たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

夏の終わり、やっと週末・・・

2016年09月30日 22時55分53秒 | 日記
 今日でようやく9月が終わり。明日から10月。蒸し暑い一週間、長い一週間でした。朝は寒くなってきたし、外は涼しいので長袖を着ると、駅や就労場所は暑いので汗をかいてしまいます。長い、長い、夏の終わり。秋の始まり。ようやく本格的に涼しくなってくるのかな。わたしはもういっきにクリスマスになるとほんとにうれしいですが無理ですね、まだまだあります。長い、ほんとに長い。先週は連休があったし、秋分の日もあったので出勤日は4日でしたがそんなことはどっか遠くにぶっ飛びました。土曜出勤明けの一週間はとにかく長い。オバチャンの自分勝手パワー、おしゃべりパワーは今日も炸裂していました。来所者がいるときも大きな声でおしゃべりしていて恥ずかしいったらありゃしない。よほど、うるさい!って言おうかと思いましたが倍返しされるのもいやなので思いとどまりました。そういうことすると人に失礼だよ!って怒るあんたの方がよっぽど人に失礼な態度をとっています。今日言われたのははわたしじゃなくて正直ベースで話せる女性でしたが、なにもそんな言い方しなくっても、お互い様なんだから、気づかなかった自分もいけなかったってひと言添えれば思いやりあるのに、って思うようなことを言っていました。自分だって間違えることあるんだから、人に迷惑かけていることあるんだから自分の振る舞いを反省しろよ!って、ほんとのオバチャンにこんなこと通じないんでしょうね。わたしもまあ年齢的にはオバチャンですが、わたしと同じ年齢みたいですがほんとのオバチャンパワーおそるべし。女性はほんとにもうやめようかって考えてしまうって言っていました。彼女がもしやめるならわたしもいられないなあ。あと三か月なんですけどね、長い・・・。ドタバタといきあたりばったりで、やり方がかわったことを公式に朝礼で伝えられず、情報があっちの人こっちの人から断片的に入ってくることが多いのでわかわからんです。非常にやりにくいです。人によってやり方違ってるし、はあーっ、まったく。それでもってオバチャンの自分勝手に振り回され、もう一人のボスザルになっているきっつい言い方する女性も自分の非は認めない、そんな言い方しなくっても、っていうきつい言い方を人に対してします。まあ色々と教えてもらってきてはいますが、わたし一昨日男性に怒ったこと、認識に誤りがあったのだから謝るべきだと思いますが絶対にそんなことはしません。あー、もう逃げ場のない狭い場所で、そんなこんなのそれぞれの自分勝手パワーにあたられてうんざり、げっそりな。もう吐きそうです。来週はまた土曜出勤になるので金曜日がわたしの土曜日+水曜日のお昼が11時30分から。あとの4日は13時30分から。そこまで見ないで決められていて勘弁してくれよって感じですが変更してくださいっていうのも面倒くさい。わたしが変更してもらえば他の誰かが13時30分からに変更になるわけでなに言われるかわかったもんじゃないのでガマンするしかないのですが、限りある人生の時間。もう半分以上終わっています。こんなガマン、ガマンで時間が過ぎていくの哀しいです。なんだかなあ・・・。これからどうしよう・・・。



 写真は秋のプリンス・エドワード島。ハローウィーンパーティです。

残念ながら木曜日・・・

2016年09月29日 22時40分27秒 | 日記
 長い長い一週間、終わった時は金曜日のような感覚におちいってしまいましたが残念ながらまだ木曜日。ほんとに長い。今日は梅芸エリザの前楽なので帰宅すると、ツィッターをあれやこれやと読んで息抜き。もちろん清史郎君のさわやかな笑顔や可愛い笑顔の画像も・・・。ささやかな楽しみ。こうして少しばかりでもゆるりとしていると昼間のことが悪い夢のなかにいるように思えます。今日も自分勝手オバチャンのパワー炸裂で、わたし、怒りの感情がいくらかにじみ出ているかもしれません。間違えたり抜けたりすることがあるのはお互い様。自分だってミスしているんだし、誰が間違えたから、間違えた人が悪いとか、そういうことじゃないのに責任者から指摘があるとまずは例によって「誰がやったの???!!!」。犯人を特定してつるし上げようとするオバチャン。誰もがはじめての慣れないことの連続。じゃあ修正しあましょうって声かけあっているのに、オバチャンは「誰がやったの???!!!」。自分じゃないとわたしじゃありません、わたしは間違えていませんっていうことを言いたいのか。言いたいんだろうなあ。言いたげな顔していました。今日はわたしが5月にやったことで間違えたしまっていたことがあって、いや間違えていたかどうかわからないこともあって、それをわたしにたいして、「あんたのミスをわたしは見つけたよ、あんたが間違えたんでしょ」って言いたくてたまらないような顔をしていました。あとから考えたらとりなしていた人は気疲れしたんでしょうね。その人にはわたし、明確に自分が間違えていたらしいことで手間かけたので「申し訳ありませんでした」って一言いいました。とりなしてくれていたあとでも「すいませんでした、よろしくお願いします」って言いました。でもわたしだけが悪いとかそういうことじゃないんですよね、ほんとに。5月ごろはまだわたしも慣れていなくて色々とわかっていませんでしたが他の人もみんなそう。まだ決まりごとのない、はじめてだらけのことをドタバタとあーでもないこーでもないって言いながらやっていたのでみんな慣れていなかったし、わかっていなかった。わたしが一人で完結させたことではなくて他の人たちと一緒にあーでもないこーでもないと言いながらやった結果の書類。見返しているとわたしだけじゃなくて、他の人もみんな抜けたり間違えたりしているし、色々と不具合に振り回されながらなんとかやった結果の書類。誰のせいでもない、誰が悪いのでもない。でもオバチャンはどうしても犯人を特定してつるしあげないと気が済まないみたいだし、わたしは他の人たちよりも一か月遅れのぺーこなのでわたしが悪者になって、申し訳ありませんって謝るしかない。ほんとここではわたし仕事できないぺいぺいのぺーこ。他の人たちがみんなそれほどできているとは今は思いませんけどね。あとから入ったので、最初の数か月は、他の人たちがすごくできているようにみえて、ほんとに自分だけがなんにもわかっていない疎外感でつらかったです。二年間のブランク。ずたずたのすりへりからのやりなおしでつらかったです。こうしてやっているだけでもえらいもんだって自分で思います。どっかに勤めて給料をもらうという意味での「働く」。いいことないですね。気力が失せます。こんなのあと三か月も続くのか。持ちこたえられるのか。明日がクリスマスでいいです、わたし。こんな付け焼刃の寄せ集めチームの仕事、二度とまっぴらごめん。求人内容と違っています。正直ベースで話せる女性は、こんな人たちと終わったら二度と会いたくない、って言ってました。一日一日、まだまだ長い消化試合。明日も長いです。責任者の女性はお休みだそうなので、オバチャンがまた暴走するでしょう。ほんとおしゃべりやら、小さなことでも大声をあげるやら、うるさい! 図に乗りすぎ! いい加減にしろ!! こういうオバチャンがノーマルなのかあ。どこにでもいるんだろうなあ。わたしにはこれ以上無理・・・。 

 今日も長々とグチ日記となりました。

 写真は、秋のプリンス・エドワード島。レストランのお庭。ぴりっとかぐわしい、10月の朝を思い出します。大切な心のアルバムの一頁。いつかまたこの世を旅している間に訪れたいです。
 

あと三か月ですけどね・・・

2016年09月28日 22時17分45秒 | 日記
 今日は30度越えの暑さぶり返し。また台風がきている?からなのかムシムシします。朝から蒸し暑かったので夏服を着たら就労場所は冷房が効いていて寒かったです。冷房が効くことはもうないと思っていたので読み間違えました。カーディガンもっていって正解でした。まあ、いつも重ね着しているのでたんぽぽは何枚着ているんだ、ってオバチャンたちに笑われてますけどね、アハハハハ・・・。なんかわたし昨日のことで仕事のおそいダメダメ人間っていうことになっているらしくって、あと三か月なんですけどね、その前に無理かもしれません。来年の一月からつなぎでアルバイト希望しますか、っていう質問が今朝の朝礼で責任者からあったので一応手あげておきました。精神保健福祉士の国家試験に合格しているので、もし役に立つようなことがあれば、ということも一応伝えましたが、それが本当に自分にとって幸せなのか、正解はどこにもないのでわかりません。オバチャンの自分勝手パワーにうんざり、げっそりなってて、有給休暇はあと一日だけだし我慢できるところまでやって我慢できなければ、あと三か月を乗り切ることができなくても仕方ないやっていうぐらいの気持ちです。乗り切れなけばアルバイトの紹介もなにもないですけどね、関わり続けていくのがいいのかどうか今の私にはさっぱりわかりません。とにやく休みたいなあ。家賃あるのに何言ってるんだ、って感じですけど・・・。

 昨日わたしが怒られたのは、オバチャンたちが責任者の女性に告げ口するみたいにしてわたしの様子を知らせたからみたいで、正直ベースで話せる女性が怒られたのは責任者の女性ではなくオバチャンだったんだそうです。はあっ、なにそれ?っていう内容+全く同じ雇用形態、同じ立場であって指揮命令をうける覚えはないのに、なにボスザルになって仕切っているんだ、っていう感じです。今朝も朝礼のあとでまた、みなさん聞いてください、こういう時はお互いに声をかけあってこうしましょうって文句言っているのを、わたし、また何自分勝手なこと言ってやがるんだって思いながら半分聞き流していましたが、昨日仕事のおそかったたんぽぽさんがいけないんだっていう意味合いがあったらしくって、はあっ??ってなってます。なんでわたしが悪いことになっているのか、なんでわたしが謝らなければいけないのか、さっぱり意味がわかんないです。

 わたし昨日自分の仕事が格段に遅かったとは思っていないし、なにか間違えたわけでも人に迷惑かけたわけでもない、普通にやるべきことをやったまで。苦情を受けたわけでも何でもないです。たしかにさっさかやってしまう人からするといらっとくるようなペースだったかもしれませんが来所者の身になって考えてみればあんまりたださっさかさっさかさばけばいいというものでもないと思っています。わたし、最後に署名をもらう時来所者が書きやすいように手で紙を抑えているんですよね、なにもせずただ見ているわけではないんですけどね・・・。相手のペースもみているつもりです。誰のためにやっているのかって考えればおのずとそうなると思います。他の人がやってもだいだいこんなペースで、オバチャンがやったらもっと早くさばけたかというと、日頃の仕事ぶりをみていると話し込んじゃったりパニクったりしてわたしよりも時間がかかったんじゃないですかね。

 まったくほんとになんだかなあ、自分だって間違えることや抜かしたりすることあって、黙って人がフォローしていることあるんだからお互い様なのに、自分のことは全部棚にあげて人の小さな間違いや抜けをモーレツにやり玉にあげる自分勝手。ほんとに勘弁してほしい。どういうあたまであんな振る舞いができるのかさっぱりわかりません。今日もなんだかひどかったなあ。やり玉にあげられて言われっぱなしになっているのはわたしと正直ベースで話せる女性ともうひとり男性の三人。なにも言わないで我慢しているから言いやすいんでしょうね。今日の夕方にはわたしをフォローしてくれていたために男性がオバチャンたちから怒られてしまうという場面が続いてしまって申し訳なかったです。なんかね、プライベートでためているストレスのはけ口にされているんじゃないかっていう気もします。少なからず病んでいますよ。わたし20年以上前に働いたカイシャでそういう目にあったことあります。ほんと人は勝手なもので言いやすいところがはけ口になります。もうひとりのきっつい女性ともども、自分がイメージしていることと人がやっていることにずれがあると相手がどう思うかなんておかまいなしに激しい口調で言いたいこと言います。ひとつひとつ大声あげて騒いだりしないで気づいた人がだまってフォローしていけばいいことなのに、あとから気がついたことがあれば当人に伝えればいいだけのことなのに、なんでこういちいち大騒ぎにしてやり玉に挙げてなんでも共有しましょう、ってなるのかわけわかんないです。ほんとに疲れますわ。至らない所があるのはみんな一緒なんだから、人は完璧ではないのだから、人の抜けが目に入るとここぞとばかりに大声挙げるのほんとにやめていただきたい。こんなお母ちゃんの娘だったらほんとにうんざり、こんなお母ちゃん家にいたらほんとにうんざり。

 帰宅途中、涙出そうになりながらわたしの中にある小さな幸せを数えてみました。清史郎君のすがすがしい笑顔の画像をみること、憲史郎君のかわいい笑顔の画像をみること、心のアルバムに刻まれた大好きなミュージカルの舞台、プリンス・エドワード島の高い空、高い空、モンゴメリさんが暮らした家の跡の風の音、輝くように水面が揺れる入り江、橙色の陽が沈んでいくキャベンディッシュ・ビーチのサンセットなどなどたくさんの旅の思い出の風景・・・。わたしの心の引き出しにはたくさんのちいさな幸せがつまっているからこうしてなんとかやっていられるんだろうなって思います。好きなものがたくさんあるから、やりたと思うこともたくさんあるからこうしてなんとかやっていられるんだろうなって思います。

 あと2日で10月なり。ほんとに長い・・・。

 写真はモンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡の庭。プリンス・エドワード島への旅日記で紹介しています。



いやされています

2016年09月27日 22時19分25秒 | 日記
 日曜の夜、就労場所の人たちが夢に出てきてしまって浅い眠りのまま、月曜の朝無駄に早く目覚めてしまいました。月曜の夜(つまり昨日)、9時ごろ上の部屋から何やら叩くようなすごい音が聞こえはじめ、結局夜中のたぶん1時過ぎまで大きな物音は続きました。わたしたぶん2時ごろまで眠ることができず4時間ほどの睡眠のまま無駄に少し早く目がさめてしまい、かなり眠いまま出勤せざるを得ませんでした。出勤を控えていると頭が緊張してしまってゆるりと眠ることができません。この夜中まで続いた大きな物音。お昼休みに管理組合に電話を入れたら、たぶんベッドを組み立てる音だったのではないかとのこと。(今朝その残骸がごみにだされていたそうなので・・・)。そういう時はすぐに言いに行ってください、って管理組合に言われました。女性ですか?とたずねたら、男性とのこと。夜中の1時にパジャマ姿でコンタクトレンズも外しているわたしが男性の部屋に「うるさいです」って言いに行けるはずがありません。もし言ったとしたらどんな嫌がらせをされるようになるかわかったものではないのでこわいです。だから管理組合に電話したのに。管理組合から注意してもらったとしても、どんな人が住んでいるのかわからないのでいやがらせをされるリスクがあることにはかわりないですけどね・・・。そんなわけで蒸し暑い残暑の一日、睡眠不足のまま、忙しくはなかったですがやや久しぶりによかれと思って対応したことで、責任者の女性から納得できない、いやーな怒られ方をされる羽目になりました。なんでわざわざそんな言い方をするんだろうっていう例のすっごい嫌な言い方、そういうことではありませんって言いたくなるいやな言い方。正直ベースで話すことができる女性も同じようにいやな怒られ方をされる羽目になってしまったそうで帰り際、勝手だよねってかなり怒っていました。お互い、明日気持ちを切り替えられていいですが・・・。

 そんなこんなで気持ちがどろんとしていたところへ、帰ってきてネットを開くと久しぶりに清史郎君と平方さんのうれしいツーショット写真。清史郎君、「スィート・チャリティ」観劇したんですね。2012年のエリザで共演して以来仲良しの兄と弟のような二人。平方さんの舞台を欠かさず観劇している清史郎君、平方さんがそれだけ慕われる方ということでしょうかね。清史郎君お目当てで久しぶりに観劇したエリザで平方さんという素敵な俳優さんの存在を知ることができました。この頃平方さんのブログには清史郎君がたびたび登場していたことを思い出しました。すっかりなつかしい思い出となりました。

観劇ブログに載せていると思いますが2012年「エリザベート」の平方さんルドルフと岡田さんフランツ(公式HPから転用しています。)



2012年「エリザベート」、帝劇初日前記者会見の春野さんエリザベートと子ルドルフ清史郎君。(公式HPから転用しています。)



春野さんは今年の8月に双子のお子さんを出産されました。時の移ろいを感じないではいられません。なんだか2012年エリザがすごくなつかしくなりました。

遠くない将来、平方さんと清史郎君がまた同じ舞台に立つ日がくるといいな。
清史郎君が苦悩の皇太子ルドルフを演じる日がくるといいな。
ささやかな楽しみ。
来年の「レディ・べス」の平方さんフェリペ皇子も楽しみ。

トップの写真は平方さんのツィッターよりお借りしてしまいました。



暑さぶり返し・・・

2016年09月26日 22時51分12秒 | 日記
 長い一週間が始まってしまいました。今日はまだ月曜日なり。長いなあ、ほんとに。真夏と歯違いますが、昼間は30度ぐらいまであがって暑さぶり返し。空調がよめないので難しい季節の変わり目。半袖では寒いので袖丈のあるものを着て結果的に汗だくになったりしていますが、真夏と同じものを着るのは無理なので仕方ないかな。もう少しのがまん、がまん。秋はもうきています。夜は虫の音。

 今日は前職のカイシャでもらった海外土産を二つをごみに出しました。ひとつはわたしをモノ扱いし使い捨てにしたM部長殿の土産でディールのロゴが入ったアクセサリー。もうひとつはM部長殿がわたしを使い捨てにする手先となったU課長殿のアメリカ土産で、日本で言えばキーホルダーのようなもの(名称がわかりません。これもらってから二年前まではトランクのキーをつけて使っていました。)ディオールのロゴが入ったもの、少しは値がついて売れるのかしらなどと思っているうちに日が過ぎてしまいました。これ以上持っていてもいやな気持ちをひきずるばかりでよくないので、ようやくごみに出しました。少しすっきり・・・かな・・・?! まだもやもやしていますね、わたし。気持ちの区切りのつけ方がわかりません。少しずつ、少しずつ記憶が薄れて過去として遠ざかっていくのを待つとしましょうか。

 なんだかね、自分は自分さ、って思います。人と比べて自分の足りないところを言い始めたらないない尽くしでどうしようもない。人と比べたって仕方ない。自分は自分さ、って思います。ただそう言い切るには自分で暮らしを立てていけるだけの収入が必要です。自分で暮らしを立てていくことができなければそう言い切ることはできません。あと三か月でまた無職の、無収入。わたしはこれからなにをすべきなのか、かぎりある人生の時間のなかでなにができるのか、これからどこでどうやって生きていけばいいのか。今はなにも考えることができず、断捨離を続けるばかり。もう少し、古いモノとお別れしたところで考えたい。今は高校生の頃の思い出とお別れしています。いろんな過去とのお別れの時はもう少し続いていきます。

 明日はまだ火曜日なり・・・。

 写真は秋のプリンス・エドワード島。ビクトリアのB&Bのハロウィーン。シーズンオフでクローズでもこうして楽しませてくれています。



 

ささやかな楽しみ・・・

2016年09月25日 22時31分47秒 | 日記
 先週は4日間しか出勤していないですが、今日だけの休みで明日から5日間出勤しなければならないという事実の前にはそんなことはぶっとんでいて、とにもかくにも長い一週間が始まるのかと思うとぞっとしています。本屋さんの中をぶらぶら歩いていると、最近はカイシャで働くだけが仕事ではないといった類の本、いくつも出ているんですね。まあわたしが今働いているのはカイシャではありませんが、カイシャとどっちがマシなのやらよくわかんなくなっています。こんなことがまだあと6回も・・・。今はただ早く12月28日を迎えたいばかりです。明日がクリスマスでいいです、ほんとに。

 就労時間だけはやたらと長くて長くてうんざりなので、楽しいことをできるだけ考えたい。清史郎君のブログを開いてみるとお写真が盛りだくさんの記事でしばし楽しくなりました。

加藤清史郎オフィシャルブログ、09月25日『クノールカップスープ』CM
http://ameblo.jp/kato-seishiro/entry-12203437542.html

 記事のタイトルはこうなっていますが、内容は梅田芸術劇場で『エリザベート』を観劇、兄妹弟の三人でUSJに遊びに行った写真など盛りだくさん。ファン大サービスな内容でうれしい限り。憲ちゃんルドルフが梅芸初日を迎えたのが21日の夜の部なので、写真は22日、23日あたりかな?? 智恵理ちゃん、昨年末『スクルージ』で憲ちゃんと出演していました。女性らしくという言葉はあまり使いたくないのですが、雰囲気がぐっと女性らしくなってきました。美人さんね。憲ちゃんルド、帝劇4回観劇して会えませんでしたが、観劇された方のツィッターをあれこれ拝読していると、ハスキーな声がお兄ちゃんにそっくり、トートに食べられちゃいそうなぐらい小さくてかわいい、いたいけな少年感が半端じゃないなどのご感想。2012年に観劇した清史郎君の少年ルドルフを思い出しながら、憲ちゃんルドルフの姿を想像しています。清史郎君は少年ルドルフを演じてぐっと歌唱力と舞台役者としての力量があがったと思います。すごいメンバーに囲まれた重厚な舞台で本来もっている力が引き伸ばされていったと思います。これからもっともっといい、俳優、ミュージカル役者になっていってほしい。憲ちゃんも今はエリザのむずかしいナンバーを歌うのにはもう少しがんばろう状態みたいですが、これから成長していくことを期待。いつかではなく、何年か先に兄妹弟で同じ舞台に立つ、あるいは兄弟でダブルキャストを演じる日が訪れるのではないかと一人妄想しています。わたしのささやかな楽しみのひとつです。


 ちなみにたーたん(香寿たつきさん)の7月26日のブログに憲ちゃんとのツーショット写真。可愛いですね。『スクルージ』では親子でした。
http://ameblo.jp/tatsuki-kohju/entry-12184347595.html


 息抜きのこんな記事ないとやっていられない毎日。




 

旅の思い出_ロマンティック街道_ヴュルツブルク_マリエンベルク要塞

2016年09月25日 16時36分41秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 久しぶりの晴れ間、一日だけの休日、わたし自身のための、記憶が薄れてきている旅の振り返り。

 2007年10月21日(日)、旅の二日目、午前中ライン川クルーズを楽しみ、午後バスでロマンティック街道の出発点ヴォルツブルクへ。2時間ほど徒歩で観光。マリエンベルク要塞を訪れました。

「マリエンベルク要塞 Festung Marienberg

 1253-1719年まで、歴代ヴュルツブルク大司教の居城となっていた。城壁で守り固めてあり、要塞兼居城としてかなり堅固で複雑な構造になっている。

 アルテ・マイン橋から、ザールガッセを渡って右に行くと、細い階段の路地が延びている。途中から左に曲がり上って行くとノイトーアNeutorという門に着く。ここが外側の要塞の入口門で、さらに上るとようやく2番目の城壁内に入る。マイン川対岸に旧市街を見下ろしながら、3番目の城壁と建物に取り囲まれた本城へと回っていこう。要塞のすぐ外側、マイン川に面した東側と南側斜面はぶどう畑に利用されている。

 
 本城への入口は、シェレンベルク門Scherenbergtorで、広い中庭には、深さ104mの井戸Tiefer Brunnenと、1200年ごろに築かれたベルクフリート(主塔)Bergfried,706年創立のマリエン教会Marienkircheがある。」

(『地球の歩き方-南ドイツ ’07-’08』より。)

 10月といってもヨーロッパは日本の12月ぐらいの気温。冷たい空気の中を歩いたと思います。『地球の歩き方』にマリエンベルク要塞へ上る急斜面はかなりハードだと書かれています。Wikipediaをみると長い石の坂の画像があります。わたしここを上ったはず。


マリエンベルク要塞の入口



ヴュルツブルクの高台に鎮座するマリエンベルク要塞

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上記2枚の写真は、南ドイツ観光案内サイトよりお借りしました。
http://south-germany.jp/ac/2013/08/post-248.html


 国内の旅、英語圏への旅、いつも自分で予定を決めて宿や移動手段を確保しての一人旅。ツアー旅行への一人参加は不安でした。すぐ人に溶け込むことができないし、自分だけ浮いてしまったらいやだなって。案の定一人参加はわたしだけでしたが何気ない心遣いで声をかけてもらえることが多く、疎外感を感じることはほとんどなくすみました。ツアー旅行、あちらへこちらへと連れて行ってもらえるので正直観光名所のことってあまり覚えていません。移動の途中、バスの中からみた景色や何気ない街の風景などが、なんとなくふっと思い出されます。

 正直、この旅。どこでもよかったというわけではありませんが、行き先よりもとにかく遠くに飛び立ちたいという想いでした。ストレスため込みながら二人分労働をせざるを得なかった日々。オレ達海外出張に行くからあとのことはよろしくね、って言われて、ストレスをため込みながらひとりぼっちで大変な思いをしながらカイシャで留守番していた自分が時にはたまらなくみじめに思えてどうしようもなく、思いっきり遠くへ飛び立ちたかったです。2007年1月末、精神保健福祉士の国家試験受験。3月に合格発表。有給休暇を使い果たしてしまったのでその年の9月まで一日も休むことなくカレンダー通りに出勤して二人分労働。10月1日付でようやくまた有給休暇が発生。9月の中間決算の整理がついた10月後半、ようやく9日間連続の休日をゲットし、遠くへと飛び立ちました。休暇に入る前日はカイシャに一人で10時過ぎまで(夜ですよ)残ってもろもろ段取りをつけ、やっていることが多すぎたのできりがなく、お隣の部署の社員の女性にお願い事項をメールで送信、部署内のメーリングリストに休暇をとる旨送信して、ようやくパソコンを落とすと机の上に「たんぽぽは10月20日から28日まで休みます」と張り紙して消灯、退社。空港へトランクまでも大変だったので、ほんとうに、やっと、やっとでした。だからフランクフルトの空港から、ドイツが輝くような黄葉でわたしを迎えてくれたときはほんとうにうれしかったです。ヤッター、晴れ女パワー。到着日の夕方、黄葉の絨毯に包まれた公園をひとり散歩した時は、いいようのない幸せ感に満たされていました。その時間を忘れることはありません。

 この頃、モンゴメリさんの最期が自死だったと知り、妹のことがあるので『赤毛のアン』を封印しました。だからプリンス・エドワード島に旅するという発想はこの時はありませんでした。結果的に、『エリザベート』を観劇したり、昨今の世界ニュースをみるにつけ、こうして一度はドイツ語圏に行っておいてよかったと思います。安くはないお金と時間をかけて、その場に行かないとわからない空気を体感することは大切ですね。

 書き始めると止まらないので、また長文になってしまいました。


雨の週末、土曜日なり・・・

2016年09月24日 22時39分06秒 | 日記
 週末、土曜日。なんとか無事に一日が終わりました。今日も朝から雨でした。外に出ると風が涼しく感じるのに、中はムシムシ。地下にいると暑くって、重ね着していると汗臭くなっちゃっていやですね。わたしの土曜日は水曜日だったので、残念ですが明日一日だけのお休みで月曜日から金曜日までフル出勤。長いなあ、つらいなあ。来週のシフト表もらいましたが、火曜日と水曜日のお昼休憩が13時30分からになっているし、はあっ!こんな土曜日はまだあと六回もあるんですよね。今日で一回減りました。残りの稼働日数が減りました。グチっている場合か、次のことを考えろよ、って感じですがすり減ってすり減ってズタズタになり気力を消耗し尽くしたところからここまで回復してきたわたしには、そこまでの気力がわきません。どうすればいいのか・・・。ほんとにわからないまま、時は過ぎていきます。たぶん失業保険を受けとるのはきびしいです。ハ〇〇ワークに確認しなければ・・・ですが今は気力がわかないなあ。マンションの契約を更新することなく実家に引き上げるか否かという決断は大きすぎて今のわたしにはできないのですが、さりとてこれからも家賃も含めた収入を確保していくのはむずかしいだろうなあ。毎日毎日雨だし、いやなニュースばっかりだし、なんだか気持ちはあがりません。雇われるために書類を準備して面接を受けて、というプロセスをまた繰り返すことはいまのわたしにはできそうにないです。なんだかね、罪を犯したわけでもないのに、罪を犯した人みたいに労働紛争になってしまったこと正直に話せないのもつらいです。必死に隠さなければならないのつらいです。でもこうして話せないことを抱えながら生きている方が、なんだか生きているっていう醍醐味があるのかな。なんかちょっとヘンな言い方ですが・・・。


「僕の経験を振り返ると、「この人は素敵な人だな」と思う人に共通して言えることがあります。それは、「秘密の抱え方が上手」だということ。つまり、「自分の言うべきこと」と「言わないでおくべきこと」の区別がきちんとできている人のことです。そういう人は、たいてい寡黙で、必要以上にしゃべらない。そして、いろいろなことを言わないで済ませていることが、すごく多い気がします。

 この寡黙さは、大人になる過程で徐々に身につけていくものだと思います。逆に、子どもは、自分が思っていることを全部さらけだしてしゃべってしまう無邪気な存在です。しかし、無邪気だった子どもも成長するにしたがって、次第に無口になっていきます。それは、アン・シャーリーとて例外ではありません。

 自分が思ったことは何でも口にしていたアンも、やがて秘めた思いをもつ女性へと変わっていく。アンが抱える最大の秘密は、ギルバートへの思いでした。しかし、その思いをアンは封印します。親友のダイアナに対してさえ、ギルバートの名前を口に出すことをしなくなる。

 少女が大人になるということは、秘密を抱えることなのだと思います。大人になるための身体の変化やそれに伴う心の変化など、さまざまなことがあって、秘密を抱えるようになり、寡黙になっていく。

 逆に、大人になっても秘密を抱えることができない人は、子供のまま成熟していないか、もしくは「おばさん」化していると言えます。ここでいうおばさんの定義とは、見た目のことではありません。メンタリティにおいて「おばさん」でることを指しています。

 「おばさん」と魅力的な女性との違いはどこにあるのかと言うと、自分の中の秘密をどう処理するか、ということではないでしょうか。たとえば、「おばさん」は、自分の中にある無意識を垂れ流しにします。言葉に対するコントロールが非常にゆるくなっていて、自分が思ったことをどんどんしゃべる。かつて秘密であったことまでしゃべってしまう。「おばさん」が無意識を垂れ流しにするのは、自分の言ったことが相手にどういう影響を与えるか、ということについて、全く注意を払っていないからです。

  ところが、魅力的な女性は、自分のひと言ひと言が、いかに重い意味を持つかわかっているので常に発言に気をつけています。(略)

 自分が何の気なしに発言したひと言で、自分が思った以上の反応が返ってくる。それは、嬉しいことであると同時に、恐ろしいことでもあります。嬉しいことは、自分のひと言ひと言に周りが感心したり、賞賛したり、気をつかってくれたりすること。反対に、恐ろしいことは、自分の発言が変に解釈されたり中傷されたり、誤解を招き非難されたりすることです。

 そして、どちらかというと、恐ろしい目にあうことのほうが多いように思います。人に対して何を言って、何を言わないか、を判断する基準は、「聖なる峻別」といってもいいくらい慎重にすべきものなのだと思います。」

(茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』講談社文庫、2008年12月12日第一刷発行、136-139頁より。)

 わたしは過去になんどか恐ろしい目にあっているので、特に就労の場では余計なことは言わないようにしています。それでも気がついたら、あらぬ誤解を受けて突然いじめられるようになった、なんてこと何度かあります。言葉を選んで話すことって大切だと思いますが、茂木さんが書かれている、「「おばさん」は言葉に対するコントロールがゆるくなっている」はなるほど、そういうことなのか、と溜飲が落ちるような思いです。相手がどう思うかなんて全くおかまいなし、しゃべり始めたらとまらない、いわゆる「おばさん」のおしゃべりパワーはどっから出てくるのか、朝から夕方まで声がうるさいし、面倒くさいし、内輪だけならまだしも外から来所者に対しても話し始めたら止まらなくなっていることがあるので、恥ずかしいしほんとに勘弁してほしい。自分勝手なことに全く気づいていないの、勘弁してほしい。少しは自分が言っていることを振り返ってみろよ、いい加減にしろよ、って心の中で思っていますが、人がどう思うかなんて全くおかまいなしの自分勝手。こういう人ともうまくやれないといけないのか。主婦同士。うまく合わせている人は合わせているんですよね。さすがうまいなあって思います。うまくやれないわたしはこういう「おばさん」が五人も六人もいそうなところで働くのはとうてい無理。もう少し落ち着いてきたら、ほんとうにお休みしたいなあ。わたし、たぶん父とのお別れから今まで、プリンス・エドワード島を旅した時をのぞけば、ミュージカルを観劇している時をのぞけば、いつも不安で落ち着かなくって心からお休みできていないと思います。心からお休みしたいな。明日は一日だけの、またひきこもりの休日を過ごします。長いっ!

「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木健一郎
講談社

雨の木曜日なり・・・?!

2016年09月23日 22時35分15秒 | 日記
 昨日は長い記事を二回も投稿しました。読んでくださった方、ありがとうございます。昨日は久しぶりにゆっくりだらだらと眠ることができました。一昨日夜更かしはしなかったですが、9時半ぐらいまで起き上がることができませんでした。出勤日は緊張のせいか2-3時間で目がおトイレにいきたくなって目がさめるとすぐにはねつけなかったり、無駄に早めに目がさめてしまったりするのでこうやって眠れるの、嬉しいです。昨日は若松英輔さんの、新刊本を記念した講演会が青山であったのですが迷った末行きませんでした。夕方18時開始は翌日、つまり今日のことを考えると躊躇、渋谷駅の大混雑も躊躇。「生きていくうえでかけがえのないこと」。読みたいですが今はまだ新しい本を購入するタイミングではなく、まずは断捨離をもう少し進めたいです。人生の棚卸、進んできてはいますが、まだまだあるんですよね。デジタルに頼りながらもう少し進めたいです。モノを減らしていくにはデジタル化しかないので、休日のひきこもり生活は続きますが、もう少しがんばりたいです。こんなこともあんなこともやってきた自分。気がついたら、引き出しがけっこうあるんだなあと思います。希少な体験をいくつもしています。今まで積み上げてきた引き出しを糧になにかやることはできないのかなあ。やれることはできないのかなあ。そんなことを漠然と思うばかりです。

 職場でも今日も空き時間は今のことよりも、次の仕事どうしよう、ないよね、っていう話題になりました。あと三か月余りというゴールがみえてきたので、誰もが次の収入の手段で迷っています。仕事はあるはずなのに、若い人でもなかなか仕事はみつからないというこのご時世。誰が仕事にありついているんでしょうかね。募集があるのは時給の安い接客業ばかり。なんだかね今までのやり方とか今までの職業とか今までの会社とかではない、なにかが必要な時のような気がしますがわかりません。きれいごとでごはんを食べていくことはできませんが、12月のはじめにはマンションの契約更新ありますが、すり減ってすり減ってどうしようもないところからここまで回復してきたわたしは具体的になんにも考えることができません。今はまだ棚卸をしたいばかり。少しずつ整理がついてきつつはありますが、もう少し整理がつかないと、古いモノとお別れしていかないと新しいことが始められそうにありません。ほんとまだまだあるんです。

 今日は金曜日ですが、わたしの土曜日は水曜日だったので明日は金曜日。とってもヘンな感じです。それでもって一日だけ開けて来週は月曜日から金曜日までのフル勤務になるのでまた曜日の感覚がおかしくなります。こんなのあと七回。今はとにかく早く終わりたいばかりです。毎日毎日雨で洗濯物がかわきません。明日はいつもお昼に行っているお店が休みですが、雨降りでは公園でお弁当を食べることができず、お昼をどうすればいいのかわかりません。中にいると休んだ気がしないので必ず外に出たいですが行くところがありません。どうしよう・・・。明日は降水確率50パーセント。ムシムシしますね。早く無事に夕方になりますようにと願いながら、イケメン清史郎君のお写真と共に徒然日記でした。


父とのお別れのあと

2016年09月22日 20時16分04秒 | 祈り
 父危篤の知らせから一週間、母のこともあり一週間実家に滞在したのもきついことでした。自分にとって生活の拠点ではない場所で、しばし心を慰めてくれる身近なものをなにも持たないままだったのできついことでした。叫びだしたくなるような心持ちでした。父とのお別れのあと、冷静に振り返ってみると試練の時が繰り返しわたしに訪れました。父との突然のお別れで、自分を守ってくれていた大きな柱がなくなってしまったような不安、登録型派遣社員として細切れ契約更新を繰り返しながら同じカイシャで働き続けていることへの不安とストレスはピークに達していました。生活の基盤をいつ失うかもしれない不安と背中合わせの生活の中で、父亡き後の諸々の手続き、母が統合失調症であること、母の病気を受け入れることができなかった自分は母と一緒に暮すことはできず弟に世話をまかせることになったことへの後ろめたさのようなもの・・・、諸々が折り重なって、カイシャでもプライベートでもわけわからなくなり、時には自分勝手になっていたところもあったように思います。母のことを大きく誤解していたとわかったのは母とのお別れのあとでした。


 なんども同じことを書いているように思いますが、2010年9月父とのお別れ、2011年3月東日本大震災、2012年2月母とのお別れ、2014年3月カイシャからリストラ同然に使い捨てられる。その後カイシャに損害賠償を求めたら労働紛争となってしまい2015年3月ハケン会社にわずかな示談金を支払わせるかたちで労働紛争は終結。カイシャについた悪玉弁護士との闘いでズタズタにすり減ってすり減って、社会への怒りと悔しさのマグマを噴火させながら、気力が失せてどうにもならず、ただただ泣きながら社会から孤立する日々は今年の1月まで続きました。労働紛争の経緯はもうひとつのブログに書いています。黒を白というためなら権力をふりかざして、社会的弱者を攻撃し貶めるのがカイシャについた弁護士のお仕事でした。法律で人の心は救われないのだと学びました。

 これでもかこれでもかと試練の連続。現在の就労先から繰り上げ採用されたことが正解がどうかわかりませんがあくまでも臨時なので、今年末をもってまた社会から孤立することになります。就労を開始したら試練が待ち受け、終わればまた試練の時。求人がないわけではないですが、時給の安い接客業ばかり。人がおそろしいので接客はもうやりたくない。接客業のつもりじゃなかったのに、ふたをあけてみたら接客業。いつどこからどんなクレームがつくかわからないのがおそろしいです。社会が劣化していることを感じざるを得ない毎日を送っています。さてこれからどうするのか。12月初めのマンションの契約更新の書類が早々に不動産屋から届きました。どうすればいいのか自分でもわかりません。福祉職の求人の窓口で、あなたの壮絶な体験の数々を理解できる福祉職はまずいないだろう、って言われたことあります。どうしましょうかね。

 たぶんわたしをずっと支え続けてきたのは妹の分まで生きたいという思い。ただそれだけ。

 安心して話せるハケン仲間はすでにカイシャを去り、ひとりぼっちのランチタイム。手帳に書かずにはいられませんでした。

「2010年9月28日(火)、雨

 こうして会社にいると全てが悪夢だったように、夢をみていたかのように思える。夜になると淋しさがきてなかなか実感として受け容れられない。色々と思い出して、声がきこえてくるようで・・・。母のことも気がかりだし、でもあんまり気にしていると自分の気がふれそうだし、疲れが目にきていてチカチカして辛い。蓄積された疲れがきているのがわかって辛い。二人分働き続けなければならなかった疲れもきている。

 2010年9月29日(水)、晴

 夜になると色々な思いがこみあげてきてしまってすごくきつい。目の疲労と老眼が進んでいることでチカチカして見づらいし、ずっと1.5人分か2人分かわからないが働き続けてきた疲れと喪失感、さびしさ、母のこと、妹のこと、色々に重なりあって狂おしく、体がおもく、疲れがどっと押し寄せているのがわかる。本当はわあーっと叫びたい。もうヤダーッ!!


 2010年9月30日(木)、雨

 なんだかんだで時がすぎていく。家から母から物理的に離れることでなんとか自分を取り戻しつつある。会社の疲労とストレスが忘れさせてくれる。たぶんほんとはすごく疲れている。目がチカチカ。ずっしりと体がおもい。お金節約しないとなあ。かかりすぎている。


 2010年10月1日(金)、くもり

 ハードのコンタクトレンズが目の中で突然行方不明になり、カイシャの近くの眼科へ。

 今朝も起きあがれなかった。疲れが本当に相当つもっているのがわかる。母のことを、全てを忘れたい。心の中は大変だ。忙しいことが今の私には幸い。カッと暑くなってくさいビショビショの汗が出るのは辛いが、すごしやすい季節になった。


 2010年10月3日(日)、

 教会でエンカウンターグループ。その後カウンセラーのY先生はお疲れのようだったので、一人でスパに行った。父のこと、家のこと、落ち着いて話せなかった。まだまだ自分の中できついんだということをあらためて確認した。今私にできることを精一杯やっている。書類から父を消していきながら、受け容れていかなければならない。


 2010年10月4日(月)、くもり

 朝起きる時体中がおもい。葬儀の疲れは仕事によって解消されたが、心身共に全身できついと思う。眠い。すごく眠い。何も考えず、何も恐ろしいこともなく、眠りたいなあ、ゆるやかに。会社にいると何事もなかったかのように思える。でも現実はそうじゃないんだ。きついなあ、すごく・・・。


 2010年10月5日(火)、秋晴

 体がおもい。手紙や葉書を書く気力はない。やっぱりきついんだと思う。喪中なんだよね。実感ないけど、色々考えてるときつくなる。おもくなる。ひょうひょうと淡々とやっていきたい。今はハケン会社も人のこともどうでもいい。私のやるべきことを粛々と進めていくだけだ。


 2010年10月6日(水)、秋晴」


 またまた長文失礼しました。きりがなく、今日はここまでにしておきます。明日と明後日は出勤。明日のお昼休憩は13時30分から。体のリズムがおかしくなります。ぞっ!!