週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#208 -’24. 靖国神社を参拝して

2024年08月25日 10時15分00秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

何度もお邪魔しているのに、真の参拝は今回が初めてです。

靖国神社で頂いた東京五社のごあんないのリーフレットからの抜粋です。

あわせて、東京五社

神社におまいりし、

手をあわせる時間。

それは、神様に見守られながら、

誰のものでもない、

あなただけの願いや想いを

言葉にするときです。

清らかな空間の中、

心静かに自分と向き合い日々の感謝と仕合わせを

祈りましょう。

心の内なる信仰も信念も、一切他人に侵される事の無い権利である事を強く感じる最近です。世界の世論が余りにも過激に二極化して闘争を繰り広げる現代。どこか可笑しさすら感じる自分の心。ある意味、朝日新聞などの左翼思想のプロパガンダから解放されたのかもと感じる。

1 とある専門のクリニックの診察を終えたのちにバスに乗って靖国神社にお参りに伺う事にしました。お参りを終えてから拝殿の直ぐ隣の参集殿脇で御朱印を頂きました。御朱印帳を持参していませんでしたから購入しました。

2 奉拝して頂いた簡素ですが力強く貴賓のある靖国神社の御朱印です。

3 この時期に特別に配布されている御朱印も頂きました。

漉いた和紙に金糸で16花弁の菊と中央に桜が刺繍されています。

3-2 こちらはその社章と言うべきなのはわかりませんが、HPから画像を借用します。勿論、16弁の菊と中央に桜の花が飾られています。

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#206 -’24. 靖国神社に参拝し

2024年08月23日 21時51分09秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

都バスに乗って九段上で降りて靖国神社に向かいまいました。

今回は被写体を気にせずにスナップ的にスマホで撮影しました。

前回撮影した靖国神社その一は#107-'23. とその二#113 -’23です。

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3 九段下方面を望んで。左手の所に社号標がたっています。不届きものの中国人が・・。

4 拝殿の方向です。

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7 さくら陶板です。1都1道2府43県のさくら陶版がある筈ですが、右から千葉県、東京都、神奈川県と並んでいる所を撮りました。

8 ノシランです。

9 戦跡の石です。太平洋戦争で戦地となった悲しい南方の島々の石です。戦地に赴き遺骨の収集を行っても行いきれません。遺骨と思い日本に帰ってきたのかも。

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11 大村益次郎の銅像です。

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13 暑さを和らげるためにミストを噴霧してくれていました。直接当たると少し涼しいです。芸の無いパイプだけではなくデザイン的にも良かったです。

14 暑さを避けて店内でソフトクリームを頂きました。

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17 銅でできた第二鳥居です。

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25 正面から遊就館を撮影しました。重厚な佇まいです。

26 パール博士の顕彰碑の説明がQRコードで聴く事ができます。

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30 遊就館ですが、右手奥のガラス張りの近代的な所が入り口です。遊就館は上野の東博を思い出す佇まいです。設計者は?

31 戦没馬慰霊像などがありその先奥の建物は本殿でお祈りしお祓いをして頂く方の集まる参集殿です。(軍馬も軍犬も鳩も慰霊されているとは知りませんでした。)

32 靖国神社を後にして、どの経路で帰宅するか模索中でした。靖国通りを渡って南側です。

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#203 -’24. 弘法大師 第三番 御詠歌「梵音(ぼんのん)」

2024年08月20日 09時53分36秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

特にこちらの高野山金剛峰寺で頂いた御朱印「第三番御詠歌」が心にのこりました。本来の御朱印も記載しています。

お参りをし 読経をし 写経を奉納すべきですが参拝して御朱印と第三番御詠歌を頂きました。高野山真言宗総本山金剛峯寺のHPはこちらです。お参りした時のスレッドはこちらこちらです。

御朱印を頂いた時にこちらの小さな紙片を頂きました。それには次の通り御朱印帳の思いが述べられていました。

御朱印帳

御朱印には、お参りされた佛さまの功徳を納めたさせていただいております。

御朱印帳は大変神聖なものでございますので、スタンプ帳やノートとは区別頂き、大切にお取り扱いください。 

総本山 金剛峯寺

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2 高野山金剛峰寺で頂いた力強い達筆の御朱印です。御朱印を頂いていつも思う事ですが、達筆だとご利益もありそうに感じるから不思議です。参拝に伺ったのは5月18日です。

3 心に沁み込む弘法大師の第三番 御詠歌 「梵音(ぼんのん)」です。

スレッドにアップするにあたり、縦書き形式で書きたかったですが、横書きである事をご容赦ください。御詠歌ですから、日本の本来の表記方法である縦書きにしたかった。

   阿字の子が 阿字の古里 立ち出でて

        また立ち還る 阿字の古里

 生命の源(みなもと)である大日如来の子どもとして

 仏の世界から生まれ出て、この世で世のため人のための

 仕事をして尊いいのちをまっとうし、また最後には

 仏の世界に還っていくと詠ったもの。

(御詠歌とその意味を期した文は、御朱印と御詠歌を頂いた時に挟んで頂いた物です。)

実に達筆な方が書いて頂いたこちらは御詠歌です。力強い御朱印とこちらの御詠歌はひらがな交じりの文であり、女性的な美しさがにじみ出ています。

4 8月25日追記です。

弘法大師 第三番 御詠歌 「梵音(ぼんのん)」

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#200 -’24. 黄檗宗 大本山 萬福寺を参拝して(その三)

2024年08月14日 17時27分50秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

黄檗宗大本山萬福寺がこれ程、壮大な寺院だとは思ってもいませんでした。それと前にも書きましたが、『禅宗には、坐禅の修行を重んじる仏教の1派のことです。ただし禅宗という宗派はなく、日本においては臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3宗派をまとめて禅宗と呼んでいます。』との事です。萬福寺では二つの御朱印を頂きました。

1  大雄寶殿の御朱印です。

2    布袋尊の御朱印です。

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4     北回廊です。

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7 日本で言うところの大本山の開祖並びに住職の一覧です。開山は隠元禅師です。

8 中和園と呼ばれる庭園です。井戸の手前に球体が載った石がありました。宇宙でも意味しているのでしょうか。

9 黄色の菖蒲です。訪問したのは5月です。

10 鐘楼として別の棟が建てられていますが、こちらは建物間の回廊に合山鐘が吊るされておりました。高さも高くない為か、ぶつからない為の配慮か、下には鬼瓦が飾られていました。

11 開山堂を脇から卍くずしの眺めた勾欄(こうらん)です。次は引用です。

開山堂・法堂正面の勾欄は、卍及び卍くずしの文様になっています。これらはすでに奈良時代の法隆寺などの南都寺院に使われていますが、江戸時代初期にあらためて黄檗を通じてもたらされたものです。

12 寿堂です。

13 隠元大師が祀られている開山堂です。次に開山堂(重文)をHPから引用します。

三門をくぐってすぐ左に曲がると、通玄門という朱色の門があります。それをくぐると氷裂文の石畳(同じ形の石はまったくない)、白壁・卍の勾欄・白砂などが目前に広がり、真正面に開山堂があります。
ここに黄檗開山隠元禅師をお祀りしてあります。

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15 扉に彫られた「桃符」と呼ばれる桃の実形の飾りなど、日本の他の寺院ではあまり見かけないデザインです。こちらは『桃戸』です。

16 唐破風様式の入口の先に進むと松隠堂に続きます。

17 松隠堂まえの庭から撮影しました。

18 奥の開山堂の手前の通玄門から撮影しました。

通玄門 重文 開山堂の正門。この門は重要な結界の一つであるため、円柱となっています。奥深く玄妙なる真理=仏祖の位に通達する門。

19 上部しか見えませんが松隠堂です。檜皮葺の素敵な建物ですが入ってみませんでした。

20 萬福寺境内からの帰路の山門の内側に掛かっていた旃檀林(せんだんりん)の扁額を撮影しました。実はこの扁額が何と書かれているのか解読するのに難儀しました。

21 対照的に配置された建物です。文華殿だと思います。

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#175 -’24. 宝厳院で頂いた御朱印

2024年07月18日 20時14分22秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

昨年お邪魔した宝厳院の御朱印が出てきましたのでアップします。竹細工も沢山施されている素敵な天龍寺の塔頭の宝厳院です。昨年の5月に参拝にお伺いしましたが、宝厳院の特別拝観の記事をアップすることなく素通りしましたので、今回御朱印と共に宝厳院をアップしますす。

宝厳院と言えば「獅子吼(ししく)」のお庭です。

見どころ
嵐山借景 回遊式山水庭園 「獅子吼(ししく)の庭」 公開 /「風河燦燦三三自在」(田村能里子画伯筆) 公開 /当院の庭園「獅子吼の庭」は、室町時代に中国に二度渡った禅僧、策彦周良禅師によって作庭され、嵐山の景観を匠に取り入れた借景回遊式庭園です。その名にある「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味であり庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴く事によって、人生の心理、正道を肌で感じ、心が大変癒する庭です。 (宝厳院のHPから借用で)す。

1 切り絵的な御朱印です。獅子吼(ししく)書かれ令和五年五月十三日です。御朱印帳に貼りつけねば何処かに行ってしまいます。

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5 嵐山借景回遊式庭園です。もう一つの目的の田村能里子画伯による本堂襖絵「風河燦燦三三自在」は撮影禁止で写真を撮る事が出来ませんでした。特別公開されていましたのでHPでお借りしてアップします。

襖絵(当寺院の寺宝、襖絵についてのご案内です。)

障壁画“風河燦燦 三三自在”

本堂の襖絵である「風河燦燦三三自在」は、田村能里子画伯筆の作品です。58枚の襖絵は3室構造にて仕切られております。その襖絵ですが、あまり例がない朱色であり、その朱色は命が宿り燃えている色なのだとか。33人の老若男女が描かれていて、それは、脇仏に同じく観音様が衆生を救うために現世に現れる姿として描かれました。HPから借用です。

屏風“風河燦燦 三三自在

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#171 -’24. 黄檗宗 大本山 萬福寺を参拝して(その二)

2024年07月04日 16時40分55秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

少し間延びしましたが、黄檗宗大本山萬福寺を参拝して、その一に続きです。

仏教自体が中国では人気をはくしていませんが、良き時代の中国の黄檗宗大本山萬福寺です。

1     寿蔵です。

屋根は、宝形造り。頂きに露盤・宝珠を置く。寿蔵は禅師の生前に築造された墳墓です。

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4     線香立ても中国風?

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6    黄檗宗の全国の寺院からの寄付一覧です。一番右の寄付額を見て驚いてしまいました。

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8      大雄寶殿(だいおうほうでん)

萬福寺の本堂に祀られているご本尊の釈迦牟尼仏、両脇は迦葉、阿難の二尊者です。

9  「萬徳尊」の額は、木庵書です。

10    十八羅漢像

従来の十六羅漢に、「慶友尊者」と「賓頭廬尊者」を加えて十八羅漢とした、明代寺院の形式を受け継いでいます。

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13   賓頭廬(びんずる)尊者様です。

14 その一でお腹に顔を入れて写真を撮れる羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)をアップしましたが、こちらは正真正銘の彫り物です。ご覧の通り胸の所に菩薩様が顔出ししています。

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21   尊者様の前に、猫かな?と思ったら虎でした。

22    虎の後ろ側から眺めた他の羅漢像です。

223  法堂

禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所

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31   葵の紋と王冠のベンチがありましたが、いわれは分かりません。

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#167 -’24. 黄檗宗 大本山 萬福寺を参拝して(その一)

2024年06月28日 15時36分08秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

今回は平等院から京阪電鉄の宇治駅に向かい始発電車に乗って黄檗駅に向かいました。個人的には良く知らない萬福寺ですから、期待もそれ程ではありませんでした。しかし、京都府宇治市にある日本三禅宗の一つ黄檗宗の大本山の萬福寺である事を知りました。

HPから一部次に引用させて頂きます。

隠元隆琦禅師は日本からの度重なる招請に応じて、承応3年(1654)、63歳の時に弟子20人他を伴って来朝。のちに禅師の弟子となる妙心寺住持の龍渓禅師や後水尾法皇、そして徳川幕府の崇敬を得て、宇治大和田に約9万坪の寺地を賜り、寛文元年(1661)に禅寺を創建。 したそうです。

正式には『黄檗宗大本山萬福寺』です。

萬福寺と黄檗宗

黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。

当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが幕府の政策等により、明治9年、一宗として独立し「黄檗宗」を公称するようになりました。日本でいう「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。

他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残しているということが挙げられます。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。朝夕のお勤めをはじめ儀式作法や法式・梵唄(太鼓や銅鑼など様々な鳴り物を使い読まれる、黄檗宗独特の節のあるお経)にはその伝統が受け継がれており、今日の中国寺院で執り行われている仏教儀礼と共通する部分が数多く見られます。

A 萬福寺のHPから萬福寺・七堂伽藍を引用させて頂きます。

 

B 七堂伽藍(境内図)の説明文の一部を引用させて頂きます。

 

1 中央の一部を高くして重文の総門です。漢門とも呼ばれる独特な総門です。

2 由緒が総門脇にしたためられていました。

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5    三門です。

6     境内に縦横に走っている参道は、正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したものです。

7 萬福寺と黄檗宗で書かれていますが、こちらは「萬福寺」 額 隠元書 です。日本で言う「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分かれています。

8 こちらは十六羅漢像に二つプラス『慶友(けいゆう)尊者賓頭蘆(びんずる)尊者』した十八羅漢像です。写真は羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)です。本物のように見えますが、実は顔出しパネルです。

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10 寺院の最高権威者を指す住持のみ歩く事が許されると事とは今知りました。

11   天王殿です。四天王と弥勒菩薩と韋駄天が祀られています。

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13 弥勒菩薩の化身といわれる布袋様です。その徳の高さから布袋さまは、いつしか中国の弥勒菩薩信仰と交わって「弥勒菩薩の化身」といわれるようになりました。現在でも中国や台湾では「弥勒」と呼ばれており、萬福寺の布袋尊が「弥勒菩薩」とされる由縁です。

14 広目天です。

15 多聞天です。

16 韋駄天です。

17 持国天です。

18 増長天です。

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22 禅問答的な問いかけを感じる「こころととのう一分間」。急ぐ時こそここりにゆとりを持ち心整う一分間を実践したいものです。

23  伽藍堂本尊の華光菩薩像。その前に立つのは、三国時代の武将関帝です。

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26   食堂を禅悦堂ともいいます。額は木庵の書

 

27 雲版(うんぱん)です。朝と昼の食事と朝課の時に打つものです。

28  こちらは 開梆(かいぱん)です。日常の行事や儀式の刻限を知らせます。

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#164 -’24. 平等院の阿弥陀如来坐像を遠望し

2024年06月25日 10時34分46秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

阿弥陀如来坐像を池越しに遠くから拝観します。

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4 阿弥陀如来坐像の御尊顔を丸窓越しに見る事ができます。

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7 10円硬貨に載っている方向を正面から見た姿とすると、裏側に廻り始めた所です。

8 ミュージアムに入ります。

9 裏側から平等院を観ています。

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12 平等院の塔頭の浄土院です。

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16 先に見える二つの橋は鳳凰堂に入る時に渡った橋です。しいて言えば裏から見ている事でしょうか。

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21 門を潜り表参道へ。

22 宇治川に架かる橋の袂に紫式部の像が佇んでいたところは小さな公園に成っています。その名は夢の浮橋ひろばです。この橋を渡り来た時のJR宇治と反対の京阪宇治線の宇治駅に向かいます。次にお邪魔するのは萬福寺です。

P.S. 鳳凰堂に入る為の待ち合わせ場所近くの藤棚です。藤の花が咲いていないので、分かり難いとは思いますが。

 

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#163 -’24. 平等院鳳凰堂内部拝観して

2024年06月24日 10時01分28秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

ホテルをチェック・アウトして荷物を預けて奈良線に乗って宇治の平等院にむかいます。以前にもお邪魔していますが、今回は鳳凰堂の内部拝観です。池の外縁から平等院を眺めても素晴らしいですが、今回は鳳凰堂内部に鎮座している阿弥陀如来坐像を直接拝観して説明をうけました。

HPから引用させて頂きます。

平等院・阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)

仏像(平等院・阿弥陀如来)の特徴

平安時代中期に藤原道長・頼通に重用された大仏師・定朝の作であると確証がある唯一の仏像である。定朝は優美な和様彫刻の大成者であり、寄木造の完成者で あるが、この像は完成した寄木造の最古の実例である。阿弥陀如来の表情はやさしく穏やかであり、定朝の作風の特徴を伝えている。後背には頭部と体から放た れた光を表わした二重円光(にじゅうえんこう)の周りを音楽を奏でる飛天(ひてん)が舞っている。
鳳凰堂内に祀られた阿弥陀如来坐像の頭上には円形と方形の金色の二重天蓋が吊られ、同じく堂内の南北の壁には高さ50センチほどの52体の雲中供養菩薩像 (うんちゅうくようぼさつ)が取り付けられている。また壁扉面には九品来迎図(くぼんらいごうず)が描かれていて、鳳凰堂全体として極楽浄土を表現してい る。
 
 
機会がありましたら大仏と丈六の違いについて調べて見て下さい。大仏等と無意識に使っていますが仏様に対する親近感が増すかも。
 
阿弥陀如来坐像を取り囲むように壁に配置されている雲中供養菩薩も素晴らしかったです。鳳凰堂の内部に関する写真は撮影不可なので、鳳凰堂から池方向を撮影した写真をアップします。
 
1 我が家の平等院鳳凰堂内部拝観券の指定時刻は午前10時30分の回です。少し外で待ちました。
 
 
2 前の前の方達が係りの方から注意や説明を受けていました。
 
 
3 朱色の橋を渡ると平等院鳳凰堂です。
 
 
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6 中学高校の生徒さんたちの修学旅行の定番の観光地です。
 
 
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13 説明を聴いて国宝の阿弥陀如来坐像を拝観して外に出てきました。
 
 
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#158 -’24. 弘法大師がご入定されている聖地の奥の院へ

2024年06月19日 11時22分53秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

特別な聖地である高野山奥の院、弘法大師御廟にむかいました。

チェックアウト後、一乗院に荷物を預けて、バスで奥の院に向かいます。生憎の雨となりましたが、一乗院で大きめの傘を貸して頂き、大変助かりました。

奥の院の参拝は次の通りです。

途中、参道には、企業の社員を供養する慰霊碑や苔むした武将のお墓があります。ゆっくり眺めながら、奥の院に到着

奥の院御供所で御朱印を頂き、水向地蔵に水をかけて、お参り後、御廟橋を渡って弘法大師御廟へ
御廟橋を渡ると大師御廟への霊域に入ります。この橋を渡るといよいよ聖域に足を踏み入れることになります。全山が聖域である高野山の中に在って格別な地の弘法大師御廟です。

1 奥の院に向かうバス停(千手院橋)で雨の中、外国の方と一緒にバスを待ちました。向かいの郵便局です。この交差点の先は高野山金剛峰寺方面で右に曲がると一乗院方向です。

2 本来なら奥の院口から歩くべきですが、雨でしたので奥の院前まで、バスに乗りショートカット
ここからだと奥の院までは、のんびり歩いて15分位です。

こちらの手水舎で清めて奥の院に向かいました。

3 南無大師遍照金剛の石柱の右手のお店で帰りに食事を頂きました。 

4 こちらは、脇道とでも言いましょうか、企業の記念碑などが多くありました。こちらは水上艇で有名な新明和工業のロケットです。

5 ご存知の福助さんです。

6 キリングループです。

7 奥の院の大杉林です。

8 奥の院前迄乗車してから、歩き始めました。靴の中が濡れるのではと思っていましたが、濡れる事も無く歩ききれました。最初の一の橋から来られた方は左手から歩いてきたわけです。私達も合流して弘法大師御廟に向かいます。

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10 法然上人(圓光大師)供養塔です。

11   結城秀康の石廟です。

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13 御供所南門です。

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15 奥の院頌徳殿では、セルフサービスでお茶を頂くことができます。
和尚様が法話をなさっていました。

16   こちらにも、「宝来」が掛けられていました。

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18 こちらで御朱印を頂きました。

19 水向け地蔵尊(水をたむける意味で足元にかけるのが本来だそうです。)に水を掛けながら右端から順番に掛けてお供えします。頭からかけてはいけません。

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21 この御廟橋(三の橋)から先は弘法大師の御廟ですから写真撮影などが禁止されています。厳かな気持ちで参拝いたしました。

弘法大師の御廟を参拝し終えて来た道を戻ります。(帰路)

22 バス停の戻る途中にある英雄殿です。第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられました。

23 バス停に向かう前に昼食を頂きました。

自分が注文したのは奈良の柿の葉寿司(押し寿司)だと思っていましたら、少し発酵させて和歌山(三重県)のなれ寿司でした。このお寿司も大好きですから良かったです。発酵させているので初めて食べる関東人には口に合わないかもね。自分は大好きです。くれぐれも柿の葉寿司ではありません。

24 こちらは家内が頂いた天麩羅うどんです。

25 食事を頂いてから向かいの駐車場のバス乗り場へ向かいました。グーグルマップで現在地を検索してバス停のアイコンからバスの出発時間を確認する事が出来ますから大変便利です。

晴天での観光気分も一転して、雨の中の厳かな心構えの中の奥の院でした。

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#156 -’24. 高野山大師教会で授戒を体験し

2024年06月17日 15時55分48秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

大堂伽藍の拝観を終えて中門から戻る途中に今回訪問した大師教会本部がありました。教会本部脇の入口には大型バスが停車して多くの方が下りてきました。

1 次の高野山参詣講待遇之証を事前に買ってあるのでこちらの大師教会本部で1000円の授戒料をお納めする必要はありませんでした。高野山を去る時までに、後一箇所参詣できる徳川家霊台に伺う事はできませんでした。

2   大師教会の入口です。ツアーの方が中に入って行きます。

3   お授戒のご案内がありました。

授戒とは

仏さまの示された戒めの教え(戒)を阿闍梨さまから直接授かり法話を頂く儀式です。年間を通じていつでも参加できる最も高野山らしい体験(修行)の一つです。 (高野山真言宗総本山金剛峯寺HPより)
 

  決められた時間の十分前までには、受付を済ませる必要があります。講堂の奥の授戒堂の入口で僧侶の方から塗香を頂き、両手に刷り込んでからお堂の中に、中は全部閉じられていて、真っ暗でした。

入口の扉も閉められ、暗闇の中で

儀式が始まります。僧侶の方から「終わるまでは退室することかできません」とのご注意がありました。

暗闇の中、阿闍梨様がおいでになり、儀式が始まりました。「南無大師遍照金剛」を唱え、参拝者一同も阿闍梨様から「南無大師遍照金剛」の読経に続き何度も何度も唱和しました。

その後阿闍梨様より有難い法話を聴きました。今回の参加者は大型バスに乗車してきた団体ツアーの方と我が家の2団体でした。終了後、阿闍梨様が鎮座している真っ暗闇な祭壇場に代表者があがり、菩薩戒牒を拝領しました。

 バスに乗車して来た団体の方は大講堂の出口で各自に配布していました。

4 我が家が頂いた菩薩戒牒です。中には十善戒が書かれています。

5    終了後、境内を散策

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14 大講堂右手奥が授戒堂です。

15  大師教会本部と書かれたこちらから、退出しました。五三の桐と三頭右巴の紋が彫られてありました。 

バスツアーで大師教会本部に授戒の儀式に参加する人達が大勢降りていきました。その時掃除をしている教会本部の職員の方に強く体験することを奨められました。既に五ヵ所に入れる共通内拝券を購入していましたから、入るか入らないかを決定するのみでした。強い勧めがあればこそ入りましたから、この方に感謝あるのみです。貴重な体験をさせて頂きました。

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#155 -’24. 壇上伽藍を参拝して

2024年06月16日 12時45分59秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地です。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。(高野山真言宗  総本山金剛峯寺のHPからの引用です。)

 

高野山でのお詣りでは最初に金剛峰寺、つづいてこちらの壇上伽藍でした。歩いた関係で中門から入らずに、蛇腹道入り中心をなす根本大塔に向かいました。

壇上伽藍 開創の際に最初に開かれた高野山の核となる場所

約1200年前に嵯峨天皇の勅許を得て、弘法大師が開いた修禅道場。開創の際には弘法大師みずから足を運び、堂塔の建立に心血を注いだという。日本初の密教伽藍で、独特の諸堂配置は曼荼羅の世界を表現しているという。

 まっぷるトラベルガイドから壇上伽藍の地図を引用させて頂きました。(ままっぷるトラベルガイドからの引用です。)

1 蛇腹道から壇上伽藍に向かいます。本来の参拝ルートは中門から入るのだそうです。

2 大伽藍の文字を発見して即蛇腹道へ。

3 車道を通らずに行けますから良い道を選んだと思っています。

伽藍入り口から続く小道で、高野山の風景を龍に喩えると腹にあたる場所であるので蛇腹と呼ばれます。

4 東塔です。

大治2年(1127年)、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正(だいごさんぼういんしょうかくごんのそうじょう)によって創建されました。当初は上皇等身の尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)が本尊として奉安され、不動明王、降三世(ごうざんぜ)明王の二体も脇侍(きょうじ)としてまつられました。天保14年(1843年)に焼失してからしばらくの間再建されず、140年たった昭和59年(1984年)にようやく再建されました。

5 三昧堂です

済高師はこのお堂で「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになりました。

6 国史跡の三昧堂の説明の高札です。読むことが可能かと。

7 蛇腹道の脇には篤志家の寄付金額が彫られた石柱が並べられていました。今の貨幣価値ではありませんから凄い額ですよ。

8 大会堂(だいえどう)です。

鳥羽法王の皇女である五辻斎院親王というお方が、父帝の追福のため建立されました。

9 愛染堂です。

建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、玉体安穏を祈るために建立されました。

10 共通内拝券(高野山参詣講待遇之証)を利用して根本大塔内も拝観しました。

次に拝観券の残骸をアップします。

根本大塔です。内部も拝観させて頂きました。

真言密教の教えを体現する象徴として建てられた塔で、塔内には立体の曼荼羅世界が 広がります。

11 こうや君のお出迎えを受けて根本大塔に向かうのがルートですが、裏街道から廻ってきました。

12 金堂の回廊から撮影です。

13 金堂の回廊から中門を望んでいます。

14 柱で隠れていますが三鈷の松と御影堂です。

15 金堂の内部は撮影禁止ですから、写真はありません。外の回廊からの撮影です。

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17 六角経蔵です。

18 金堂の正面です。

平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。

19 御影堂です。

20 孔雀堂と准胝堂です。

21 石燈籠の先に見えるのは前の写真の孔雀堂と准胝堂ですが、そこを左に行くと西塔がありました。

22 三鈷の松とその説明文です。

お大師さまが祈りを込めて唐から投げた三鈷がこの木に掛かって毎夜光りを放ちました。

23 二つの画像を並べてアップしてあります。比較する意味合いで左が歴史を感じさせるひなびた西塔で右が色鮮やかな東塔です。

24 こちらは経典が収まっている六角経堂ですからすべての経典を読んだことになる事にあやかり、ひと廻りしました。下の写真は隣に書かれていた解説文です。

鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。

(蛇足ながら目黒雅叙園の百段階段やトイレなど金泥の素晴らしさを見る事ができます。)

25 並んでいる画像ですが、左が鐘楼で右が高野四郎(大塔の鐘)です。

26 三本の巨木が目印になる山王院です。(グーグルレンズで一発で名称がわかりました。)

 

27 中門です。通常、山門には仁王像が据えられますが、こちらの中門には、四天王が据えられています。

28    南方を守る増長天です。

29    北方を守る多聞天です。

30 中門を潜り車の通る道にでました。苔が瑞々しく美しかったです。

31 勧学院です。

北条時宗(ときむね)が高野山内の僧侶の勉学・修練のための道場として、金剛三昧院(こんごうさんまいいん)境内に建立しました。後の文保2年(1318年)に、後宇多法皇の院宣によって現在の位置に移されました。本尊には大日如来が奉安されています。

現在でも勉学・修練の行事である勧学会(かんがくえ)が毎年行われ、一般の立ち入りが禁じられています。

32 蓮池です。

干ばつに苦しむ人々を救うために善女竜王像と仏舎利を祀った池です。

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#154 -’24. 精進料理を頂いて(宿坊・一乗院)

2024年06月15日 17時28分44秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

一乗院での夕食の精進料理は部屋食でした。夕食の開始時刻は午後5時30分です。金剛峰寺や壇上伽藍などの参拝を済ませて宿坊に戻ったのが午後4時40分頃でした。

お部屋の素晴らしさに感嘆し、部屋からお庭を眺めながら茶菓子を戴いてのんびりとお茶に勤しみました。

こちら一乗院のお食事は美味しいとの評判でした。翌日、雨の中での奥の院の御朱印帳に記帳して頂く時、前のページは一乗院の御朱印でした。奥の院の方から一乗院の精進料理はおいしかったでしょうと言われました。同じ沢山の宿坊がある中でも、こちらの料理は名が通っているようでした。

1    お茶うけの高野山銘菓のみろく石ともう一品ありました。みろく石は、お土産に買って帰りました。

2 今回の夕食の精進料理は今回のお部屋の菩提樹で頂きました。

初夏の 「花 山 吹」 献立です。

3    夕食の献立です。

4 二間あるどちらにも床の間がありますが、手前のお部屋に準備をして頂きました。お二人での配膳ですが、若いのに襖絵など大変詳しく説明頂き感心しました。

5 精進料理の作法で膳の出し方も決まっているのかも。

6 梅酒のオンザロックと大吟醸の日本酒です。梅酒には未だ若い梅の実が入っていました。こんな一手間が嬉しいです。

7 床の間に置かれた香炉と掛け軸の前で頂きました。我が家も杉では無く黒檀ですが、こちらも黒檀でした。

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12    お造里    汲み上げ湯葉とあしらい一式

13    平椀     胡麻豆腐   山椒

14     先付け    アボカドとフルーツトマトの緑酢和え

15    八寸    季節の野菜盛り合わせ

16    湯葉山椒です。

17   吸 物   清まし汁仕立て

18    精進焼売です。

19 飛龍頭アオサ餡かけです。

20   揚げ物     コシアブラ、もずくの天ぷら

21   ご飯は、希望すれば、頂けます。

全体にボリュームがあるので、ご飯は少なめにして頂きました。

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23 画面の左上に少しだけ写っているのが 水物 季節のデザートはイチゴのムースです。こちらで〆になります。 大平 湯葉にゅうめん ほうれん草 梅干 トロ子昆布です。  

夕食は見た目よりボリュームがあり、美味しく頂きました。

 

朝 食

24 翌日、朝勤行が終わって、部屋に戻ると朝食が準備されていました。

25   湯葉鍋、煮物、小鉢、漬物、フルーツ等でした。

katananke05 さんへ。

京都では南禅寺と嵐山で湯豆腐や湯葉など頂きましたが、日光ではまだしょくしておりませんが、知人より先日頂きました。美味しかったです。

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#152 -’24. 宿坊としての一乗院は最高でしたの続き

2024年06月14日 21時08分46秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

大寺院ではありませんが、纏まった高野山別格本山一乗院でした。

次の訪れる機会があれば一乗院に宿泊したいと思わせてくれる所でした。

1 斜め左が正門です。

2 画面左手が本堂です。

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7 訪問したのが一月前の5月18日です。令和6年の青葉まつりの告知がされていました。

8 我が家の宿泊したお部屋にはお風呂はついていません。翌朝の勤行のお願いを兼ねて、受付で申し込みしてきました。その後、お風呂をのぞくと誰も張っていないので、お部屋に戻り着替えをもって直ぐにお風呂へ。

9 広くはないですが良いお湯でした。独り占めでした。

10 廊下に飾られていました。

11 女湯の廊下を挟んだ向かい側が男湯です。

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17 自分のお部屋の先は池を挟んだ所は特別室です。池の景色が見えるように椅子が並べられてありました。

宿坊での過ごし方

     宿坊では、精進料理の食事、歴史的価値のある建築物や仏像、お勤めなど、他では体験できない様々な魅力があります。HPから借用です。

1日目

  • 15:00

    ご到着

    一乗院の門をくぐると、玄関先で修行僧がお出迎え致します。
    挨拶を交わした後、塗香を両手にすり込み心身を清めます。

    一乗院の門
  • 15:05

    お部屋へ案内

    お出迎え
  • 15:10

    お部屋で休憩

    お部屋にご案内
  • 15:30

    壇上伽藍へ参拝

    一乗院は町の中心にあり、金剛峯寺や壇上伽藍も徒歩圏内にあります。
    お荷物をお預けになり、金堂や根本大塔をはじめ壇上伽藍をゆっくりご参拝ください。

    壇上伽藍
  • 16:00

    阿息観(あそくかん)体験

    真言宗の瞑想法である阿字観。一乗院ではその入門編である阿息観が体験できます。ロウソクが灯る部屋で『阿』の梵字の前に座り、目を半分ほど閉じ、呼吸を整えて宇宙と自然とひとつになることをイメージします。座り方は正座やあぐらでも大丈夫です。
    (阿息観体験/要予約 約1時間 1人3000円)
    16:00~17:00開催
    ※行事都合及び感染症対策の為、中止の場合があります。

    阿息観
  • 17:30

    ご夕食

    精進料理をお部屋でお召し上がりいただきます。
    ご夕食は、17:30から。

    浴場

    ご夕食後に修行僧がお布団の準備を致します。

    お布団
  • 19:00

    写経

    ご夕食後は写経に挑戦。心を落ちつかせ、般若心経をなぞります。
    (奉納料 写経一巻:1000円)

    写経
  •  

    就寝

    就寝時間は自由です。
    門限及び消灯は午後9時でございます。ご注意ください。
    翌朝6時すぎから勤行に参加して頂けます。

    就寝

2日目

  • 06:20

    朝勤行(あさごんぎょう)の開始の合図

    早朝、本堂から朝勤行の開始を知らせる鐘の音が聞こえてきます。

  • 06:30

    朝勤行に参加

    毎朝6時30分から7時15分まで朝勤行を行っています。
    (参加費 無料)

    朝勤行
  • 07:30

    ご朝食・散策

    朝勤行にご参加いただいている間にご朝食の準備を致します。
    ご朝食も精進料理でございます。

    庭園
  • 09:30

    院内を見学

    チェックアウトまでの時間、院内の仏画、襖絵を見学頂いたり、談話室で高野山の資料を読んでお過ごしください。

    見学
    仏画
  • 10:00

    チェックアウト

    僧侶に山内のことや名所について何でもお聞きください。観光マップを配布しております。
    お時間の許す限りご観光をお楽しみください。

    観光マップ
    チェックアウト

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#151 -’24. 宿坊としての一乗院は最高でした。

2024年06月14日 13時08分35秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

宿坊に泊ったのは、「善光寺の宿坊」と「比叡山延暦寺の宿坊」と「智積院の宿坊」と、今回の高野山一乗院の宿坊と合計4回目です。それぞれ特色があり仏教の香りをかぐ程度ですが。仏教に沿う事もできました。お宿との側面から見ての素晴らし高野山別格本山一乗院でした。

宿坊ですから、朝のお勤めもそのた、特別なお願いごと等(護摩供養など)を前日に申し込みさせて頂きました。

標高800mの山上の聖地、高野山での宿泊です。

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3 下足を脱いで上がると心休まる飾りつけがなされていました。

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5 建物の本堂など仏教施設は入れませんが、開いているお部屋は自由に入って結構ですとの事で色々見させていただきました。我が家のお部屋が4脚立石の先に見えます。

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10 宿泊するお部屋ではありません。廊下に面していて開けられていたので入らせて頂きました。

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13 螺鈿細工の和テーブルです。こちらに座ると松が向かいは鶴などが。どちらも正面に成るように螺鈿が埋めもまれています。周りの模様は仏教に由来するものかは分かりませんでした。

14 掛け軸の前に在るのは香炉でしょうか。

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自分の拙い美的感覚からの感想ですが、最高の宿坊でした。各お部屋の造りや、丁度品、必ずしも国宝だったりしていた障壁画では無いかもしれませんが、感動を覚えるものでした。お庭の配置も枯山水ではありませんが、夢窓国師をコンパクトに凝縮したようなお庭で最高でした。

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