たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

火曜日の夜

2016年05月31日 21時58分23秒 | 日記
 ようやく普通に火曜日であることを実感。長いと思っていた5月の後半も気が付けば終わり。帰り道、ATMコーナーに立ち寄るまで家賃をまだ振り込んでいないことを完全に忘れていました。毎月こんな感じになっています。まだ火曜日。平日に振替休みがあったとはいえ、日曜日だけの休みで出勤するのが辛くってしょうがないのはわたしだけではないようです。みんな一緒。疲れちゃっています。これが12月末まで続くなんてぞっとしますが、その先に仕事がないことを考えるとさらにぞっとします。半年以上雇用保険に加入していれば失業保険の受給資格があると思い込んでいましたが次のことを考えないとね、っていう話を他の人としていて一年以上加入していないと無理だと教えられネットで調べてみました。最初から契約更新はないとわかっている契約終了は自己都合にはあたらないと思いますが、さりとて会社都合と認定されるのはかなり厳しそうです。会社都合と認定されなかったら2月スタートのわたしは完全にアウト。他の方々も書類上の契約終了日によっては厳しいです。どう認定されるのか。どのみち基本がものすごく安いのでたいした金額ではありません、ないよりはマシ程度にしかなりませんが、それでもないよりはマシ・・・。どのみちわたしがあらたな道を見つけるのは容易なことではありません。経験とか資格とか何ができるとかなんて関係なく、会社は若くて使いやすい人がいいわけだし、非正規雇用が加速する流れが止まらないようだし(そんなの大会社の都合に大きく傾いた今の労働法制を考えれば当然のことで、そんなのわたしが一番よくわかっていますが・・・)、こんなに大変な業務を完走できたとしてもその果てに待っているのが、何の補償もないただの失業状態というのはあまりにもむご過ぎます。これも結局は使い捨てということになりますかね。家賃を支払って自分にごはんを食べさせながらどこでどうやって生きていけばいいのか、どうやって生き延びることができるのか。二年前からの課題はいっこうに答えが見つかりません。日本社会は劣化してきているよなあっていうのがわたしの日々の実感。希望は見えてきません。

 今日は若いご夫婦の旦那さんに「丁寧な説明、ありがとうございます」と言われて少し嬉しかったです。ものすごくかわいい赤ちゃんには癒されました。こういう一コマもないとほんとにおかしくなってしまいそうでもちません。火曜日の夜。あと三日で連休。なんとか持ちこたえることができるでしょうか。明日は11時30分からお昼休憩。明後日と明々後日は1時30分からです。いやはや・・・。

 ニュースをみると辛くって仕方ありません。どうかお子さんが無事でありますようにと心から祈らずにはいられません。入ってくるのは辛いことや嫌なことばっかり。風の唸る音は落ち着きません。プリンス・エドワード島ではいつも風の泣く音が聞こえていましたがここは日本。こんな風の音はほんとに落ち着かず不安を増幅させます。一日一日、なんとか生き延びていく毎日です。長くて短い。短くて長い。連日の愚痴記事、お読みいただきありがとうございました。いろいろと伝えたいことは休日に・・・。オシマイ! 

涙が・・・

2016年05月30日 22時18分02秒 | 日記
 すごく疲れちゃってて、ニュース一覧をみるとつらいことばっかりで涙がにじんでいます。清史郎君のお写真みるとしばし心が休まって涙がにじんでいます。曜日の感覚がおかしくなっていますが間違いなく今日は月曜日で一週間の始まり。ぞっとします。木曜日と金曜日はお昼休憩が1時30分から。ぞっとします。これが12月末まで続くのか。ぞっとします。そこまでもたないかもな。夏を乗り切り、秋も通り過ぎていくなんて無理っぽいかなあ。自分には合わないと感じている、少しも楽しくない業務内容。外からは怒りとストレスのはけ口となるし、中での関係性もかなり微妙。喉が痛いので薬を飲むと喉が渇いて仕方なく、でもあんまり何度も水を飲むためにバックヤードに行くのも他の人たちに対して気疲れするし、一昨日の疲しれをひきずっているし、なんだかすごく疲れた一日でした。社会から孤立する辛さを考えると簡単に辞めるとは言えませんが、無事に12月末を迎えるのと、頭がどうにかなってしまうか体をこわしてしまうかのいずれかと、どっちが先にくるんだろうなと考えてしまいます。

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若松英輔 ‏@yomutokaku · 5月3日

仕事を効率よく行うことは大切なことだ。しかし、効率を優先して考えて、その仕事をやるか、やらないかを決めてはならない。効率のよさを考えているとき、もっともよく働いているのは頭脳だが、真の仕事はいつも全身で行われるからだ。困難を打ち破る活路は常に、効率的思考の向うに見つかるのである。

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 私にとって仕事をするということは、給料をもらうということは心身をすり減らしていくということ以外のなにものでもありません。二年間のブランクの果てに想定外で流れ着いた現在の職場ですが、細かいことばかりで、会社の仕事とはあまりにも勝手の違うことばかりで未だに慣れることができません。最初の頃はほんとに慣れなくって効率よくやることができず、もたもたしていると「さっさとしてください」とずいぶん怒られ、ずいぶんと傷つきました。労働紛争でズタズタにすり減ったところからの回復途上にあることを言えない分なおさら傷つきました。その頃よりはもちろん慣れてきていますが、わたしたちの責任でもなんでもなくってそもそもがおかしいのでどうしようもないところがあります。チームでやっているといっても寄せ集めがやり方をきちんと共有するだけの時間も場面もなくやっているのだからすれ違いも多いです。間違いがあったり抜けがあったりするのはみんなそれぞれにありお互い様と思ってやっているので、わたしが誰かの抜けや間違いに気づいてフォローすることもあります。逆にわたしの抜けや間違いをフォローしてもらうことももちろんあります。誰かのフォローをしても間違いや抜けがあったことを、わたしが当人にいうことはほとんどありません。でもわたしが抜けたり間違ったりしているとすごく言われます。わたしは一か月遅れでスタートしてなんとか追いついてきたので仕方ないのかもしれませんが、まだまだ知らないこともあるので仕方ないのかもしれませんが、なんか犯人を捕まえたかのように言われると心外です。口には出せませんが傷つきます。一昨日の後始末でちょっと抜けていたことがあったので、だれがやったの、って一人一人にきいている人がいて、わたしのやったことではなかったので、わたしではないです、とはっきり言いましたが、もちろん抜けたことはいけないのだけれどなんか犯人さがしみたいな感じになっているように思えてやめてほしいなって内心思いました。自分の抜けを人がフォローすることもあるのだからやめてほしいなって内心思いました。なんかむずかしいです、ほんとに。一か月遅れでスタートしている自分が仲間になり切れていないような疎外感を今も持ち続けています。じゃあ他の人たちがほんとの仲間かっていうとそうではなく、一見仲良くしているように見えてもそれぞれの思惑があるんだろうと思います。わたしは必要なこと以外の話はしたくないかな。前職から変わらず。すり減りなんて言えない、言ってはならない苦しさを抱えています、なんて言えないし・・・。

 自分が本当にいるべき場所はどこなんでしょうね。自分の本当の居場所はどこなんでしょうね。どこにもないのでしょうか。これからどこでどうやって生きていけばいいのかわからないまま、疲れ果ててしまってどうしようもないわたしがいます。一足飛びに金曜日の夜になってほしいですが、あと4日もあります。限りある人生の時間をこんなふうに思うなんてほんとにもったいないですが辛くってしょうがなく、長くって長くってどうしようもありません。早く金曜日の夜になることをひたすら待ち続けます。まずは早く明日の夜になってほしいです。朝になったらそう祈ります。ほんとにへとへと。明日はまだ火曜日じゃ・・・。

 今日も長々と愚痴日記になりました。愚痴だけでは自分でも辛いので、本文と関係なく、ドラマの公式ツィッターから清史郎君のお写真をお借りしました。さわやかイケメン。いやされます。

 





今日は日曜日

2016年05月29日 19時13分04秒 | 日記
 今日は日曜日。『ブラックメリーポピンズ』東京公演千穐楽を観劇してきました。といっても観劇日記らしくものを書くことはできそうにありません。

 明日はまた出勤なのだと思うとゾッ。なんとなく気持ちが十分に休みモードになれないまま、疲れを背負ったまま電車に乗って都心に出るのはやはり辛かったです。外は暑くても冷房が入る電車内や劇場内はわたしには寒いので何を着ていいやらわからず結果すっごいダサい格好に・・・。まあいつものことですけどね。最寄駅から電車に乗った時パンツのポッケに入れた携帯電話を少しみたあとポッケに戻しました。浅いポッケでちゃんと携帯がおさまっていなかったようです。乗換駅でポッケからすべり落ちて座席におきっぱになったのに全く気付かないまま電車を降りました。乗ってきた若い男性が気が付いて、「誰か携帯忘れていますよ」を大きな声を出してくださったので事なきを得ました。疲れているときはほんとにあぶない、あぶない。駅とかATMとか人の忘れものに気が付くと声をかけたり電話をすべきところに電話したりとかやってきているのでこういう時お返しがくるのかな、なんて・・・。お互いさまでもちつもたれつですね。

 一路さん目当てでチケットを取った舞台。二年前の七月にも同じ場所で上演されたのを観劇しました。ブログには全く書かなかったみたいですね、わたし。10年以上働いた会社を相手に、使い捨てにしたことに対する損害賠償を求めたら労働紛争となってしまい数か月が経過した頃。その先の成り行きが全く読めず、経験したことがないことの連続で心身共に消耗しきり、頭の中はパンク。体重は38キロを切ろうとしていた頃でした。左足の股関節を痛めてしまっていたので三階席まで階段を昇っていくのが辛く、足をひきずっていたら係員が特別にエレベーターに案内してくれたことを思い出しました。基本的には帝国劇場のような大きな空間で、おおがかりなエンターテインメントに徹した舞台を観るのが好きですが、こじんまりとした劇場も時にはありかな。

 韓国発の心理スリラーミュージカル。話の展開はなかなかに込み入っていて、たとえばアガサ・クリスティを短編小説を読んでいるようなもの。出演者はたった五人で、一路さんのメリーをのぞく四人はでずっぱり。生オケはたった三人。血のつながらない兄弟役の四人は大人になった現在と12年前の子供時代を同じ舞台装置、同じ衣装のままで演じるので大変だろうと思いますが、見事に演じ分けているのでわかりやすかったです。子供時代の幸せだった頃、飛んだり跳ねたりするのはかなりエネルギーを要ると思いますが、小西さんのハンス、良知さんのヨナス、上山さんのヘルマン、二年前よりパワーアップ。千穐楽まできたこともあってか、ちょっと声かれていましたがそれぞれのキャラクターの個性がより伝わってきました。良知さんの不安神経症にとりつかれている現在の演技は今回も目が離せませんでした。アンナは二年前の音月桂さんから中川翔子さんへバトンタッチ。アンナらしい可愛らしさを存分に発揮されていたと思います。初舞台だそうで歌はのびしろに期待したいところ。

 客層はわたしには不思議な感じでした。二年前はアンナが宝塚出身の音月さんだったし、一路さんも出演しているし、宝塚時代から観てきている人たちが多いのかなという雰囲気でしたが今回は中川翔子さんのファンが多かったのかな・・・?。アンナのコスプレの人がいたりで一路さんを観たことない人も多いのかなっていう空気のように感じました。終演後出口で待っていた大勢の人たちは誰を待っていたのか。行き慣れた日比谷界隈とは勝手が違うし遠いので、駅まで戻るのにしばらく迷ってしまいましたがすぐに電車に乗りました。最寄駅までたどりついたあとも買い物をかんたんにすませるとお茶することもなく帰ってきました。なんだかすっかり人に疲れているので、話し声をあまり聞きたくないし、ダサい自分がふと恥ずかしいし・・・。これで明日から五日間フルなのか。曜日と昼休憩時間の体感感覚がわけわからなくなっているのできついっす。

 舞台の最後は、血のつながらない四人の兄弟がメリーと共に不幸に向き合い不幸を背負いながら生きていくことを決意するというものでした。二年前は展開についていくのに必死でそこまで味わうことができていませんでしたが深い心理劇。やみつきになると何度でも観たくなってしまうような、欧米発の舞台にはない、湿り気のような魅力ががあります。

 黒い衣装で登場する一路さんが今回も姉御みたいにかっこよくて素敵でした。一路さんの歌をもっと聴きたいなあ。大きな劇場でも聴きたいなあ。エリザベートとかもうないかな・・・。

ヤフーのニュース一覧をみるとあまりいいことないですね。なんか辛くなるようなことばかり。わたしは、つまるのか、つまらないのかよくわからない業務で疲れ果ててなにもできずです。

 写真は公式ツィッターからお借りしました。カーテンコールの時、中川翔子さんの「写真を撮らせてください」っていう声でキャストのみなさんが客席をバックに写真におさまっている様子です。

何曜日なのか・・・

2016年05月28日 22時37分19秒 | 日記
 今日はたぶん土曜日ですが体感感覚として何曜日なのかわからなくなっています。お昼休みも今日は12時30分から。二週間前と同様に終日トラブル対応に振り回されることとなったし、一日の流れの中で時間の感覚が体感としてわからなくなってしまいました。体感感覚としてのリズムが一定にならないのはきついものです。毎日の積み重ね、繰り返し。これが仕事なのだという実感をもつこともあまりできないような業務内容だし、ものすごく細かいことの連続、むずかしいことの連続、会社の仕事と違いすぎるし、まだまだ慣れることができていないなあと感じるばかりです。なんども書いていますが、10年以上やっていたことがまだまだ体に沁みついてしまっていて抜け切れず、わずか数か月しかやっていないこととでは、圧倒的に私の中で10年以上やっていたことの方が勝ってしまいます。こんなにも体に沁みついてしまっていることが離れてしまえばほとんど何の役にも立たないことばっかりだったとは哀し過ぎます。わたしの10年を返してくれーと今さら叫んでもおそいですが、続けた自分が悪いんじゃんって言われれば、社会の仕組みはたしかに自己責任なのでなにも言い返す言葉がありませんが哀し過ぎます。

 出勤するときは、前職と変わらず朝緊張感を高めてこらから出勤なんだと自分に言い聞かせるためにほとんど全身黒ずくめ。ほとんどバリエーションもありませんが、断捨離中だし、遺品整理をしてから新しい服をほしいとか全く思わなくなりました。今あるものが古くなったら、ぼろぼろになって捨てるしかないとなった時にようやく新しいものを買うと思います。千円で買ったものでもお別れするとなったら考えてしまいます。だから安易にものを買うことはしばらく前にやめました。まだまだ、まだまだ断捨離は続いていきます。

 明日は日曜日らしいということで、明日も出勤だっていう時よりは少しゆっくりめに『1789~』の動画を観て気分転換。しばし現実逃避して幸せ感に満たされました。プリンスがいっぱいでありがたい。今週たまったいやーなものをぶっとばせ! たぶんもうぶっとびましたね。明日は一路さんの舞台。一日だけの休みで都心に出るのはつらいですが、電車に乗るのはいやですが久しぶりの一路さんの舞台。なんだか勝手に古い友達に会いに行くような気分。楽しめたらいいなと思います。明日の天候やいかに・・・?!

明日も出勤・・・

2016年05月27日 21時25分48秒 | 日記
 今は金曜日の夜だと思いますが全くそんな気はせず、リズムがくずれて何曜日なのかわからなくなっています。現実には明日出勤すると明後日が日曜日でおやすみ。来週は月曜日から金曜日までフル稼働。ぞっとします。一日がけっこう長くて早く明日の夜になってほしいです。お昼休みが1時30分からだと午後が短いですけどね・・・。ちなみに来週はお昼休みが1時30分からというシフトが二回あります。ぞっ!!最近行きつけになったすぐご近所の定食屋がクローズになっている時間。行くところがありません。公園はそろそろ雨と暑さで無理かな。風がごうごうと吹くと落ち着かないし。職場内ではゆっくりとあったかい飲み物をいただける場所も時間もないのでほんとに疲れます。一日に一回。お昼休みぐらいそんな時間がほしいです。もちません。

 今日も業務が終わればまっすぐに帰宅。ネットを立ち上げてごはんを食べながらツィッターやブログをチェック。イケメン・プリンスたちのお写真にいやされ現実を忘れるひととき。昼間オジサンたちからうけた、このなんともイヤーなストレスをぶっとばせ!ぶっとばさないともう吐きそう。明日のためにスペースあけておかねばなりません。

 数だけだと最近にしては少なかった一日でしたが朝からむずかしい方が来ました。夕方も来ました。被害妄想がちょっと誇大で了解不可能なレベル?!もしかしたら、いやもしかしなくてもボーダーラインの方なのかなあ、たぶんボーダーラインなんだろうなあ、っていう方は今日にかぎらず、ちょくちょくやってきます。私は一応精神保健福祉士の国家試験に合格しているし、そうなのかもなあって心の中で思いながら言葉を選んで接するようにしているつもりですが、他の方々はたぶん知らないで接しているのでちょっとあぶないなあと思ったりすることもあります。男性である場合がほとんどなのでなおさら気になってしまいます。でも口には出せずです。私たちのような立場で職務に就くものは、どんな方がくるのかわからないのだから、研修で接遇も大事ですが精神保健の基礎知識も少し学んだ方がいいのではないかという気がします。私たち自身の身を守るために・・・。でもまずそこまでやることはあり得なさそうです。一日二日聞いただけで理解できるレベルのことではないし、すごく深いこと。一般にはなかなか理解されないこと。でも実際に了解不可能なレベルの入り口かな?っていう方もいらっしゃるので基礎知識のキでもいいから知っていた方がいいんじゃないかなっていう感じがしています。わかりませんが、正規採用の方々はそういうこともも研修で勉強しているのでしょうかどうなんでしょうかとふと思います。ほんとにむずかしいことばかり。

 これから『1789~』の動画も少しだけ観たいです。現実をしばし忘れるべし!



薔薇の花が美しい季節

2016年05月26日 21時52分24秒 | 日記
 今日からまた三日間出勤。木曜日ですがリズムがくずれているので何曜日だという感覚を体がわからなくなっています。今日は出勤してみたらお昼の休憩が11時30分からでした。一昨日の段階で予定表をもらっていなかったので今日の予定がわからないまま、遅くなるであろうことを想定し朝多めに食べて出勤したら早かったです。明日は1時30分から。この二時間の落差はぞっとします。かなりへばります。朝少し腹持ちするように野菜スープを食べられるよう準備しています。こんな毎日。はあっ・・・。今日の午前中は、隙あらば大いに文句をいってやろうという構えのオジサンが現れました。最初から怒っているので質問されてもなにをきかれているのかよくわからず全くかみ合いませんでした。ほんとに言いたことを言う人はいうので疲れます。言っていることに筋がないとか関係ありません。私たちに言われてもほんとに困ってしまいます。大元に言ってほしいです。数か月前の自分を振り返れば人のことは言えないようなところがわたしにはありますが、わたしの怒りにはちゃんと理由がありました。ヒラ職員に言ってもどうにもならないことを十分すぎるほどわかっていながら気持ちがあまりにも大きくはみ出してしまって言わずにはいられませんでした。恐縮しながら私の話をきいていた職員の表情を思い出します。彼らの責任ではありません。大元が悪いのです。自分がその職員と同じような立場になるとは思いませんでした。

 帰ってきたらいつものようにミュージカル関連の楽しみなツィッターやブログをチェック。幸せ感に満たされてしばし現実を忘れました。現実の私は昨夜すごく眠いのに明日出勤かー、って思うともやもやしてすぐには寝付けずでした。毎週土日連休の週休二日に体のリズムが今もなっているので、変則的な休みの取り方に体のリズムを合わせることができていません。10数年続けてきたことと数か月では今も断然10数年の方が勝ち。前の会社で
はこうだったということをほかの人が話すとなんとなく自分も思わず話してしまうことがありますが、心の中ででは一抹のもやもやといやーなものが渦巻いています。10年以上働いた結末が、使い捨てにされました、いつでもお取替え可能なハケンにすぎませんでした、損害賠償を求めたら闘いになりましたとは言えず、あまりもう思い出したくありません。でも挨拶できていないというもやもやをずっとひきずっているし、10数年という歳月はデカイです。人生の一部。トラウマになっていることも含めて忘れることができません。いつの日か、自分はこういう会社で長く働いたんです、こういう仕事を責任もってやらせてもらっていました、と誇りをもって言える日が訪れるでしょうか。たぶん訪れることはないだろうなという気がします。だったらさっさと忘れた方がいいですが先日も書いたように、まだまだ引きずってしまっています。

 現在の職場の最寄駅から職場まで徒歩でちょっと距離があります。朝急いで歩いて10分ぐらいでしょうか。高齢の方にはこたえる距離でバスもありますが急に暑くなったせいか、足が遠のいてきている感じがします。一番出かけるのに適していた午後の昼下がりの時間帯が一番暑い時間帯になってきたので無理なんでしょうね。そんな感じで不便な場所、住宅街をくねくねと抜けていくのでカフェも全くありませんが、プチガーデニングをやっているお宅の色とりどりのお花がきれいな目に鮮やかに飛び込んでくる季節になりました。朝も帰り道も薔薇がすごくきれいだなーって思いながらくねくねと歩きました。ツツジも満開。これから梅雨を迎えるまでがいちばんきれいな時期ですね。ターミナル駅からたった一駅。各停しか止まらないので朝はほんとに不便で微妙ですがこういう楽しみもあるということで、少し許しましょう。あと二日出勤か。ため息ついていても仕方なくなんとかふんばるべし。契約終了となったあと自分はどこでどう生きていけばいいのか、次の道が続いていくのか。ぞっとしますが今はなにも考えられずまずは今をふんばるべし・・・。

 写真は最近のいつものように、本文とは全く関係なくさわやかイケメンの清史郎君。ドラマの公式ツィッターからお借りしました。

 

『1789バスティーユの恋人たち』より(8)

2016年05月25日 22時40分55秒 | ミュージカル・舞台・映画
 今日は土曜日出勤分の振替休日。ぽわんとお昼寝して夕方近くようやく重い腰があがり用事を済ませに出かけました。お茶できるほどの時間はなくなってしまったので買い物をするといつものごとく、だらだらとツィッターやブログをチェックしながら食事。なんにもしていません。気がついたらもうこんな時間。だらだらよくないですが、だらだらもしないと持たないですね。

『1789バスティーユの恋人たち』。花ちゃんが大阪で千穐楽公演を無事に終えたようです。舞台全体が帝国劇場よりもさらに熱気を増して、役者さんたちの芝居も違っているようです。その中で花ちゃんの歌と演技もさらなる高みへとたどり着いたような。アフタートークショーのあと、フェルゼンとルイ16世陛下が花ちゃんアントワネットをエスコートするために登場したことがツィッターで沸騰中。楽しそう。近いなら生きなかった。大阪は遠すぎます・・・。

 お昼間プロモーション映像をみていたら、雪組初演『エリザベート』のカーテンコールの映像が続いて出てきたのでビデオ持っていますがそのまま観てしまいました。不思議なことに20年前より今の花ちゃんの方が衣装をまとったとき若くみえます。ミーミル役で初舞台を踏んだ花ちゃんが星組から雪組へと移籍して一路さんの相手役となったことを懐かしく思い出しました。一路さんのサヨナラ公演だった『エリザベート』は花ちゃんにとっても大きなターニングポイントになりました。芝居の雪組と言われた雪組に移籍して、一路さんの隣に寄り添ったことが花ちゃんの芝居心を大きく育てたと私は今も思っています。

 「Q:わたしにとっての”革命”とは・・・。わたしにって革命的なことといえば、今こうして再び舞台に立っていることです。宝塚退団5年間、もう2度と舞台に出演することはないであろうと考えていた時期に今の所属事務所の人達と出会い、話合い、ここへ戻ってくる事ができました。今となっては革命的なチャンスを与えてくださった関係者全ての方々に感謝しています。」

 プログラムの中の花ちゃんの頁の紹介。現在(いま)帝国劇場の真ん中で華やかな衣装を着こなして立っている人にもこんな沈黙の時があったのかとはじめて読んだときは胸がいっぱいになりました。エリザベートの観劇日記を書いた時にも書いたと思いますが、花ちゃんが宝塚を退団した頃私は個人的にとても忙しかったので退団公演の少し前あたりから舞台をみる余裕がなくなりました。数年間観劇から全く遠ざかったので退団後の花ちゃんがどうしているかも全く知りませんでした。エリザベートのガラコンサートとモンテクリスト伯で花ちゃんがまた舞台に戻ってくることを知り、変わらない花ちゃんにすごく安心感をおぼえました。去年の『エリザベート』で19年の時を経て再び花ちゃんシシィに出会えたのは奇跡でした。そして『1789~』で、ハプスブルクつながりのもう一人の王妃アントワネットを演じる花ちゃんに再び出会えたことも奇跡でした。きっと実在したアントワネットもこんなふうにふんわりと可愛らしい人だったんだろうな、って思わせてくれるアントワネット像を見事に体現。それだけになお史実はなんとも切ないものがあります。つらつらと語り始めるとまたきりがなく、想いは途切れませんが時間とエネルギーがきれてきたのでまたの休日に思いつくまま書ければと思います。

 ブログはいいですね。誰がいいねしているとかぜんぶわかってしまうSNSよりずっと気持ちが楽です。過去の記事も残って一覧で読んでいただけるし・・・。どんな方が読んでくださっているのかな。思いめぐらしながら書けるのがうれしいです。たまたま訪問してくださった方ありがとうございます。よかったらまた訪問してください。今日はこれでおしまいです。


写真は初日前記者会見の様子。ローチケ演劇部より転用しました。

昨夜は・・・

2016年05月25日 09時50分30秒 | 日記
 昨夜はかなり久しぶりにブログを更新しませんでした。一昨年の12月にこの部屋の下の階への水漏れが起きたのが、あれやこれやで長引いていて終わらず、大家さんがヘンな人みたいで水漏れの件で突然メールが入ってきたのに困ってしまい、帰りに相談のため不動産屋さんに寄りました。帰ってくると同じく水漏れの件で、管理組合も大家さんのことが困っているらしく私の部屋を訪ねてきました。現在の業務でヘロヘロな毎日なので正直こういうの負担になってかなりきついです。違う業者が何回も見積もりにきていて、その度に立ち会わねばならずもうカンベンしてほしいです。落ち着いて食事をする時間が少しおそくなってしまいました。いつものように楽しみなツィッターやブログを一通りチェックしてから、いつも清史朗君の写真をお借りしているドラマ『OURHOUSE』の第6話をインターネットで視聴しました。アクセスが多いから?か動画のおそいこと、おそいこと。脚本がよくなってきているし、なかなかに切ない終わり方が90年代の青春群像の残像のような雰囲気で心に沁みました。自分の想いを伝えられまま、相手の想いがわからないまま、もう彼に会うことはかなわず桜子ちゃんは生きていかなければなりません。泣きつくしても翌朝には輝くような笑顔。若いっていいなって思いました。清史朗君演じるお兄ちゃんのハスキーボイスで、妹に近寄るな、っていう場面がしびれました。なんともほんとにかっこよくてくらくらします。

 ヤフーにこんな記事が掲載されています。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160524-00000005-flix-ent

 一昨日急に暑くなったせいか来所者が減ってきています。大変ですがわたしたち要らなくなってしまうとそれはそれで仕事がなくなるので微妙なところです。大きな声を張り上げなければならないのはほんとに消耗します。いつまでもつやら。契約が終了したあと、今度はどこでどうやって生きていけばいいのか。今は考える力がなく、ネットの中で出会えるイケメンやプリンスたちに癒されながらなんとか心のバランスをたもっている毎日です。これって軽度の依存症かもしれませんが誰かに迷惑かけるでなし、必要程度の依存だと思っています。こういう心の逃げ場所がないとこわれてしまいます。逃げ場所をもっているのは大切なこと。

 お風呂上りにいつも通りにワインのお湯割りを少し飲んだら、ちゃんと寝る体制に入る前に布団の上でいつの間にか眠ってしまったようです。私には珍しいことですが、普段は寝なければならない、起きなければならなし緊張であまり眠れずほんとにきついです。今日もお昼寝できるといいなー。窓の外は風がごうごうとうなっていて落ち着きません。一日一日がどうにかこうにか無事に過ぎていくようにと祈りながら生き延びる日々です。これからどうやって生きていけばいいのか、ふとものすごい不安が押し寄せます。収入が途絶える&社会から孤立するというとてつもない不安におそわれます。生きていくのはむずかしいですね・・・。

急に暑くなって・・・

2016年05月23日 21時57分58秒 | 日記
 まだ5月だというのに突然真夏のような暑さになりました。といっても日中30度になった頃私は冷えすぎて寒いところでカーディガンを羽織り、首には風があたらないように無印良品で3年ぐらい前に購入した2WAYカーディガンというのを巻いて仕事をしていました。早くも私の大嫌いな冷房の季節がやってきました。業務を行っている場所は寒いし、電車の中もきんきんに冷えているので冷え性の私は今も厚手のストレッチパンツをはいているし、下着を着込んでいます。そうすると駅から業務を行っている所まで歩くころには暑くなっているので汗をかいてしまいます。そのまま寒いところに入ると冷えるのでさらにカーディガンはおったり、首に巻いたり。そうすると一度汗くさくなってしまったものはそのままに着込み続けることになるのでけっこうつらいです。着たり脱いだり大変な季節が今年もやってきました。体はずっと冷え続けています。すごく喉がガラガラになってしまうし痛いので水分補給すると体が冷えておトイレに行きたくなる。でもタイミングによってはおトイレを一時間とか一時間半とか我慢し続けなければならないので水分補給を控えめにすると、喉はガラガラになって痛くなる、せき込んでしまう。今も喉が痛いのですがこんな仕事続けていたら体に悪いのかな。どうなんでしょうか。決して空気はよくはないし、自分のペースと段取りでやれる業務内容ではないのでなんだかすごく疲れます。今日も全くそんな気はなく、前職で当たり前にやっていたことと同じようなつもりでやったことがNG、っていうことをやらかしました。同じ立場の人には、当該者に対して失礼だよという言い方をされ、責任者には怒られました。それによってまたひとつ勉強になったのだからありがたいことだとむしろ感謝すべきなんだろうなとは思いますが言い方はどちらも気持ちよくありません。私は後から入っているという意識がずっとあるし、人の間違いやスルーに気がついても言えないことが多いのですが、間違いがあるのはお互い様で、そもそもやり方を統一していけるような流れで業務を行っていないので、人によって少しずつやり方が違っていてチームで仕事をしているといっても寄せ集めのばらばら状態。いろんな意味で私にはむずかしくってやっぱり慣れることはできないのかなと思ったりもします。お昼休憩が一時間のところを状況によっては遅くに出ざるを得ず、でも予定の時間通りに戻ったり、夕方定刻を10分、15分ぐらい過ぎて業務を行ったりする何気ない時間を累積するとそれなりの残業時間になるはずですがカウントされることはないので実質サービス残業していることになります。そんなふざけたこと言っているな、常識の範囲内、当たり前のことだろ、って怒られちゃうかもしれませんが、安い時給できついことやっているわけだし、ついそんなことを思ってしまいます。そう思うの私だけでもなさそうだし・・・。

 帰ってきたらツィッターやブログをのぞくのが大切な息抜き。今日も本文とは全く関係なく清史朗君のお写真をドラマの公式ツィッターからお借りしました。癒されます。『1789~』出演中のさやかちゃんのブログには目福なお写真が・・・。

 出勤日はこんな感じで過ぎていく日々です。グダグダで何書いているのかよくわからない文章、失礼しました。

『1789バスティーユの恋人たち』より(7)

2016年05月22日 17時08分58秒 | ミュージカル・舞台・映画
2001年宝塚宙組公演『ベルサイユのばら‐フェルゼンとアントワネット編』プログラムより

「王妃マリ・アントワネットの不運

=ブルボン家の王妃たち=

 カトリックとプロテスタントの信者が血胆 い争いを繰り返した宗教戦争がやっと終わった16世紀末、ヴァロワ王朝は断絶し、新教徒の長、ブルボン家のアンリ4世がカトリックに改宗してフランス王になります。アンリ4世は、ヴァロワ家の王妃マルゴと離婚し、1600年メディチ家から妃を迎えてブルボン王朝が始まります。初代のアンリ4世、ルイ13世ルイ14世、ルイ15世、そしてルイ16世の順です。19世紀に王政復古が成り、ルイ18世、シャルル10世が王位に復帰しますが、短命でした。

 王妃たちはどうでしょう。アンリ4世が再婚したマリ・ド・メディシスはイタリアの名家出身で、フランドルの画家、ルーベンスに描かせた波瀾万丈の生涯はルーブル美術館に展示されています。

 美しく誇り高いルイ13世の妃アンヌ・ド-トリッシュは、スペイン・ハプスブルク王家から14歳で嫁いできました。宮廷一の美女といわれながら夫は妻に無関心でルイ14世誕生までに実に23年の歳月を要しました。 バッキンガム公との束の間の恋愛は 『三銃士』 にも描かれています。華麗なヴェルサイユ宮殿を建造し、 昇る太陽のごとくヨーロッ パに君臨したルイ14世は、ブルボン家の宿敵ハプスブルクをしのいで絶頂期を迎え、世界にブルボン家の威信を示します。

 アンヌ・ド-トリッシュの姪、スペイン王家のマリ・テレ-ズを妃に迎えますが、テレーズ がひとめでルイ14世に恋したのとは裏腹にルイ14世は次々に愛人を作り、王妃は生涯夫の不実に悩まされます。

 文芸のよき庇護者であったルイ14世は新装なったヴェルサイユ宮殿でさまざまな祭典を催し 、オペラ 、バレエ、コンサート、芝居が上演され、文芸の黄金時代を築きます。その祭典の主役は王妃ではなく、愛人たちでした。

 18世紀に入り礼節と規律を重んじたルイ14世の宮廷の堅苦しさはルイ15世の時代には消えて行きます。ルイ15世はだれからも愛される人柄で批判精神が活発な新しい時代の幕開けとなりました 。ヴェルサイユに縛り付けられていた人々がパリに戻りはじめたのもこのころのことです。

 ロココの華を擁護したルイ15世といえば愛人ポンパドゥール夫人やデュ・バリー夫人があまりにも有名でポーランド王家出身の王妃マリ・レクザンスカは影のうすい存在でした。 国政は愛人たちに牛耳られ、王家の成信は落ち財政破綻の原因を作り王権は弱体化しはじめます。ルイ16世は16歳でオーストリアの王女マリ・アントワネットを妃に迎えます。マリ・ ド・メディシスいらい、王妃たちはすべてハプスブルクに繋がっていますが マリ・アントワネットは正真正銘の本家オーストリア、 ハプスブルクの王女でした。

=アンシアン・レジームの崩壊=

 フランス史では16世紀はじめからフランス革命までの政治や社会体制を旧体制という意味のアンシアン・レジームと呼びます。フランス革命で王権は滅びるわけですからルイ16世はブルボン家終幕の王となります。

 ルイ16世は幼いころ非常に厳格な宗教教育を受けて育ちした。気弱でお人よしという以外に、あまり取り柄のない王でした。もし、ルイ16世が才気換発な王であったら 、もし世の中の動きを察知し素早く対応できる能力を備えていたらフランス革命は起こったろう かと考え ます。マリ・アントワネットにしても 確かに贅沢をしたかもしれない、わがままで周囲の人たちへの配慮が欠けていたかもしれないという一面はありますが、首を切られるほどの罪を犯したでしようか。

 もしマリ・アントワネットがフランス王家出身の王妃だっ たら 、フランス人は彼女を断頭台に送ったとは思えま せん。マリ・アントワネットは幾世紀にも跨がリフランス王家が打倒を誓った宿敵ハプスブルクの姫でした。

「善良なパパ」と国民に親しまれていたルイ16世 が国外逃亡を図ったことが決定的でした。『フラン ス革命下の一市民の日記』を書き残した平凡な年金生活者、ギタール氏は次のように書いています。

 1791年6月21日「フランスと世界の歴史のなかで永遠に忘れがたい日 。きょう 21日午前 1時 、国王、王妃、王太子 王女、王妹、王弟夫妻がひとりの衛兵にも気づかれずに 、こっ そリチュイルリー宮殿を脱け出し、外国への逃亡を計った。 パリじゅうが悲しみに包まれた」。そこには、国王に見捨てられたと悟り 、衝撃を受けた民衆の哀感がにじみ出ていま す。

 パリは歴史に残るふたつのおぞましい流血事件を経験しています。ひとつは 16世紀、 新旧の宗教の対立から 起こった宗教戦争の総括ともいえる歴史に名高い 「サン・バルテルミ の大虐殺」です。新教徒の長アンリ 4世とカトリック のマルゴ 王妃の結婚を祝うため全国から 集まったプロテスタンは、ルーブル宮殿に隣接する サンジェルマン・ロクセロワ教会の鐘の音を合図にカトリッ派に急襲され殺数が始まります。セーヌ川は血で染まり、ルーブル宮殿の中庭には死体の山が築かれまし た。

 ふたつめの大きな流血事件はフランス革命です。「目覚めた女たち」の戦いが始まりま す。 昨日まで市場で魚や野菜を売っていた女たちが、マリ・アントワネットの侍女である というだけの理由で、罪もない同じ女性の衣服を引き裂き首を切り落とし 、その首を槍先に刺して平然と行進します。

 正気にかえったとき 、「目覚めた女たち」は槍先の女の顔をまともに見られたでし ょう か。現代でも人気グループのコンサートで観客が次々に卒倒する事件がありますが、フランス革命における女性たちの行動を見ていると皆が集団ヒステ ー状態にあったと思わざるを得ま せん。

 アンシアン・レジームでは、女性は独立した個人としては認められず、父または夫に従属する存在でした。その女性たちが自分の意志で立ち上がったことには意味がありました。けれど 「自由」「平等」「博愛」をスローガンにパンを求め、群集の先頭に立ってパリから ヴェルサイユまで行進した女たち 、新しく生まれたフェミニストたちはフランス革命で本当の自 由や平等を勝ち取ったでしょうか。男の従属物としてしか認められなかった女たちが、フラ イパンや帯の代わりに鎌や鍬を持って戦うために勇ましく全面に躍り出たことはひとつの進歩ですが、女性の地位を確立するにはまだ遠い道のりが横たわっていました。

=たった一度の恋=

 マリ・アントワネットというと「首飾り 事件」とスウェーデンの貴公子フェルゼンとの束の間の胸をしめつけられるような恋を思い出します。

 宝石好きの王妃はマリ・アントワネットに限ったことではありません 。この時代のお洒落 の特徴は高く結いげた髪型にありました。とくに宮廷の貴婦人たちの正装では 、高く結い上げた髪の中に宝石やリボン、羽飾りを編み込むことが約束ごとになっていましたから、宝石は貴婦人たちにとって必需品であったといえます。

 マリ・アントワネットはお洒落上手で彼女の選んだドレスや髪型は 、すぐに街に広がっ てゆきました 。庶民の娘たちは 、マリ・アントワネットのド レスや宝石を羨望の目で眺め、 新しいファッションに一喜一憂しました 。

 憧れの気持ちが 、なにかのきっかけで嫉 妬に変わると憎しみという恐ろしい感情が生ま れます。そして王妃は憎しみの格好の標的となりました 。

 ブルボン家との関係強化を願う母であり女帝であるマリア・テレジアの要請で 、王家の習いとはいえ愛のない結婚を承諾してマリ・アントワネットが遠いオーストリアから嫁いで来たのは15歳のときです。ま 恋も知らない年でし た。

 フェルゼンとの恋は、マリ・アントワネットにとって、生まれてはじめての恋愛だったでしょう。王妃というのは宮廷にあって孤独な存在です。 ましてや異国です。そこへ全てを投げ打って愛を捧げる男が身近に現れたら、恋の虜になっても不思議はありません。

 王妃一家を助けようとしたフェルゼンの努力にもかかわらずマリ・アントワネットはタンプル塔に囚われの身となり 、輝くばかりのプロンド はたちまち真白くなり、 老婆のような風貌に変わったと言われています。

 セーヌ河畔に面した牢獄は、向こう岸にはマリ・アントワネットが愛したチュイルリー宮殿があります。ヴェルサイユを逃れてチュイルリー宮殿で過ごした自由で伸びやかな日々、フェルゼンとの束の間の逢瀬、どれも遠い過去です。パリではオペラや芝居見物で劇場に足を運ぶこともできました。

 規則づくめで礼節にやかましい広大なヴェルサイユ宮殿と違って、パリの生活は宮殿も中規模で庭園の向こうには街のざわめきが息づいていました。

 思い出が詰まった宮殿の対岸でマリ・アントワネットは囚人として 2ヶ月を過ごしました。 コンシェルジュリを訪れた者は、贅沢に慣らされた一国の王妃が、陰鬱な牢獄生活に耐えた強じんな精神力に驚かされるはずです。耐えたばかりか、マリ・アントヮネットは 、ショックのあまリー度は半病人のようになりますが、死を目前にしたとき本来のフランス王妃としての品格と威厳を取り戻します。そこが王妃たるゆえんです。

 フランス革命はあらゆる要素が複合的にひとつの形となっ たもので、マリ・アントワネットの贅沢だけが原因ではありません。革命の必然性を民衆に理解させるには王妃の散財はわ かりやすい理由でした。

「彼女は本当に不幸です。けれど彼女は勇気を持っています。私は全力をつくして彼女を慰めました。それは 私の務めです。彼女は 私にとって完璧な女性です」とはフェルセンの言葉ですが、悲運な王妃にも、ひとときの幸せがあったことに思い至るとき心が和んできま す。


 戸張規子(とばりのりこ)
  学習院大学文学部大学院修了。 慶應義塾大学教授。
   著書:『ルイ14世と悲恋の女たち』
     『ブルボン家の落日』 ―ヴェルサイユの憂愁―
     『フランス悲劇女優の誕生』― パリ・宮廷の華―
      (全て、人文書院 )
   訳書:フランス古典悲劇等。」


 宝塚時代も含めて、花ちゃんが演じ分けるハプスブルクつながりの二人の王妃。エリザベートとアントワネット。エリザベートが最後まで自分以上に家族を愛することができず、あてのない旅から旅への生活を送り続け、孤独の中で生涯を終えたのに対して、最後は王妃としての誇りに目覚め国母としての役目を全うしようとしたアントワネット。ふんわりと可愛らしいアントワネットを花ちゃんは存分に体現していたと思います。

 
 一幕の王太子ルイ・ジョセフが歩けるようになったと喜ぶ時の嬉しそうな表情、ルイ16世が仮面舞踏会にギロチンの模型を持ってきたときの、「まあなんと恐ろしい」っていう時は、その後たどる自分の運命を全く知らない、退屈な宮廷生活に飽き飽きした無垢で無邪気な表情。

 二幕で王太子の死をきっかけに王妃としての役割に目覚め、革命がおこると亡命を手助けしようとするフェルゼンの申し出を断り、ルイ16世を運命を共にすることを選んだアントワネットの決意をうたう場面が終わると客席に背中を向けて舞台の奥へと歩んでいきます。その背中が、ベルばらの舞台でみた、大階段をのぼっていく=断頭台へと向かっていく、誇り高いフランス王妃として最後の務めを果たそうとする背中とが重なります。『1789』の舞台では、ギロチンが落とされる音が入りますが、アントワネットは、自分が最後にたどりつく運命をこの時悟り、覚悟をもって静かに受け入れていったという演出なのでしょうか。ロナンを好きになってしまったオランプに、自分とその人とのどちらかを選ばなければならないと語るときの表情はやさしくたおやかで慈愛に満ち溢れていました。なにもかも失ってしまった、文字通り、失うものなどなにもなくなったアントワネットが、最後は宝塚時代を連想させる囚人服で登場するときの、無垢な少女にもどったような表情がすごく好きです。

 2007年と2008年に、パリに行ったとき、アントワネットが最後の日々を過ごしたコンシェルジュリには行きませんでしたが、贅沢に慣れた王妃が過ごすにはあまりにも過酷な場所だという説明を現地の日本人ガイドさんから受けました。ベルサイユ宮殿には普段着でくつろぐ国王一家の絵も飾られていました。(この時の写真はそのうちに・・・)。

 ルイ16世を演じる増澤さんが書かれているブログも参考になります。ルイ16世。ベルばらでは脇役でした。どんな方が演じるのか、正直全く関心がなくお名前も存じ上げませんでしたが、民間人に本当は愛されていた、お人好しで錠前づくりと狩りが好きな国王をよく体現されていて、観劇のたびに関心度が増していきました。最後はアントワネットが自分のところに戻ってくることを観客は納得できたと思います。

http://nozomu.air-nifty.com/kerogu/2016/04/post-7be9.html

 史実と虚構が巧みに混ざり合った舞台は不思議な世界です。

 写真は初日前記者会見の花ちゃんアントワネット。エントレより転用しています。