4歳時
3輪車はぜいたくな玩具だった。
父母は勤労と倹約一筋だったが一人っ子だから精一杯のプレゼントをしたのだろう。
子守がいないときは主に一人遊びだった。
おもちゃは主として焼け残りの森の産物だった。
有機質が抜けて白い石灰だけが残ったエスカルゴの貝殻は入れ物にも動物にも化けた。
木の根や枝は人形や動くものの代わりになった。
葉や花は「料理」の材料になった。
あるとき隣のN兄妹と葉や花をすりつぶして瓶に入れ「毒」と称してそれぞれが持ち帰って騒ぎになったことがあった。
毒物はきわめて身近なところにあった。
豚油から石鹸をつくるための苛性ソーダがどの家にもあった。
ほかにも毒物があったがその容器にはきまって腕組み髑髏のマークが付いていた。
もう少し大きくなった頃自分もあそびで石鹸をつくったことがある。
油脂があればかんたんに石鹸が作れる。
これまた大きくなってからのことだが4輪車、竹馬、凧、パチンコ、鳥かご等子供たちだけで作った。
子供は遊びの天才である。
周囲にあるものを想像力によっておもちゃに変えてしまう。
だから玩具は完璧でない方がよく、完備してない方が良いように思う。