家事・住居など)を依存するシステムである。また、専業主婦という存在も、夫に基本的生活水準を依存するシステムである(夫から見れば家事一切を妻に依存している)。高度経済成長期は、この依存システム、熊沢が述べるところの「男女共生システム」がうまく働き、多くの若い女性は親への短期間の依存の後、専業主婦としての依存先を見つけることができた。しかし、現在は親という依存先が太り、夫という依存先が細っている。これが、日本に晩婚化現象をもたらしている、と山田は説明している。[7] 女性の選択肢の多様化、仕事と生きがい、生活がかかっている時にどうするのか、真の自立については、次章以降でさらに考察していきたい。ここでは、一般職の女性は、生活の心配がない故に「いざとなれば辞めればいい」と思うことができることを説明するに留めたい。

 

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引用文献

[1] 山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』21-22頁、ちくま新書 1999年。

[2] 山田、前掲書、45-47頁。

[3] 山田、前掲書、16頁。

[4] 山田、前掲書、112-113頁。

[5] 山田、前掲書、117頁。

[6] 松原惇子『いい女は頑張らない』186-187頁、PHP文庫、1992年(原著は1990年刊)。

[7] 山田、前掲書、86-87頁。

 


第四章OLという存在-⑩ OLの女房的役割と主婦の類似性

2024年06月24日 12時36分54秒 | 卒業論文

 先に、日本の職場では男性の女性に対する依存度が高いことを記したが、ここでアンペイド・ワークという観点から、OLの職場における「女房的役割」と主婦の無償労働の類似性について検討してみたい。構造的には弱者であるはずの女性が実際の職場生活においては優位な立場にあるという男女の力関係は、タキエ・リブラが述べた家庭における妻と夫の力関係に似ている。日本の家庭における夫の妻に対する完璧なまでの依存は、妻に何がしかの力を行使する余地を与えている。妻の献身が夫にとって必要不可欠なものとなればなるほど、妻は夫に対し一定の力を行使しうることになるからである。女性に対する男性の依存度が高ければ高いほど女性は権力を行使することができるのだ。日本の主婦はたいてい生活費をまるごと管理している。夫の小遣いの額を決めるのも、へそくりの額を決めるのも家庭の経理部長であり、財務部長である妻が決定権を持っている。財布のヒモを握っている故に日本の主婦は地位が高い。さらに、日本では夫は身の回りの世話を妻に頼りきっていることが、家庭内で女性が持つ奇妙な力の源であるとタキエ・リブラは説明している。小笠原祐子が引用して述べているところによれば、日本の夫の「まるで子供のような妻への依存」、すなわち妻からの手助けなしにはやっていけない状況が、妻の力の行使を可能にしていると考えられる。妻に身の回りの世話をやかせているのはまさしく父権であるが、その結果成立するのは母権である。つまり、日本の家庭においては父権と母権が併存している。そして、外的構造を無視して家庭の中だけに注目すれば、日本の女性は男性よりも、またアメリカの女性よりも力が強いと言い得る。[i] 職場においても、OLはしばしばこのような奇妙な力を持つ「社内妻」になぞられる。それは、繰り返し記してきたOLの役割と仕事の内容の質によるのである。社会全般において、社会的労働・有償労働には普通計算されない家事、育児、介護、そして教育や環境保全にかかわる無償労働は圧倒的に女性のみによって担われている。同様に、職場においても社内妻になぞられるOLの仕事は、「職場の家事」が大きな役割を占めていると考えられる。日本では職場においても家庭においても、多くの女性が男性の身の回りの世話をし、また、女性に身の回りの世話を頼っている男性が存在するのである。だから、「OLを敵に回したら、サラリーマンは生きてゆけない」[ii]のである。

 第二章で、家事労働の意味づけについて女性の「愛情表現」であることを記しているが、ここでアンペイド・ワークという概念を用いながら、OLの「職場の家事労働」も含む「家事労働」は意味づけが困難で評価されにくいものであることを考えたい。アンペイド・ワークとは、日本では「無償労働」とも訳され、近代社会の賃労働成立の過程で賃労働に対して、賃金が支払われない労働を意味するものとして定義されるようになった。日本では、1997年に経済企画庁が初めて「家事の値段はいくら?」という試算を発表した。この試算は、正式には「無償労働の貨幣評価」と呼ばれ、賃金はもらっていないが、人間の生活に必要な労働が、社会の中にどの程度あるかをつかむためのものであった。[iii] いわば「見えざる労働」を見える形にしたという意味では、これは大変画期的なことであったといえる。アンペイド・ワークという概念は、目の前にあるにもかかわらず生産概念や経済学から体系的に無視されてきたような、たいへん多様な労働をそのまま把握するためにあみだされた実践的な概念だといえる。[iv] アンペイド・ワークに注目することは、「隠れていた労働」「見えない労働」を目にみえるものにし、女性の地位を上げることにある程度貢献するであろう。「主婦」の「家事労働」は、第二章でも少し触れているが、通常の統計では測定されてこなかったアンペイド・ワークである。専業主婦は、「三食昼寝つき」「夫に養ってもらう身分」「家庭で行っているのは消費活動」などと言われて、あたかも生産労働に従事していないかのようにみなされてきた。

 「主婦」が誕生したのは、第二章で見たとおり、欧米では産業革命後である。家族が共同で農作業や工業生産に従事する体制に代わって、企業による大規模生産が一般化する。賃労働成立と共に近代家族の機能が消費と子育てとに縮小していく過程で近代的性別役割分業が成立していき、「主婦」が誕生した。当時台頭してきた市民階級は、女性の本質によって女性の役割を、男性の賃労働と対比させて家事労働に固定した。女性の「美しいふるまい」としての家事労働は、女性の本性からただちに生じるものとみなされるようになったのである。B・ドゥーデンは、18世紀にドイツで発表された『女性の性格描写試論』という一文を当時の知識人たちが描く理想の女性像として紹介している。少し長くなるがここに引用してみたい。

「われわれは自分たちの目を、愛すべき対象、善良で家庭的で高貴な女性、つまり、子供たちの楽しい集まりとともにあり、母としての美しい役割を果たし、夫との仲睦まじい交わりの仲に見出される女性に向けてみよう。そして、それなしにはわれわれのもっとも効果的で長続きのする善き事を目指す動機がしばしば失われることになるであろう、そういう一つの性に対して、ここで内面的な敬意を払うことを学ぼう。われわれの周囲、社会的な生活集団において、やさしく善良で啓発的な一家の母のイメージほどに、心を惹きつける、思いやりのある、教訓的で高貴な人間像はありえない、ということを私は強く主張したい。諸君の目が、この愛に満ちた品位のある家族の女神につき従ってゆくところ、いずこにおいても、諸君は作為や故意といったあらゆる無駄を経験することなしに、家庭的秩序、家庭的質朴、家庭的調和、そして、穏やかであるがそれだけにいっそう愉快で無邪気な生活の楽しさを見つけ出すだろう。母および夫人としての家事執政官としてのその美しいふるまいのすべては、彼女をとりまく人々に快活さと愛を幅広くもたらしている。・・・貞淑さと穏やかさが彼女の行為ひとつひとつを特徴づけている。・・・愛情のこもった抱擁の中でも、あるいは夫や子供たちの機嫌が嵐のように荒れ狂っていても、高貴な女性の心と言葉は貞淑さと穏やかさを見失うことがない。」[v]

「家事」は本当に「女の本質」によって根拠づけられるものなのか。ここで、アン・オークレーの『家事の社会学』を参照しながら、「家事」について少し考察してみたい。「家事」とは、大半の女性が生活の中で日常茶飯にする経験であり、特に誰かがほめてくれる性質のものではない。何をいつやるのかある程度自分の思い通りに決めることができるので「自分自身が快適であるように」[vi]と心がければ、いくらでも快適にすることができる、そういう意味で自律性をもつ。しかし、同時に自分自身が主であるということは、自分が確認義務を負わなければならないので心理的な圧力を感じてしまう、管理されているわけではないが、自分自身の活動を選ぶほどには自由ではない、という点で他律的であると言える。家事は同じ行為の繰り返しを限りなく要求される「きりがない女の仕事」なのである。目には見えない非建設的な性格を持つ家事は、取るに足らないものというステレオタイプ的な考え方は主婦自身にも内面化され、「単なる」とか「ただの」主婦といった、他のどんな職業よりも劣っているものだという暗示を含んだ言い方をする。単調で繰り返しの多い労働は、多様なものに比べ、仕事に対する不満と結びつきやすい。主婦自身が家事に向ける不満は、それが本質的に単調で反復的だということにある。家事にはさまざまな仕事があるが、絶えず繰り返されなければならず、本質的な意味が捜せず、しかも達成したという感じが一時的である。明けても暮れても同じ決まりきった仕事を機械的にこなす完璧な主婦ほど、「自動的」なものはない。家事の単調さは、それをやりがいのない仕事にかえてしまう。全体的な注意力など必要でなく、ひたすら、些細なことに神経を使うために何か他のことに集中するのは無理なのである。このように単調さと細切れは密接につながる。そして、毎日、果てしなく続く仕事をこなしながら、いつもやることがいっぱいあるという思いにつきまとわれるのだ。また、家事はあまりにも細切れなので、今やっている仕事のことを考えていると報告する主婦はほとんどいない。さまざまな技能が必要だが、完全な精神的集中力はいらない。家事が多種多様な仕事の寄せ集めであるために、主婦の注意力はあちこちに分散する。さらに、自分ではどうすることもできない時間的束縛を他の種類の仕事に比べより強く感じてしまう。要約すれば、単調、細切れ、及び時間的な束縛は、家事について主婦が共通に感じていることだということになる。[vii] このような家事労働について、主婦は自分自身で仕事の定義を見つけ管理しなければならない。

 有償労働の中に隠された「すきま業務」、多くの場合OLに割り振られる、労働として評価されない「職場の家事」もアンペイド・ワークに含まれる。OLの職場での役割と先に記した主婦の家事労働とは、毎日同じことの繰り返しで単調、こまぎれ、オーバーペースであるという点できわめて似通った性質をもつのである。女性は職場でも、ファックス・メールやテレックスの確認・仕分け・配布業務、ごみ捨て、来客へのお茶・コーヒー出し、洗い物をする、ポットにお茶を入れる、給湯場清掃、会議の準備・後片付け、書類のファイル及び保管、企業内外の書類運び、郵便物の回収と仕分け、電話取り、電気つけ、庶務(切符・慶弔・その他の手配)、取引先へのお土産をととのえる、コピー機やファックスの紙詰まりを直すなど、一般事務と一口に言っても、OLが毎日実際に行っている仕事は、このようにマニュアル化されない不定期な他人の世話という部分が多くを占めている。その仕事内容はあまりにも切れ切れで細々としているため、やっている女性自身も自分の仕事であるという感覚を持つことが難しい。自分では管理することのできない要因による制約があるため、受身的にならざるを得ない。頼まれ仕事を引き受けるのは、OLにとって仕事というよりは男性のためにしてあげる「サービス」である。しかし、日本の男性は、女性が責任範囲外の仕事を頼まれても嫌とはいえないと思い込んでいる。だから、正規外の仕事を女性にやらせることはあっても、同僚の男性に頼もうとはしない[viii]。女性は受身的であるという性のステレオタイプが暗黙のうちに受け入れられてしまっているのだ。男たちは、占有する「高度な仕事」、「世界を相手にする」ビジネス、「会社の命運を賭けた」プロジェクトなどに集中したいと考える。その集中を妨げられないように周辺の、前後処理の「職場の家事」を女たちにまかせている。本務以外の雑用が女性というだけで押し付けられる。女性に求められているのは、男性が雑念を持たず「大切な仕事」を気持ちよくできるような環境を整えることである。「女性の特質」だと企業社会を体現する男性が考え、性別職務分離を正当化している、ソフトな対応、思いやり、ケアに適した性格などを仕事に生かして男性を補佐することをOLは求められている。仕事のスキル以上に、対人コミュニケーション能力が必要とされるOLの役割は、「主婦」という性役割と同じ性質をもつのである。「家事って炊事や育児とかの一つ一つのことじゃないのよ。家族が次々持ち込むごたごたの総和なのよ」(竹信三恵子「連載・家事神話」『WE』1999-2000年) [ix]という主婦の発言があるが、雑用係としてのOLの仕事にも、このような性格がまとわりつくのである。一人で複数の男性をサポートすることが多い日本の職場では、OLはしばしば「母」と表現されることもある。OLに求められるのは、先に述べられているような母性豊かな穏やかさ、人と調和していく能力であり、いつも笑顔を絶やさないでいてくれることを職場の男性は望んでいる。このような性格の仕事にはふつう「おじさん」はまぬかれているしんどさが伴う。一つ一つの事と事との間に横たわるそのしんどさは、言葉では非常に言い表しにくいものであり、評価の対象にもならない。従来、労働市場において、「男の仕事」・上位職務を特徴づける要素としての知識、「問題解決能力」、人事・財務の「統括責任」などが高く評価されるのに対して、「女の仕事」・下位職務にまとわりついている要素は軽視または無視されてきた。「女の仕事」の労苦は「男の仕事」の知識に比べて極めて市場価値が低い。誰かがやらなければならない「すきま業務」は、「女の仕事」であることを理由に労働市場において過少評価されてきたのである。  

 男性からみればOLは些細なことに、不当に、しかも脈絡なく腹を立てるように感じられる。小笠原祐子は、女性の気まぐれな性格を警戒する代表的意見として、ある研究所勤務の男性の次のような言葉を紹介している。「女性って、つまんないことで、文句言うところがあるでしょう。電話を取るのが遅いとか、後片付けがしっかりできていないとか。仕事がたいへんだ、あの上司は詰まんない仕事を押しつけるとか、陰で文句を言う。女性がかたまると、つまんないことでも大きなことになってしまう。陰口とか広まってしまう。要は些細なことでそうなっちゃう・・・。男も悪口をいったりはするけど、些細なことでそんな騒ぎにはならない。ほんの些細なことで女の子に文句を言われたと、よく同僚とか後輩の男がこぼしている」[x] 電話を取るとか後片付けをするとかは、それらを仕事としてカウントしていない男性から見ればつまらないことであるだろう。しかし、そうした「見えざる労働」を要求されるOLから見れば、決してつまらないことではないのである。下位に位置する単純・補助労働も日本経済に不可欠の営みである。実際にOLなしでは、どこに書類がファイルしてあるのかわからなかったり、コピー機の紙詰まりを直せなかったり、出張旅費の払い戻し方法がわからなかったりする男性が多い。難しい商談を成立させても、女性が必要書類をそろえ事務手続きを滞りなく行わなければその商談は正式には成立しないのである。にもかかわらず、「すきま業務」は、ほとんど仕事としては評価されていない。ある女性が先に記したような雑業の時間を計測すると一日一時間以上となった。この分だけ労働時間を短縮すれば13%の賃上げと同じ効果がある。 (『朝日新聞』97年3月22日、ペイ・エクティ研究会[97])。[xi] 

「労働」はそれをする個人にとって、決して単一な定義ではおさまらないし、また、共有的な意味ももちにくい。つまり、労働の意味は、職種の数だけ存在するとも言えるのだ。[xii]雑用係のOLが仕事として評価されない周縁労働にやりがいを見出すことはむずかしい。仕事の内容が自分の仕事というよりは頼まれた男性へのサービスとなれば、OLは仕事のどこにやりがいを求めるのか。OLがやりがいを感じる余地があるとしたら、「女らしい」ふるまいと、主婦という性役割に固定された「家事労働」との同一化が、女性自身に知らず知らずのうちに内面化されていることが考えられる。どんなことでも義務でするのと、何の制約もなくするのとでは気分が違ってくる。OLとて「やっぱり女の子だから、周りの人にかわいく思われたいとかやさしく思われたいとか、いい人に思われたい」[xiii]という気持ちがあるので、積極的に性別役割を認識して、自ら「女らしさ」を再確認しようとする方向へと導かれる。どうせやらなければならない仕事なのだから、OLは自ら仕事の定義づけを行い、「かわいい女」「やさしい女」を統合して、パーソナリティの機能として展開していく。その結果が、ジェンダーの落とし穴の項で紹介したような、例えば好きな男性のフォローは積極的に行い、逆に嫌いな男性に対しては言われた以上のことはしない、というようなことをもたらす。好きな男性のためにしてあげる「サービス」としての労働の対価は、ねぎらいの言葉や出張に行けばおみやげを買ってきてくれるなど、女性の仕事に対する感謝の念を表してくれることである。

 近年きかれるようになった成果本位という名の能力主義はまたこれまで有償だった労働の無償化を促す要素をはらんでいる。日本型企業社会では多くの場合、それぞれの行っている職務を洗い出して確定し、その仕事に賃金をつけるということは行われてこなかった。このままで「能力」や「成果」を問われたら、「認められない仕事」を担わされた人は、いくら働いても賃金は上がらないことになってしまうのである。1997年、東京のある女性の契約社員が、春闘に臨んで「仕事」を正確に評価してもらおうと、自分が職場で果たしていることの全てをリストアップしてみた。朝の机の拭き掃除、新聞・郵便の回収、コーヒー入れ、電話取りなど、男性が「仕事」としてカウントしていない「すきま業務」を書き出してみると数十にものぼり、しかも、これに、就業時間のかなりの部分をとられていることがわかった。この指摘は重要なものを含んでいる。一日何時間職場にいれば、いくら、という計算方法をやめ、「能力」や「成果」で大きく格差をつけるなら、「職場の家事」とも言える見えない仕事をカウントしないと、これらはみなアンペイド・ワークにされてしまう。日本の職場では「能力」や「成果」を公正に評価する方法を持たないのに対し、欧米のオフィスでは、しばしば「ジョブディスクリプション」(職務の記述)として、仕事の項目を書き出して労使で合意のうえ、仕事の確定を行う。ここで合意した仕事内容について、評価の対象にするのである。日本の職場で、その職務についてのどんな「成果」を評価の対象にするのかはっきりさせず、「長時間職場にいる社員は勤勉」との従来の評価を据え置いたまま、印象による「能力給」部分を厚くすれば、当然残業が増える。さらにその構造を変えずに裁量労働を拡大すれば、サービス残業はこれまで以上に増え続け、家庭でのアンペイド・ワークの時間は一段と失われていくのである。見えない仕事も洗い出し、職務を確定した上での能力評価が不可欠である。[xiv]「女の仕事」の市場価値は低い。今「男の仕事」と「女の仕事」の現実の賃金格差を100対60としよう。しかしそれぞれの仕事に求められる技能・知識・精神的及び肉体的な労苦、責任などを公平に秤量してみれば、両者の「職務価値」の差はあるいは100対80、あるいは100対100になるかもしれない。「女の仕事」に特徴的に求められる文化的・人間関係的な熟練、細部に気配りする責任、ストレスに耐える力など「見えざる労働」を評価させる営みも見直されるべきであろう。[xv] OLの仕事の内容の豊富化と公平な評価が今求められている。OLの見えない仕事も洗い出し、職務を確定した上での能力評価が不可欠である。

 

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引用文献

[i] 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』26頁、中公新書、1998年。

[ii] 唯川恵『OL10年やりました』133頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。

[iii] 久場嬉子・竹信三恵子『「家事の値段」とは何か』2頁、岩波書店、1999年。

[iv] 川崎賢子・中村陽一『アンペイド・ワークとは何か』20頁、藤原書店、2000年。

[v] B・ドゥーデン・C・ヴェールホーフ著、丸山真人『家事労働と資本主義』1-2頁、岩波現代選書、1986年。

[vi] 栗原はるみ『貯金の話題 315号』郵便貯金振興会、2001年4月1日。

[vii] アン・オークレー著、佐藤和枝・渡辺潤訳『家事の社会学』91-100頁、松籟社、1980年。

[viii] トレーシー・ワイレン/中川雄一訳「アメリカ女性が日本人と仕事をする心得」内橋克人・奥村宏・佐高信編『日本型経営と国際社会』199頁、1994年、岩波書店。

[ix] 熊沢誠『女性労働と企業社会』211頁、岩波新書、2000年。

[x] 小笠原、前掲書、65頁。

[xi] 伊田広行『21世紀労働論-規制緩和へのジェンダー的対抗』142頁、青木書店、1998年。

[xii] アン・オークレー、前掲書、113頁。

[xiii] 小笠原、前掲書、128頁。

[xiv] 久場嬉子・竹信三恵子、前掲書、53-54頁。

[xv] 熊沢誠、前掲書、205-206頁、210-211頁。