たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「フォロー・ミー」-2004年5月カウンセリング総論②資料より

2024年05月29日 13時16分19秒 | グリーフケア

2004年5月21日(金)-カウンセリング総論②資料-「フォロー・ミー」

 

「フォロー・ミー」

 

上嶋洋一(京都保健衛生専門学校非常勤講師)

 

 キャロル・リード監督の「フォロー・ミー」という映画があった。

 

 結婚後間もない夫が、妻の行動に不審を抱く。“妻とはこうあるべきはずだ”という期待通りに、妻が生きてくれないからだった。他に好きな男ができたのではないかと疑った夫は、一人の探偵を雇う。その日から、その探偵が妻の後をついて歩く。常に一定の距離を置いて。決して口はきかずに。ただひたすら彼女の後を。しかし、彼女のあとをついて歩いていたその探偵が皮肉なことに、その彼女にひかれていく。自分の人生の中に一生懸命意味を見つけようとしている彼女の姿にひかれていくのである。調査の報告をする日、夫が問う。「どうだ、やっぱり男がいただろう」。その問いに答える代わりに探偵は言う。「今日からはあんなが、あんたの奥さんの後をついて歩いてご覧なさい。常に一定の距離を置いて。決して口はきかずに。ただひたすら彼女の後を。(そうすればあんたも、もう少しましな男になるかも知れない)さあ、お行きなさい」と。

 

 私は今、京都にある定時制の看護学校の非常勤講師をしている。定時制の学生たちのことを想う時、いつもこの映画が私の心に浮んでくる。もっと早く、彼らの後をついて歩くことができていたら、そしてその世界の少しでもいいから、自分の目で見、自分の心と身体で

味わい、自分のものとして感じることができていたら、自分ももう少しマシな男になっていたような気がするのだ。

 

「朝8時30分~12時30分、夜5時30分~9時まで、看護助手として働き、そして昼1時20分~4時30分まで、この学校で勉強している。毎日毎日、仕事と学校に追われて、時間が超特急で過ぎていく。しんどくて、イヤで仕方がない日もあるけれど、「頑張らないとなあ」と思いながら毎日を生きている。「なんでこんな生活しなあかんの!もう辞めたい」と思いながら、辞めないのは何でかなあと、時々ボーと考える。私は中学校に入るか入らないかの頃に看護婦になりたいと思った。でもその頃は、ただ白衣に憧れていただけかも知れない。現実は仕事はきついし、人間関係は複雑だし、毎日、身も心もボロボロ。「辞めたら楽なんだろうなあ」と思うのにやめられない。なぜかなあ・・・。たぶん、辞めても、できること、したいことがわからないし、途中で放り出すということに対する自分のプライドもあるし。それと、何回か、仕事で、「看護婦やってて良かったなあ」って思えたことがあったが、それも関係しているのかなあとも思う。」

「手術室看護にたずさわって4年目を迎える。夜に緊急のOpeの呼び出しで飛び起き、雨でも雪でも病院に駆けつけたり、デートの途中であっても、彼氏をおいてけぼりにして走りだしたり、大手術の前は、何時間も手術の勉強をしたり。夜中に血だらけのOpe室に入り、青白い顔でうなっていた患者さんと、2週間もたてばエレベーターなんかでバッタリ会ったりする。その時、胸がいっぱいになる。きっと、苦痛と不安の中、患者さんは私なんか覚えていないし、存在すら知らないと思う。「あなたの手術のために、私は一週間も前からずっと勉強し続けていました。あなたの手術のためにあの日彼を怒らせてしまいましたよ。私はあなたのために頑張ったんですよ。病棟のNsみたいに、いつもそばにはいなかったけど」・・・そんなふうに、元気になった患者さんに言えればいいけど、でも、「ああ無事に終わって良かったな」「出血が、思ったより少なくて良かったな」と心の中でつぶやいている看護も、まあいいかなと思ったりしている。」

 

 寝てばかりいる学生の向うに、こんな世界があることを、しばらくの間全く想像できず、彼らを(口にこそ出さないが)責めてばかりいたころの自分を思い出す。彼らを好きになれなくて・・・好きになれない自分をまた責めて・・・。「いっぺん見に来い!」といってくれた学生に感謝したい。

 

(『筑波大学臨床心理学会会報』1996年No.11,2頁)


カウンセリング総論-2004年セスクカウンセリング総論①資料より

2024年05月28日 00時41分30秒 | グリーフケア

2004年5月14日(土)カウンセリング総論①レジメ

  1. カウンセリングとは

 専門職であるカウンセラーがクライエントの依頼によって、その成長や問題解決のために、人間関係を媒介にし、科学的な理論や技術に裏付けられた心理的援助を行うものである。(沢崎2004)

 

カウンセリングの定義

「カウンセリングとは言語および非言語的コミュニケーションを通して、健常者の行動変容を試みる人間関係である」(国分1990)

「心理療法は病理的なパーソナリティの変容を主たる目的とする」(同上)

 

  1. カウンセリングの歴史

1)近代化社会とカウンセリング

 16世紀に始まる西欧諸国の近代化は、経済、政治、社会文化の各訪問で様々の進歩を遂げたが、特に科学技術の発達は著しく、医学も19世紀から20世紀にかけ続々と優れた発見、研究、臨床技術がなされた。人間の精神の病も、魔法使いやシャーマンの手から近代医療に移行され、呪術的世界から科学の光が当てられた。産業の世界でも、その技術の発展から労務管理について多くの理論、実践を生み出し、そこが人間中心の心理学発展の土壌となった。

カウンセリングの学問としての歴史は浅く、1900年代である。しかしその実践は古くからあった。

 

カウンセリングが発達した社会的要因としては以下のことが挙げられる。

a.家族の近代化 家長制度から核家族へ

b.地域社会の近代化 村落から都市へ

c.組織の近代化 血縁、地縁から目的集団へ ゲマインシャフト→ゲゼルシャフト

d.社会階層の近代化 封建的身分制度の消滅。職業選択。(キャリアカウンセリングの重要性が増してきた)

e.国家の近代化 国と大衆が直接的に結びつく。福祉国家への変容(カウンセリングは公的に大事になってきた。)

 

2)アメリカにおけるカウンセリングの発達

 a.職業指導運動 パーソンズ(Parsons,F.1854-1908) 適性・天職

 b.教育測定運動 ソーンダイク(Thorndike,E.L.1874-1947) 知能指数をはかる

 c.精神衛生運動 ピアーズ(Beers,C 1876-1943) 自身でうつ病を体験した。

 

3)カウンセリングと類似している相談業務

a.コンサルテーション

b.ケースワーク

c.ガイダンス

 

  1. カウンセリング理論

1)精神分析

 創始者:フロイト(Freud,S.1856-1939)

1990年「夢判断」 1901年「日常生活の精神病理」

 理論の骨子

①幼少期の体験がその人の性格を形成する。

②無意識があらゆる行動の原動力である。

 

2)行動主義理論

条件反射理論:パブロフ(Pavlov,I.1849-1936) ワトソン(Watson,J.B.1878-1958,USA)

試行錯誤理論:ソーンダイク(Thorrndike,E.L., 1874-1949)

学習理論、新行動主義:ハル(Hull,C., 1884-1952) スキナー(Skinner,B.F.1904-)

 

3)来談者中心療法

 

ロジャーズ(Rogers,C.,1902-1987)

 世界中に普及した。その理由は・・・。

①非医師でも心理療法が出来ること。

②理論が単純化されているので、比較的学習がしやすいこと。

③精神分析より面接回数が少なくて済むこと。

④カウンセラーが来談者を患者と見ずにクライエント(顧客)と見る横の人間関係が、民主主義の思想にアピールした。

⑤人間の持つ潜在能力の重視が、アメリカ人の楽天主義に通じた。(人間性心理学、その中心が来談者中心療法)

⑥キリスト教文化での罪や罰の意識が、ロジャーズの審判のない世界で救われる想いがした。

 

 

  1. 日本におけるカウンセリング1)大学におけるカウンセリング

 第二次世界大戦後日本の民主化のため、様々な指導がアメリカによって行われた。1952年、アメリカ国務省から派遣された教育改革の為の施設団によって大学の福利厚生に関しカウンセリングが紹介された。

SPS(student personel service)大学学生相談室の設置

 

2)産業カウンセリング

昭和29年、上記の教育使節団の影響を受けて、電電公社(現NTT)ではじめて相談室が開設された。人事相談室という名称だった。職業相談、企業カウンセリング

 

3)教育の場でのカウンセリング(スクールカウンセリング)

平成7年に文部省によりスクールカウンセラー制度が導入された。

(臨床心理士の資格をもっていない、いじめと登校拒否をへらすため)

4)医療カウンセリング(医者がいあるので薬を出してもらえる)

ケースワークと心理テストが主な仕事であったが、現在は臨床心理士がカウンセリングを行う機関も増加している。(心理テストを組み合わせてその人の病気の深さを知る)

5)福祉関係のカウンセリング

 児童相談所・保健所・福祉事務所・老人保健施設

6)司法関係のカウンセリング

家庭裁判所調査官・刑務所、少年刑務所、少年鑑別所、婦人補導院、

警視庁少年補導か、各警察署等。

 

  1. カウンセラーの訓練

 

1)カウンセラーに望まれる資質

①人間理解の方法を知っていること

②人間援助の方法を知っていること

③自分を知り、その自分を受け入れていること

 

「資質とは、その人自身のパーソナリティのよりいっそうの統合や成熟に向かう可能性であり、今ある自分のパーソナリティをさらに高めるための学習の、一生を通じての積み重ねである」(佐治他1996)

 

2)基礎訓練

①カウンセリングに関連した領域の理論学習

パーソナリティ理論・発達論・精神医学・コミュニティー理論・心理テスト・統計・倫理

②カウンセリング理論の学習

来談者中心療法・精神分析・認知行動療法・その他専科プログラム

③カウンセリング技術の訓練

基礎科・本科・研修科での体験学習・教育分析・クライエント体験・スーパーヴィジョン

                          

                                 以上

 

2004年5月14日(土)カウンセリング総論①-講義メモ

 

カウンセリングとは?

 

カウンセラーが傾聴

聴く、耳を傾ける

ありのままに、正確に、共働

精神安定剤

中立、傾聴、安心、

問題解決の援助、援助できる人間関係を築くことがカウンセラーには求められる

雰囲気をつくる

人間を

自分を知ること、受け入れること

特に悪いことを受けいれ乗り超える、

構築、分析、掘り下げ、

共感、受け入れたことを伝える専門的な力

 

クライエント

問題解決

自分の問題を考える、明確化、客観化、

自分の力で解決

意外な発見

死をとどまる

自分を知る、みつめる、受け入れる

 

カウンセリングと類似している相談業務

(カウンセリングと重なってくる部分もある)

  1. コンサルテーション

 専門的なノウハウををおしえる、カウンセラーとクライエントの両者が専門的な知識・立場を持つ、一方の専門的な知識を伝える

 

  1. ケースワーク(ケースワーカー)

 カウンセリングより現実的な問題の援助

 

  1. ガイダンス

 情報(もっている知識や方法)をみんなに伝える

スクールカウンセラー

 子供・親・先生の相談を受ける

 いろいろなことをその時のニーズに合わせてやっていく

 ことば以外のかかわり方で子供と接することも必要になってくる

 

それぞれの分野によって、カウンセリングの技法が異なってくる

 

カウンセリングは自分の生きることとつながっているように思う(繫田千恵)

 

 

 


カウンセリングスクール・入学式&グループワーク-2004年5月

2024年05月26日 14時13分23秒 | グリーフケア

2004年5月8日(土)入学式・グループワークメモ

自分の体験とどうつながっていくか。

理論とすぐにはつながらない。

自分がかみくだいて、自分の形でカウンセリングを行う。

どういう人と向きあうか、どういう状況でかかわっているかによって、スタイルは異なってくる。

日本カウンセリング学会の認定資格は臨床心理士と並ぶ資格。

自分をみがき続ける。技術と理論だけではない。

S-K法(社会教育法)

10きいても1しかわからない。


「東洋医学とカウンセリング」-2004年セスク「論理療法」資料より

2024年05月24日 20時21分52秒 | グリーフケア

「東洋医学とカウンセリング-聖心女子大学教授 橋口英俊

 

 東洋医学はよく「気の医学」「未病を治す医学」といわれます。その根底には心身一如(心と体は本来一つである)や天地人合一(宇宙=大自然と人間は本来一つである)という考え方があります。同時に相対的二元論が基礎概念としてあり、気血や陰陽、虚実などはその例です。これらの考え方を前提としてなりたっているのが東洋医学で、「気」とは生命のもと、生命のエネルギーを意味しています。そして気は宇宙にみちあふれており、宇宙(大自然)そのものが気であるともいえます。つまり生まれた時に授かった生命には親また親、すべての先祖、辿っていくと宇宙の歴史が刻み込まれています。今日的にいえばさしずめDNAで、これを先天の気といいます。出生後は呼吸、食物、水、衣服、自然との語らい、社会(人間関係)の中で気(いのち)は育まれ、個性となり豊かな人生や文化を創造し、また最終的には自然に戻ります(死9。これを後天の気といいます。

 この気は心と体、人と人、人と自然の中を大きな循環となって流れており、スムーズに流れている時が健康、その流れが滞った時が、気が止(病)むつまり病気ということになります。すなわちどこがなぜ滞ったかを発見し、円滑に流れるようにするのが治療で、「気の医学」といわれるゆえんです。

 また、できるだけ気の流れが滞らないように日常生活で気をつける。病気には必ず病気になる前つまりベッドに横たわる前の段階がある。この時点でいち早く危険を察知して手当をする。これは日常生活の中で誰でもどこでも比較的簡単にできしかも効果も大きい。これが「未病を治す医学」といわれるゆえんです。病気になってから、つまり既病を治すのはその性質からいっても西洋医学がすぐれていますが、未病の段階だと東洋医学が最も得意とします。気の滞りは様々な形で表れますが、心理的には感情がその主役です。いらいら、怒り、おびえ、興奮、敵意、悲しみ、抑うつ、不安などです。また身体的にはこりや痛み、冷え、ほてり、むくみ、疲れる、肌の状態、運動、食、排尿、排便などこれが心身一如で複雑に重なりあって表出されやすい。その背後には衣食住その他の物理的環境問題もさることながら、より心理的な人と人との心の交流や認知(うけとり方)などの滞りが心身の流れをさえぎり、さまざまな未病を作り出していることが多いのです。

 まず相談を受けたらともあれその訴えにじっくり耳を傾けることです。滞りは感情として意識されやすいのです。つまり感情は滞っているぞ、何とかしてくれという体の奥からの切なる願い、衝動であり、気のかたまりです。つまり安心してその気を流し出せる受け皿が受容共感ということで、すべての治療やカウンセリングの第一歩です。無条件に相手の苦しみ、辛い感情をできるだけ自分の感情の中で味わう。辛いだろうなあ、苦しいだろうな、私でよかったらどうぞ存分に流してねという気持ちです。同時に痛みやこり、冷えの部分に心をこめて手を当てる。自他合一、これが手当ての心理です。できるのは心からのうなづき、くりかえし、確認です。たまった感情や思いがある程度流れると相手からこちらのことばを待つことが多い。その段階で相手におって最善だと思う気持ちを率直に述べる。その間可能な限りの手当を施す。私の持てる技のすべてを投入する。実はこのくり返しで思いがけない発見がしばしば経験されます。あれほどの苦しみ、つらさがいつのまにか克服され逆にそれが強い自信になり創造的に前向きに生きようとする心身の力です。それを支えているのが万物に対する感謝の念、生きる喜び、生かされている自分に気づく心です。多分先天の気として万人に備わった力であり、それを魂と魂のふれあいによって、より豊かに自らの生を全うする力としての気に高める。これが東洋医学の真髄であり、カウンセリングや今話題の「心の教育」の原点ではないかと思います。

 この自主グループは、相互学習を通しての「心の教育」の気づきの場、お互いの「癒しの場」であり、魂と魂の交流によるすばらしい生命の文化の創造の場であったのではないかと思います。ますますのご発展と皆様のお幸せとご健康をお祈りしております。」

 


「現代日本人の心と行動の分析」-2004年セスク「論理療法」資料より

2024年05月22日 16時21分56秒 | グリーフケア

「「現代日本人の心と行動の分析」聖心女子大学教授 橋口英俊

 

★現代日本人の心と行動

 大変難しいテーマですが、現代のような国際社会の中にあっては、日本人だけを切り離して考えることは不可能で、広く民族、歴史、文化を越え、普遍的な人間としての生き方、あり方が問われているように思います。人間は他のすべての動物の中で、最も進化しているといわれていますが、果してそうでしょうか。生きとし生けるものすべて、それぞれの生をこの世で全うできるように素晴らしい地球社会を形成するのに貢献していることは、多くの動植物学者がこぞって認めているところです。人間はその一員に過ぎないのです。そのことを忘れ、自然の調和を身だし、素晴らしい地球環境を破壊し、人間同士の不毛ないがみ合いや権力争いが世界を巻き込む大戦争となり、まったく罪のない夥しい人々を死に導く。他の生物の世界では考えられないことです。進歩とは、進化とは一体何でしょうか。

 

 第二次世界大戦中、ユダヤ人というだけでアウシュビッツの強制収容所に捕まえられた残酷体験記『夜と霧』でおなじみの精神医学者フランクルは、フロイトやアドラーなどの精神分析の不備に気づき、新たに実存分析(のちにロゴセラピー)を提唱しました。人間のこころの原型を、フロイトは「快楽への意思によって、またアドラーは「権力への意思」によって説明しようとしました。これらは他の動物にも共通してみられる「本能性・衝動性」を強調した立場といえるでしょう。フランクルは、人間の「こころ」にはそれら他の動物に共通した心理も当然あるが、それに加えて他の動物にはない、人間ならではのより次元の高い心理があると考えました。そして、前者を「心」とよび、後者を「精神」とよびました。つまり、人間を「体」「心」「精神」の三次元でとらえようとしたところにその特徴があるといえます。本稿では、そのうちの「心」と「精神」について取り上げてみたいと思います。ここでいう「心」とは、食欲、性欲、衝動性、権力欲、私利私欲にとらわれやすいこころをさします。また「精神」は、人間特有の精神機能をさし、人間らしさ、人間ならではのこころで、平和を尊び、耐えざる向上心、自他の人格生命をともに尊重する人間(生命)尊重の精神を根底に持ち、人間としてまっすぐに生きようとする強いこころをさします。すなわち、フランクルは前述の動物と人間に共通のこころより、もっと高次の「精神機能」を発現させることにより、自らの自由意志に基づいた責任ある決断を行い、人生の意味や、価値を追求しうる存在、「意味への意思」を発動することのできる存在とみるのです。つまり人間は前向きに生きていこうとする意志を持ち、そのような態度がとれる存在であり、そこにこそ人間の価値があると考えます(態度価値)。

 

 人類の歴史を振り返ってみますと、冒頭にもちょっと触れましたが、ある意味では闘争(戦争)の歴史であり、21世紀を迎えた現在も世界各地で世を震撼させるような事件の数々は目を奪うばかりです。「心」と「精神」のバランスが大幅に崩れ、ますます前者に傾斜していることを示しています。

 

 そのこともあり、現在世界が日本に注目しています。文明の進歩幻想の名の下に、世界が先に述べた人間ならではの「精神機能」を弱化あせている風潮は否定できません。世界唯一の被爆国日本、欲しがりません勝つまではと世界を相手に、一部の軍国主義指導者によりはじめられた無謀な戦争、すさまじい犠牲者と瓦礫の山、一面の焼け野原、世界各地に夥しい被害をまきチラシ、一億総玉砕の寸前に原爆がとどめをさし、終戦を迎えました。

 

★心と精神のバランスが大切

 物心ともに荒廃の極地にあった日本が、紆余曲折の末、戦後見事に立ち直り、今日にの経済大国といわれるまでに発展した姿は、未だ惨禍の渦中にある多くの国々の人々にとっては奇跡に映り、関心がもたれるのも当然といえるかもしれません。人間の心理には「心」と「精神」があり、両者のバランスが問題で、前者に傾いたまま経済大国になると、逆にそれが禍いして、本能の赴くままの衝動的人間、私利私欲に目がくらみ、人の和を乱し、さまざまな不祥事を招きかねません。物質文明が高度に発達しても、「精神」の発達が伴わなければ、万人の望む平和は得られないのです。人間ならではの精神文明の発達が今ほど求められているときはありません。世界が日本に期待しているのはまさにそこにあると思います。ところが今の日本人のこころはどうでしょうか。政界、財界、家庭も学校もマスコミもますます「心」に傾斜し、「精神」がなおざりにされているような印象を受けます。

 

 戦後のあのすさまじい混乱から立ち直れた一つに、戦争の反省から、不戦の誓い、人間の尊厳を第一とする「精神」に国民全体が気づくきっかけとなった平和憲法の力が大きかったと思います。何もない中で、ひたすら真面目に勤勉に努力した結果、驚異的な復興を遂げ世界有数の経済大国といわれるまでになりました。半面人々を襲う不安や恐怖、ストレスなどが、近年逆に多くの不幸をエスカレートさせています。よく初心忘るべからずといいますが、その過程で人間として最も大切な「精神」を置き去りにして、そのバランスを失った「心」のみがすべてであるかのような錯覚文化が一人歩きをはじめてはいないでしょうか。最近さまざまな分野でみられる不祥事の数々、子どもの不登校や引きこもり、中高年の自殺の激増はまさに現代のアウシュビッツであり、それに対する警鐘のように思えてなりません。その貴重な声に謙虚に耳を傾け、初心を忘れないためにもこのようなグループ学習の意義は大きいと思います。今だからこそ人間ならではの「精神」が人類に求められているときはないと思います。グループのご発展を心からお祈りしております。」

 


「甘え」を考える②

2024年05月21日 00時07分21秒 | グリーフケア

「甘え」を考える①

(乳幼児精神保健学会誌Vol.23 2010年3月号より)

「テーゼⅡ;「甘え」は分離を前提としているので充たされることはない。

 母子関係には、素直な甘えがある。誰でもがそのことを知っている。しかし、事態はもっと複雑である。何らかの意味で甘えは屈折する。そこに病的な甘えが生ずる。神ならぬ人の愛は不完全である。人は皆、幾分か屈折した甘えを生きる。結論的には、人の甘えは素直な甘えと病的な甘えの両価性を持つ。ここに甘えと恨みのアンビバレンツ(両価性)が生ずる。人は甘えの二面性をもって生きることになる。それ以外の選択肢はない。

 甘えが両価的なのは、甘えが分離を前提としているからである。甘えの欲求は一体化の欲求である。自分と対象が一体となりたいとする欲求である。比喩的にいえば、それは子供が胎内にいる時へと復帰する願望である。母体の中では胎児は完全に守られ充足している。しかし、赤子は出生と共に母体から分離し無力で傷つきやすいまま、厳しい外界へと投げだされてしまう。胎児は臍の緒を切った瞬間に母胎と分離してしまったのである。つまり、この世に生まれた以上は一体化の欲求、甘えは完全には充たされることはない。

 この理由からフロイトも土居も「無力感、寄る辺なさ(helplessness)」と「傷つきやすさ(vulnerabillty)」という一見、悲観的で救いのない状況から思考を始める。土居先生の観察は鋭い。赤子に甘えの行為が認められるのは、この分離を前提としてである。それ故に甘えには本来、挫折が含まれる。甘えから受容と禁止の二面性を払拭できないのはこのためである。むしろ、その二面性こそが甘えの大事な特性である。

 

テーゼⅢ;人は甘えを超越しようとする

 外界の危機に対して、子どもは本能的に防衛手段をとる。傷つきやすさから本能的に身を守る。先ず子供は自ら甘えを恐れ禁止する。甘えがなければ傷つかない。甘えなんか初めからないという否認の態度を学習する。「甘え」ては「いけない」という禁止を心の内におく。原初的な罪悪感の発生である。ここで罪悪感とは恐怖感である。甘えの欲求とそれを禁止する罪悪感の間で葛藤が生ずる。こうして甘えの欲求そのものも両価的に分裂する。ここに「甘え」と「恨み」の両価性が生ずる。人は依存対象を求め、必然的に挫折し、痛みを体験する、「恨み」を身に着ける。つまり甘えを取り上げる以上は甘えの傷つきやすさ、両価性、罪悪感に注目することになる。土居先生が頻繫に「なぜ甘えてはいけないと思うのか」と問い掛けるのは、この原初的な罪悪感に切り込む定型的な技法であった。

 人の甘えは挫折する。甘えは傷つきやすい。そして、大人になるにつれて人は甘えを罪悪感とタブーの中におく。無意識の中におく。つまり、大人では幼児的な甘えは超越されねばならない。しかし、甘えの超越とは甘えがなくなることではない。甘えは形を変え都合の良い依存対象に向かうだけのことである。大人になるにつれて甘えの挫折を先取りして、より確かな依存対象を求めることになる。大人が手に入れる新しい依存対象の一つが「自分」のイメージでる。確かな「自分」というイメージを幻想的に確立する。ここに「自分」の意識が形成される。自己と他者のイメージが分化する。こうして確かな自分、「自我の確立」という幻想が形成される。

 ウィニコット、D.W.のホールディング(抱く)という概念を引用し、「抱っこしてあげれば甘えは充たされる」と安易に紹介する本もある。当人がそんなに甘い主張をしているとは思わない。これでは甘えの挫折という本来の宿命的テーマが見えなくなる。つまり、甘えにあるのは宿命的な葛藤であり挫折であり痛みなのだ。甘えを受け止めるとは、甘えをめぐる痛みを受け止めることである。子や親の痛みを受け止める。甘えを完全に満たすことなどは人には出来ない。そこには何らかの意味で甘えからの超越が必要になる。超越。一歩、踏み出すこと、その方法を個人に応じて探り出すのが実践である。

 

テーゼⅣ;信頼は甘えを超越する

 甘えの挫折は自他の分離を生み、そこに「自分」の意識が成立する。しかし、確立された自我だけでは、他者と交わることは出来ない。孤独し自閉的な自己愛的な自我となる。そこでは甘えは形を変え「自分」と他者を結び付けて、「私たち」を形成する。一度、確立した自我は自分の壁を超える。土居先生はその新しいつながりの中心に「信頼」という語を置いた。この意味で、信頼は甘えを超越するのである。信頼の本体は甘えである。しかし、それは甘えを超えた甘えである。この信頼の語こそが重要であるが、現代思想のアキレスの踵といわれる言葉でもある。考えるほど複雑さが分かり、分かりにくいテーマであると分かる。思索者が主題化することを避けてしまうテーマである。

要するに、子供と大人の間の甘えも、いずれは信頼関係に発展しなくてはならない。人とのむすびつきの何処に信頼の端緒を見出すか。こうして「信頼」の一語とともに、土居先生の思考は「信じること」、「祈ること」へと展開していく。ここには信仰問題につながる土居先生の深い思考が展開する。

 実は、「素直な甘え」と「病的な甘え」の対比にも信仰問題が形を変えて内在している。まずは、土居先生のいう「素直な甘え」の原型を見てみよう。ミケランジェロの「ピエタ」の彫刻。それは十字架から降ろされたイエスを膝の上に抱くマリアの姿である。他にもある。聖書のマリアとマルタの物語。イエスの言葉を無心で傾聴するマリア。そこで赤子のような「素直な甘え」が語られる。赤子のようでなければ天国には入れないという聖書の一説が語られる。土居先生の「甘え」の両価性という言葉の背後には、キリスト者として、神の愛と人の愛の対比がある。

 要するに生身の人間は純粋で素朴な甘えの世界にとどまるのは困難なのだ。神の愛のように完全ではないが、決して無意味とは言えない人の愛への共感的で両価的な評価。ここでは、これ以上、この問題に深入りは避けよう。関心ある方は参考文献を当たってほしい。

 要するに人間は不完全であり、甘えも不完全であり、その受け止めも不完全である。その限界から新たな一歩を如何に踏み出すか。これが本来の甘えのテーマである。

 

3.「甘え」という人間関係

 ここまでは土居先生の書いたものに添って、彼の思索過程を紹介した。全体を振り返ってみると、子供であれ大人であれ、甘えからは人と人との関係が見えてくる。この意味では「甘え」理論とは対人関係論なのだ。

「甘え」の欲求は対象との一体化の欲求と定義される。しかし、実際に土居先生によって記載され分析される甘えの現象はこの定義には収まらない。幼児期の母子関係に限っても、依存関係には二つの意味が含まれる。それは縦の関係と横の関係の二つである。縦の関係とは一方の人が絶対的優位にあり、他方がそれに依存する関係である。それは乳を与える母と与えられる赤子の関係である。母は絶対者、子は依存者である。一方的な依存関係である。これはフロイトのいう口唇期の名にふさわしい。

 一方、甘え合う母子の姿はお互いに甘え合っているのであるから、その関係は上下ではなくて相互的である。横の関係である。それは触れて触れられる皮膚感覚に似ている。「ふれあい」、「やさしさ」という言葉が似つかわしい。

 こうして甘えに縦と横の関係の二面性を見る。つまり対人関係における権威性(autority)と相互性(reciprocity)の二つである。まさに土居先生の「甘え」理論は対人関係論である。

 

4.おわりに

 人の愛は不完全である。つまり、甘えについて子も親も援助者も確かな答を持ってはいない。在るのは禁止と受容の両価性だけである。挫折と痛みである。それ故に援助者と母が協力して一緒に「素直な甘え」の発現を試行錯誤で求めていくことになる。そこに「信頼」関係を探っていく。でも、人を信頼することは、人にとって、もっとも勇気が要る難しい行為である。こうして甘えについての問は将来に向かう「生」の探索行為へと私たちを導く。

 冒頭に上げた弁当のエピソード。先生が母へ向けたほのかな敬意と信頼。甘えで大切なのは、この些細な気付きである。その発見が人と人を結び付け、時に、子を人を救う。甘えはあくまでも人間という不可解な存在の深部、誕生の謎に関わる言葉である。ところが、甘えに関わる者は甘えという余りにも馴染みのある言葉によって、「甘えなんかは分かっている」という態度をとってしまう。それこそが「甘い」のである。「甘え」のトリックに落ちたのである。自己の内なる甘えを卒業した人、甘えの本質を知り尽くした人、ましてや甘えを支配できる人、そんな人はいない。「私は甘えを抱きとめられる」と信じるのは大人が持つ幻想の最たるものである。甘えの現場に必要なのは何らかの意味で、超越、つまり、援助者自身が一歩、踏み出すことである。」」

 

 

 


「甘え」を考える①

2024年01月08日 10時46分40秒 | グリーフケア

「甘え(amae」について

(乳幼児精神保健学会誌Vol.23 2010年3月号より)

「1.何故、「甘え」なのか?

 2008年、土居健郎先生は世界乳幼児精神保健学会のReneSpitz賞を受けた。このことは何を意味するのか。土居先生が実際に従事した「心」の臨床は主に成人を対象としたものである。元来、大人の臨床から生じた「甘え」理論が小児の現場に何処まで役に立つか。正直のところ、私は懐疑的であった。実際に「甘え」概念を不用意に実践に持ち込むと良い結果をもたらさない。甘えという言葉はプレグナントなだけに先入観に満ちている。甘えに内在する困難に気づくには長く厳しい自己分析を要する。それこそが土居先生が行ったことだった。

 先日、佐賀で行われた子供の「甘え」に関する研究会にお招きいただき、子供の現場で働く方たちと接する機会を得た。実践で甘えについて苦労されている姿を、私は目の当たりにした。そして土居先生の「甘え」理論について私の知るところを伝える義務が私にはあるのかも知れないと初めて感じた。

 その研究会では幾つか印象に残るケース報告があった。残念ながら詳細なメモを残していないので覚束ない記憶で紹介することにする。それは他の子供たちとの関係に問題を抱えた幼稚園児に関する報告であった。実際に母は十分、子供を抱いてあげることができない。しかし、ここで担当の先生が着眼したエピソードが興味深かった。

  その幼稚園では園児が持ってくるお弁当には大抵は竹で作った仕切りがある。それが母の細やかな愛情であった。しかし、他の子の仕切りはプラスティックなのに、この子の仕切りだけは本物の竹だった。この子の母は母子関係に問題を持ちながらも他の母よりも繊細な気遣いを見せていたのである。繊細で、しかもやさしい観察であった。この先生ならば母との信頼関係を気づけるであろう。私はそう思った。

 この短いエピソードには、「やさしさ」と「繊細さ」、「信頼」といった甘えの中核問題が総て含まれている。この小論を読み終えた時、読者はこの点を理解してくれると期待する。

 

2.子供と甘え

1)甘えの自明性が失われた時代

 子供は甘えるもの。これは何時の時代も、誰でもが知っている自明な真実である。子供と大人の関係は自然な甘えで結ばれている。その中で子供はおのずと成長して社会に巣立つ。そのように親たちが信じている間は、大人たちは子供の甘えを前にして揺らぐことはなかった。その社会は子供の甘えを受け止める力を持っていた。

 ところが近年、大人たち、つまり、子供を受け止めるべき大人たちが甘えに対する確かな感性を失いつつある。家族制度の崩壊という社会現象のなかで、社会が子供の甘えを受け止める能力を失いつつある。甘えの属性である「やさしさ」、「あたたかさ」、「懐かしさ」、「思いやり」が社会から失われつつある。土居先生流にいえば、甘えの自明性が社会から失われたのである。そして子供に直接、接する大人たちが子供の甘えに、どう接して良いか分からなくなった。

2)大人の甘え、子供の甘え

 元来、土居先生の業績は大人の神経症の治療から始まった、遠い昔に甘えなどは卒業したと思っている大人の心の裏に、本人さえ気付くことなく甘えの真理が隠されている。「甘えたくとも甘えられない」という心的葛藤が存在する。ただし、それを患者自身は気付いてはいない。むしろ、本人は「甘えてなんかいない」と思いこんでいる。甘えと恥は一体なのだ。本人が甘えに気づいていないのであるから、治療者との話し合いで内なる甘えに気付くことが大事となる。つまり、自己洞察が重要な治療的契機となる。「私は甘えていた。」治療して初めてそう語り得る。

 しかし、同じ甘えでも乳幼児では事情は異なる。子供が甘えることが自然なのは誰でもしている。「甘えられない子」、「甘える子」。形は異なっても子供は甘える。多彩な甘えをどう理解したらよいか。問は子供からではなくて、子供の甘えを受け止める立場に居る大人から生ずる。子供を抱きしめたらよいのか。厳しく躾けたらよいか。どのようにしたら甘えてくれるのか。そこから問は広がっていく。

 そもそも甘えとは何か。やさしく抱きとめるべきか、厳しく仕付けるべきか。生じる問は膨大な育児書の遍歴そのままである。甘えの禁止と受容の繰り返しである。受容と禁止のどちらが正しいのか。実は、答は別のところにある。甘えそのものが受容と禁止の両価性から成り立っている。それが土居先生の「甘え」理論である。つまり、子供の甘えについては、彼らと関わる大人の側の先入観こそが問われるのである。子供と接する大人が、どこまで自分の内にある甘えを洞察しているか。それが問われるのである。

 このために改めて土居先生の「甘え」理論が注目され、先生に学んだ私に出番が廻ってきたらしい。私はもちろん土居先生ではないから彼の代弁はできない。しかし、先生の語りについて私の理解するところを紹介する責任があるということらしい。

 先ずは論旨を追いやすいように4つのテーゼに単純化して論を進める。

テーゼⅠ;人間は本来、「甘える」ものである

 甘えるのは子供だけではない。大人も甘える。人間は本来、甘えるのだ。甘えは人と人を結び付けるに不可欠なものだからだ。土居先生はそう言いきる。次のようなエピソードがある。

 土居先生が甘えに注目したとき、多くの欧米人が関心を寄せた。その一人が問うた。「日本人は依存的だということか」と。土居先生は答えた。「人は甘えるのだ。貴方たちは一見、人にこそ甘えないかも知れない。しかし、勲章をもらい賞状をもらって喜んでいるではないか。あなたたちは自分達が神に選ばれ愛された民族だと言うではないか。それが依存欲求でなく何なのか」。

 大人の甘えは恥と表裏一体であるが、母子が一体になっている姿は美しくやさしい。「やさしさ」、「繊細さ」は甘えの属性である。子が母に甘えるとき、実は母が子に甘えているようでもある。そのとき母子は対等で相互的である。それが一体化の欲求である。それは欲求であるから、人の心の一番、深いところにある。それは人知を超えた内なる自然の摂理である。甘えは対象との一体化である。人と人をつなぐニワカであり結び目である。人に不可欠な基本欲求である。

 こうして土居先生は一体化の欲求を表す便利な言葉が日本にはあると気付く。「甘え」である。人の心を考えるときに「甘え」という言葉が役に立つ。一体化の欲求は「甘え」の欲求と名づけられた。母子には「素直な甘え」がある。甘えの原型がある。そして、1)「素直な甘え」は今の良き母子関係を育て、2)「素直な甘え」は子供の健全な成長を促し、3)「素直な甘え」は将来の健全な人格形成を促す、と期待された。そこで土居先生は問う。「素直な甘え」とは何なのか。」

 

 

 

 


「甘え(amae」について

2023年05月04日 00時37分04秒 | グリーフケア

(乳幼児精神保健学会誌Vol.23 2010年3月号より)

「「甘え」といえば日本ではあまりにも日常語的過ぎるが、欧米ではこれに該当する単語がないことに気づいた故土居健郎先生(2009年7月ご逝去)が、著書「甘えの構造」(1971年)で「甘え」について考察したことで、その概念が改めて見直された。最近えは英語でも「AMAE」という単語ができるほど、欧米でもこの「甘え」の概念は重要なものとして受け入れられ、2008年の世界乳幼児精神保健学会世界大会では土居先生はRene Spitz賞を受賞し、またEmdeらによる「AMAE」に関するシンポジウムも開かれた。

何故それほどまでに、「甘え」が重要なのであろうか。発達的にみると甘えの心理は母子関係における乳児の心理にあるといえるが、日本で特に甘えの感覚が重要とされたことは、日本が古来より「母子関係」を大切にしてきたことを意味している。もちろん、甘えの現象は日本の赤ちゃんと母親に原曲しているものではなく、すべての乳幼児とその親に認められるものである。また土居先生が「甘えなくしてはそもそも母子関係の成立は不可能であり、母子関係の成立なくしては幼児は成長することもできないであろう。さらに成人した後も、新たに人間関係が結ばれる際には少なくともその端緒において必ず甘えが発動しているといえる。その意味で甘えは人間の健康な精神生活に欠くべからざる役割を果たしていることになる。」(「甘えの構造」より)と述べているように、「甘え」の概念は人間の関係性そのものに関する重要な示唆を与えてくれるものなのである。

 日本の社会には、京都における「おぷぷはいかがですか?」という言葉に表されるような、表と裏のやり取りに代表されるような関係性が存在する。その言葉の意味するところ、「早くお帰りになってください、これ以上はもっと親しい間柄だけで許される(甘えられる)範囲で、そこにあなたははいろうとしているのですよ」に気付かず、甘えすぎてしまうと相手に嫌われ。社会から排斥されるという社会なのである。つまり、日本人の心理的特性としての「甘えの構造」は、「甘えがどこまで許されるかを見極めなければならない。社会的、心理的構造」であると換言できるだろう。「甘えても良い」という一方で、「甘えすぎるとだめ」というメッセージを常に突きつけられるため、甘えを意識化せずにはおられず、そこに存する不安から言葉の必要性が生じる。甘えは相手次第で自分の思いが成就するかどうか決まるという意味で極めて不安定なため、無意識の中で生じる気持ちも多種多様なのである。例えば、甘えられなかったときに抱く「恨む」、うまく甘えられないさまを「すねる」、甘えと恨みが混じり合っている「むずがる」などのように、さまざまな甘えに関する語えいが豊富な社会になったと思われるわけである。つまり、甘えはアンビバレンス(両価的感情)の原型であるといえ、人間の関係性をその言葉自体に含んでいるという意味でも愛着の概念よりも幅のある概念であるといえるのである。

 このように、母子関係を重視してきた日本では古くよりいろいろな育児にまつわる言葉がある。妊娠中の母親の精神状態を穏やかに保つことが大切であることを教える「胎教」や、産褥期の母子を見守る「里帰り」、乳幼児の心の発達がそれ以降にも大きく影響を及ぼすという「三つ子の魂百までも」という言葉なども、日本の子育ての誇るべきところでおそらく「甘え」と関連が深いものだろう。また、これからの乳幼児保健にとっても示唆に富む教えであろう。しかし、最近では、子どもへの虐待の増加や落ち着かない子どもや対人関係を結びにくい子どもの増加など、子どもを取り巻く環境や子どもたちの変化が言われて指摘されている。そのことは、日本の社会において「甘え」に基づいた子育ての文化が損なわれつつあることと関連が深いように思われる。

 今回は「甘え」と子育て、そしてその後の子どもの成長との関連に注目し、考察が深められることを期待し、「甘え」を特集として企画した。本特集によって、赤ちゃんやその親たちと関わる者が、「甘え」の感覚を身近なものにして、より治療的な関わり合いが持てるために活用できればと期待しているところである。」


日本を代表する江戸の子育ては、子どもを世界一大切にしていたといわれている(3)

2023年04月24日 17時15分10秒 | グリーフケア
日本を代表する江戸の子育ては、子どもを世界一大切にしていたといわれている(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b49b8add13ed3825678d8d023c2c5db3



(乳幼児精神保健学会誌 Vol.4 2011より)

10.学童期になると寺子屋教育-

 寺子屋は全国に数万はあったと推測されている。学童期になると多くの庶民の子どもたちは寺子屋で学ぶ。

 母親が子どもの手を引いて寺子屋に入門すると、読み書き算盤と、日常に役立つことが教えられた。教え方は、それぞれの子どもの環境、個性に合わされていた。

 寺子屋は城下町のみならず農村部にも普及していったため識字率は欧州諸国に比べてはるかに進んでいた。従って文字文化が広く普及して育児書、教育書も民衆の中でかなり読まれていた。

 子屋で秩序を乱す行動があった時に寺子屋特有の体罰があったが、西欧のようなムチを使う体罰は決してなかった。

 まず寺子とコソコソ話しが始まると、師匠が矢の根で畳を二、三度たたいて一喝する。おしゃべりが再三にわたると師匠はしゃべられないように筆を口にくわえさせる。それでも言うことを聞かないと、厳罰として、皆がいる部屋の中央に机を置き、本人をその上に正座させ、左手に水をいっぱい入れた湯飲みをもたせ静かにさせ、右手に火のついた線香一本をもたせて罰の時間の目安にした。このようにして師匠の許しがあるまで身動きできないようにさせられていた(廣田星橋:手習師匠追記)。

 最後の厳罰は「破門」を言い渡される。寺子屋で使う机は自分の家から持ち込むことになっているので、その机を背負って家に帰される。そこで「あやまり役」が登場し、子どもと一緒に謝罪する。「あやまり役」は親・仮親・師匠の妻・近所の老人などがあたり、真の反省に役立ったという。

 寺子屋は女子にも門戸が開かれていた。基本的には男女共学だが、中には女子寺子屋もあった。当時は、男女7歳にして席を同じうせずという時代だから当然男女は衝立で分けられていた。町人の間では、女の子に読み書き算盤の手習いや、三味線、踊り、琴などを習わせ奥女中方向(江戸城大奥には1,000人から3,000人の奥女中と藩邸にもいた)をさせるのが念願の母親、今で言う教育ママもかなりいたようである。女子に学問はいらないと世間で言われだしたのは明治になってからである。

(今野信雄『江戸子育て事情』筑地書館)
(中谷彪『子育て文化のフロンティア』晃洋書房)


11.乳幼児期における大人と子どもの関係、欧米と日本の文化的違いについて-

 日本と欧米では歴史的にみて「子ども観に大きな違いがある。欧米では、元来、子どもは生まれながらに罪深い存在と考えられてきた。一種の性悪説で、子どもを放置しておけば野生のままの問題児になってしまうので、乳幼児から親中心に厳しく育てることを教えられてきた。しつけとして、ムチによる体罰が一般的であった。このようなしつけの背景には、プロテスタントのカルバン主義(人間はすべて神の命令に背いて罪を犯した最初の人間アダムの子孫であり、生まれながらにして罪の中にあると強調)。もう一つの厳しい体罰の背景には典型的な牧畜肉食民族である欧米人は家畜の飼育をモデルに子育て様式ができていったことも考えられる。

 日本では、子どもは元来「善」なるものとしてとらえられてきた(一種の性善説)。乳幼児を子ども中心に大切に育てれば、どの子も健やかに育つと考え、信頼関係、特に母子関係を非常に大切にし、甘え関係を土台にして子育てされたと思われる。「朱に交わって、赤くなる」ことがあれば、それは悪い関係性(環境)からであるとみなすのである。

 その背景を西欧と比較すると、自然に寄り添う、自然を崇拝する宗教と、稲作農耕民族のため稲作が子育てモデルになっている。すなわち過度の肥料を与えて時間をかけてゆっくりと子どもを育てる。また、古来子どもを「宝物」と考え、大切に育てる。子どもは神からの授かりものだから親の思うままにはならないという伝統的子育て観が根付いていたことなども考えられる。

(ルイス・フロイス、岡田章雄訳注『ヨーロッパ文化と日本文化』岩波書店)


12.日本と米国の生活曲線の違い
  (括弧内は筆者の私見)

 米国の文化人類学者で日本文化研究者であるルース・ベネディクト女史が顕した「菊と刀:日本文化の型」に興味深い日本と米国の生活曲線の違いを記している。

 それによると、日本では幼児期と老人とに最大の自由と我儘とが許されている(この間、基本的信頼感と自律心(E・H・エリクソン)が醸成され、社会性の基礎はかなり出来ていたと考えられる)。幼児期を過ぎるとともに徐々に束縛が増してゆき、ちょうど結婚前後の時期に、自分のしたい放題のことをなしうる自由は最低限に達する(この時期が絶好の精神的修養になると考えられている)この最低線は壮年期を通じて何十年もの間継続する(この生活の中では言語コミュニケーションの発達はあまり進まなかったと推測される)が、曲線はその後再び次第に上昇してゆき、60歳を過ぎると、幼児とほとんど同じように恥や外聞に惑わされないようになる。

 一方、米国では、この曲線を日本と全く逆にしている。幼児には厳しいしつけが加えられる(現在の虐待子育てに相当し、基本的信頼感はできていなかったであろう)。このしつけは子どもが体力を増すに従って次第にゆるめられていく(この親子関係の転換のなかで言語コミュニケーションが磨かれ、ハグ、キスをしながら人と人の心をつなぐようになっていくと考えられる)、よい自活するに足る仕事を得、世帯をもって、立派に自力で生活を営む年ごろに達すると、ほとんど他人の助けを受けないようになる。壮年期が自由と自発性の頂点になっている。年とってもうろくしたり、元気が衰えたり、他人の厄介者になったりするとともに、再び拘束が姿を現わし始める。

 ところが、現在の日本の生活曲線は幼児期から高等学校を卒業するまでの生活は拘束され自由がなく、子ども体験ができなくなっているように思えてならない。」





日本を代表する江戸の子育ては、子どもを世界一大切にしていたといわれている(2)

2023年04月15日 00時11分14秒 | グリーフケア
日本を代表する江戸の子育ては、子どもを世界一大切にしていたといわれている(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ca4600d8136cda8d2d90e7c072ea1092

(乳幼児精神保健学会誌 Vol.4 2011より)

「子育ては時代とともに何故、どのように変わってきたのか(1)江戸時代のこと

3.米国の動物学者で人類学者E.S.モースがみた日本の子育て風景-

 欧米人の見聞録の代表としてモースの記録を見てみる。彼は1877年(明治10年)に日本近海の貝殻の標本採取のため来日し、直ぐに移動中の汽車の中から大森貝塚を見つけ、その後東京大学教授も勤めている。日本民族の生活・風俗に大変な関心を抱き、西欧文化の影響を受け始める直前の日本の姿を人類学者の鋭い眼力と科学者の正確さ、芸術家の創造力とを駆使して忠実に描いている。それは777枚のスケッチの挿絵をいれて「日本その日その日」という著書になっている。

 江戸の子育てについては次のように記している。「祭には、大人はいつも子どもと一緒に遊ぶ。提灯や紙人形で飾った車を、子どもたちが太鼓をたたきながら引っ張って歩くと、大人もその列につき従う。それを真似て、小さな子は小さな車を引いてまわる。日本は確かに子どもの天国である。

 そして、小さな子どもを独り家に置いて行くようなことは決してない。赤ん坊は温かそうな育児籠に入れられ、目の届く場所に置かれ、大人は子どもの様子をみながら仕事をしていた。世界中に日本ほど、子どもが親切に扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない」と。

 町の中は子どもたちを囲んで地域全体で子育てする暖かみある光景が目に浮かぶ。

(Edward S. Morse・石川欣一訳『日本その日その日』(全3巻)平凡社)

4.育児書と浮世絵にみる子育て-

 江戸時代には幕府の民衆強化の政策と印刷技術の進歩によって多数の育児書や浮世絵が世にだされ、識字率の高さのために民衆の間に広く普及していった。

 浮世絵には子どもと母親が実に多く登場してくる。その母親は子どもに対してとにかく優しく、母の愛情を一心にうけた子の表情は実に明るく、生き生きとしている。西欧人が書き残した日本の家庭と地域における子どもと大人の関係がそのままである。

(くもん子ども研究所編『浮世絵に見る江戸の子どもたち』小学館)
(小林忠監修『母子絵百景』河出書房新社)

5.日本の子育ての光と影-

 江戸時代にあった三つの階層(士・農・工商)のうち全人口の8割強を占めていた農民は幕府の政策によって武士の生活を支えるためにかなり厳しい年貢がとりたてられ、現実は一番下の階層に置かれ、多数の子どもを養育するのは困難であっただろう。そのため農家では、捨て子、堕胎、間引き(親や産婆が生後まもない子どもの命を絶つ)の習俗があった。しかし子殺しは必ずしも貧困理由だけではなく、その背景に丙午(ひのえうま)を代表とするさまざまな迷信や俗説や、親の身勝手などもあった。そこには「7歳までは神のうち」という観念から預かりものを神にお返しするという考えと、「親孝行」(子どもは再生可能だが、親は唯一の存在だから)によって正当化されていたといわれている。
 
 ちなみに「7歳までは神のうち」の解釈には、7歳までに多くは感染症で7割の子どもが亡くなっていたので、親の心の痛みを和らげる意味があった。子どもは神のごときけがれない善良な素質をもって生れてくる(性善説)、大人の思うままには育てられないという戒めなども言われている。

(中江和恵『江戸の子育て』文藝春秋社)
(中江和恵『日本人の子育て再発見』フレーベル社)

6.欧米の野蛮といわれる体罰は、しつけとして日常的にムチを使う-

 キリスト教旧約聖書には「ムチといましめは知恵を与える。自分の意のままにしてよいとされる子どもは、後に母をはずかしめることになる」「主(父)はその愛する者をいましめ、またすべての子をムチ打った。父にいましめられない子がいるだろうか。すべての人の受ける懲らしめが、もしお前に対して加えられないならば、お前は私生児であって、実の子ではないのだ」と書かれていて、西欧ではキリスト教の普及とともに幼児期からしつけのためムチによる体罰がほぼ各家庭に広がっていった。

 日本では安土桃山時代にフランスの思想家モンテニューの書「随想録」によると、「学校はさながら子どもたちを入れる牢獄か監獄のような所で、いたずらも何もしていないのにムチで子どもを叩き、授業中に聞こえてくるのは子どもたちの悲鳴と先生の怒鳴り声だけだった。教師はムチを手にして生徒たちに向う。当時のヨーロッパでは学校に行くことはムチに打たれにいくようなものだった」と記されている。

7.「三つ子の魂、百まで」のことわざは江戸時代から-

 江戸では、乳幼児を大切に育てることが肝要で、日本の教育学の祖「貝原益軒」は「和俗童子訓」の中で「子どもが善人になるか、悪人になるかの分かれ目は幼時にあり、幼児のほんの少しの動作も受け止めて、善に導くことが大切だ」と説き、親の溺愛は批判した。

 その後も江戸の教育論者たちは「三つ子の魂、百まで」「氏より育ち」などのことわざを引用しながら、盛んに幼時の子育ての大切さを説いている。

当時の年齢は数え年(誕生時1歳とするのは日本人は胎児から独立した人格で子どもを大切な存在と考えていたことになる)で呼ばれていたので、満年齢でいえば、三つ子、すなわち3歳は今の2歳に相当する。

 江戸時代の心学者の多くは溺愛は批判したが厳しすぎるのもよくない、教えることの大切さを強調していたので、当時の親たちは身心ともに子どもに捧げ、溺愛していたが、溺愛で子どもを潰してしまうことは防がれていたと思われる。

(中江克己『江戸の躾と子育て』祥伝社)
(貝原益軒『養生訓・和俗童子訓』岩波書店)


8.江戸時代の地域共同体の子育て-

 生後100日までに「宮参り(氏神にお参りして赤子を氏子にしてもらう儀式)」し、これを機会に村の一員になる。その後、次々と通過儀礼をおこない、7歳までは祝いながら大切に育てる。7歳の祝いを済ますと地域の集団「子供組」に加入。「子供組」は遊び仲間であったり、色々な年中行事の特定の役割をはたしたり、最年長児の指揮で厳しい上下関係や掟を指導教育される。

 15歳になると、保証人に付き添われて集会場へ、掟を聞かされて正式に「若者組」へ加入。地域の祭礼、消防警備災害救助、性教育婚礼関係などに深く関わり、大人へと成長していく。組織の内部事情は口外禁止で、大人の口だしもない。

 現在と比較するとずいぶんと早く自立に向っていく筋書きができていた。

 (上笙一郎『日本子育て物語;育児の社会史』筑摩書房)

9.江戸時代の子育てネットワーク-

 江戸には独特の子育てネットワークができていた。当時の平均寿命は、30歳に満たず、7歳未満で多くの子どもが亡くなっていた。したがって、成人するまでに何度も生命の危機にさらされていた(多くは感染症、とくに麻疹、天然痘で死亡)。そこで節目ごとの通過儀礼が大切にされ、子どもの成長を家族・親類・地域の人達で喜び合って、子育てネットワークを深めていった。そのかなめが仮親であった。

「仮親」関係は誕生前から始まり生涯続く。通過儀礼には家族・親類・地域の人で供飲共食し、血縁・地縁の絆を深め、子どもの健やかな成長を祈った。妊娠5カ月に産婆が岩田帯を締め「帯親」に、出産すると赤子を取り上げた「取り上げ親」、出産直後に赤子を抱く「抱き親」、生後3日から7日目までに名付けをした人が「名付け親」、4から5歳まで子守を雇うと「守親」などがあった。結局一人の子どもに沢山の「親」が関わる組織ができていた。

(小泉吉永『江戸の子育て読本』小学館)」

                                      ⇒続く