たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ヒルティ『眠られぬ夜のために(第一部)』より‐6月1日~6月30日

2024年08月31日 14時22分48秒 | 本あれこれ

「6月1日

 神の慎重な、ゆるやかな導きは、みずからそれを体験しないかぎり、だれもが信じがたい、最も不思議な経験の一つである。それはいつも不思議な経験の一つである。それはいつも苦痛と不安とを通して行われるものである。人はたえず、自分の所有する一切のものを捧げ、とくにこれだけはほんとうに自分のものといえる自己の意志をも、完全に神にゆだねる覚悟をしなければならない。そうすると突然、新しい段階が開けてくる。この段階に立つと、自分の過去の歩みがはっきり分り、特に、自分が幸福な道を選んだこと、そして今や一つの新しい自由が、しかも永遠に、増し与えられたことが明白になる。

 というのは、神の導きの道においては、一度過ぎ去ったことは再びくり返されることがないからである。この点が、人間がみずから選んだ自己改善の道との大きなちがいである。自分で選んだ道では、たいてい、いたずらに飛び立とうとはばたいた挙句、疲れはてて、また世間なみの考え方に落ち込むにすぎない。

   ラエタレ(四旬節第四の日曜日)

 わが心よ、おまえが囚われている

 苦悩を脱して、立ちあがれ

 なお、しばらくの我慢だ、

 もはや心を痛めるな。

 春の嵐がすぎたあとには、

 こよなく美しい夏の喜びがくるのだ。」

 

「6月4日

 ヨハネの黙示禄の20には、神の霊が心の戸の外に立ってたたくとき、われわれがその戸を開けるとしるされている。つまり、われわれの願いに応じて神の霊がより善き生活の門をひらくのではない、という意味であるが、これは人間の意志の自由についての重大な見解である。しかし、わわれれが戸を開けることもしないなら、それだけまたわれわれの責任も大きいといわねばならない。なぜなら、この場合はできないということではなくて、ただ欲しないということがあるだけだからである。つまり、目の前に現存してすぐにも手に入れることができる救いを拒絶するということになるからである。」

 

「6月7日

 もしもわれわれが人間の事柄を同情をもって見ることができないなら、世間との接触はわれわれの内的人間をかならず害する。これが、修道院生活を正当化する理由である。もっとも、それはただ相対的な是認を意味するにすぎない。ほかにもそれをのがれる道があるからである。

 われわれはつねに、実際的な教訓に対して素直に心を開き、だれからでもそれを感謝の念をもって受け入れなければならない。

 これに反して、一般的な人生観に関しては、われわれはやはり絶えず、思索と経験とによってそれを自分の内部で深め、かつ純化するよう努めねばならないが、この点については、どんな人からの影響にもつねに心を開くというのではいけない。そればかりか、またもしわれわれが時代精神全体と相容れず対立するとしたならば、われわれの人格を犠牲にしてまで、それに従うほどの値打ちがあるものはめったにない。むしろ逆に、個人が時代精神に以前と違った方向を与えたという事実は、これまで少なくないのである。」 

 

「6月10日

 ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人びとの「力」の源をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような形容詞を添えねばならないのは残念だが、しかし必要である。これはまた、このような異常な人びとの無数の模倣者たちはもちろんのこと、彼ら自身においても、心の動揺が起きたり、時にはこの異常な力が減退したりする理由を説明するものである。なぜなら、このような愛は、それと不可分に結びついている信仰と同じように、聖書のいわゆる大きな真珠(マタイによる福音書13の45・46)であって、それを手に入れるには他の一切を棄てなければならないし、なおこの愛はたえず試され、用いられるものなので、いつなん時でも、現存しなくてはならないからである。またこの愛は、火と同じく、たえず強くなったり弱まったりして、ある程度の水準に保つわけにはいかない。その上、ごまかすことなど決してできない。信仰についてなら、自分でそれを持っているように思い込み、また他人を説いてそう思い込ませることはできる。しかし、愛については、そういうことはできない。ここでは、ただ真実だけしか問題にならない。すべて見せかけのものは、試練の日に出会い、その時実に恐るべき酬いを受ける。愛というこの人類の聖なる宝は、それを偽造すれば、必ず罰せられずには済まない。

 信仰の鍵は、ほんらい愛である。神かキリストかに対する反感のおそらくほんのわずかな痕跡でも心に残るかぎり、信仰は困難である。しかし、のちにひとたびこの反感がすっかり消え去ったら、それは容易になる。この障害をのり越えるのに、神学などはまるで役に立たない。まことの信仰に達する道はただ一つ、つまりこの反感をすて去ることしかない。もしも、だれかが自分は信じることができないと言うなら、それは多分もっとも言い分であろうが、その根本原因はここにあるのであって、その人に面と向ってそれを非難してよいのである。」

 

「6月12日

 人間の経歴などというのは、実は大きな幻影にすぎない。そのなめらかな表面の下に隠されたものを、だれも見ないし、また見ようともしない。ただ時おり、この外被にとつぜん裂け目ができて、神が見給う通りの内部の実相が示される。だから、ほとんどすべての人の判断や、さらにすべての伝記類は、ただ半ばしか真実ではない。それらは皮相のことにふれているにすぎない。

(略)   

 悪い人間であって、しかも長く名声を保ったという例を、すくなくとも私は、歴史上ただ一つも思い浮べることができない。その逆の場合の方が多いとすれば、それは明らかに何よりもまず、善い人間もまたしばしば弱点を持っており、あるいは重大な誤りをおかしかねないということに、基づくものであろう。それでもなお、その人たちの根本的性質が善いものであれば、そのような誤りも特にゆるされるのである。いわゆる教父たちから宗教改革者にいたるまで、教会のほとんどすべての有名な教師たちが、そのよい実例である。ビスマルクやゲーテやフリードリヒ大王もやはり同様である。

 ここから明らかに知られうるのは、人間の胸のなかには正義へのやみがたい要求が存在するということである。しかもこの要求は、真に実在しており、かつわれわれが生死をかけて信頼するところの、神の正義の余韻であり、そのはたらきにほかならないのである。」

 

「6月15日

 弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の小さな信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹きおこすのは、容易である。だが、初めから新しく火をつけるのは、ずっと困難なものである。

「勇気を失わず、勇敢な人でありなさい。そうすれば、慰めは必要な時にあなたに与えられよう。」勇気は、あらゆる純人間的な性質のなかでも最も有用なものである。普通、勇気はほんの短い期間だけ必要なものであって、そうすれば、事情が前よりよくなる。しかし、たちまち過ぎさってしまう重大な瞬間に勇気を失うならば、そのために一生の努力も水の泡となることがある。

 したがって、およそどんなことがあっても勇気をすててはならない。もしあることをやめるのが明らかに神のみこころであるなら、そのことからただしばらく手をひいて、とにかく神の力づよい助けを固く信じて待つべきであろう。実に、神の助けはなにものによってもさえぎられることなく、またすべての損失をも償うことができるものである。

 ヨエル書2の13・21・25‐27、ルカによる福音書22の61・62,(略)

 このような意味に解すれば、つぎの仏陀の言葉もまた結構である、「心が正しい思いにみたされているかぎり、どんな悪事も決して入りこむすきがない。」たしかにわれわれは、正しい想いをいつも持ちつづけることはできない。それはしばしば、風に吹き払われるように、消え去ることがある。もとより即座に、そのような思いを呼び戻すことはできない。しかし、勇気は、つねにいくらか努力すればしばらく持ちつづけられる一種の気分であり、やがてそのうちに助けも与えられ、事情が好転することになる。戦争においてもその通りである。人生は戦争とよく似たところがあって、同じような戦術的原理に従っていとなまれるものである。」

 

「6月17日

 悪人がもはや深い後悔を感じえないようになったら、それは彼に下された最も重い罰を意味する。自己の悪を知りながら公開を覚えないということは、すでにこの世ながらの地獄である。そういう場合、ついに往々狂気にいたることも、きわめて理解できる事柄である。」

 

「6月21日

 苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするにすぎない。勇敢に堪えしのぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、すべての苦難は、それをやわらげるに必要なだけの喜びを内に秘めていることも事実である。

 あなたが、神からあなたを遠ざける喜びよりも、あなたを神へと駆りたてる苦難の方を好むようになるならば、あなたは正しい道にいるのである。

 神の子が完全に絶望しきって死んだという歴史上の実例を、私は一つも知らない。しかし、どんなに善い人間にも、このような絶望への誘惑がしばしばまぢかに迫ってくることがある。」

 

「6月22日

 立派に人生を生きぬき、とくに、平凡にただ生活を維持するだけでなく、より偉大な人生の目的を見失わないためには、どうしてもある種の感激が必要である。実際、人生を空しいものにすまいと思うならば、ぜひとも人生をそのような偉大な目的にささげなければならない。

 けれども、このような感激には、なお健全で冷静な良識の相当量が結びついていなければならない。この両者の混和・協力から、世に役立つような人間の性格がうまれでるのである。」

 

「6月25日

 大きな危機が過ぎたあと、しばしば人間の考えのなかに、ある全く囚われない、ほとんど普通の人間的なものを越えた評価をもって、自分の生活を過去と未来にわたって見渡すような瞬間が訪れることがある。このような場合、自分の過去をかえりみて、あやうく邪路に陥ろうとしてほとんど奇跡的ともいうべき神の処置と保護とによってわずかにそれをのがれえた、かぎりなく多くの時機があったことに気づくならば、このすでに与えられた恩寵に対する感謝のために胸はふくらみ、なお将来の人生行路も祝福にみちているであろうという強い確信が高まってくる。全生涯の終りにも、おそらくこれと同じ感慨を覚えるにちがいない。」

 

「6月26日

 信仰というものは、もとより、自分で自分に与えることはできない。1527年の『キリスト教城市法』に述べてああるように、信仰は「われらの分にすぎた神の恩寵の賜物」である。従って第三者のどんな信仰の勧めや、さらには命令も、結局のところ全く無益である。ところが、今日家庭や教会や学校で行われる宗教教育はおおむねこの類いである。しかしわれわれは、普通の実在論の世界とは別の、よりよい世界を憧れ求めることができる。そしてこの憧憬が、信仰という大きな賜物を授かるために、神にさしのべた手なのである。子供たちはこのような憧れを抱くように導かれねばならない。

 ヨハネによる福音書6の37・44・65、同胞教会讃美歌176番。

  われわれは、キリストをわれわれの主にして救い主として受けいれることによってのみ、神の前で認められる義を手にいれることができる。しかもその場合、われわれはその義を、神の賜物として、それ以上なんらの条件もなく授けられるのである。」

(ヒルティ著 平間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために(第一部)』岩波文

庫、168~194頁より)

 

 


ものすごい勢いで外国人が増えている?!

2024年08月31日 13時51分41秒 | 日記

 団地近隣、スーパー内に今までほとんどみかけることのなかった東南アジア系、中近東系の方々や家族や連れだっているのをこの一週間でなんども見かけました。赤ちゃん・子供が一緒にいますがどういうビザで入国して、何をして暮らしている方々なのでしょうか。岸田政権、安易に入国させすぎではないでしょう。ヤバすぎ、治安が悪くなっていかなければいいですがいやな感じしかありません。ものすごい勢いで日本が崩れ落ちていこうとしているように見えます。この国に先はないと思います。


鎌倉市 接種後に13歳死亡を公表

2024年08月31日 12時29分45秒 | 気になるニュースあれこれ

【新型コロナ】ワクチン接種直後、13歳男子中学生が死亡 鎌倉市公表 遺族要望で明らかに

 

2024年8月30日タウンニュース神奈川県鎌倉市、

鎌倉市 接種後に13歳死亡を公表 新型コロナワクチン | 鎌倉 | タウンニュース (townnews.co.jp)

「鎌倉市は8月26日、当時13歳の男性が新型コロナウイルスワクチン接種後に死亡したことを公表。10月開始のコロナ感染症予防接種を前に、定例会見で明らかにした。

 男性は国の健康被害救済制度の給付対象に認定され、市は今年4月に死亡一時金と葬祭料の計約4400万円の支給を決定。詳細など非公表だったが、今回は遺族の意向を受け年齢を公表した。

 松尾崇市長は、「ワクチン接種には重症化予防とともにまれに健康被害もあるのを理解した上で、接種するか判断してほしい」と語った。」

 

 

則武謙太郎さんが厚労省に問い合わせたところによれば、10月1日から開始するとしているコロナワクチンの定期接種に何を使用するのか、まだ決まっていないのだそうです。何を打つのか、打たされるのか、やっていること無茶苦茶。

 

2024年8月30日則武謙太郎さんチャンネル、

(166) レプリコン(自己増殖型)は10月1日からの定期接種で使用されるのか?厚労省に電話で確認したところ・・・【心理カウンセラー則武謙太郎】 - YouTube


謎の大量死は続く-人口動態統計速報令和6年6月分

2024年08月31日 01時07分45秒 | 気になるニュースあれこれ

厚生労働省人口動態統計速報(令和6年1月分)

sokulist(R6)06月 (mhlw.go.jp)

出生 58,000

死亡 117,631

(自然増減) △59,631

死産 8,067

 

Xユーザーの藤江@日本人、謎の大量死※コロナでは説明できないさん: 「本日(8/30)厚生労働省 人口動態統計速報 6月分公表 コロナや高齢化では説明できない、謎の大量死が慢性的に続いています。 https://t.co/hqrBnD00B4 https://t.co/D3Ll37moaT」 / X


『エリザベートTAKARAZUKA20周年スペシャル・ガラ・コンサート』より-月影瞳さん

2024年08月30日 20時20分48秒 | 宝塚

『エリザベートTAKARAZUKA20周年スペシャル・ガラ・コンサート』より-湖月わたるさん

(公演プログラムより)

「‐ルドルフの人間形成の過程に関わる曲を丁寧に歌いたい‐

 宝塚で上演されると聞き、同期とウィーン版を観に行ったのが『エリザベート』との出会いです、重厚感、歴史の重みを強く感じました。星組版に出るにあたっては、毎日毎日が歌稽古で、喉には牛肉がいいと聞き、皆でお肉を食べていた記憶があります。少年ルドルフは、ウィーン版も東宝版も実際の男の子子が演じていて、トートが抱きあげたりしますが、さすがに宝塚版はないよねと。<ママ、どこにいるの?>は音の高低差が難しい曲なので、丁寧に歌おうと心がけていました。青年ルドルフの人間形成の過程がわかってもらえるよう、えまおさん演じるルドルフにバトンタッチできたら良いなと思って、毎日舞台袖でルドルフとトートやフランツ、エリザベートの芝居を観ていました。少年ルドルフの中には、トート、つまり死が来た時に恐れない、いつかは友達になるといって彼のところに飛び込んでいく好奇心と危うさ、ひいては儚さにも繋がっていくようなものがあるのだと思います。新人公演ではエリザベートをつとめさせていただき、同期の彩輝が演じるトートと組めたのが嬉しく、思い出に残っています。

 10年前のガラ・コンサートでは少年ルドルフとエリザベートを演じましたが、久しぶりの方々とお会いでき、とても楽しかったです。今回も毎日が充実していますし、皆さん本当に温かくて、刺激にもなります。

 自分の役者人生の原点である宝塚に感謝しながら、毎公演、楽しみたいです。」

 


父の亡くなった翌年・東日本大震災のあった年-2011年6月

2024年08月30日 18時54分28秒 | 祈り

「2011年6月1日(水)

有給休暇取得、じんましんが出たので〇〇医院を受診、

懇親会だとかうざったいので逃げた。銀行で通帳受け取り&貸金庫契約。」

 

「2011年6月4日(土)

〇〇医院でかゆみ止めの注射、ヘルスチェック・レディースで健康診断、

わかっちゃいるが疲れちゃった。体重は38.6Kg」

 

「2011年6月5日(日)

ALSOK工事、セキュリティ開始、停電と巨大地震がないかぎり安心度は高まった。がんばってグループにも顔をだした。私はどうしたらいいのか、自分で決めなければならない。あーあ逃げ出したい。我慢の代償を今どこに見出せばいのか・・・。」

 

「2011年6月7日(火)

有給休暇取得、『レ・ミゼラブル』18時15分~1階で観劇。すごい迫力で興奮してしまった。開演前に昼の部に出演していた島田歌穂さんを見かける。ほっそりとしていてきれいだった。」

 

「2011年6月10日(金)

苦渋の決断で契約更新を決める。私には合わないドライで変ちくりんなシステムへのストレスもあるが今はやむを得ない。足場を確保しながらできることをさがし続けよう。」

 

「2011年6月11日(土)

〇〇医院、13時~協生館で理工学部市民公開講座」

 

「2011年6月12日(日)

だるいし不安であまり眠れない。お昼寝でちょっと回復した。」

 

「2011年6月13日(月)~17日(金)

なんとなく元気がでないまま、相変わらず5時間あるかないかの睡眠時間でなんとかやっている。だるいし生理がきたがっているのにもうそれだけの力が体にはない。なんとなく不安で元気がでない。震災前と同じに戻ることなんかもうできないんだ。確実に現実は変わった。受けとめていかなければならない。」

 

「2011年6月18日(土)

美容院 15時~ カット&カラー おりものがあった。」

 

「2011年6月19日(日)

お昼寝で疲れを少し回復。でもだるい。なんだかうっとうしい。

フォーウィンズに3,000円振り込み。おりものがあった」

 

「2011年6月20日(月)

三田キャンパスでドキュメンタリー『幸せの経済学』

 localization

 ①経済を読みとく力 ②地産地消

 再生可能エネルギーへのシフト、石油への依存によってグローバライ

 ゼーションは成り立っている。経済ばかりでなく、政治・社会構造の

 あり方そのものが問われている。

その後、三田の家の懇親会に参加。」

 

「2011年6月21日(火)‐24日(金)

毎日おそくまで意味があるのかないのかわからないけれど仕事をしている。自分が納得できるように・・・。夜になると不安が押し寄せてきて落ち着かない。でも2時を回れば疲れているし、まあなんとか眠れる。荷物を減らしたい。でも休日にちょっと出かけたり本を読んだりすると全く進まない。減るまで落ち着かないだろうなあ。たくさん抱えているほどなくすことへの不安も大きくなる。でも本は買ってしまう。」

 

「2011年6月25日(土)

〇〇遺臣、おりものがあるので婦人科に行くよう言われたが行きたくない。左の胸だけがはっている。どっか悪いのかなあ。A井さんとハブでランチ、といってもやっぱり夕方まで話しこんでしまった。その後天一書房散策。

整骨院4,850円」

 

「2011年6月26日(日)

朝顔の栽培セットが届いた。なんとなく自分の中で脅迫観念にせまられているのは笑える。やっと原発の危険性を訴えた本を読む。落ち着かない。事態が収束して新しい方向性がみえてこその未来だ。今未来を真剣に考える気にはなれない。疲れるが今起きていることから目をそむけて生きていくこなどできないはずだ。どうしてケータイのゲームに夢中になっていられるのだろう。怒らないのだろう。ふしぎで仕方ない。」

「2011年6月27日(月)

梅雨寒、すごく体が冷えている。

有給休暇取得、三田キャンパスで復興を考えるシンポジウム。」

 

「2011年6月28日(火)-29日(水)

急に寒くなる。湿度も高くてきついなあ。早く原発落ち着かないかなあ。」

 

「2011年6月30日(木)

かなり蒸し暑くて朝からきつい。外はサウナ状態だ。夜フォーウィンズのセミナー、久しぶりに元気な、熱いW先生の声をきいた。はじめて被災地の生の声もきいた。きくだけで何もできていない私。時間は限られているのに本当にこれでいいんだろうか。そう思いながら何もできないまま時間は過ぎていく。」

 

 

 

 

 


【速報】日出町長選挙 無所属新人の安部徹也氏が初当選 現職を破る 大分

2024年08月30日 14時17分08秒 | 気になるニュースあれこれ

イスラム土葬墓地に断固反対の新人安部徹也氏が、建設を進めようとしている現職をやぶって当選しました。

 

2024年8月25日テレビ大分、

【速報】日出町長選挙 無所属新人の安部徹也氏が初当選 現職を破る 大分(TOSテレビ大分) - Yahoo!ニュース

「任期満了に伴う日出町長選挙は25日、投票と開票が行われ新人の安部徹也氏56歳が初当選を決めた。 開票結果は無所属・新人の安部徹也氏が8037票、無所属・現職の本田博文氏が4474票。安部氏は初当選。」

 

イスラム土葬墓地で揺れる大分・日出町長選告示 「容認」現職と「断固反対」の新人が激突

2024年8月20日産経新聞、

イスラム土葬墓地で揺れる大分・日出町長選告示 「容認」現職と「断固反対」の新人が激突 「移民」と日本人 - 産経ニュース (sankei.com)

「任期満了に伴う大分県日出(ひじ)町長選は20日告示され、いずれも無所属で、3選を目指す現職の本田博文氏(71)と、新人で元町議の経営コンサルタント、安部徹也氏(56)の2人が立候補を届け出た。町内では大規模なイスラム系土葬墓地の建設計画が進んでおり、本田氏は容認、安部氏は断固反対を訴えている。投開票は25日。

町では同県別府市のイスラム系宗教法人が、町有地約5千平方メートルを購入し土葬墓地79区画の建設を計画。すでに町有地の売却手続きが進んでいる。

地元住民らからは水質汚染や風評被害などへの懸念から根強い反対の声が聞かれるが、町長選の争点としては表面化していないという。地元紙は「進む計画、思いさまざま」などと報じている。

立候補した2氏のうち、現職の本田氏は「要件を満たせば許可せざるを得ない」との立場。一方で新人の安部氏は「将来的なリスクを考えれば建設すべきでない」と断固反対を表明しており、選挙の結果は建設計画の行方を左右しそうだ。

町選管によると、選挙人名簿登録者数は19日時点で2万3282人。」

 

ユーザーの山下俊輔(山下しゅんすけ)@起きる会 代表さん: 「食中毒458人 旅館の湧き水がノロウイルス汚染か 大分・由布市 08/17 https://t.co/uSlRNgTCD1 本田博文 日出町長が進める #別府ムスリム教会 による水源地から550mの #大分県 #日出町 イスラム教徒土葬墓地建設(遺体最大79基約5t/20年毎♾️,九州全域から)断固阻止」 / X

 

2024年8月17日テレ朝NEWS、

食中毒458人 旅館の湧き水がノロウイルス汚染か 大分・由布市 (tv-asahi.co.jp)

「大分県由布市にある「旅館 黒岳荘」で今月、食事をした客が発熱や嘔吐(おうと)などの症状を訴え、保健所の検査でノロウイルスが検出されました。

 患者は1歳から78歳で、18都府県の458人に上ります。

 症状を訴えた人のなかには、食事を取らず店で使われている湧き水を飲んだだけの人もいるということです。

 県は、湧き水がノロウイルスに汚染されている恐れがあるとして、持ち帰った人はこの水を飲まないよう呼び掛けています。

(「グッド!モーニング」2024年8月17日放送分より)」


『アンナ・カレーニナ(中)』-第三篇-31より

2024年08月30日 00時02分58秒 | 本あれこれ

『アンナ・カレーニナ(中)』-第三篇-17より

「リヨ-ヴィンは兄の話を聞きながら、なんといったものかと考えていたが、結局、うまい返事が思いつかなかった。どうやら、ニコライも同じことを感じていたらしい。彼は弟に仕事のことをいろいろとたずねた。リヨ-ヴィンも自分のことを話すのはうれしかった。それならなにも虚勢をはる必要がなかったからである。彼は自分の計画や行動を、兄に話して聞かせた。

 兄はじっと耳をすましてはいたが、どうやら、そんなことには興味がないらしかった。

 このふたりは肉親であり、互いにきわめて近しい間がらだったので、ほんのちょっとした動作や、声の調子だけでも、ふたりにとっては、言葉で表現しうる以上のことを語ることができた。

 いまや、このふたりには、一つの共通した思いが支配していた。それは、ほかでもなく、ニコライの病気とその死期が切迫しているという思いであり、それは他のいっさいの思いを圧倒していた。しかも、ふたりのうちどちらも、あえてそれを口に出す勇気はなかったので、心にかかっている唯一のことを口にした以上、もうなにを話しふけて寝る時刻になったのを、このときほどうれしく思ったことはなかった。彼はどんな赤の他人を相手にしているときでも、どんな公式的な訪問の際にも、今夜のように不自然で、わざとらしくつくろっていたことはなかった。自分が不自然にふるまっているという意識と、それに対する慙愧(ざんき)の念が、なおさら彼を不自然なものにするのだった。彼は死に瀕している愛する兄のために、涙を流したかったにもかかわらず、これから自分の生き方について語る兄の話に耳を傾けながら、相槌をうたなければならないのであった。

 家の中は湿っていて、暖炉を焚いている部屋は一つしかなかったので、リヨ-ヴィンは自分の寝室に仕切りをして、兄を寝かせることにした。

 兄は床についたが、眠ったのか、眠らないのか、ときどき病人らしく、寝返りををうっては咳ばらいをしていた。咳ができないときには、なにかぶつぶつつぶやくのだった。ときには重々しく溜息をついて、「ああ、神さま!」といったり、また痰で息がつまりそうになると、いまいましそうに、「えい、悪魔め!」と舌うちした。リヨ-ヴィンはそれが耳について、長いこと眠れなかった。彼の頭に浮んだ思いは、種々雑多であったが、どんな思いも帰するところは、ただ一つ-死ということであった。

 すべてのものにとって避けることのできない終末である死が、今はじめて抗しがたい力をもって、彼の前に現われた。そしてこの死は、彼の前に夢うつつの中でうめきながら、つい習慣から、神と悪魔をかわるがわる無差別に呼んでいる愛する兄の中にひそんでいる死は、けっしてこれまで彼が考えていたように、縁遠いものではなかった。そうした死は彼自身の中にもいるのだった-彼はそれを感じた。それはきょうでなければあす、あすでなければ30年後のことかもしれなかったが、それでも結局は、同じことではないか! では、この避けることのできない死とは、いったい、なにものであろうか、彼はそれを知らなかったばかりでなく-かつて一度も考えたことがなかった。いや、それを考えるすべも知らなければ、考えるだけの勇気もなかったのである。

《おれは今働いている。なにかをしでかそうと欲している。しかし、すべてのものには終りがあるということを、死というものがあることを、すっかり忘れていたのだ》

 彼は暗闇の中でベッドの上に起きあがり、上体をかがめて、膝をついたまま、はりつめた思いに息さえ殺しながら、じっと考えこんだ。しかし、彼がはりつめた思いになればなるほど、ますます次のことがはっきりしてくるのだった。すなわち、それは疑いもなく、そのとおりなのであり、人生におけるたった一つの小さな事実-死がやってくれば、すべては終りを告げるのだから、なにもはじめる値うちはないし、しかも、それを救うことも不可能なのだ。自分はこの事実を忘れていたのだ。ああ、それは恐ろしいことだが、事実には違いないのだ。

《それにしても、おれはまだ生きてるじゃないか。もうこうなったら、なにをしたらいいのだ。いったいなにをしたらいいんだ?》彼は絶望的な調子で叫んだ。彼はろうそくをともして、用心ぶかく立ちあがり、鏡のところへ行って、自分の顔や髪の毛をながめはじめた。ああ、鬢(びん)には白いものがまじっていた。彼は口をあけてみた。奥歯はだめになりかけていた。彼は筋骨たくましい腕を出してみた。いや、まだ力はたくさんある。しかし、今あすこに横たわって、むしばまれている肺の一部でやっと息をしているニコライだって、かつては健康な肉体をもっていたではないか。ふと、彼は昔のことを思いだした。ふたりは子供の時分いっしょに寝ていたが、フョードル・ボグダーヌイチが戸の外へ出て行くのを待ちかねて、お互いにまくらを投げあい、大きな声できゃっきゃっと止めどなく笑いころげたものである。フョードル・ボグダーヌイチに対する恐怖さえも、この生の杯の縁をあふれて沸きたつ幸福の意識を、おさえることはできなかった。

《それなのに、今ではあのひん曲ったような空洞な肺だけが・・・いや、このおれも、なんのために、どんなことが自分の身に起るか、それさえ知らないでいるのだ》

「ごほん!ごほん!えい、悪魔め!なにをそこでごそごそやってるんだい、眠れないのかい?」兄が声をかけた。

「ええ、どうしてだか、眠れなくって」

「おれのほうはよく眠ったよ。このごろはもう寝汗もかかないよ。ちょっと、シャツにさわってごらん。汗をかいてないだろう?」

 リヨ-ヴィンはシャツにさわってから、仕切り板の向うへもどり、ろうそくを消した。が、それからもまだ長いこと寝つかれなかった。いかに生きるべきかという問題がようやくいくらかはっきりしてきたかと思うと、たちまち、解決のできない新しい問題-死が現われてくるのだった。

《ああ、兄さんは死にかけている。きっと、春まではもたないだろう。じゃ、いったい、「どうやって救いの手をさしのべたらいいのか?兄さんにはなんといったものだろう? この問題についておれは、なにを知っているというのだ?》」

 

(トルストイ『アンナ・カレーニナ(中)』昭和47年2月20日発行、昭和55年5月25日第16刷、新潮文庫、208-212頁より)

 

 

 

 

 


第六章OLを取り巻く現代社会-②日常生活の世界は社会的世界

2024年08月29日 14時25分16秒 | 卒業論文

『ファウスト』の第一部でゲーテは、道化師に次のような台詞を言わせている。

「こんな芝居を一つ出そうじゃありませんか。

 なにしろ充実した人間生活に手を突っ込みなさい。

 だれでもそれを経験していながら、ただ無意識なんです。

 そいつを掴まえさえすれば、面白いものが出てきますよ。

 雑然たる絵のなかにちょいとはっきりした所を入れ、

 間違いだらけのなかに、一点真理の光を点じる。

 そうすると最上のお酒が醸されて、

 それが全世界の人を元気づけ、啓発するのです」[i]

 

 次に、仕事=労苦、遊び=安楽といったステレオタイプ的な捉え方から出発する、私たちにとって自明のこととなっている日常生活とその中で経験している社会に少しスポットをあててみたい。現象学的社会学を構想したシュッツは、社会学の研究の対象者である行為者が日常生活の中で経験している社会を捉えようとした。シュッツが捉えようとした社会、私たちが日常生活で経験している社会とは、私たちが「今ここ」で経験している社会に他ならない。ところが、私たちが「今ここ」で経験している社会は、私たち自身にとってあまりにも当たり前のものであるために、かえって自分自身ではそれに気づかなくなっている。「今ここ」で常に当たり前のものとして経験されていながら、自分ではそれに気づいていない日常生活で経験するこの社会[ii]は、「社会的世界」であると言える。

 日常生活に照準を合わせて人間とその世界に注目した山岸健は、平凡な日常生活―このありふれた言葉こそ社会学の出発点となる、[iii]と述べている。OLという立場の視点に立つとき、「平凡な日常生活」というのはきわめて重要な言葉である。OLといえば、一般事務、一般事務に携わるOLの毎日はきわめて平凡、何の変化もなく同じことの繰り返しでつまらない、といった一般的なイメージが付きまとうからだ。だが、「なんじ自身を知れ」という言葉がある。日常生活のいたるところで、私たちは、絶えず人間と向き合う。私たちは、日常的に私たち自身と対面するのである。[iv] 日常的な社会的世界においてこそ、私たちは存在する。先ず、私たちは個別の生活史を持っていることを、山岸の次のような記述から説明したい。

 誰もが人びとのなかで生きている。誰もが人びととともに生きてきた。人それぞれの生活史と人生があった。<人間>と<世界>というそれぞれの言葉を切り離すことはできない。人びとはさまざまな仕方で社会生活を営んできたのである。誰にも<平凡な日常生活>があった。人生を旅していない人はいない。私たちはなによりも人生の旅人なのである。旅する人間homo viator(ガブリエル・マルセル)なのだ。私たちにとっては日常生活の場面、場面や光景が深い意味を持っているのである。一日というものを安易に考えるわけにはいかないのだ。平凡な日常生活trivial round of daily life をごくありふれた、つまらない、単調な生活と見ることはできないのである。見方によっては、一日、一日はたしかに似ている。ほとんど同じではないか、と言う人もいるだろうが、似ているようでも、一日、一日は異なっている。人々の顔がそれぞれ異なっているように。人それぞれの人生も似たようなものだ、といえばそれまでだが、私たちの人生も生活史も間違いなく個別的なのだ。ふたつとして同じ人生はない。ひとつ屋根の下で暮らしていても、生活史はそれぞれに異なっているのである。私たちはたがいに個人としてこの世に生まれ、つねに個人として人びとのなかで、人びととともに生きてきているが、社会生活や共同生活ほど誰にとっても日常的なものはない。人びとはたがいに交わりながら、声をかけ合いながら、手に手を取り合って、たがいに身を寄せ合うような状態で生きてきたのである。もちろん歩くのはこの私であり、水を飲むのもこの私、睡眠をとるのも私自身であって、さまざまな衣服や服装に自分の身を包むのはまさにこの私なのだから、私たちの誰もが自分の生を生きており、絶対的とも言うべき孤独のなかで生きていることを疑うことはできない。私たちは身体的には互いに切り離された状態で生きている。確かに個別的存在であり、個人なのだが、私たちの生活史をたどるならば、また、私たちの日常生活の場面と光景に目をむけるときには、人びとの生活が人びとのなかで営まれてきたことに誰もが気づくだろう。自明な事実だろうが、こうした日常的な事柄に注目しないわけにはいかないのである。私たちは社会生活を営んでいる。たがいに向き合いながら日常生活を営んできたのである。そこにいる人びとにほとんど気づかないこともあっただろうし、たがいに無関心、無頓着といった状態で時を過ごすこともある。私たちはまわりにいる人びとを注視しつづけているわけではない。隣り合っているのに、声をかけないことは日常的だ。電車のなかでの私、街頭での私たち。人と人との接し方、コンタクトはまことに多様だ。見知らぬ人に声をかけることもあるが、日常的とはいえないだろう。窓口や店先でのさまざまなやりとりはあるが、そうしたやりとりやコンタクトは身近な人びととの食卓を囲んでの交わりやコンタクトとは異なっているのである。互いに背を向け合っているように見える人びともいる。人々はいつも手をさしのべ合っているわけでもなさそうだ。だが、人と人との交わり、コンタクト、他者に対するさまざまな働きかけ、社会的行為、社会的行動ぬきで私たちの日常生活を語ることも理解することもできないのである。人それぞれの日常生活はそれぞれに<社会的>なのだ。[v]

 山岸は、「人間とその世界」に注目した。個別的存在である私たちは、同時に社会的存在でもあるのだ。他者の存在抜きに自己の存在証明はできない。人間には、他者性と社会性、孤立性と社会性が認められるのだ。[vi] 山岸の次のような記述を引用したい。

 日常生活に照準を合わせる場合、人間とその世界という地平に注目したいと思う。生活の日常性とは何か?人間と社会の関連性は、どのようなものであろうか?社会とは何か?日常生活の世界は、社会的文化的世界である。また、日常生活の世界は、時間的空間的世界に他ならない。人間に眼を向けるということは、時間と空間に注目することだ。生活する人間とは、意識する人間、行動する人間であり、他者たちのおのれをかかわらせてゆく人間でもあるといえるだろう。存在するということは、いわば生活するということだ。生活とは、他者たちのなかでの自己の存在証明なのである。足場を築くという態度で人間とその世界に眼を向けてゆきたいと思う。その世界とは、「社会的世界」である。社会的世界とは、私たちがそこに生まれ、そこで日常的に互いに行為し合うような時間的空間的世界であり、私たちに共通に与えられている世界にほかならない。こうした世界においては、様々な集団が存在しており、また各種の制度が見られる。この世界は、意味・価値・規範によってコントロールされている。[vii] 山岸は日常生活における他者と自分という軸を強調する。引き続き、山岸の記述に沿って、日常生活を次のようにまとめてみたい。

 日常生活とはなにか、という問いに答えることは、決して容易ではない。習慣づけられた手順・慣例・行動のパターン化、あるいは時間及び空間との恒常化された秩序づけられた対応にも、日常性を見ることができる。先の山岸の記述にもあったように、私たちは、毎日を同じように生きるわけではなく、一日一日を新たに生きるのである。この私によって生きられた時間・空間は、私の社会的経験として蓄積され、私自身の生活史に組み込まれてゆく。私たちは、時間と空間から逃れることはできない。私たちの生活の舞台である日常的世界は、私たちに共通に与えられた時間的空間的世界である。私たちは、己を中心として、私たちの回りにある様々なものを私との位置関係において捉えることができる。それぞれ異なる地点に位置づけられている他者との対応を通じて、私たちは社会を意識したり、経験したりする。やがて共通に与えられた時間的空間的世界を独自の社会として捉える。社会はそれぞれの人々の意識の世界に位置づけられた主観的リアリティとしても存在するようになるのである。他者とのコミュニケーションを通じて私たちのselfは形作られる。selfを形作るためには他者の存在が必要なのである。私たちは、他者が存在する日常的世界に身を乗り出しながら生きている。日常生活は、私たちが他者と協力しながら、人間の世界を構築し、さらに私たち自身の自己実現を図るためにフィールドに他ならない。[viii] 日常生活の中で私たちはかけがえのない一人の人間として生きる。日常生活は共同生活の中での位置確認の活動だといえる。「ひと」とは日常性の主体であり、誰ででもあると共に誰ででもないような人物だといったのは、ハイデッガーである。私たちは、日常生活において行動の主体であるのだ。行動的主体としての私たちは、日常生活において常に私たち自身と対面する。日常生活は、私たちの自己形成の場なのだ。多様なスタイルで社会的世界と関係づけながら、特定の他者との関係において私たちは日常生活の中でselfを形成してゆく。

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引用文献

[i] ゲーテ著、相良守峯訳『ファウスト』(第一部)、18-19頁、岩波文庫、1958年。

[ii] 浜日出夫「社会学理論と“知の反省”」『三色旗 2000年1月号』慶応義塾大学出版会。

[iii] 山岸健編著『日常生活と社会理論』序章、「顔と手」、慶応通信、昭和62年。

[iv] 山岸健『日常生活の社会学』2頁、日本放送出版協会、1978年。

[v] 山岸健編著『日常生活の舞台と光景[社会学の視点]』5-6頁、聖文社、1990年。

[vi] 山岸、『日常生活の社会学』、95頁。

[vii] 山岸、『日常生活の社会学』、2-3頁。

[viii] 山岸、『日常生活の社会学』、59-165頁。


NHKあさいちのワクチン後遺症に出演した医師は製薬会社から多額のお金をうけとっています

2024年08月29日 00時20分10秒 | 気になるニュースあれこれ

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2021年中野貴司の受け取り結果 | 製薬マネーデータベース YEN FOR DOCS

製薬会社13社より7,899,095円

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 2位:コンサルティング等業務委託費 12件 1,868,705円

 3位:原稿執筆料・監修料      23件 1,841,214円

 

2024年8月28日則武謙太郎さんチャンネル、

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2021年の秋から必死に警鐘を鳴らしてきた医師や研究者の声をここまで隠しとおしてきたメディアの責任はおもいと思います。