はじめて日課として労働に従事した。
農場主のNさんのこどもたち、孫たちは市内に通学していたから別だが、
雇われ人のこどもは例外なく日曜以外は親兄弟にしたがって働いていた。
都会から遠いところではそれが当たり前のことだった。
大人の男性は日の出とともにコーヒーをひっかけた後エンシャーダ(長柄の鍬)
をかついで畑に向かい、女性が弁当をつくって「10時」(朝昼食)に間に合う
ように後を追う。わたしは母と一緒した。
つぎの食事は「3時」だった。
食事が家族団らんの時間だった。
母と子は早めに帰り男たちが帰り着くころには夜空を満天の星が飾っていた。
電気がなく暗い灯火の生活だったので労働の疲れもありみな早寝した。
エンシャーダで草取り、掘り起こし、土盛りもしたが、きつかったのはコーヒー
の収穫作業だった。
コーヒーの実を手で袋の中にもぎ入れるのが枝を傷めず実を黴させないので
常道だが、当時そんな丁寧な仕事は見たことがなかった。
竹竿程の長い棒で樹を揺さぶり枝を折れるほどたたいて実を葉と共に地面に落とした。枝に残った実を手でもぎ落とした。
全員がこの作業に従事し地面の実はもぎ落しが終わるまで何日も放置された。
雨が降れば実は半ば土に埋まった。
次の作業は実の回収だった。
よく繁った樹の下に潜ってコーヒーの実を朽ち葉もろとも外に搔き出す仕事は
主にこどもの担当だった。
暗い樹の下に潜ると黴の臭いとともにオオアリの嫌な警戒臭がした。
2センチほどの黒い怖いアリだった。
いっ時も油断のできない、しゃがんだまま周りに気を配りながらの作業だった。
ある時ついに潜ったまま泣き出してしまった。
へんな歌が聞こえると言いながら両親が駆けつけてくれた。
ほかに猛毒のタランチュラ、さそりがいたが、目に触れること少なく悪臭もしなかったので気になるほどのことはなかった。
母がシッチオ時代に蠍に刺されて医者に運び込まれたと聞かされたことがある。
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