3週間ぶりに聞く野鳥の声に起こされた。
今回はテノール歌手とソプラノ歌手。
遠くで歌うカッコウと近くで歌うウグイスです。
今朝の薪はパチパチとやけにはぜる。
枯れ葉か葉を落とした木々ばかりだったのが、今日は一面の新緑だ。
我が家の庭も春の訪れです。
見通しが良かったご近所も若葉にさえぎれて見えなくなりだした。
画像は今年は既に咲き終わっている山梨県薬用植物園のアーモンドの花です。
今回はテノール歌手とソプラノ歌手。
遠くで歌うカッコウと近くで歌うウグイスです。
今朝の薪はパチパチとやけにはぜる。
枯れ葉か葉を落とした木々ばかりだったのが、今日は一面の新緑だ。
我が家の庭も春の訪れです。
見通しが良かったご近所も若葉にさえぎれて見えなくなりだした。
画像は今年は既に咲き終わっている山梨県薬用植物園のアーモンドの花です。
日本でも新型インフルエンザが検疫の甲斐も無く上陸した。
上陸したとしても、今現在では水際で封じ込めている形である。
日本の中で新型インフルエンザ感染者からその他の患者に感染・伝播した訳ではない。
と、言う事は検疫・防疫が成功しているという事か。
この人的交流の早く且つ大量の時代に、これからも現体制の検疫で防げるはずは無い事は自明の理である。
世界的に見て、中高年者には罹患しても死亡者が少ない。
公衆衛生学的統計でその様な結果が出ているようだ。
本来、高齢者は免疫機能も、体力も劣るので死亡率が高く出て当たり前である。
それが、青年や少年など若年層に多くの死亡例が出ている。
どうも、高齢者は新型インフルエンザに何らかの免疫・抗体ができているのだはないかと。
飛びぬけて致死率が高いわけでもない。
インフルエンザ菌の入国は阻止したくても出来ないのが現実である。
患者を管理できる範囲で新型インフルエンザ菌入国と相対する体制に変更すべき時期に来ているのかも。
罹れば、何割の人が死ぬと言う病でもない。
インフルエンザ菌の変異に留意しつつ、検疫・防疫、治療体制の再構築の時かも知れないと思いアップする。
時間も無く、思いつくままアップしたので、後日大訂正ないし削除するかもしれません。
ご了承の程。0511221809
以下の文章は5月22日加筆追加。
関西で人から人へ感染し始めた新型インフルエンザが東京、神奈川県で発症した。
罹患した方はアメリカで感染した高校生である。
関西での発症した菌が関東へ伝播してきたものではない。
全くの別ルートである。
成田での検疫をすり抜けて、国内へ入ってしまったものである。
東京都は高校名を伏せて発表したが、校長が謝罪していた。
校長が謝罪する必要があるのであろうか。
そんな事は別にして、関東地区に上陸である。
機上で濃厚感染した危険性のある方達の追跡調査も行われてはいる。
この交通機関の発達した現在、色々のルートで上陸してくるのは間違いない。
今現在、日本が敷いている新型インフルエンザ対策で良いのかと言う事である。
季節的なインフルエンザと殆ど変わる事の無い弱毒性のようだし。
検疫・防禦体制より治療体制に変更すべと感じる。
新型インフルエンザは必ず今年の冬に一段と強力になり猛威を振るいだす。
インフルエンザの特徴として、湿度が低くなると活動が活発になるからである。
夏に向かい高温多湿になる日本では一旦休息するも、秋から冬に活動を再開し出す。
門外漢の危険な考えではあるが、沢山の国民が今罹ることによって秋の蔓延時の危険が減る。
沢山の方が今罹患する事により抗体が出来、大流行を中流行へ、中流行を小流行へと変えてくれるかも。
声を大にして、新型インフルエンザに積極的に感染しましょうと発言提案は出来ないが、今シーズンに流行した国と発症を見なかった国との状況を観察してみたい。
今回、流行はするがタミフル等の治療体制も充分に取る事で必要以上の休校や休園など取らずに解除すべきである。
コンサートや集会、旅行など自粛しているが、これらも今までの季節的インフルエンザと同じ対等として、普通の社会生活を営むべきである。
このことが小流行を生み、秋からの大流行を抑止してくれる。
今の過剰な対応では社会生活自体崩壊させかねない。
普通のインフルエンザと同じ対応で対処すべきである。
疲弊した経済がますます、疲弊してしまう。
率先してうつりましょうとは言えないが、過剰反応は変える時期に来ていると思われる。
早朝も早朝の5時に我が家の猫に起こされたしまった。
上陸したとしても、今現在では水際で封じ込めている形である。
日本の中で新型インフルエンザ感染者からその他の患者に感染・伝播した訳ではない。
と、言う事は検疫・防疫が成功しているという事か。
この人的交流の早く且つ大量の時代に、これからも現体制の検疫で防げるはずは無い事は自明の理である。
世界的に見て、中高年者には罹患しても死亡者が少ない。
公衆衛生学的統計でその様な結果が出ているようだ。
本来、高齢者は免疫機能も、体力も劣るので死亡率が高く出て当たり前である。
それが、青年や少年など若年層に多くの死亡例が出ている。
どうも、高齢者は新型インフルエンザに何らかの免疫・抗体ができているのだはないかと。
飛びぬけて致死率が高いわけでもない。
インフルエンザ菌の入国は阻止したくても出来ないのが現実である。
患者を管理できる範囲で新型インフルエンザ菌入国と相対する体制に変更すべき時期に来ているのかも。
罹れば、何割の人が死ぬと言う病でもない。
インフルエンザ菌の変異に留意しつつ、検疫・防疫、治療体制の再構築の時かも知れないと思いアップする。
時間も無く、思いつくままアップしたので、後日大訂正ないし削除するかもしれません。
ご了承の程。0511221809
以下の文章は5月22日加筆追加。
関西で人から人へ感染し始めた新型インフルエンザが東京、神奈川県で発症した。
罹患した方はアメリカで感染した高校生である。
関西での発症した菌が関東へ伝播してきたものではない。
全くの別ルートである。
成田での検疫をすり抜けて、国内へ入ってしまったものである。
東京都は高校名を伏せて発表したが、校長が謝罪していた。
校長が謝罪する必要があるのであろうか。
そんな事は別にして、関東地区に上陸である。
機上で濃厚感染した危険性のある方達の追跡調査も行われてはいる。
この交通機関の発達した現在、色々のルートで上陸してくるのは間違いない。
今現在、日本が敷いている新型インフルエンザ対策で良いのかと言う事である。
季節的なインフルエンザと殆ど変わる事の無い弱毒性のようだし。
検疫・防禦体制より治療体制に変更すべと感じる。
新型インフルエンザは必ず今年の冬に一段と強力になり猛威を振るいだす。
インフルエンザの特徴として、湿度が低くなると活動が活発になるからである。
夏に向かい高温多湿になる日本では一旦休息するも、秋から冬に活動を再開し出す。
門外漢の危険な考えではあるが、沢山の国民が今罹ることによって秋の蔓延時の危険が減る。
沢山の方が今罹患する事により抗体が出来、大流行を中流行へ、中流行を小流行へと変えてくれるかも。
声を大にして、新型インフルエンザに積極的に感染しましょうと発言提案は出来ないが、今シーズンに流行した国と発症を見なかった国との状況を観察してみたい。
今回、流行はするがタミフル等の治療体制も充分に取る事で必要以上の休校や休園など取らずに解除すべきである。
コンサートや集会、旅行など自粛しているが、これらも今までの季節的インフルエンザと同じ対等として、普通の社会生活を営むべきである。
このことが小流行を生み、秋からの大流行を抑止してくれる。
今の過剰な対応では社会生活自体崩壊させかねない。
普通のインフルエンザと同じ対応で対処すべきである。
疲弊した経済がますます、疲弊してしまう。
率先してうつりましょうとは言えないが、過剰反応は変える時期に来ていると思われる。
早朝も早朝の5時に我が家の猫に起こされたしまった。
フィオーレ小淵沢の菜の花畑とチューリップは既にアップしましたが、今年より入園無料になったフィオーレ小淵沢の全体を。
棚の先に中央高速と南アルプスを。
タイツツリソウかな。
植栽されてた分けではありません。
道端に咲いていたオオイヌノフグリです。
標高差だけではないみたいです。
我が家とは大違い。
ツツジに沢山の赤くなった蕾。
遠目ですから、良く分からないかも。
小さい可憐な白い花とつけているドウダンツツジです。
桜も終わりに。
花びらが散って。
雪柳も純白から雪解けのような感じに、薄汚れて来た様な。
「実の一つ無きぞ・・・、蓑一つなきぞ・・・」の白の山吹です。
ヒメオドリコソウが群生していました。
例年だと年一ぐらいの割合で訪れているが、これからは無料の事もあり季節毎に訪れて見たいと思っている。
我が家の高速の入路は小淵沢ICだから、一ニ時間余分に時間を見ておけばよい。
キラ・キラリさんのブログに依ると、原村の田圃にも田植えが済み苗が風にそよいでいるようだ。
棚の先に中央高速と南アルプスを。
タイツツリソウかな。
植栽されてた分けではありません。
道端に咲いていたオオイヌノフグリです。
標高差だけではないみたいです。
我が家とは大違い。
ツツジに沢山の赤くなった蕾。
遠目ですから、良く分からないかも。
小さい可憐な白い花とつけているドウダンツツジです。
桜も終わりに。
花びらが散って。
雪柳も純白から雪解けのような感じに、薄汚れて来た様な。
「実の一つ無きぞ・・・、蓑一つなきぞ・・・」の白の山吹です。
ヒメオドリコソウが群生していました。
例年だと年一ぐらいの割合で訪れているが、これからは無料の事もあり季節毎に訪れて見たいと思っている。
我が家の高速の入路は小淵沢ICだから、一ニ時間余分に時間を見ておけばよい。
キラ・キラリさんのブログに依ると、原村の田圃にも田植えが済み苗が風にそよいでいるようだ。
たわごとも戯言。
爽やかな信州のそよ風にはそぐいません。
活字のみ並びますから、興味の無い方はスルーして戴ければ幸いです。
裁判員制度が本日から施行された。
以前よりこの事に付いてブログにアップせねばと思いながら施行日を迎えてしまった。
記事をアップしたいと思いつつ具体的に書く気が湧かなかった。
伝えたい思いの丈はあるのに何故か情熱がほとばしることがない。
それが、今日ニュースで裁判員制度反対を唱えるデモ行進をみた。
自分の心境としては考えられない出来事である。
それで、一気に書きたくなってしまった。
裁判員制度は自分の気持ちの中では義務と言うより、国民が持つ権利としてとらえているからである。
勿論、裁判員制度自体は権利でもあり、義務でもあり、社会的な奉仕でもある。
そのウエイトがどこが大きいかに過ぎないが、自分にとっては義務より、権利としての比重が大きいのである。
その権利を放棄しようと運動すなわちデモ行進など信じられない暴挙であるからである。
デモ行進している人の捉え方は義務としての裁判員制度なのだろう。
自分は権利として司法に参加する裁判員制度を捉えているから、国民がこの権利を手にした事は喜びこそすれ、手放すなど考えられないのである。
今回も、国民が主権者たる権利を行使してこの権利を勝ち取った訳ではない。
司法改革の一環として裁判員制度が導入される事になったのである。
早い話がお上から頂いた権利である。
それでも、主権者の国民が司法に参加する権利を手中にした事は間違いない。
入手の方法がどうあれ。
一二ヶ月前になるであろうか。
家内から「素人の裁判員が人を裁いて大丈夫なのだろうか?」と言う様な問い掛けがあった。
家内としては、素人より玄人に裁判を任せるべきとの潜在下の意識の中にあったのかも。
即自分の返事「裁判に素人の国民が参加する事に意義があるのだと。」
司法のプロたる法曹界の人間のみで裁判を行うのは好ましくないはずである。と答えた。
素人の一般の国民が裁判に参加する事に意義があると思っている。
法曹界と言う一部の人間のみが裁判を行い人を裁く。
裁判官も検察官も公権力の行使者である公務員。
弁護士のみが言ってみれば一般市民である。
でも、法曹界と言う裁判官(判事)&検事と同じ世界の人間である。
同じ世界の人間が駄目とか良いとか言う気はない。
素人たる国民が参加すべきであると考えるからである。
法律の素人が法律の場の法廷で、白黒すなわち有罪無罪を決して、量刑も決めねばならない。
こんな事は法律のズブの素人が正しい判断が出来る筈が無いと思っている方も居るかも。
法律の素人でも全く問題ないのである。
プロの裁判官の助言を仰げるし。
素人の裁判員が従うのは己の良心のみに従い考えて判断すればよいのである。
裁判員一人一人が自分の良心に従い、判断すれば自ずと正しい結論に至る筈である。
この、司法に参加する権利を国民は決して手放してはならないのである。
出来レースとまでは言わないが、現行の裁判においてはプロ対プロが結果の分かった作文をする事も可能である。
多くの裁判員が裁判に参加して、冤罪が減ると信じている。
一般国民の感覚では、検察が立件したとしても義理など腐れ縁にとらわれる事もない。
デモの参加者が述べていた。
「人を裁きたくない。」と。
それって、牛肉は食べたいが直接殺したくない。と、同じでは。
人が人を裁く。
忠実に良心に従わねば耐える事の出来ない重圧である。
死刑制度のある日本の法廷である。
時には死刑の判決が下される事もあるはずである。
良心の呵責に耐えるには、より良い社会を作るという強い信念が必要である。
権利を守り、義務を果たし、奉仕せねば社会は良くはなら無い。
このことは紛れも無い事実だと思っている。
自分はしないが誰かがするはずでは、すまない。
国民一人一人が積極的に権利を行使し、義務を果たし、奉仕せねばならない。
裁判員制度が定着して、真に国民の為の司法の場である裁判所であって欲しいと願う。
書きかけではないが、後日加筆訂正するかも。
爽やかな信州のそよ風にはそぐいません。
活字のみ並びますから、興味の無い方はスルーして戴ければ幸いです。
裁判員制度が本日から施行された。
以前よりこの事に付いてブログにアップせねばと思いながら施行日を迎えてしまった。
記事をアップしたいと思いつつ具体的に書く気が湧かなかった。
伝えたい思いの丈はあるのに何故か情熱がほとばしることがない。
それが、今日ニュースで裁判員制度反対を唱えるデモ行進をみた。
自分の心境としては考えられない出来事である。
それで、一気に書きたくなってしまった。
裁判員制度は自分の気持ちの中では義務と言うより、国民が持つ権利としてとらえているからである。
勿論、裁判員制度自体は権利でもあり、義務でもあり、社会的な奉仕でもある。
そのウエイトがどこが大きいかに過ぎないが、自分にとっては義務より、権利としての比重が大きいのである。
その権利を放棄しようと運動すなわちデモ行進など信じられない暴挙であるからである。
デモ行進している人の捉え方は義務としての裁判員制度なのだろう。
自分は権利として司法に参加する裁判員制度を捉えているから、国民がこの権利を手にした事は喜びこそすれ、手放すなど考えられないのである。
今回も、国民が主権者たる権利を行使してこの権利を勝ち取った訳ではない。
司法改革の一環として裁判員制度が導入される事になったのである。
早い話がお上から頂いた権利である。
それでも、主権者の国民が司法に参加する権利を手中にした事は間違いない。
入手の方法がどうあれ。
一二ヶ月前になるであろうか。
家内から「素人の裁判員が人を裁いて大丈夫なのだろうか?」と言う様な問い掛けがあった。
家内としては、素人より玄人に裁判を任せるべきとの潜在下の意識の中にあったのかも。
即自分の返事「裁判に素人の国民が参加する事に意義があるのだと。」
司法のプロたる法曹界の人間のみで裁判を行うのは好ましくないはずである。と答えた。
素人の一般の国民が裁判に参加する事に意義があると思っている。
法曹界と言う一部の人間のみが裁判を行い人を裁く。
裁判官も検察官も公権力の行使者である公務員。
弁護士のみが言ってみれば一般市民である。
でも、法曹界と言う裁判官(判事)&検事と同じ世界の人間である。
同じ世界の人間が駄目とか良いとか言う気はない。
素人たる国民が参加すべきであると考えるからである。
法律の素人が法律の場の法廷で、白黒すなわち有罪無罪を決して、量刑も決めねばならない。
こんな事は法律のズブの素人が正しい判断が出来る筈が無いと思っている方も居るかも。
法律の素人でも全く問題ないのである。
プロの裁判官の助言を仰げるし。
素人の裁判員が従うのは己の良心のみに従い考えて判断すればよいのである。
裁判員一人一人が自分の良心に従い、判断すれば自ずと正しい結論に至る筈である。
この、司法に参加する権利を国民は決して手放してはならないのである。
出来レースとまでは言わないが、現行の裁判においてはプロ対プロが結果の分かった作文をする事も可能である。
多くの裁判員が裁判に参加して、冤罪が減ると信じている。
一般国民の感覚では、検察が立件したとしても義理など腐れ縁にとらわれる事もない。
デモの参加者が述べていた。
「人を裁きたくない。」と。
それって、牛肉は食べたいが直接殺したくない。と、同じでは。
人が人を裁く。
忠実に良心に従わねば耐える事の出来ない重圧である。
死刑制度のある日本の法廷である。
時には死刑の判決が下される事もあるはずである。
良心の呵責に耐えるには、より良い社会を作るという強い信念が必要である。
権利を守り、義務を果たし、奉仕せねば社会は良くはなら無い。
このことは紛れも無い事実だと思っている。
自分はしないが誰かがするはずでは、すまない。
国民一人一人が積極的に権利を行使し、義務を果たし、奉仕せねばならない。
裁判員制度が定着して、真に国民の為の司法の場である裁判所であって欲しいと願う。
書きかけではないが、後日加筆訂正するかも。
今回(5月15日)のトラックバック練習板のお題です。
「定額給付金、あなたは何に使いますか?」
定額給付金が支給されても、口座のなか。
お財布に入る前に、生活費で消えていきそうです。
夢がないと言えば夢がないですが、それが現実です。
少しのお金を国から貰い、後世の世代の若者に借金を残す現代人。
これで良いのか甚だ疑問です。
国民一人一人では少ない金額ですが、国全体に集めれば巨額な税金です。
今の為に次の世代にツケを残す事を何とも思わない現代人。
次の世代の人に懺悔したい心境です。
「定額給付金、あなたは何に使いますか?」
定額給付金が支給されても、口座のなか。
お財布に入る前に、生活費で消えていきそうです。
夢がないと言えば夢がないですが、それが現実です。
少しのお金を国から貰い、後世の世代の若者に借金を残す現代人。
これで良いのか甚だ疑問です。
国民一人一人では少ない金額ですが、国全体に集めれば巨額な税金です。
今の為に次の世代にツケを残す事を何とも思わない現代人。
次の世代の人に懺悔したい心境です。
峠の我が家の庭に訪れてきた春の微かな息吹を。
撮影は5月2日~5月4日です。
移殖した園芸品種を除く自生している春の草木を。
春の訪れは小さな桜の花と共に。
枝先にはノイバラの枯れた実が付いています。
それでも、葉が伸びだしてきました。
ツツジの冬芽も膨らんできました。
秋には我が家から蓼科方面を茶黄色の紅葉一色に染める落葉松も新芽をだしました。
落葉松の新芽は実に可愛く大好きです。
でも、我が家の宿命で大きく育つ前に切り倒しております。
何の木なのか記憶がありません。
新芽が顔をだいておりました。
感じからすると白樺の冬芽かな。
山菜好きな方にはたまらない食材のタラの芽です。
不明です。
家内に尋ねねば。
ドウダンツツジの積りでアップした写真ですが、よく見ると白樺の可能性大です。
赤松もこんな感じで、小さいのまで入れるとゆうに200本は越える数が生えて来ているかも。
特徴的な朱色。
この草ボケが咲くと直ぐに分かる朱色です。
好きな花です。ボケのように見やすくはありません。
地面にへばりついています。
クリスマスリース作りに欠かせない我が家のヒカゲカズラです。
赤松の松ぼっくりがごろごろ落ちています。
新芽を出しますから、拾わないといたちごっこになります。
以前はクリスマスのデコレーションなどに拾っていましたが、今では全く拾わなくなりました。
オオカメノキの花が咲いていました。
空を見上げて撮りましたので、逆光になり見難いですが、白い清楚な花を咲かせています。
若葉を伸ばし出している白樺です。
ウグイスカグラか?ミヤマウグイスカグラか?はっきり分かりません。
秋には赤い実を付けてくれます。
ヤマウルシの実です。
冬を越えて風情のある姿になっていました。
そのヤマウスシの冬芽です。
家内に少し切るように言われてはおりますが、秋の素晴らしい紅葉を思うと・・・。
赤松の新芽と言うことになるのでしょうか。
庭師に係った枝振りの素晴らしい赤松は素敵ですが、群生している我が家では切られる運命なのが悲しいかも。
咲き終わった後のツツジの夢の跡でしょうか。
目の敵にして引っこ抜いている我が家の通路に咲くセイヨウタンポポです。
勿論、日本タンポポなら引き抜きはしません。
こんな所まで生活圏を延ばしています。
総包片の反り返っている所がはっきり見えるように今回は横から撮ってみました。
小さな小さな花壇のお花は別だてで後日。
撮影は5月2日~5月4日です。
移殖した園芸品種を除く自生している春の草木を。
春の訪れは小さな桜の花と共に。
枝先にはノイバラの枯れた実が付いています。
それでも、葉が伸びだしてきました。
ツツジの冬芽も膨らんできました。
秋には我が家から蓼科方面を茶黄色の紅葉一色に染める落葉松も新芽をだしました。
落葉松の新芽は実に可愛く大好きです。
でも、我が家の宿命で大きく育つ前に切り倒しております。
何の木なのか記憶がありません。
新芽が顔をだいておりました。
感じからすると白樺の冬芽かな。
山菜好きな方にはたまらない食材のタラの芽です。
不明です。
家内に尋ねねば。
ドウダンツツジの積りでアップした写真ですが、よく見ると白樺の可能性大です。
赤松もこんな感じで、小さいのまで入れるとゆうに200本は越える数が生えて来ているかも。
特徴的な朱色。
この草ボケが咲くと直ぐに分かる朱色です。
好きな花です。ボケのように見やすくはありません。
地面にへばりついています。
クリスマスリース作りに欠かせない我が家のヒカゲカズラです。
赤松の松ぼっくりがごろごろ落ちています。
新芽を出しますから、拾わないといたちごっこになります。
以前はクリスマスのデコレーションなどに拾っていましたが、今では全く拾わなくなりました。
オオカメノキの花が咲いていました。
空を見上げて撮りましたので、逆光になり見難いですが、白い清楚な花を咲かせています。
若葉を伸ばし出している白樺です。
ウグイスカグラか?ミヤマウグイスカグラか?はっきり分かりません。
秋には赤い実を付けてくれます。
ヤマウルシの実です。
冬を越えて風情のある姿になっていました。
そのヤマウスシの冬芽です。
家内に少し切るように言われてはおりますが、秋の素晴らしい紅葉を思うと・・・。
赤松の新芽と言うことになるのでしょうか。
庭師に係った枝振りの素晴らしい赤松は素敵ですが、群生している我が家では切られる運命なのが悲しいかも。
咲き終わった後のツツジの夢の跡でしょうか。
目の敵にして引っこ抜いている我が家の通路に咲くセイヨウタンポポです。
勿論、日本タンポポなら引き抜きはしません。
こんな所まで生活圏を延ばしています。
総包片の反り返っている所がはっきり見えるように今回は横から撮ってみました。
小さな小さな花壇のお花は別だてで後日。
春ですね。
沢山の種類の野鳥が我が家の庭に飛来してくれました。
このイカルはポーズを決めてくれるため撮影しやすい鳥でした。
番でしょうか?仲良く並んで止まっておりました。
白樺の芽吹きが始り若葉が伸びるようになると鳥達も見え難くなります。
今がバードウオッチングには最高の時期でしょうか。
木々に葉は無く、夏鳥の飛来や○○等が番になり、観察にし易い時期のようです。
時間を置いて撮影したのに係わらず何故か皆右向け右でした。
沢山の種類の野鳥が我が家の庭に飛来してくれました。
このイカルはポーズを決めてくれるため撮影しやすい鳥でした。
番でしょうか?仲良く並んで止まっておりました。
白樺の芽吹きが始り若葉が伸びるようになると鳥達も見え難くなります。
今がバードウオッチングには最高の時期でしょうか。
木々に葉は無く、夏鳥の飛来や○○等が番になり、観察にし易い時期のようです。
時間を置いて撮影したのに係わらず何故か皆右向け右でした。
二週間前のお山から帰る時から夏仕様の峠の我が家になりました。
水抜き、水通しも必要ありません。
指折り数える熱意は消えうせましたが、今週は行く積りで準備万端に。
天は我を見捨てたり。
明日からの天気に見放されました。
と言う事で、今回は原村行きは取止めです。
やらねば成らない作業の数々。
なのに行けない歯がゆさ。
ビートルズの曲を聴いて我慢します。
このビートルズの曲も大好きです。
Across the Universe
水抜き、水通しも必要ありません。
指折り数える熱意は消えうせましたが、今週は行く積りで準備万端に。
天は我を見捨てたり。
明日からの天気に見放されました。
と言う事で、今回は原村行きは取止めです。
やらねば成らない作業の数々。
なのに行けない歯がゆさ。
ビートルズの曲を聴いて我慢します。
このビートルズの曲も大好きです。
Across the Universe