自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

東日本大震災/原発大事故/タブーと戦った学者達

2011-03-21 | 体験>知識

60年日米安保条約反対を闘った同志3名が生涯原発に関わった。
お圭ちゃんと海老ちゃんは京大熊取原子炉に勤務し原発の安全性に警鐘を鳴らし続けたため出世することはなかった。
彼らは伊方原発訴訟で活断層上の伊方原発の全電源喪失の可能性を訴えたが最高裁でも敗訴した。
判決を書いた判事は後に原発村に天下った。
親友のMは原研に勤務し原子力の最先端の研究開発に従事した。
もんじゅ、プルサーマル、六ヶ所村・・・どれも事故続きで迷走している。
推進科学者の苦悩も相当なものだろう。
だいぶ前京都に学会で来たから会おうと誘われたが多忙で会わなかったことが悔やまれる。
お圭ちゃんは原発反対運動で突出し、時の科学技術庁長官田中真紀子と会見した。
真剣に耳を傾けた稀有の大臣だと評価していた。
チェルノブイリ事故のあとお佳ちゃんに原発銀座で事故が起きたときの危険度を示す同心円図を送ってもらった。
風向き次第では大阪でも即刻避難を要するとそのとき確信して今に至る。
農学部出身の同志Kは若狭湾の海藻汚染を調べていた。
海水の温暖化に言及していたが当時の私にはピンと来なかった。
今回の事故で連続放水冷却の映像と小出裕章氏(京大原子炉勤務)の講演録を読んで目から鱗が落ちた。
《日本にある55基の原発全体からは、1年間に1000億トンの温かい水が排出されます。
日本全土に降る雨の量は1年間で6500億トンで、そのうち川に流れるのは4000億トンです。
つまり原発は、毎年日本の川を流れる水の4分の1に相当する量を7℃温めて海に戻しているのです。
温暖化対策を真剣に考えるなら、炭酸ガスを問題にする前に真っ先にこの「海温め装置」を止めるべきです。》
核燃料は制御後も燃え続けエネルギーの70%を温排水として海に流さざるをえない。
(電気エネルギーとして利用されるのは30%)
道理でJ-villageに行ったとき選手たちと泳いだ福島第2原発の夏の海は陸が霧で寒いのに生温かった。